寒い寒い帰り道。長い長い帰り道。
 帰りは、途中からは魔理沙が少しずつペースを落としてくれた。私自身は気付いていなかったが、やはり疲れが酷かったようで、魔理沙の一定速度に追いつけなくなっていた、らしい。前を飛んでいる魔理沙のほうが私よりもしっかり気付くのだから、意外としっかり観察しているんだな、と思う。同時に、考え事をしていたからとはいえ、自分で遅れに気付かなかったということがちょっとショックだった。
 私の家に到着。もう真っ暗になっている。到着してみると、ああ本当に魔理沙が泊まっていくんだなあと実感する。
 魔理沙は、地面に降り立つと、遠慮なく私より先を歩いて、ごく当たり前のように玄関のドアを開けた。鍵はかかっていない。こんなところに誰か来るとしたら魔理沙くらいのものであり、まあ、ごくまれにイレギュラーなどこかの妖怪がふらふらと立ち寄ることがあったとしても、どちらにしろ鍵をかけたところで通用する相手ではない。
「ふう。ただいまだぜ」
「おかえり……って、ただいまじゃなくてお邪魔します、でしょ」
「冷たいこと言うじゃないか。アリスの家なら私の家のようなもんだろ」
「えっ!? それって、どういう……」
「アリスの私有財産は例外なく私にも利用権があるという意味」
「あーうんありがとうだいたい予想できた回答」
 聞きようによっては、これはこれでとても素敵な回答ではあるのだが、さすがにそこまでプラスに捉えるほど私は魔理沙のことをわかっていないわけではない。たまたまここに出た名前が私なだけで、おそらく巫女に対しても同じようなことは言っているはずだ。魔理沙が、事実上泥棒を生業としていることは誰でも知っている。
 到着の気配を感じたのか、ひょっこりと人形が袋から顔を出して、周囲を確認して、ぽんと飛び出す。そういえば今日はずいぶんと閉じ込めっぱなしになってしまった。さぞ窮屈だったことだろう。とりあえず頭を撫でてあげよう。なでなで。
 人形は目を細めて甘えてくる。ああ。なんて可愛い子。
「おう。今日はお疲れ様。おまえん家に泊まらせてもらうから、よろしくな」
「……」
 なんでその台詞を、私じゃなくてこの子に言うのか。
 人形は、器用に親指をびしっと立てて魔理沙に応えていた。
「んで、アリス。ごはんも風呂も準備してくれる約束だったな?」
「え……うん。それは、間違いないわ」
「よし。助かる。いやあアリスも疲れてるだろうに大変だなあ。ありがとうな」
 ……まったくだ。
 この語調からして、どう考えても手伝ってくれる様子はない。もともと、期待はしていないけれど。
 魔理沙は一足先にリビングに入ると、荷物を地面にどさっとおいて(というか投げ捨てて)、その勢いのままソファに寝転がった。
「んじゃ、できたらよろしく。あ、草はそのままほっといても大丈夫だぜ」
 それだけ言うと。
 直後にはもう、寝息を立てていた。
「……え?」
 あまりの、芸術的ともいえるほどの行動の早さに、ついていくのが遅れてしまった。
 あーそうなんだ、やっぱり魔理沙も疲れてたんだなーあははーと、もうひとりの冷静な自分が脳の端っこ辺りで呟く。
 ……とりあえず、荷物を邪魔にならないところに移して、魔理沙の寝ているソファの前にしゃがむ。見る。見事なくらい、ぐっすりと眠っている。
「えーと」
 とりあえず。一緒の家に入って、久しぶりだからドキドキしちゃったりなんかして、とか、私がご飯を作っている間に魔理沙が後ろから近づいてきて「やっぱり手伝うぜ。アリスも疲れてるもんな」とか「肩こってるだろ? 揉んでやるぜおっと手が滑った」とかそういうイベントがまったく発生しそうにないことだけは確実によくわかった。
 しかし、実際の話、ここまで思い切り眠りに落ちる魔理沙の気持ちはよくわかる。私も、こうしてしゃがみこんだだけで、今日一日の疲れがどっさりと襲い掛かってくるのを感じた。これは、危険だ。気合を入れないと、寝る。
 約束は約束だ。ともあれ、準備をしてこよう。魔理沙のおとなしい寝顔を珍しそうに眺めている人形に一言声をかけてから、立ち上がる。

 寒くて体が動かないようでは何もならない。まずは、暖炉に火をつける。しばらく火の前で手足を中心に温める。温まったところで一度私の部屋で室内着に着替えて、キッチンに向かう。エプロンを身に着ける。
 今日のメニューはもう決めている。自信のある焼きたてのパンと温かいクリームシチューで身も心も温まってもらおう。
 予想通り魔理沙の乱入イベントもなく、何事もないまま作業を終える。あとは煮込むだけ。パンは焼き上がりを待つだけ。あと五分といったところか。
 魔理沙を起こしに行く。起きて、準備ができたころにちょうど出来上がるくらいのタイミング。魔理沙が、すんなりと起きてくれることを前提にすれば。
 寝顔を覗き込む。相変わらず穏やかに眠っていた。魔理沙が眠るソファの背の上に、人形が座っている。
 さて。起こすわけだ。魔理沙を。……なんとなく、物凄く不機嫌な顔をされそうで怖い。いやいや約束だ。私は何も悪くはない。
 魔理沙の腕あたりをそっと掴む。服の上からだが、腕の細さと、それでいて締まった筋肉の固さを感じる。見た目には決して筋肉質ではないのに、触ってみるとよくわかる。さすがにパワーとスピードを売りにしているだけのことはある。
 なんて感心している場合じゃなくて。
 軽くゆすってみる。
「起きてー」
 ゆさゆさ。
 ……すぴー。
 レベル1、反応なし。うむむ。
「あなたの秘密は知っているわ……公表されたくなかったら、大人しく私にあの研究の成果を渡しなさい」
 ……
 ……すぴー。
 ゆする違いかよ!
 ……という期待したツッコミもなく、レベル2、反応なし。難しい。
 ぷに。
 頬をつついてみた。柔らかい。腕はあんなに締まっているのに、ここはこんなに……私よりも柔らかいだなんて、ずるい。魔法でも使っているのか。……いるのかもしれない。
 こんなに……柔らかいなんて。
「……」
 むに。むに。
 柔らかい。
 限界がないのかと思えるくらいの体力と精神力を見せ付けてくれるかと思えば、寝顔を眺めれば小さな小さな女の子そのもの。人間の身で、格上の妖怪にも不遜な態度を崩さずむしろ挑戦的で、しかも戦って勝ってしまうことも多い、魔法使い。なのに今はまったくの無防備で、その気になればすぐにでも壊せてしまうほどに弱い存在になっている。強さと弱さ、男らしさと女らしさ、黒と白。両極端の特性を兼ね備えた不思議な少女。
 気がつけば、魔理沙のちょっとした仕草や言動からも目が離せなくなってしまう。魔理沙の勝手な行動で迷惑を被っても、怒りはしても憎めはしない。
 きっと私はもう、この人間の魔法使いの虜になっているから。
「起きて……いつもの声を、聞かせて」
 頬を……そして指を走らせて、首筋を軽くなでる。
「ん……」
 魔理沙の表情が、少し歪んだ。漏れ出るかすかな声。
 もぞり、と体も動く。
 ……私は、急に恥ずかしくなって、ばっと手を離す。
 ほとんど無意識だった。とても恥ずかしいことを言ったような、そしてしたような気がする。
 魔理沙は、そのまままた落ち着いていって、普通に寝息をたてはじめる。起きるには至らなかったようだ。少し、安心する。
 息を吐く。心臓がばくばくいっている。寒いはずなのに、なぜか汗をかいている。
 落ち着かせるように視線を魔理沙から外すと、人形が私の顔をじっと見つめていた。赤い顔で、上目遣いで。目が合うと、ぐっと右腕で握りこぶしを作ってみせた。
 ……見事に、見られていた。そうだ。油断してはいけなかった。決して一人ではないのだから。人形は、痛ましさに小さくなっていく私にかかわらず、ハイテンションに拳を突き上げている。さあさあかまわずやっちゃってください、と言わんばかりに。
「んもう……っ。この子は、ほんと、そういうの好きなんだから……」
 ……
 それが教育の賜物だということはもちろんよくわかっているけれど。
 こほん。咳払いひとつ。
 落ち着け。冷静に。魔理沙を起こすくらいでこんなにドキドキしているようでは、夜は迎えられない。……たぶん。
「はあ……魔理沙が、こんな……か、可愛いから、いけないんだからね……」
 呟いて。
 またしても恥ずかしいことを言ってしまったと自覚しつつもそれを無視して、魔理沙の頬を軽くつねった。むにゅ。
「ほら、ご飯できたわよ。起きなさい」
「……すー」
「起きてっ」
 むにーー。両手で頬を引っ張る。
「にいいぅにゅー……?」
 魔理沙の目が、ゆっくり開いていく。ぱっと手を離す。
 目の焦点が合い始める前に、言う。
「起きたかしら。ご飯の時間よ。パンと温かいシチューが待って――って! ああああ! ちょ、ちょっと火止めてくる! 寝ないでね!?」
 ……どたばた。
 あああ。なんだか恥ずかしいところを見せてしまった。どうしてこう、いつもいつも、魔理沙の前だと失敗ばかりになってしまうのだろう。
 見事にこげ始めていたパンを、釜から取り出す。……まだ、なんとか、セーフだ。シチューのほうも底はかなりこびりついてしまったが、食べられない状態ではない。……せめてもの救いだった。魔理沙を起こした挙句に、食べるものは何もありませんでは、いくらなんでも。

