ぴぴぴぴぴぴぴ………
部屋に控えめなアラームの音が鳴り響く。
「はい、ここまで」
香里の手が時計のボタンを押すと、その音は鳴り止んだ。
シャーペンを動かしていた名雪と祐一の手が止まる。ため息と共に、手を下ろす。
部屋にいたのはこの三人だけではない。香里と北川、そして同じテストを受けていた栞の3人は時間前にすでに終了していたため、ため息をついたのが二人だけだったという事だ。
特に香里に至っては制限時間80分の所を30分で終わらせている。
「それじゃ、各自自己採点ね」
香里の合図と共に、それぞれが新聞の置いてあるほうに寄って覗き込んで採点を始める。

今年のセンター試験。
『センター試験は、今まで習った範囲内で解ける問題になっているからね。英語、数学、国語くらいはやっておくといいと思うわ』
という香里の一言で、とりあえず休日を利用して集まって新聞に載っていたセンター試験の問題を一斉にやることになった。
…栞が参加していたのは謎だが。「私も家で一応勉強してましたから、出来なくもないと思います」と本人は言う。「他にする事もあまり無かったから…」
数学はさすがに無理だろうが、英語や国語ならそこそこ出来るだろうと香里も賛成したのだ。
来年からもう一度1年生を始める栞にとって何の意味があるのかは疑問だったが―――

結果。

香里―――
 英語:193点
 数学:200点(100+100)
 国語:188点

「…美坂、来年学校行かなくていいんじゃないか?」
「センターは大丈夫かもしれないけどね…。あと1年で二次試験のレベルに追いつかないと」
「香里、天才だよ〜」
「さすがだな。もう俺から教える事は何も無い―――」
「最初からね」

名雪―――
 英語:32点
 数学:8点(8+0)
 国語:21点

「えへ」
「名雪…それはちょっと」
「うぅ〜、祐一がいじめるーっ」
「…まあ、1年あるからな」
「………そうね………」

北川―――
 英語:156点
 数学:172点(92+80)
 国語:161点

「こんなもんか」
「ふん。まあまあだな」
「ほう…お前の結果が楽しみだな」
「北川君も、凄いねっ」
「そんな嬉しそうに言ってる場合じゃないでしょ、名雪…」

祐一―――
 英語:108点
 数学:112点(52+60)
 国語:93点

「ツッコみようがないくらい普通だな」
「もっと面白い結果出してくれると思ったのに、がっかりだわ」
「祐一、つまんない」
「………俺が何をした…」

栞―――
 英語:168点
 数学:100点(100+0)
 国語:136点

「………………」
「………………」
「………………」
「あら栞、頑張ったわね」
「うんっ」




香里お姉さんの受験講座♪

第4話




「学校って何だ?」
「相沢君、いきなりそんな致命的な所を突かない」
ドラ焼きを片手に、ある意味永久のテーマとも言える大きな議題をぶつける祐一。
もっとも今回は別に教育のあるべき姿がどうとか倫理観とかそんな大層な話をしているわけではない。
祐一は横目で軽く隣を伺う。
初めて一緒の席についた栞がひとり、スプーンでバニラアイスをすくっている。
「ここに1年間全然学校に行っていなかった学生がいる」
「そうね」
「はい」
「ちなみに向こうには2年間学校に通っていた学生が今魂を失っている」
「2年間………わたしの2年間……時………変わらない…平等……何が………」
「だ、大丈夫だって水瀬さん。あと1年こうやって一緒に頑張っていれば―――」
香里、栞、祐一の固まりから距離にしておよそ2メートル離れたところで名雪が天井を見上げながら何やら不明瞭な言葉を呟きつづけている。その隣では北川が律儀にフォローを入れている。
「………で」
少しだけ気の毒そうにその画面を眺めてから、祐一は手元の紙を指差して続ける。
「何気に数学は1年の範囲100点だし」
「他二つはあんたより上ね」
「英語は北川さんにも勝ちましたー」
「……1年…わたし……私……妹………」
「み、水瀬さん、俺の声、聞こえる?」
2メートルの差がそのまま世界を隔てる。
香里側が晴れならさしずめ名雪側はくもり時々雨所により雹といったところだ。
「………栞、留年して来年からまた1年生なんだよな?」
「出席日数が足りませんから」
「そりゃもう全然ね」
「―――わかった!!入院だねっ!?」
「わ、わ、水瀬さんっ、どこからともなくデザインカッターなんて取り出さないで落ち着いてっ!良くわからないけど多分今かなり間違った方向に歩んでるっ!」
「や…やっぱり病気のほうじゃなきゃダメかな?」
「さらに違うっ」
「………」
祐一はしばし無言で向こう側の世界を観察しながら。
「間違ってるよな、なんか」
ため息と共に思い切り言葉を吐き出した。


