「え?どうして?ここ、安くて美味しくて大好きだよっ」
「それはそうなんだけどね。時間がちょっと……」
「時間?」
「……ううん。何でも無いわ。前に一回最悪の瞬間に入っちゃったことがあってそれで弱気になってるのね、きっと…」
「?全然分からないよ?」
「いいの。行きましょ」



 実際のところ、この時間の常連客なら誰でも知っている。



「………ねえ」
「…またかよ…。ホントに好きだな」
「ええ〜っ、でも久しぶりだよー」
「2週間くらいだろうが。って…今日、水曜日だよな?ってことは…」
「あ、そっか。せっかくだし様子見ていかない?」
「いい口実だな………」



 高校生の二人―――









 からんからん…
 店内に来客を告げる鈴の音が鳴り響く。
「いらっしゃいま………げ」
「なんだいらっしゃいまげって。新しい髪形か?商売繁盛のおまじないに使うのか?」
「やっほ、真琴♪」
 真琴の笑顔が歪んで凍りつく。…喫茶店の制服を着た真琴が。
「な、な、なんであんた…」
「ほら、俺は客だぞ。ちゃんともてなせ。店長に言いつけるぞ」
「うぐ……い、一名様ですか?」
 ぱこんっ!
 祐一が軽くアタマを叩く。
「何すんのよっ!」
「どう見ても二人だろうが。ちゃんと考えてモノを言え」
「祐一、厳しいよ…」
 隣で名雪が渋った顔をする。いつも祐一が真琴を楽しそうにいじめるのをこうやってよく諭しているものだ。もっとも、一度として本気で止めた事はないが。
「うぅ…じゃ、席は……」
「あら。祐ちゃんになゆちゃん、いらっしゃい♪」
 真琴が案内すべき席を見渡して探していると、その後ろから別のウェイトレスがやってくる。祐一にも名雪にももうすっかりお馴染みの女性だった。―――祐一が苦手とする。
「祐ちゃん」はやめてくれと何度か言ったのだが、5回目を過ぎたあたりからもうそれを訴えるのも諦めていた。
「あ、真琴ちゃん、あっちのお客様お願いね」
「………はい」
 とぼとぼと、真琴退場。
 後姿がちょっと寂しそうだった。
「お二人はこちらへどうぞ♪」
「はーい」
 奥のほうの席に案内される。最近はここが指定席のようなものになっていた。
 祐一も名雪も、慣れた動作で席につく。座ると同時に、ほとんど習慣になっている注文を言う。
「俺はいつもの―――」
「今日のオススメは”鈴木君が考えたデラックスお茶漬け・ダ・愛媛”となっております♪」
「―――レモンティー、ホットで」
「イチゴサンデーっ」
「………ツッコミもなし…」
 とりあえず、泣く。
「いや…そのメニューはどこから最初にツッコんで欲しいんだ……?」
「ほら、鈴木君って誰やねん…とか………」
「………なんで喫茶店にお茶漬けがあるんだ?」
「あるんだから仕方ないじゃない」
「やっぱり本当にあるのか………」
「イチゴサンデーっ♪」
「………」
「………」
 ―――彼女は大人しく注文を届けに去っていった。


