「こちらで、パチュリー様はお休み中です。あとは、よろしくお願いしますね。私は失礼いたします」
「え?」
 メイドは、ドアの前までアリスを案内すると、ぺこりと頭を下げて去ろうとした。
 この部屋のことは知っている。以前にも、今回と同じようにパチュリーが倒れたと聞いたときに看病に訪れたことがある、パチュリーの寝室だった。今回も状況はまったく同じであり、確かにあまり詳細な案内を必要としているわけではない。では、ないにしても。
「ちょっと、待って。私が勝手に入っていいの? あなたに取り次いでもらったほうがいいと思うんだけど」
 すでに背中を見せていたメイドに、少し慌ててアリスは問いかける。
 くるり。メイドは全身で振り向いた。
「問題ありません。アリスさんには、紅魔館のほとんどの場所に自由に出入りできるB+級セキュリティゾーン通行許可が発行されておりますから」
「この建物そんな仕組みできてたの!? いつの間にそんなもの発行されてたのよ……」
「パチュリー様の申請で、お嬢様が発行されました」
「それにしたって個室まで自由ってのはどうかと思うけど」
「パチュリー様の部屋に限り個室も許可、となっております。それが『+』ということです。もちろん、出入りしても攻撃をしかけることはない、という意味でしかございませんので、実際には常識的な対応をお願いいたします、ということになりますが。アリスさんでしたら問題はないと判断されました」
「そ、それはどうも……」
「では、パチュリー様をよろしくお願いします」
 ぽかんとしているアリスには一切お構いなく、メイドは言い放って今度こそ飛び去っていった。
 しばらく中途半端に手を伸ばしかけたような姿勢で固まる。まだもう少し、状況に頭が追いついていない。
 今日アリスは、先程のメイドに、パチュリーが倒れたから暇があれば見舞いに来て欲しい、と頼まれたのだ。頼まれたその場所は、アリスの家。紅魔館からアリスの家までの距離というのは、決して近いものではない。そこまでして呼びに来るからには容態は厳しいのか、と思いきや、別に急を要することではない、と言われた。時間があればでいい、と。そんな軽い調子のお願いをするために先程のメイドは何時間もかけて二つの建物の間を往復したわけだ。
 そして、現在。あとは任せた、と一人にされた。
 別に、それが何か問題というわけではない。ないのだが、アリスの気分は少し複雑なのだった。
(どうせなら部屋に入るところまで一緒にいて、ちゃんと自分が仕事を果たしたことの証明くらい見せて……そう、褒めてもらうくらいの権利はあるはずなのよ。なんだか、もったいないじゃない)
 許可の問題ではない。メイドには、アリスをちゃんと部屋の中まで案内する「権利」があるのだ。アリスは、自分がメイドを引きとめた理由にやっと思い当たっていた。
(ま、私がパチュリーに言っておけばいいかな。あの子の名前わからないけど……)
 妖精にしては随分と落ち着いた雰囲気の子だったからきっと言えばわかってくれるだろう、と自分を納得させる。
 アリスはようやく、ドアのほうに体を向けた。パチュリーの寝室の入り口。初めて入るわけではないが、少し緊張する。
 あくまでただの寝室なので、乱雑な図書館に比べると、がらんとした部屋だった。前回入ったときの印象としては。
 一度、大きく息を吸って、吐く。
 目を閉じて、数秒。
 落ち着いたかな、と思ったあたりで、こん、こん、と二回、軽くドアを叩いた。
「えっと……起きてる? パチュリー」
 ドア越しに、呼びかける。寝ていたら静かに入って様子だけ見ていこうと思いながら。
「え……もしかして、アリス……?」
「あ、うん。倒れたって聞いたからお見舞いに来たんだけど。起きてたみたいね。入っていい?」
「ちょ……ちょっとだけ、待ってっ」
「……うん」
 珍しく慌てたような声が聞こえてきた。とりあえず、そんなに悪い状態ではなさそうだ。部屋の中からちゃんと声が届くということは、咳き込んでいたとすればさっきまでにもずっと聞こえていたはずだということだ。
 十数秒ほど経ってから、パチュリーの次の言葉が届いた。
「……どうぞ」
 扉を開ける。
 アリスはまずはパチュリーの顔を見て、軽く微笑みかける。
 顔色も悪くは無い。少し赤いような気がするが、微熱くらいはあるのかもしれない。
 確認してから、ドアを後ろ手で閉めて、ベッドまで歩く。
「調子はどう?」
「辛くはないわ。ちょっと、力が抜けてるような感じ」
「そう。大したことじゃなければいいんだけど。急に倒れたって話だから心配したわ。あ、果物持ってきたから、よかったら食べてね」
「あら、わざわざありがとう――え? もしかして、家からここまで来てくれたの……?」
「何言ってるのよ。あなたのところのメイドが家に来て伝えてくれたんじゃない。ああそうだ、メイドの子、ちゃんと案内までしてくれたわ。遠くまで大変だっただろうから、ちゃんとあとで褒めてあげてね」
「そう……レミィがそんな気の回し方するとは思えないし、小悪魔かしらね。あの子らしいわ」
「なんだ、あなたが私を呼んだわけじゃなかったんだ」
 何気ないアリスの呟きに、パチュリーの目がぴくりと反応した。
 じっと、上目遣いでアリスを見上げる。
「私が貴女を求めたわけじゃないことが、寂しい?」
「なっ……何、言ってるのよ。変な言い方しないのっ」
「ごめんなさい、せっかく貴女が毎日毎晩私の名前を呼ぶほど今か今かと一秒を惜しむほど私の呼びかけを待っていてくれたというのに、応えられなくて。今回は気を失っていた時間が長くて、先を越されたみたい」
「呼んでないからっ!? み、見てるかのように言わないの! もうっ。……ほら、りんご、食べる? 剥いてあげようか?」
「食べる」
 パチュリーは素直に頷いた。
 アリスはテーブルの上にいくつかの果物を並べて、さらに持参した果物ナイフを取り出して、椅子に腰掛ける。
 二人黙る中、アリスが手早くりんごを切って皮を剥いていく音だけが部屋に響く。
 じ……と、パチュリーはただアリスの作業を真剣に見つめていた。
 じっと。ひたすらじっと。
「……えーと、何か?」
「改めて言うまでもないことだと思うけど、器用よね。磨きぬかれたテクだわ。そうしてりんごだけじゃなくて色々と器用に剥いていくのかしら」
「色々とって何よ!?」
「大根とか」
「……ああ、う、うん、そうよね、桂剥きだってお手の物よ」
「さすがね。今度その技術を是非見せて欲しいわ。そして貴女が今剥くという単語から連想したものが何なのかを教えて欲しいわ」
「別に何でもないのっ! ほらっ、食べるんでしょ、どうぞ!」
 ぷい。
 そっぽを向きながらアリスがりんごを載せた皿を差し出すと、パチュリーはじと、と半目でアリスを睨んだ。
「ダメよ。私は手を洗っていないんだから、アリスが持って食べさせてくれないと」
「……う。そうね。まあ、なんにしても、寝たままというわけにもいかないでしょ。上半身だけでも起こさないと。起き上がれる?」
 そ……
 アリスが布団に手をかけると、パチュリーは、きゃ!? と大きな悲鳴とともに、布団の内側からぐっと引っ張り返した。
 きょとん。思わぬ反応にアリスが目を丸くしていると、パチュリーは動揺を露にして、首をぶんぶんと横に振った。
「じ……自分で起き上がれるから、いいわ。大丈夫だからっ」
「あ、そう……」
 だから布団を剥がすなと。視線がそう語りかけてきていた。
 アリスは手を離す。パチュリーは、布団をもとの位置からずらさないように、体だけゆっくり動かして、上半身を起こしていた。
 背中を壁につけて、ほう、と一息つく。
「危ないところだったわ。なるほど、貴女のテクニックはまず布団を剥くところから始まるのね……」
「何の話よ!?」
「さ、りんご、食べさせて」
「えー超スルーだしー……」
 ずい。
 嘆きの呟きとともに、パチュリーの口元までりんごの一切れを運ぶ。
 パチュリーはここでまた、りんごではなく、アリスの顔を見つめるのだった。
「抜けているわ」
「え? 何か、切り方が悪かった?」
 つい。つい。
 ことさらにゆっくりとパチュリーは首を横に振って、ふう、と小さくため息をついた。
「ここでアリスが『あーん』って言って初めて物事が成立するんでしょう?」
「ああああああああもううううう面倒ねええええええ!?」
 どかーん。
 思わずりんごを投げ出してしまいたくなったが、それはぎりぎりのところで堪える。アリスはこう見えても自制心には長けていると魔界の三丁目でも評判が高いのだ。少なくとも魔界のドミノ倒し世界記録保持者はアリスである。
「? どうしたの、アリス。持病の脳梗塞?」
「死ぬわっ! じゃなくて病気はあなたのほうでしょ! 色んな意味で!」
「なかなか哲学的な意味がありそうな言葉ね。というわけで、アリス、はい、『あーん』」
「うう。うう。いいんだけど。最終的には流れに身を任せるしかないことを知っている私。……あーん」
 ぱく。
 さく、さく。
 パチュリーがりんごを噛む音が静かに聞こえる。見た目どおり口は小さく、少しずつゆっくりと消化していく。
 決して食べる総量が少ないことを意味するわけではないということをアリスは知っていたが、それはまた別の話だ。
 一切れを食べ終えて、パチュリーはにこ、と微笑む。
「美味しいわ。さすがね」
「よかった。ちょうど旬だからね」
「それに、貴女が切ってくれたからよ。甘くて幸せな味だったわ、アリスの蜜」
「……っ」
 ツッコんではいけない。ツッコんではいけない。
 叫びかけて、アリスはぐっと言葉を飲み込む。ここで乗せられてはいつまでもペースを取り戻せない。
 アリスが深呼吸をしたのを見て、パチュリーは密かにちっと舌打ちをしたのだった。