なし崩し的に休憩時間。
「なあ、香里」
「何よ。あたしの心休まる時間を邪魔するからにはとっても面白い話でもあるんでしょうね。つまらない事だったら蹴るわよ。3回。膝関節を横から」
「そんな香里が大好きだ」
とりあえず脛に一発。ソファに座っている香里からは自然に一番狙いやすい場所だったから。
いい感じに鈍い音がした。
「………で?」
「………」
「ほら、うずくまってないでさっさと話しなさいよ。あたしが貴重な時間を割いてあげてるんだから」
「うぅ」
うっすらと涙目で祐一はゆっくりと立ち上がる。
「そ…そんな大した事じゃないかもしれ―――」
「………」
「いや足を振り上げるのはまだ早いと思うぞちゃんと聞いてくれると祐一的にとってもハッピー」
「で?」
香里の足元をちらちらと気にしながら、祐一は小声で続ける。
小声になったのは単に香里を満足させる自信が無いからだ。
「栞の事なんだが。あいつ実は昔からかなり頭いいとか…?」
「別に頭良くなんてないわよ。勉強できるだけ」
「つまり、いいんじゃないか………」
「どうかしら」
ふらふらと狙いを定めるように宙を彷徨っていた香里の足が、すっと床に落ち着く。どうやらそれなりにお気に召したらしい。
ただ足が疲れただけだという説も否定しきれないが。
「雪の中に埋もれながらアイス食べる子が頭いいとはとても思えないけど」
「………あー…いや。それはまあ実に納得できる意見だが…ま、まあ、それはやや特殊な趣味という事で片付けても」
「…じゃあ相沢君、もし全く見知らぬ女の子がそんな事してたらどう思う?」
「今までの人生で色んな事を経験してきたんだろうなぁこれからも強く生きろよフォーエバーと柱の影から見守るくらいの気分で」
ずず、と香里がお茶を啜る音。
ふーーっ…一口飲んで大きく息を吐く。
…なんとなく間に耐えかねて、祐一もお茶を手に取ってマネをする。
ずず………
と、微妙な空気が漂う部屋を打ち砕くようにがらがらと音を立てて、居間の引き戸が開いた。
「あ………」
栞がその向こうに立っていた。ちょっと驚いたような顔で一瞬立ち止まる。
「ご、ごめんなさい…もしかして、二人でラブラブなところお邪魔してしまいました…?」
「栞。冗談でも言っていい事と悪い事があるわよ。後でとっても痛いことしてあげるから部屋に来なさい」
「ぅぇ!?ごめんなさいごめんなさいっ…わわ悪気があって言ったわけじゃないの…っ!」
「つまり本心でそう思ったってわけね。5分追加」
「い………いやああぁぁぁっ!!アレだけはっ!!許してっ!!!」
「静かにして。近所迷惑でしょ」
ごすっ。
香里が一瞬で投げつけたクッションがやたらに重い音を立てて栞の顔面に直撃する。
栞はあっさりと、クッションを顔で抱いたまま後ろに倒れ込んだ。
ゲームセット。
祐一は冷や汗を体中に流しながら固まっていた。今目の前で繰り広げられた現実に、どこからツッコんでいいのか…というか少しでも介入して自分が大丈夫なのか…
「え―――えーと。香里?」
とりあえず、呼びかける。
香里は祐一の声はまるで気にしないようにすくっと立ち上がって、居間の入り口のほうに歩き出す…
倒れている栞のほうに。
クッションを無造作にどけると、片手で栞の体を肩に担ぎ上げた。
「相沢君。これ、戻しといてね」
余った片手で先程のクッションを手にとり、ぽんっと祐一のほうに投げる。
「あ、ああ―――ってぐおぁっ!?」
ぐしゃり。あるいは、ぴしり。
受け取った瞬間、筋肉がきしむ音が聞こえた。
「な…なんじゃこりゃっ!?10キロはあるぞおいっ!?」
半端でない力積を喰らった腕が断末魔の悲鳴をあげる。脱臼していてもおかしくない衝撃。
何が入っていたらこんなに重くなるのか。
何のためにこんなものがあるのか。
さっき香里はこれをノーモーションで3メートル近く離れた居間の入り口に投げたように見えたのは目の錯覚という現象なのか。
「家にいたら体鈍っちゃうでしょ。鍛えないと」
祐一の心の疑問に一つだけ答えて、香里は栞を肩に担いだまま階段を上っていった。普通に歩くように。
とん、とん、とん………と軽快な足音が聞こえる。
「………なんでやねん」
ツッコミどころが多すぎて、そんな最も単純な言葉しか出ない。
一瞬で静けさが戻った広い部屋に、祐一は一人取り残される。
休憩時間が終わるまで、あと3分。
「…名雪の様子でも、見てくるか」
順当な結論だった。
隣の和室―――



「もう大丈夫?」
「うん………ありがとう北川くん…そうだよね、落ち込んでたって何にもならないよねっ」
「ああ。水瀬さんもきっと―――」
「…名雪」
「え?」
「名雪、って呼んでくれるかな…?そしたら何か凄く頑張れそうな気がするんだよ………そ、その…北川くんがイヤじゃなければ、なんだけど…」
「え…あ、ああ―――」
「呼んでくれる?」
「…なゆき………さん」
「名雪」
「…名雪」
「うん♪」
………………………
…祐一は戸を開けず、そのまま立ち去った。



今日の勉強会は、あと少しだけ続く。




続く。


【なかがき】

そろそろ少しずつ事態を進めていきます♪
ホントはもっと急展開にしようかと思ってましたが…まあいきなりなのもアレですし
次辺りで。

今回は笑いどころがあんまりないかも知れません。なんか不調ですごめんなさい。
このシリーズは笑えなかったら何にもならないと個人的には思ってたりするのでもっと頑張りたく思います。マル。

さて―――
とりあえず、9話完結を目標に。
まだまだ続きますっ