「俺なんて、弱くて頼りないかもしれない」
 冷たい風が体を撫で上げてゆく。彼女の長い黒髪が風の中を遊ぶように揺れる。自然と、視線はそこに向かう―――あるいは見ていたのは危なっかしくはためくスカートのほうだったかもしれない。
 少し声が震えてしまったのは寒さのせいだけではないだろう。恐らくは…緊張している。
 不思議なものだ。夜の学校で目に見えない恐ろしい敵と何度も戦いを経験しているというのに、それに比べれば何という事も無いことでこんなに体が固くなっている。
(…何という事もないこと、でもないか―――)
 結果次第で、今後もこうやって会えるかどうかが決まってしまうのかも知れないのだから。
 軽い気持ちで屋上に呼び出して、今になってそんな事に気付いた自分に苦笑する。行動は早いくせに、心のほうがまだ整理しきれていなかったようだ。
 そんな心中を知ってか知らずか―――知らずの可能性が99%だと思われるが―――彼女はただ真正面からこちらの瞳を覗きこんでくる。
 祐一は、覚悟を決めた。
「ただ、舞を大切にしたいという想いは絶対に誰にも負けない」
「…大切に?」
 舞は、屋上に来てから初めて口を開いた。単語を聞き返すだけの単純な言葉。
 その言葉に込められた意味は分からない。だが恐らくは意味など特にないのだろう。あったとしたら、具体的にどう大切にしてくれるのかという疑問だろうか。
「―――舞の事が、好きだから。どうしようもないくらい大切にしたいと思うんだ。傲慢かもしれないけど、俺が舞の幸せを作ってやれたらどんなに嬉しいかと思う」
「祐一が、私の幸せを作るの?」
「ああ。してみせる。出来ればずっと―――」
 一度言葉を飲み込み、右手をぐっと握り締めて気合を入れる。
 気圧されないように舞の目をじっと見つめたまま。
 大きめに間を取って、そしてゆっくりと口を開く。
「一生、舞を―――」
「あああああーーーーーーーーーーっ!!こんなトコにいたんですかーっ」
「………」
 ガクっと。
 誰が見ても明白なほどあからさまに肩を落とす、祐一。
 屋上の入り口から聞こえた、大きくはないのに異常によく通るその声は、今目の前にいる少女よりもはるかに聞きなれた声だった。
 祐一がぐったりしながら顔を上げたときには、彼女はもう目の前まで来ていた。距離を考えれば走ってきたのだろうが、息は全く乱れていない。
「舞と一緒に帰ろうと思ったらいつの間にか消えててっ、鞄はまだ置いてあったからドコにいったんだろって探してたんですよー」
「そうですか………」
「あれ?祐一さん、どうかしましたか?元気ないですねー。祐一さんらしくないですよっ!ほら早くいつもみたいに佐祐理の耳元で愛の言葉を囁いてくださいっ」
 がしゃん。
 とりあえず、一番手近にあった屋上のネットに頭をぶつけてみた。やたらに派手な音が響く。
「お、俺がいつそんな事した!?」
 あははーっと笑う佐祐理にマジツッコミを。
「…祐一………」
「あ、ああ、舞。ちょっと待て。今のは佐祐理さんなりのボケってやつでな、俺はホントにそんな事はしてないぞ?断じて」
 少しだけ視線の温度が下がった気がする舞には慌ててフォローを。
「ふぇ………祐一さん、そんなに佐祐理ではイヤですか…?そんな事だなんて………」
「あああ、いや、そういうわけじゃないんだっ。さ、佐祐理さんの事はもちろん好きだから―――」
 ………じっ。
「い…いやいやいやっ!もちろん舞が一番好きで―――」
 普段笑顔しか見せない佐祐理の悲しそうな表情と、迫るような舞の視線に挟まれて半ば混乱する祐一。少し前までのシリアスな彼は既に一片のカケラすらも残っていない。
「佐祐理は…やっぱり、邪魔なんですね………」
「違、うって!ばっ!さ、佐祐理さんにもずっと一緒にいて欲しいなぁって…」
「それじゃ、佐祐理の耳元で愛してるって囁いて下さいっ」
「ええっ!?いや、愛してるとかそうじゃなくてさ…っ」
 しどろもどろ。
 容赦ない佐祐理の攻撃にただなすすべもなくおろおろするばかり。
「愛してもいないのにずっと一緒にいろって言うんですか…舞が正妻で佐祐理が愛人、そういうことなんですねっ!?そう佐祐理はただの都合のいいオンナ。抱きたい時に抱ける―――」
「わあああっ!!違う違うっ!っていうか佐祐理さん抱くとか言わないっ」
「佐祐理は祐一さんの欲望のはけ口でしかないんですね………くすん」
「ああああああっ」
 がしゃんがしゃんと何度も思い切り頭をフェンスに突っ込ませる。その音で全ての声がかき消されてしまえばよかった。何度も、何度も…
「…佐祐理、その辺でやめて。祐一が壊れる」
「うん♪」
 舞が一言注意を入れると、あっさりと頷く。
「…へ?」
 その直後にがっしゃーんと一際大きな音を立てて祐一の顔が頬からめり込んでいた。