 祐一はちら、と奥のほうを見てみる。
「真琴が働いてる時間に来るのは、そういや初めてだったな…」
 視線の向こうには、あくせくしながらもなんとか仕事をこなしている真琴の姿。時々客の男にからかわれたりして、あうーっと情けない悲鳴をあげている。
 本人は必死なのだろうが、傍目には楽しい…微笑ましい光景だった。
「まあ、あいつなりにちゃんとやってるみたいだな…」
「頑張ってるよね」
「そうだな。今度、たまには褒めてやるか」
 向こうでは注文の復唱が上手く出来なくて焦っている真琴。危なっかしい手つきでコーヒーを運ぶ真琴。時折思い出したように自分の制服姿が変じゃないかと気にして上着を直す真琴…
 祐一は、穏やかに微笑んだ。
「こうやって見てると、あいつの父親になった気分だな…」
 うん、と名雪も笑ってみせる。
 年齢はほとんど同じはずなのに、姉妹というよりは本当に保護者になった気分になる。真琴は、まさしく―――
「わたしたちの子供だねっ」
 ずてんっ!
 何も体をぶつけるものが無かったのでそのまま隣の椅子に倒れこむ祐一。
 ぴくぴく、としばらく筋肉が痙攣している。
「…祐一、倒れたり体ぶつけたりする事多いよね。そういうのが趣味なの?」
「誰のせいだっ!!」
 純粋無垢な名雪の声を聞きながら、がばっと一息で起き上がる。慣れたものだった。
「あっはは。相変わらず総天然色なラブラブっぷりねぇ♪はい、レモンティーど〜うぞ」
 ちょうど狙ったように現れるウェイトレス。
 この絶妙のタイミングも含めて、この店での日常の一つと言っても良かった。常連客なら名雪が何を言っても、祐一が突然コケても何も驚きはしない。
「…どうも」
 何かがおかしい。この店は何か魔力が働いている。
 そんな事を思いながら祐一はレモンを浸して、軽くかき混ぜた。
 あるいはこのウェイトレスが本当は名雪と談合して自分の反応を伺って楽しんでいるのかとさえ思う事もあった。そしてすぐにその説を自分で否定する。名雪はいつでも100%本気だ。それにこの名雪がいちいちこんな回りくどい事をするわけがない。
 どこまでも自分に素直で、真っ直ぐで。そんな名雪が大好きで―――
 こうやって時折ドキッとさせられるような事を平気で言って困らせてくる。なお困ったことに…それが決して嫌ではない自分を知っている。それこそが名雪なのだから。
 つくづく、どうしようもないくらいハマっているんだなと思う。
 ずず………軽くカップに口をつけた。
「でも祐ちゃん、まだ高校生だからね。ホントにパパにならないように気をつけようね?」
 ぶーーーーーっ!!!
 直後に勢いよく吹き出す。
「わあっ、祐一、汚いよーっ」
 げほ、げほっ………容赦なくむせる。目から涙さえ溢れてくる。
「あらあら。もったいないわね…」
「今のは絶対わざとだなっ!?タイミング狙ってただろ!?」
「仕方ないわねぇ。サービスでもう一回入れなおしてあげるから、今度は気をつけなさいよ?」
 けたけたと独特の笑い方を残して、カップを持ってウェイトレスは去っていく。
 祐一の疑問…あるいは確信に答えは返ってこなかった。
 深く、ため息。
「お姉さん、心配して言ってくれてるんだから怒っちゃダメだよ」
「嘘だ…絶対遊んでるだけだ………」
 頭を抱える。
 んー…と、名雪は首を少しだけかしげる。
「でも、真琴みたいな子供だったら、欲しいかなぁ…」








