この国に生まれたのならば、伊吹風子の名を聞いたことがないなどということはないだろう。
ヒトデ界最高にして最後の天才と呼ばれた彼女は、その生涯をヒトデに捧げた。彼女の言葉を振り返れば、いかにヒトデを愛しそして愛された人生だったか窺い知れよう。
「言うまでもありませんが、風子は自宅にも、鞄の中にも、金庫にも、学校にも、服の中にも、もちろん、ヒトデを持っています。たくさん持っています。どこに風子のヒトデを狙う岡崎さんがいるかわかりませんから大きな声では言えませんが、ざっと128個は持っています。最近ではマンネリ化を避けるために色や角の丸みのバリエーションをたくさん変えて作っているくらいです。……いいえ、全然足りませんっ。もっと、もっとです。全生徒は700人なんですっ」
数ある名言の中でもこの言葉は有名である。世界各国の言葉に翻訳され、今やどこの国にいても耳にするほどの言葉だ。
長すぎて正確に最後まで言い切れない名言としても有名である。
正直書いている私自身もあまり自信がないが、まあ、今回の話には関係のない台詞であるため、さらりと流していただきたい。
今回紹介するエピソードは、「誕生日の決戦」として有名な戦い、正式名称「第二次彫刻戦争」についてである。この戦いにおける勝利が彼女のその後の大躍進の始まりとなったことについて疑問を挟むものはいない。しかし、その時の彼女や周囲の人々の心理を描いた書物はまだなかったように思える。
以下の記述には私の想像による部分が多々含まれているが、その点はご容赦いただきたい。
Fuko / star fight(体験版)
「風子ちゃん、いいことを教えてあげよう」
「いいことですか。それは札幌ドーム何杯分のヒトデに相当する嬉しさですか」
「え? だいたい、3、かな……?」
「あなたの表現は中途半端な円周率表現みたいで嬉しさが伝わりません。今後は気をつけてください」
「……え、あ、うん。気をつける」
「わかればいいんです」
風子は再び、彫刻に戻る。
ナイフを持って、さくさくと。
およそ3分後。
「いやいや。違うって」
春原はやっと我に返って、風子に声をかけなおす。
「なんですか。風子を口説くなら、忙しくないときにしてください」
「いや、口説かないから」
「そうですか。ありがとうございます」
「なんでお礼?」
しゅ、しゅ……っ
「うわあ、もう作業に戻ってる」
およそ1分後。
「すみません話を聞いていただけますか風子さん」
「似合わない口調はしなくていいです。聞いてあげますから、手短にお願いします」
「お、おう」
春原は、やっと笑顔を取り戻しながら、呼吸を整える。
さあやり直し。
「風子ちゃん、いいことを教えてあげよう」
いちいち導入まで戻らないといけないのが彼の弱点だった。
「教えてください」
「やった! ……あー、つまり、明日、岡崎の誕生日なんだ。あいつのことだから、言ってないだろ?」
「そうなんですか。初耳です。おめでとうございます」
「僕に言われてもね……」
「それで、どのあたりがいい情報なのですか。岡崎さんがやっとヒトデを飼う許可をもらえるようになったということでしたら、一緒に喜んであげます」
「え? いや、ほら、プレゼントとかしないの?」
「あなたはプレゼントしているのですか」
「や、してないけど」
「自分はしないのに、風子にはさせる気ですか。ずるいですっ」
「えーと、なんか、うん、そういわれると、僕が間違ってるような気がしてきたよ……」
しゅ、しゅ……
「あ、話、終わりですか……」
「今年は僕も、プレゼントをしようと思ってるんだ」
「そうですか。頑張ってください」
「どうだい? これなら、風子ちゃんもあいつにプレゼントする気になるだろう?」
「風子、お金がないです」
「お金はいらないんだ。ほら、いつもの手作りの、それだ」
「これですか。岡崎さん、もう貰ってるくせに、贅沢ですっ」
「そこは誕生日祝いの特別ってことでさ」
「仕方ありません。そういうことでしたら、差し上げましょう。これ終わったら、渡しておいてください」
「まあまあ。まだ話には続きがあるんだ」
「聞いてあげます」
「僕もそれを、作るんだ。風子ちゃんと一緒に、岡崎の目の前でね。つまり……勝負だ、風子ちゃん! 今度こそ決着をつけよう!」
びしいいいいいいいいっ!
