(…なるほどね)
そこは高級デパートの一角にある小さなケーキ屋さん。
決して大きくはないショーケースに、大小取り揃えたケーキが綺麗に並べられている。基本どおりのショートケーキ、チーズケーキ、ショコラショートから、パーティ用の大きなケーキ。一口サイズの小さなもの。
どれをとっても美味しそうだが、値段を見てもどれも基準レベルよりは若干高い。
内装は全体的に木造風の落ち着いた感じにまとめられている。イギリスの片田舎の農場にぽつんと佇む小さな小屋、そんなイメージだ。
いずれにしたところでそれほど目を引くほどのラインナップでも無く、言うなればどこにでもあるようなケーキ屋だと言っていい…少なくとも、売り物に関しては。
(あの男があんなに熱心に薦めたワケがよーく分かったわ…)
香里は目立たないように小さくため息をつく。
客なのかどうか少し判断を迷った店員が、声をかけるべきか迷っていた。
(そう、これよ…何て言うんだったかしら、これ?)
店員と目が合った香里はぼーっとしたまま少し考える。
「いらっしゃい…ませ?」
やや遠慮がちに声をかける店員。
構わずじっと店員のほうを見つめる香里に、店員も対応に困っていた。
(…ああ、思い出したわ)
今度は隠さず大きなため息をつく。
あの男は間違いなく確信犯だ、と思う。明日学校で会ったらどうしてやろうか。
何も言わず問答無用で殴る。笑ってたらさらに殴る。謝ってもあと3発殴る。階段から突き落とす。靴箱に不幸の手紙を入れておく。もしくは靴に画鋲。さらにカメムシ。明日の朝一番に来て黒板に大きく相合傘を書いておく。あまつさえ相手は男。んなことより手っ取り早く刺す。自殺に見せかけた密室殺人。トリックに使うのはタコ糸と植木鉢。追い詰められた時のセリフは「そこまで言うんだったら証拠を見せてみなさいよっ!」でも絶対ちゃんと証拠もあったりする。困った。
だんだん脱線しつつも頭の中で色んな実刑を執行しつつ、ぽそりと呟く。
「やっぱりカメムシね…」
「…は?」
いきなりな目の前の客(?)の言葉に店員は思わず間抜けな声を返す。
―――少し肩の部分が盛り上がった紺一色のワンピースに、フリフリのエプロンという制服を着た店員が。
ひみつのおしごと。
「…アルバイト?美坂が?」
ほへ、と素っ頓狂な声が教室に響いた。
時は香里…美坂香里がケーキ屋の前で立ちすくむその時から、約30分前に逆戻る。
先程一日終業のホームルームが終わったばかりで、まだ教室には多くの生徒が残って思い思いに話をしている。
つい今しがた、香里が祐一に一言声をかけて早々と教室を出て行った所だ。
その態度に何か不信なものを感じた北川が祐一に尋ねた所、祐一はただ簡潔に一言で答えた。あいつはこれからバイトの面接だ、と。
「北川、声がでかい」
「でもホントなの?」
今度は隣で聞いていた名雪が横槍を入れる。あからさまに意外だ、という表情を見せて。
「まあな。欲しいものがあるんだって言ってたけど…本当かどうかは知らん」
(…予想はだいたいつくけどな)
祐一はその事に関しては伏せておいた。言うと、長くてちょっと暗い話になる。
「…なんでお前は知ってるんだ?」
少し不機嫌そうに北川が聞く。
「俺がバイト先を紹介したからな。丁寧に選んでやったぞ」
「だから、どうして美坂がまだ引っ越してきたばっかりのお前に相談するんだ?もっと地元のヤツがいくらでもいるだろうに…」
「…例えば、北川くんとか?」
少し興奮ぎみに語る北川に、名雪が面白そうに茶々を入れる。
「う…そ、そう、例えばな」
思わぬ方向から攻撃をくらって少々バツが悪そうに、言葉を濁す。
つくづくわかりやすい奴だ。
