ざざ――
心なしか、通信機の調子も悪い気がする。
やはりこれも事故の影響なのか、それとも不安と恐怖が生み出した錯覚か。
『――るか。……せよ』
「聞こえづらいぜ」
届くのか届かないのかわからないまま、マイクに向かってつぶやく。
『む? ちょ……しが……だ……ザザ』
「うむ、調子が悪いようだ」
『……っと、ま……くれ。調整……たんたんたんたんたらたーん、たらたんたんたんたらたーん』
「いつ聴いてもヴィヴァルディは癒されるぜ」
がが、がが。
ざざ……ぴー。
『あ、あー、マイクテスト、マイクテスト。本日は晴れのち台風、ところにより一時ペプシ』
「大荒れだな」
『お、復活? いえーい魔理沙聞いてるー?』
「聞こえてるぜ、同志にとり」
『よっし、それじゃもう一回確認しておくよ。今回のミッションの目的はあくまで状況確認。無理はしないこと』
「すでに無理をさせられてると思うんだが」
地底世界は放射線で汚染された。
という話を聞いて地底と地上を結ぶ出入り口は速攻で閉じたものの、とりあえず地底がどうなっているのかは調査しておきたい。
そこで地底にもっとも詳しい普通の魔法使いに白羽の矢が立ったわけだ。
以上、あらすじ完。
『心配は無用だ、同志魔理沙。そのスーツは結構危険な感じの放射線でもだいたい防いでくれるはずじゃないかって友達が言ってた』
「アバウトかよ。だいたいかよ。はずかよ。伝聞かよ」
『大丈夫、魔理沙なら大丈夫。魔理沙は強い子! 気合があれば乗り切れる! さあ河童の科学を信じて』
「今の言葉のどこに科学があった。というか、今更だが、こういう状況こそ丈夫な妖怪が来るべきなんじゃないのかと」
『え、嫌だよ。死にたくないし』
「ようし同志にとり、帰ったら話がある」
『……もしかして、プロポーズ……? 死亡フラグ?』
「嬉しそうだな。どっちについてなのかはまったく不明だが」
『心配しないで、魔理沙。私はあなたを死なせはしない。そのスーツだって、通信機だって、万全のものを準備した。絶対に、帰ってきて欲しいから』
「にとり……」
『生存者がいれば、ひとりから話が聞ければいい。それ以上危険なことをする必要はない。それよりも魔理沙の命のほうが大切だから』
「……そう、か。ありがとうな、にと」
『あ、ごめん、キャッチ入った、待ってねーたんたんたんたんたらたーん』
「……」
顔を上げる。
地底の世界は、どうしようもなく真っ暗で、静かだった。
おかげで、うららかな春のメロティは何に邪魔されることもなく、楽しむことが出来た。
しばらく待ったが、通話が戻ってくる気配が無い。
魔理沙はため息をついて、魔法で灯りを作って、前方に飛ばす。後に続くように、飛ぶ。
「地底――無事なのか?」
すでに地底に友達もいる。何人もいる。
早く無事を確認したかった。
灯りは何も映すことなく、暗闇を飛び続ける。
何の目印もない地底の世界では、時間の感覚だけが頼りだった。あと少し飛べば、橋があるはずだった。
灯りの高度を下げて、飛ぶ。
橋が見えてきた。ゆっくりと降りていく。
足元を慎重に確認してから、橋の上に降り立つ。
灯りを強くして高く上げて、橋全体を照らし出すようにする。
「……おーい。ぱるやん」
ここにいるはずの彼女に、声をかけてみる。
フルフェイスのヘルメット越しでどれくらい外に声が聞こえるのかは不明だったので、とりあえず大声にしてもう一度。
「ぱるぱる!」
声は、自分の耳に強烈に突き刺さった。びりびりと顔が震える。
だが、返事はかえってこない。誰の姿も見えない。
「――いないのか」
『ごっめーん、お待たせゆみっち! なんだっけ、アレだよね、そうそう、やっぱり私は<いとしのドリルお兄さんマックス>に一票かなあ』
「……おい、にとり」
『う? あ、ごめ誤爆 だーーーーーーーーーーだーーーーーーーーたららーーーーーーらーーーーーー』
「アルビノーニのアダージョはやめろ」
雰囲気が出すぎてて怖い。
「……さて、どうしたものか……?」
「……!」
「あ」
ため息をついたところで、視界の端にちらりと何かが映った。
それは、すぐに木陰に姿を消してしまったが、その特徴的な外見は見逃さなかった。
「パルスィ! 私だ。出てきてくれ」
叫んでみる。
ちら。
呼びかけると、木の裏に体を隠したまま、顔だけをこちらに覗かせる。
「よかった。声は聞こえているみたいだな」
「……」