 ―――真琴みたいな子供だったら欲しいかなぁ
 ―――子供だったら欲しいかな…
 ―――子供………欲しい…
 ―――欲しい………………


 数秒くらい意識が別世界に跳んだ。
「ねえ、祐一もそう思うよね?」
「私にそれを聞くのですか…そんな酷な事は無いでしょう…」
「………誰の真似?」
「いや………」
 明後日の方向を向きながら、上の空で答える祐一。
 今名雪を正面から見る勇気は無かった。見てしまったらきっと…なんか体内の奥深くに厳重に管理されている「押すな危険」のボタンを押してしまう。そんな確信があった。
「もしかして祐一、子供嫌い?」
「いやそんな事は全然ないぞむしろそんな事はないぞ俺は小さい頃から子供好きの祐一くんで近所でも有名だったくらいだ」
「…小さい頃に子供好きも何もないと思うけど…」
 でも良かった、と本気で嬉しそうに名雪が喜んでいる。
 まずい。このタイミングでこの話題は危険すぎる。名雪の言葉をどこまでも深い意味に捉えてしまいそうで危ない。そうだ名雪もきっと単純に真琴は可愛いねという事を言いたかっただけなのだろう。別の意味に聞こえてしまうのは自分の心が汚れているからに違いない―――
 必死に自分自身に洗脳をかけてみる。
「祐一、どこ見てるの?」
「いや真琴の勇士を…」
 とりあえず何でも良かった。頭の中で妄想が爆発してしまわないように他の事に集中することができれば。
 ふと―――
 それが目に付いたのは、ただの偶然だった。
 真琴が向かっている客席を覗いてみたのは、ただ、思考を逸らすため。
 思う。
 今日は仏滅だっただろうか。
 その客席に座っているのは、どう見ても―――クラスメイトの姿だった。
(………香里……)
 いや、香里はまだいい。問題ない。名雪が今更何をしようと「呆れるだけ」だろう。無害だ。
 しかし…すると、香里と向き合って座っている”微妙にそれっぽい”あの後姿は…考えたくは無いが、やはり…同じクラスの………
 そうでない事を期待して少しでも確かめようと思ったのが間違いだった。人間は視線を感じる生き物である事を忘れていた。あるいはこれも運命か。
 ばっちり確認してしまった。香里がはっきりと祐一と目を合わせて、一瞬あっという顔をしたのを。
 慌てて目を微妙にずらして何事も無かったかのようなフリをしてみせるが、後の祭り。どうでもいいが「アフターフェスティバル」ってどう考えても「祭りの後」。極めてどうでもいい。錯乱している。
 今は確信を持っていた。香里と向き合っている”彼女”について。
 祐一は何はともあれ振り返って席のほうに視線を戻そうとした。ひょっとしたら香里が気を使って何も気付かなかったことにしてくれるかもしれない…

 ぷにょん。

「わっ!?」
 顔に、何かが触れた。
 祐一の顔の真横。確かな存在と温かさ。あるいは呼吸音と鼓動。
 名雪の、顔。
 唇。
「………って、お、お…おおっ!?」
「祐一、真琴のほうばっか見てて全然わたしのほう向いてくれない」
 名雪が、そっと祐一の頬から唇を離して、耳元で囁く。体はテーブルの上に手をついて寄りかかっている。いつの間にだか、祐一の気付かない間にすぐ側まで顔を接近させていたらしい。
 拘束の無くなった顔を少しだけ名雪のほうに向ける。見慣れた顔がどアップでそこにある。ついでに、いわゆる谷間ショットの遠近法でカラダが迫ってくる。
 くらっとした。
 思わず理性が砕けそうになってしまった。
「お、お前な………っ」
「わぁ…祐一、面白いくらい顔真っ赤だよ」
「…ば………だ…だから……」
 上手くコトバが出ない。場所を考えろ。恥ずかしいからやめろ。びっくりするから勘弁してくれ。言う事はいくらでもあったはずだった。余裕が無い。
 名雪は何も気にしていないように晴れやかな笑顔で。
「そこじゃなくて、ちゃんと、口にして欲しかったんだ?」
 普通に。
 さらりと。
「…あ…アホかっ!?なんでそういう発想になる!?」
 息のかかるほどの距離。微かに頬を擦る長い髪。
「いいよ」
 名雪の声。名雪の顔。名雪の香り。髪。瞳。唇。
 本能に囁きかける魔法。脳の中枢から痺れさせる甘い誘惑。自然が生み出した誰にも逆らえない力。恋。
 名雪、そのもの。
 全てに流される―――
 直前で、祐一は自分をかろうじて取り戻した。
「………なあ、名雪…やっぱ―――っ!?」
 そして、それが何の意味ももたないという事を改めて知る。
 しっかりと重ね合わされた唇が、全ての思考を吹き飛ばしていた。かすかに残った理性の抵抗など、今感じる圧倒的な存在感の前には紙よりも脆いものと知った。
 いつ目を閉じたのかは祐一自身も分かっていない。ただ、そうした。そうしていた。何も見る必要は無かったから。ただ感じていれば良かったから。
 結局は、こうなのだ。
 名雪なのだから。



