「…お、美汐発見」
 季節の変わり目、急に寒くなった道。
 商店街の景色も少しずつ冬色に染まってくる頃。
 彼女の姿を近所のコンビニで見かけたのは、”上だけパジャマでベッドの上にちょこんと女の子座りしている”美汐とか”体操服とスパッツのままで家まで遊びに来た”美汐とか、”体にプレゼント用のリボンを巻きつけた”美汐とか…を、『思い出し』ながら――全部俺がさせたものだが――、心の中で一人ごろごろ転がって暖房替わりにしていた時だった。
 さっきまでの脳内暴走のせいか、姿を見た瞬間、寒さは一気に吹き飛んでいた。
 偶然こんな所で会えるなんて何とも素晴らしい。やはり俺たちはお互い何か見えない力で引き寄せ合っているに違いない。愛の力だ。ラブのパワーだ。
 美汐はまだこっちには気付いていない。何やら雑誌を読んでいるようだ。ガラス越しに既にかなり近い距離まで近づいているのだが、気付く気配はない。
「ふむむ…」
 とりあえずは、中に入ったほうが良さそうだ。気付くまで外まで待っているというのも面白い選択肢ではあるかもしれないが――


   ふう、と息を吐いて雑誌をぱたんと閉じた美汐の目が、あるものを捉える。ガラスの向こう側に。
  「……!? あ、相沢さんっ!?」
   俺はにこり、と笑顔を浮かべたままその場で待つ。
   慌てて店から出てくる美汐。
   ぱたぱた、と走り寄ってきて。
  「よ、お疲れ」
  「相沢さんっ…い、いつから見てたんですかっ!?」
   少し拗ねたような声で、どうしてすぐに声をかけてくれないのかと非難するように。
  「いつから、か」
   俺はふふ、と優しく微笑みかけて美汐を抱き寄せる。すっかり冷え込んだ体で。
   突然のことに、きゃ、と小さな悲鳴をあげる美汐。…抵抗は、しない。
  「俺は1年前からずっと美汐の事しか見てないさ…」
  「あ……」
   冷えた体から、ただ唯一生み出される熱い声を彼女の耳元に届けて。
   美汐は目をゆっくりと閉じて、俺に体を預けてきた――


 …面白いかもしれないが。
 下手をしてずっと待たされていると非常に空しい上に周囲の視線が痛いという難点がある。
 それに、何やらずいぶんと真剣な表情で読みふけっているように見える。何を読んでいるのか、気になるではないか。
 …気になるではないか♪
 結構負けず嫌いなところがあったりするし、若い感性を身につけようとファッション雑誌でも読んでいるのかもしれない。本人は全くそんなもの興味がないとよく言っているが、最近明らかに私服時の雰囲気が変わってきているのはそういうのに疎い俺でも気付いていた。
 これで近代麻雀ゴールドとか読んでいたら今年の優良オチ大賞受賞決定だが。
 などと考えながら、こっそりと、ごく自然に入り口のドアをくぐる。自然にも何も自動ドアなのでどうしようもないのだが。店員が「いらっしゃいませー♪」と元気に言う。こんな時になんて気の利かない店員だ。まったく。
 まあ、美汐は全く気にしていなかったのでいっつおーらい。
 すすっと、一直線に本の並んでいる棚に向かう。もう目の前だ。こちら側からは既に読んでいる雑誌の裏表紙が見えている。…どうも、やはりファッション系の雑誌のように見えるが…
 さらに近づく。真後ろまで。
 そーーーっと、慎重に、後ろから覗き込んでみる。
 …覗き込んで………固まって。
 ――美汐が、振り向いた。
「…っ!! ああ、あ相沢さんっ!!?」
「……『カレとのHに不満はありませんか? Hが100倍楽しくなる方法教えます』」
「はあわわわわっ!?」
 慌てて、慌てまくって雑誌を思い切り閉じる美汐。…手遅れにも程がある、が。
 …それを棚に戻すにも戻せず、手に抱えたまま。
「………」
「………」
 …重い沈黙。あまりに重い。
 そして気まずい。
 俺は俺で、何て言葉を出せばいいのかひたすらに悩んでいた。言いたい事がたくさんありすぎて。
 いやしかし、美汐にとってみればもっと逃げたい状況だろう。このまま消えてしまいたいくらい痛いに違いない。だとしたら最初にフォローすべきか…
 …いや。一番最初に言うべき言葉は決まっていた。
「…と、とりあえず、出ようか」
 店内の視線が、痛すぎた。
 美汐は真っ赤な顔を俯かせたまま…少しだけ、頷いたように見えた。