 戻ってくると、魔理沙と人形がなにやら会話をしていた。いつもながら、よく会話が成立するものだと感心する。
 ……魔理沙の顔がちょっと赤かったのは、いやそれはきっと、私がつねってしまったからだろう。それ以外にはない、はずだ、うん。




 何事もなく食事を終えると、ゆったりする時間もなく魔理沙はささっと風呂に行ってしまった。その間に私はいつもより多い洗い物を済ませると、リビングに戻ってソファに腰掛ける。
 眠い。気を抜くと、すぐにでも意識が飛んでしまいそうだ。
 仕方ないだろう。久しぶりに、純粋に肉体労働に終始した一日だった。加えて、ずっと寒い場所にいて、今やっと温かさを取り戻したばかりだ。脳も体も休養を求めて喘いでいる。
 ゆっくり魔理沙と話をする機会だと思っていたが、この様子では昼間はまったく無理だ。風の強い屋外ということもあって、休憩時間でしかまともに話はできない。
 帰ってきたらきたで、この眠気だ。魔理沙など、下手をすると、私がお風呂を出るころにはもう寝ているかもしれない。そして私も、あまり夜を楽しんでいる余裕はなさそうだ。三大欲求のなかでも、ことにこの睡眠欲というやつは強力で、他の二つは圧倒されてしまうものだ。食欲も……性欲も。とりあえず前者は満たされているから関係ないとして――
 いやいやいやいやいや。
 おちつけわたし。いきなりなにかんがえてるんだ。
 普段できないような話ができればいいなーというそれだけの思いが、どうしてこう突飛な発想に繋がるのか。別に私は魔理沙に欲情しているわけではない。……はずだ。たぶん。と思っている。かっこいいし可愛いなあとは思ってはいるが、それ以上のものではない。たぶん。ただ、もっと私だけに魔理沙の可愛らしい側面をたくさん見せて欲しいとか、私のことだけ見ててほしいとか、昨日や今日の昼みたいな恥ずかしがった顔をもっともっとさせたいとか私の名前を濡れた声で呼んで欲しいとかたまには魔理沙の気持ちを完全に支配して私が大人の世界を教えてあげたいとか思うくらいで。
 ……
「ダメだ私」
 凹んだ。
 一歩間違えればというか間違えなくても犯罪者予備軍のような気がした。妄想するだけなら自由だという考え方もありだから、まだ平気なのかもしれないが。
 落ち込んで俯いていると、人形がふわりと飛んで、私の目を覗き込んできた。手を振って、私の様子を確かめようとしている。
「あー……大丈夫。うん。ありがと」
 指先で、人形の髪を撫でる。人形は、満足そうに笑う。
「結局……寂しいのよね。なんだかんだいって。ごまかしてきたけど、やっぱり否定はできないみたい」
 寂しさを紛らしてくれる存在が魔理沙しかいないから、全ての寂しい感情を魔理沙に投影させてしまう。魔理沙自身は私と違って、私以外にも話す相手がいる。むしろ、私はいつだって二番手以降だ。だから余計に寂しくて、構って欲しくて、私だけのものにしてしまいたくなる。
『結局ひとりじゃ何も出来ないのか』
 そんなことはない。
 だけど、そんなときだってある。
 ……ぎゅ。人形が、指に抱きついてくる。がんばれ、と言ってくれているようにも見える。自分がいるから寂しがらないで、といってくれているようにも見える。
 人形を、そのまま、胸元に抱き寄せる。そっと、抱きしめる。
 この子はいつだって力になってくれる。この子に甘えるのは逃避にすぎないとわかっていても、どうしても頼ってしまう。
「ダメよね。せっかく魔理沙が来てくれてるのに寂しくなっちゃってどうするの。私がこんな顔してるの見て、魔理沙が勘違いしちゃったら困るしね。私が来たから嫌がってるのかって……」
 とても困る。
 いや、むしろ、少し意識的に寂しがっているところを見せるくらいでもいいのか。そしたら「寂しかったんだな……」ってぎゅーって抱きしめてくれたりなんかして。むしろ「その寂しさ、私が埋めてやるぜ?」なんていきなり押し倒されちゃったりなんかして。なんて。なんて。ダメよ、こんなときくらい私にリードさせてくれなきゃ。
 ぎゅー……
 魔理沙。あたたかい。魔法なんて使わなくたって、魔理沙の体が一番あたたかいよ。魔理沙がいてくれたら暖房草なんていらないんだよ。……なんて。言っちゃったり。
 ぎゅー……
 ……
 じたじた。
 小さな魔理沙が、私の胸の中で暴れる。もう、そんなにがっつかないで。私はどこにも逃げないわ。好きなだけ抱いていてあげる。
 じたじた。
 ばんばんばん。
 抵抗するフリなのは、照れ隠しか。本気で抵抗するつもりがないことは、ほとんど手に力を感じないことからわかる。
『よせって……その……恥ずかしい、から……』
「こうされるのは、嫌?」
『……意地悪』
「魔理沙ほどじゃないわ」
 ばんばん……ばん……ぱた。
 ついに、魔理沙がもがくのをやめた。
 どんな顔をしているのだろうと、ちらりと顔を覗き込む。小さな魔理沙は目を閉じて、ぐったりと脱力していた。
 ……
「わ!? ご、ごめん大丈夫っ!?」
 私の腕と胸に挟まれてばたんきゅーしている人形の顔を見て、ようやく現実に帰ってきた。慌てて解放して、机の上に人形をそっと置く。人形は、ふらふらーとよろめきながら、ぐっと指を立ててみせて……ぱたんと倒れた。
「わっ……」
 目がぐるぐるとうずまき状になって回っている。いつの間にやらそんな演出を身につけていたらしい。そのうち頭からひよこを出して飛ばしそうだ。
 って感心してる場合じゃなくて。
 服の上から体の状態をチェック。変な音を聞いた覚えはないので壊れていたりはしないはずだが、念のため。本来は戦闘用なのでそんなにヤワではないが、頑丈に作られているものでも案外継続的に加えられる力には弱いものだ。それに、自分がどれくらいの力で抱きしめていたかよくわからない。
「だ……大丈夫そうね。ごめんねっ」
 とりあえず問題なし。倒れているのは、なんというか、まあ、感情移入のようなものだろう。理屈はよくわからないがたぶんなんかそんな感じのアレに違いない。
 さて、それにしても。
 すっかり目は覚めてしまった。このあとお風呂なのだから、都合がいいといえばいいのだが。
 魔理沙に、今の失態を見られずにすんだのは幸いだった。今までのパターンから言って、ちょうどあっちの世界に行っているタイミングで後ろから現れていてもおかしくはなかった。やっぱり襲われそうだから帰る、なんて言われて、それが私たちが交わした最後の会話でした、なんて展開もありえたのだ。なんて恐ろしい。
 ふう。大きく深呼吸。
 まずは気持ちを切り替えよう。本来の目的を忘れてはいけない。明日からはますます別行動の時間のウェイトが増えるはずだ。それまでに自分なりに作戦を考えておかないと。それに、明日のお弁当についてもリベンジを果たさなければ。
 がちゃり。リビングのドアが開く。
「ふぁ……あー。出たぜ。ここの風呂は広いのはいいが、浅いんだよなあ」
 魔理沙の声。
「って、出てきていきなり文句はないでしょ」
 なるべく冷静に、冷静に。
 今度は落ち着いて対処できる。変なところを見られたりもしていない。人形がちょっとぐるぐるしていたりはするが、休んでいるだけよとか適当に説明しておけばいいだけ。
「それより前みたいに凄く熱くしてたりしないでしょうねぶほぅぁ!?」
 魔理沙をちら、と横目だけで見て。
 空気吹いた。
「何だその語尾。新しいキャラ作りか?」
「な、な……何よその格好!?」
「んー。いやあ、なんとなく予想はついてたんだが、ズボンのほうはぶかぶかすぎて穿いてて邪魔だったんだよな」
 だから。
 だから、私のぶかぶかパジャマ上だけを着ているというのか。
 いくらぶかぶかとはいっても、裾がどこまでも長いわけではない。ふとももがそのまま露出してしまっているわけで。
 問題は下着を穿いているかどうかだ。そこまではっきりわかるほど短いわけではないがいやいやいやいやいや普通は穿いている、余計なこと考えるな自分。
 顔がすぐに真っ赤になってしまう。いや、ここは隠さなくてもいいだろう、別に。
「もう……それなら、ちゃんと別のを準備するのに……」
「大丈夫大丈夫。部屋の中なら温かいから、問題ないって」
「そういう問題じゃないの! ……その……魔理沙も、女の子なんだから、もうちょっと、こう……」
「アリスだって女の子だろ。ま、固いこと言うなって」
 言って、悪びれもせずに、へへーと笑う。
 どうして見ているこっちのほうが恥ずかしくて赤くなってるのに、当人が平気なのか。不条理だ。
 平気どころか、上機嫌でさえあるようだ。風呂に文句を言っていた割には。
「じゃ、アリスの部屋行ってるぜー。たぶん先にベッド占領してるから、床で寝る準備しておけよ」
「って……! 勝手に私の部屋を私物化しないの!」
「最大限善処いたします」
「全然誠意が感じられないんだけどっ」
 言うだけ言って、魔理沙はささっとまたドアに手をかける。
 後姿になると、ますます裾がぎりぎりなのがよくわかる。もう少しで、ふとももというか、むしろもう、その。
 魔理沙は、ドアを開ける前に、後姿のまま声をかけてくる。
「ありがとな」
 なんだか、唐突な言葉。
「何がよ。ベッドを占領する許可なんて与えた覚えは――」
「女の子だなんて言われたの、久しぶりだった」
「……へ……」
「おやすみー」
 がちゃ。
 振り向かないまま、魔理沙はリビングを後にした。
 ……ぽつん。
 脳の情報処理が追いつかず、ただ、いろんな意味で取り残される。
 人形がむくっと起き上がる。
 起用にVサインを作ってみせた。なんだろう。どういう意味だろう。えーと。
「……ぁ……う……」
 えーと。
 えーとえーとえーとえーと!
 ……ぼんっ。
 なんだかよくわからなくてぐるぐる混乱していたけれど、よくわからないままに、とても恥ずかしくなって、しばらく一人で悶えてしまうのだった。