 何秒経ったのかなんて分からない。
「あの〜…悪いんだけど〜、さすがにレモンティー、冷めちゃうからそろそろ置いていいかしらぁ?」
 どっくん。
 心臓が口から飛び出たような感じがした。
 ばっ!!と慌てて名雪から飛びのくように離れる。
 急激に世界が広がっていった。名雪だけしかいない世界から、テーブル、レモンティー、ウェイトレス―――喫茶店。客。
 はっとして周囲を見渡す。よく見かける、ある意味すでに顔見知りの客たちが思い切り注目していた。中には拍手している客さえいた…
 かあぁーっと顔が、全身が熱くなってくる。全部見られていた…当たり前の事かもしれないが、少しの間でも忘れていた事。忘れさせられていた事。名雪が全て奪っていったもの。
「―――っ!?」
 ふと思い出す。そもそものきっかけは何であったか。
 恐る恐る、後ろを振り向く。彼女たちがいる、そこに。
 真琴が恐ろしい形相で睨みつけてきているのがまず目に入る。だがそれはどうでもいい。
 遠方でも、全ての客が注目している。笑っている。恥ずかしい。
 香里が冷めた目で見ている。これは別に気にならない。
 そして祐一以上かと思われるくらい顔を真っ赤にして手を頬に当て「はうぅー」状態な…彼女。その視線は、しっかりとこちらのほうを見ている…




「あれ?」
 ようやく名雪が、周囲に気付く。
 きょとんとしたまま。
「香里と、わたるちゃん………」
「ああああああ」
 聞きたくなかった名前を正面から突きつけられ、頭を抱える。
 曰く、彼女に恋愛話は振るな。
 曰く、彼女に目撃されるな。
 曰く、とにかくしゃべらせるな。
 以上………全部祐一が考えた教訓だった。曰くも何もない。
 おそらく彼女の頭の中ではもう祐一と名雪は凄い事になっているのだろう。想像もしたくないが。
「ホント、今日も見せつけてくれるわね〜っ。もしかして二人とも、見られてると燃えるタイプかしら?」
 とん、と置かれるレモンティーの表面がいつもより強く揺れる。
 祐一は恨みがましくウェイトレスのほうを睨む。
 余計な事は言うな。
 …あいつが聞いている。
 ただでさえ―――
「え、祐一、そうなの?」
「これなのに………」
 予想通りの名雪の反応に涙する祐一。
 ばん、と机に勢い良くてをつく。
「いいか!!ここにはっきりと明言する!!断じて、違う、からなっ!?っていうかむしろ名雪が………」
「ん?」
「………名雪が…」
「うん」
 名雪の目がまだ間近にある。澄んだ綺麗な瞳だと思った。
 言葉に詰まる。
 祐一はなんとなく、この世を支配する絶対的な法則というものを考えていた。それは真理と言い換えてもいいかも知れない。絶対というものがあるのなら、これこそはまさに絶対なのだろう。
 すなわち―――
「……可愛いから」
 名雪には勝てない。






 実際のところ、この時間の常連客で知らない者はいない。






FIN....




















 最後に残る仕事は、一つ。
「あ、あのっ、相沢君って、露出プ―――むぐ」
 口を塞ぐ事。



【あとがき】

遅れまくってごめんなさいっ!!50000アクセス感謝記念SSをここにお届けいたしますっ!!
とりあえずアクセス記念SS第1次名雪編の完結と言う事で、キレイに行くか名雪色全開で行くかどっちかにしようと考えました。結果はご覧になっての通りです(笑)

オチがいまいち決まりませんでしたが、あんまり気にしない事にしました。過程だけしかないようなSSですし(^^;;
それにしてもわたるちゃん、いっぱい出てきてるなぁ………あ、わたるちゃん分からない人もいると思いますので、一応解説。オリキャラです。「幸せの捧げ物」というSSの冒頭部分だけ読んで下されば、もうキャラはだいたい分かります(爆)一応知らない人が読んでもそれほど困らないようにしたつもりですが…

なんか中途半端なSSですみません…ともかくも名雪色を出すということだけに専念しました。でもやっぱり見返してみればラブラブ祐一劇場(笑)

それでは失礼しますっ
こんな名雪をよろしければ愛してあげてください♪