「………」
「………」
 ええと。
 なんとなく、本当になんとなく、人通りの少ない、というよりほとんどない通りを選んで歩いている。
 …のはいいのだが、まだお互い一言も話していなかったりする。あれから。
 ふぉ、ふぉろーだ。ふぉろーしないと。しっかりしろ自分。ふぁいと自分。欲しがりません勝つまでは。何をだ。
「あ……あの…」
 先に口を開いたのは、美汐のほうだった。耐え切れなくなったのか。
 そのまま言葉を待つ。
 時折、ひゅるりとやや強い風が植木を潜り抜けて体まで到達する。美汐と一緒にいるというのに、やたらに冷たく感じる風。
 ……
 待つ。
 ひゅるるー。風が通り抜ける。
 …肝心の言葉は、待っていても届かないようだ。
 隣の彼女は俯いたまま、顔を上げようともしない。ちら、と伺うと、死人かというほど顔を真っ青にしていた。…重症だ。
 …もう、怖がらないで、ズバリ確認に出たほうがいいだろう。自分から。このまま帰ってしまったら本格的にヘコみそうだし…色々と。
「俺さ………その…やっぱり、下手なのか――」
「違いますっ!!」
 思い切ったその質問は、言い終わる前に遮られていた。
 かつて聞いた中でもトップ3に入るくらいの大声で。
 …言葉と共に、青かった美汐の顔が一気に真っ赤に染まっていくのが密かに面白かった。
 美汐の足が止まる。自然に、俺も足を止める。
 偶然か、それまで吹いていた風も一瞬止んだ。
「…う……あ…あの、怒らないで…聞いてくれますか?」
 一言一言、本当に勇気を振り絞るという表現がこれ以上ないくらい当てはまるほど緊張した声で…告げる。
 果たして、これから言う事は俺が怒る可能性があるような事なのだろうか。正直言えば、かなり不安になった。怖かった。…でも。
「怒らないさ。何でも言って欲しい」
 こう…あっさりと言えてしまうのは俺の才能の一つなんだろうか。ちょっと怖い。
 無論、顔を赤くしてもじもじしている美汐に冷たくできるわけがない、そりゃあもうできるわけがないそればかりはカンベンしてくだせぇ将軍様。てな感じなわけだが。
 うむ。俺も俺で若干間違ったテンション一直線中。早い話が動揺まっしぐら。
 …さておけ。
 美汐が、ぽつりと、語り始める。
 覚悟を決めて。

「最近…ちょっと、気持ちいいと…感じてきたんです」
 一言目でいきなり撃沈しそうになった。

「あ…あの、私は、相沢さんが気持ちいいならそれでいいんです、もちろんっ。それが嬉しかったから…あの……その…でも、それで、私ももっと気持ちよくなれたらもっと楽しめるかも…なんて…考えて」
 死にそうだった。
 目の前で告白を続ける美汐の姿と、その口から生まれる言葉一つ一つが、凶器だ。
 さっきまで感じていた不安なんてあっさりと掻き消えてしまう。それどころではない。
 ホッとした。そんな余裕なんてない。
 嬉しい。そんな事を考えたわけじゃない。
 ひたすらに…恥ずかしい…
「それで、ちょっとは勉強したら上手くなるかもしれないと…だから、決して相沢さんに不満があるなんて事じゃないんです! いつも、ちゃんと幸せにしてくれますっ! た、ただ…私が贅沢なだけで…」
 もう、いわゆる「ゆでだこ」だ。
 おそらくは美汐のほうも、それはもう死にたいくらい恥ずかしいのだろう。今とてつもなく恥ずかしい告白をしていると、しっかり自覚をしている。
 両手を無意味に絡めあわせながら動かして、視線もそこに向けている。…それはそうだ。そんなのまともに顔を見て言われたら、俺だって間違いなく倒れる。
「…あの…相沢さん…?」
 美汐が不安そうに…ちら、と目を向けてくる。…それで初めて、俺もまだ何も返事を返していないことに気付く。
 目が合った。
 何を言えばいいと言うのか。
 そんな事を考えるよりも早く――体は、最も正直な行動を選択していた。


 「きゃ――」
  強い風が吹いた。
  風は、ほんの微かな彼女の悲鳴をまるごとさらっていってしまう。
  その風ごと捕まえるように、彼女の体を両腕でしっかりと包み込んだ。
  木々が揺れて騒いだ。
  世界が雑音に埋め尽くされる。
  全ての音より強く、愛してると呟いた。