「……で、新しい魔法の研究に夢中で途中で体力切れして倒れたってところかしら」
「あら。それはメイドから聞いたの? それとも推理かしら」
「推理ね。さっきテーブルに置いてあった本、魔法の本だったし。どう見ても計算中のメモ帳があったし。寝込んでいる部屋にまでそんなものを持ち込むくらいだから、よほど集中して進めたい魔法なんだろうと思って」
「さすがね。貴女も魔法使いだから同じ経験があるということかしら」
「まあ、ね。魔理沙は何やっても倒れそうに無いかもしれないけど」
 軽く笑う。
 パチュリーはベッドの中にまた潜り込んでいる。簡単に熱も測ってみたが、やはり大したことはなさそうだった。
 会話も普通にできる。とりあえず、単なる睡眠不足と栄養失調だと判断してよさそうだ。
「とにかく、今は無理しないで回復するまで大人しくいていたほうがいいわよ。その状態じゃ頭も回りにくくてうまく進まないだろうし」
「問題ないわ。……え、もう帰るの?」
 立ち上がったアリスに、パチュリーは問いかける。アリスは、こくんと一つ頷いた。
「せっかくだから図書館ちょっと寄ってから、帰るわ。もう日は落ちてる時間だし」
 アリスがもう体の向きを変えようとすると、パチュリーは何故か周囲をきょろきょろと見渡した。
 何をしているんだろう、とアリスが注目したところで、その視線は持ってきたフルーツのところで止まった。
「……ゼリーが食べたいわ」
「は?」
「この病気はね、そう、貴女が作ってくれた甘いフルーツのゼリーを食べないとあまり回復しないのよ。今のりんごが16としたら、ゼリーなら32回復。それくらいの設定」
「いや設定って言っちゃってるし……ま、食べたいなら明日作って持ってきてあげるわよ」
「紅魔館の広いキッチンにはゼリーを作るための材料くらいもちろん揃ってるわ」
「いや、だから、明日」
「そうよ、今から帰ったらもう真っ暗……なんでしょ? 近いわけじゃないんだし、今日はここに泊まっていけばいいじゃない」
「そこまで遅い時間なわけでもないんだけど……だいたい、泊まっていくって、部屋はあるの?」
「客用の部屋くらいちゃんとあるわよ。必要ならアリス専用部屋だって作らせるわ」
「作らないでお願い。本当にやりそうで怖いわ。まあ、それにほら、着替えもないし」
「上着から下着まで新品が揃っているわ。貴女にぴったりのサイズのものも」
「……本当に、よく準備されていること」
 ふう。
 息を吐いて、アリスは困ったような苦笑いを浮かべた。
「ゼリーね。贅沢に、旬のりんごを使っちゃおうかしら」
「……うん」
 ふわりとパチュリーは微笑んだ。
 ほんの一瞬だけだった。パチュリーは、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った――戻した。
 わずか一瞬だったが、それでもアリスは見てしまっていた。この不意打ちに、脈が上がってしまったことを隠すため、少し俯いて、目を合わせないようにする。
 別にパチュリーが笑うところを見るのは初めてというわけではない、わけではないのだが、貴重なものだ。貴重なだけに、慣れない。どうしても、ドキッとしてしまうのを抑えることができないでいる。
 こっそりと呼吸を遅くして顔が赤くなるのを抑えながら、ずるいなあ、などとアリスは思っていた。
(私も普段から無表情でいたらこれくらい武器になる笑顔を作れるのかしら……)
 どきどき。
 狙ってできるものではないとわかりつつも、なんとなく嫉妬してしまうのだった。
「しばらく大人しく待っててね」
 アリスはりんごを手にとって、最後にちらりとパチュリーの顔を見て言った。
 目があった。やはり、パチュリーのほうはアリスの顔を眺めていたようだ。こうして「観察」されるのもいつものことだ。パチュリーの笑顔にドキドキしてしまったなんてことがバレていたら、当然のようにそこを突っ込んできているはずだから、気がついてはいないはずだ、とアリスは自分に言い聞かせる。
 一度手を振って、部屋を出る。ドアを閉める。
 ここでもう一度大きく、息を吐いた。
「私も、わがままを通せる技術、身につけようかな……」


 アリスのゼリーはパチュリーがおいしくいただきました。
 という頃にはもう夜中だ。また二人きりで、パチュリーの寝室にいる。
「お風呂どうする?」
「まあ、貴女がお風呂で体洗ってくれるなんて嬉しいわ。ありがとう」
「うん、その、先にお礼言って押し通すやり方にはもう屈しないから私」
 ちら。
 パチュリーは悲しい目でアリスを見上げる。
「病人には優しくしないといけないと思うのよ」
「あなたがとても病人に見えないのは何故かしら不思議ね……」
「実際、脱力してて、手足は動きにくいのよ。さあ」
「さあって言われても。メイドの仕事でしょうに、それこそ」
「いけないわアリス。その縦割り意識が行政を腐敗させるのよ」
「さらに全然関係ない例え話されても」
「……嫌なの?」
「……ぐ。えーと、メイドがいるんだから、メイドに頼むべきだと、思うわ」
「そう……アリスは私の体なんて触りたくないと言うのね……ううん、わかってるわ、仕方ないの。私は穢れた魔女の身……」
 めそめそ。
 涙を拭う仕草。
「ううう。あのねパチュリーそうやって泣き落としみたいな真似は」
「貴女ならきっと受け入れてくれると信じていた……そう、私、貴女の前ではありのままの魔女でいられると思っていた」
「だから、適当なこと言ってるんだってわかってるんだからね――」
「ああ。私はまた一人きり。そう、孤独が魔女の定めなのね。わかっていたはずなのに」
「……あー……あの、えーと。……水着かなにか、着ていい……?」
「ダメ」
「あああう」
 結局のところ、粘ったところで、結果が変わることはないということを再確認するだけの会話だった。


 なんとなく予想はしていたものの。
 大浴場と呼ぶしかない、広い広い風呂だった。この建物の中は何もかもがスケールが大きい。
「ねえ、どうしてタオル巻いたまま脱いでるのかしら」
「……あ、あんまり見ないでよっ」
「どうせ入ってしまえば全部見えるのに」
「いいの! 気分の問題なの!」
 渡された新品の下着とパジャマを一つの籠に、脱いだ服を別の籠に。
 見ないで、といいつつ、アリスはパチュリーの様子はちらちらと伺う。どうせパチュリーはじっと見てきているのだから、気にする必要はない、とある程度の開き直りはあった。
 パチュリーは隠さずに脱いでいく。ちらちらと眺めながら、ごくりとアリスはつばを飲み込む。
 決して発育のいいほうとは言えないが、やせ過ぎというほどでもないようだった。ただ、やはり、肌が白い。とにかく白い。
 微妙なところも、一瞬、見えた。慌てて目を逸らす。これから体を洗うというのだから、あまり意識しすぎる意味はないとわかっていても。
 ここは落ち着かなければいけない場面だということはわかっていた。変に挙動不審しているとさらにそこをパチュリーに遊ばれることになるのは目に見えている。ふに。ともかく平静を装って、ただ冷静に冷静にやり過ごせばいいのだ。ふにふに。ああなんだか心臓がばくばくいっている。緊張しすぎだ。なんだか変な気分になってきている。ふに、ふに。むにゅ。
「って何してるのよっ!?」
 ばばっ。
 いつの間にかタオル越しに胸を両手で揉んできていたパチュリーの手を、払いのける。
 払いのけたあとも、パチュリーの手は惜しむように同じ動きを繰り返して、感触を反芻しているようだった。
 わきわき。
「落ち着くの」
「何がよっ」
「貴女の胸を揉んでいると、気分がとても落ち着くの。そう、落ち込んだときだって、病気で苦しむ時だって……私の心を癒して、生き返らせてくれるの」
「すごくありがたいものみたいな言い方してもダメなんだからね!?」
 ずれ落ちかけているタオルを押さえて、アリスは叫ぶ。
 図らずもパチュリーの全身をまともに正面から見てしまうことになって、またさっと目を逸らす。
「もう、やりたい放題してくれるんだから……あんまり変なことされると、わ、私だって、さ、触ったりするからねっ」
「……アリスの、えっち」
「うわあああああああああん! わかってるのに言ってしまう自分のばかー!」