 こん、こん。
 自分の部屋ではあるが、一応ノックをする。
 反応はない。やはり、もう寝ているのか。
 そんなにゆっくり風呂に浸かっていたわけではないが、それでもなんだかんだしていれば数十分が経過している。家に入るなり速攻で寝た魔理沙のことだ、起きているほうが不思議かもしれない。
 ドアを静かに開ける。部屋の中は、ランプが数個点いている程度で薄暗い。真っ暗にしなかったのは、それなりには私に配慮してくれたのだろう。
 ベッドの上で、魔理沙の金色の髪が光っている。暗くても、すぐに目立つ。私はベッドの側まで歩み寄って、上から魔理沙の顔を覗き込む。ぐっすり眠っていた。それはもう、気持ち良さそうに。そして予告どおり、ベッドを遠慮なく占領して。
 髪にそっと触れる。さらり、と滑るような感触。風呂上りからの時間を考えると、自然乾燥ではこうはいかないだろう。安心する。魔理沙のことだから、翌朝髪が酷いことになることもまったく気にしないで寝ているかもしれないと心配だっただけに。そういえば今日、地面を乾燥させる魔法を使っていた。見たところ髪が傷んでいる様子もなく、ちゃんと熱量も制御できているようだ。パワー重視のようでいて、意外にこういう細かいこともちゃんとできるから侮れない。

『女の子なんて言われたの、久しぶりだった』
 だとしたら、みんなよほどわかっていないのだ。きっと、近くに住んでいる私だけが魔理沙の女の子の側面をよく見ているのだ。巫女は、もしかしたら、ちゃんとそのあたりわかっているかもしれないけど、あの巫女が魔理沙に対してそんな言葉を言うとは思えない。
 そう考えると、魔理沙は褒められることに実は慣れていないのかな、とも思う。何を言ってもさらりと受け流してしまいそうな印象があるが、褒められて嬉しくないわけがない。もう何年も、魔理沙が頑張って成し遂げたことを苦もなくやってのける霊夢がすぐ近くにいたのだから、自分自身で自分を褒めることもあまりできなかったのかもしれない。
 もし、機会があったら、魔理沙が気持ち悪がって逃げてしまいそうなくらい褒めちぎってしまいたい。普段はあまり言えないことも、そのときに全部言ってしまおう。

 さておき、どうするか。
 ベッドはセミダブルサイズで、魔理沙に少し端に寄ってもらえれば隣に寝ることはできる。そのための問題点は以下の通り。
・寝ている魔理沙をどうやって動かすか
・そもそも私はちゃんと眠れるのか
 ……大人しく、毛布持ってリビングのソファで寝るのが正解なのか。寒いけど。
 ちらり。魔理沙の寝顔を覗き込む。ぐっすり眠っている。起こしてしまうのは可哀想だ。動かしても起きなさそうな気はするけれど。
 ベッドの空きスペースを見る。魔理沙は堂々とど真ん中を占拠していて、やはりどちらかに少しは寄ってもらわないと、厳しい。
・ソファで寝るのは寒い
・動かしても起きないだろう、たぶん
・一緒に寝たい
 以上、多数決によって、私はこのベッドで寝ることが決まった。
 ごめんね、と心の中だけで呟いて、布団の端を持ち上げる。
 魔理沙を押して転がすというちょっと可哀想な扱いになってしまうが、この際我慢してもらおう。寝ているわけだし、気付きはしない。
 ……ちら。
 つい。
 つい、視線は、下のほうに向かってしまう。パジャマの裾がぎりぎり見える。もうちょっと下のほうを持ち上げないとよく見えない。
(見えないって、何がっ)
 一応、自分で自分にツッコミを入れておいて。
 すす……と、さりげなく、布団を持ち上げる手の位置をずらす。そうよ、もうちょっとこっちのほうじゃないとバランス的に持ち上げにくいのよ、なんて誰に対する言い訳かわからないことを考えながら。
 ドキドキドキドキ。
 ちらり。
 隙間。パジャマとふとももの間の隙間。
 もう一度魔理沙の顔を見る。よく寝ている。
 ゆっくり、ゆっくりと体を移動させる。そーっと。
 立ちっぱなしで疲れてきたわー、なんて思いながら、静かにしゃがみこむ。
 ぐぐぐ。
 ちら。
 魔理沙の細い脚が、アップになってくる。二本の脚の間に出来た隙間が、パジャマの裾に微妙な凹みを作っていて――
「ん……」
「ふぁ!?」
 ばっ!
 もぞ、と少し動いた魔理沙の体と、微かな声。
 反射的に持ち上げた布団を下ろしていた。
 どくどくどくどく。心臓が危険な跳ね方をしている。死ぬかと思った。
 もう一度魔理沙の顔を覗き込む。……寝ている。
 暴れる血をなんとか抑えようと、胸元を押さえる。
「ちゃ、ちゃんとしてるみたいね、これなら風邪引かなさそうだし大丈夫ねっ」
 そして、自分でもなんだかよくわからないことを口走る。
 いや、まあ、その。微妙ではあったが微かに白っぽかったような気がするとか。
 ……
 すう、はあ……深呼吸。
 おちつけ、おちつけ。
 ……とりあえず、今日はやっぱり、一人で寝よう。色々と、危険だ。
 決断するとはやく、私は部屋を出る。
 ソファにシーツを敷いて、横になって毛布を被る。
 目を閉じると最後に見えた魔理沙の脚やらそのもうちょっと上のほうやらが延々とフラッシュバックしてきて、案の定眠れない夜を過ごすことになるのだった。


 朝。今日も早めに起きて、朝食と弁当の準備。
 さあ、気合を入れよう。朝食はいつもどおりにさっと仕上げる。こっちは普通に食べてもらえば美味しいと言ってもらえる自信がある。問題は弁当だ。昨日の弁当は、反応からして、不合格だったようだ。かなり寒い場所だからもう少し工夫が必要だったか。
 パンを薄く切りながら、どう工夫を加えるか考える。乾燥してしまうのは避けられない。いっそ、ハードタイプのサンドイッチにすべきなのか。それとももっとちゃんとしたおかずが必要なのだろうか。食べる環境を考えると、あまり凝ったものを作っても食べるのに苦労するだけのような気がする。
 慣れない緑茶のほうは、一応は合格を貰った。私はやっぱり紅茶のほうが美味しいと思うが、今回も魔理沙の好みに合わせて緑茶を煎れよう。本当なら、このパンと最高に相性のいい紅茶があるから、勿体無いのだが――
 ……
 相性?
 はっと閃く。
「……わかった……」
 当たり前のことだった。見逃していた。魔理沙の好みというならば、どうしてこんな単純なことに気づかなかったのか。
 パンをすぐに片付ける。これは夕食にでも再利用しよう。
 今度こそ間違えない。まだ間に合うはずだ。材料は……ちょっと、あるかどうか確かめなければ。
 魔理沙が目を覚ますまでに、手早く準備を進める。どうせなら、秘密にしておきたい。魔理沙がいつくらいに起きるかはわからないが、昨日と同じくらいの出発時間だとしたら、もうしばらく後だろう。
 今日は昼食も探索もうまくいきますように。