「まあまあ。香里にだって事情があるんだろ」
「事情たって…」
「例えば好きな子のためにプレゼントを買いたいけど本人にはなかなか聞けないから友達に聞く、ていうのは良くある話だよね♪」
やたらに楽しそうに言う名雪。…何か溜まっているのだろうか。
「うぐ…い、いや、待てよ、それは立場が逆だろ?普通はそれは俺…じゃなくてっ、男のほうが女の子にプレゼントする時じゃないか」
しどろもどろで反論する北川。既に致命的な失言も飛び出している。
「あ、男女差別だー」
「未だこのような旧態依然とした人間が日本に残っていようとは…嘆かわしい」
「…く…」
名雪と祐一の容赦ない反撃にとうとう言葉をつまらせる。
北川が黙ったのを確認して、祐一が続ける。
「まあそう悩むなって、な。話はここからが重要なんだ」
「え、何?」
興味津々で反応する名雪。
黙ってそっぽを向く北川。
「…”トッカータ”って知ってるか?」
祐一の。
その一言に敏感に反応したのは、北川のほうだった。
「トッカータって…あのトッカータか!?もしかして美坂、あそこで…?」
「ご名答」
にやり、と祐一。
「マジかよ…なんでそれを早く言わないんだ!」
「へへ、楽しみは後まで取っておくもんだろ」
「…う〜…二人だけで盛り上がってないで、私にも説明してよ〜」
放って置かれた名雪が不満そうに祐一にくってかかる。
「なんだ名雪、地元民なのに知らないのか?」
「知らないよー」
うーっ、と悔しそうに唸る。
「そうだなー…まあ、端的に言えば、ケーキ屋だ。ちょっと高いが結構美味い。店の雰囲気もいい感じだな。…だがまあ、そんな事よりも」
一通り最低限の情報を与えた後、一呼吸溜めてから言葉を継ぐ。
「制服だ」
「…制服?」
名雪はとりあえずオウム返しに言葉を返す。ちょこんと首をかしげる様が微妙に可愛かったりするが、今回はそれはどうでもいいことだ。
「まあぶっちゃけた話、いわゆるメイド服ってやつだな。実はこの店はメイドさんマニアなら誰でも知ってるような有名店でな」
「…祐一、メイドさん好きなの?」
店の事よりもそっちのほうが興味を引いたらしい名雪が、無邪気に尋ねる。
「ふ…メイドさんは男の夢でありメイド服は人類が生み出した最高傑作だ。そうだろ北川っ!?」
「おうっ!」
がしっ、と空中で腕を組み合わせる二人。史上稀に見る見事な連携ぶりだ。
「その1!メイドさんには愛を持って接するべし!」
「その2!金では無く心の結びつきを以って主従となすべし!」
「その3!ミニスカートは邪道なり!」
…じーん。
感極まって腕を交差して合わせたまま二人ともぴくりとも動かなくなる。
「…で、そういうお店で香里は働くんだ?」
それら全てが何事も無かったかのように名雪が話を進める。
…いや、額に流れる汗を隠し切れてないあたり、まだまだ精神鍛錬が甘い…かも知れない。
ゆっくりと「構え」を解き、祐一が頷く。
「そうなるな。というかそうなるように俺がした。香里はまだ制服の事は知らん」
「…だと思ったよ」
名雪が大きくため息をつく。
「でも、そっかぁ…可愛いだろーな…香里…」
ちょっと想像してみる、名雪。
甘い香りに惹かれてケーキ屋さんに立ち寄ってみれば、そこには見知った顔のメイドさんがお出迎え。
(…いらっしゃいませ)
(えへへ、来ちゃった♪)
(はぁ…何にするの?いっとくけどおごりはしないわよ)
(んーとね…香里ひとつ♪)
だきっ。
(あん…もう、仕方ない子ね…)
(うわ〜、香里のムネって柔らかい〜…ふにふに☆)
(ほらほら、仕事中なんだからじゃれないの。…後でゆっくり可愛がってあげるから、ね)
(…うん♪あ、今日はその服のままで…ねっ?)
