「ねえ、ちょっと聞いてよ美汐〜〜〜っ!」
 がさっと大きな音を立てて、目の前の茂みから女の子の姿と声が同時に現れた。
 何の脈絡も無く、唐突に。
 昼休みの中庭に。
 …彼女が胸を手で押さえてそのまま全身が硬直するほど驚くのも、無理は無いのだった。
 比喩的表現でなく、確実に一瞬心臓が停止したのを実感した。
「…美汐?どうしたの?」
 飛び出てきた少女は心底から不思議そうに首をかしげる。
 無邪気な…というよりは本当に子供っぽい仕草。
「………どうしたと聞かれたら、驚いて心臓がドキドキしていると答えますが」
「…恋?」
「驚いたと言っているでしょうに」
 美汐ははぁっと大きく息を吐いて、さらにやや大きめに吸って…深呼吸をして体を落ち着かせる。
 噴水の縁の上に座っているので、ややもすると落ちてしまうところだった。まだ決して暖かいとは言いづらいこの季節、もしそんな事になったら―――いや、寒くなくても昼休みに噴水に落ちたなんて事件があったらある意味ヒロインになれてしまうだろう。想像してぞっとする。最悪の事態は避けられて良かったと思う。
 茂みから現れた真琴は、きょろきょろと周囲を見渡す。
「美汐、一人?」
「ええ」
「何してるの?」
 こんな所に、一人でぽつんと座って。傍目には「クラスの明るい雰囲気に馴染めなくて逃げてきた人付き合いの苦手な暗い女の子」という感じに見える。
 美汐は、こともなげに答えた。
「ひなたぼっこ」
「………」
「失礼ですね。物腰が上品と」
「何も言ってないわよぅ。物腰関係無いし」
 中庭にぽつんと座る少女と、体に草やら葉っぱやらつけている私服の女の子。色々と周囲から想像されそうな不思議な光景。
 美汐は少し周囲を気にしながら、目で真琴に隣に座るように伝えた。
 目と目で通じ合うテレパシー。
「………?」
 伝わらなかった。
「…隣、座りませんか?」
「あ、うん」
 美汐はふうっ、とため息をついた。
「それで、何の用事なのですか?」
「ん?」
 真琴は美汐の質問に不思議そうに顔をじっと見上げる。
 何を聞かれたのか分かっていないらしい。
「…何か、話したい事があって来たのではないですか」
 2,3度目をぱちぱちと瞬かせて、ばっと顔の向きを変えて、何か思い出すように上を見上げる、真琴。
 考え事をしているというよりは、何も考えていないように見える表情。
 数秒が経過した。
「あああーーーーーーーっ!!!そうそうっ!!!」
「静かにして下さい」
 突然大声をあげて美汐に振り向く真琴、冷静に注意する美汐。
 真琴は一切構わずいつもの声で続ける。
「ちょっと聞いてよ美汐っ!祐一ったらね―――」
「愚痴を聞かせるのでしたら勘弁して下さい」
「………悩み相談って事で」
「それならいいです」
 何故かあっさりと了承を貰って真琴は嬉しそうに大きく頷く。
 すうっと―――大きく息を吸い込んで―――
「祐一ったらね、真琴の事いつまでも子供扱いするのよっ!いっつも幼児体型だとか保育園で働いてたら園児に紛れて分からなくなっちゃうんじゃないかとか酷いよこれって言葉の暴力よね許せないわそれに人が部屋で肉まん食べて幸せに浸っている時に食って寝てばかりいると牛になるぞとか言うのよそんなのなるわけないじゃないあれって絶対真琴が子供だから騙されると思って言ってるのよ最低ねっ!!この前もいつもみたいにマンガ読んでって頼んだらなんかすごく複雑そうな顔して真琴の顔じっと見てくるし何よクロマティ高校の何がいけないって言うのよどう考えても少年誌には向いていないとでも言うつもりなのよきっとバカにしてると思わない!?それにね祐一ったら本当は肉まんよりピザまんのほうが好きだとか言い出すのよあんな下品なモノのどこがいいのか納得できないわ肉まんっていうのは玉ねぎとのハーモニーで極上の風味を生み出す肉汁が皮に少しだけ染み込むのが―――」
 早くも、美汐は後悔し始めていた。