 そして、起きてきてキッチンに現れた魔理沙の姿が昨日寝るときの姿のままで、また吹いたり慌てまくったりしながら始まった朝は、平穏に過ぎていった。
「悪い。本当にベッド一人で使ってしまったみたいだな」
「え? なんで、わかるの?」
「途中で一回目が覚めたとき、アリスがいなかったから。一応部屋の中は見渡したが、床で寝てたわけでもないみたいだし」
「……探してくれたんだ、わざわざ」
「ん……別に、探したわけじゃない」
 魔理沙はあはは、と困ったように笑う。
「アリスのことだから、私を押しのけてでもちゃんと寝るだろうと思っていた」
「……実は、そうしてほしかった……とか?」
「何を言ってるんだね君は」
「はいはい調子乗りましたごめんなさい悪かったわねっ」
「なんてな。ま、そういうことだから、今度からは遠慮せず端っこにどけて入ってくれ。――いると思ったのにいないのは、結構、寂しいんだ」
「え……?」
「だから、こういうときにいちいち聞き返すな。私の言ったことにははいかイエスかだけでいい」
「……はいはい。努力するわ」
 なんだか魔理沙はさっきとんでもないことを言ったのではなかろうか。
 私はまだそこまで考える余裕があまりなかった。魔理沙は嘘でこんなことは言わないだろうが、あまりに自然に言うからその言葉の重みがよくわからない。
 出発の準備を二人で整える。
 今日も長い肉体労働の始まり。
「準備は問題ないか?」
「うん。あ、そうね。一言だけ」
「ん?」
「えーと……今日も可愛いわ、魔理沙」
「はあぁっ!? な、な、なんだそりゃいきなりっ」
「……嬉しい?」
「いきなり言われても戸惑うっ」
 慌てふためいて、魔理沙も言葉選びの余裕がなさそうだった。
 ああ。魔理沙をこんなに慌てさせることができるのも、きっと私だけ。
 赤くなる魔理沙を見ながら、私は余裕を装って微笑んだ。
「ん。わかったわ。色々とね。さあ、行きましょ」
「くっ……いいぜ。昨日より飛ばすからついて来いよ!」
「ついて行くわ」
 今日も、長い旅の始まり。




 本気で昨日より速くて、やっぱり今日も現場についたときには倒れこんだ。
 昨日はまだ私のペースを観察しながら、なんとか大丈夫くらいのペースを保ってくれていたのだが、今日はほとんど私のことを振り返ることもなく、少しずつスピードを増していった。ある程度引き離されたらなんとか瞬間加速を入れて追いつく、という繰り返しで食らいついた。おかげで、到着時の消耗は昨日の比ではなかった。
 もう、ちょっと風の壁を作る余裕もなく、今日は風に曝されて荒れる火で温まることになった。魔理沙は、今日も、地面を乾かすまでの間は私をずっと支えてくれた。
「本来は非常用だ、大事に食べてくれ」
 魔理沙は、ぐったりしている私に、チョコレートをひとかけ渡してくれた。食べると、すぐに体の中から少しずつ温まってきた。消耗した体力も幾分か回復した。味は少しおかしいような気はしたが、効果は十分だった。
「これって」
「私のオリジナル非常食だ。凄いだろう」
「私が前に魔理沙にあげたチョコと、何が違うのかしらね」
「それを参考にしつつ、私が独自に開発をした。だからオリジナルだ」
「……ま、確かに、効果は上がってるけど。ありがと」
 あまり論争する気力もなく、まあ別に技術を盗まれて困るようなことでもないので、話は適当に打ち切る。見ただけで同じものを再現してしまう能力は、実に凄いと思う。
 ともあれ、おかげでなんとか本来の作業に入れそうだ。


 午前中の探索は短い。
 しかし、できれば少しは見つけておきたい。見つければ、何かヒントが得られるかもしれないから。早いほうがいい。
 今日は当然のように午前中から個別行動だった。昼休憩の集合場所と時間は昨日と同じ。寒い場所でひとりきりになるのは辛いが、近くに魔理沙がいるとわかるだけでも心強いものだ。
 まずは昨日までつけた目印を確認。その続きとして、下のほうから探し始める。
「――!」
 唐突に飛来してくる物体を検知する。それが氷塊であることを確認し、上方に避ける。
 左方に、いつの間にか妖精たちが集まっていた。十数体――昨日とほぼ同じ数か。つまり、新グループが存在していなければ、魔理沙のほうには行っていない。
「そう……私のほうが邪魔しやすいと、判断したわけね」
 甘く見られたものだ。昨日、たまたま私に一撃を加えたくらいで。
 氷塊は次々に飛んでくる。当たらない大半は無視し、一部を避け、一部を払い落とす。
 人形はまだ出していない。袋の口を開けるだけで勝手に状況判断をしてくれるとは思うが――
「ふん。やっぱり、私の手でしっかりお返ししてあげないと気がすまないわね。だけど、遊んでる時間もないし――」
 袋は開けない。久しぶりに、自分の魔法だけで戦ってみよう。
 問題はない。妖精ごとき、何百何千と来ようと、脅威ではない。
「魔理沙の破壊力は怖いでしょう。でも、今日は別の恐怖を教えてあげる」
 約二十体か。本当は、もっと多いほうが派手で面白いのだが、仕方ない。
 三分で決めよう。
 妖精たちの集団のど真ん中に人形の幻影を生み出し、そこを攻撃の発信源にして、狙いも何もなくただ大量のエネルギー弾をばら撒く。不意を突かれた妖精たちが慌てる隙に、自らの幻影を最初の位置に残して、はるか上方に移動する。
 もう、準備は終わり。あとは二つの幻影を適当に制御するだけ。
 妖精たちの動きや位置を見ながら、人形の位置を微妙に変えていく。次々に弾に巻き込まれて堕ちていく妖精たちと、別の妖精が人形に向かって投げつけたつもりの攻撃に当たって撃墜される妖精たち。とにかくばらばらに散って距離を置くのが正解の対処法だと気付く間もなく、妖精たちはあっという間にその戦力を四分の一程度まで減らしてしまう。
 一部の妖精は、人形を相手にするのではなく私の本体を狙えばいいと気付いて、私の幻影に向かってくる。こちらには私の幻影から適当に弾を放って一定以上近づけないようにする。
 あと四体。二つの幻影を解除する。いきなり目標を見失って、妖精たちが戸惑っている――私の下で。
 これが、頭を使った弾幕というものだ。妖精たちにはそれを理解する能力などないだろうけれど。
 二分間もフリーの状態でいられたならば、大技を準備する時間もある。
 まだまだ勉強中の風を操る魔法。妖精たちを巻き込むように、小さな竜巻を生み出す。
 竜巻は妖精たちを容赦なく捕らえ、上へ上へと高速に回転しながら巻き上げていく。さらに上方には、私が生み出した楔形弾が待ち構えている。妖精たちは必死になって竜巻から逃れようとするが、まったく力が及ばない。
「本当はあなたたちにここまで大技を使うことはないんだけど。昨日のお返しと、明日からも邪魔されないように釘を刺す意味でね」
 さぞ、怖いことだろう。マスタースパークを味わった妖精たちでさえ、この技は二度と食らいたくないと思うはずだ。怖いとは思えど一瞬で決めてくれるあの魔法と違って、これは、もう間もなく自分に弾が当たる、むしろ自分から当たりにいってしまうとわかっているのに、それを避けることができない、そんな時間が何十秒も続くのだから。
 針のように先端を尖らせた楔形弾に妖精の体が触れようとした瞬間、私は竜巻と楔形弾を消滅させた。
 体を丸くしてじっと恐怖に耐えながら震えていた妖精たちが、ゆっくりと顔を上げる。そのタイミングにあわせて、私は妖精たちの前に姿を現す。
「これ以上邪魔をするなら、次はないわよ」
 意識して、思い切り低い声で言ってみる。
 妖精たちはびくっと震えたかと思うと、すぐにばらばらになって逃げ去っていった。妖精が反省するなんてことはありえないが、十分に学習はしたことだろう。この魔法使いに手を出すのは危険だと。
 さあ、これで作業に集中できる。ほっと一息つく。
 無駄な時間と体力を使ってしまった。早く昨日の場所へ――
「『次はないわよ』か……かっこいいぜ」
「きゃあぁっ!?」
 あまりに唐突に、真後ろから魔理沙の声。
 さっきの妖精たち以上にびくっとして、振り返る。
「おいおい。せっかくあんなにかっこよく決めてたのに、そんな可愛らしい悲鳴じゃ台無しだぜ?」
「ま、魔理沙、いいいつからいたのよ!?」
「派手な竜巻が見えたら見物に来るさ、そりゃ」
「う」
 考えてみれば当たり前のことだ。別行動とはいえ、魔理沙も遠く離れたところにいるわけではないのだから。
 いや……今回は、別に、変なところを見られたというわけでは、ない。はずだ。慌てる必要はない。たぶん。
「凄いな。あんなに死にそうだった割に、あれだけの魔法が使えるのか」
「一応は回復してたし、このへんは魔力が濃いから」
「そうか。昼まではいけそうか?」
「大丈夫。……あ、もしかして、それを心配してきてくれたんだ」
「見物って言ったろ」
「……うん言ってた確かに」
「おかげでいいものを見ることができた」
 魔理沙は、ふふん、と満足そうに笑む。
 ……あれくらいの魔法、派手好みの魔理沙にしてみればそれほど目を引くものではないと、思うのだが。
「アリスも意外と怒らせると怖い、と。気をつけるぜ」
「な……!」
 一方的に言い放って、魔理沙はひゅん、と飛び去っていった。
 反論をする隙もない。卑怯だ。
 魔理沙の姿がすぐに見えなくなるのを確認して、伸ばしかけてた手を下ろし、ため息をつく。
「私『も』……ね……」
 意識して言ったわけではないだろう。もう一人、魔理沙が念頭に置いていたのが誰なのかは容易に想像できる。
 いずれ、あの巫女とは色々話をしなければいけない。魔理沙のことを深く理解するためには、避けられない道だろう。二人で一緒に永夜事変に挑んだとき、彼女に会った。あの時魔理沙が見せた狼狽ぶりは、ただ事ではなかった。どんな意味でなのかはまだ想像することしかできないが、魔理沙の中で博麗霊夢の存在は極めて大きい。
 今はとにかく、この機会に、私を存分にアピールしておこう。
 魔理沙には巫女がいるかもしれないけれど、私には魔理沙しかいないのだから。
 午前中は残り2時間。結果を残してみせる。




