「これが、今のこちらの世界の祭りなのですね。ずいぶんと、賑やかになりました」
「聖は、静かなほうが好きですか?」
「いいえ。皆が一緒に楽しみ、笑う。私が求めるものですよ」
 村紗の問いかけに、白蓮は微笑んで答える。彼女の答えには、いつも迷いがない。
 やはり聖の言葉は何でも心に染み入るなあ、と村紗がいつもどおり感動していると、
「皆、祭りの本来の意味を忘れてなければいいんだけどね」
 これまたいつもどおり、無粋な横槍が入った。
 村紗は、むっと唇を尖らせる。
「聖は別に、信仰を忘れてまで騒ぐことを推奨したわけではない。今、敢えて言わなければならない言葉とも思えないけど」
「そうかい。失礼した」
「ふん」
 これだからネズミは、とナズーリンにだけ聞こえるように毒付く。ナズーリンは、それに対して何も反応しない。
「いいえ、ナズーリンの懸念も大切なことです。習慣は歴史を重ね、手続きが整理されるほど、目的は見失われがちなものですから。常に問いかけるその姿勢はとても立派なものですわ」
「ありがとう、聖。褒めてもらっても何も出ないが」
「あら残念」
 白蓮の言葉に、うう、と村紗は悔しがる。悔しがって、ナズーリンを睨む。ナズーリンは涼しい顔で受け流す。
 場所が変わっても、概ねこのあたりの関係は変わらないものだった。

 博麗神社で行われている祭りは、普段の人のなさが嘘のように、大いに人を集め盛り上がる。普段はあまりに不便な場所にあり、しかも妖怪たちが平気で出入りしているということもあってまともな人間はなかなか近づかないものだったが、神社の重要性は皆認識しているのだ。
 最近始まったばかりの「弾幕花火大会」は、早くもメインイベントとして認識されるほどの人気の催しとなった。これのために妖怪たちも動員されているという噂も立っていたが、真相を知る者は少ない。
 屋台もずらりと並ぶ。たくさん、並ぶ。物売りもあれば、見世物もあった。非常に大規模な祭りとなっていた。
 巫女一人がいるだけのこの神社で、一体誰がこのようなマネジメントを行っているのかといえば、基本的には神社の下の村の上層部だった。それなりに利益のあるところが、運営を行うものである。

「む? 宝の反応が……」
 せっかくだから何か掘り出し物があれば、とロッドを持っていたナズーリンが、ぴくりと肩を震わせて言った。
「ちょっと、見てくる」
「いってらっしゃーい」
「あ、私も見に行きます」
 ナズーリンの言葉に、村紗と白蓮の返事が重なった。
 村紗は口を半開きにした状態で表情が固まる。ナズーリンが動き出して、白蓮も本当に動き出したのを見て、慌てて追いかける。
「わ、私もっ」

「む……ふむぅ……」
 ナズーリンはしばらく歩いたところで立ち止まって、少し驚いたような声を出した後、難しげに唸った。
「どうしたのですか、ナズーリン」
「はずれ?」
「いや……どうやら、アレのようなのだが」
 片手のロッドを下ろして、もう片方の手のロッドで一つの屋台を指し示す。二人が釣られるように同時にそちらのほうを見る。屋台はずらりと並んでいたが、「宝物」があっても違和感のないような店はそこには一つしかなく、迷わなかった。
「3番の札がついた景品だな。金縁の鏡だ。見ていればわかるが、複雑に色が変わりながら光っている。いかにも子供の目を引くモノだが、実際あれはかなりの価値がある」
 遠目にもそれはよく目立つ。
 前を通る人は必ずと言っていいほど、目を向けていくものだ。くじ引きの店というのは注目を集めやすいものではあるが、これは特別だった。
「凄いではないですか。さすがナズーリンです」
「むー」
 感激する白蓮、やや不満そうな村紗。
 しかし、ナズーリンは冷めた顔のままだ。
「いや、出店者があれの価値を知らないとは考えにくいな。まず、当たり番号はあのくじの中に存在しないだろう。完全に客寄せだ」
「まあ」
 ナズーリンの指摘に、白蓮は目を丸くする。
 少し、その屋台を見つめる。見ている間にも、くじ引きには子供も大人も、何人も挑戦していた。そして、ささやかな景品を受け取って悔しそうに帰っていく。
「ダメですよナズーリン、思い込みで相手を疑うのはいけないことです」
「いや、聖。普通に考えて成り立たないんだ。もしあの当たりくじが本当にあるとしたら、当たりを引かれた瞬間に、利益がほとんど吹っ飛ぶか、もしかすると赤字確定だ。ありえない」
「それが思い込みということですよ。きっとあの方は、夢を売ることに幸せを感じているのです。利益など、それで十分ではないですか」
「……」
 ナズーリンは初めて少し困った顔をして、ちら、と村紗のほうに目を向けた。
 向けられた村紗のほうは、顔に笑みを貼り付かせて、ふるふると首を横に振った。ナズーリンはため息をつく。村紗は、困ったときは黙るのだ。
「……聖、これは忠告なんだが、あの店主はあまり評判がよくない。うまくやっているようで、人間からの人気は割と高いのだが――」
「すみません、店主さん」
「聖っ!?」
 いつのまにやら白蓮はその屋台の前まで移動していた。
 突然話しかけられた店主――小さな兎の妖怪は、怪訝な顔で目の前の派手な女性を見つめる。
「この3番ですが、当たりくじはちゃんとありますよね?」
 白蓮の言葉を聞いて。
 ナズーリンは吹いた。
 村紗は額に手を置いて、俯いた。
 店主は、ぽかんと口を開けた。
「もちろん、ありますよ」
 だが落ち着いたもので、兎の彼女は冷静に答えた。
 その言葉を聞いて、白蓮は満面の笑みを浮かべる。
「そうですよね。変なことを尋ねて申し訳ありませんでした。皆に夢を与えるその立派な姿勢、私も見習わないといけません。ええ、きっとあなたも、その姿から誤解をされ、苦労されているのでしょう。大丈夫、私はいつでも信じていますよ。あなたの美しい心を、どうか、忘れないでください。私は応援しています。もし困ったときは命蓮寺の白蓮まで――」
「……始まってしまったよ」
「始まったねえ」
「村紗、君に回収してほしいのだが」
「回収とか、聖をモノみたいに言わないで。……だいたい、ああなったら、私の話なんて耳に入らないし」
「そうだな」
 店主に対して延々と話を続ける白蓮と、話が続くのにしたがって困ったような、苦々しい顔を見せていく店主を眺めながら、二人はぼんやりとその場で待つ。主に、白蓮の気が済むまで。

