「魔理沙」
「のおっ!?」
 広く、薄暗い図書館の中、何冊か本を見繕って袋に詰めていた魔理沙は、想定外の後方からの声に驚いて、図書館中に響き渡りそうな悲鳴で呼びかけに応えた。
 急な刺激を与えられた心臓が踊りだすのを感じながら、ことさらに自然な動作を装って、魔理沙は後ろに振り向いた。
「……よ、よう、こんなところで会うなんて奇遇だな」
「私の図書館なんだけど」
「そうかそうか、それはなおさら奇跡的だ。じゃ、そういうことで」
「まあ、待ちなさい」
 がし。
 歩き出した魔理沙の肩を、パチュリーはしっかりと掴む。
「話があるの」
「いや、あれだ。なんだかんだでいつも返してるだろ? 今回も用事が終わったらそのうち――」
「手順と期限を守ってくれるなら」
「一週間は短いと思う」
「そうかしら。意外と色々できるのよ、一週間」
「さすが魔女は違うな。憧れるぜ。じゃ、そういうことで」
「まあ、待ちなさい」
 がっ。
 ばたん。
 ……どさどさ。
「……」
 歩き出した魔理沙の足に、パチュリーは横からすっと足を引っ掛けた。
 魔理沙は正面から床に倒れた。その上に持っていた荷物が覆いかぶさった。
 ごん、と一冊の本が頭に命中した。
 ――魔理沙は、無言で立ち上がって、本を袋に詰めなおして、服に付いたほこりを払って、ふう、と一息つく。
「小学生か!」
 びし。
「話というのはね」
「流すか」
 せっかく指を突きつけてまで決め言葉を放ったのに簡単に無視されて、少し寂しそうに魔理沙は指を引っ込める。
「勝負をしてみない?」
「ん? 勝負? 弾幕か?」
「ノー」
 パチュリーは、すっと一歩後ろに下がる。
 勝負という言葉に魔理沙が興味を持ったと感じ、逃げないようにと構える必要はなくなったと判断したのだ。
「ちょっとしたゲームよ。私も、いくら言っても貴女が勝手に本を持ち出すのをやめるとも思わないし、貴女だって毎度こんなやりとりや妨害が入るのは面倒でしょう」
「お? ついに公認か?」
「貴女が勝てばね。それがゲーム。つまり――」


 ルールと条件は単純明快だった。
 指定した日、指定した時間内に、図書館から本を持ち出すことができれば魔理沙の勝ち。できなければパチュリーの勝ち。
 ただし、パチュリーはその日、紅魔館挙げて全力でそれを妨害する。


「貴女が勝ったら、もう私は邪魔をしないわ。……何をやっても無駄だと証明されるわけだから。その代わり、私が勝ったら貴女は二度と無断持ち出しはしないこと」
「厳しいな。私のメリットがあまりない。現状でもたいして困ってないからな」
「言っておくけど、その気なら毎回メイド長を出動させることもできるのよ」
「……それは、勘弁」
 魔理沙は、ちら、と本棚のほうに視線を一度移して、また戻す。
「面白そうではある。受けてもいいぜ。ただし、二度とというのはやりすぎじゃないか? 期限付きでいいだろう、お互い」
「あら、負けたときのことを考えるなんて、がっかりね。霧雨魔理沙はその程度の勝負師なのかしら」
「悪いが、そんな挑発に乗る気はないな。一年くらいでどうだ」
「……まあ、いいでしょう」
 ち、と悔しそうにパチュリーは少し表情を歪めながらも、魔理沙案を受け入れる。
「決まりね。勝負は一週間後。朝九時開始で、九時半がリミット。どう?」
「準備に一週間か。ずいぶん大掛かりなんだな?」
「一週間あれば何でもできるのよ。もちろん、今から一週間の間、貴女は――いえ、関係者以外出入り禁止」
「アリスもか? 可哀想に」
「……仕方ないわ。あと、細かい確認。勝利条件は、その日図書館にある本を持ち出すこと。家から持ってきた本を持ち込んでそのまま出て勝ち、なんてのは禁止」
「そうかい。それならちゃんと釘を刺しておくが、その日ちゃんと図書館がここにあって、今と同じように本が並んでること、がこっちの条件だ」
「――」
 ち、とまたパチュリーは舌打ちした。
「腐っても魔法使いね。しっかりしてるわ」
「若くてぴちぴちしてるぜ」
 に、と魔理沙は歯を出して笑った。
「いいだろう。その勝負受けた」
「そう。ならさっそく準備にかかるから出て行きなさい。その本を置いて」
「断る」
 声を聞いてすぐにパチュリーが伸ばした手は、魔理沙には届かない。
 一歩以上の距離が離れていては、初速の違いは決定的だった。
 一度宙に浮いてしまえばもう追いつける可能性はない。速度、運動神経ともに違いがありすぎる。
 パチュリーは前に伸ばした手を戻すと、掌を軽く握り締めた。
「――賽は投げられた」