………………
「…えへ」
「…なんかコイツの頭ん中で色々と暴走が起こってるみたいなんだが…北川、止め方知らんか?」
「お前のほうが詳しいだろ…」
名雪は両手を頬に当てては時々体をくねらせて一人で悶えていた。
完全にあっちの世界にイってしまっている。
「ええと…なあ名雪、ふと思ったんだが、部活はいいのか…?」
「部活…そう、部活があるんだ…ゴメンね香里、続きはまた今度ね☆」
「何の続きだっ」
まだ戻ってこない名雪に、とりあえず後頭部を正確に45度の角度ではたく。
すぱんっ、と快音が教室に響いた。
「はえっ!?あ、あれ、祐一?」
今度は確実に正気に戻ったらしい、名雪が驚いた表情で祐一と北川を交互にみつめる。
「部活」
「わ、そうだった〜っ」
祐一の静かな指摘に、慌てて帰り支度を整える名雪。
瞬く間にカバンに物を詰め込むと、すぐさま駆け出す。
「がんばれよ〜」
「うん!…えへへ…」
その様子を祐一はひらひらと手を振って見送った。
「さて」
「うむ」
名雪が出て行ったのを見届けると、祐一と北川が頷きあった。既に教室には他に誰も残っていない。
「そのバイトはいつからなんだ?」
北川が勢い込んで尋ねる。
「それは俺にも分からん」
「そうか…」
「だが、少なくともあの様子だと、名雪よりは先に接触を図らねばならんようだな」
「頼むぞ。お前だけが頼りだ」
「任せたまえ…必ずや我等が手に勝利を持ち帰ろうぞ」
夕日が差し始めている教室に、男達の怪しい密談が響いていた…
一方で。
「それで、ここでのアルバイトを希望した理由はなんですか?」
店長らしき女性がにこやかに尋ねる。年は30代後半といったところだろうか。見るからに温厚そうな、人受けの良さそうな顔立ちだ。
香里は反射的に「陰謀です」と答えかけて、すんでのところで言葉を飲み込む。追求されると面倒だ。
「…友達の紹介です」
自分で言って少しうんざりする。友達?誰が?
まあ一応妹の恩人であるわけだし65536歩くらい譲って友達の末端の一部くらいには配属させてもいいかも知れないが。
ともかく終始和やかな雰囲気で…形の上では…簡単な面接は進んでいった。
「ええと…それじゃ、何か質問はありますか?」
この言葉が出たら、まず終了の合図。女性が丁寧に尋ねる。
あの服は誰の趣味ですか。
やはり真っ先に浮かんだその質問を、なんとか抑えておいた。非常に気にはなるが、なんとなく聞くのが怖い。
「…いえ、特に」
「そう、じゃあ次の土曜から、お願いね」
いざ働くとなると、案外気持ちも吹っ切れるものだ。
それに正直、全く嫌というわけでもなかった。
こんな服、生きていく上でまず着る機会は他に無いと言っていいだろう。…一部特殊な例外を除いて。
たまには変身してみるのも気持ちいいかもしれない。
思い切り可愛らしい服を着て、鏡の前でくるっと一回転してにっこり微笑む、そんなのもいいだろう。普段はそういった事に全く関心を示さない香里であったが、そんな憧れもやはり無いでも無かった。
ある意味ではいいチャンスをくれたとも言える祐一に、今は少しだけ感謝してもいいかなと思ってみた。案外、ちょっとした親切心からここのアルバイトを薦めてくれたのかも知れない。
クラスの知り合いに見られたら恥ずかしいかも知れないが…
ふと祐一の顔が思い浮かび、香里の脳裏に不安がよぎる。
「あの男…人に言いふらしたりしてないでしょうね?」
まさか、と思う。
「いえ…人を疑うのは私の悪いクセね。良くないわ…」
さっき信用したばかりではないか。仮にも妹を救ってくれた恩人だ。信じないでどうする?