「すみません、お待たせしてしまいました。ナズーリン、やはりあの方はいい方ですよ。ほら、お土産をいただいてしまいました」
「……あ、ああ、お疲れ、聖」
「お……お帰りなさい」
 店主のほうをちら、と眺めると、げんなりした顔をしている。ナズーリンは、きっと自分も似たような顔をしているんだろうなと思いつつ、小さく呟いた。
「聖が、魔界でしっかり生き抜くことができた理由がわかるよ」
 隣で村紗が、こっそりと頷いていた。



**********



「パチェ、あれは輪投げって言って、あの輪っかを投げて狙った棒に引っ掛けるゲーム」
「知ってる」
「ふーん。あ、あれは、射的。あの引き金を引くと先っぽの弾が飛ぶんだけど、それを景品に当てて」
「知ってる」
「ふーん」

 例えば紅魔館からは、館の主人とその友人、そしてメイド長といったそうそうたるメンバーが祭りを訪れていた。
 吸血鬼の姿は、いくらなんでも目立つ。が、博麗神社での祭りはそういうものだ、気にするな、という達しが十分に行き届いていたお陰か、大きな混乱が生じることはなかった。

「で、咲夜、本当に大丈夫なんでしょうね? パチェも私も、咲夜まで全員家を空けたら、メイドたち仕事しないんじゃない?」
 呼びかけられた咲夜は、きょとんと少し目を丸くする。
 首をかしげて、答える。
「いつもと変わらないでしょう。お仕置きされるのが好きな子は遊びますし、ご褒美もらうのが好きな子は働きますし」
「ああもうツッコミにくい」
「それに、私が今日来たのも仕事ですから。これを配ったり、貼ったり」
「ああ。前に言ってた、求人広告ってやつ? そういえば見ていなかったわね。どれどれ――」

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「……」
 レミリアは頭を抱える。
「なあパチェ」
「私はもう見た。特に今更コメントなし」
「あ……そ……」
 助け舟を求めてみるが、空振り。
 もう一度頭を抱える。
「いかがなさいましたか、お嬢様」
「少なくとも私には、これは求人広告には見えない。というか、お金を払って来る人が現れそうなものに見える」
「まあ、それはお得ですね」
「優秀なメイドがまったく集まりそうにないって言ってるの!」
「優秀なメイドは私だけで十分ではないですか」
「ああ咲夜は優秀だよとりあえず仕事内容に関しては! 否定しないよ!」
 レミリアは叫んで、けほ、けほ、とむせる。
 うー。喉の奥で唸って、落ち着いてから続ける。
「それじゃ、咲夜がいつまで経っても楽にならないじゃない。変なのばっかり応募してきても、困るでしょ」
「ええ、ちゃんと私の指導についてこれる子かどうかは個人面接でしっかりと味わって、間違えました確認してから採用いたしますわ、もちろん」
「咲夜がどこまで本気で喋っているかいつまで経ってもわからない」
「それと、お嬢様、ご安心ください。あまり役に立たないメイドたちの尻拭いをすることも、私は楽しんでいますわ」
「よくわからない趣味ね……」
「あ、お尻を叩いたり撫でたりするのはもっと好きです」
「聞いてない」
「叩くのはもちろん素手ですよ。道具だと痛々しいだけで物足りないじゃないですか」
「聞いてない」
「お嬢様、ご理解ください」
 咲夜は常に至って真面目な表情で。
 言うのだ。
「あまり役に立たないメイドがちまちまち頑張っている姿も、欲に負けて遊んでしまう姿も、恥ずかしいお仕置きを受けて真っ赤になる姿も、等しく素晴らしいものなのです」
「あ、うん、もういい」

「パチェ、あれはヨーヨーすくい。あの細い糸が切れないように、風船を釣り上げるの」
「知ってる」
「ふーん。あ、あれは知ってるかな? 綿菓子っていって、甘い霞。仙人の主食なんだって」
「レミィ、それは霊夢に騙されてる」
「まじで!?」
「そんなことを公衆の場で言いふらしたら、『やだ……吸血鬼って偉そうなくせに、頭悪いんだ……幻滅ー』『やっぱり見た目通りなのねえ。頭の成長も止まっちゃったのかしら』『ぎゃおー』とか、馬鹿にされちゃうわよ」
「う、ううう」
 レミリアは俯いて、歯ぎしりをする。
「……ぐう。霊夢ってばお茶目なんだから」
「まあ、単に信じるとは思ってなかっただけかもね」
「パチェさっきから私のこと割と馬鹿にしてる?」
「え? うん」
「肯定とか」
 友達だと思っていたのは私だけだったのね、とわざとらしく泣き真似などをしてみるが、当然のようにパチュリーはノーリアクションだった。
「うー。悔しいから嘘ついた霊夢にはあとでもっと恥ずかしい目にあわせてやる……」
「お尻ぺんぺんですか。頑張ります。決行はいつ?」
「喰いつくな、ここで」
「え、でも、お嬢様も見たくないですか」
「……」
 顔を赤くして、レミリアは、ふい、と視線を逸らす。
 咲夜は満足そうに頷く。
「体は正直ですね」
「使いどころおかしいでしょそれ!」
「あ、ところでお嬢様の能力を使えば、もうすぐ舞台で舞う霊夢のサラシと下着だけを本番直前に奪うことってできますか?」
「できるかっ!」
「私はできますが」
「聞いてない」
「全裸はダメですよ。恥ずかしいけど中断にはならず実行される、という状況にしないといけませんから」
「聞いてない」



