霊夢は、箒を持ったまま階段に腰掛けていた。特に何をするでもなく、ぼーっとしているだけのように見えた。
 よくあることだった。むしろ、霊夢がぼーっとしてないときのほうが珍しい。
 しかし魔理沙は、この時点でいつもの霊夢と少し違うと気付いていた。
 いつもなら上を向いて放心する癖のある彼女が、今日は下を向いていた。
 ただ、それだけのことなのだけれど。


「よ」
 魔理沙が空から降り立ち、声をかけると、霊夢はそこでやっと気付いて顔を上げた。
 よほど考え事をしていたのだろう。特に気配を隠してきたわけでもないのに、ここまで気づかないことは通常ありえない。霊夢がこれくらい鈍感だとしたら、魔理沙が挑戦し続けて負け続けている理由が見当たらない。
 霊夢は魔理沙の顔を見て、最初「あ」の形に口をあけて何かを話そうとするが、しばらく口を開けたあとはそのまま閉じてしまう。魔理沙の顔を、無表情で見つめながら。
 いよいよ変だ。こんな霊夢は見た覚えが無い。
「……どうかしたのか?」
「ん? 何が?」
 尋ねると、霊夢は視線を下げてから答えた。
 声にも元気が無い。
「おいおい。しっかりしてくれよ。いつもなら私が来たら『あぁん魔理沙愛してるっ、会いたかったわずっと寂しかったのよさあ部屋に行きましょ』って抱きついてくるところだろ」
「魔理沙がそんな口調で話すとかなり気持ち悪いわね……」
「……ツッコミ方も史上最強の冷たさだな」
 冷たいのは何も今に始まったことではないが、やはり声が沈んでいるのが気になる。
 何せ今まで何があっても、例えば1年間に1銭たりとも賽銭が入ってなかったりしても、決して落ち込んだ様子を見せることのなかった霊夢なのだ。こんな霊夢と向き合うのは初めてで、どうしたものか困惑してしまう。
 とりあえず心当たりを考えてみる。
 前回会ったときは普通だった。前回というと、約1週間前だ。
 この1週間の間に何があったか。魔理沙の記憶にある限り、そんな大事件はなかった。もっと霊夢にとって個人的な問題なのかもしれない。聞いていいものかどうか、難しいところだ。
「悩み事なら私が聞くぜ」
 びしっと親指を立ててみる。出来る限り言い出すまで待つのが正解だと判断した。
 霊夢は、さらに顔を少し下げて、小さく「んー」と唸った。
 ちょっとだけ真剣な顔をして、悩んでいる。おそらくは話すべきかどうか。
「……言いにくいか?」
「あー」
「太ったとか」
「失礼ね。どこぞのメイドじゃあるまいし」
「単純に風邪ひいたとか」
「巫女が風邪ひくわけないでしょ」
「それは初耳の新説だが……じゃあ最近私があまり来ないから寂しかった。なんつって」
「次」
「……ぐすん……ええと、なんとアレが来ない」
「まだ始まってもないわよ」
「え!? マジで!?」
「嘘に決まってるでしょ。食いつきすぎ」
「……」
 こほん。

 絶妙かつ微妙な沈黙が数秒間場を支配した後、霊夢は弱くため息をついて、すくっと立ち上がった。
「魔理沙」
「ん」
「部屋に来て」
「へ?」
 霊夢は言い終わると同時に、魔理沙に背を向けて歩き出した。本殿のほうへ。
 魔理沙は少し遅れてついていく。
「部屋って……霊夢の?」
「……」
 答えは返ってこなかった。
 霊夢の部屋。ここ博麗神社にある。最近は魔理沙でさえ部屋に入れてもらうことは全くなかっただけに、その唐突な言葉に少し混乱した。
 色々尋ねたかったが、霊夢の背中は今どんな疑問を投げかけることも拒否しているように見えた。
 だから、ここは黙ってついていく。
 ちょっと緊張しながら。



 驚くほど何もない部屋だった。
 どこもかしこも物で埋まっている魔理沙の部屋とはあまりに対照的だった。子供の頃には確かにここに遊びに来ていたような思い出もあるのだが、そのときはもうちょっと色々あったように思う。
 霊夢は魔理沙を部屋に通すと、無言でふすまを閉めて、そこにお札を3枚貼っていった。
「……? 何してるんだ?」
「結界。鍵みたいなものよ。広い意味で」
 誰もこの部屋に近づいたりはしないだろうに、随分慎重なんだなと魔理沙は思った。家に鍵をかけるのはわかるが、部屋に鍵をかけるというのは魔理沙には馴染みがないのだ。
 霊夢はしっかりと隙間無く閉じた空間が形成されていることを確認すると、部屋の真中あたりで落ち着き無く胡坐をかく魔理沙に向き直った。
 密室に二人きり。
 部屋の隅には布団がたたんである。
 結界のおかげで外に声が聞こえることもない。
 これはなんとも――
「――変な妄想するのは帰ってからにしてね」
「き、気のせいだぜ。いいい言いがかりはよしてくれ」
「……」
 ――はあ、と霊夢のため息。
 魔理沙に正面から向き合って、正座をする。目を閉じる。
 また10秒くらい沈黙を挟んだ後、霊夢はやっと口を開いた。
「飛べなくなっちゃった」

 理解するのに時間がかかった。
 いや、言葉の意味そのものを理解するのは簡単だった。何も比喩表現を使っているわけではない。ただ、その言葉の意味する現象を理解することができなかった。
「――あん?」
 混乱のまま、間抜けな返事を返してしまう。
「あ。それはアレか。暗喩表現か? ひとりじゃイけな」
 ぐぶっ――
 霊夢の右ストレートが物凄い勢いで魔理沙の顔面を直撃。
 ごん、ごん、ごろごろごろ……
 そのまま後方に転がり続けて地面で頭を打ちまくる魔理沙。
 5メートルくらい後方に吹っ飛んで、ようやく止まる。
 だくだく。畳に染み込んでいく鼻血。
 正座のままでこの威力。
「変なこと言うと、殴るわよ」
「……さ……先に忠告……してほし……かったぜ」