[パチュリー・ノーレッジ]

 魔理沙に挑戦状を叩きつける前に、一応この紅魔館の主人であるレミリア・スカーレット、および、メイドたちのリーダーであり実質的に紅魔館を運営している十六夜咲夜には予告をしてある。
 いよいよ実行されることになったと、レミリアと咲夜に伝える。咲夜からはメイドたち、ならびに門番を含むその他紅魔館の被雇用者に連絡が回る。
「面白そうじゃない。支援するよ」
 レミリアは協力を誓った。
「楽しませていただきますわ」
 咲夜は落ち着いた反応だった。だが、行動は早く、パチュリーが咲夜に本件を伝えたその一時間後には紅魔館の全関係者が状況を把握するレベルにまで達していた。
 最初から、このメイド長こそがキーパーソンだった。こと、大規模な作戦行動の指揮やシステムの運営能力といった点において、人間に敵う生物はいない。パチュリーは咲夜が紅魔館にやってきてからの急激な環境変化を見て、その事実を十分に把握していた。
 加えて、頼もしいのがメイドたちだ。
 このゲームの内容を伝えられると、皆が例外なく目を輝かせて、喜び、はしゃぐ。非日常を楽しいことだと認識しないようではこの紅魔館のメイドとしては――咲夜のもとでは、働けない。ここでは面白いことこそが正義なのだ。通常は咲夜の指揮下にない、すなわち比較的常識人に近いことが多いメイド以外の被雇用者の中には戸惑いもあるようだったが、ほとんどが門番等の館外の警備担当であり、役割としては準備期間は誰も通さない、当日は魔理沙だけ通すというそれだけの内容であることがわかると、いつもとそんなに変わらないと安心したようだった。

 お祭り騒ぎが始まったといえ、最初の仕事は地味だ。
「B−3、OKです」
「A−2〜3、異常ありません」
「B−1、OKです」
 魔理沙の外出は確認した。が、さっそく何かの置き土産――有体に言えば、盗撮、盗聴が可能のようなもの、が仕掛けられていないとも限らない。確認したのは魔理沙が門を出たということだけであり、図書館から門までどのようなルートを通って何をしていたかは不明なのだ。
 そんなわけで、人海戦術。咲夜は手早くエリアを区切り、メイドたち二人一組で分担して調査を行った。普段見ない不審物はないか。
 テーブル、椅子、扉、ベッド、本棚、観葉植物、壁、床、柱の影、花瓶の下――とにかく、隅々まで。
「C−2、絵の裏に怪しい本を発見しました! 『堕ちた果実 囚われのメイド姫』」
「ああ、それは誰かが見つけたときどんな面白い反応してくれるかと思って私が仕掛けておいたものだから大丈夫」
「さすがメイド長……!」
「しまった、そこの当番ちょっと前回ってきてたのに見逃してた……」
「おいしいチャンスだったのにっ」
「メイド長! ではこの『月刊魔法少女』もですか?」
「それはメイド八号の隠し財産だから元の場所にそっと戻してあげて」
「隠しなのに名前を公表……さすがです」
「ちょ、ちょっと八号、あれって発禁になった超レア本じゃないの! どうやって手に入れたの!?」
「えぅ……それは……そのぅ」
「メイド長! C−3、サッシに若干ほこりが溜まってました!」
「そう。担当の十四号にはあとで楽しい尋問タイムが待ってると伝えてきて」
「えーまた十四号」
「この前のが癖になっちゃったんじゃない、あの子」
「いいなあ」