**********



 せっかくだから、祭りの空気をじっくりと味わっていこう。
 アリスはできる限り人ごみを避けつつ、色々な屋台を巡っていく。
 途中で何かを食べようとは思いながら、まずは何があるかをざっと一通り見て回る。神社での祭りは初めてではなく、概ねどのようなものが売っているかは知っているつもりだったが、時々普段見ないものもあるものだ。

 リンゴ飴は割と好きだった。普通といえば普通なのだが、なんとなく、立ったまま長時間ゆっくり楽しめるあたりが、祭りらしくていいと思っている。
 揚げ物の手軽さも悪くない。消耗しやすいエネルギーを取り戻すには最適だ。
 もちろん、冷たくて気持ちのいいかき氷は欠かせない。単純極まりないお菓子だが、涼しくなれるという目的を最短時間で達成してくれる。
 さて、何がいいかなとゆっくり歩きまわる。
「あ、魔法使いの……魔理沙じゃないほう」
 ふと、屋台の方向から、声がかかった。アリスの名前が呼ばれたわけではなくとも、言葉の中身から、自分に呼びかけられていることは明らかだ。
 眼を向けると、永遠亭の薬屋、鈴仙が屋台の向こうにちょこんと座っていた。
「あら、どうも。お世話になってるわ」
 アリスは一応形式的な挨拶を済ませてから、首をひねる。薬屋が屋台とか、一体何を売っているのだろうかと思い、視線を手前側に移す。
「ん……団子?」
「団子。ちょっと薬膳入ってるけどね」
「ヨモギとか?」
「もうちょっと精製してあるよ。と言っても、誰でも食べるものだから所詮はちょっと栄養価が高いくらいの効果しか入れてないけど」
「精製とか効果とか入れるとか、団子の説明には聞こえないわね……」
「……う」
 アリスの指摘を聞いて、う、と鈴仙は言葉に詰まる。
 気まずそうに横を向いて、またやってしまった、と呟く。
「せっかくこの機会に食品のほうも試してみようと挑戦してみたのに、どうしても食べ物としてじゃなくて薬効としての説明をしてしまう……」
「まあ、癖ってなかなか治らないものよね」
 団子の並べ方や説明文を見ても、あまり食欲を刺激するようなものではなかった。あまり覗いていく人もいないようで、売れている気配も感じない。
「魔理沙じゃないほうの魔法使い、ちょっと、一個食べてみて」
「アリス。覚えてもらっててもいいと思うんだけど」
「ごめん。覚えておく。で、一個、食べてみて。お金はいらないから」
「そう? じゃ、頂くわね」
 包み紙に入った小さな丸い団子を一個、鈴仙から受け取る。一口サイズなので、そのまま口に運ぶ。もちもちした団子に、さらりとしたこしあんが包まれている。まあ、構成としては普通の団子だった。
「どう?」
「うん。……うん、いいじゃない。餡がなんだか涼しくて爽やかな感じ。普通かと思ったけど、これ、ちょっと面白い」
「夏だから、工夫してみた」
「うん、うん。これよ、これ。この面白さを知ってもらわないのは、もったいないわ。ちょっとレイアウト弄っていい?」
「え?」
「あとね、栄養価ってところを具体的に教えてもらって――」

 アリスは余っていた紙に、さくさくと文字と絵を書き込んでいく。
「こんな感じで、どうかな?」

<夏・涼だんご
 えっ!? 涼しいだんご!?
 新感覚の清涼感、冷たい氷が苦手なあなたも大丈夫! 熱い夜を夏・涼だんごで乗り切ろう!
(お肌にもいいとか)

 1個○○円>

「成分と薬効の原理が一切書かれてないんだけど」
「そういうのはいらないの。誰も読まないしね。聞かれたら答えるとか、もし人気になったら説明用の紙でも別に作ればいいんじゃないかしら」
「ふーん……」
 鈴仙はやや納得のいかない顔を見せていたが、まあ、現状ほとんど誰も興味を持ってくれないのは事実だしね、と、アリスの申し出を受け入れた。
「ありがと。それ飾ってみる」
「うん。……うまくいかなかったら、ごめんね」
「いや。私はそういうのよくわからないから、助かるよ」
 鈴仙は、ここで初めて、穏やかな笑顔を見せた。
「本当にありがとうね。わざわざ時間作ってくれて」
「ううん。せっかく美味しいものだから、もっと知ってもらわないともったいないと思ったからね」
「アリスは、いいひとだね」
「魔理沙のおまけだけどね?」
「……うう。ごめん。輝夜さま――っと、姫様がよく魔理沙魔理沙言ってるからそっちはもう刷り込まれちゃってるんだけど――あ、そうだ。魔理沙は、どこにいるの?」
「んー、今は巫女のところじゃないかしら。色々と、手伝いが多いみたいだし」
「そう。姫様に伝えておくわ。なんか姫様が、魔理沙にプレゼントしたいものがあるって言ってたから」
「お姫様、魔理沙のことずいぶんとお気に入りねえ……」
 アリスが漏らすと、鈴仙は少し困ったような顔を見せた。
「退屈が、姫様の天敵だから。珍しいものや、珍しい人間は大好物なの。いつ、魔理沙をペットにすると言い出すか」
「もしかして、あなたもそういう経緯で……?」
「うーん……? わからない。姫様は最初から優しかったけど」
「今は?」
「今も……大事にしてもらっているな、と感じる。そんなに積極的に触れてくるわけじゃないんだけど、私の帰りが遅くなったりすると、迎えに来てくれたりするし」
「そう、それじゃ、単なる新しいもの好きというわけじゃないのね。あなたは愛されてるみたいだし、魔理沙も単純に珍しいから気に入られてるだけでもない気がするわ」
「うん。ありがとう。あ、でも、勘違いしないでね。姫様だけじゃなくて、師匠だって、厳しいけど、ちゃんと大切に育ててくれてるから」
「うん」
 別に何も言ってないんだけどなあ、と思いながら、アリスは心のなかで苦笑する。あまりこうして二人で話す機会は今までなかったのだが、鈴仙というこの月の兎のことを、少し理解できたような気がした。
「いいひとは、あなたのほうみたい」
「?」
「お姫様はきっと、真面目でまっすぐで不器用な子が好きなのね」
 団子、たくさん売れるといいな。
 そう思いながら、アリスは思わぬ長居をしてしまったこの屋台を離れた。