「あ……!」
 ごつごつした岩肌の上に、ぽつん、ぽつんと二本だけ草が生えていた。
 近寄ってよく見てみる。間違いない。昨日見たものと同じ、暖房草だ。
 遠くから見つけることができたのは幸いだった。しっかり探しているつもりでも、見落として素通りしていてもおかしくないほど存在感がない。
 果たしてこれで何グラム程度なのかわからないが、午前中のうちに見つけることができたのは嬉しい。
「さて……ここからが、勝負ね」
 摘んでしまう前に、しっかりと周囲の様子や生え方などを調べる。昨日見つけたときと共通点はないか。何かヒントになるようなものはないか。
 気温はどうか。同時に複数箇所の気温を正確に測ることはできないが、感覚だけでもわからないか。
 魔力密度や魔力の流れはどうか。
 岩肌に変化はないか。地形に意味はあるのかどうか。
「ふーん……」
 二本の草は、どちらも葉を同じ方向に向けている。通常の植物ならば、葉を向ける方向は、日光がもっともよく当たる向きだ。暖房草はそもそも陽の当たらない場所に生える草だ。ならば、この葉はどこに向いているのか。
 魔力の濃い場所にしか生えない草ということは、魔力から何らかの形で栄養分を得ている可能性は高い。となれば、自然に、魔力の源のほうを向いているのではないかと仮説が立てられる。
 魔力の流れを探る。これだけ濃い場所だと複数の魔力源があるため流れが複雑になり、法則性を読むのは容易ではない。だが、ある程度慣れてさえいれば、巨視的な流れとノイズとして扱えるものを分離することは可能だ。魔法の森の魔力は、ここよりもさらに数倍濃い。扱いには自信がある。この場の支配的な魔力の流れの方向は――北北東、やや上向きか。
「……?」
 眉を顰める。あてが外れたか、葉の向いている方向とは九十度ずれている。魔力源のほうに葉を向けるのであれば、魔力の流れる方向の反対側に向くはずだ。
 ひとまず、メモを取り出して見つけた場所と方向を記録する。風でメモ帳のページがまくられて、書きにくい。書こうとすると今度は手が固まっていてまったく書けない。手を一度服の中にもぐりこませて、体温で適当に暖める。
 記録を終えると、時間を確認する。次を探している時間はもうなさそうだ。休憩場所に向かおう。
 疲れていては、頭も働きにくくなる。しっかり体を休めて、午後に備える必要がある。


 休憩場所につくと、一足先に魔理沙がもう火をたいていた。
 私が到着すると、魔理沙は片手を軽く挙げて迎えてくれた。
「成果は?」
「一箇所、見つけたわ」
「おお」
 魔理沙はちょっと驚いた声で反応した。
「こっちはゼロだ。やるじゃないか」
「まあ、結局のところ運なんだけどね」
 魔理沙の隣に腰を下ろす。
 冷え切った手を火に近づけて、まずは手がちゃんと動く状況にする。ある程度感覚が戻ってきたところで、またいつもどおり風の壁を作る。これで周囲の風がぴたりと止んで、ゆっくり休めるようになる。
 話すべきことはいくつかあるが、まずは食事にしよう。落ち着いてからのほうが整理して話すことができるだろうから。
 人形を袋から出す。今日もひょこっと飛び出ると、私と魔理沙に一回ずつ手を上げて挨拶する。……そういえば、この仕草は、さっき魔理沙が私を迎えたときのそれと同じだ。何度か魔理沙の真似をさせているうちに、ごく自然にこんなところが似てきたのだろうか。人形は挨拶を終えると、ちょこんと魔理沙の前に座った。
 続けて今日の弁当とお茶を取り出す。
 ……ちょっと、緊張する。
「えーと……はい。今日のお昼」
「おう。……おう?」
 魔理沙は、私が渡したものを見て、きょとんと目を丸くする。
 紙の包みに少し首を傾げてから、包みをゆっくりと解いていく。中身を見て、驚いたように私の顔を覗き込んでくる。
 何か言ったほうがいいだろうか。言葉を考える前にとりあえず口を開こうとすると、魔理沙のほうが先に動いた。
「なんだ。わかってるじゃないか、アリス」
 そう言って、本当に嬉しそうに笑って、私が初めて作ったおにぎりを、躊躇いなく口に運んだ。
 よかった。やっぱり、間違ってはいなかった。
 でも、まだ不安でドキドキする。嬉しそうな魔理沙の顔が、食べているうちに変わっていかないかがまた心配で。
「うん。やっぱり弁当といえば、これだな。冷えていても十分美味い」
 言って、自分で水筒とカップを手にとってお茶を注いで、飲む。
 ひとつ食べ終わると、大きく頷いて、息を吐いた。
「エネルギー補充ー」
「……おいしかった?」
「満足だ。白いご飯とお茶があればどこでだって生きていけるぜ」
「そ、そう。とりあえず三角に固めるというくらいしかイメージなくてこれでいいのか心配だったの。よかったわ」
「なんだ、作ったことなかったのか、おにぎり」
「うん。……あと、のりを巻くとか、具を入れるとか、本当は必要なのよね? ちょっと、材料が揃わなかったから……」
「ああ。ま、あれば嬉しいけどな。冬はあんまり気遣わなくてもとりあえずは問題ない」
 昨日は全然食事については話さなかった魔理沙が、今日はいっぱい話してくれている。
 簡単なことだったのだ。魔理沙の好みで緑茶を選んだというのなら、どうして私好みの弁当にこだわったのか。今日も同じ失敗を繰り返すところだった、危うく。
「ほら、アリスも」
「……うん」
 包みを解いて、ご飯を固めただけの、なんの飾り気もないおにぎりを、食べる。
 ご飯は冷えてかちかちになっていた。何の味付けもしていないだけに、何を食べているのかよくわからない。本当にこれで間違っていないのだろうか。だけど、魔理沙は昨日よりもずっと嬉しそうに食べていた。
「ありがとう」
「え?」
 魔理沙の声と、笑顔が、いつもより柔らかい。
 このタイミングで、何の礼なのか。聞き返してしまう。
「だけどアリスはアリスで、好きなものを食べればいい。体力勝負だからな。私のことばかり気遣っていると、大変だろ。……そりゃあ、嬉しいんだが……もちろん。まさか、ここまで考えてくれるとは、思ってなかった」
 言葉の途中からちょっと恥ずかしくなってきたのか、目をそらしてしまう魔理沙。
 横顔は、それでも相変わらず幸せそうだった。
 ――不思議なことだ。こんなことで、幸せになれてしまうなんて。魔理沙も……私も。