「……」
 遠くからメイドたちの様子を眺めながら、パチュリーは少し乾いた咳払いをした。
「……うん、まあ、結構頼りになる子たちなのよ、あれで」
 誰に言ったのか自分でもよくわからないまま、とりあえず呟いてみた。



[霧雨魔理沙]

「――というのがついさっきのことだ」
「あんたは毎日楽しそうねえ。とりあえず綺麗にしてから来なさい。髪に石ころ絡まってるわよ」
「お? ……お守りに、いるか?」
「いらん」
 春も中盤戦、少しずつ暖かくなってきてはいるが、風はまだ少し冷たい。
 よく晴れた空から、穏やかな日の光が縁側に降り注ぐ。のんびりと座って過ごすには絶好の日だった。森の中ではこうして贅沢に日光を浴びることなど望めないが、ここ博麗神社では太陽は友達だった。
「もちろん霊夢は私を応援してくれると信じてる。応援ありがとう」
「興味ないけど。それより自分が相当不利な勝負してるってこと、わかってるの?」
「不利? なんでだ?」
「相手のフィールドで、相手の言う条件で戦うって時点で相当なものよ。魔理沙は一人で、相手はあの紅魔館の大量のメンバー全員。相手は一週間準備できるけど、魔理沙は特に何かできるわけでもない」
「できることはあるさ。条件についても、別に、いつものことだろう」
 霊夢にしても魔理沙にしても、ホームで戦うことは滅多にない。いつでも戦場は遠くにあるものだった。それを考えれば、紅魔館などよく知った場所だ。
 別に私は本当にどっちでもいいんだけど、と呆れたように呟いて、霊夢は続ける。
「例えばあっちの主戦力が一気に魔理沙に襲い掛かったりしたらそれでもう終わりなんじゃない?」
「全部倒せって話じゃないだろ。霊夢はそういう状況になったらどうするんだ?」
「そりゃあ……なんとかするわよ」
「じゃ、私もなんとかする」
「適当ねえ」
「その点についてはお互い様だな」
 嘘つき、と霊夢は心の中だけで言う。
 霊夢の「なんとかする」は言葉どおりだ。そのときになったら適当になんとかすればいいと思っているだけだ。魔理沙は違う。そんな状況も想定して、どのように行動すべきかのパターンは作っているはずだった。
 時折魔理沙は、他の魔法使いたちが非常に緻密に計算して動いていることに言及して、あれは真似できない、などと霊夢に零しているものだが、霊夢から見れば魔理沙も十分に戦術家だった。
 霊夢もあえて指摘するつもりもない。そ知らぬ顔で否定されるだけなのはわかっているからだ。
「で、なんでこんなところに来てるの?」
「ん? ダメか?」
「遊んでていいの、ってこと。魔理沙は魔理沙で作戦考えないといけないでしょう。そういうのはあんたの隣人が得意そうじゃない。一緒に考えてもらえば?」
「アリスか。今回の件であいつに協力求めるのは難しいだろうな」
 アリスは魔理沙が図書館から勝手に本を持ち出すことに対して、むしろパチュリー以上に苦言を呈しているほうだった。紅魔館側に協力することもないだろうが、魔理沙への協力に積極的になるとは考えにくい。
「あいつが紅魔館の連中とは一番仲がいいからな。工作を仕掛けるなら一番向いているだろうが、まあ、今回に関しては当然パチュリーの奴もそのあたりは警戒してるだろうし、どっちにしても難しいだろう」
「工作?」
「一週間出入り禁止って言っても買い物に出るメイドくらいはいるだろ。アリスは大抵のメイドと顔見知りだからな。一人でも買収できれば、大きい」
「……あんた、意外に色々考えてるのねえ」
 楽しそうに語る魔理沙を見て、霊夢は眩しそうに目を少し細める。
「考えてる。で、考えた結果、まずお願いしたいことがあるわけだ」
「ん? ここからが本題?」
「まあな」
 魔理沙はには、と子供のように無邪気に笑う。
 霊夢の手を取って、ぐっと握り締める。
「今日からしばらく、一緒に寝泊りさせてくれ」