 脈動を感じる。
 人と人が近づける最も近い距離。互いの熱、鼓動…生きている証を全身に感じる。
 ただ、二人とも、平静な状態には程遠く。
「相沢さん……すごく、ドキドキしてます…走った後みたい」
「人のこと言えるかよ…」
 一つ言葉を出すのが苦しいほど息が詰まっている。
 あんな言葉を聞いた後で、平気でいられるわけがない。まさか美汐がそんな事を考えているなど、まるで思いもしなかった。
 まあ、つまりは、行為に対して積極的になってきた…という事か。
 本で読んで勉強しようという発想がいかにも「らしくて」、なんとなくおかしい。
 …俺は俺で、色々と頑張っていたのだが。
「…今日――」
 耳元に囁くような声。熱い声。
 左肩に顔を預けたまま美汐が、消えそうなほど小さな声を漏らす。
 …また少し、鼓動が速くなったような気がした。
「相沢さん、家、一人…ですか?」
 ――カンベンしてくれ。
 そんなに、
 俺を、
 狂わせたいのか。
 抱きしめる腕に思わずぎゅっと力が入る。
 心臓と肺と脳が悲鳴をあげる。とっくにオーバーヒート起こしているようだ。
「…秋子さんはまだ仕事だ。名雪は…サークルの練習があるから夜まで帰らないと思う」
 言ってから、考える。確認する。希望的観測が入っていないかを。
 きゅ……
 美汐が、同じくらい強く、俺の体を抱き返してきた。
 腕に感じる力、目を細めた表情から伝わる…無言の意思。
 しっかりと、受け取った。
 …のだが。
「もうすっかりその気、か?」
 つい意地悪を言ってしまうのは、俺のほうにも余裕がない事の裏回し。
 そうでもしないと、もうこの場で暴走してしまいそうだった。自分へのかすかな抵抗。
「…バカですね…」
 潤んだ瞳が、焦点が合わないほど近い距離で俺の顔を見つめる。
 寒さも、俺の体ごと溶かしてしまいそうな熱い吐息が首元に届く。
「それこそお互い様、でしょう…さっきから私も気付いてるんですから……」
 いっそ、本当にそのまま溶かされてしまいたかった。
 余裕のあるフリなんてしたってダメですよ、と責められて。
 参った。
 俺の負けだった。
 まったく、男ってやつは不便に出来ているものだ…そこまで正直でなくてもいいだろうに。
 もう目の前に迫った顔をさらに近づけて、眼を閉じて――



 いくら人通りの少ない場所だったとは言え、誰も通らなかったのは幸運だったと言うより他にないわけで。
 なんだかんだでお互い冷静さを失っていたな、と。家に着く頃には気付くのだった。
 また少し違う意味で顔を赤く染めながら、玄関のドアを開く。
「あ、おかえり祐一〜」
「………」
「………」
 ……いた。
「ん? あ、天野さんも一緒なんだ…また。いらっしゃい♪」
「あ、はい、お邪魔します…」
 なんとなく出来上がっていた雰囲気を一気に破壊してしまうような陽気な名雪の声。
 水瀬家で出迎えをしたのは、そんな声だった。
 ばたばたと足音を立てながら、すぐに廊下の向こうに姿を消した。場所と時間帯から考えると、洗濯物の取り込みの最中…か?
 …う。
 隣から激しく痛い視線が……っ
「いるじゃないですか…」
「あー…えと、美汐はとりあえず俺の部屋に上がっててくれ」
「いないって言いましたよ…」
 痛い。
 かなり痛いからその半眼はヤメテクレ。マジ怖い。
「大丈夫だって、な? なんとかなるさ」
 だから。
 何が一番怖いかって、やっぱり帰るとか言われたら。それだけは、それだけは絶対に避けたかった。
 正直、なんとかなるとは言いながらも、何をどうしたらどうなるとか…何も考えてはいないが。
 美汐は…ふう、と、大きくため息をついた。隠そうともせず。
「…待ってますからね」
 それだけ言うと、丁寧な仕草で靴を脱いで、きちんと揃えて、最後にまた恨みがましい目で俺のほうを睨んでから、階段を上っていった。
 たん、たん…軽い音が響く。こんな時にも妙に上品な音だ。
「……はぁ」
 胸を撫で下ろす。
 とりあえずは、第一段階クリア、と。
 しかし――
 俺も続いて玄関から上がって、廊下の向こう側まで歩く。
 名雪が消えたほうを覗くと、予想通り洗濯物を竿から降ろしている最中だった。
「…名雪ー?」
「ん? あ、お手伝いならいいよー? 天野さん来てるんだからちゃんと相手してあげないと」
「いや…そーじゃなくて、さ…えーと。サークルの練習はどうしたんだ?」
「今日はお休みの日だよ? 金曜日ー」
「……そうでした」
 二人、大学生活始まってからもう半年になるというのに。そんな事も失念してしまうくらいあの時は頭が働いていなかったのか。
 ぱたぱたと、器用な手つきで次々に取り込みを終えていく名雪。
 さて…どうしたものか……