らんらら、らんらら、ららららららららら…
その時カバンの中から軽快なメロディが聞こえてきた。お馴染みのパッヘルベルのカノンが3和音で奏でられている。香里の携帯電話だ。
「…はい」
手にとって、いつも通りのテンションの低い声で応答する。
「やっほ〜、香里」
「…名雪?」
「うん。ねえねえ、バイトいつからか決まった?祐一から聞いたよ〜」
ぴ。
香里は条件反射的に電話を切っていた。
…あとで謝っておこう。電波の調子が悪かったとか、なんとでも言える。
「…この季節、カメムシってどこにいたかしら」
「きゃあーーーーっ、香里可愛い〜〜〜っ☆」
「…ちょっと落ち着いて、名雪」
「ねね、触っていい?触っていい?」
返事も待たず勝手にエプロンとかリボンに手を伸ばす名雪。
香里は呆れて深いため息をつく。
「ええと…あのね、こんな事してるとあたしが店長に怒られ…ぅひょあ!?」
諭すためのその言葉はしかし、香里自身も驚くような奇妙な悲鳴で途切れた。
名雪が、香里の胸に顔を埋もれさせてすりすりと感触を楽しんでいた。
「あぁん…気持ちいい…」
「やめんか」
ごん。
中指の付け根の骨が名雪の頭の頂点にクリーンヒットした鈍い音が響く。
「………痛い」
「痛くなかったら病気よ。良かったわね、健康な証拠だわ」
「香里…わたしの事、キライ…?」
「…そうね、そう言いながらさりげなく胸を触ってきたりしなければもうちょっといい返事も出来たかもしれないわね」
がっしりと、名雪の腕を掴む。
「うー…」
そろそろ香里の反応がかなり殺気立ってきたのを感じて、渋々引き下がる名雪。
「でも香里…ホントにめちゃくちゃ可愛いよ〜…男の子が見たら絶対放っておかないよ?」
「男の前にアンタにどーかされそうだった気がするけど」
「ところで顔見知りの客はわたしが初めてかな?」
「思い切り話そらすし」
何か大きなものを半ばあきらめながら、香里は頭を振る。
「…北川君が来たわね」
そう、開店間もなくからやって来た。ごく自然に来て、自然に話して、自然に帰って行った。…つもりだろう、本人は。
「あれ?祐一は一緒じゃなかったんだ」
名雪は首をかしげる。随分と気があっていたからてっきり一緒に見に行ってるものだと思っていた。今朝、名雪が家を出たときにはもう家には居なかったし。
「…ああ。相沢君ね」
何か懐かしい名前を聞いたような反応で、香里が答える。
遠い目で何も無いところを見つめながら。
「相沢君は今ごろ楽しくデート中じゃないかしら?」
「あ、祐一さん、あれすごく美味しそうですよー」
「…ま、まだ行くのか…?」
「もちろんですっ!まだまだ入りますよ♪せっかく珍しく祐一さんがいくらでも奢ってくれるっていうんですから、この機会を逃したら損じゃないですか」
俺は言ってない…祐一は心底から言いたかった。何より早く、逃げたかった。
「さ、さすがに俺はもうダメだ、許してくれ…」
「ダメですよ、私一人で食べてたら寂しいじゃないですか。祐一さんも一緒です♪」
死刑宣告にも等しい宣言。
いくらなんでも、一日でパフェやアイスばかり何個も…下手すると2ケタに達するほども食べられるような人間はまずいない…少なくとも常人ならば。
(香里の奴め…なんて試練を…)
そもそもこんな事になったのは、香里の陰謀であった。
<…というわけで、相沢君が”ちょっと遅れた誕生日祝いだ、今度の土曜日デートしよう。この日は一日好きなだけ好きなもの奢ってやるからな、楽しみに待ってろ♪”って言ってたって栞に伝えておいたから>
<どういうわけだっ!?>
<いいじゃないの。あたしからのちょっとしたお礼よ。代わりに誘ってあげたんだから>
<お前、分かってて言ってるだろっ…栞に”好きなだけ奢る”なんて言ったら…なんつーか色々と凄い状況が想像できるぞ!?>
<栞、すっごく嬉しそうにはしゃいでたわ。あんなに幸せそうな栞を見たのは何年ぶりかしらね。あ、キャンセルするつもりなら自分の口から言ってね>
<…ぐあ>
そして今に至るわけだ。
「…やっぱりメイド服がまずかったのか?」
「はい?」
祐一の独り言を、栞がにこやかに聞き返す。
「いや、いい…それよか、入るんだろ?行こうか…」
「はい♪」
このまま栞をあの店に連れて行ったらそれはそれで面白いかもしれないな…と密かに企みつつ。
HAPPY END?
【あとがき】
だからギャグならギャグでちゃんと首尾一貫しようよ>自分…
どこかラブコメにしてしまう悲しい性分さ…(^^;
えーと…今回は最初から絵がメインくらいのつもりだったんですが。に…似てねぇ…(死)ごめんなさいです…香里、これが初描きだったりするので許したり許さなかったりして下さい(逃)
あまつさえやっぱり長いし。ホントにただ「香里メイドさんSS〜」というだけで書き始めたんですが、どうしていつもいつも不必要に長くなってしまうのでしょう(^^;
ではでは。いまいち萌え度も足りないですね。反省しつつ次回作へ…