[パチュリー・ノーレッジ]

 これだけの人数が暮らしている以上、一週間何の補給もなしに過ごすというのは辛いのが事実ではあった。不可能というわけではないが、今回のゲームのためにそこまでするのはどうかしている。
 もちろん、仕掛けを作るための材料は予め揃えてあるため、今からメイドたちで束になって大規模な買出しに出るなどという愚行は不要だ。何に使うのか知らされないまま普段は買わないものを買っていたメイドたちは、ようやくその意図を知って大いに盛り上がっていた。
 湖の上に住んでいるようなものなので、水には困らない。となると、残りは主に食料品だった。問題になるのは二人いる吸血鬼の食事だ。一週間パンだけで過ごせというのは酷な要求だった。
 パチュリーは、補給部隊は補給のみに専念させて、館内作戦には触れさせないことで情報漏れのリスクを軽減させることにした。とはいえ、同じ館内に住んでいる以上、情報をゼロにすることはできない。万一魔理沙に出会った場合は言葉を交わさず逃げること、と注意している。

「大胆な作戦ですね」
 咲夜は詳細情報を聞いて、少し驚いたように言った。
「正攻法というわけにもいかないでしょう。魔理沙は逃げることだけに徹底したらそう止められるものではないわ。どんな罠を張ってもね」
「魔理沙は思い通りに動くでしょうか。何も考えずまっすぐ突っ込んでくるだけかもしれませんよ」
「かもしれない、わね。けど」
 とんとん、と机を指先で叩きながら、パチュリーは宙を軽く睨む。
「一週間。彼女は何もしないで過ごせるほど豪胆ではないわ。……多分」
「ちょっと自信がないんですね」



[霧雨魔理沙]

「昔はこうやって一緒に寝たよな」
「……ちょっと。何も同じ布団に入ることはないでしょ」
「いや、それが重要なんだ」
 ごそごそ。
「暖かいぜー」
「……はあ。まったく」
 ため息をついてみるものの、嬉しそうな魔理沙の顔を見ると、苦笑いにすぐに変わる。
 実際のところ、話の流れから、魔理沙の目的の見当はついていた。紅魔館と戦うために神社に泊まるという一見するとまったく脈絡のない行動であるが、霊夢自身がその二つを結びつける要素を一番よく知っている。
「いいんだけどね。利用されてるだけでも」
「そんなこと言うなよう。久しぶりに一緒に布団に入れて嬉しいんだぜ」
「調子いいんだから」

「でもさ」
「ん?」
 昔話など少し盛り上がった後、静けさを取り戻して。
 そろそろ眠りに落ちようかというムードになったところで、ぽつりと霊夢が呟いた。
「来ないんじゃないかしら」
「今日はもう、そうかもな」
「今日じゃなくても。出入り禁止、徹底してるんじゃないの?」
「私の見たところ、あいつのワガママは通る」
「本人が自制する可能性は?」
「あると思うか?」
「……ないほうに賭けるわね」
「そう。で、恐らくパチュリーの奴もそう思っている。そこが重要だ」
「……?」
 魔理沙の言葉の意味がよくわからなかったが、補足するような言葉は続かない。霊夢は、なんでもいいや別に、とそれ以上追究はしない。
 結局この日は何事もなく、二人仲良く同じ布団で静かに眠った。