 少し間を置いて。

「空を飛べなくなっちゃったの」
「……マジか」
「うん」
 想像を遥かに超えるような、緊急事態だった。それはまさしく。
 落ち込むのも無理はないどころではない。本当だとしたらむしろ霊夢は落ち着きすぎているくらいだ。霊夢にとって空を飛ぶということは生きることそのものだと言っても過言ではないほど、根源的な能力なのだから。
 慰めるとか、そんな話ではない。言葉も出ない。
 魔理沙で例えれば魔法が使えなくなったというのと同じことだ。考えられない。考えたくも無い。そんなことになったら何をして生きていけばいいというのか、と思う。
 ここまで慎重に密室にした理由がわかった。結界の維持と神社への不法侵入者への対応は霊夢の仕事だが、後者は空が飛べないとなるとまったく不可能となりかねない。今は霊夢の強さを恐れ近寄らない妖怪たちも、霊夢から戦力が奪われたと知れば喜んでやりたい放題だろう。並大抵の能力の者ならば悪意を持って近づく時点で結界に跳ね除けられるため、少々留守にする程度なら問題はないのだが――万一時間をかけて攻撃されるようなことがあれば、絶対に安全という保証はできない。霊夢が空を飛べなくなったということは、誰にも知られてはいけない秘密だった。
 話すのに躊躇いがあったのも当然のことだ。
「飛べない巫女なんて、ただの巫女よね」
「いやそれはまあいたって普通にその通りなんだが」
 もっと取り乱してもいいはずだった。誰にも聞かれない今くらいは。
 霊夢がそんな状態になることなど想像もできないが、あるとしたらまさに今このときではないのか。
「思い当たることはないのか? 原因とか」
「これだっていうのがあれば、魔理沙の顔を見た時点でなんとかしてって頼んでるわねえ」
「……それもそうだな」
 頼んでいるというか、命令しているだろう。
 本人にしては頼んでいるつもりなのかもしれないが。
「いつからだ?」
「3日前。起きたら飛べなかった」
 尋ねると、簡潔な答えが返ってきた。
「飛べないっていうのは、どういう感じなんだ? まったく浮かないのか? 落ちるのか?」
 気分は医者だ。ともかくもまずは情報収集。
 この質問には、霊夢は言葉に詰まったようだった。
 うーん、としばらく頭を抱え込んで。
「飛べる気がしないの」
「……あ?」
 意外な答えが返ってきた。
「飛び方がわからないわけじゃないんだけど、飛べそうじゃないの」
「難しいな。哲学か?」
「どっちかというと心理学かしら」
「精神的な問題?」
「なのかしら。でも、飛んでみようとするとやっぱり飛べないのよね」
 ふーむ。今度は魔理沙が悩む番だった。
 どうにも、どういう状況なのかわかりにくい。わかったところで解決策が出るわけではないにしても。
「そもそもどういう原理で飛ぶんだ? 魔法でもないのに」
 考えてみれば、まずそこがわかっていない。同じ質問は、ずっとずっと昔にもぶつけたことがあるような気がするが、そのときどんな答えが得られたかはよく覚えていない。結局のところ今までのところ「霊夢は空を飛ぶ巫女」という定義として理解してきたため、原理など追及しようとも思わなかったのだ。
「魔理沙は、人間がどういう原理で歩いたり喋ったりしてるか答えられる?」
「そういうのは学者の仕事だぜ」
「同じことよ。飛ぼうとしたら飛べる――飛べたんだもの。それ以上のことなんて考えなかったわ」
 およそ想像通りの答えが返ってきた。質問した魔理沙にしても、霊夢からそんな詳細な回答が得られるとは最初から期待はしていない。
「でも、そうね。治療ってこと考えると必要よね、そういう知識って」
「知識か……ああ。そういや一人、医療系に詳しそうな知り合いに心当たりがあるが」
「私も心当たりあるけど、あれは医者じゃないし、まずまともな人間を扱ったことがあるかも怪しいし、まして巫女なんて初めて見るくらいなんじゃないかしら。何より、信用できないわ」
「巫女かどうかは重要じゃないと思うが……」
「間違えないで。私は人間である以前に、巫女なのよ」
「うわ」
 なんだか凄いことを断言されてしまった。
 霊夢がそう言うと本当にそういう定義のような気がしてしまう。博麗霊夢という人間は。博麗神社を管理するということは、それくらい大きな意味を持つのだということを暗に意味しているのかもしれない。
「――考えれば考えるほど、重大な話だな。私に話すのも本当はまずかったんじゃないのか?」
「何も言わなくても重大さを理解してくれる魔理沙だから話せるのよ」
「……そ……そっか。はは」
 不意を突いた霊夢の言葉に、魔理沙は少し動揺して顔を赤くする。
 素直に、嬉しかった。
 会えば戦ってばかりで、友達らしいこともあまりしたことのない、せいぜい暇つぶしに遊んでいるくらいの関係だった霊夢から、信頼していると言われたのだ。予想もしていなかった。いつでも何でも1人で解決してしまう霊夢が、誰かを信頼するということがあるというのも意外であり、その相手が自分だというのが魔理沙にとってはただ驚きで、そして、とても嬉しかった。

「でもさ」
 会話が止まってしまった空間で、霊夢の言葉を何度も反芻しては気持ちを高揚させていた魔理沙が、照れ隠しに、部屋の空気を変えるように、口を開く。
「霊夢に挑戦する奴がいたら、どうしてもそいつにはバレてしまうんじゃないか?」
 戦いを受けるにしても、避けるにしても。
 戦いとなれば飛ばないわけにはいかないだろうし、戦いを避けるには何らかの理由の意思表明が必要だろう。適当な説明で納得してもらえるならそれで問題ないが、そう素直な相手も滅多にいない。
「ああ。それは大丈夫よ」
 しかし魔理沙のこの心配を、霊夢はあっさりと一蹴した。
 ふふ、と魔理沙の顔を見つめて笑う。
「私にケンカ売ってくるような無謀な子は、魔理沙以外にはいないもの」




 霊夢の小さな部屋は、リハビリ部屋と化した。
 治療作戦、開始。

(1)とりあえずがんばってみる

「無理」
「はやっ」
 まずはどんな感じでダメなのか試しに見せてくれ、と霊夢の様子を観察するところから始めた。
 霊夢はすっくりと立ち上がって、うん、を大きく気合を入れて頷いて、その1呼吸後に先の台詞を吐いた。
 情報量、変化無し。


(2)跳んでみる

 ぴょんぴょん飛び跳ねているうちに自然と浮いてくるかもしれない作戦。
 ぴょん。
 ぴょん。
 ぴょん。
 ぴょん。
 その場で跳ねてみたり。
 部屋の中をぐるぐるまわりながら跳ね続けてみたり。
 ぴょん。
 ぴょん。
 ぴょん。
 ぴょん。
「……っあ〜〜〜〜〜〜っ!! 可愛いなチクショウ! こうなりゃ私も一緒にぴょんぴょんするぜ!!」
 ぴょん(ぴょん)。
 ぴょん(ぴょん)。
 ぴょん(ぴょん)。
 ぴょん(ぴょん)。
 げしっ。
 霊夢が足の裏で魔理沙のお尻を蹴り飛ばすと、ぽーんと気持ちいいくらいに見事に壁まで飛んでいった。
 ごん。壁に頭から命中。
「無駄だとわかったら、その時点で止めてね」
「……はい……」
 壁に頭をぶつけ這いつくばってお尻を突き出した姿勢のまま、魔理沙は弱い声で答えた。