「あ、魔法使いの、魔理沙じゃないほう」
「……」
 少し前に聞いたのと全く同じ呼びかけを、別の場所で聞くという経験。その呼ばれ方が特殊である場合、非常に珍しい現象のはずだった。
 屋台のほうに顔を向けると、やはり、永遠亭の兎が座っていた。ただし、こちらは地上の兎の方だ。
 てゐは軽く手を上げて挨拶した。アリスは、小さく頭を下げた。
 いつもどおり、本音の見えない可愛らしい表情を顔に貼り付かせていたが、今日は少し疲れているようにも見えた。珍しいな、とアリスは目を瞬かせる。
 先ほどと同じように、視線を手前側に移して、何を売っているのかを確認する。すぐに、納得した。
「くじ引きね。なんというか、らしいわ」
「魔理沙じゃないほうも、やってく?」
「アリス。覚えてくれてもいいものだけど」
「買ってくれたら覚えるかも?」
「それなら別に覚えてもらわなくてもいいわ」
 呆れたように言いつつも、アリスは小銭を取り出す。
 商品もろくに確認していないし、何かいいものが当たるとも思っていないが、祭りだからこういうのもやっていくと楽しいだろう、という気持ちはあった。永遠亭の薬には多少世話になっているので、少しでも礼になればというつもりもあった。
「はい、一枚買うわ」
「一枚でいいの? もっと買えばいいもの当たるかもよ」
「一枚でいい」
「はいはい、確かに。じゃ、引いてね。素敵なものが当たりますように」
 心にも無いことを言ってるなあと思いながら、アリスは無造作に一番上に積まれていたくじを引く。
 表面の紙をめくると、番号が出てくる。この番号の景品が当たるというシステムだ。
「はい、3番」
「はいはい、3番ねー……………………はい? 3番?」
 ごそごそと景品のあたりを探っていたてゐの動きが、完全に、固まった。
「おお……本当だ、3番だ……」
「ついに出たの!?」
「おい、3番、マジであったのか! くそ、見てないでやっておけばよかった」
「ああん、狙ってたのにー」
 ざわ。
 ざわざわ。
「え、何? 何?」
 てゐの様子も、周囲の人の様子も、おかしい。
 一人意味がわからなくて取り残されたアリスは、目を丸くして、てゐの様子と観客の人々を交互に見やる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、よく見せて」
 慌てふためいているてゐは、アリスから奪うようにそのくじを受取る。
 番号を見て、じっと見て、表面を何度も触って、うええ、と唸った。
 アリスもとりあえず、あ、本当は出てはいけない番号だったんだな、と悟る。
 景品には特に興味はなかったが、こうなると、一体3番とはなんなのだ、と気になってくる。陳列台を眺めて、3番を探す。端から順に。見逃さないように。
 見つけたときには、探す必要などなかったことを知った。ど真ん中にある、一番目立つものだった。それは、きらきらと不思議な色に光っている。
「鏡?」
「う……ぐぐ……」
 てゐが苦悩の声で唸っている。
 背後では、おめでとう、やら、うらやましい、やら、いろんな声が混じる。
 さて何かフォローをすべきだろうか、と思っていると、てゐはぎゅっと目を閉じて、思い切りよく立ち上がった。
「ええいっ! 大当たり! 大当たりー!!」
 やけになったように、叫ぶ。
 その瞬間、いつの間にか増えていたギャラリーたちが大いに沸いた。