 さぱ……
 パチュリーの背中側にまわって、お湯を静かにかける。
 柔らかな肌触りのタオルで、肩を、腕を、背中を、その他色々なところを擦って綺麗にしていく。
「はぁ……さすがね、メイドよりずっと上手だわ……」
「そ、それはどうも」
 おそるおそる。
 あまりに白い肌なので、少し強くすると傷つけてしまいそうな気がして、優しくタッチしているだけだった。とりあえず、満足しているようなので、このまま続ける。
 さわさわ。泡が全身についていく。泡の色と肌の色がほとんど区別がつかない。
 透き通るような肌とはこういうことなのだろうか、と感心したりするのだった。
 それにしても緊張する。変なところを触ってしまわないか、変な力が入らないか。視線をどこにやるかも問題だった。あまり身体をじっと見ていることもできず、しかし見なければ洗うこともできず。
 最初に髪を洗ったときには少し失敗してしまった。長くずっとストレートで綺麗な髪の指ざわりがよくて、つい必要以上に弄ってくすぐったがらせてしまった。髪が綺麗で気持ちよかったから、と素直に言うと、パチュリーは珍しく照れて俯いてしまったりした。結果的にアリスも恥ずかしくなったりした。
 体を洗うとなると、なおさら気を遣う。
 意識すると、どうしても、洗えないところもでてくるわけで。
「え、ええと、これくらいで……」
「……まだ、洗ってないところがあるんだけど?」
「う」
「お願い」
「うん……」
 さわ。意図的に避けていた、小さな膨らみにまで手を伸ばす。もちろん、実際に触れているのはタオルだ。
 同じように、ゆっくり、優しく……
 ぴくり。パチュリーの肩が、少し震えた。アリスは慌てて手を離す。
「ご、ごめん、大丈夫?」
「……問題ないわ」
「ん……」
 柔らかなタオルに、石鹸の泡をたっぷり染み込ませて、肌を撫でる。自分ではないと力の加減は難しい。
 また、ぴくりと震えた。さっきより大きく。
「あの……」
「だ、大丈夫だからっ」
「う……うん……」
 柔らかい感触は、タオル越しにも伝わってくる。ほんの僅かに。
 変なことを考えるな考えるな考えるな、と頭の中で呪文のように唱え続ける、アリス。
 はぁ……はぁ……
 パチュリーの呼吸が少し荒くなってきたことには、どうして気付かざるを得なかった。さっきから何度も小さく肩が跳ねていたが、アリスはもうそのことには触れない。ただ黙って、そっと撫で続ける。無心に。無心に。
「んっ……ぁ……」
 微かに聞こえた可愛い声は、聞かないふり。
 お互いの顔が見えない状況というのは、非常にありがたいものだった。何か、無言の約束に縛られたように、アリスはこの労働を一定のペースで続ける。
 肩越しに微妙に目に入るふとももが、時折もぞりと動くのが嫌でも目に入る。いや、見たくなければ見なければいいだけのはずだった。そう思っていても、視線を外すことができない。意識してみると、いつの間にか顔が物凄く熱くなっていた。
 アリスの手に、熱い息がかかる。時間が経つごとに、熱を帯びていく。
 何か別の意思によって体を動かされているかのような非現実感と、実際に手に顔に耳に感じる熱さの現実感が融合していた。もう、とっくにそこは綺麗になっている、なんて指摘は二人ともしない。かと言って、この行為が体を洗う行為から既に逸脱したものであることを認めるでもない。
 ぴと……
 無意識的に前に出ていたアリスの体が、パチュリーの背中に触れた。
 ふぁ、という悲鳴とともに、パチュリーの体が前に少し倒れた。結果、ぐにゅ、とアリスの手が柔らかいものに食い込む。反射的にアリスは手を離す。パチュリーはすぐに上体を起こして、右手を上げてアリスを制した。
「……も、もういいわ、ありがとう」
「そ、そう」
「あとは、なんとかする、から」
「……うん」
 不思議な時間は、パチュリーの制止によって終わった。
 何十秒間くらいだったのか、何分間だったのか、よくわからない、何か熱に冒されていたかのようなひとときだった。
 このあとパチュリーは、風呂を出るまでずっと、アリスと目を合わせなかった。


 案内された客室は、立派な部屋だった。ベッドも上等なものだ。
 紅魔館を訪れること自体はもう珍しくもなんともなかったが、宿泊するのは初めてだった。
 テーブルとベッドとクローゼットくらいしかない、簡素な部屋ではあるのだが、ひとつひとつがとにかく広くて豪華だ。椅子は柔らかそうで、座り心地も良さそうだ。
 ぽふ、とベッドに倒れこむ。柔らかく体を受け止めてくれる。よく眠れそうだ。
 長距離移動もあり、そのあと何かと疲れることがあったこともあり、横になった途端に全身にだるさを感じた。
 布団に顔を埋めて、目を閉じる。
 ――途端に、先程の風呂場での光景が蘇る。意図的に周囲の風景に集中して頭を空っぽにしようとしてきていたが、目を閉じてノイズが少なくなったらすぐに脳を支配してしまう。
 うー。
 正直な脳の反射に、アリスは軽くうめいた。
(パチュリー……あの反応って、やっぱり……そう……よね……)
 気付かないふりをし続けてはいたが、もちろん、そんなものは、ただの「ごっこ」だ。パチュリーにしたって、自分の反応をまったく不審に思われていないなどとは考えていないだろう。
 ぐるぐる。
 ぐるぐる。
 同じシーンが何度も頭の中で再生される。ステレオ音声付高精細大迫力の映像がしっかりと保存されていた。
 あのときパチュリーが受けていた感覚はどのようなものだったのか。いっそそれが想像がつかないというほど不慣れな自分だったらまだよかったのに、なんて思う。残念ながらというのか、自慢になるのか、アリスは、反応の程度から感覚の鋭さを概ね推定できてしまう。
(あー……だめ。想像しちゃダメ。落ち着いておちついてそうこれはパチュリーの罠よ。こうして私が意識しまくって眠れなくなって次の日ぐったりしているのを見てあらどうしたのなんて白々しく聞いてくるつもりに決まってるんだからっ)
 ぎゅ。布団を握り締める。生地が悪くなってしまうかもしれないが、少しくらいは許してもらおう、と心の中で言い訳。知っているから。小波のうちに抑えておかないと大変なことになると知っているから。
(罠……これは罠……私がこうやって苦しむのを楽しんでいるだけ……)
 でも。でもでも。
 アリスにはわかるのだ。反応が、本物か、偽物なのか。
(もうっ、なんなのよ……いつも、わけわからないんだから……っ!)
 あるいはアリスをからかうつもりだったのが、計算外だったということか。ぐるぐる。ぐるぐる。
(ほんとに……何考えてるの……)
 うー。
 うー。
 うめく。パチュリーの考えていることが読める魔法でも開発してみようか、と本気で考えてみる。ものすごく難しい魔法になりそうだった。
「パ……チュリー」
 ぽそり、と名前を囁いた。
 妄想の中でパチュリーは、今朝のような笑顔を見せてくれた。
 なかなか見せてくれない、彼女の隙。そこにきっと本音が隠れていると思っている。
(きっと……寂しいのよね……)
 今までの言動。普段の言動。強引さ。安心したときの笑顔。
 寂しさからくるわがままなら、受け止めてあげたいと思う。アリス自身、寂しさは嫌というほど思い知っている。孤独は魔法使いの宿命だ。孤独を好んでいても、ふと、切なくなるときは必ずある。
(でも、ここには昔からの友達がいる。メイド達もいる。図書館には悪魔の子もいる――)
 アリスにとっての寂しさとは、そこが決定的に違う点だった。
「教えて……どうして、私なの……?」
 もしかして。
 もしかして、という思いは、ないわけではない。
「――結局、わけわからないのは私も一緒かも、ね……」
 これだけいいように弄ばれていても、構わず何度でも会ったり、喜んでくれるからといつもお菓子を作って持っていったり、倒れたと聞けば必ずお見舞いに行ったり、まったく懲りない自分は、果たしてどこまでもお人よしなのか、それとも。
 遊ばれることが楽しいだとか幸せだとかそんなことを認めるつもりは一切ない。いつも、もっと普通に話ができたら嬉しいのにと思っているのだから。

