商店街を一人、歩いていく。
 特にこれといった目的はない。本屋にでも行って何か面白いものがあったら立ち読みしていこうか、くらいの気分だ。ずっと家にいても退屈だし、ずっと勉強しているほど真面目ではない。
 適当に色んな建物を眺めながら、自分のペースで歩く。
 そういえば。ふと思う。
 こうして自分の歩調で商店街を歩くのはとても久しぶりのような気がする。
 いつも誰かしらと一緒だから、ゆっくり目に歩いていた。自分のペースというものを忘れてしまっていたのではないかと思うほどに、一人でここに来るということは珍しかった。
 祐一はそんな事をしみじみと思いながら、角を曲がってこの商店街で一番大きな本屋に向かおうとする。
 その、途中。
「あ、祐一さん。こんにちは」
 横のほう、割と近くから声がかかった。
 のんびりした、底抜けに明るさだけをどこかから取り出してきたような特徴的な声。
 祐一は体ごと振り向く。
「よ、久しぶり」
「久しぶり、というほどでもないですよ〜。2週間前にもここでお会いしましたから」
「そうだったか」
「はい」
 倉田佐祐理。本来なら道端でこのように親しく話せるような相手ではない、正真正銘のお嬢様である。
 祐一の一つ上の先輩で、半年前に先に卒業している。今は大学生生活を送っているらしい。
 思えば確かに、この人の多いところで偶然、にしてはよく会うほうかもしれない。小さな街であるということを考慮しても。
 佐祐理は、少しきょろきょろと周囲を見渡して、その後祐一の顔を覗き込む。
 彼女にしては珍しい仕草だ、と祐一は思った。何が具体的に珍しいと言えるわけでもないが。
「……どうした?」
「今日はお一人ですか?」
 佐祐理はちょこんと首を傾げて問う。
 ただ問うてみただけという様子ではなく、疑問を顔に浮かべて。
「ああ」
 祐一もそんな彼女の様子に心の中で首を傾げながら、簡単に答える。
 お誘いという感じでもなさそうだ。
「はえ〜……どうかなさったんですか? 水瀬さんと喧嘩でもしちゃいましたか? ダメですよ、意地になってないで喧嘩は早いうちからお互いが歩み寄って仲直りしないとどんどん凝り固まって溝が深まるばかりなんですから。あ、それとも体調を崩されたのでしょうか? それならちゃんと看病してあげないとダメですよー。あ……もしかしてそれとも」
「……あ、あの、佐祐理さん?」
「はい?」
 急に勢い込んで話しだした佐祐理にリアクションに戸惑いながら、祐一が言葉を挟む。
 とりあえずぴたっと言葉を止めてくれたので、次に何を言おうかを考える。
 ――真っ先に言うべきことは、一つしかなかった。
「えーと……とりあえず、名雪なら昨日から陸上部の合宿なんだが」
「あ、なるほどそうなんですか〜。佐祐理、早とちりしちゃいました。ごめんなさい。そうですよね、合宿なら一緒についていくわけにはいきませんからね」
「あ、ああ……」
 心底からほっとした、という表情と声音になる佐祐理に少し圧倒されながら、肯定の返事を返す。
 彼女は実に満足げな笑みを浮かべていた。
「それで一人寂しく街に出られているんですね……祐一さん、とっても辛いと思いますけど離れ離れになったぶんお互いがより惹き合うこともありますからっ……強く心を持っていてくださいね」
「……えーと……あの、佐祐理さん」
「はい、なんでしょう?」
 祐一は頬につつーっと汗を流しながら、あまり聞きたくない質問を投げかける。
「俺が一人で歩いているのは、そんなに珍しい……ですか?」
 思わず敬語。
「佐祐理、びっくりしちゃいました。どこ見ても水瀬さんの姿がなくて。それで何があったのかとっても心配になってしまいまして……でも早とちりと分かって安心しました」
「い、いや。俺はいつもずっと名雪と一緒ってわけじゃ」
「違うんですか?」
 純然たる疑問で返された。
 皮肉や揶揄のトーンは、その言葉の中には全くない。
 佐祐理は、言葉通り「違うんですか?」と――尋ねている。
 祐一は言葉に詰まる。
「お二人はいつでも一緒……と、言うよりは共同体みたいなものだと思ってました。佐祐理、お会いしたときは必ず『祐一さん、水瀬さん、こんにちは』ってご挨拶をするように心構えしてましたのに……今日はその半分しか言えなくて寂しかったんですよ〜」
「半分て」
「一人の祐一さんを見ていると、そこにあるべきものが足りないようで……なんだか落ち着きませんーっ。不足なんですっ」
「……」
 今度こそ完全に普通の返事にもツッコミにも言葉が全く出てこなかった。
 自信たっぷりに言われると反論する気も起きなかった。
 祐一は少しあさっての方向を向いて、なんとなく街の音や人々の喧騒に耳を傾けて、時折吹く風を体に感じていた。今日はこの風のおかげで少し涼しい。
 ……
「……佐祐理さんも、今日は舞と一緒じゃないんだな」
 反撃という意図があったことは否めない。
「はえ? はい、見てのとおり佐祐理一人ですよー」
「えーと。佐祐理さんこそいつも舞と一緒ってイメージなんだけどな」
「あははーっ。何言ってるんですかー。佐祐理も舞も別々の一人の人間なんですから、いつも一緒なんてことあるわけないじゃないですかー。佐祐理、舞のおまけみたいに見られていたなんて……悲しいです」
「……」
 祐一は空を仰いだ。
 いい快晴の日だ、と思った。
 ひゅるり、と強い風が肌を撫でていった。