「―――でね、その時祐一ったら何て言ったと思う?俺は真琴じゃないとダメなんだ、名雪や他のやつが何を言おうと関係無い、だって。そうやって正面切って言ってくるのが祐一らしくてそんな所も真琴は本当は大好きなのよね♪あ、でも、祐一には絶対内緒だからねっ。あいつすぐに調子乗ってえらそーにするんだからっ!でもそういう所もまた可愛いっていうか」
「………悩み相談なのか自慢話なのか、どちらかにして下さい」
 心なしか目が虚ろになりかけている美汐が、小さな声を振り絞って注意する。
 気が付けば正午近くなのに影の角度が微妙に変わっている事が分かる程度の時間が経っていた。
「え?あ、ごめんね。それでねこの間の事なんだけど実は名雪の制服勝手に借りて着ちゃったんだそしたら祐一びっくりしてたけどすっごく喜んでくれてねもう今まで見た中で2番目くらいに目が輝いていたわ。1番目はちょっと教育上不適切な表現が出るから言えないんだけど。その後名雪にバレちゃって大変な事になったんだけどその時祐一がかばってくれてね全部俺が悪いんだ俺が勝手に借りたんだとか言って。あの時の名雪の体罰っぷりはさすがに真琴もちょっと引いたわそりゃもーみのもんたも絶句モノだったわよごめんね祐一見ていることしか出来なくて。カッコいいのかカッコ悪いのかイマイチ微妙なエピソードなんだけど」
 悩み相談なのか自慢話なのかもイマイチ微妙だった。
「そう言えば祐一日曜日にね―――」
「まだ続けますか」
「………ダメ?」
 真琴はくりっとした大きな目で美汐を見つめる。それは人間の母性…別名守ってあげたくなっちゃう回路に訴えかける高等技。この技に必要なのは技術ではなく、あくまで天性。あと年齢(外見の)。場合により性別は問わない。
 じっと。どこまでも純粋な目で。
 それを無意識でやってのけるのは真に一部の限られた者に許された才能であると言えるだろう。ちょっとアレな男だったら「お嬢ちゃん、何でも好きな事を言ってごらん、おぢちゃんが何でも聞いてあげるよぉ…へっへっへ」状態になってしまうことだろう。
 果たして、美汐は。
 視線を逸らして、己の中の葛藤と必死に戦っていた。
(ダメよみっしー…ここで譲歩しては。もうすぐ昼休みも終わってしまうからそろそろ戻らないといけないし…ああでもでもっ、一体この世の誰がこの視線に抗えるというの?この可愛さに逆らうのはあたかも天の意志に楯突くよう……もうっ!まこぴーたんったら、らぶりー♪)
 あくまで無表情のまま。
「…仕方ないですね。少しだけですよ?」
 たっぷり数秒悩んで、内心ではこれで真琴内部でみっしー好感度さらにアップ間違いなしねと心弾ませながら、しかしあくまで「仕方ない」という口調で言い放った。
 視線を戻して。
 誰もいなかった。