指を激しく突きつける春原!
四方八方でカメラアクション!
轟音と爆風! 激しい砂嵐! 泣き叫ぶ牛! 多すぎる醤油! 隠し味の愛!
「断ります」
「断られたーっ!?」
ががーーーーーーーーーん……
あまりに激しいショックに三日三晩寝込む春原。
ごめんちょっと誇張。
「勝つとわかっている勝負をしても面白くありません」
「おっと、そういうことかい。言うじゃん、風子ちゃん。だけど僕もあれから修行を積んだのさ。見て驚くなよ、僕のスーパーリアル……エン……エデュケーション」
「超現実的な教育ですか。なんだか凄そうです」
「くは、この凄さ、風子ちゃんにも伝わったようだな。勝負を引き受ける気になったかい? おっと、もちろん題材は、それでいい。その、ヒトデだ」
「分かりました。期待してます」
「……何の展開だ、これは」
岡崎朋也の誕生日は、派手に迎えられた。
ナイフを手に持った二人によって。
とりあえず、頭が黄色いほうは早めに蹴っておいた。
「正当防衛だ」
「僕だけなんですかねぇ!」
かくかくしかじか。
春原が今回の企画の概要を説明する。身振り手振り、その他黒板をいっぱいに使って。
「そして審査員が、岡崎、君さっ」
「なるほど、わかった。で、風子はもうとっくに始めてるけどいいのか?」
「のおおおおっ!?」
説明時間約15分間のタイムロス。
戦いが始まった。
歴史に残る「誕生日の決戦」。
先制攻撃を仕掛けたのは、意外にも……春原のほうだった。
「くくく……完璧だ」
その手には、確かにヒトデのようなもの。
マジで練習してきたのかもしれない。風子のヒトデよりはかなりリアルな出来だった。
「さあ岡崎、どうだ。今まで見た中でさいっこうにヒトデだろう」
「お前……これ、マジ気合入ってるのな……」
「ああ、なんといっても、この、スーパーリアルゴールドのために激しく修行積んできたからなっ」
「すっげー健康に良さそうだな」
「褒めすぎだって、岡崎!」
「褒めてないからな」
実際、何を判定基準にするかによるが、この出来を考えると、風子のいつものヒトデではインパクトが足りないだろうと思えた。少なくともこのときの岡崎朋也はそう思っていた。
あくまで、まだ、このときは――
彼らは奇跡を見た。
正確には、奇跡の始まるときを見たのだ。
伊吹風子の伝説の始まりを。
「ヒトデ・オブ(可愛らしく)――――――」
その輝きを。
その究極の造形を。
その……美を。
「マドガラス(できました)――――――――!」
「ガラスだ……」
「ガラスだな……」
「え? これ、ナイフで削ったの?」
「まあ、ガラス切りってのはあるが」
「あ、あそこの窓がなくなってる」
「涼しいわけだな」
「今まで気付かなかった僕たちもある意味凄いよね」
「そうだな。風子の勝ち」
「マジで!?」
「いや、なんか、凄いし」
「のおおお……っ」
岡崎朋也、18歳。
誕生日プレゼントは伝説の始まりの象徴である、ヒトデ・オブ・マドガラスひとつ。
それと、ガラス損傷の件で停学3日。
☆
いかがだっただろうか。少しはこの戦いについて理解が深まっただろうか。
全てはここから始まったと言っても過言ではない。彼女を理解するためには、まずここから始めると良いだろう。
機会があれば彼女の今後についても追っていきたいと思う。
ここまで付き合ってくれた読者の皆様にも、感謝を。
そして、よいヒトデを。
傷と汚れとムラでいっぱいのガラスを膝の上に抱きながら――著者:T