 事が動いたのは二日目の夜だった。
 魔理沙は今日も夜の前になると神社を訪れていた。宿泊代金の代わりということで食事の準備(食材の準備も含めて)を魔理沙が担当することになったため、霊夢としても楽でいいや、と魔理沙の動きを歓迎していた。
 今日も布団に潜り込む。
「たまにはこういうのんびりした時間を過ごしてみるのも悪くないなあ」
「あんた普段そんな忙しいのかしら」
「サバイバル研究生活を甘く見ないほうがいいぜ。割と本気で」
「あんな不便な場所に住むからよ」
「その点についてもお互い様としか言いようがない」
「私は、仕方ないでしょ」
「わかってるさ」
 山の上か、深い森の中かの違いはあるが、人の寄り付かない場所であることに差異はない。人が住む場所として、どちらかを選ばなければならないとなれば、前者のほうがまだマシという程度の差にすぎない。
 ぴとりと寄り添う魔理沙の体温を感じながら、やっぱり普段は少しは寂しいんだろうなあと霊夢はぼんやりと思う。最近になって魔法の森にもう一軒、魔理沙の家の近所に別の家が建って、そこに一人の妖怪が住むようになったため最近は必ずしも一人きりという状況でもないようだったが、それでも妖怪たちが立ち続けに現れてくる神社に比べると森は静かなものだった。
「ねえ魔理沙――」
 がらり。
 派手な音をたてて、襖が勢いよく開いた。
「はろー、昨日は来なかったから寂しかったでしょ? れい……む……」
「あ、きた」
「お」
 闖入者は突然に。
 闇夜を背に、吸血鬼レミリア・スカーレットは陽気な声で挨拶する。
 元気な声は、布団の中で霊夢に寄り添って寝ている魔理沙の姿を見て、止まった。その二人が何事もなかったかのように普通に声をかけてきたのを聞いて、レミリアは見る間に目を吊り上げていく。
「……なんで黒いのが私のポジションを乗っ取ってるわけ?」
「なんだ? お前、家の出入り禁止されてるんじゃないのか? お前こそなんで来てるんだ」
「ふん。それとこれとは話が別よ。誰も私を制限することなんて……って、まさか、あんた、私がいないのをチャンスと思って霊夢に手を出そうとしてるんじゃないでしょうね?」
「変なことを言うぜ。私は以前から霊夢とはこういう仲なんだがなあ。どっかの吸血鬼とは年季が違うんだが……ああ、まだ一年くらいの付き合いの奴にはそのへんはわからんか、悪い」
「五年十年程度の差をいかにも絶対的かのように。なんて浅はか」
「私たちは人間なんでな」
 たち、を強調して魔理沙が言うと、レミリアはぎり、と歯を鳴らした。
「調子に乗らないことね、普通の人間。霊夢はあんたなんかとは――」
「はい、そこまで。私の家でけんかしないの」
「うん、ごめんね霊夢」
「切り替えはやっ」
 霊夢に声をかけられるとレミリアはぱっと笑顔になって、布団のところまで寄り添っていく。
「いつもどおりの状態にしたいから、この邪魔なのどけていい?」
「どっちが邪魔なんだか、自覚がないのは悲しいな」
「……ちょっとコレ壊れるかもしれないけど、いいかな霊夢」
 魔理沙を指差して、笑顔でレミリア。
「ダメ。今日は魔理沙もお客様なんだから、泊まっていくのは別にいいけど、仲良くしなさい」
「えー」
「できないなら、魔理沙が先客だから、また今度改めて出直してきてくれるかしら」
「ぐ……せっかく来たのに霊夢冷たいじゃない」
「だいたい寝る時間になって訪れるなんて非常識なのよ。前から言ってるでしょ」
「むー」
「非常識だぜ」
「うるさい」
 レミリアは頬を膨らませてむくれる。
 だが、霊夢が魔理沙寄りだということを感じ取ると強くは出られないようで、不満を表情には出すものの、それ以上追及してくることはなかった。
 レミリアの体は小さいとはいえ、さすがに霊夢と魔理沙がすでに入っている布団に割り込むのはかなり無理がある。布団を恨めしそうに眺めはするが、何ができるわけでもない。
 立ち尽くしてしまうレミリアに、声をかけたのは魔理沙だった。
「布団はもう一組あるからな。そっち側に敷いて寝ればいいだろう」
「……ふん。仕方ないわね」
 霊夢を間に挟むような配置で、魔理沙とレミリアが位置どることになる。とはいえ同じ布団に入っている魔理沙のほうが当然距離は近い。
 レミリアは襖を開けて自ら布団を取り出して、霊夢の隣に敷いて、寝転んだ。

