持っていくものは、そんなにたくさんあるわけでもない。いつも学校に行く時と同じ、日常用品。
 いつもと違うのは、ちょっとだけ冒険した服と心の準備。天気予報を見て、晴れになるようにお祈り。
 洒落た服をいっぱい持っているわけじゃない。昔はそんなもの必要なかったから。
 奇跡的に蘇生したあの日からも、今まで休日といえば病院に通う日の事だったから。
 そんな状態でも一緒に遊んだりはしていたけれど。ただし医者からの制限付き。
 その意味で、明日は本当に初めての―――本物のデート。
 何の気兼ねも無く、1日中ずっと一緒。



 普段より10分ほど長めの風呂に入って。別にそんな事したって何も変わりはしない事くらい分かってはいたが、そう簡単に割り切れるものでもないのも事実。
「別に1日くらい丁寧に体磨いたって大して変わらないわよ」
 風呂を出た途端、姉にツッコまれる。
 栞はうーっと頬を膨らませて睨む。
「言われなくても分かってるよっ」
「頭では理解しているけど本能に逆らえないっていう事ね。栞のそんなとこ可愛らしくていいんじゃない?」
「う………」
 反論は、出来ない。確かにその通り。
 実際にこうしていつもより念入りに体を洗って出てきている以上は分かっているなんて言っても説得力は無い。
「まあ、ね」
 何か英語がたくさん書いてある難しそうな本を読みながら香里は話す。
「気合が入るのは当たり前よね。初めて本当に普通に付き合えるんだから」
「…うん」
 栞は香里の座るソファの隣にぽさ、と腰を下ろす。手には風呂あがりにオレンジジュースを一杯。
 何をするでもなく、ただぽーっと宙を見つめて考える。今までのこと、明日のこと。これからのこと。
「普通って、どんなんだろう?」
「哲学?」
「そういう事じゃなくてっ…普通のデートって、どんな事を言うのかなって…」
 ああ、と香里は本から目を離さないまま返事する。あくまで読みながら話すらしい。
「少なくとも寒い日に外でアイス食べたりずっと相手を固まらせて絵を描いたりしない事じゃないかしら」
「…お姉ちゃん、意地悪」
「否定はしないわ」
 ずず、とマイペースにお茶を飲みながら香里はあっさりと言ってのける。寝る前に濃い緑茶を飲んでもまるで平気な体質らしい。
 あまり真剣に相手してくれそうにない姉に、栞はひとりむくれる。
 とりあえずこの話題は後回しにして、テレビのリモコンを押す。ブン―――と電源の入る独特の音が響いて―――
「明日は一日中晴れよ。降水確率0%」
「………そう」
 画面が点く前に。
 何だか何もかも先読みされているようで悔しかった。
 オレンジジュースを残り一気に飲む。