 美汐が帰るまで2階に上がってくるなと頼む?
 さりげなく買い物を頼んで外出させる?
 気にしないで、美汐には何とかごまかす?

 …露骨過ぎる。
 頭を抱える。どうしたらいい?
 ……間が悪かったと、今日は大人しくちょっと遊んで帰ってもらうか――いや、それは…
「…ゆういち」
 すぐ近くから、声が聞こえた。
 ハっと顔を上げると、驚くほど近くから、名雪が俺の顔を覗き込んでいた。
 後方の籠にはすでに洗濯物の山。いつの間にか作業が終わっていたらしい。
 不満そうな目で、じーーーっと見つめて。
 すっと、目を細めて。
「えっち」
 言った。

 心臓が飛び出しそうなくらい激しく跳ねた。
「な――何、を」
「言い訳とか誤魔化しとかはどうでもいいの。パターンみたいな押し問答するつもりはないんだから。顔見てれば分かるよ…もう、二人とも最初から切羽詰ったような表情しちゃって…見てるほうが恥ずかしくなっちゃうよ」
「…わ……」
 分かっていたのか。最初から。
 すぐに気付くほど俺たちは興奮した顔していたのか。焦っていたのか。
 そして…気付いていながら名雪は何事も無かったように普通に挨拶を返してきたのか。
「名雪…最近かなり秋子さんに似てきた…な」
「褒め言葉?」
「……たぶん」
「それはありがと。で?」
 ありがとう、と言う割に全く嬉しそうでもなく、にこりともしない。
 そんな事より大切な事があるだろう、と。
「わたしはどうしたらいいのかな? 急に大学に忘れ物をした事でも思い出して取りに帰ればいい?」
 ……あぅ。
 オコッテマスネ? カナリフキゲンデスネ?
 敢えて尋ねるまでも無かった。名雪は不機嫌さを隠そうともしていない。
「あ、いや、別に邪魔だから出てけなんて言うつもりは――」
「部屋に入らなきゃいいから家にいろ、ってのはもっと残酷なんだからね。…ちょっとはわたしの気持ちも想像してよ」
「う……」
 まったくもって、その通りだ。反論の余地も何も無い。
 やはり、それなら、頭を下げて出てもらうか…
 …ふう、と名雪がため息をついた。自分を落ち着かせるように。深呼吸。
「…いいんだけど、早く決めてね。天野さんあんまり待たせてると可哀想だよ。…それに、部屋にずっと一人にさせておくとあんまり見つかりたくないものまで見つかっちゃうかもしれないしね〜?」
「………そんなもの……別に」
「机の保護カバーの下」
「何で知ってるっ!?」
 かなりの盲点だと思ったのにっ!
 ………
 …じゃなくて。
「ん、まあ、特別サービス。いいよ、出かけてきてあげる。天野さんも可哀想だし。ついでにお買い物も済ませてくるよ」
 何で知ってる、の質問は無視ですか名雪さん。
 …なんて聞き返すほど俺はバカじゃないわけで。せっかく名雪がほぼ最大限まで譲歩してくれているのにわざわざ話を逸らすことはない。
 ……気になるけどなっ。
「…ありがとうございます、名雪様」
「お礼は言葉じゃないもので後から貰うから今はいいよー」
「……さよか」
「ん」
 にこっ、と。
 ここで初めて、名雪が笑顔を見せた。
 第二段階、クリア。


「お待たせ」
「へにゃっ!?」
 ずるっ……ごろごろごろ、どんっ…………ばさ。
 ………………
 ……こんっ。
 ――ドアを開けると、なんとも派手なリアクションが出迎えてくれた。
「……何やってるんだ」
 見た限りでは、ベッドに寝そべっていた美汐が慌てて立ち上がろうとして、ベッドの上に置くつもりの足を思い切り踏み外してそのまま落下して床に激突、後から引っ張られるように布団がズレ落ちて体の上に覆い被さって、最後にお約束通り目覚し時計が頭の上に落ちて当たった、といったところか。
 というよりそれ以外の何物でも無い。