 ひゅるり…冷たい音を発しながら風が通り抜けた。
 飛んできた落ち葉が、ぺちっと頬に貼りついた。

 沈黙が痛い。
 ――視線の方向そのままで、はるか遠くに、真琴の姿が見えた。
「ゆーいちーーーっ♪遊びに来たよ〜っ」
「こ、こら、学校で抱きつくなっての…ったく」
 遠くから聞こえる二つの声、遠くに見える二人の姿。
 先程まで愚痴まじりに喋り倒していた事なんて微塵も感じさせないように無邪気にはしゃぐ真琴、抱きつかれて迷惑そうに言いながらも傍目に分かるほど嬉しそうにでれっと表情を緩めている祐一。
 遠くから見つめる美汐。
「………」
 考える。
 恐らく祐一は中庭に二人の姿を見つけて降りてきたのだろう。そして、真琴が発見して走っていって、抱きついた。
 それだけのことだ。
 真琴にとって美汐より祐一のほうが優先度が高い。
 それだけのことだ。
「………好感度アップイベント、不発」
 ぽつり呟くと、貼りついた葉っぱを払い落として、立ち上がる。
 いくらなんでも、ここで一人放っておかれると気まずい。あの二人の場合下手をすると美汐の存在など全く気にしないままラブラブワールドに入り込む可能性すらある。
 現に以前はいきなり美汐の目前で真琴が祐一の―――
「………」
 ぶるぶると頭を振って過去の衝撃映像を払いのける。今はそんな事はどうでもいい。
 今は自分の存在をアピールする事が大事だ。予鈴が鳴るまでは時間は大丈夫なのだから、それまでの短い時間だけでも。
 ゆっくりと、自然に二人に近づいていく。会話が風に乗って届く。
「お前目立つんだから、あんまり学校に来るなって言ってるだろ?」
「だって…急にどうしても祐一に会いたくなって、来ちゃったの」
 …初耳だった。
 美汐に散々零していたのは単に思い付きだったらしい。
「全く…相変わらず寂しがりやだな」
「何よぅ。祐一は会いたくなかったの?」
「まさか。俺だってこうやって」
 先程の自らの言葉を忘れたかのように、ぎゅっと真琴の体を強く、覆い被さるように抱く祐一。
 あ、と声をあげて真琴が目を恥ずかしげに細める。美汐の前では普段絶対見せる事のない、とろけるような表情。潤んだ瞳。
「いつだって真琴を抱いていたいさ」
「祐一………」
「………」




 今すぐにでも殴りかかりたい(もちろん、祐一に)衝動を必死に抑えて、あと一歩のところまで近づいてゆく。全く振り向く気配もない二人。どうやって声をかけてやろうか。
 慎重に言葉を選んで。
 静かに、口を開く―――
 
きーん……こーん……………かーん……こーん……………
―――予鈴が鳴った。

「…悪い。もう教室戻らないと。…ごめんな」
「うぅん。勝手に来ちゃってごめんね。祐一は学校頑張ってねっ」
 ああ、と手を振って祐一は少し慌てて早歩き気味に去っていく。
 真琴は寂しそうな笑顔で見送ると、先程の余韻を楽しむように自分の体を優しく抱きしめる。体に残ったぬくもりが消えてしまわないように…
「………えーと」
 美汐が手を少しだけ上げた状態で固まっていた。
 ん?と真琴が不思議そうな顔で初めて振り向く。
「あれ、まだいたの、美汐?もう行かないと授業始まっちゃうよ?…あ、もしかして、サボリ?ダメよ授業はちゃんと出ないとっ。バカになっちゃうよっ」
「………………はい………」
 美汐は、涙声で、答えた。




おしまい。


【あとがき】

またまた中身の無いSSを………

80000アクセス、大大大大大大大大感謝ですーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
と、ひそかに「大」と「!」を8つずつにするという小技を使ってみたところで。
本当にいつもいつも訪れてくださる皆様、ありがとうございますm(__)m
60000〜70000の間がかなり無理のある更新をした反動か今回はSSだと「香里お姉さん」1回分の更新という有り様ですが…うぅ

そうそう。
一度SSの更新を一旦緩めて、過去のSSに挿絵を大補強していこうという計画も考えています。
これについて何かご意見のある方は掲示板とかメールでお気軽に何か言ってくださいませ♪
少なくともこの計画の発動前に「ラブなゆ4」を…4月中に公開予定でございます。
「3」からもう7ヶ月経とうとしている………(汗)

ではでは!
最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました!!
もしお暇でしたら感想などいただけるととっても嬉しいです。もう喜びのあまりソフマップで堂々とヨドバシカメラのポイントカードを差し出してあまつさえ「全部使います」とか言ってしまいます♪
………気まずかったよ…