(3)痩せてみる

「……太ったから飛べなくなったって言いたいの?」
「待った落ち着けその拳をひとまず下ろしてプリーズ」
 霊夢にしても、魔理沙にしても、どちらかといえば痩せ気味のほうだ。標準をやや下回っている程度。
 軽くなればもっと飛びやすいのではないだろうかという実に科学的な魔理沙の発想はしかし、霊夢のエンタルピーを増加させてしまっただけだった。
「も、もちろん、霊夢は太ってなんかいないし、むしろもっとしっかり成長したほうがいいくらいで」
「……」
「いや今のなし悪かったちょっとした失言――」
 がばっ。
 魔理沙の一瞬の隙をついて、霊夢は背後を捕えて、しっかりと抱え込む。
 ……ふに。
「ひゃんっ……!?」
 むにむに。くにくに。
「ぁ、んあっ、れ……んふ……っ」
「……」
「……あ……」
 霊夢は無言で魔理沙から離れると、振り向いた魔理沙の顔をしばらく睨みつけてから、言い放った。
「――引き分けってことで、いいわ」
「……」
「……ちょ、ちょっと、そんな目で見ないの! 続きはないから!」


(4)落ちてみる

 部屋の隅に布団の山。台になりそうなものは全部積み上げた。
 そこに霊夢が乗る。高さは地上1.3メートルほど。すでに霊夢の頭は天井に当たりかけている。
「そこから飛び降りろ。頭には気をつけてな」
 霊夢は軽く膝を曲げてから、ぴょんっと軽く跳ねて、飛び降りた。
 普通に放物線を描いて、床に落ちる。
 すたっ。着地。また膝を曲げてショックを吸収。
「はい、ここでポーズ!」
 ばっ!
 下を向けていた顔を上に素早く上げると同時に立ち上がり、指揮者のように勢いよく両手を振り上げる。
 少し遅れて髪がふわりと舞う。美しい。完璧なタイミングだった。
 今この瞬間、霊夢は輝いていた。
「素晴らしい。完璧だ。可愛いぜ」
「……」
「あ、いや……えーと。……今は反省している」


(A)ターン終了

「まあ、色々とアレだったけど、付き合ってくれてありがとう。もう夜になるし、いいわ。そろそろ帰らないとまずいでしょ?」
 色々やっている間に時間はあっという間に過ぎていった。
 結局のところ、魔理沙の作戦は全て無駄骨だった。
「あ……そう、だな」
 魔理沙は、このまま泊り込みでもいいと思ったが、着替えも持ってきてはいないし、外泊の前に予め家のほうでしておかなければいけないいくつかの作業をしてきていない。帰らなければいけないのは確かだった。
 このまま何の成果もあげられないままというのが寂しかったが――
「よし、じゃあまた明日な、霊夢」
 部屋の隅に置いた箒を手に取る。
「え? 明日も来てくれるの? 連続なんて珍しいわね」
「当たり前だろ。霊夢が大変だってときにそれ以上に優先することなんて――あ、いや……まあ、うん。暇なんだ、最近」
 じー。
 霊夢が魔理沙の目を正面から見つめる。じっと見つめる。
 魔理沙は無言の視線に耐え切れず、赤くなって目をそらす。
「な、なんだよ」
「今の、照れ隠しでごまかしたつもりなんだとしたら、魔理沙もちょっと可愛いなあって」
「ぶ」
 吹いた。
 何かを。主に空気。
 けほ、けほ。咽る。霊夢はにこにこと魔理沙を眺める。
「言うほうは慣れてるのに、言われるのは慣れてないのね。面白いわ」
「や……可愛いなんて言われたのは、初めてだ……ぜ」
「そうなの? 不思議ね」
 その日は、顔も上げられず抵抗できない魔理沙に対して、霊夢がかわいいかわいいと囁きながら嬉しそうに頭を撫でることで終わっていった。
 魔理沙の帰り道はふらふら飛行と不注意事故の連続となった。




 約束どおり、次の日の昼過ぎにまた、魔理沙は博麗神社を訪れていた。
 大きな黒い包みを背負って。
 ぼんやりと立っていた霊夢に、よ、と声をかける。今日は霊夢は上を向いていたし、魔理沙のことにもすぐに気付いた。
「いらっしゃい」
 霊夢は普通に挨拶を返す。
「今日はどうだった?」
「ダメね」
「そうか」
 屋外での会話なので、情報のやりとりは必要最小限に。
 魔理沙は右手を突き上げて、叫ぶ。
「よし行くか! 私達の秘密の花園へ!」
「畳張りだし花もまったくない部屋だしあんまり秘密でもないわよ?」
「普通に返されたー!?」


(5)空を飛ぶクスリ

「ていうのを、例の薬剤師から貰ってきたぜ」
「1人で試してね」


(6)翼をつけてみる

「翼が欲しいと思ったことはありませんか?」
「何その口調。あるわけないでしょ、邪魔なのに」
「しかし今こそ試してみる機会! というわけで持ってきたぜ」
 黒い包みの中から取り出しますは、鳥のそれのような、白く大きな翼。根元に穴が空いていて、そこに紐を通すことによってしっかり体に固定できるようになっている。
 魔理沙は得意げにそれを広げてみせる。
「天使のイメージだ」
「帰っていいわよ」
「うお!? ま、待った。念のため言っておくが、何もコレは遊びで持ってきたわけじゃないぜ。要するにイメージの問題なんだ。飛べる気がしないとか言ってただろ? だったらまずは飛べるイメージを持つことが大切なんじゃないか」
 な? と翼を見せながら慌てて魔理沙がフォローを入れる。
「……そう言われると、一理あるような気がするわね」
「だろ?」
 というわけで、装着。
 翼はただ見た目を整えているだけではなく、手に持った紐を引っ張ることによって羽ばたかせることができるようにもなっていた。霊夢がくいっと紐を動かすたびにぱたぱたと翼が動く。
「お、おおおお……」
 ぱたぱたと羽ばたく翼を背負った霊夢を見て、感涙に咽ぶ魔理沙。
 手が震えている。
「う……美しい……」
 声も震えている。
 霊夢は、はあ、と少し感心してため息をつく。
「よくできたものね。いつの間にこんなの作ってたの?」
「や、それは、昨日の夜に、今日の昼までにこういうのがどうしても必要だから作ってくれってアリスに頼み込んだら目を真っ赤にして昼にきっちり届けてくれた」
「あんた悪魔でしょほんとは」
「悪魔の翼までは作れなかった。そっちも試してみたかったが、残念だ……しかし、十分だぜ。霊夢! まさに天使だ!」
 興奮して魔理沙が叫ぶ。
 霊夢から少し距離を置いて、部屋の隅のほうに移動して、霊夢が移動するスペースを確保する。
 さあ、と手を前に突き出して。
「そのまま歩いてみて……そうそう、こっち……ああもっとぱたぱたと。ぱたぱた。ああああそう! それ! それ! ふわふわって! ふわふわってね! あああ」
 じゅる。
「そこ! そこでくるってターンしてみて! ……くはっ!! それだーーー!! 最高だ最高だぜ霊夢さんうぉっと鼻血が」
 めきょ。
 霊夢の足の裏が思い切り魔理沙の顔面を踏みつけた。
「とりあえず、飛べそうな気はしなかったわ」
「……ひょうでひゅか……」
 だくだく。