 普通のデート。
 買い物をしたり、遊園地行ったり、映画見たり。
 考えてあまりに貧相な自分の発想力に恥ずかしくなる。だが、まあ、普通というのはそういうものだろう。高校生にあまり高級な事を要求するわけにもいかない。
 ただ…今までとさほど変わらない気がする。
「お姉ちゃんは、普通のデートって言ったら何を連想する?」
「ビリヤード」
「渋いよ」
 ともかくこの件に関して姉の意見を真正面から聞くのは正しくないと判断。
 かなりのハイペースで英文を読みながらちゃんと返事を返す姉は只者ではないと改めて気付きながらも、今回の事に関してはおそらくジャンル違いだろう。
 例えば昼食は、公園でのんびりと。弁当は明日の朝早くに起きて作る。学校のある日でも弁当は時々作っているから、特別な事というわけでもない。
 香里ではないが、スポーツというセンは確かにいいかもしれない。運動制限も完全に解除されたのだから。
 とは言っても体の筋肉がいきなり完全復活するわけでもないから、そんな激しい運動は出来ないだろうが。となると…
「まあ、相沢君に任せておけばいいんじゃない?色々考えてくれるでしょ」
 まるで心を読んだかのようなタイミングで、香里が思考を遮る。
「それは…そうかもしれないけど」
 確かに色々考えてくれるかもしれない。ただ何も考えて来ない可能性が十分にある男でもある。よく言えば意外性のある男。単純な話、付き合いが長くてもその行動パターンは読みきれない。
 それはそれで面白いような気もするが―――
 ぼんやりと点けたままのテレビを眺める。
 例えば夜。夕食はちょっと豪華に外食だろうか。豪華といってもあの喫茶店とかその程度だろうけど。
 後は公園で噴水でも眺めながら冷たい空気を浴びて一緒に語り合う。
 そして、その後は。
 その後は………
 バイバイ、また明日?
 …今回からは「何の制限もない」。彼も栞も知っている。本当にそれでお別れ?
 考えて、ちょっと赤面する。あの彼がこんな特別な日を見逃すとは思えない―――
 たった一度とはいえ、栞も経験済みだ。覚悟は出来る。
 例えば触れるだけでない、愛撫するようなキス。
 触れる手の熱。肌を這う指の軌跡。そんな感覚まで蘇ってきそうなほどにその記憶は鮮明に残っている。
 優しい、彼の顔。だけど普段とはまるで違う表情。
 遠慮がちに、だけど迫るように。
(わ、わ、わ………)
 明日。
 もしかすると、明日。
 ほわわん、と空中に浮かんだイメージを慌ててばたばたと消す。
 とくん、とくんと心臓が大きな音をたてている。胸が痺れて苦しそうに悲鳴をあげている―――
(はうぅ…)
 これ以上この事を考えるのは危険。バクハツしてしまいそう。
 何よりマジメに勉強している姉の隣でこんな事を考えている自分が凄く恥ずかしい。
 横目で非難されているようで―――
「栞」
「うひゃんっ!?」
 唐突に、絶妙のタイミングで声をかけられて返事が裏返る。
 香里は気にもとめないで相変わらず本を読んだまま続ける。
「別にあんたが妄想するのを止めはしないけど、ヘンな事始めるんだったら部屋に戻ってからにしてね」
「ヘ―――?」
 一瞬、やっぱりバレていた恥ずかしさと混乱でアタマが真っ白になる。
 …数秒も経ってから、顔がかあぁっと真っ赤になって。
「お、お姉ちゃんのエッチ!」
「どっちがよ」
「うぅ〜〜〜〜ッ」
 あくまで表情すら変えない香里と、もう全身微熱状態の栞と。どちらが不利かは明らか。
 恥ずかしさに体を小さくするけれど、ドキドキは大きくなるばかり。
 居たたまれなくなって早くここから逃げようと思うが、そうなると今度は先程の香里の言葉がちらついて身動きが取れない。
「うぅ…」
 ともかくも、違う事を考える。テレビを見る。まともに見ていなかったが、どうやらクイズ番組をやっているらしい。確か過去に一度だけ見たことがある、一般の人に問題を解答させて、参加者はその人が正解するかどうかを当てる番組。
『今日はお二人はこれからどちらへ?』
『センター街で遊んできます〜』
『ラブラブですか?』
『はい♪』
 本当に仲の良さそうなカップル。
 自分と彼も、周りから見るとこれくらいに見えるだろうか、と。
 テレビに映るようなあれだけ清々しいカップルでも、やっぱり、もう―――
「………」
 自己嫌悪。
 こんな状態でラブラブカップルなんて見せ付けられると、もう。
(ううう。私、そんなにエッチじゃないよぅ…)
 火照った顔を体を、必死に抑える。このままだと他の事は何も考えられない。何を考えても思考が最終的にある一点に向かうベクトルに偏向する。
 色々と自分に言い訳しつつ。
「案外、明日あっさりとバイバイかも知れないけどね」
 そんな事を隣で言う人がいる。
「…お姉ちゃん、私をイジメて楽しい………?」
「別にいじめているつもりはないけど。可能性を述べただけよ。それとも何、栞…やっぱり期待してるのかしら?」
 平然と言い放つ香里。
 栞はわあーーーっと叫んで手をぶんぶんと振り回す。
「き、期待なんてっ…そ…わ、私は……祐一さん次第で…」
「女の子って卑怯よねー」
「………」
「ま、いいんじゃないの、それで。栞のしたいようにすればいいわよ。受身な積極性ってところかしら」
 よく見ると「慶應義塾大学英文読解過去問集」と書かれた本を読みつづけたまま香里は言う。
 ちらりと見えた問題内容からすると、どうやら核融合発電の将来性に関する文章らしい―――
「いざとなって怖くなったならその時にでも断ればいいのよ。こういう事は女の子のほうに優先権があるんだから」
「お…お姉ちゃんって、実は結構―――」
 栞はまだバクハツする心臓を抑えながら、目の前の姉をじっくりと見つめる。
 優等生の姉。おいそれと手は出せない高嶺の花。栞の密かな自慢。
 偉大な姉。
 そして。
「―――耳年増?」
 香里の裏拳が、キレイに栞の顔面に直撃した。






「わあああーーーーっ!!寝坊しちゃったよっ!」
 当日の、朝。
 美坂家に悲鳴があがる。
「あら、おはよう栞」
「お、お姉ちゃんっ!どうして起こしてくれなかったのっ!?」
「ん?まだ時間は十分あるんじゃないの?」
「お弁当っ!作ってる暇ないよ〜〜っ」
 ああ、と頷いて香里は手を叩く。
「うっかりしてたわ。ごめんなさいね」
「う………わ、私が悪いんだからいいんだけどっ」
「そうね」
 栞はできるものだけでもと適当に準備する。いつもの豪華弁当は出来そうにも無い。
 ………ぴた、と。ふと動きを止める。
「もしかして、昨日の事まだ根に持ってたりする?」
「何のことかしらね」
「………」
 とりあえず深いことは考えず、作業に集中する。
 せめて簡単にでも何か作って―――
「ねー栞ー」
「……んー?」
「今日、何時に帰るってお母さんに伝えとこうか?」
「…う」
 いきなりにシビアな質問。
「ちなみに相沢君は名雪の家だからお泊りも公認にOKよ」
「…お姉ちゃんっ」
 姿見えぬ姉にとりあえず大声で抗議して。
 ゆっくり考えて。
 しばらく考えて。
「…お泊りもあるかもって、お願い」



FIN.




【あとがき】

がーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!
逆睫毛が痛い痛い痛いーーーーーッ!!!
なんて叫んでる場合でなくて!
70000アクセス大感謝でございます♪
60000から16日弱でした。なんだか恐ろしい事にナッテマスっ(汗)
全ては皆様の暖かい応援のお陰でございます。ありがとうございます!!

さて。
………えっち。
以上!(爆)

あああ逆睫毛がぁっ