「よ、天野。偶然だな」
「……相沢さん」
 本屋の中、適当にぶらぶらしていると、雑誌コーナーで美汐の姿を見つけた。
 天野美汐。一つ後輩の女の子だ。
 祐一が声をかけると、ぺこりと行儀よく頭を下げて挨拶を返してきた。
「天野もよくここ来るのか?」
 小さな街だけに、このような場所だと知り合いに出会う事も多い。ここに来れば日常欲しいような本はある程度揃うので自然に集まってくるのだ。
 ――故に、あまり買うところを見られたくないような本は少し遠くまで出かけて買うことになるわけだが。
「ええ」
 そんな事を考えながら今いるコーナー、少女〜女性向けの漫画雑誌が並ぶ一角を軽く見渡す。
 祐一にはあまり縁の無い場所だ。
 そういえば、以前一度だけこの本屋で会った時もこのコーナーだった。
 美汐は特に何を手に取っているでもなくコーナーを眺めていたところからすると、お目当てのものがまだ見つからないのか、あるいは祐一と同じく特に目当てがなくなんとなく見ているだけかどちらかなのだろう。
「ちょっとした暇つぶしにはやっぱりここだな。天野、最近なんかお勧めの本とかないか? そういうの詳しそうだし」
「お勧めの本、ですか……相沢さんがどのようなジャンルをお好みなのか分かりませんから」
「それもそうだな。いきなり全ページ鉄道の写真ばっかり載ってる本をお勧めとか言われてもどうしようもないしな……」
 唸る。
 もし本当にそれをお勧めされたら、別の意味で面白いとは思うものだが。意外性のある女、天野美汐。印象度プラス5ポイント(人によりマイナス)といったところか。
 そんな極端な話ではなくとも、どんな本が紹介されるかはなかなかに興味深いところではある。読んでいる本で趣味やある程度の性格も分かるものだ。
 などと考えていると、美汐がじーーーー……っと祐一の顔を眺めていた。
「あの」
「ん?」
「一つ、お伺いしてよろしいでしょうか?」
「どうした、改まって」
「……水瀬さんは、今日はいらっしゃらないのですか?」