「なあレミリア」
「何よ」
 霊夢越しに、魔理沙がレミリアに声をかける。
「お前さ、よくここに来てるらしいけど、実際何やってるんだ? 夜になってから来ても寝るだけだろ」
「あんたには関係ないわ」
「そうか。じゃあいいや」
「え?」
 魔理沙があっさり引き下がったのが予想外だったか、レミリアは素っ頓狂な声で聞き返してしまう。
「霊夢に聞けばいいことだしな」
 んー、と霊夢はぼんやりした声で答える。
「最近は将棋打ってばかりねえ……」
「将棋かよ。渋いな」
「最近結構霊夢を追い詰めたりしてるんだから!」
「お前……手加減されてること知らないのって幸せだな……」
「そんなんじゃないわよ。ねえ霊夢?」
「んー……まあ」
 曖昧に返事をぼかす霊夢を見て、くく、と魔理沙は小さく笑った。
「よかったな、レミリア。お前は結構優遇されてるぜ。霊夢がわざわざそんな気を遣うことなんて、滅多にない」
「むー……」
「そうは言うけどね。もう魔理沙よりは強いわよ、この子」
「私は将棋はしないからな」
 霊夢の指摘に、それは当たり前だと言わんばかりに平然と応える。
「チェスやオセロのほうが向いてる。囲碁でもいい」
「あんた白黒が好きなだけでしょ……」

 結局この後も雑談が続いて、長い夜は更けていった。
 霊夢がいいかげんにしなさいと叱って、ようやく眠りについた頃にはもう日付が変わる頃合になっていた。
 そして、日の出より前にレミリアが動き出す。
「じゃ、帰るから」
「ばいばーい……すぅ」
 半分寝たまま、霊夢は布団から出ることもなく、適当な言葉だけで見送る。魔理沙は半分どころか完全にまだ眠りの中だ。
 レミリアはそんな見送りも慣れたものなのか、特にそれ以上何も言うことはなく去っていった。障子が閉じられるとすぐに霊夢は目を閉じて、また気持ちの良い眠りの世界に落ちた。



[十六夜咲夜]