**********



 夏祭りといえば。
 もちろん、少し離れた場所での肝試しである!
「早く誰か来ないかなー」
 というわけで小傘は、祭りの会場から少し外れに入ったところで待機していた。
 ターゲットは何も、肝試しとして怖がりに来た人間たちばかりではない。むしろ、ちょっといい雰囲気になっているカップルなどが狙い目だ。小傘は驚かせるところを想像しながら、一人で笑う。
「来ないかなー」
 そんなこんなで、待つこと数十分。
 場所取りが悪いのか、なかなか誰も現れなかった。
「うー……?」
 いい加減場所を変えようかと何度か考えるものの、変えた途端にもしここに誰か来たら……と思うと、動けないでいた。せっかくここでずっと待っていたのだから、ここに賭けてみたいという思いである。
「む……むむう」
 それにしても、退屈だった。
 ひょっとして自分は何かとても間違ったことをしているのではないか――と考え始めた頃。
「んーふーふーん♪」
「……!!」
 それは待ち始めてからどれほどの時を一人で過ごした後だったか。
 ついにこの場に、人が近づいてくる気配、というか、声があった。
 声というか、鼻歌を歌っているようだった。小傘は心のなかでほくそ笑む。こんな場所を無警戒に歩くなど、驚かせてくれと言っているようなものではないか。
 ざ……ざ……
 土を踏む軽い音とともに、彼女――黒く長い髪を持つその人は、間違いなく女性だ――は、小傘が隠れている場所の前を通りすぎようとする。
 ただ、まっすぐ歩いているわけではなく、時折周囲を見渡している。何かを警戒しているというわけではなく、捜し物をしているかのようだった。もしかして隠れているのがバレているのではないか、とドキドキしながら、彼女が一番近い位置にやってくるまで、ギリギリまで、待つ。
 そして――
「うーらーめーしーやー!」
 がささっ!
「あら、可愛い唐傘さん。こんばんは」
「……」
 両手を振り上げて、いかにも襲いかからんとするポーズを、小傘はごく自然に自然に、腕を降ろして縮めていく。
「……はい、こんばんは」
 ちょっぴり泣きそうになるのを、ぐっと堪える。
「どうしたの、こんなところで? 迷子?」
 彼女はまるきり悪気もなく、にこにこと微笑んで小傘に話しかけてくる。
「あ、いや、その。私はここで……えーと、仕事中なんで」
「そうなの。あ、そうだ、少しあなたに尋ねたいのだけど」
「なんでしょう……」
 いじけながら、小傘は彼女のペースのままに答える。
 驚いてくれるつもりがないのなら早く去ってくれ、というのが本音の思いだった。どうしても、対応は冷たくなる。
「えっとね、このあたりで、こういうもの見なかった? ええと、鏡なんだけど」
 女性は手の仕草で、鏡の形を示す。楕円形であることと、ある程度の大きさがあることはそれで伝わった。
「綺麗に色んな色に光るから、見たらすぐわかると思うわ」
「知らない。見てない」
「そう。ありがとうね」
 ぺこりと頭を下がると、彼女はすぐに歩き去っていった。
 あまりにあっさりと立ち去っていったので、小傘のほうが少し気まずくなってしまうほどだった。もう少しちゃんと応対すればよかったかもしれない。
 ……
 それにしても。全く、これっぽっちも、驚いてくれなかった。
 最近の人間は色々なものに慣れきっているから、困る。
「うう」
 いじいじ。
 しゃがみ込んで、地面に「の」の字を描く。
「いいもん……どうせ私なんて、ダメな紫色のひゃああああああああああっ!?」
 ばさばさっ!
 瞬間、強く吹いた風に飛ばされてきた何かが、小傘の顔に直撃した。小傘の独り言は途中から完全に悲鳴に変化した。
「なになにっ!? なにがおきた、おきてるのっ!?」
 慌てふためいて、とりあえず顔に貼りついている何かを、おろおろした手つきで剥がす。
 剥がし終えてから恐る恐る見てみると、何のことはない、それはただの紙だった。小傘は、ばくばくと跳ねまくる心臓を押さえながら、ゆっくりと息を吐く。
「んもー……びっくりしたあ……」
 何度か深呼吸。
 やがて、ほどよく落ち着いてくる。
「って、私が驚かされてどうするのよ! 何なのよこの紙は!」
 八つ当たりのように、紙を睨みつける。
 それは、何かの広告のようだった。小傘にはよくわからなかったが、驚きに満ちた日々、というフレーズが引っかかった。かちん、とくる。
「これは、私に対する挑戦状かしら――」
 広告を手に持ったまま、それが飛んできた方向と思われるほうに、歩き出す。目的地がどこかわからないまま。

 結局のところそれが、祭りの中心地に向かっているということにはすぐに気づくのだが。
「……でも、顔にこんなのが急に飛んできたら、誰でも驚くよね。うん」
 歩いているうちに、小傘は、よしこれだ、と決意していた。
「むしろこれは、どこかの神様が私にヒントをくれたんだわ。こうすれば驚かせることができるって」
 うん。うん。
 小傘は一人で二度頷く。
「よし、やってやる、やってやるわ」
 歩いていると、ちょうど目の前に。
 獲物が現れた。
 小傘は目をきらん、と光らせる。いざ。
「せやーっ!」
 その広告が吹き飛ばないように。
 目の前にのこのこと歩いてきた人間の顔に、掌ごと、広告を押し付けた。
 びしゃり。
「……どうだ!?」
「……」
「……」
 がし。
 その人間は、顔に掌を押し付けられたまま、しっかりと、小傘の腕を、掴んだ。
「あ、え?」
 あれ。
 そういえばこの人間。
 この青と白の巫女服。
 どこかで。見たことが。あるような。
 掴まれた腕が、ぐぐぐ、と強引に動かされ、掌は顔から引き剥がされる。
 現れた顔を見て、小傘は顔を真っ青にしていく。
「……こんばんは、小傘さん。ついに本格的に退治される気になったようで、嬉しいわ」
 にこり。
 早苗は、優しく微笑んでいた。
「あ、ち、違っ、驚かせる、練習をしていただけで」
「奇遇ね。私も、妖怪退治の練習をしたい気分だったの」
 その声も、どこまでも穏やかで、優しかった。
 小傘は、引きつりながら、冷や汗をかきながら、微笑んだ。


 退治と称した様々な行為は人気のないところで全て行われました。
 一般の方には特に影響はございませんのでご安心ください。


「もう、小傘さんは力づくばかりで、人の心というものをまったく理解していないのですよ」
「は、はい……」
 何があったかは不明だが、およそ十五分後にはすっかり怯えきった小傘が、晴れやかな表情の早苗の後ろについて歩くという奇妙な光景ができあがっていた。
「人が一番驚くのは、それはもう、奇跡が起きた時です。間違いありません」
「はい……」
「わかってますか? やっぱり、実際に経験してみないと、なかなか実感はできませんかね。そうですね――ほら、あそこ、見えますか?」
「あそこ?」
「あの屋台で、くじ引きに挑戦しようとしている女性がいますね。って、あら、アリスさんだ」
「……?」
「まあ、誰でもいいんです。あれ、あの3番の景品、目玉景品なんですよ。誓ってもいいですが、あの当たり番号は箱の中には入っていません」
「えー……詐欺じゃないの……?」
「グレーな感じではありますねえ。ま、それはいいとして。で、そんな絶対に当たらないくじが当たったとしたら、驚くと思いませんか?」
「え、そりゃあ驚くけど、無理じゃ……」
「はい、あちらをご覧ください」
 早苗が涼しい顔で、小傘の視界を広げるために位置を少し変える。
 小傘が見つめる前で、その屋台はどよめいていた。屋台の店主も、ギャラリーも、一様に驚きの表情を見せている。
「わ……」
 そこからたくさんの力が流れこんでくる。
 最近ほとんど経験したことのないほどの、驚きの力だった。
「ね?」
 早苗はふんわりと微笑みかける。
 小傘はこくこくと、何度も頷いた。目の当たりにさせられると、納得せざるを得ない。特に店主の驚きは尋常ではなかった。本当に、当たるはずのないくじだったのだろう。
 店主が何か叫んで、挑戦者が鏡を受け取ると、その場の盛り上がりは最高潮に達した。ああ。凄いなあと、素直に思った。
 満腹感に幸福を感じながら、小傘は早苗に礼を言って、そこを立ち去った。