 なんとなく、上を見上げてみた。
 空ではなく、天井がそこにあった。
「……俺が、一人でいるのは、珍しいか?」
 焦らないように。
 意識して言葉を区切りながら、質問を質問で返す。
「少なくとも私は、相沢さんが一人でいるところを見たのはとても久しぶりです」
「……そうなのか……」
「はい。街中でも、学校でも。お二人はどこに行く時でも離れないものだと思ってました」
 真剣な顔で、美汐が言う。
 2人続けての攻勢には、祐一もさすがにかなり動揺する。
 確かに今日も、名雪が合宿に出かけていなかったら恐らく一人でここに来ていることは無かったであろうと自覚はあるだけに。
「いや、さすがに風呂とかトイレとかは一緒じゃないぞ?」
「そう……ですか」
「……なんでちょっと意外そうなんだ」
「ちなみに寝るときは?」
「………………まあ、そんなことより。名雪は今陸上部の合宿でしばらく家にいないんだ」
 視線を横にずらして、話を軽く逸らしてみる。
「なるほど、そういうことでしたか。寝るときも一人で寂しいでしょう」
 逸らせなかった。
「……しくしく」
「寂しいからと言って、今泣かなくてもいいと思いますよ?」
「いや、そうじゃなくてね……」
「寂しさを紛らわせるために本、なのですね。その気持ち、よく分かります。よろしければとても素敵な恋愛小説を紹介いたしますが」
 美汐は、結構マイペースなほうらしかった。
 というより、祐一は、自分の周囲でマイペースでない女の子を一人として知らない。
「……謹んで遠慮させていただきます」
 本当は、ちょっと読んでみたかった。



「あら、相沢君」
「名雪が一緒じゃないのは陸上部の合宿で今家にいないからだが、そうでなくても俺は別にいつも絶対に一緒にいるってわけじゃないぞ、よし、こんにちはだ、香里」
「……名雪がいない理由と、今日これまでに相沢君に何があったかの両方が的確に分かる見事な挨拶だと思うわ。ありがとう」
 本屋を出て、なんとなく空虚な気持ちで街中をさらにぶらぶらと歩いていると、後ろから声をかけられた。
 祐一は振り向いて顔を確認する前に挨拶を返していた。
「そういえば合宿の事言ってたわね……大変ね、受験生なのに夏休みに合宿なんて」
「まあ、これで最後だしな。張り切ってたぞ」
「あたしは、名雪が無理矢理にでも相沢くんを引っ張っていかなかったのがちょっと意外だけど」
「……さすがに、部活の合宿だとどうしようもないと思うが」
「そうかしら? 荷物の中に隠して持って行くとか――」
「――荷物の中に、何を隠すって?」
「相沢君」
「……」
「奇跡は起こすことができるから奇跡なのよ」
「そんなカッコいい台詞使う状況じゃないと思うわけで」

「ね、相沢君、暇で寂しいでしょ? ちょっと付き合わない?」
 よく分からない会話を繰り広げていると、香里が言い出した。
「まあ、暇なのは事実だ。寂しくはないけどな、別に」
「無理しちゃって」
「あのなあ、別に2日や3日会わないからって――」
「百花屋でいいわよね? あ、おごってあげるってわけにはいかないけど」
「どいつもこいつも話聞かない奴らばっかり揃ってるな、俺の周囲って……」
 ため息をつく祐一の手を、香里がぐいと掴む。
「さ、行きましょ?」
「はいはい」
 そのまま、引っ張られるように歩いていく。