 うぅ…とさすがに辛そうに表情を歪ませて、美汐が立ち上がる。
「遅かった…ですね」
「あ、ああ。ごめんな。名雪は気を利かせて出かけてくれたぞ」
「そうですか…」

 最後の関門。
 時間が空きすぎた。トラブルもあった。
 正直、すでにそういう雰囲気ではなくなっているのだが。

「えーとな、今日は…本当に、悪かった。今後はこんなことはないように気をつける」
 まずは、謝る。全てはそこからだ。
「いえ。こういう時もありますよ」
「……え? そ…そーか」
 あっさりと。
 意外なくらいあっさりとした美汐の言葉。怒ってはいないようだし、呆れている…というわけでもないようだ。
 むしろ――
「相沢さん…とりあえず、そんなところに立ってないで、来て下さい」
 とても穏やかな、優しい表情を見せている。
 そうとしか見えない。
 布団を直して、ベッドに座りなおして、さあ隣にどうぞと手で誘っている。
「あ、ああ」
 どんな心境の変化か、すっかり機嫌はよくなっているようだった。ありがたいことだ。
 それならとご好意に甘えて、緊張を解いて、隣に腰を降ろす――


  柔らかいベッドが体重で沈み込む。
  自然に、美汐の体が少しだけ俺のほうに傾く。
  肩が触れる。
  美汐が、くるりと体の向きを変えて、俺の両肩を抱え込む。
 「……っ!?」
  そのまま。
  どさり、と布団の上に俺の上半身が沈んだ。美汐に肩を取られたまま、押し込まれて。
  ほとんど間を置かず、美汐の顔が目前まで迫っていた。天井の蛍光灯を背に。


 短く、熱い、キス。
 こんな体勢でしたことはなかった。かなり苦しかった。
 顔を離したときに荒い息をつく俺に、美汐は濡れた瞳で、告げる。
「相沢さん――今日は、私に任せて下さい」

 驚いた。そんな事は今までに無かった。もちろん。
 …おそらく顔に疑問がそのまま表れていたのだろう。美汐が溶けそうな表情で、声で答える。
「…なんとなく、ですよ。さっきまで相沢さんのベッドで転がっていたら…なんとなく、そんな気分になったんです」
 ああ、それで。
 それで、さっきはドアを開けたらあんなに慌てていたのか。ベッドに寝そべってそんな…イケナイ気持ちになっているのまで見透かされるのが怖くて。
 ――なんて。
 冷静な事を考えている余裕は、もちろん、無くて。
 不安1割、期待1割。
 ドキドキ8割…
「あ、あの…上手くはないと思いますけど…頑張りますから」
 ………………………
 ………………
 ――ああ。
 堕ちた。
 完全に。




「あら、名雪」
「あ…お母さん…」
「珍しいわね、ここでお買い物なんて。何か足りないものでもあった?」
「…ううん。あのね、祐一が天野さんと一緒に来て――」
「そう、あとどれくらい待ったほうがいいのかしら」
「あと20分くらいはあったほうがいいかも」
 …そんな、やたらに話の早い親子の会話のことなんてもちろんいざ知らず。




「……どう、でしたか…?」
「…いや、俺はいいんだ。美汐のほうこそどうだったんだ? …はじめて、リードを取ってみてさ」
「あ、あの……」
「………ああ」
 …お互い、無言になる。
 理由は分かっていた。返事の中身がもう明らかだったからだ。言葉は、あくまで確認でしかない。
「正直に…言いますね」
「………おう」
「今までとは比較にならないくらい……その、良かった、です…」
「………………俺もだ」
 …二人して、笑った。


  これは、恋人達が、また一つ歩みを進めたというお話。
  本当に「進んだ」のかどうかはさておいて。
  ――比較的、ありふれた話ではある。




 それで、神様。
 どうして俺は女の子に勝てないのでしょうか――
 …答えなんて別に期待してないけどな。



【あとがき】

 久しぶりに、SS書きました。美汐〜〜〜
 正直、無茶苦茶です。勢いだけです。それでいいじゃないかと思い切り開き直ってみたり…

 どこまで書くかは迷いました。路上で抱き合ってこれから家に向かうぞ、というとこで切っても良かったんですけども。とりあえず当初考えたところまで書いてしまいました。
 ここまでマトモにえっちをテーマに扱っておいて18禁SSにしないというのもいかなものかという感じでございますが(^^;

 勢いだけでも感じ取っていただければ☆ と思います。
 失礼しました(ぺこり)