 結局このままでは眠れそうにないと判断したアリスは、アリス式全身エクササイズ第七を三十分ほどやって汗を流して、もう一度風呂に入ってから倒れるように眠った。


 わからない、読めない。
 何を考えているのかがまったくわからない、そんな相手ではあったが、極めて明確にわかりやすいことをしてくれるときもある。
 アリスは頭を抱えながら、ベッドに横たわるパチュリーを見下ろした。
「……着替えがあるって、これのことだったのかしらね」
 言いたいことがあまりにありすぎて、何から言えばいいのかわからなくなるときが、たまにある。
 今がそうだ。
「とっても可愛いわ、アリス」
「そうなのね!? 最初からこのメイド服着せるつもりだったのね!?」
「ちょうど貴女にあうサイズの服が、それしかなかったのよ」
「なんでちょうど私にあうサイズのメイド服があるのよ! メイドってあなたより小さい妖精ばっかりじゃないの!! ナイフのメイド長の服にしては逆に小さいし!」
「偶然余っていたのよ。まるで今日この日のために存在していたかのようね。運命を感じるわ」
「えええもうものすごく奇跡的な運命だわ! 首のところにAliceって書いてあるし!」
「そんなに喜んでくれるなんて嬉しいわ。よければ、ずっと着てくれていてもいいのよ」
「着るかっ!」
 ぜえ、はあ。
 一気に喋ったせいで息が切れる。
 ふら、と酸欠で倒れそうになるのをこらえて、また頭を抱える。
「私、今日この格好で帰るのかしら……」
「夕方くらいまでには、貴女の服も乾くわよ」
「夕方ね。……仕方ないから、適当に本でも読んで過ごさせていただくわ。で、体調のほうはどうなのよ」
「おかげで、かなり回復したわね。頭痛も治まったし、手足もちょっとだるいけど動くわ」
「頭痛なんて昨日は言ってなかったけど……もしかして、ずっと我慢してたの?」
「気付いていなかったのなら、私の勝ちね」
「なんでそんな無意味なことするのよ……まあ、いつものこと、といえばそれまでなんだろうけど」
 さりげなくテーブルの上を覗くと、メモ帳が昨日より増えていた。今朝になってからまた少し進めていたのかもしれない。病気で寝ている間も魔法の研究を継続するとは、なんともワーカホリックだ。
 色んな出来事に対してため息をついたとき、こんこんとドアがノックされた。
「パチュリー様、アリスさん、朝食をお持ちいたしました」
「あ、はい、ありがとう」
 アリスのほうが返事をした。
 メイドが部屋に入ってきて、パンとスープとお茶だけの簡単な朝食を運んできた。
「どうぞ」
「ありがとう、いただくわ」
「はい」
 じ。
 メイドは返事をしたあと、アリスの全身を上から下まで眺めた。一切の遠慮なく。
 小さく口を開いている。ぽかん、という擬音語が似合いそうな表情。
 くる。メイドはパチュリーのほうに、声を投げた。
「そうですか、ついに……」
「ついにって何よー!? 言っておくけどこれしかないとか言われて着せられただけだからね! 勘違いしないでね!」
「『〜だからね、勘違いしないでね』は一部の系列の人が好んで使用する照れ隠しであり、事実上の肯定である……そう学びました」
「教科書の再編を是非ともお勧めするわ!?」
 はあはあはあはあ。
 食い下がるメイドをなんとか追い払って息を荒げているアリスの後ろで、パチュリーは涼しい顔で言うのだった。
「優秀なメイドでしょ」
「ほ、ん、と、に、ね!」
「ところで私、アリスの大ファンなの。是非サインが欲しいわ。この紙に」
「布団の中からさりげなく労使契約書出すなっ!」

 今度はおしぼりがあったこともあって、パチュリーも自分の手で食事を済ませた。
 ゆったりとしたひととき。
「昨日は眠れた?」
 パチュリーが唐突に直球で切り出した。
 紅茶吹いた。

「な、何も問題なく眠れたわよ全然問題なかったわいいベッドで満足よ」
「あら、そう。確かに寝不足って感じではなさそうね」
「そ……そういう、あなたはどうだったのよ。私のことより、あなたのほうが心配だわ」
「おかげさまで、気持ちよくぐっすりと」
「それはよかったわね……まあ、私を寝不足にして笑う魂胆だったんでしょうけど、アテが外れて残念でしょう」
「意味がわからないわ」
「だから、昨日のっ……ぅ……な、なんでもない、もういいわっ」
「ああ。昨日はお世話になったわね。やっぱり貴女は、メイド達よりもずっと上手にしてくれるわ」
「うーうーもういいってば……」
「ね、アリス」
 ずい。パチュリーが上体を頭一つ分、前に出した。
 その分だけ、声を潜める。
「……また、お願いするわ」
 口元を微かに上げて。

 一瞬、意識が飛んだ。


(挿絵:鰻さま)

 メイドアリスは、機会があったらね、と呟いてから立ち上がって、じゃ、本読んでくると一方的に言い放って部屋を出て、ばたんとドアを閉めて、ドアの向こう側でばくばくと暴れに暴れている心臓を押さえこみながら深く息を吐くのだった。
「な、な、なんなのよ、ほんとにっ」
 血液が沸騰したかと思った。
 何故あんな可愛らしい顔で、あんな言葉が言えるのか。
 異常に乱れ続ける脈拍を感じながら、アリスは目を閉じて、とにかく記憶のフラッシュバックを押さえ込みにかかった。
「ああ……やっぱり、これ、負け、なのよね……」
 胸にそっと手を置いて、アリスはぽつり呟いた。