「おい。そんな警戒するなって。私だ。割と普通の魔法使いでおなじみの魔理沙だ」
「……魔理沙?」
「おう」
彼女は片目だけで魔理沙を睨みつけたまま、呟く。魔理沙はその言葉を聞いて、まずは安心する。どうやら外の声は普通に聞こえるようだ。それってあまり気密性が高くない証ではないだろうかと思わないでもなかったが、あえて気にしないことにした。気密性はあまり関係ないのだ。たぶん。
「魔理沙って、あの、地上で魔法の森に住んでいてきのこが大好きで最近は何かの影響を受けて身体能力の強化を目的とした配合スーパーキノコを密かに育てているという、魔法使いだかきのこ栽培のプロなんだかよくわからない、体が小さいことが悩みの白黒マスターの魔理沙?」
「お前は私のファンかストーカーか」
「ふん。地底網羅ネットワークの情報を甘く見ないことね。あらゆる情報は私のものよ」
魔理沙だとわかって安心したのか、パルスィは木陰から体をだす。
恐る恐るといった感じながら、近づいてくる。じろじろと顔を――顔を覆うマスクを見つめながら。
「ちなみに略してTMネットワークよ」
「それが言いたかっただけだろ」
あまりに遠慮無くじろじろと眺められるため、そんなに今変な外見になっているのだろうかと気になって外したくなるが、さすがにそれは自重する。目の前の彼女がいつもどおり顔を晒しているからといって、地上の人間も大丈夫と保証されるわけではないのだ。
「しかし、情報通なら都合がいいな。色々と聞きたいことがあるんだ。まあなんでお前がそんな情報網を持っているのかは謎だが」
「決まっているじゃない。相手のことをよく知らないとうまく嫉妬もできないわ。単に相手の外見や声みたいな、誰でもすぐわかるところに嫉妬するだけじゃ二流なのよ。嫉妬ビジネスはそんなに甘くないの」
「ビジネスとか」
「あっ! ちょっと待って――」
パルスィは突然叫んで、右手を前に上げて、魔理沙を制止するかのようなポーズを取る。左手は顎の下に軽く触れるようにして、真剣な表情で、うむむ……と唸る。
……
魔理沙が大人しく待っていると、よし、と彼女は頷いた。
「そんなマスクと変な装甲みたいな服を着て、仮装パーティに行くのにテンション上がりすぎてうっかり出かけるときから完全仮装してしまってどう見ても不審者に見えるのに気づかないくらい楽しそうで妬ましいわ」
「いや無駄に無理すんな。ってか、思い切り外見だし」
「放射線? そういう噂が出てるのは確かね。でも、嘘よ」
事件はあっさりと解決した。
「嘘かよ」
「うん。地上では本気で信じられてるんだ?」
「まあな。だからこんな格好してきてるわけだが――って、そういう状況はお前は把握してないのかよ」
「地底網羅ネットワークだもん。地上のことなんて知らないわ」
「おい私の家は地上にあるつもりなんだが」
「あ、ごめんなさい、魔理沙情報は地上魔理沙ネットワークからの情報だったわ」
「ちょっと待てなんだその」
「略して」
「略すな」
とりあえず、問題がないことは確認できたため、マスクを外す。
……空気が涼しくて気持よかった。
「で、なんでまたそんな嘘が広まったんだ?」
「嘘の噂を広めた犯人がいるから」
「ほうほう。誰だ。目的は何だ」
「詳しいところまではわからないけど。――そうね、答えを知りたければ、向かうべき場所は一つよ」
パルスィはゆっくりと手を上げて、すっと、芝居がかった仕草で斜め後方を指差す。
「『事件の影には、やっぱり地霊殿』。あそこよ」
「……語呂はあんまりよくないな」
ともあれ。
道は示された。拍子抜けするほどに、簡単に事は済みそうだった。
「よし。ありがとな、パル――」
『いやっほおおおおおうううっ! お待たせ魔理沙ー! そっちの状況はどうどう? って、おお! そいつは妖怪ネタマシイじゃないか! やっちまいなー!』
「……」
「……」
微妙な空気で、パルスィと魔理沙は見つめ合う。
先に動いたパルスィが、ぽつりと呟いた。
「……えと。元気な友達がいて、妬ましいわ」
「……ああ。じゃあ、またな」
『ふーん? 嘘だったのか。ちぇー』
「ちぇーってなんだ」
『ん? いやいや。チェーンのようにいつ雪が降りだしても大丈夫なような備えを持っておくという心構えはいつだって大切だよ、の略だよ』
「一億人に伝えても一人も理解出来ない略だな。日本語微妙だしな」
向かうは地霊殿。
なんだかんだで、初めて地底にやってきたときと同じルートを通ることになった。