(7)霊夢が跳んで、その足をタイミングよく魔理沙が掴んでさらに上に跳ね上げ、さらに魔理沙の肩に乗って三段ジャンプを実現して助走代わりにしてみる

「というのはどうかしら」
「私がなかなか無事には済まなさそうな気がする」
「そうね。じゃ、やりましょうか」
 結果は言うまでもなく。


(8)催眠術

「精神的な壁が問題なんだとしたら、それを直接的に取っ払ってしまう手がある」
「あー。なんか初めてちょっとだけ期待できそうな手段がきたわね」
「というわけで、だ」
 魔理沙は得意げに包みの中から、一つの封筒を取り出す。
 小さな封筒だった。魔理沙はその中から、数枚の紙束を引っ張り出す。
「その筋の専門家から本格的な催眠術のやり方を書いてきてもらった」
「いちいち行動が早いわね、あんた」
 えへん、と魔理沙はあまり無い胸を張る。
 さっそく手紙の一枚目を開く。
「行くぜ。『まず、狂気の赤い瞳で相手の目を真正面から睨みつけます――』」

 ぺし。
 捨てた。


(B)ターン終了

 うまくいかない。
 やはり原因もわからないのに対処するというのは無理があるのか。
「今日もずっとありがとね」
「いや。役に立てなかったな。マジで」
「役に立つつもりがあったってのも驚きね……」
 二人して静かに語る。
 今日ももうまもなく夜になろうとしている。昨日に続いて成果は何もなかった。
 しかし霊夢は落ち込んでいる様子もなく、穏やかな表情で魔理沙に対面している。
「でも、嬉しいわ。ひとりだったら私、そろそろ発狂してたかもしれない」
「……霊夢が? そいつは想像できないな」
「想像してよ。昔からずっといつも飛んでる私が、もう4日間も地上からの低い景色しか見てないのよ」
「普通に考えたら、そりゃ、もっと自暴自棄になっててもおかしくないくらいのことだと思うんだけどな。霊夢っていつも……なんつーかほのぼのしてるから想像つきにくい」
「そうかな。魔理沙が来てくれなかったら、今も泣いてるわよ。きっと」
 微笑みながら霊夢が言う。
 らしくないことを言うなあと思った。
 らしいなあ、とも思った。
 今日もここに来て本当によかったと――思った。
「お願いがあるの」
 霊夢は一歩近づいて、魔理沙の目をしっかりと覗き込む。
 その目に魔理沙はどきっと心臓を躍らせる。反則的な、上目遣い。
 じっと見つめてくるその目は、魔理沙が目をそらすことを許さない。ばくばくと、ますます心音が早くなる。次の言葉を促すための声が出てこない。だから、待ち続ける。
 待ち続ける。数秒。
「魔理沙と一緒に、飛びたい」
 その声は、しんと静まり返る部屋に、よく響き渡った。


「見られても、大丈夫なのか?」
 神社の外はまもなく夕焼けを終えようとする暗さ。
 箒を手に持って、魔理沙は改めて確認する。
 霊夢はしっかりと頷いた。
「大丈夫よ。見られたところで、何をイチャついてるのかなあくらいにしか思われないでしょ。――それとも、それが嫌? 魔理沙は」
「……まさか」
 箒に腰掛ける。霊夢が魔理沙の体にぴったり寄り添うように、その隣に座る。
 ふわりと箒が少しだけ浮く。霊夢は、魔理沙の全身にしがみつく。
「今更確認するのもなんだけど、ちゃんと二人乗り対応なんでしょうね」
「もちろんだ。そこの席は霊夢専用だけどな」
「同じ言葉を今まで何人に言ってきたのか知りたいわね」
「……よし、行くぜ」
 露骨にごまかしながら宣言して、飛び立つ。
 ゆっくりと高度を上げていく。ゆっくりとはいえ、地面はすぐに遠ざかっていく。すぐに、人間が落ちればただではすまない高さにまで到達する。
 これは、魔法の力で飛んでいるだけ。霊夢でも魔理沙でも、万一墜落するようなことがあれば、終わりだ。
「しっかり捕まってろよ」
「うん」
「怖くは無いか?」
「落ちても、魔理沙が命がけで守ってくれるから平気」
「そいつは――当たり前だ」
 霊夢は魔理沙の腰に手を回して、ぎゅっと強く抱き寄せる。
 これが今ここでもっとも安全な姿勢。今ここでもっとも安全な場所。
 もう、森を見下ろすほどの高さに達する。すでに通常の飛行経路に入った。


 ふわふわと、空を漂う。
「……」
 飛び上がってから、霊夢は一言も話さなくなった。じっと下の景色を見つめている。
 魔理沙もあえて何も言わず、ぐるぐると適当な場所を巡回し続ける。こういうときにとびきり美しい景色でも見せることが出来ればシチュエーションとして最高なのだろうが、思い当たる場所はいずれも遠く、そこに到達する頃には完全に日が沈んでいる。魔理沙は最初は色々考えたが、もうほとんど景色を楽しめるような時間は残っていないということで、今はゆっくり見せてあげることに決めた。
 静かな時間が流れる。
 魔理沙にとっては、空をこうして飛ぶ時間は日常のものである。霊夢にとっても、ほんの数日前まではそうだった。魔理沙はいつも、手軽に自然に空を飛べる霊夢がうらやましかった。いつも何も考えていないようにぼんやりとしながら何でもやってみせてしまう霊夢がうらやましかった。霊夢がどんなことを考えているのだろうなんて、まったくわからなかった。
 今も。
 ふわふわとただ漂っているときも。
 強敵と戦っているときも。
 弾幕合戦をやりあっているときも。
 今でさえ、こんなにすぐ近くにいるのに、霊夢の心にまでは触れられない。
 霊夢のことをもっと知りたいと思い始めたのはいつからだっただろう。いくら近づいても何も見えてこないことに焦りだしたのはいつからだっただろう。
 今、本当に、隣に座る彼女のことを知りたいと思った。
 じわり――と、突然、肩の辺りに熱いものが触れた。それはすぐに冷たくなる。そしてまた熱くなる。
 はっと魔理沙は寄り添う霊夢の顔を見ようとする。
「――霊夢?」
 そこは、霊夢の顔がある場所。服の上から濡れた感覚。
 霊夢の顔は下を向いていて、魔理沙からは見えなかった。体は少し、震えていた。
「れ――」
「ありがとう」
 再び声をかけようとすると、それを遮って、霊夢の声が返ってきた。意外にしっかりした声。
 魔理沙は、その声を聞いて、言おうとした言葉を中断する。
 霊夢の声を聞いてわかった。今は慰めの言葉も励ましの言葉も必要とされてはいない。
 ただ飛び続ければいい。
 ただ、飛んで、飛んで、飛び続ければいい。
「よし」
 気分を入れ替える。何も二人して、夜の景色みたいにしんみりとしていることはない。
 それでは本当に、らしくないから。
 改めて魔理沙は前に向き直る。
「それじゃ、慣れてきたところでスピード上げて、夜のドライブと行こうぜ」
 箒の先を少し下げて、ギアを入れ替える。高速モードの準備。
 霊夢はまだ顔を上げないまま、答える。
「行き先は?」
「お姫様の望むままに」
 夜の風が頬を撫でる。
 魔理沙の髪が霊夢の髪に絡みつく。
「それじゃ、このまま魔理沙の部屋まで」
 夜の風を切り裂いて進む。
 霊夢の指が魔理沙の髪を撫でる。
「そんなこと言うと、本気にするぜ?」
 スピードを上げると、近くの景色は激しく流れ始める。
 霊夢の声は耳元にすぐに届く。
「……ない」
 それでも、その声は風にかき消されて、よく聞こえなかった。
 ぽそり、とあまりに小さな声だったから。
「あん? 聞こえなかったぜ」
「……本気にすれば、いいじゃない」
 聞こえた。
 どちらのものとも知れぬ鼓動の音まで、はっきりと。