 本はたくさんあったが、いまいちどれを読んでも頭に入ってこない。
 図書館に入った途端に、いつものパチュリーの定位置に座っていた小悪魔から「わー、可愛い! よく似合ってますよ!」とにこにこ笑顔で言われてどう応えたものかと悩まされたりしたが、それも些細な出来事の一つに過ぎない。
 ここで集中して本を読めないようではパチュリーの策謀の思いのままになってしまう、と半ば意地になっているところもあった。アリス自身、そのことは自覚していた。だから、本が面白いか面白くないか関係なく、適当に近くにある本から開きまくっていく。
 見事な空回り。
 本がたくさん積まれていくが、何を読んだのかさえよく覚えていない。
 今はひとつ、もうひとつ決定的な外乱要素が欲しいところだった。
「いよっ! 今日も本を貰いに来たぜ!」
 ――例えば、こんな。
「なんだ、いつものがいないな、珍しい。ま、ささっと貰っていくか」
「……魔理沙」
「あん? 私の名前を呼ぶのは誰だ? どっかで聞いた声で」
「うう。気付かないでいて欲しいけど、本を黙って持っていくのは見過ごせない自分が悲しいわ」
「……んん? メイドか? なんだ、仕事熱心なメイドもいたもんだな。邪魔するならそれなりに怖い目にあう覚悟も必要だぜ。見たことのない大きいメイドだが、新人なのか――」
「――いい加減気付けっ!」
 ばん。本がたくさん乗ったテーブルを叩いた。
 魔理沙はびっくりしたように目を丸くして、アリスの顔を見つめる。
 近づいてくる。
 目があったまま、一歩ずつ。
 そして、目の前に。
「……アリス、ついに就職したのか?」
「就職!?」
「いや、詳しい経緯は聞かない。重要なこと一つだけ確認させてもらいたい」
 魔理沙は真剣な顔になって、アリスの目を真正面から見つめた。
 う、とアリスは少し距離を離す。
 魔理沙は、声のトーンを落として、低い声で続けた。
「もちろん、私が楽してここの本をいつでもいくらでも持ち帰りできるように手引きしてくれるんだよな?」
「するかっ!!」
 ぱこーん。
 勢いよく、魔理沙の後頭部をはたく。
 魔理沙は頭を抑えて痛がるが、今度は、アリスの肩に手を置いて、ぐっと力を入れた。
「じゃあ……何のためにメイドになったんだー!!」
「わけわからんキレ方するなー!!」
 叫んで、がくりと肩を落とす。
 魔法使い仲間は疲れる相手ばかりだった。
「別にメイドになったわけじゃないわよっ。パチュリーが倒れたっていうからちょっと泊まりで看病することになって、今朝になって着替えはこの服しか余ってないとか言われて着せられたのよ!」
「ん? あいつ倒れたのか?」
「そうらしいわもう全然そう見えないけどね!」
「元気そうなのか。それならよかった。安心して本を物色できる」
「前半はいいけど後半は同意しないからね」
「えー」
「えーとか言われても」
「じゃ、いつもどおり好きにさせてもらうさ」
 一方的に言い放つと、魔理沙はひょい、と机の上に積まれたたくさんの本から一冊適当に取って、表紙を眺める。
 瞬間、魔理沙の表情が固まった。
 本を開いて、ぺらぺらと何ページか見ている。そしてすぐに本を閉じて、目を伏せて、深くため息をついた。
「アリス……何か重い悩みを抱えているなら、私が相談にのるからな……?」
 深刻な声で言われた。
「え?」
 魔理沙らしからぬ言動に、何か態度からそんなにマイナスオーラが出ていただろうかとアリスは首を傾げる。悩み事はあるといえばあるのだが、何か魔理沙の声はもっと重かった。
 ちら。魔理沙が持っている本の表紙を覗き見る。
 世界の拷問大全。
 主に窒素吹いた。
「ちょ、ちょちょっと待って、別に私っ」
「いや……そうか。悩みとかじゃなくて、もともとそういう趣味なんだな。悪いとは言わないぜ。らしくていいんじゃないか」
「らしいとか言われてもっ。違うの、ちょっと適当にそこのあたりの本を持ってきただけで、全然意味はないのよっ」
「人形を使えばいくらでも実験できるからな……さすが、か」
「あああ待って誤解したまま行かないでー!」
 踵を返しかけた魔理沙は、意外にも素直にアリスの言葉どおり足を止めた。
 振り向くと、はいはい、と言うような苦笑いを浮かべていた。
「仕方ない。ちょっと話を聞いてやるか。本のことは関係なしに、何かちょっと悩んでること、あるんだろ?」
「……え?」
 魔理沙は、近くの椅子を持ってきて、アリスの目の前で座る。
 びしっと指を一本立てて、言った。
「アリスは、こうやって本を積んでおいたりはしない。一冊読み終わったらまたちゃんと返してから次の一冊を取りにいっている。いつもだ。それなのに今はこの状況ってことは、まともに読む気もない本を集めてきたってことだろ?」
「……」
 アリスは、目を丸くしてぱくぱくと小さく口を開く。
 なんと返したらいいのか、うまく言葉が出てこない。
 とりあえず魔理沙は、アリスの言葉を待っているようだった。迷った挙句、まず一番驚いたところから確認することにした。
「――いつも本を適当に漁って帰ってるだけの癖に、よく見てるのね」
「見てるぜ。観察が魔法使いの武器だろ?」
「……正しいわ」
「この前パチュリーの奴と、どっちがアリスの癖をたくさん言えるか勝負してみたが、私の勝ちだった」
「何勝負してるのよ……」
 困った顔を作っては見せたが、あまり悪い気はしないのだった。
 少しだけにやけてしまった。
「悩みってほどのことじゃないんだけどね……たぶん。ねえ、魔理沙は、パチュリーが何を考えているかわかる?」
「人の思考が読めたらもう仙人だな」
「あー……そういうレベルじゃなくて、もっと、普通くらいにわかるかどうかって話」
「普通くらいに。まあ、そういう言い方するなら、普通にわかると思うぜ」
「私はね、よくわからないの。どういうつもりなんだろうって……これとか」
 ちょい、と自分が着ているメイド服を指差す。
 魔理沙は、しかし、何がわからないのかがわからないと言わんばかりに即答する。
「そりゃ、メイドになってほしいってことだろ」
「なんでよ」
「いつでもアリスのお菓子が食べたいから。単純明快な発想だな」
「……むー」
 何の問題もない論理だ。どこに悩む必要があったのかよくわからないくらいだ。
 いや、この点に関してはむしろパチュリーの言動の中ではもっともわかりやすいものだ。アリスも魔理沙の意見をそのまま支持できる。しかし、そうすると次の問題が発生するはずなのだ。
「それならどうして、パチュリーは私をあんなにからかってくるの? 私を怒らせたりしたら狙いと逆効果になるに決まってるじゃない」
「なんだ、もしかしてアリス、あれで本気で怒ってるつもりだったのか?」
「……いえ……別に、本当に怒ってるわけじゃ……どっちかっていうとツッコんでるというか、呆れてるというか」
「じゃ、答えはそういうことだ」
「はあ?」
 魔理沙はだんだんつまらなさそうな、不満げな顔になっていく。
 指でとんとんと自らの頬をつつきながら、迷った後に言葉を続ける。
「楽しいから、遊んでるんだ。怒らせたがってるわけじゃない」
「遊びたいなら、普通に――」
「ずれてるなあ」
「え? 何が?」
 魔理沙は、指先で頬を掻いて、不思議だと首をかしげてから、小さく苦笑いを見せた。
「こういうのは当事者じゃないほうが物事がよく見えるものなんだな。アリスにしても、あいつにしても、頭はいいはずなのに不思議だと思って」
「言いたいことがあるなら遠まわしじゃなくてはっきり言ってほしいわ」
「アリスが、自分が何を悩んでいるのかをあんまり理解してなさそうなのが不思議なんだ。要するに、単に遊んでいるだけなのか本気なのかがわからない、って悩みじゃないのか?」
 ――アリスは、静かに目の前の本を閉じて、目を閉じた。
 数々のパチュリーの言動を思い出す。
「……そうかも」
「ということで、割と真面目に本気なのかどうか聞いてみると面白いと思う」
「魔理沙は、どっちだと思う?」
「どっちでも私にとっては面白いからどっちでもいい」
「物凄くわかりやすい回答どうもっ」
「じゃ、アリスは、遊ばれてるのか本気なのか、どっちのほうが嬉しいんだ?」
「え」
 本気ということ。例えば、今朝の「誘い」も本気だということ。
 ぼ、と顔が熱くなる。
 それは困る。本当に困る? パチュリーの言動は、少なくともある一点において共通している。少しでも長くアリスと一緒にいたいということ、ではないか。
 本気だとしたら。だとしたら。
「ど、どうしよう?」
「アリスのばーか」
「はあ!?」
 へへ、と笑って魔理沙は椅子から立ち上がった。
「ま、難しい顔しないで、とりあえず看病でもしてやれって。ああ、そうだ、あいつのことだから、アリスにゼリーでも作らせたんじゃないか? 私にもあとで頼む。じゃ」
 魔理沙はそれだけ言うと、箒にまたがって飛んでいった。
 結局本は一切見ないまま、図書館を出て行ってしまった。
 残されたアリスは、頬杖をついて、ぼんやりと虚空を眺める。
「パチュリー……魔理沙には行動読まれてるわよ……」