「あー……まだ、残ってるだろ? 今度はもっと美味しい食べ方を教えてやるぜ」
 微妙な空気になりかけたところで、魔理沙がそれを振り払うように口を開いて、手を伸ばしてくる。
「うん」
 包みをひとつ、手渡す。
 魔理沙は包みを解くと、ぽん、とそれを上に投げた。おにぎりはそのままふわふわと宙を漂う。
 浮いたまま少しずつ火のほうに近づいていく。火に触れるか触れないかといったところで、動きを止める。人形が、おにぎりの動きを目で追っていくうちに、自分の真上を過ぎたあたりでこてん、と背中から倒れる。くるんと起き上がってじーっとおにぎりを見つめている。
「温めて食べるのね。でも、ちょっと火に近づけすぎなんじゃ」
「これでいい。焼いてるんだからな」
「焼くんだ」
「ま、見てろって。すぐに焼きあがる」
 くるくる。しばらく経ったところで、おにぎりが向きを変える。火のほうに向けていた面には茶色くこげ跡ができていた。おにぎりは細かくくるくると向きを変えていく。私は人形と一緒に、ほへー、とただその情景を眺めていた。
「普通は直火焼きなんてことはしないんだけどな。道具がないから、今回は特別だ」
 魔理沙が言うと、全面に薄いこげ跡がついたおにぎりが、私に向かってふわふわと飛んできた。
「このままちょっと冷ましたら、包み使って持つといい。その間にもう一個焼く」
「わかったわ」
 魔理沙にもうひとつのおにぎりの包みを渡す。同じようにおにぎりは宙を舞っていった。
 同時に二つ焼かないのは、焼き加減にこだわるためだろうか、と思う。直火の割には、見事なくらい全面が均一に焼かれている。
 二つ目を焼きながら、そろそろいい頃だろう、と魔理沙が言った。私の目の前にあるほうだろう。私は包み紙を被せて、それを手に取る。
 温かい。熱くて持てないということはなさそうだ。
 ゆっくり口元に近づける。
「あ……いい香り」
「だろ?」
「うん」
 一口、食べてみる。がりっとした外側の食感と、ふんわり柔らかくなっている内側のご飯。焦げ目についた香りが、味わいを深くしてくれる。
「美味しい……」
 さっきの冷たいおにぎりとは全然違う。
 魔理沙はじっとおにぎりを焼く作業に集中しながらも、得意げに笑ってみせた。
「醤油があればもっと最高なんだ。今度、焼きおにぎりの真髄を見せてやるぜ」
「魔理沙が作ってくれるの?」
「なんだ、不安か?」
「ううん。楽しみ」
「……そ、そうか。じゃあ楽しみにしておけ」
 魔理沙は少し慌てたような反応。いかにも調子を狂わされた、という感じだ。
 わかっている。いや、つい最近になってやっとわかってきた。ここで私が、不安だわーとでも答えておけば、魔理沙は喜んで自分のペースで会話ができるのだろう。逆に、こうして素直に返されると、困るようだ。
 これは、駆け引き。魔理沙のペースで話をするのか、私のペースに持っていくのか。どちらも必要なことだ。今まではずっと魔理沙のペースに任せてしまっていた。乗せられてしまっていた。乗せられっぱなしでは、私のことは印象に残らない。もちろん、ずっと私のペースでいくというわけにもいかない。魔理沙が話しにくくなってしまっては意味がない。
 やっと見つけた、魔理沙の隙。逃がすつもりはない。
 ……その前に、隙だらけの私のほうをなんとかしないといけない、かもしれないけれど。
 魔理沙は焼きあがった自分用のおにぎりを冷ましに入っている。
 じっと、そのおにぎりを眺めている。
「……何が、あったんだ」
 突然、静かに呟いた。
「え?」
 今度こそ、魔理沙の言葉の意味がまったくわからない。
 魔理沙の目の前のおにぎりを見つめる。黒焦げにでもなってしまったのだろうか……いや、そんなことはない。綺麗なこげ跡が見える。
 人形の顔を見つめてみる。人形は私と同じように、首を傾げるだけだった。……こんなときに頼っても、仕方ないか。
 仕方ないので、魔理沙の言葉の続きを待つ。
「前にもさ、一晩だけ一緒に行動したよな。あの時のアリスは、わざわざ私のことをここまで気遣うようなそぶりはまったくなかった。はっきり言えば、私を利用していただけだろう。私もそれを承知で楽しませてもらったわけだが」
 ――始まったのは、昔話。
 私にとって大切な思い出の話であり、今に繋がる過去の話。
「なぜ、私が要求していないことまでする必要がある? ……いや、繰り返しになるが、嬉しいのは、嬉しいんだ。ただ、そのことで恩を売れるような人間じゃないということは、わかっているだろう?」
「あー……」
 どうしたものか。
 思わず遠い目をしてしまう。
 本当にこいつは、人から優しくされることに慣れていないのか、と思ってしまう。私も人のことはまったく言えないけれど。
 一言で魔理沙に返す言葉があるとすれば、何を言ってるんだいまさら、ということになるのだろう。そんな言葉じゃ何も通じなさそうな気がする。
「――私が魔法の森に来たのは、魔理沙がいるからよ。あの頃はどうして私が人間の魔法使いなんかに負けてしまうのか理解できなかった。私の最高の魔法まで持ち出したのに、勝てなかった。霧雨魔理沙という魔法使いに興味があったのが、あの頃の私」
 昔話には、昔話を。
 言いにくい言葉だけど、今の私なら素直に言える。
「そして、霧雨魔理沙という人間の女の子に興味があるのが、今の私」
「な……」
「私も、はっきり言うわ。あの時あなたを利用していたのは事実。そして、私が今あなたに優しくしているのは、私のほうを見てほしいから。それ以上の理由なんてない」
「……」
「もうひとつ言わせてもらうと――魔理沙は、そんなことは本当はとっくにわかっている」
「……なんでそんなこと、言えるんだ」
「私が、この人形に魔理沙の格好をさせて遊んでいたところ、見たでしょ。何もあのときが初めてだったわけじゃない、なんてことは、想像できるでしょう。この子が私と魔理沙の絵を描いたところも見たわよね。そのことについて、何も考えなかったなんてはずはないわ。アリスは気持ち悪い奴だと思ったにせよ、思わなかったにせよ、私があなたに対してどんな気持ちを抱いているかは、想像したはず」
 恥ずかしいけれど、自分から少し前の失態について触れる。
 こうでもしなければ、魔理沙はわかってくれなさそうだから。
 ――私も、魔理沙のことを責めてばかりはいられないのだけれど。どんな気持ちか、だなんて言わないで、もっと簡潔に一言で言える言葉があるはずなのに。
「……困る」
 魔理沙は、本当に本当に困ったように、おそらく今一番素直な気持ちを、吐き出した。冷ましているというよりはもう冷たくなり始めているおにぎりを掴んで、ぼーっと火を見つめる。
 そして、はっと気づいたように、慌てて言葉を繋ぐ。
「いや、アリスの気持ちが困るっていう意味じゃない。急にまっすぐに言われたから、どうしていいかわからなくて困るというか」
「わかってるわよ……要するに、純粋に好意でやってることだから心配はしないで、ってことだけ理解してくれればいいのよ、今は。すぐにもっと私を受け入れてなんて言われても、それは困るでしょ。霊夢のことだってあるし」
「は……霊夢は、関係ないだろ」
「本当に関係ない?」
「……ぅー……わからない」
 可哀想なくらい真っ赤になって、魔理沙が完全に体育座りで顔を伏せてしまう。
 私だって、平然と言っているようなふりをしてはいるけれど、たぶん魔理沙以上に大変なことになっている。なんでここまで言わないといけないのか。
 なんでいきなり、焼きおにぎりから事実上の告白シーンになっちゃってるのか。私だってもうちょっと場面は選びたかった。
 そして、無言。
 最近こうして無言になる場面が多い。決して不快な無言ではない。恥ずかしいけれど、心地よい静寂。こういうときはよくはしゃいでいる人形も、静かに私たちの様子を伺っている。……出来すぎなくらい、よくできた子だ。

「……暑い」
 何分も経って、魔理沙が顔を上げた。
 相変わらず真っ赤な顔だった。確かに暑いだろうなあと思う。私も暑い。真冬の山の中だというのにどうしたことか。
 冬を温かく過ごすために暖房草を求めてやってきたが、何故か現地で暑さを感じている不思議な状況。
 無言の時間が長かったせいで、私は自分が言った言葉を何度も思い出してしまっていた。……魔理沙という女の子に興味があるとか、かなり誤解を招きかねない表現だったかもしれないとか思ったり。だからっていまさら訂正するのはいくらなんでもかっこ悪い。
 ずいぶんと時間が経ってしまった。相変わらず魔理沙の手には焼きおにぎりが握られたままだったりする。
「……そろそろ、行かないとな」
 手の中のおにぎりを見て、細い声で魔理沙が呟く。
「うん。今はできることをしないとね。――で、食べながらでいいから聞いてほしいんだけど」
「ん……」
 私は魔理沙に、暖房草を見つけたときの記録についてお願いすることを言う。見つけた場所を、ある基準位置からの座標で記録すること。そして葉を向けている方向を記録すること。
 座標については、昨日一緒に暖房草を見つけた場所を原点にして、そこからの距離と方角で記すことにした。
 魔理沙はゆっくりおにぎりを食べながら、頷く。聞いているのかどうか少し不安になったが、質問が帰ってきたりしたところからすれば、大丈夫だろうと判断した。
 とはいえ、あまりぼーっとしてるのも困ったものではあるけれど。
「ねえ魔理沙」
「ん」
「いくつ見つけられるか、勝負してみない? もちろん、ベテランの魔理沙のほうが有利に決まってるからハンデはもらうけど」
「……む。勝負か。何を賭けるんだ?」
「そうね。私が勝ったら、今晩は存分に紅茶を味わってもらうことにするわ。少しは歩み寄ってもらわないとね。魔理沙が勝ったら、夕食は魔理沙の決めたメニューで作るわ」
「ほう。よし、受けた。ハンデは、そうだな。重量で1.5倍、私のほうがアリスより多ければ私の勝ちというくらいでいいだろう」
「決まりね。ちなみにもちろん私が午前中に見つけたものもカウントされるからね」
「な……ちょ、それは反則――」
「さあ勝負よ。記録も忘れないでね」
「……ち……わかったよ。あまり甘く見るんじゃないぜ」
 火を消して、二人、別々の方向に飛び出す。