 このところ日常の仕事に加えて、パチュリーの提案したゲームの準備の指揮を任されたということもあり、咲夜はほぼ常に手を動かしているというほど多忙だった。
 今は久しぶりに少し落ち着いた時間を過ごしている。といっても、休憩中というわけではない。外部から招聘した指導教官に作業の指示を委ねているため、咲夜はメイドたちの管理という仕事に集中できるということだ。
「はい、手止めてー。どう、みんな? 実際動かしてみると歯車の挙動はよくわかったんじゃないかな?」
「途中で止まっちゃうー」
「うん。単純に見えても加工精度が悪くなると一気に機能を失ってしまうから、とても重要な部品なんだ。今回は必要な数だけ加工して持ってきてるけど、かみ合わないなと思ったら現場での調整も必要なんだよ。そのときにはまた声をかけてね」
「はーい」
「うんうん。いい返事」
 メイドたちに向けた工作作業の集中講義の様子を、後ろから座って眺める。
 咲夜はここのメイドになる以前から、メイドとして要求される仕事は完璧にこなすことができた。生きるために必要なスキルとして身に着けていた。
 だが、さすがに工作は専門外だった。ナイフを自在に扱う訓練の意味もあって、小さな彫刻や工芸品の加工程度ならできるのだが、大物の機械の製作などまったく携わった経験がない。
 基本的には設計は全て外注であり、こちらでの作業は組み立てだけでよいのだが、さりとて素人が簡単に組み立てられるものでもない。そんなわけで講師として招いたのが、先日知り合ったばかりの河童、河城にとりだった。
 咲夜の今の仕事は主に安全管理。危ないことが行われていないかどうかを確認する。
 もう一つの重要な仕事が――
「ようし、機構部分はだいたいもうわかったよね! このあたりは、複雑なものでも、見ていれば何がどう動いているかわかるから、間違いにも気づきやすいと思う。だけど、罠というからには誰かがレバー引いて起動させます、なんてわけにゃいかない。次は大事な、そして面白いセンサのお話だよ」
「純粋に機械的な仕掛けは昔からいっぱいあるんだけどね、空を飛んでる相手に使えるものってのは、そうそうない。ここで出番がやってくるのが、光学か電磁気学だ。つまり画像を使うか、電波や赤外線を使うかだね」
「今は分けて言ったけど、光学も電磁気学も根本は同じで、4つの方程式で結ばれてる。この方程式が美しいんだけどなかなの曲者でね、光の速度の問題とかちょっと感覚に合わないところもあって、大いに議論を呼んだんだけど、その結果世界の見方が変わったなんてこともあったんだ。信じられるかい? この世に光の速さを超えるものは存在し得なくて――」
「河城さん。必要なところだけを手短にお願いします」
「……いいものを作るには背景知識もある程度必要なんだよ?」
「今は時間が足りないので、また別の機会にお願いします」
「あい……」
 頻繁に横道にそれる講義を、軌道に戻すことだった。

「いやー、たまにはこういうのも楽しいもんだね」
「お疲れ様でした。明日もよろしく」
「ういうい。素直でいいメイドさんたちだねえ。教えてて気持ちよかったよ。どうだい、今回の件が終わったら最先端テクノロジーを盛り込んだ発展コースを」
「需要ができ次第考えますわ」
「……うい」
 にとりは、ストローでオレンジジュースを飲んで、少し寂しそうに返事を返した。
「それにしても、自分の住んでる家の中に罠を仕掛けるなんて、面白いことをするねえ、ここの主人は」
「主人ではなく同居人のほうの発案ですが。まあ誰も止めなかったのは事実です」
「いいんだけどね。私が次来たときに全身矢まみれになって帰るようなことになるのは勘弁してな」

 罠の準備のほうも、予定通りに進んでいる。
 もちろん、言うまでもないが、罠はそのものの性能以上に、使い方の戦術が重要となってくる。パチュリーの考えた作戦によれば、罠は限定された範囲に集中して配置されることになる。そこを魔理沙が通らなければ何の意味もなさない。
 少し不安ではあったが、同時に、合理的でもあると咲夜は納得していた。
 一つには、やはり魔理沙のような高速で空を飛ぶ相手に通じる罠などそうそうなく、簡単なものを分散させてもたいした効果は見込めないだろうという点で。
 そしてもう一つ、重要なこととして。
「後始末が楽だし」



[霧雨魔理沙]

「またいるし」
 レミリアは苦々しく呟いた。
「また来たし」
 魔理沙はからかうように続けた。

「お前本当に、こんなところに来てていいのか? 情報の機密性って理解してるか?」
「あっちはあっちで重要なのかもしれないけど、私の問題も重要なの」
「将棋がか?」
「私の第二の家に泥棒が出入りしてることが!」
「……どこがあんたの別荘か」
 相変わらず二人に挟まれた状態で、まあいいや二人とも好きにしろ、と言い放った霊夢は、むしろ二人の会話に適時ツッコミを入れる程度の立場になっていた。