 冷静に振り返ってみれば、朝は完全に逃げ出すような形になってしまった。
 パチュリーの言葉に対して、あの行動だ。拒絶反応に見えなくも無い。
 恐らくアリスをからかって遊んでいるだけだろうから、朝のことで傷ついたりはしていないはずだ、と思いつつも、若干の罪悪感のようなものはあったりする。
(もし、あの言葉も私の反応で遊ぶためじゃなくて、本音なんだとしたら……?)
 どうやって部屋に入ろうかドアの前でうろうろしながら悩む。もしかして万一泣いていたような形跡でも見つけてしまったら即座に謝ろう、くらいの決意はする。パチュリーがそのような形跡を残すわけがないとは思いながら。
 どきどき。
 どきどき。
 いつになく強く緊張する。いつまでもこうしているわけにもいかない。
(大丈夫、大丈夫……入ってみれば、単なる悩みすぎだったってわかるだけなんだから……いつも)
 こん、こん。
 軽くドアをノックする。
「……起きてる?」
 控えめな声で尋ねる。寝ているなら、そっとしておこう。
「お待ちください」
 パチュリーとは違う声が返ってきた。
 あ、誰かいたのか、誰だろうと考えていると、すぐにドアは内側から開いた。
 少しだけ。
「失礼いたします」
 メイドはドアを人一人分だけ静かに開けて、その隙間から部屋の外に出てきた。そしてまた、静かにドアを閉める。
「あ、寝てるところだった?」
「はい。申し訳ございませんが、今お休みになったところですので、また後ほど改めてお願いします」
「わかったわ。ありがとうね」
「いえ……」
 やれやれ、とため息をつくアリス。
 そろそろ服が乾いていないだろうか、とも思ったが、このままパチュリーに挨拶もせずに帰るのはなおさら今後気まずくなってしまう。起きる頃まで、適当に図書館でまた暇つぶしでもしよう。
 などと計画を立てていると、ふと、横から、というより斜め下からの視線に気付いた。
 メイドが、無表情でアリスを見つめていた。
「……えっと、何?」
「失礼ですが、アリスさん、パチュリー様と何かトラブルでもありましたか?」
「え!? パチュリー、やっぱり、何か、おかしかった……?」
「そうですね、少し、お悩みのようでした」
「う……そう、なんだ」
 アリスが真っ先に考えたことは、パチュリーでもやっぱり悩むことがあるんだ、ということだった。
(やっぱり、逃げちゃったのはよくなかったよね……)
 目を閉じて、反省。
「何が、あったのでしょうか?」
 メイドは表情も声の調子も変えないまま、聞いてきた。
 何が。
 アリスは言葉を詰まらせる。何があったか。それはもう、何かとあったのだ。
 また昨日の風呂での出来事が脳裏に蘇ってくる。つまりは、ここだ。記録は未だに鮮明で、パチュリーの言葉や息遣い一つ一つまでしっかりと再生されてしまう。
 思わず赤くなってしまう顔を、ぶんぶん横に振ってごまかしながら、目を微妙に逸らす。目の端で、メイドの顔を伺いながら。
「……ごめんね、この機会だから、一つ聞きたいことがあるの。まずは聞かせて」
「はい」
「パチュリーって、私のことどう言ってる? その……笑ってたりしない?」
「……どういうことでしょうか」
 すっ、とメイドの目が一瞬鋭くなった。それはわずか一瞬のことで、またすぐに元の物静かな涼しい顔に戻ったが。
「気を悪くしたらごめんね。私、いつも、なんというか遊ばれてて……いい玩具にされてるんじゃないかなんて」
「――」
 明白に、メイドの表情に動揺が走った。
 あ、これはもしかして、残念な正解なのかな、と思って、とりあえず作り笑いで突き刺さるような胸の痛みをごまかそうとする。メイドは、ぎゅっとアリスのメイド服の袖を握った。ふるふると首を横に振った。
「パチュリー様は、アリスさんのことを大切に思っています。決して、ただ遊び相手にしているわけではありません」
「……」
「パチュリー様は、いつも大切そうに、アリスさんに作ってもらった人形を持ち歩いています。とても幸せそうに」
「え……あれ、そういえば渡してから見なくなったと思ってたけど……まだ持ってたんだ」
「――例えば昨日。部屋に入るときや布団を捲ろうとしたときパチュリー様があれほど慌てたのは、人形を布団の中に隠していたからです」
「……!」
 アリスはメイドを見つめる。
 口を開きかけて、しかし言葉を止める。
 じっとメイドの目を見たあと、ふ、と微笑んで、顔を上げてドアにもたれかかる。
「ありがとうね。いい話だったわ」
「いえ……」
「ほんと、不器用な子」
 どこにも視線を合わせず、宙に向かって言う。
 メイドが少し首を傾げたのが見えたが、構わずアリスは次の言葉に移る。
「ねえ、あなたから見て、パチュリーのいいところってどういうところだと思う?」
「……いいところ、ですか」
 メイドは言葉に詰まる。
 僅かに眉を顰めて、考え込む。
 困っているメイドを見て、アリスは一つ大きく頷いた。
「たくさんあるでしょ? 頭がいいとか、髪が綺麗だとか、笑うと凄く可愛いとか」
「……」
「あなたはどう思う?」
「そう……ですね」
 今ひとつ歯切れが悪い。メイドは今の言葉のあと、こく、と小さく頷いて、それきりになってしまった。
 メイドは、ちら、とアリスの横顔を見上げる。
 真意を測ろうというのか、目を確かに覗き込んできていた。
「今の言葉は、パチュリー様に伝えてもよい……ということで?」
「悪い理由が見当たらないと思うけど。ますます調子付かせてしまうかしらね」
 にこにこ。機嫌よくアリスは笑う。
「よろしいのですか。隙を与えることになるのではと思いますが」
「状況が変わったのよ。そうね、私も素直じゃないわね、本当に」
「……?」
 独り言のようなアリスの不思議な返事に、メイドはまた困った顔を見せた。
 アリスはメイドのほうに振り向く。ふふ、と笑う。
「――アリスさん」
 メイドは、少し目を背けた。
 顔は少し紅潮していた。声も、少し、小さくなった。
「なに?」
「アリスさんは、パチュリー様のこと……どう思っていますか?」
「どうって?」
「……好き、か、そうでもないのか、です」
「――そうね」
 アリスは、そっと胸元に手を置いた。
 目を閉じた。
 ゆっくりと呼吸する。とくん、とくんと小さな鼓動が聞こえた。
 目を閉じたまま微笑む。
 まったく、こんな大事な話をしているというのに、なんて格好をしているのだろう。――お互いに。
「答える前に、どうしてあなたがそれを聞きたがるのか、私はそれが知りたいわ」
 驚くほど、穏やかな気持ちになっていた。
 この時間をもっと続けていたい気分でもあった。しかし、もう、向き合わなければいけない。アリスは、メイドの手を取って、そっと握った。
「……どうして、ですか。単純に好奇心ということではいけませんか」
「そうね。メイドの答えとしては、そうなんでしょうね。でもね、私は『あなた』が私の気持ちを確認したい理由を、あなたの言葉で聞きたいの。こんな遠まわしなことまでして、今まで隠していたことを打ち明けてくれた理由も、ね」
「……」
 ぎゅ。
 メイドが、アリスの手を強く握り返した。
 見つめるアリスの目から、顔を背けた。
「私ね、本当に、嬉しいから。やっとあなたのことを知ることができた気がして。だから、もう、本当の私たちに戻って話しましょ? ね、パチュリー」
「……それは、勘? 推理?」
「『布団を捲ろうとしたときパチュリー様があれほど慌てたのは』――よほど、フォローするのに慌てていたのかしら。せめて、あれほど、なんて言わなければ、パチュリーから聞いた話だって逃げ道もあったのにね。……確信持ったのは、もうちょっと後だけど」
「……」
「部屋、入っていい?」
 ……こくん。
 メイドは、アリスの手を強く握ったまま、静かに頷いた。


 パチュリーは、メイド服を脱いで下着姿になってから、魔法を解いた。
 メイドの顔が、少しずつパチュリーの顔に戻っていく。戻ったときには、声もいつもどおりのパチュリーになっていた。今は、布団の中に置いていたパジャマを身に着けている。
「これが、研究していた魔法?」
 こく。
「そう。見事に大成功ね。おめでとう。あ……一応確認するけど、あの物静かなメイドさんは別にちゃんと存在するのよね?」
「ええ。一番真似しやすかったから」
「わかったわ。……私の服はまだ乾いてないかしらね」
「もう少しかかると思うわ」
「仕方ないか」
 ぽふん。
 二人並んで、ベッドに腰掛ける。
「さて」
 ――アリスは、パチュリーの手に、ちょんと触れた。
「続き、話しましょうか」
 優しく微笑みかけた。
 パチュリーは、瞬間、体を硬くした。
 見る間に、顔が、手が、とにかく見えている肌が、真っ赤になっていく。もともと白い肌だけに、わかりやすすぎる変化だった。
 このまま泣き出してしまうのではないかと思うほど、弱弱しい顔をしていた。アリスは、今までにまったく見たことのないパチュリーの顔に、アリスも少し慌てる。
「あ、あのねっ、私、別に、今まで遊ばれていた分この機会に仕返ししてやろうとか、そういう意図は全然、ないからね?」
「……」
「さっきも言ったけど、ほんと、純粋にすごく嬉しかったから……だから……」
「嘘……反撃、してきたじゃない……」
「え?」
「頭いいとか、髪とか……笑うと、可愛い……とか……心の中で動揺している私を笑っていたんじゃないの……?」
「違うわ。全部、本当の気持ちだもの」
「……っ」
 アリスの手が、パチュリーの髪に伸びる。
 手で長い髪をすくように下ろして、優しく撫でる。
「私もね、素直じゃないから、あの機会を利用させてもらったの。直接あなたに言えないことでも、あのときなら言えるなんて思ってね」
 そっと、肩を持って、体を引き寄せる。
 今度はしっかりと、俯いたままのパチュリーの頭を撫でる。
「私は、あなたの本当の気持ちを知りたいな……今」
 目を閉じて、横から、背中越しに柔らかく抱く。
「きっと、全部受け止められるから」