「……?」
 何かを忘れているような気がしたが、それは結局思い出せなかった。



**********



「冷たい食べ物が、結構多いね。地底ではあんまりなかったから、新鮮」
「地底はここまで気温上がらないからね。灼熱地獄跡からすれば寒いくらいだけど……」
 空と燐も、二人で屋台を見て回っていた。
 二人ともやはり、地上の祭りは初めてだった。珍しいものばかりで、屋台を見てまわるだけでも十分に楽しいものだった。
「でも残念だねえ。さとり様も来ればよかったのに。やっぱり持って帰れそうなお土産はあんまりないや」
 燐は残念そうにこぼす。
 当たり前だが、屋台の食べ物はその場で消費することを前提としたものばかりだった。持って帰った頃にはすっかり冷めてしまっているか、溶けてしまっているか、そういうものばかりになる。
 食べ物以外なら問題はないのだが、やはり地上から地底への土産物として一番喜ばれるのは、「食」なのである。ことこの分野に関しては、地底はまったく地上に敵わない。
 予想出来ていたことだったので燐は強くさとりを誘ったのだが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。これも、予想出来ていたことであるが。
 やはり、もともとも地底生まれの世代とは違い、もと地上組の古株ほど、地上に戻ることに激しい抵抗があるようだった。それはさとりに限った話ではないということは、燐も空も気付いていた。
「あの、甘い氷は面白かった。さとり様にあの感覚伝わるかな」
「伝わるのは言葉と映像だけみたいだから、難しいだろうねえ」
「うーん。あー、あの店火力足りないんじゃないかな」
「手伝ってこなくていいからね」
「うー。うずうず」
 時折「火力の手伝い」に向かいそうになる空を抑えながら、二人でふらふらと歩く。

「お燐、あれ、あれ。お団子だって」
「うん?」
 くいくいと、空が燐の腕を引っ張った。
 燐の視線を移すと、少し先の屋台に、確かにだんごと書かれた屋台があった。なるほど、団子なら持ち帰ることは可能だろう。
「っても、普通の団子だったら、地上じゃなくても手に入るんだけど」
「ちょっと、並んでるね」
「人気なのかな。覗いてこようか?」
「うん」
 人気の店なのか、少し列ができていた。
 二人は列の横から屋台の目の前に入り込んで、実物を覗き込む。陳列されているのは、白く丸い、普通の団子のように見えた。燐は、そこの説明文を読んで、へえ、と感心したように呟く。
「涼しい団子なんだって。面白そうじゃない?」
「面白そう」
 二人で頷き合うと、今団子を受け取って食べた女性が、わあ、と声を上げた。
「なに、これ、面白いー。すーってくるの、すーって。ハッカとはまた違って……これ、どうなってるの?」
「これは――あ、はい、四個ですね、お待ちください――ええと、ちょっと特別な配合で――はい、ちょうどいただきます」
 一人しかいない店主が、質問に答えつつ、客をさばいている。なかなか大変そうだった。空が、うさぎさん頑張ってるね、と言った。燐は頷いて同意して、列の最後尾に並んだ。

「びっくりしてたね、うさぎさん」
「普通は、こんなに買わないんだろねえ」
 お土産に、ということで、それはもうたくさん買った。普通の包み紙では持ち切れないため、わざわざその上に別の包装紙で包んでくれたのだ。
「準備してなかったから、配られた広告を包装紙に使っちゃってちょっとみっともないけど……ごめんね」
 丁寧な作業をしてくれたにもかかわらず、店主はそう謝った。二人のほうが申し訳なくて恐縮してしまうほどだった。
「なんだか、苦労人の匂いを感じるよ、あの子から」
「うーん」
「? どしたの、おくう」
「なんか面白そうなんだけど……暗くて読めない……」
 空はといえば、包装紙のほうが気になるのか、何度もそれを下から覗きこんだり、上から覗きこんだりしていた。
「ああ、ちらっと見えたけど、個人レッスンがどうとか。なんかの教室なんじゃないかな?」
「気になる。うー……暗い。えいっ」
「あ、ちょ、まっ」
 空は、片腕を振り上げた。
 一瞬、神社が昼になった。