 からんころーん。
「いらっしゃいませ〜♪ あら、祐ちゃん……に、香里ちゃん? あらあら、どうしたの〜? まさか乗り換えちゃったの? いえ、そんなはずないわよね。これはアレでしょ。なゆちゃんにプレゼント買うのに友達に相談に乗ってもらってるっていう、あ、でもお約束どおりそういうのって目撃されちゃったりするから気をつけなきゃダメよ〜」
「帰る」
 ……からからーん。
 ぱたん。
「……あらぁ」
 店内に、静寂が立ち込めた。
 しーん。
 ……
 からんころーん。
 一度閉まった入り口のドアが、再び開けられた。今度は香里のほうが先に立って、祐一の服の首のあたりを掴んで引っ張っている。
「ごめんなさいね、相沢君が照れちゃって」
「あらあら、大変ね〜、香里ちゃんも」
「誰が何に照れてるんだっ!?」
「2名様ですね〜。お席ご案内しま〜す」
「やっぱり無視かよ……」
 がっくり。
 ずるずる。
 そうして、そのまま席まで引っ張られていった。

「本日のオススメは」
「アイスレモンティー。以上」
「……言わせてもくれなくなったのねぇ……祐ちゃんってばいつの間にそんな冷めた男の子になっちゃったのかしら。お姉さんは悲しいわ」
「ごめんなさい、相沢君、名雪がいなくて寂しくて荒れてるの」
「誰が!?」
「大変ねぇ。合宿じゃ仕方ないわね〜。大丈夫よ、祐ちゃん。寂しくてもこんな素敵なお友達がいるんだから」
「……うう」

 つー。
 よく冷えたレモンティーが喉を通って、体を冷やしていく。
 大して秀逸な味わいというほどでもなく、どこでもあるような普通のレモンティーに過ぎないのだが、熱い夏には実に美味しく感じられる。
 まさに、癒される。
「3日間ね……溜まっちゃって大変なんじゃない?」
 ぐぽほッ
「っ☆@@×!?」
 げほ、げほっ……
 咽た。
「もう、何やってるのよ。落ち着いて飲みなさいよ」
 香里は平然とカフェオレをストローで吸ってから、楽しげに言った。
「お、お、お前な……っ」
「落ち着いて、落ち着いて。なでなでしてあげよっか?」
 少し涙目で睨みつける祐一を平然とかわしながら、対面に向かって少し手を伸ばす。
 祐一は目を閉じてそれを軽く払いのける。
「香里が変な事言うからだ……」
「ん? 変な事、言ったかしら?」
「……溜まるとか、言うな」
「あら。でも一人だと寂しくてストレス溜まっちゃったりしない?」
「……」
「何よ。睨みつけたりして、怖いわね。あ、でもちょっと半泣きなところが可愛い」
 ストローに口をつけて、香里はくすくすと小さく笑う。
 うー。
 祐一はストローを手の中で弄りながら、唸った。
「やっぱり俺、お前のこと嫌いだ」
「あら残念。あたしは大好きよ」
「……ぇ」
 適当に流されるかと思っていた言葉に、予想外の返事が返ってきて、祐一は固まる。
 相変わらずのポーカーフェイスで、何を考えているのかは全く読めない。
 ごくり。唾を飲む。
「そんなに意外かしら? あたしがあたしの事を大好きで」
 香里は、今度こそにっこりと微笑んだ。
 とてもいい笑顔だった。男5人くらいは一気に落とせそうなほどに。
「……やっぱり、嫌いだ」



「ふう」
 からころーん。
 休憩に入ったはずの百花屋を出ると、何故か逆に入る前より疲れていた。
 何故かも何も、理由は考えるまでも無かったわけだが。
 とは言え、出てみるとやはり、暑い。冷房が効いていたぶんだけでも体は休まっているはずだ。
 てくてく。当ても無く歩いていく。
 後ろから香里がついてきているが、歩調を合わせたりはしない。自分のペースで歩く。
 香里もそれに文句を言うでもなく、ただしっかりとついてきていた。
「というか、香里も結構暇人なんだな。勉強しなくていいのか?」
 くるり。振り返って、言う。
 香里は、目をぱちくりとさせて驚いていたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「そのセリフ、相沢君があたしの今までの勉強量の5割でもやってくれたなら素直に聞いてあげる」
「……痛すぎる言葉だ」
 一気に体が重くなった。
 ……
「せっかくだし、一緒に勉強会でもする? というかあたしが見てあげよっか?」
「……いや、遠慮しておく」
「そう」
 そして、また歩きだす。