 ……ぽたり。
「……っ」
 一粒の雫が、パチュリーの膝の上に落ちた。
 ぽた……ぽた……
 続いて、また一粒、一粒。白いパジャマに、透明な痕を残していく。
「あ、ぱ……パチュリー? 大丈夫?」
「……ぅ」
 ぎゅっと目を閉じて、涙が零れ落ちないように力を込めて、パチュリーは首を縦に振った。
 それでも涙は頬を伝い続ける。いくら袖で拭っても、むしろ溢れる速度は増していく。
「え、えっと、ごめんね……」
 ふるふる。ふるふる。
 パチュリーは必死になって首を横に振る。
「ご、め、もうすこし、まって……っ」
「……うん」
 かすれた声。
 その言葉に、思わぬ涙に慌てていたアリスも、すっと落ち着いた。
 もう一度髪を撫でる。体が小さいだけに、こうしていると、子供をあやしているような気分になってくる。
 二人とも何も言わず、ただパチュリーの小さな泣き声だけが、ずっと続いた。


「――弱みを見せては、いけないの。弱点は一方的に握っておくもので、自分の弱点は悟られてはいけないの。体を弱くして……誰にでもわかってしまうような弱みができてしまって、ますますその思いは強くなったわ」
 ベッドに腰掛けて、床を見つめながら、パチュリーはゆっくり、しっかりした声で呟く。
「大切なことは、常に相手より精神的優位にあること。いつでも自分のペースで物事を進めることなのよ」
 アリスは隣で、同じように床を見つめて、話を聞く。
「私、貴女と話をしていてすごく気持ちいいと思って、嬉しいと思って、もっと一緒にいたいと思って、考えたことは、ねえ、どうやって貴女を支配するかということだったわ」
「あ……そう言われてみると、なんか色々思い当たる節があるかも」
「だけどいつまで経っても貴女が私の手元に近くなったような気がしなくて、今日は、賭けに出ていたの。『私』は守ったまま、貴女の心だけをしっかりと確認するために。貴女が笑いものにされているのかもって不安がっているのを聞いたとき、初めて私、なんてバカなことをしてきたんだろうって思った――」
「大丈夫よ。今はそんなこと思ってないから」
「こんなに勝手なことをしてきたのに、貴女は受け入れてくれると言った――信じられない、と思って、でも、そんな風に思ってしまう自分が嫌で、もう、わけがわからなくて」
 ずっと顔は伏せたままの独白が続く。
 パチュリーは膝の上で両手を重ねあわせる。
「……ごめんなさい。結局、迷惑をかけてしまったわ」
「ううん。その話が聞きたかったんだもの」
「私は……私は、貴女と一緒にいると幸せな気持ちになれるの。だから、一緒にいたい……それだけ」
「ありがとう。すごく、すごく、嬉しいわ」
「……アリス」
「うん」
 ぎゅ、と胸元にパチュリーを抱き寄せる。
 パチュリーは、ゆっくりと、目を閉じていく。手を、アリスの背中に伸ばして、自ら引き寄せる。
「アリス……ドキドキしてる?」
「あー……この状態だと聞こえちゃうわね、どうしても……」
「……私もしてる。大丈夫」
「そ、そっか」
 アリスにはパチュリーの鼓動は聞こえない。
 それでも、何故か、二人のペースは一致しているような気がした。だから聞こえないのだ、きっと。
 そう信じると、どこまでも大きく早くなり続ける心音も、恥ずかしく思う必要はなくなってきた。
 静かに、ただ抱き合う。このまま。
 穏やかに、熱く、熱く。
 何分も。何十分でも。
「――アリス……私、ドキドキするのが治まらないみたい。もしこのまままた倒れてしまったら、責任もってまた看病してね……?」
「や、やめてよ。……責任なら、倒れる前に持つわよ……その……少しだけ、ね」
「え……」
「お願い――顔、上げないでね。絶対」
 アリスは、片手でパチュリーの右手をそっと掴んだ。
 その右手の掌を、ゆっくりと、パチュリーの顔の横――アリスの胸にまで導く。
 むに、と指が軽く食い込むまで、押し付ける。
「え……え?」
「こ、こうすると、どんなときでも落ち着くんでしょ……ほんとに、少しだけ、だからねっ」
「あ……アリス……」
「顔、上げるなっ……」
 二人、お互いに違う方向に顔を向けて、同時に目を閉じた。
 パチュリーの手が、少しだけ、動いた。
「……っ」
「責任なんて言うなら、ねえ……」
 左耳で、今にも爆発しそうなアリスの心臓の音を聞きながら。
「ちゃんと本当に落ち着くまで、責任持ってもらうわよ?」







「責任ついでにここにメイド特待生契約書があるんだけど」
「いや、それはないから」
「そこをなんとか。住み込みじゃなくても、週7日の通いでもいいから」
「毎日じゃないのっ!」
「ほら、早くレミィや咲夜とも仲良くなれるように手伝ってあげるわ。結局、そこが悩みどころなんでしょう?」
「それは、正直、あるけど……でも、私はまだ魔法の森から出るつもりはないわ」
「そう。つまり魔理沙を先に紅魔館に連れてくればもうアリスが森にこだわる理由はないわけね。名案だわ」
「私よりも難易度かなり高いと思うけど」
「なんて面倒な。そうだわ、巫女に変身して、魔理沙をぼろぼろに貶すとか面白そうじゃない?」
「そうだわ、の前と後がどう繋がるのか全然わからないけど……下手して霊夢を怒らせるのだけは本気でやめておいたほうがいいわよ……」
 開き直りというのか、パチュリーの言動は結局のところ、その後もたいして変わりはしなかった。
 パチュリーが無茶なことを言って、アリスが突っ込む。その構図にも変化はない。
 ただ、周囲の誰もが、空気の変化は敏感に感じ取っていた。明らかに、距離は近くなっていた。
 今日もアリスは本を借りにくる。ついでに魔理沙が奪ってきていた本を回収して返しにくる。
「あ、パチュリー、少しまた髪伸ばしてる?」
「……自分でもあんまりわからないくらいなんだけど、よく気付くものね」
「観察は魔法使いの武器、だからね」
 観察するまでもないことといえば、パチュリーが少しよく笑うようになったこと。
 そして、ますます可愛く見えるようになったということくらいだった。


















【あふたー☆あの魔法でいっぱい遊ぼう】





 アリスに変身してみた。
「……成功?」
「うっわ……自分の姿を外からなんて見たくなかったわ……」
 苦い顔をされた。
 このまえしっかりと観察しておいたから、体つきも頭に入っている。コピーできているはずだ。……バランスが取れていて、うらやましい。何かと。
「目の高さが違いすぎて、新鮮だわ」
 空を飛べばいくらでも高い視点を持てるとはいえ、通常は地面に足をつけて見る世界のほうがずっと多い。いつもは見上げないといけない本物のアリスの目が同じ高さにあるというのは、非常に不思議な感覚だった。
 もにゅ。
 やっぱり柔らかくていい。むにゅ、むにゅ……さわさわ
「んっ……♪」
 感度良好。
 さすがアリスの体、理想的。
「人の体で変なことするなっ!!」
 ばっ。
 残念ながら、この知的好奇心の追究行為は中断させられてしまった。腕をつかまれてしまっては無視することもできない。
「……仕方ないわね。あとで一人で存分に楽しむわ」
「や〜〜め〜〜〜て〜〜〜っ!?」
「いいじゃない。貴女が毎日していることがどんな感覚なのか知る必要があるわ」
「だっ……だから見てるかのように言わないっ! 私は、その……そんな……」
 ぐぐ。アリスの手に力が入る。両腕とも押さえつけられて、身動きがとれなくなった。
 ぐぐぐ。
「……」
 アリスが物凄く微妙な顔で見つめてきた。顔は真っ赤にしながら、困っているような、泣きそうな顔をしている。
 ふと、腕から力が抜けた。簡単に脱出できるようになった。
 がくり。アリスが肩を落とす。
「う、うう……自分を襲おうとしてるみたいで、すごく、嫌な気分……」
 何か葛藤しているようだった。
 おかげでとりあえず自由になれた。
 さて、体はなんとかなった。次はもっと高い次元でアリスになりきらなければいけない。
 今こそ、アリス観察の経験が生きるとき。

(1)アリス的な座り方
 ナチュラルに、しかしスタイリッシュに。
 柔らかいソファに深く腰掛けて、手の甲で頬杖をつきながら、熱い紅茶を飲んで、きらきらとマイナスイオン的なものを発する。
 微かに愁いを帯びた、小さなため息を一つ。
「ふう……やっぱりお茶はゴーヤとバニラビーンズの50%ブレンドに限るわね……」
「台詞もおかしいし私そんなキャラじゃないけど!?」

(2)アリス的な本の借り方
 ぱら……ぱら……
 きょろきょろ。ちらり。どきどき。
 ぱら……
 きょろきょろ。……ごくり。
「わ……すごい、こんなトコまで……」
 ちら。……ちら。
 ……ぱたん。本を閉じて、素早く近くから適当に二冊のなるべく真面目そうな本を持ってきて、その間に今の本を挟む。
「こ、これ、借りていくわねっ……ああ最近人生について考えるのが凄く楽しいわ! カント最高!」
「そんなことしないわよっ!? ……もうちょっと、うまくやってる、つもりだし……」