 空。
 振り落とされないようにとますます強く抱きついてくる霊夢の体から、はっきりと熱が伝わってくる。同じように、魔理沙から霊夢へも。こんなにも風を切っているのに、こんなにも熱い。
 どくんどくんと急いで脈打つ心音と、空を飛ぶ速度。今はどちらが速いのだろうか。
 魔理沙は何も言わず、箒の向きを変えた。いつもの帰り道に向けて。
 二人そのまま、一言も話さない。
 いつしか風の音も聞こえなくなっていった。森の声も聞こえなくなっていった。


 地面に降り立って、魔理沙が箒を玄関前に置いて、もう少しで入り口のドアの前というところに辿り着くまで、無言は続いた。
「きゃ……!?」
 この、霊夢の悲鳴まで。
 箒を片付けた魔理沙が、家をじっと眺めている霊夢を、何の前触れも無くその体を背後から持ち上げたのだ。
 そして持ち上げた体を、すっぽりと荷物を運ぶように腕の中に収める。霊夢の体を椅子に座らせるような形で折り曲げて、片方の腕で背中を、片方の腕で膝の裏を支えて。
「ちょ、ちょっとっ」
「お姫様を連れてくにゃ、やっぱりこれだろ」
 さすがに顔を真っ赤にしてじたじたと抵抗する霊夢を抑えて、しっかりと動けないように固定してしまう。
 じたじた。じたじた。
 じたじた……
 やがて、魔理沙に止める気がまったくないと知った霊夢は、足をばたばたさせるのもやめて大人しくなる。
 うー、と不満をうなり声にして表明してはいるが。
「……魔理沙」
「おう」
「……恥ずかしくて、死ぬ」
「大丈夫だ。私だって恥ずかしい」
 入り口のドアを通れば、その先は魔理沙のフィールド。

「到着ー……っと」
 ぽん。
 霊夢の体が、柔らかいベッドの上に投げ出される。
 ころころと少し転がってから、柔らかいベッドに沈み込む霊夢の体。ふわふわ。
「……なんか、自分がすっごく間違ったことしてしまった気がしてきたわ」
「いいや、きっと正しいぜ」
 ころころ。
 柔らかいベッドの上をまた転がってみる。ベッドで寝たことなどほとんどない霊夢にとっては新鮮な感覚だった。
「ま、お茶入れてくるから、大人しく待っててくれ」
「ん……」
「っと、紅茶しかないが、大丈夫か?」
 ころん。
 霊夢はまた体を半回転させて、魔理沙のほうを不満の目で見つめる。緑茶派の霊夢は、こういう機会ではいつも仲間はずれだ。霊夢の近辺で同じく緑茶派の相手など、幽霊くらいしかいない。
「……ミルクティで」
「すまん。了解した」
 魔理沙は手でごめんの仕草を見せてから、さっと部屋を出る。
 ころん。ベッドの上をまた転がる。魔理沙がいつも寝ているベッド。不思議な感覚だった。
 寝転がりながら、部屋の中を眺めてみる。魔理沙の家だからきっとどの部屋も物でいっぱいになっているんだろうとなんとなく想像していたが、さすがにベッドルームなだけあって、ここは比較的ゆったりとした空間になっていた。少し大きな本棚があって本が並んでいるのは、勉強家の魔理沙らしいところか。
 ある程度見物を終えると、ぽーっと天井を見つめる。
 ついさっきまで空を飛んでいたことを思い出す。霊夢が自分の力で飛ぶのとはまったく違う体験だった。霊夢から飛ぶ力が失われたりしなければ、こんな体験をすることはなかっただろう。魔理沙の部屋に来ることもなかったかもしれない。
 体にはまだ、先程運ばれてきたときの魔理沙の手の温もりが残っている。なんだかんだで無抵抗についてきてしまった自分に少なからず驚いている。そして、恥ずかしくて嫌だというだけではなかったことにも。
 ……思い出してまた恥ずかしくなって、ふいっと目を閉じてみる。
 目を閉じたら閉じたで、今度はベッドに残る魔理沙の匂いが強く感じ取れるようになって――
 あー。霊夢は心の中で弱く叫ぶ。本当に私は病気かもしれないと。
「わからないものね……」
「ん?」
 霊夢の独り言に、ちょうど部屋に戻ってきた魔理沙が答える。テーブルに紅茶のカップを2つ置いてから、ひょこっと霊夢の顔を覗き込む。
 寝転がったまま、霊夢は続ける。
「人間弱気になると、こんな魔獣の部屋にまでノコノコやってきてしまうんだなあって考えてた」
「そいつは酷いな。私ほどのイギリス紳士はいないぜ?」
 むく。霊夢がベッドから身を起こす。
 慎重に、床に足を下ろす。ベッドの縁に腰をかけた状態になる。
 魔理沙はそれを見て、その隣に同じように腰掛ける。
「魔理沙。もし私がこのまま飛べなかったら、どうする?」
 いつになく真剣な声で、霊夢は言った。
「それは……霊夢の問題だろう。私は今までどおり、何にも変わらないぜ。たまに暇なときには遊びに行くし、飛びたいならいつだって今日みたいに一緒に飛ぶさ」
「飛べない私は、たぶん魔理沙と戦っても勝てないわよ。弱い私には興味ないんじゃない?」
「……そうか? 霊夢はまったく動けないくらいで私はやっと互角くらいになれるんじゃないかと……真面目に思うんだが……」
「それは過大評価しすぎね」
 霊夢は弱々しくため息をつく。
「魔理沙、今から結構凄い事言うから、身構えておいて」
 そして、宣告。
「お、おう」
 魔理沙はその言葉に、素直に体を緊張させる。
 ここで一瞬の間があった後。
「私はね、このままでは自分の仕事を果たせないわ。1人ではね」
「そうかもな」
「現状を相談できた相手は魔理沙だけだった。そして、万一の時に頼れるのも魔理沙だけだとわかった」
「……」
「私を、助けて欲しいの。必要なときには力を貸して欲しい。私は1人じゃ戦えない。私は、魔理沙が、欲しい。私も……魔理沙に、私の全部何でも、あげるから」
 ――魔理沙が息を飲む音が、はっきりと部屋に響き渡った。
 長い長い沈黙が部屋を包み込んだ。