「…タチが悪い」
 顔の、向かって右半分にくっきりとネット模様をつけた祐一が恨み声で呟く。
「だって祐一さん、反応が可愛いんですよー」
「…佐祐理、正直すぎ」
「でも祐一さんが舞を選んだ以上、佐祐理は一人で寂しいんですから〜、少しくらいは意地悪になっちゃいますよー…いじいじ」
 俯き加減に人差し指でもう一方の掌をぐりぐりと弄ってみたり。
 ヤバいくらい可愛かった。
「佐祐理さん…」
 反射的に駆け寄って「ぎゅっ」と抱きしめたくなったが、さっき告白したばかりの舞の目の前ではさすがに躊躇われる。
 逆に言えば舞が目の前にいなければ躊躇なくやっている。そりゃもう。
「佐祐理…心配しなくていい」
 代わりに動いたのは舞だった。優しく髪を、頭を撫でる。
 まるで、髪の一本一本を愛するようにそっと…
「祐一は違っても、私は佐祐理の事愛してるから」
「…ホント?」
 上目遣いに潤んだ目で舞を見上げる佐祐理に、こくんと小さく頷く。
 祐一は静かにその光景を眺めていた。今の二人には、誰も割り込めない…そんな雰囲気がある。少なくとも佐祐理のほうとは知り合ってまだ2ヶ月にもならない祐一には計り知れないような絆がそこにあるのだろう。
「でも、佐祐理がいると二人に邪魔にならない…?」
「もし祐一が佐祐理を追い出したりしたら祐一を斬って佐祐理を追いかける」
「………ぉぃ」
 何やらそのまま聞き流すには不穏当な発言があったが、なんとなく怖くて小声でしかツッコめない。
 きっぱりと、言葉通りに本気だ。
「嬉しい…舞っ」
「愛してる………佐祐理」
 沈みかけた夕日が抱き合う彼女を赤く照らす。美しいシルエットの長い影を地面に落としながら―――
 ぼんやりと、祐一は気付いていた。
「邪魔者は…俺?」








「いいじゃないですかー、舞を選んだら自動的に佐祐理も付いてくるんです。お得なセットですよねーっ」
「あ、ああ、俺はとりあえずその輪の中に居場所があればそれで―――」
「祐一は佐祐理には手を出すな。佐祐理は私のもの」
「………了解…」
 よく分からない展開になったまま、屋上での会話は終わった。今はその帰り道、いつものように3人で一緒に並んで歩く。
 祐一の言葉も「一生大切にする」からもはや「その中に自分もいさせて下さい」まで落ちている。
 ついでに今、前を歩く二人と、後について歩く祐一といった図式だ。
「舞ったら独占欲強いから〜。ね、舞、佐祐理も祐一さんの事好きなんだけど、ダメかな?」
「佐祐理がそう言うなら、いい」
 即答だった。
「ほら、舞の許可も降りましたよーっ」
 佐祐理が嬉しそうに笑って祐一のほうに振り返る。
 祐一は、引きつりそうな顔をなんとか抑えて笑顔を返してみせる。
 これから先もこうして、舞の許可がないと何も出来ないのだろうか―――
 いや、しかし。
 その舞はと言えば…
「ね、それからね、たまには祐一さんと二人っきりになっちゃう事もあるかも知れないけど、許してくれる?」
「佐祐理がそう言うなら、いい」
 ………
 祐一は、もう暗くなりかけている空を見上げた。
 屋上で舞と二人きりで話していたのが20分ほど前。その時心にあったのは期待感だったか、昂揚感だったか。
 人が子供から大人になる事を実感する瞬間とは、世の中の仕組みの一端を知ってしまった時なのだろう、などと考えてみたりする。
 結局屋上で祐一が何を言おうと、舞がどう答えようと、何にも違いは無かったのだろう。
 佐祐理は今度は足を止めて体ごと振り返る。
「ほらっ、祐一さん、嬉しいですか?」
 世界で2番目に好きな彼女が笑っている。
 こんな幸せもきっと、アリなのだろう―――
「…そうだな」
 そう、思い込むことにした。


FIN.




【あとがき】

60000アクセス大感謝です!!
って50000の時からロクに更新できてませんが…ごめんなさい(;_;)

短いです。
というより、本来記念SSは「7kB前後」という目標でやっていたのでこれくらいが予定通り…
久しぶりに舞を書きました。本当に久しぶりです。うぐ。
祐一くん、もっとしっかりしなさい(^^;;

ではではっ
もうすぐHP開設半年記念ですね♪とりあえずまだ未経験の「1周年」を迎えることを目標に始めたHPですが、最後までもつのかと若干不安を感じております♪(爆)
適度に冷ややかな目で見守って下さいねっ