(3)アリス的な挨拶
「おはよう。パチュリー愛してる」
「……」
「……じーん」
「……自分で言って浸るのって、むなしくないかしら……」

(4)アリス的なツッコミ
「何でよ!? そんなことないわよ!? いい加減にしなさいっ! 意味わからないわよ! え、この雑巾牛乳臭くない? え、この雑巾牛乳臭くない? ちゃんと人間の言葉を話しなさいよ! この豚! ドクササコ! 泥棒魔理沙! 人間の屑! 屑! 屑! 腋毛と同じくらい役立たず! ついうっかり何も着ないで寝て風邪引け!」
「そこまで言わないからー!?」
「そこまで言わないからー!?」
「だああああ真似するなっ!!」

(5)アリス的な料理
 とん……とん……がつん。
 ……がこん。
「たかが包丁のくせに……なかなか抵抗してくれるじゃない」
「あ、あの、パチュリー、無理はしないでね。ゆっくりやれば大丈夫だから」
「今の私はアリスよ。これくらいのこと、できないはずがないわ。テーブル叩いて浮き上がった無数の皮とタネを空中で握って餃子作るくらいのことができなければアリスは名乗れないわ……!」
「いや、できるかもしれないけど。無理しないで、少しずつ慣れていけばいいのよ」
「さらりと凄いことを言うのがアリスの魅力ね。学習したわ」


********


「さて、これで私はもう完璧なアリスよ。パーフェクトアリスなんとかトロトロだわ」
「えええー……うん、まあ、いいや……なんか慣れてきたし」
「そこでスターどっきり大作戦よ。いつもどおり図書館に来た魔理沙。迎えるのは二人のアリス。さあ魔理沙はどっちのアリスの靴を舐めるかしら」
「何がどういう展開になっても舐めないと思うけど」
「さあどれだけ驚いて挙動不審になるか楽しみね。あの魔理沙が」
「私、なんとなく結果が読めるんだけど……」


「……何やってるんだ、パチュリー?」
「ええええええ」
 二人が図書館で雑談しているときに、魔理沙が紅魔館にやってきたという情報を入手して、ついに作戦は実行されたのだった。
 急いでアリスに変身して、いかにもアリスっぽい服を着て、あとは二人少し離れたところに座って静かに魔理沙を待った。
 図書館のドアを開けた魔理沙は、一瞬だけ唖然とした顔を見せた後、偽アリスのほうに向かって実にあっさりと言い放ってくれたのだった。
 どっきり大失敗。
 アリスのほうは、やっぱりか、と言わんばかりの苦笑いを見せつつも、しかしある程度の驚きはあるようだった。
「何よ……もう少し、面白いリアクション取ってくれたっていいじゃない」
「いや、見事な変身で、凄いと思うけどな。そっくりだ」
「そっくりならどうしてわかったのよ。喋ってもいないのに」
「んー」
 ちょい。
 魔理沙はまず髪を指差した。
「髪がちょっと乱れてる。アリスはそんなのでも気にしてすぐに指ででも整えようとするからな」
 次に、指を下に下ろす。
「リボンの結び目が、アリスの癖とは逆」
 さらに下へ。
「座り方。アリスはもう少しだけ、内股気味になることが多い」
 指がくるくるまわった。
 ん、んと小さく呟いて、魔理沙は指をしまった。
「わかりやすいところだと、このあたりか?」
「ねえ……アリス、これ、ストーカーなんじゃない……?」
「あ……はは。魔理沙はいつも、見てないようでよく見てるのよ。ごめん、実は私も、今くらいの癖の違いなら魔理沙も気付くんじゃないかなって思ってた」
「微妙な違いを見分ける観察力が、勝敗を分けるからな。私もアリスにそれを思い知らされてから意識するようになったほうなんだが」
「む……なによ、二人とも目と目で通じ合うそういう仲みたいな空気。これじゃ私だけラッキーピエロじゃない」
「まあ、そう妬くなって。大丈夫、私たちは3人で友達さ、なあ。というわけで友達のよしみで本とか金属類とか持ち帰るがもちろん笑って見送ってくれるよな友達」
「いつの間にか変な商売始めてない……?」


********


 ところでこの魔法を応用すれば、望むままの顔や体に造形できるということに気付いた。
 試しに、顔は変えずに、アリスのような長身ないすばでぃになってみた。
 アリスに見せる前に何かと実験してみる。
 小悪魔に見せてみた。しばらくひきつっていたがやがて大爆笑して床を転げ回り始めた。とりあえず性的な意味でお仕置きしておいた。
 レミリアに見せてみた。普通に引かれた。泣いた。
 咲夜に見せてみた。あら素敵ですね、と表情一つ変えずごく当たり前のように言われた。それはそれで切ない。

 アリスに見せるのはやめた。


********


 調整さえうまくできれば、簡単に理想の自分になれる。
 素晴らしい魔法の発明だったが、問題は効果時間だった。さんざん遊びに使っているが、魔力の消耗は異常に激しく、頑張っても20分ほどしか続かない。
 やはり基本的には一時的に他人になりすまして、潜入、諜報といった活動に使うべき魔法だろう。他人の評判を簡単に落とすことができる恐怖の魔法でもある。
 さて、まあ、そんなことはさておき、せっかくなので今度は思い切りロリ化してみた。
 見た目は小○生、頭脳は大人、設定上18歳以上の美少女の完成である。幻想郷では珍しくもなんともないが。
 小悪魔に見せてみた。きゃーきゃー言われた。抱きつかれた。撫でまくられた。
 レミリアに見せてみた。ため息をつかれた。泣いた。
 咲夜に見せてみた。あら可愛らしいですね、と表情一つ以下略。

 アリスと魔理沙が二人でやってきたという情報があったので、二人に見せてみた。
 アリスは何故か頭を抱えていた。魔理沙は撫でようと何回も手を伸ばしてきたが、そのたびに跳ね除けたら悲しそうな顔をしていた。可哀想。
「いやーでも残念だな。今日はアリスがいっぱいクッキー焼いてきたんだが、その体じゃいつもほどは食べられないだろうな」
 勝ち誇ったように言われた。
 つい服を着たまま変身を解いたら結構大変なことになった。
 でもアリスも魔理沙も赤くなっていたから、それはそれでよしとした。


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 ちょっと嫌だったが、物は試しということで男にもなってみた。
 なれた。
 ウホッ


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 体の一部分だけ性別を変え


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 ロリアリス略してロリスに自分がなってみることを思いついた。
 このときやはり自分は天才なのだと十七日ぶりに実感した。
 もちろん、ロリスを実際に見たことはないので、想像の姿でしかない。どうしても大人のアリスの顔をベースに考えるので、体と顔がアンバランスになって最初はとても苦労した。試行錯誤の日々。ついにアリスの面影を残しつつ見事な造形の美少女が完成した。
 鏡で自らの姿を見て思わず一度気を失ってしまったほどだ。完璧すぎたかもしれない。
「あ、あー。あー」
 声の調整にも余念がない。アリスの声をベースに、少しずつ高さと丸さを加えていく。
「あーあー。……パチュリーおねえちゃんだいすき! およめさんにして! ……なぁんてね……ふふ……」
 鼻血出た。

 ――しかし、幸せな日々は長くは続かない。
 この幼い体も色々と探求しつくした。メイドに頼んでいろんなポーズの写真を撮りまくった。概ね思いつく限りの「ロリスに言われたい台詞・ベスト5000」も録音完了した。言うまでもないが、台詞というよりもはやアレがナニな声も多い。
 そして……結局自分で自分を抱きしめることはできないという、限界を感じたとき、このプロジェクトは終わりを告げた。

 でもせっかくなのでアリス本人にも見せてみた。
 物凄く打ちひしがれて泣いていた。悪いことをしてしまった。
 また、たまたま一緒にやってきていた魔理沙にはダメ出しされた。
「違う、違うぜ。小さいアリスはな、もっと――」
「やあああめええてええええええ」


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 アリスの姿で、アリスを揉んだり触ったり愛を囁いたり舐めたり擦ったりしてみた。
「どう? 自分に責められる気分は? この変質的な感じが貴女好みなのではなくて?」
「う、う……変な癖になりそう……」
 今では定番です。







【あとがき】

 ぱちゅあり!
 ぱちゅあり!

 今回またしても鰻さまに挿絵をいただきましたー! わー! ぱちゅりー可愛すぎ!!!
 いつもいつもありがとうございます!!