 ぷくり。
 頭上に膨らむコブを軽く撫でつつ、人気のない神社の裏側、床の上で空は涙目で正座していた。
「えー。おくうにお説教です」
「はい」
「人工太陽をそんな気軽に産み出してはいけません」
「はい」
「明かりは周囲にいくらでもあるので、それを利用しましょう」
「はい」
「それでも暗くて見えにくいなら、あたいが読みます」
「はい」
「……はい。後でもう一回、ちゃんと皆に謝ってくること」
「ごめんなさい」
「あたいにじゃないよ。みんなに、ね」
「うん。わかった」
 真面目な顔で空が頷くと、燐は、よし、と笑った。
「ま、幸いか、このあたりの人間も結構突発的なトラブルには慣れてるみたいだね。大事にはならずに済んでよかったよ」
「ごめんね、お燐。私のせいで――」
「あーはいはい。あたいはいいんだってば。次気をつけてくれればね」
「うん」
 本当にちゃんと覚えてくれてたらいいんだけど、と少し思いながらも、燐はあまり心配はしていなかった。以前と比較すると、空はずいぶんと力を振りかざすことはなくなっていたし、力の制御もしっかりしてきた。少なくとも、燐が一緒についている間は、大人しいものだった。
 むしろ燐は、自分の役割は、空を制御することではなく、空を利用しようとする勢力に触れさせないように見守ることだと思っていた。本来、空は、非常に真面目な性格だ。変に刺激さえしなければ、変な気は起こさないはずだ。
 ぴと、と燐の腕にしがみついてくる空を見て、そろそろ大丈夫だとは思うけど、と感じていた。
 保護観察期間の終わりは、そんなに遠くはないだろう。
「よし、おくう、もうちょっとで花火始まるよ。行こ」
「うんっ」
 もっとも。
 終わったところで、結局あまり何も変化しないかな、という気もし始めていた。



**********



 大ピンチですぞ。
 てゐは、謎の人格を想像で創りだして自分に言い聞かせるほど、深刻に追い込まれていた。
 3番は、出るはずのない番号だった。しかし、出てしまった。理由はわからない。ミスで作ってしまったなどということはありえない。
 なんとかごまかそうと思った。例えばくじを受け取った瞬間にすり替えるとか、色々理由をつけて渡さないようにするとか。ギャラリーがいなければ、確実にそうしていた。しかし、くじが正当に引かれて、番号を確実に目撃した人がいる。多くの人が、事の成り行きを見守っている。どう考えても、逃げることは不可能な状況が作り上げられていた。
 かくして、鏡を渡す羽目になったわけであった。
 それが、およそ十分ほど前の出来事だ。

 非常に、まずい。
 何がまずいかといえば、その鏡が、姫の持ち物であるということだった。
 さらにまずいのは、姫の持ち物の中から、てゐが勝手に持ち出して、景品として展示していたものだったからだ。
 もちろん絶対に当たることのない景品なので、少しの間借りているだけのつもりだった。まさか手放すことになるなどと想像もしていなかった。
 自業自得と言われてしまえばそのとおりであり、てゐもそれを否定するつもりはない。考えるべきは、どう動くかである。

 おそらく姫は怒りはしない。長い付き合いで、それはわかっていた。姫はまず本気で怒ることはない。怒るという感情を知らないのではないかと思うほどだ。姫にとっては全てが遊びであり、おそらく今回の事を知ったら、次はそれをどうやって取り戻すかの計画を嬉々として立てるのだろう。
 ――だが。
 永琳は、違う。もし姫の持ち物を勝手に持ち出して、無くしたなどと知れたら――
「……っ」
 ぞくり。
 全身に悪寒が走る。
 かなり、冗談では済まないだろう。

 焦る気持ちを抑えながら、一応まだ屋台は続ける。
 目玉の景品が取られてしまったので客足は鈍っていたが、それでもまだそれなりの売上はある。
 今焦って飛び出しても、仕方ない。彼女を見つけられるとは限らないのだから。まだここにいるのか、もう帰宅したのかも、わからない。
 当てたのが、顔見知りの相手であったのは、不幸中の幸いだった。しかも、何人かいる知り合いの中では、もっとも話が通じそうな相手だ。これがもし、もう片方の魔法使いのほうだったら、もはや諦めるしかないという覚悟が必要になるところだった。
(焦る必要はない……すぐにバレるほどよく使っている道具なわけじゃない。今日帰る前に森に寄って取り返してくれば……)
 内心の動揺を表に出さないように意識して、冷静に屋台を続ける。必要なのは、少しでも現金を貯めこんでおくことだ。ある程度の交渉には、やはり必要なものだから。
「いらっしゃー……わあっ!?」
 冷静に、冷静にと店主としての仕事を続けていたとき、突然、少し離れたところに、強烈な光が発生した。
 何か爆発でもしたのかと思ったが、それは光っただけで、音も熱も何も発生させることはなかった。それ、と言ったが、正体が何かわかったわけではない。ただ、一瞬、昼間になったかと思うほどに、辺りが明るくなった。光はその後すぐに、消えた。
 客も、呆然とそちらのほうを見つめている。が、すぐに気を取り直して、くじの番号を伝えた。てゐも、なんだったんだと思いながらそれを受け取り、はずれ景品を渡す。
(花火の練習……?)
 どう考えても場所が屋台列のど真ん中だったようにも思う。
 だが、光の正体はこの際、どうでもよかった。てゐは、もっと重要なものをしっかりと目撃していた。眩しい光の中、空に、微かに虹色に輝く部分があったことを。
「いる……」
 まだ。
 鏡の主は、このあたりにいるのだ。
 てゐは、急いで「準備中」の札をかける。予定変更だ。確実に近くにいるとわかれば、行動は早いほうがいい。
 盗難が若干心配だが、現金だけ持っていけば、あとは問題ないだろう。

 しかし。
 駈け出して探してみたものの、アリスの姿を見つけることはできなかった。あまり長時間屋台を空けるわけにもいかない。てゐは、悔しい思いで、屋台に戻り、商売を再開した。