 それを見つけたのは、なんとなく視界の端に留まったから。
 ファンシーショップのショーウィンドゥ。
「あ……」
 見覚えのある、カエルのぬいぐるみ。
 いつも見ているものとは少しタイプが違うもののようだ。
 近くに寄って、よく見てみる。違いとか、どれくらいの値段なのかとか。
「どうしたの?」
 後ろから疑問の声がかかる。
 祐一はウィンドゥを覗き込んだまま指差して答える。
「ほら見てみろ、けろぴーだぞ。よく見てみるとこっちのほうがちょっと大きいのかな? それにしても結構高いんだな……やっぱりそんな可愛いとも思えないけどなぁ……なあ、名雪?」
「……」
 反応が無い。
 おかしい。いつもならすぐに食いついてくるはずなのに。
「名雪?」
 くるり。
「……あ」
 ……振り向くと、香里がじっと祐一を見つめていた。
 …………
 ……間。
 にっこり。香里が微笑んだ。
「そうだね、祐一。わたしこれ欲しいな〜」
「だああああああああっ! うがーーーーーーーーーっ!!」
 ごんごんごんっ
 祐一が叫びながらガラスの窓を叩く。
 消えてしまいたかった。
「どうしたの、祐一? そんなことしたらダメだよ〜〜」
「うっさい! やめれっ! 誰にだってミスはあるっ!」
「あ、顔真っ赤。可愛い可愛い♪」
「……しくしくしくしく」
 一度上げた顔をまた伏せる。
 よりにもよって香里相手にこんな痛恨のミスをしてしまうとは。
「ねえ、やっぱり名雪がいなくて寂しいんでしょ? あたしが名雪になってあげよっか」
「ほっといてください」
「いちごいちご〜。ねこ〜」
「あんまり似てないっていうか似合わないしっ。……というか、お前、自分の親友をどんなイメージで」
 ――もちろん。
 その後歩きながらも散々からかわれるのだった。
 香里の名雪真似は、特徴は捉えているもののあまりに似合わないということが判明した。



「相沢さん」
「ん?」
 ばったり。
 今度は道の真中で、真正面から出会った。
「天野。今日2回目だな」
「そうですね。こんにちは」
「相沢君のお友達?」
「ああ」
 香里が祐一の顔をちらと覗き込んでから、尋ねる。
「初めまして、天野さん」
「初めまして。よろしくお願い致します」
 目礼。
 顔を上げて――そして、何か言いたそうな視線で祐一と香里を交互に眺めている。
 じー。
「あの、一つお伺い――」
「浮気じゃないぞ、言っておくが」
「――そうですか」
 美汐は神妙な顔つきで、また二人を交互に見つめる。
 複雑な表情をしている。
「そうそう。相沢君が名雪がいなくてとっても寂しくて泣いちゃいそうって言うからあたしが今日は代理をしてあげてるの。ね、祐一♪」
 ぎゅ。
「わっ!?」
 唐突に腕に抱きつかれ、祐一は慌てる。
 ふわ、と香里の長い髪が肩と腕をさわさわと撫でていった。
 腕にしっかりと香里の体温を感じる――
 ぴと。これだけ密着していれば当然だった。
 美汐はじっと、視線を下げて、抱きついている腕のあたりを数秒黙って眺めて……
「……失礼しました」
 くるり、と身を翻した。
「あああ。待て待て。なんか誤解してるまま去るんじゃないっ」
 ぐいっ。
 手を伸ばす。
「やんっ。もう、わたしがいるんだから他の女の子を追いかけるなんてダメだよっ」
「だあああっ!? お前もわざわざトラブルを招くな!?」
 くる。
 香里と祐一がもみ合っている間に、美汐はまた振り向いた。
「本当に、寂しいのですね……どうしても寂しくて死んでしまいたいなんて気分のときは私もご協力しますから……電話、してくださいね。早まらないで」
 ぺこり。
 そして深く頭を下げた。
 くるり。
 また向こうを向いて、今度こそ歩き出した。
 ……
「いい子ねぇ」
「言う事はそれだけかっ」
「うん」
「……とりあえず、腕、離してくれ」
「はいはい」