「た……確かに、凄いことだな。いきなりプロポーズされるとは思ってなかったぜ」
「え、いや、そこまでのつもりは」
「ってここで軽く否定するのかよ! どこまで本気なのかわかりまセン!」
 今ここにちゃぶ台があれば、がっしゃーんとひっくり返したくなる心理状況だった。紅茶の乗ったテーブルならあるが、さすがに後が恐ろしいことになるのでやめておく。
「えーと」
「よしわかった! とりあえずわかった! 好きにしていいよというメッセージだけはしっかりと受け取った」
「え……うん……」
 がばっ。
 霊夢の返事を確認するが早いか、そのまま勢いでベッドに押し倒す。
 両手の下、霊夢の顔。霊夢の表情はどんな言葉でも表現できない、微妙なものだった。見詰め合う二人の顔。
「魔理沙」
「心配するな。私は最初から、霊夢だけのものだ。今までだって、これからだって」
「……あ……」
 魔理沙の言葉に、霊夢の表情が溶ける。
 徐々にその距離は埋まっていく。
 霊夢は安心したように微笑みを見せたあと、すっと目を閉じる。
 お互いいつも間近に見ていた顔。それでも、ここまで近くなったことはなかった。魔理沙は霊夢の頬にそっと手を触れる。
 重なり合う熱い吐息。重なり合う胸から伝わる、熱い脈の流れ。
 そして、ゆっくりと、柔らかく、唇が触れ合った。


 その瞬間、霊夢の背中あたりで何かが発光した――が、目を閉じていた二人にはそれは見えていない。


「……っあああああああああああっ!!」
 どんっ!
「おわっ!?」
 急にかっと目を見開いて叫ぶ霊夢。両手で魔理沙を思い切り突き飛ばす。
 まったく遠慮の無い一撃に、魔理沙はそのまま吹き飛んで――スローモーションになりながら宙を舞い――テーブルで頭をぶつけた。ごん。
 霊夢は身を起こす。興奮した様子で。
「……解けた」
「……にゅー」
 魔理沙はただいまピヨピヨ状態。
 霊夢は構わず言葉を続ける。
「そっか……油断してたわ。アレだったか。考えてみれば納得いくわね……ありがとう魔理沙。おかげで解決よ」
「……ほえ?」
 ただいまダメージ回復中。
 痛む頭をさすりながら、魔理沙は少しずつこちらの世界に意識を戻していく。
「……えーと……治った?」
「うん」
「……なんで? ってか、わかるのか? そもそもなんだったんだ? あと微妙にさっきの瞬間の記憶が抜けてるんだが何があって私はこんなところで頭打ってるんだ?」
「3番目の質問から答えるわ」
 霊夢は、びしっと指を3本立てる。
「私がちょっと前に開発してた呪いのお札でねー。恐怖心で相手を縛って相手の能力を使えなくしてしまうっていうの作ってたのよね。たぶん間違ってポケットあたりに入れて寝てて、いつの間にかどっか背中あたりにぴったりくっついちゃってたみたいね。あまりのフィット感に気付かなかったわ。あはは」
「……」
「2番目の質問。今は気分すっきりよ。さっきまでなんかもおダメって思ってたのが嘘みたい。新しい朝が来た! みたいなね」
「……色々と言いたいことがありすぎて何にも言えないが……ま、まあとりあえずそれはあとにして、じゃあ、どうして急に解けたんだ……呪いが?」
 冷や汗を流しながら質問を繰り返す魔理沙に対して、霊夢はお気楽にひらひらと掌を振ってみせる。
 けらけらと笑いながら。
「そりゃ、呪いを解くにはキスだって古来より決まってるでしょ」
「うわツッコミどころが増えた」
「まあそんなわけで呪いにかかっている間の発言はもちろん取り消しね」
「……泣きたくなるぜ」
 つい先程まであんな雰囲気だったのに、気がつけばわがままが服を着て歩いているようないつもの霊夢だ。
 ああ、これが霊夢だなあと思ってしまったりもするわけで。
 魔理沙はちょっとだけ、本気で泣いた。
「作るのが大変な割に使いどころが難しくて、量産はやめたのよね。確かまだいくつかは持ってるけど」
「ところで最後の質問の答えはまだなのか」
「ん? ああ、呪いが解けたときに開放されるほにゃららの力って感じのものが魔理沙を吹き飛ばしたのね、きっと」
「そんな超アバウトなものに私はやられたのか……」
 がっくりと肩を下ろす。
 霊夢は話しながらも、巫女服に仕掛けられたたくさんのポケットのひとつから、ひょいっと一枚のお札を取り出す。
「あった。まだ一応奥の手ってことで持ってたみたい」
 それを眺めながら霊夢は、これだったかあともう一度少し悔しそうに呟いた。
 ひらひらと振ってみせてから、魔理沙にそれをつきつける。
「試してみる?」
 にっこり。
「え」
「ああ、危険はないわ。たぶん。魔理沙は強い子だから大丈夫でしょ。すぐに呪いは解けるし」
「あ……」
 魔理沙の中で計算が成り立った。
 呪いを試してみる→解いてもらう→解くためにはキスしないといけない
 そういうことだ。
「……し、仕方ないな。霊夢がどんな気分で毎日過ごしていたのか私も知りたいしな……うん」
「えい」
 ぴた。
 間を置かず、魔理沙の額にお札が一枚貼られた。


「……!?」
 視界が暗転した。ような錯覚を覚えた。
 瞬間的に、様々な幻覚が魔理沙を襲う。それは不吉な未来視。イメージ。魔法の暴発、制御ミス、破壊、自滅、魔力に食いつぶされる体、破滅、死、死、死。

「あ、あ……ああ……あ……?」
 がくりと腕から床に崩れ落ちる。容赦なく襲い掛かる圧倒的な恐怖感に、中腰でもいられなくなる。
 荒廃した世界。誰もいない世界。1人きりの世界。
 自らの魔法によって無残に何度も何度も体を刺し貫かれ続ける。

「や……やだ……やめて……やめ……! たすけて……!」
 魔法が使えなくなる呪いどころではない。このままではすぐにでも気が狂ってしまう。
「たすけ……て……霊夢……!」
「はーい」
 ぺり。
 ――幻覚は、霊夢が魔理沙の額のお札をはがすと、すぐに止まった。