そのまま灼熱地獄跡まで行くことにならなければいいのだが。
「どっちにしても、地霊殿には行くつもりだったしな」
放射線がどうこうという時点で、普通に考えて本当だとしたら犯人は一人に絞られているのだ。今回、嘘だと判明したが、結局行き先は変わらなかった、というだけのことだ。
まあ、気楽さに天と地の差があるわけだが。
『暇だなー。魔理沙ー、しりとりしよー』
「お前は十秒黙ってたら死ぬ病気か」
『まさに重病』
「うるさい黙れ」
ふよふよと地霊殿に向かって一直線に飛び始めた矢先に、にとりが騒ぎ出した。魔理沙も賑やかなのは好きなほうだったが、静寂が苦手なわけでもない。
「ったく、5分も飛べば着くんだ、ガマンしろ」
『6分くらいはかかるでしょ』
「細かいな! まあ、それくらいだ」
『だったら話す時間くらいはあるじゃんねー』
「お前本当に止まらんな――って、おい、さりげなくしりとりすんな」
「お、魔法使いのお姉さん! 久しぶりだねえ、いらっしゃい! はい、これどうぞ!」
「あん?」
地霊殿の前に着いたかと思うと、猫に出迎えられた。
声をかける前に、何かを渡される。
ぺらぺらの一枚の紙だった。
「チラシ?」
『お、化け猫じゃないか。魔理沙、やっちまいなー!』
「お前本当に黙れ」
地霊殿の玄関灯の明かりを頼りに、チラシに目を通す。
***
Nyan-Nyan Studio ChireiDen リニューアルオープン!
至福の時を、極上の空間をあなたに……
とびきり可愛い子を取り揃えております。予約OK!
Pさん「可愛い子ばかりで妬ましいわ……
でも素敵過ぎる空間だわ。
私も通ってしまいそう(笑)」
Rさん「やっぱり地霊殿は最高ね。地上の皆も是非行くといいわ。
え? 広告出演料なんてもらってないわよ」
Oさん「あたいはここに来てから幸せになりました!」
***
「……おい」
「にゃん?」
「いや猫っぽい返事とかいらんから。なんだこの……この……ああどこからツッコめばいいのか……」
「店長ー、一名様ご案内ー!」
「せめて一箇所くらいは言わせてくれ!?」
「どうも。店長の古明地です」
「何をやっとるんだお前は」
『む! そいつはさとり妖怪! えーとそいつと戦うときは私と関係ないときにしてください、魔理沙の頭から私のこと読み取られると迷惑なんで』
「あ、このうるさい奴は地上の河童の河城にとりな。だいたいこんな感じの外見で、こんな感じのところに普段住んでる」
「なるほど、よく伝わったわ」
『――あなたがおかけになっている番号は、現在使われておりません。地上の河童とか全然関係ありません。通信エラー。切断しますぶちっ』
「よし。話をしようか」
「なかなか楽しそうな相棒ね」
「いやまあ」
「どうやら、例の噂について調査に来たようね。噂を信じていたのにやってくるとは、大した度胸」
「そのためのさっきまでの重装備だからな。ちょっと前までマスクまで被っていた」
「ふむ。で、ぱるやんに言われてここに来た、と」
「大真面目な顔でぱるやんとか言われると痒くなるな」
「いいわ。あなたが思っている通り。嘘の噂を流したのは、私よ」
「お、なんだ、早々に白状したな。今回は解決が早そうだ」
二人掛けのテーブルに向い合って座り、紅茶を飲みながらのトップ対談。
交渉しないといけないとなると非常にやっかいな相手だったが、相手側が素直に話を聞いてくれる立場となると、実に話が楽だった。
「で、なんでそんなことをしたんだ? おかげでせっかく開かれた交流ルートが閉じられてしまったじゃないか」
「もちろん、それが目的だからよ」
「あん?」
「地上生まれのあなたにはわかりにくいでしょう――まずは、ちょうど、体験してもらうわ」
「体験?」
「そう」
さとりが言い終わると同時に、テーブルの前に、すっと長身の女性が現れた。見覚えのある姿に魔理沙は声をかけようとするが、彼女は黙ったまま、一礼して、テーブルに料理の乗った皿を置いて立ち去っていった。
「……ふふ。よくできたわ、おくう。あとでちゃんとご褒美をあげないとね」
「どういう状況なんだこれは」
「そうそう、お燐とおくうでは喜ぶご褒美が違うのよ。おくうに対してはお仕置きになることが、お燐にとってはご褒美になることがあるみたい――面白いわね」
「いや聞いてないが」
「まずは、食べてちょうだい。そして素直な感想を聞かせて――聞かなくてもわかるけど」