 魔理沙に伝えるべき言葉のほとんどは、覚悟を決める前に伝えてしまったけれど。
 私のすべき仕事はまだ終わっていない。私は、私らしくこの暖房草に挑んでみせる。




 午後の戦果は、結局のところ、魔理沙が二箇所、私が一箇所だった。初日から考えればかなりの成果だ。なるほど確かに、探索すべき範囲が狭くなっていけばなんとかなるという魔理沙の言葉は正しいようだ。
 重量比では魔理沙のほうがわずかに多かった。しかし、1.5倍には届かなかった。私の勝ち。
 これでも合計でいえば、まだ3グラムくらいだという。10グラムへの道は遠い。
 今晩は紅茶を楽しんでもらった。ついでに紅茶について半強制的に授業を聞かせてあげた。こんなことができる機会は滅多にない。有意義な時間だった。きっとそのうち紅茶の味が忘れられなくなって、恥ずかしそうに「紅茶……飲みたい」とか言ってくるに違いない。いくらでも飲ませてあげよう。楽しみだ。
 今日も魔理沙から先にお風呂に入って、私が後に続く。魔理沙はまた上だけパジャマのスタイルで、私が注意すると、今日は少しだけ恥ずかしそうに裾を押さえながら歩いていた。……眩暈がするほど可愛い仕草だった。

 さて。昨日は疲れもあってすぐに寝たが、今日の私は違う。ここからが重要な時間だ。風呂から上がると、さっそく魔理沙からの情報と自分の記録をまとめる。そして、平面図を描いて、発見場所と葉の向き、各地で調べてきた魔力の流れを、天気図を描くように整理する。
 すぐに気づく。葉の向きは、魔力の流れに対して全て垂直だ。少なくとも、何らかの意味があることは間違いない。
 二次元だけではわかりにくいので、脳内で三次元の図を描く。これで、葉の向きが、魔力の流れを軸とした円柱を描いたときの断面円の接線であり――いわゆる右ねじの向きであることがはっきりした。すなわち、電流と磁界の関係と同じだ。
 それならば、魔力密度によって円柱の半径は変わるのではないか。これを検証するためには、空気中で感知したその場の魔力の流れだけではなく、岩盤の中を含めた大きな流れを見つけて、そこを中心として考えなければいけない。それは――いや、概算する程度なら不可能ではない。流れから魔力の源の位置を概ね推定し、空気中と岩盤中の魔力伝達係数の違いから魔力線を引く――かなり難しい計算になるが、できなくはないことだ。ただ、それに意味があるかどうかはまだわからない。
 疲れからくる眠気にも襲われる。今日はもうそこまでの計算は無理か。時間と労力を要する割に、結果として無駄になるかもしれない計算をするのは避けるべきかもしれない。
 かも、しれない、のだが。
「……ここまできたら、一気にやってしまいたい、わね」
 覚悟を決める。
 思い切り濃いお茶を入れてくる。計算用紙を大量にテーブルに置く。
 久しぶりの大物だ。わくわくする。私は一度深呼吸をして、三秒間だけ目を閉じて、鉛筆を手に取った。




 そして。
 目が覚めると、いきなり魔理沙と目が合った。近い。
「お……」
「え……」
 どうして、魔理沙がいるのか。ああ、ええと、魔理沙が泊まりにきてるから、それは普通のことで。あれ。この景色。ベッドじゃない。ソファだ。魔理沙がベッドを使っているから私はソファにしたんだったか。あれ?
 ゆっくりと体を起こす。テーブルの上に散乱した大量の紙がすぐに目に入った。
「……えーと……?」
「ああ、おはよう。もう結構いい時間だぜ」
「え……」
 言われてみれば、明るい。朝だ。
「……!」
 しまった。魔理沙より後に起きているということは、朝食や弁当の準備はとても間に合わない。
 慌てて毛布を跳ね除けて、ソファから起き上がる。
 ……
「毛布……?」
 だんだん思い出してくる。昨日、結局、机の上の計算が終わって――そのあと何があったのか、覚えていない。たぶん、そのまま寝てしまったのだろう。毛布なんてかけた覚えはない。
 私が視線で魔理沙に問いかけると、魔理沙は軽く目をそらしながら、あーと頭を掻いて、言う。
「風邪引くといけないからな」
「……ありがとう」
 魔理沙が起きてきてからかけたのでは、ほとんど意味がないような気もするが。だけど、おかげさまなのか、体は冷え切っているような気配はない。温かい。
「寝ないでこんなことしてたのか、ずっと」
「あー……うん。見た?」
「見た。見ただけじゃ何やってるのかさっぱりだが」
「ん。大丈夫、これから解説するわ。せっかくの仮説だもの、生かしたいし」
「そか。勉強熱心なんだな。私はてっきり、またベッドのど真ん中を占領してしまったからかと思って不安になってしまったぜ。それで、降りてきたらこの有様だ」
「ああ、ごめんなさい、心配かけてしまったわ――」
 ……ん?
 魔理沙の今の言葉。
 不安になって降りてきたら、私がこんな状態で寝ているのを見た。――それは、おかしい。
 私が朝の準備の当番なのだから、魔理沙が起きたときに隣に私がいないのは、当然のことのはずだ。それが不安になったということは、つまり、当然ではない状況といえば――つまり、まだ朝ではなかったときの話なのではないか。
「……もしかして、夜中、わざわざ私を探しに降りてきてくれた?」
「えっ……」
「そうよね。毛布も十分に温かいし……」
 魔理沙は、決まり悪そうに目を閉じて、掌で額をおさえる仕草を見せる。
 はあ、とため息をついてみせた。
「……だから、言ったろ。いるはずだと思っているのに、いないのは、ちょっと、寂しいってさ……」
「う。……そうよね、ごめんなさい」
「いや、こういう理由があったのなら別に何も問題はないんだ。その代わりちゃんと説明はしてもらうけどな」
「もちろんよ。……さて。で、ご飯なんだけど……」
「ああ。できてるぜ。食べるか」
「へ?」
「色々と使わせてもらった。事後承諾だが、かまわないか?」
「……あー、あー……うん。ありがとう……」
 意外な展開。
 疑問を挟むよりも先に、流されるままに返事をしてしまった。
 少し遅れて、自らの過ちに気づく。
「ごめんなさい。私の役割なのに、約束破ってしまったわ」
 ありがとうという前に、こっちだ。
「状況が状況だからな。勝手に判断させてもらった。正解だったか?」
「……ありがとう。本当に」
 魔理沙の朝ごはんは、見事なくらい和食だった。私の家から材料を見つけた割に、見事なものだ。
 ……そして、美味しかった。


「さて。これはひとつの仮説。計算が間違っていなければ、あのあたりの魔力分布はこうなっているはずなのよ」
 私は図面を広げて、平面図と鳥瞰図の中間くらいの表記で、山の地形と魔力の流れを書き込む。魔力源は推定の位置だが、大きくはずれていないはずだ。
「ふむむ」
「で、ここまでで見つけた五箇所の暖房草の葉の向きを接線とする円を、直径を変えていくつか描いてみる」
「ふむ……ん? これは……」
「見てのとおりよ。ある大きさの円にしたとき、ちょうどその中心を魔力の流れが垂直に通り抜ける」
「おお。確かに。……でも、ひとつだけ、外れてるぜ?」
「ええ。そう、ひとつ、魔理沙が昨日見つけた場所の片方ね。ここだけイレギュラーなの」
「五箇所中一箇所じゃイレギュラーとは言いにくいんじゃないか?」
「そうね。でも、イレギュラーになるだけの理由がもしあるんだとしたら、話は別よ」
「……なるほどな」
「続けるわ。魔力線は、魔力密度が大きいほど太く模式図的に描くとこうなるの。円の直径と見比べてみて」
「……太い魔力線の周囲のほうが、直径が大きいな」
「そのとおり。具体的には、直径と魔力密度の比が定数になるの。誤差はあるけどね」
「――こいつは、凄いな。歴史的大発見なんじゃないか」
「大げさよ。……たぶん、この仮説にたどり着く魔法使いは過去にもいると思う。ここまでにそんな難しい発想はないから」
「……じゃあ、あんまり期待できないのか?」
「さあね。魔法使いなんて自分がよければそれでいいって連中ばっかりだから、気づいても誰にも教えなかっただけかもしれないし。あと……気づいても収穫には大して便利なわけでもないかもしれないし。実は、これがわかったからといって、探すべき場所がそんなに絞れるわけじゃないのよね」
「……む。確かに、そうか。結局のところこの円が魔力線に沿って無限にいくつでも描けるわけだからな」
「魔力線が一本だけなら話は楽なんだけどね」
「……で、どうするんだ? この仮説をもとに探すとしたら、どうなる?」
「そうね。これはちょっと冒険になるんだけど――」
 私は、図面から一箇所を指差して、宣言する。
「出る杭を打つ作戦よ」