「……っ、はっ、はぁ、はぁ……っ」
 全身汗まみれになっていた。
 とんでもない。これが呪いというものなのかと戦慄する。1分も耐え切れなかった。
「ま、マジか……霊夢、こんな状態で……4日間も……?」
「ねー、辛いわよね。そりゃ弱気になって魔理沙に気を許してしまうってものだわ」
「……」
 今度は別の意味で、恐怖を覚える。
 霊夢が、本当に、理解の及ばない神か仙人の域に達しているのではないかとさえ思えた。
 魔理沙の目に気付いた霊夢は、あははと軽く笑って、手を振る。
「いやほら、本当に凄い拒否反応が出るのは最初だけよ? そのうちどうせ感覚は麻痺しちゃうから」
「……ダメだ。私は、絶対霊夢には勝てないと思い知ってしまったぜ……」
「あー……ごめんね。そこまで苦しむとは思ってなかったから。よしよし」
 なでなで。
 霊夢の手が魔理沙の頭を優しく撫でる。
 なでなでなで。
 魔理沙が下を向いている間、ずっと、撫で続ける。
 少しずつ、気持ちが、回復してくる。恐怖感の後遺症が、霊夢の手によって癒されていく。
「二度と経験したくない」
「それは私も同感」
「……いや……でさ、思い出したわけだ。呪いを解くには……あーその……キスする必要があるんじゃ、なかったのか」
 された覚えは無い。
 お札を剥がされただけだった。
 霊夢は首を傾げて、きょとんと魔理沙の目を見る。
「魔理沙、必要条件と十分条件って知ってる?」
「知ってるぜ」
「キスじゃないと解けないなんて言った覚えはないけど」
「ああそうだな悔しいがその通り大正解だな!」
 自棄になって叫んで、泣く。
 結局のところまったくの骨折り損だった。
 ぽん、と霊夢が魔理沙の頭の上で手を軽く動かす。
「なんだ。キスしてほしかったの?」
「……知らん」
 くいっ。
 霊夢の手によって、魔理沙の顔が無理矢理上を向かされる。霊夢としっかり向き合う。
「キスしてほしかったの?」
「……」
 ぷい。そっぽを向く。
 ぐい。また顔の向きを強引に変えられる。
「してほしいの?」
 現在形に変わった。
「悪いか」
「ちゃんと素直に言ったら、してあげる」
 くすくす。
 ほんの数分の間に、すっかり立場が逆転している。――ある意味、本来あるべき姿になっている。
 すす、と霊夢の手が動いて、魔理沙の首を捕まえる。
「嫌だ。するときは、本気で霊夢を落としたときだ」
「あら。それじゃ永遠にその機会はないんじゃない?」
「その機会は――今からだ」
 隙を見て、魔理沙が霊夢を抱き寄せる。
「んっ……」
「霊夢――」
 耳元に囁きかける。名前を囁くのは何よりも有効な手段だと心得ている。
 この日、この機会を逃すつもりなどまったくなかった。魔理沙にとっては、一度の機会で十分だ。その自信があった。
 
 2杯のミルクティは、すっかり冷たくなっていた。




――Fin.












【あとがき −Lunatic−】

 マリアリ!(挨拶)
 魔理沙×霊夢。主人公カップル。禁断の。禁断のとかいうと本当に興奮しちゃいますね! 魔理沙×アリス。禁断の魔法使いカップル。禁断の書物。禁断の歯医者さん。禁断のアインシュタイン。禁断の大原簿記専門学校。
 禁断のリセットって言うとなんか「ああ……やっちゃったんだな……」って想像がついてしまってリアルにブルーになれますね!

 ミルクティです。禁断の。
 魔理沙はイギリス式です。紅茶に白いミルク。すなわち紅白を混ぜたもの。ミルクティを飲むという行為自体がエロティックです。ごめんなさい変なこと言いました。忘れてください。

 霊夢は最強の子です。こんな弱い霊夢は認められない! って感じもするかもしれません。僕も思います。というわけで結構反則技でした。はふはふ。
 でもこんな霊夢も可愛いと思いませんか。思いませんか。

 東方創想話ではたくさんの愛に溢れるコメントありがとうございました。すごくすごく嬉しかったです。あとネチョスレとかこっそり見てますのでそこで名前見たときはさすがにちょっとびっくりしました。嬉しかったです。でも僕はきっと何もできません。もっと自信もって色々できるようになれば、きっと。

 読んでくださった皆様、魔理沙を愛する皆様、アリスを愛する皆様、霊夢を愛する皆様、楽しんでくださった皆様、本当にありがとうございました。感想たくさん☆お待ちしております。

 以上、村人。でした。禁断の。





【おまけ −Alice in nowhere−】


 玄関の前で、アリスは悩んでいた。
 霧雨邸、ドアの前に立ち尽くす。
 徹夜明けで、昼過ぎから少し前まで眠っていて、起きたところだった。もう夜になっている。理由も言わない突然の魔理沙の頼みに、頑張ってこたえたのだ。事後になったが、用途くらいは聞きだしてもいいだろう、調子のほうもチェックしたほうがいい、と、ここに来るためのちょうどいい大義名分ができたところで、勢い込んでやってきた。
 だというのに、魔理沙は珍しく留守だった。遊びに行っているときでも大抵この時間にはもう帰っているのに。
(帰ってまた出直そうかしら……でもせっかく来たんだし……でもやっぱり、魔理沙が帰ってきたときに家の前で待ってるっていうのも、そんなに会いたかったのかって思われそうで嫌だし……)
 葛藤。
(ちょっと離れたところで待ってて、帰ってきたのを確認したら偶然そこを通りかかったみたいに声かけるのが一番自然かしら……)
 作戦展開。
(ああもう面倒なんだから……いっそ人形使ってずっと魔理沙の家を監視させてようかしら……それなら行動もよくわかるし……)
 飛躍。
 だんだん社会的に危険な方向に向かっていく思考を繰り返しながら、そのまま10分、20分と時間が過ぎていく。結局ずっとここで待ちっぱなしになっている。
 そのうちすっかり辺りも暗くなる。
「……!」
 いい加減あきらめて帰ろうかと空を見上げたとき、そこに動く影を見つけた。
 アリスはそれが何かを確認する前に、とっさに近くの茂みに飛び込んで身を隠していた。確認するまでもない。魔理沙が帰ってきたのだ。
 別に身を隠す意味は全く無いのだが、完全に反射的な行動だった。やはり待っているところを見られるのは避けたかった。魔理沙が家に入って2〜3分経ったあたりでノックしようと考える。
 のだが。
「え……」
 降りてくるその姿を見て、驚きの声を発してしまう。――距離はまだある。聞こえはしなかっただろうが、アリスは慌てて口を押さえる。
 もう一度よく見る。先程より近づいたぶん、はっきりと見える。魔理沙と、もう一人の同乗人の姿。見覚えのある赤と白の巫女服。よく知った相手だ。
 魔理沙が、霊夢と一緒に――どう見てもしっかりと抱き合いながら、箒に乗っている様子が、はっきりと、見える。
(ど……どういうこと? なんで霊夢がこんなところに……それに、それに……あんな……!)
 抱き合う様子はと、ここに至ってよく見える二人の表情は、どう見ても――
 動揺するアリスの視界の先で、二人が地面に降り立つ。ここで二人は身を離して、魔理沙はいつもの場所に箒を置きにいった。霊夢は魔理沙の家を眺めている。……不思議な表情で。
 そして。やきもきしているアリスの前で、さらに信じがたい情景が繰り広げられる。
 魔理沙が唐突に霊夢を持ち上げ――いわゆる、お姫様だっこ、したのだ。霊夢を。
 楽しそうな魔理沙の表情と、恥ずかしがりながらも少し嬉しそうな霊夢の表情が、しっかり見える。
(な、な……どうして……どうして? あの二人って、そうだったの……? 全然そんな感じじゃなかったのに……)
 アリスには、呆然とその光景を眺め続けることしかできない。
 アリスが一人でパニック状態になっているうちに、魔理沙は玄関のドアをだっこしたまま器用に開けて、家の中に入っていく。二人の姿が視界から消える。ばたん、という音とともにドアが閉まる。
(……なんで……)
 ざっ……。
 茂みから立ち上がる。