「祐一さん、水瀬さん、こんにちはっ」
「……」
「こんにちは、先輩」
「あははー。佐祐理はもう先輩じゃないですから、どうぞ佐祐理と呼んで下さい」
「ええと……やっぱりあたしにとって先輩は先輩、ですから」
「はえー。そうですかー……」
「……なあ、佐祐理さん」
「はい?」
 佐祐理とも2回目の遭遇。
 今日はずいぶんと知り合いに会う日だ。たまにこんなこともある。
 祐一は、隣の女の子の肩を掴んでずい、と前に一歩押し出した。
「これが、名雪に見えるか?」
 当人も何も反論せず普通に会話を続けていたが。
 佐祐理はきょとん、と首を傾げる。
「何言ってるんですかー。祐一さんの隣にいる女の子なんですから、水瀬さんに決まってるじゃないですか。不思議なこと聞きますね、祐一さん」
「い、いや、そういう問題じゃなくて……ほら、もっと自分の目を信じて……」
「はえー……どうしちゃったんですか、祐一さん。何かあったんですか?」
 佐祐理は香里のほうを見つめて、言う。
「たまにこんな時があるんですよ」
「はえ……大変ですねー……」
「なんか俺が間違ってるかのように!?」
 頭を抱える。
 空気中に吠える。
「やっぱりずっと離れていることができなくて帰ってきたんですね、水瀬さん。よかったですね、祐一さん。これで佐祐理も落ち着いて今晩眠れますー」
 にこにこ。
 一切の作りのない笑顔で、佐祐理が言った。
「それでは、お邪魔者は失礼しますねー。ちゃんと仲良くやっていてくださいね。おやすみなさい、祐一さん、水瀬さん」
「……ばいばい」
「お元気で、先輩」
 元気よく手を振って、彼女は去っていった。
 何やら茫然自失としている祐一と、平然と手を振り返す香里を残して。



「付き合ってくれてありがと。今日はなかなか楽しかったわ」
「ああ……なんというか、色々と価値観が崩壊した1日だったというか……」
「じゃ、あたしは帰るけど、相沢君、一人で大丈夫?」
「なんで俺が心配されてんだ」
「寂しくて泣いたりしない?」
「するかっ」
 なんだかんだで、3時間くらいは一緒にいた。
 やっぱり一人で歩いている時間のほうがずっと短かったのだ。思い返してみれば。
 結局こんなものなんだな、と改めて思う。
「それじゃね。……あ、そうそう、ちゃんとチェックはしてると思うけど、電話でエッチなことするときは親のいない時間帯をちゃんと」
「帰れ!」
「はいはい♪ 頑張ってねー」
 にやにや笑いを浮かべながら軽く手を振って、くるっと身を翻して歩き去っていく。
 後ろ姿を、睨みつけながら見送る。
「まったく……」
 ため息をつく。
 そして、反対方向に歩き出す。
 電話で、なんて。
 部活の合宿だというのに。
 電話するにも公衆電話を使うくらいしかないだろうに。
 公衆電話で……
 人気の無い場所を探して、公衆電話のボックスで一人、体操服の名雪が――
「う、わ、わ」
 ぶんぶんっ
 余計な妄想を頭から振り払う。
 ……少し手遅れだったので、しゃがみ込む。
「うううう」
「あ、さっそくエッチなこと考えてるー。やーらしー」
「のわああああああっ!?」
 どしんっ
 わたわた……
 真上から香里の声がして、驚いて尻餅をついて後退る。
「か、帰ったんじゃないのかっ」
「んー。やっぱり、相沢君が寂しくてつい適当に見つけた女の子襲ってないか心配で」
「するかっ!」
「そうねぇ。犯罪者になるくらいなら、あたしのこと呼んでくれてもいいからね♪」
「いいから帰れ」
「照れちゃって、もう。分かったわよ。ばいばーい」
 くるん。
 すたすた。
 祐一は、地面に座ったまま、今度こそ遠くに行くまでしっかりとその姿を見届けた。