 やがて、花火大会が始まった。いよいよ祭りも最高潮だ。
 早めに屋台を閉じるための準備を開始する。花火が始まると、食べ物以外の屋台はもはや流行らない。
 一応、まずは祭りの会場内を探すつもりだった。先程見つからなかったからといって、もう帰ったと確定したわけではない。
 花火を楽しむつもりもなく、早々に現金の整理を行う。
 花火が始まってしばらくして、もう誰も来そうにないなと判断したところで、くじ箱の撤去を始める。トラブルの件さえ考えなければ、まあまあ悪くない売上だった。
 あとは景品を回収して――
「あ、イナバ。ここにいたんだ。なんだ、あんたも屋台やってたのね」
「――!?」
 そのとき。
 ここで聞いてはいけないはずの声が、聞こえた。
 てゐは、冷や汗をかきながら、屋台の向こう側を、見る。姫が、ひらひらと手を振っていた。
「ひ、姫様……? なんでここに?」
 姫は、今日の祭りは行かないと言っていたはずだった。眠いから、という理由で。
「やっぱり楽しそうだから来ちゃった。お仕事お疲れ様」
「あ、いや、うん」
 汗が流れる。
 ある意味、助かったとも言えるのだろうか。もし、景品としてアレを並べている間に来られていたら――
 てゐは、最近の姫の行動力を侮ってはいけないと知る。思いつきで動くこと自体は昔からそうだったが、かつては外に出ることなど滅多になかったのだ。油断していた。

「あ、ねえ、イナバ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
 姫の言葉に、てゐは背筋をピンと伸ばした。
「な、なにかな」
「あれ、あれ。てゐなんでしょ? ありがとうね」
「……」
 姫の言葉は、質問というより、礼そのものだった。
 もちろん、てゐには何のことだかまったくわからない。
 確信しているかのようににこにこと笑う姫を見て、てゐは、にこぉ……と引きつりながら、笑顔を作ってみせた。



**********



 アリスは、これどうしようかなと思いながら、鏡を持って歩いていた。どうしても人目を引くが、これをちょうど収めるいい袋は持ちあわせていなかった。
 重さもそこそこあるということで、そろそろ屋台巡りは終了して花火会場まで向かおうかと思う。少し開始には早かったが。
「お、アリス。こっちに向かってくるってことは、もう自由時間終了か?」
 会場に向かっていると、魔理沙と出会った。アリスは、まあね、と短く答える。
「そろそろだし。早めに準備しておこうかと思って」
「さすが真面目だな。で、なんだ、そいつは。鏡?」
 やはりというか、さっそく魔理沙はアリスの持つものに興味を示してきた。
「どういうものかはよく知らないんだけど、屋台の景品で当たったのよ」
「へえ、すごいな。結構な価値がありそうだが」
「多分ね」
 この重量感は、安物ではないだろう。第一、普通の鏡はこのように色々な色を見せることはない。
「やるな。何か手品でも使ったのか?」
「失礼ね。普通に当たったのよ。番号見たときはこんな大物だなんて知らなかったし――!?」
 話している途中。
 突然、強烈な閃光が、遠くで発生していた。
 アリスは驚いて、光のほうを見つめる。光の発生源は、屋台通りの中だった。そのあたりで多少の騒ぎが起きているようであったが、見ている限りでは、何か大惨事が起きたとかそのような気配ではなかった。その証拠に、すぐに喧騒は収まり、普段どおりの賑やかさに戻っていった。
「……なんだったのかしらね」
「……」
 魔理沙はといえば。
 ぽかんと、空を見上げていた。光や騒ぎのほうではなく、空を。
「?」
 アリスも釣られて空を見上げるが、普通に夜空が広がっているだけだった。特別に、何かあるわけではない。
「どうしたの、魔理沙」
「……これだ」
「え?」
「その鏡、貸してくれないか? これは、使える。素晴らしい」



**********



「あ、花火、始まっちゃった。うーん、あれ見つからなかったわ」

 輝夜は鈴仙の屋台の後方で団子を食べながら、花火を眺める。
 魔理沙にプレゼントしようと思っていた鏡が、荷物から消えていることに気づいたのは、家を出る前だった。
 何かに使うために鈴仙がここに持ってきたのだろうかと思って屋台を訪れてみたが、鈴仙は心当たりがないようだった。
 ただ、なんとなく近くにあるような気配は感じていた。そんな力のあるような道具ではないのだが、長い付き合いのせいか、匂いのようなものを感じるのだ。もしかしたら気のせいかもしれなかったが、とりあえず勘を信じて、歩きまわって探してみた。結局見つからなかったわけだが。
「イナバが持って行っちゃったのかしら」
「その可能性は一番ありそうです」
「どこにいるか知らない?」
「うーん、こういうのには割と遊びに来るタイプだと思うんですが、どうしてるかまでは……探してきたほうがいいでしょうか?」
「あ、いいのいいの。決まったわけじゃないし。お店忙しそうだし」
「……忙しい、ですね。驚いています」

「あら」
 花火を見て、輝夜は驚く。
 美しく輝く星は、見るからに魔理沙の魔法によるものだった。輝夜はあの可愛らしい作り物の星が大好きだった。
 その星の間を、太い光が駆け抜けていく。これも、魔理沙の魔法だ。魔理沙らしい演出だと思った。
 驚いたというのは、その光が、見覚えのあるパターンで色が変化して輝いていたからだ。
「あらあら」
 空を眺めて、輝夜は微笑む。
 なんだ。ちゃんと届いていたのだ。
 しかも、輝夜が思っていた通りの使い方を、してくれた。
 全て、あるべき場所に収まっていた。

「イナバー、お団子一個追加お願いー」
「はいはい」
 店はさすがに花火が始まってしばらくすると、落ち着いてきていた。
 鈴仙は作りたての団子を三個ほどまとめて、輝夜に渡した。
「輝夜さま、嬉しそうですね」
「わかる?」
「輝夜さまのことは、よくわかりますよ」
 こと。
 団子に続いて、お茶を入れる。
 すぐに飲めるように、ぬるめのお茶だった。
「なるほど」
 輝夜は空と鈴仙を交互に眺めて、微笑んだ。
「よくわかってる」








■あとがき
 いやその。最近「阪急電車」読んで影響受けてそのままの勢いで書いてしまいました。
 永遠亭メンバー若干主役ぽい感じで、でもやっぱりアリスは多めというそんな感じのアレでした。アレです。
 楽しんでいただければ……!