 玄関のドア。鍵をかけた音は聞こえなかった。
 じっとドアを見つめる。
「この中に……魔理沙と、霊夢が……」
 ほとんど無意識に呟く。
 アリスの頭の中に、もわもわと黒い煙とともに、悪魔が現れる。
『そうだそうだ、遠慮するこたない、覗いてしまえ』
 今度は、ぽわぽわという音とともに、天使が現れる。
『ダメ、絶対。見なきゃよかったものを見てしまうだけよ』
『おいおい、見なきゃよかったものって具体的に何なんだ? 言ってみてくれよ、具体的かつ詳細にな』
『はぇ!? そ、それはぁ……ほら……き、キス……してたりとかぁ』
『ほうほう。とか?』
『さ……触ってみたり……なんかして』
『詳しく』
『こ、こうやってね、最初は撫でるように……やさしく……んっ……そ、それで、高まってきたら、直接……こう……先のほうとかも、っはぁ、ん、あ……って! 何させてるのよぅっ!』
『や、別にそこまでさせるつもりはなかった』
『あ、あう……と、とにかくダメ! 魔理沙だって見られたら嫌がるに決まってるじゃない!』
『見つからなきゃいいんだろ』
『そういう問題じゃないもん』
『……ふん。相変わらず頭の固い奴だ。話し合っても無駄みたいだな』
『そうね。やっぱりいつものアレで白黒はっきりさせましょ! ――人形裁判で!』
 天使のその声と同時に、7体の人形がその場に出現して、ずらりと並ぶ。ファンファーレが鳴り響く。
 第189回、人形裁判の開始の合図だ。

*人形裁判とは

 アリスの中の天使と悪魔がアリスの行動を決定する際に開く裁判である。人形7体が陪審員となり、判決を下すことになる。7体全員一致が原則であり、一致が得られるまで審議は続く。第48回の「たまにはスカートのときに下着なしで過ごしてみるのもドキドキして気持ちいいからOK」というのが画期的な判決だとして有名な一例である。判決のつかなかった例としては、第182回の「洋ナシとアプリコットのタルト連続殺人形事件」が記憶に新しいところだ。なお過去の戦歴は天使の39勝145敗である。

 (出典:マーガトロイドwiki)

『ではさっそく――ぜひ覗くべきであると思う者、挙手!』
 ばばばばばばっ!
 一斉に手が挙がる。――6体。
『そんな……!?』
 6対1では既に勝負は見えている。仲間はずれになった1体が、他全員で特選素材をふんだんに使用した特製オムライスを味わっている様子を恨めしく見つめる様子が目に浮かぶようだ。というほどの圧倒的な差。
 しかし、それでも全員一致が原則。1人でも意見が食い違う以上は判決にはならない。
『ほら! 上海だけはわかってくれてるわっ。あなただけはあたしの味方よ……』
 人形6体が上海のほうをじっと見つめる。上海はこの立場のなか、堂々とした表情で、立つ。
 6体のうち1体が、上海に近づく。そして、何かを渡す。
 【魔理沙のとっておき寝起き写真コレクションからNo.132】
 ばっ!
『おっと、手が上がったぜ! これで判決決まりだ!』
『上海ーーーーーっ!?』
 天使の悲痛の叫びに背を向け、辛そうな表情で俯く上海。
 微かな呟き声が、天使にも届いた。
 ――だって……レアなんだもん……


 とかそんな感じで、アリスの中で結論が出た。ドアを開ける。
 魔理沙の家の中。たまにお邪魔しているからだいたいの構造はわかっている。あの二人がどの部屋に向かったかは……匂いを辿ればわかる。問題ない。
 途中、魔理沙とすれ違いそうになったのも直前で隠れてかわした。問題ない。
 魔理沙が、キッチンのほうに向かったと思われるのを確認してから、魔理沙が歩いてきたもとの方向へ辿る。その先にあるのが、霊夢がいる場所に違いない。
 廊下から、開いているドアを一つ見つける。そこで間違いない。アリスは足音と気配を消しながら歩き、迷わずその隣の部屋に潜り込む。そしてすかさず窓を開けて、ベランダへと出る。手馴れたものだった。
 部屋の中をしっかり覗き込めるポジションを確保。霊夢の姿は――巫女服の袖の端の方だけ見えた。ベッドに寝ているのだろう。
(ちょっと……いきなりそんな展開だったりするの……!?)
 まさかという思いがある。
 何かの間違いだと。霊夢はただ気が向いてここに遊びに来ただけなのだということを確認して安心したかったのに。さっきの二人の行動や霊夢の表情は何かの間違いだということを確認したかったのに。

 その後の展開も、全部、見届けた。
 二人がキスしたところも、そのあと霊夢が魔理沙を突き飛ばしたところも、そして霊夢の態度が急変した(いつもどおりになった)ところも。
 傍目には、霊夢が催眠術にでもかかっていたのだろうとしか思えない。キスのときは見ていられなかったが(しっかり見たが)、きっとそれを治す手段だったのだろう、仕方なくやったのだろうと思うと納得できる。
 しかし、その後はどうだったか。
 その後――
(魔理沙……まりさぁ……っ!)
 時間も忘れて何度も何度も真っ白になるまで飛んでいるうちに、気がつけば目の前に笑顔の魔理沙が立っていて、手に何か紙のようなものを持っているところまではよく覚えている。それをぺたりと体に貼られて。

 幻覚の中で魔理沙に死ぬほど虐められて嬉しくて気持ちよくてうふふふふふふと笑っていたらすぐに剥がされた。



――Fin.