「……ふう」
 ため息をひとつついて、立ち上がる。
「俺が一人だとそんなに危なっかしいってか……俺は一人でも生きていけるっての」
 ひゅるり。
 夕方のやや肌寒い風が吹く。
「……」
 てく、てく。
 自分のペースで歩いていく。
 家まであともう少しだ。
 周囲から見られるほど、いつでも一緒にいないと耐えられないなんてことはない。
 ただ一緒にいると気持ちいいからいるんであって、少し分かたれたからと言って、心が離れたわけではない以上そんなに寂しいなんてことはない。
 ――と、思っているのに。周囲はそうは見てくれないようだ。
 ひゅるり。
「……さむ」
 てく、てく。
 自分のペースで歩いていく。
「……うー」
 日が沈んできた。
 商店街を離れ、人が少なくなってきた。
 暗くなってきた。
「……」
 一人でここを歩くのは、本当に久しぶりだった。




 Epilogue




 ぷる、ぷるるる……
 かちゃ。
「もしもし」
「わ、早い……こんばんは、祐一♪」
 1コール鳴りおわる前に電話に出る。電話の向こうから驚いたような声が返ってきた。
 どきっとした。電話越しの聞く声は少しいつもと違っているが、ほぼまる1日ぶりに聞いた名雪の声だ。
「今日は1日すっごく頑張ったよ〜〜。もうへとへとー。でもあとちょっとだから、もっともっとがんばるよ」
「名雪」
 ずっと電話の前に立っていた。足がちょっと痛い。
「ん?」
「会いたい」
「わ。うん、わたしもだよ」
「会いたい……」
「……う、うん。どうしたの? やっぱり寂しいの?」
 自分の声が少し震えているのに気づいた。
 名雪も気付いているのだろう、珍しく少し戸惑ったような声で帰ってきた。
「………………そう、らしい。悔しいけど」
「ありがと、祐一。嬉しいよ。……んーと。来る?」
 それは、合宿に出る前に散々名雪から誘われた計画だった。
 ほとんどずっと練習だけど、休憩時間や夜くらいは会えるよ、とか。
 祐一は別の部屋に一人で泊まっててくれれば会いに行くよ、とか。
 いくらなんでも合宿くらいはちゃんと集中してこいよ、とうんざりしながら祐一は断ったものだった。
 そう。これがまさに名雪の陸上部生活におけるラストスパートなのだから。
 邪魔をしてはいけない。
 というか、それ以前にいくらなんでもそれだけの間離れるのも耐えられないなんて行き過ぎだと思った。
 祐一はふう……と深くため息をついた。
 なんだか、痛む足が少し癒えたような気がした。
 受話器の向こうから、名雪の息遣いが聞こえた。
「行く」






【あとがき】

お久しぶりですっ><
大変お待たせしてしまいました。久しぶりのSSですー
whiteを読まれた方ならすぐ分かると思いますが、そのアナザーバージョンとなっております。
祐一と名雪がすでにラブラブだった場合♪
話の流れはもうほとんど同じです。
ただし、出来はwhiteのほうがいいです(/_;)

メインキャラ指定こそ「名雪」ですが、メインはやっぱり香里の祐一くんいぢめです♪
これが書きたくてやったお話ですからね
佐祐理さん、たまに出番あったと思えばこんなキャラに……

ではでは。
感想しっぽりとお待ちしておりますーっ><