 つまり問題は、イレギュラーなのだ。
「暖房草は毎年同じ場所に生えるわけじゃない。これは、魔力の流れがゆっくりと変動を続けているという事実で説明できるわ」
「そうだな」
「さて、ところでその中で、偶然から、魔力密度が永久にまったく変動しない特異点が稀に存在する――ということは、知ってる?」
「知ってるぜ。魔法の森にもある」
 私たちは、イレギュラーの一箇所にたどり着く。昨日はここに暖房草が生えていた。
 こん、こん。岩盤を叩く。
「もし、私の仮説と、魔力密度の計算が正しいなら、暖房草はここに生えているはずがないのよ」
 これは、賭けだ。
 この説を信じるならば、可能性は高い。だが、ただの計算違いだったりすれば、山に無駄な損傷を与えてしまうことになる。
 岩盤を見つめて――数秒。覚悟を決める。やってみなければ、始まらない。
「――もし、この奥が本当に岩なのだとすればね」
「なんだって?」
「何度も計算したわ。もし、仮にね。ここあたりから奥、二十メートルほどが――岩じゃなくて、空気があると仮定すると、計算が合うのよ」
「――!」
 魔理沙は、驚愕に目を見開く。
「偽装か……!」
 さすが魔法使い同士というべきか、言いたいことは一瞬で理解したようだ。
 そう。もしここに見えている岩盤が、実はほんの薄い壁でしかなくて、この先に空間が広がっているのならば。それは決して自然現象で作られた地形ではありえない。
「魔理沙。私を信じられる?」
「信じる」
「……ありがとう」
 これほどありがたい即答はない。嬉しかった。
 私は魔力を溜めて、エネルギーの塊を細長い刃物状に形作る。
 必要十分、過不足ないエネルギーのはずだ。慎重に制御して、目の前の岩盤に触れさせて―― 一気に、斬る。
 崩れ落ちていく壁――偽りの岩盤。
「もし、この仮説を十分に信じて、そして同時に、魔力密度の特異点を見つけたとしたらね――」
 勝利の確信とともに、私は呟いた。
「私なら、計算した場所を使って暖房草を栽培することを考えるわ。もちろん、誰にも見つからないように、隠してね」
 魔理沙が飛び込んでいく。
 私たちの勝利の地へ。


「こんなの……見たことない」
 魔理沙は、ずらり並んでいる暖房草を前に、感極まって震えた声で言う。
 十グラムなんて余裕で超えているだろう。一桁違うのではないかとも思えるほどに。
「やっぱり魔法使い。考えることは似てるってことね」
「最高だ! アリスっ」
「きゃっ……」
 魔理沙は、振り向きざま、私に思い切り抱きついてきた。
 小さな体で、めいっぱい私の体を引き寄せるように力を込めて。
「お前は天才だ。山に来て三日目でこんなに発見した奴なんて絶対他にいやしない!」
「そ……そうかしら」
 ぎゅ……
 どき、どき、どき。魔理沙に抱きつかれる経験なんて、もちろん、今まで、なかった。抱きかかえられたことはあったけれど。
 さりげなく、私からも魔理沙の背中に手を回して、抱き寄せてみたりする。
 ……温かい。
「でも……まあ、泥棒なのよね、これ」
「問題ない。私有地じゃないところに生えてる草なんだからな。見つけた時点で私たちには権利がある」
「……ま、そうね」
 魔理沙の声はすぐ真下から聞こえる。
 興奮しているのがよくわかる。本当に嬉しいのだろう。嬉しくない理由もないだろうが。
「でも、栽培のコツはわかってないんだから、全部抜いちゃうのは危険よ」
「わかってるさ。ここは私たちの秘密基地だ。今度は誰にも侵入されないようにしっかり結界でも張らないとな」
「結界って――」
「そりゃあ、そんなのが得意な奴に頼んでだな……あ、いや、あいつに教えるのはあんまりよくないか……」
「巫女のこと?」
「ああ。あいつの結界なら完璧なんだが――」
「なんでこの状況で、巫女の話なんてするのよ」
「え?」
 ぎゅ。
 魔理沙を、もっと強く抱き寄せる。
 魔理沙の目が、私を見上げている。
 ……どきどき。心臓が跳ねている。魔理沙にはきっと聞こえているだろう、鼓動の音。
「ここを見つけたのは、誰のおかげ?」
「……もちろん、アリスだ」
「それなら、まず私に言わないといけないことがあるはずよ」
「……ありがとう。この発見の価値は、計り知れない」
「あのね」
 目を閉じる。
 左手を、魔理沙の頭の後ろに回す。邪魔な帽子を、掴んで剥いでしまう。
「あ……」
「私、今、ドキドキしてるの、わかる?」
「……う、うん」
「魔理沙と抱き合ってるからよ」
「……」
「私が頑張ったのは、魔理沙に私の実力をどうしても見せたかったから。私の存在の大きさを知ってほしかったから」
 こんなに早く結果が出たのは、運が良かったとしか言いようがないけれど。
 それでも魔理沙に十分に誇れる仕事ができたと思う。
 いくつか失態は見せてきたが、少しは……見直してくれただろうか?
「アリスが凄い奴だってのは――昔から知ってるさ。今日このことがなくても、魔法使いとして尊敬していた」
「……嘘」
「私にはできないことを、いくつでもやってみせる。次々に新しいものを生み出している。凄いことだ」
「……そう。その評価は、今、どうなったのかしら」
「もちろん、最高だ」
「『魔法使いとして』?」
「……うん」
 私の言外の問いは、もちろん察したことだろう。昨日の今日なのだから――あの告白は。
 大丈夫。急ぐ必要は何もない。
 今は魔理沙にそれ以上の返答を求めるつもりはない。
「私は、これから、暖房草を使って新しい魔法に挑戦するわ。冬を温かく過ごすための魔法」
「うん。私も、そのつもりだ」
「ね、魔理沙。今、寒い?」
「寒い……けど、温かい……」
「今ならね……魔理沙だけが、もっと温かくする魔法を使えるの」
「……」
 どくん。
 どくん。
 魔理沙の目を見つめる。この数日間で、一気に近くなった目。とても濃い日だった。今日は、そのお祭りが終わる日。
「言葉はいらない……無理を言うつもりもない。今だけ、一回だけ、魔法を使って」
 もう一度……目を閉じる。
 魔理沙の手が、私の背中の服をぎゅっと握り締めるのを感じる。
 どきどき……
 もう、心臓の音は、私のものか、魔理沙のものか、わからない。
 じっと待つ。永遠のように長い時間。たぶん、実際には、数秒。
 ぷに、と柔らかいものが、頬に触れた。ほんの一瞬。
 ……ゆっくりと、目を開ける。
 魔理沙は俯いている。
 お互い、同時に体を解放する。
「……暑い」
「……暑いわね」
「あたたかい魔法なんて、嘘だ。暑い……熱すぎる」
「これからまた寒い風に吹かれるんだから、ちょうどいいんじゃない」
 魔理沙の頭に、帽子を被せる。
 俯いたままの顔は、すっかりゆでだこだった。さぞかし外に出たら気持ちいいことだろう――お互い。
「……初めてだったんだからな」
 ぽつり。
 魔理沙の声。
「私もよ」
「そっちは、ノーカウントだろ」
「なんでよ。一回に変わりはないでしょ」
「頬じゃ……その……違うんじゃないのか」
「そう思うなら、もう一回、やり直す?」
「なな何言ってるんだっ」
「何って――やっぱり魔理沙は可愛いなってこと、かな」
「言ってろ……っ!」
「うん。魔理沙は可愛い、魔理沙は可愛い、魔理沙はとっても可愛い」
「あああああやっぱり言うな! 禁止!」
「あ、人形出すの忘れてたわ。こういうときこそしっかり魔理沙のこと見ててもらわないといけなかったのに」
「出さんでいいっ」




 私たちの距離は、確実に狭くなったと思う。
 何より、魔理沙の扱い方がよくわかったというのが今回の最大の収穫だった。
 もう私の家に泊まっていくことはないのかと思うと少し寂しいけれど、贅沢は言えない。ここから先は、魔理沙のアシストがなくても、私のことをもっと売り込んでいくだけだ。


 なんて思いながら、ゆったりと朝食を取っていると、魔理沙の呼ぶ声が聞こえた。
 玄関まで迎えに行くと、魔理沙は昨日までと同じような重装備でそこに立っていた。
「……何よその格好」
「忘れたとは言わせないぜ。アリスの分は昨日で終わりかもしれないが、私の分はまだ足りてないんだ。ちゃんと責任もって付き合ってもらわないとな」
「はあ? あれだけあって足りないっていうの?」
「足りないな。あんなもん、一晩で使ってしまうぜ」
「あなたの感覚がおかしすぎるのよ! 何なのよそのお金を燃やしてるような生活!」
「いいじゃないか。天才魔法使いアリスの手にかかれば、三日もあればあれくらいの量を見つけてくれるんだろう?」
「そんなわけないでしょ!? 昨日のはあくまで偶然であって――」
「そっかー偶然かあ。なんだ、アリスはやっぱりその程度か。残念だなー」
「ぐっ……な、なめたこと言ってくれるじゃない……! ……上がって。二十分だけ待ちなさい。魔理沙との脳の違いってものを改めて思い知らせてやるわ!」
「とかいって、途中で倒れるなよ?」
「ふん。あとで土下座して謝ってもらうわよ、今の発言」
「楽しみだぜ」
 結局のところ――
 もうちょっとお祭りは続きそうだった。









【あとがき】

 これが真冬の話だということからわかりますとおり、書き始めたのときは冬でした。
 そもそもバレンタインSSのつもりで考えてました。
 ……
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいお待たせしすぎました><

 まりあり! 村人。です。
 初めての、えろくないマリアリSSでした。何気に。いまさら初めてですってー
 パチュアリもまだ……あー排他的論理和があるからあちらはやってないということはないですねっ

 ほとんど中身はないSSなのですが、実は過去最長記録を軽く更新してしまいました。
 無駄に長いです。
 長いのにここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
 ご意見ご感想えっちなどありましたらばんばんお願いいたしますー><b