料理は、ごはんと、謎の肉と、謎の野菜のようなものだった。
さすがに少し躊躇うが、少なくとも米くらいは大丈夫だろうと、まずごはんを一口食べる。
「……」
……一応、米のようだ。
ちら、とさとりの表情を伺う。薄く、微笑んでいた。
彼女は静かに言う。
「マズいでしょ?」
「そう。地上の食べ物は美味しすぎるの。地底でも色々と頑張ったけど、地上には絶対に敵わない」
「なるほどわかった。で、それが交流を絶つ理由になるのか?」
「――単に、食材の輸入という程度なら、そこまでは問題にならなかった」
さとりは、淡々と話し続ける。
「地底にはね。酒飲みが多いの。美味しい米を手に入れるためなら、金に糸目をつけない、というくらいのね」
「ああ。鬼が多いんだったな」
「さて、地底には、地上に輸出するものがあまりない。鉱物資源はあるけど、これはそう簡単に手放していくわけにもいかないのよ。もうわかるでしょう、言いたいこと。――赤字なのよ、もんすごい」
「もんすごいか」
「そこで賢明な私は考えた。赤字が拡大していく前に、まだお金があるうちに、新しい産業を興して、地上と張り合う力を付けるべきだと。それまでは取引を停止して時間稼ぎをしないといけない」
「なるほど……」
話はわかった。
意外と真面目な話でちょっと驚いたというのが魔理沙の本音だった。どうせ「最近暇だから適当に嘘広めてみる」くらいのノリだと思っていたのに。
「って、おい、新しい産業って、まさか」
「気づいたわね。そう、この店が私たちの切り札」
「ただの喫茶店じゃないか。……いや、このチラシを見る限り、もっと違う何かに見えるんだが。アレだ。嘘、大げさ、紛らわしいはよくないぞ」
「ロボット三原則ね」
「そうだな最近のロボットは体を張るだけじゃなくて情報と相手の心理の分析を活かした高度な交渉術をこなす――っておいそんなロボット嫌だよ! 違うだろ! ……えーと広告のナントカってやつだ」
「ふふっ……心配はご無用。ここから本気出すわ」
ぱちん。
さとりが、カッコよく指を鳴らす。
それが合図だったのか、突然、彼女の背後から猫が現れた。
十数匹。
「!?」
驚く魔理沙の前で、さとりは不敵に微笑む。
「ようこそ――猫カフェ、地霊殿へ」
にゃー。
にゃー。
にゃあん。
「……」
魔理沙の足元に、猫が、猫が、猫が集う。それはもう、猫だった。
「猫好きのための、癒し系の空間。私の趣味と実益を兼ねた素敵な商売だと思わない?」
さとりは魔理沙に向かって言いながら、一匹の猫を抱いて、頭を撫でる。なーん、と猫は気持よさそうに鳴く。
「く……」
釣られて魔理沙も足元に縋りつく猫に手を伸ばす。
と、そこに、さとりの声が飛ぶ。
「だっこは3分まで100円」
「有料かよ! 酷い商売だな!」
さっと手を引く。
「そうかしら。何匹もの猫を同時に抱ける機会なんて、他にはないわ。私たちはそれを提供するのよ。100円はとてもリーズナブル、良心的設定でございます」
「くっ……ええい! こんな猫だらけのところにいられるか! 私は帰る!」
「あらあら」
魔理沙は立ち上がる。
くすくすと笑うさとりの顔を睨みつけてから、くるりと身を翻す。
なー。なー。猫たちが、魔理沙の靴を引っ張る。
「あなたは特別な客。VIPメンバーズカードを作ってあげてもいいのよ?」
「……」
一歩。二歩。
魔理沙は猫を引きずりながら、ドアに向かって歩く。
出口の側にも、猫がいた。たくさん。
色とりどりに揃えられて。
「そうそう。今ちょうど客が少ない時間なのよ。普段なら、こんなにたくさんの猫と戯れることなんて――」
「……なでなでは」
「うん?」
「……なでなでは……っ! だっこすれば当然できるんだろうな……!」
くす。
さとりは笑う。
「ええ。もちろん。好きにしていいのよ」
――ぴん。
魔理沙の指から放たれた硬貨は、ゆっくりと回りながら、放物線を描いて、テーブルの上に落ちた。
同時に、猫の大群が魔理沙に飛びかかる。
「うおおおおおおお! 好きだああああああああああああ!!」
魔理沙は身を任せて、床に押し倒されて、叫んだ。
ぼろぼろの姿になって地底から帰ってきた彼女は、何も語らなかったという。
それがまた新たな噂を呼んで、大騒動を引き起こす――それはまた、別の話。
FIN.
【あとがき】
1年以上前のボツSSのサルベージでした。
なんかもう勢いで書いたらこうなりますみたいな見本みたいな。