「それにしてもよく許可したな。自分の住んでるところが戦場になるのって、嫌じゃないか?」
「そんなの慣れっこよ、昔から。メイドは慣れてないかもしれないけど、みんな楽しそうだったしいいんじゃない」
「私に一網打尽にされるのがそんなに楽しみか。変わってるな」
「結果はそうなるかもしれないけど」
 その重要な点をあっさりとレミリアは肯定する。
「準備中は楽しいもんじゃない。慣れない工作なんかやってるみたいだし」
「お前は手伝わなくていいのか?」
「手伝うつもりだったけど、別に、何もするなって」
 不機嫌そうな声で呟く。
「だいたいパチェは勝手なのよ。何もさせないくせに家は出るなって。何よそれ。全部咲夜に任せてて自分はどっか行ってるし」
「実際、来てるじゃないか。情報漏れが怖いから手伝わせないんだろ」
「私がうっかり漏らすとでも? 馬鹿にしてるわ」
「慎重なんだろさ。情報ってのは言葉で伝わるだけとは限らないんだぜ」
「何で伝わるのさ」
「例えばアレだ。今日お前来たとき、服に木屑みたいなのが付いてたが、普段あの家にいる限りそんなものが体につくことはほとんどないよな?」
「む……」
 レミリアの言葉が止まる。
 うー、と唸ってから、しばらくの沈黙。
「……付いてたからって、何なのよ」
「さあ。何なんだろうな。一つ言えるのは、今の適当に言った嘘にお前は心当たりがないでもないってことだ」
「は……?」
「工作とか言ってたからカマかけてみただけだ」
「……」
 目を閉じて、悔しそうに布団を握り締める。
 レミリアはこの晩はそれっきり喋らなくなってしまった。
「……いいんだけど、もう、あんたたちが隣同士になったら……?」


 次の日もレミリアは訪れた。魔理沙の姿を確認すると、露骨に不機嫌な顔を見せる。
「いい加減霊夢が迷惑してるの気づかないの?」
「お前が言うな」

「いよいよ明後日だな。準備は順調そうか?」
「知らない」
「いいのか? そろそろ当日の予行演習とかあってもよさそうなもんだが」
「やったけどさ。やっぱりパチェが美味しいところ持ってくような感じだった。私はおまけなのよ」
「やったのかよ。それこそもう来ちゃダメだろ。私の味方をしてくれるのか?」
「作戦内容を漏らすほど馬鹿じゃないの!」



[パチュリー・ノーレッジ]

 無論、レミリアが重要な情報を一切漏らさないことになど、はなから期待していないし、以前より霊夢のもとに通っていたのを一週間止められるとも、親友であるパチュリーは思っていなかった。
 ならば掴ませてやればよい。
「偽情報を、と」
 咲夜は、館全体を動員して行った、まったくでたらめな演習を思い出して、確認のようにパチュリーに言う。事実を知らないのはレミリアのみだ。
「お嬢様、怒るでしょうね」
「すぐに忘れるわよ。そういう子だから」
 魔理沙が霊夢のところに毎晩入り浸っているという話はレミリアから確認していた。いくつかの事態を想定していたが、その事実から作戦は決まった。魔理沙がレミリアを情報源に利用しようとしているのであれば、こちらはさらにそれを利用する。
「後だしジャンケンですねえ」
「まさしくね」
 レミリアが知っている行動内容も、仕掛けられた罠の種類も、その位置も、起動方法も、全てが嘘だった。
 魔理沙が、そこに罠があると知っている場所を避けるように動くと、ちょうど本当の罠にひっかかる――という仕組み。
「意外にお嬢様の口が堅かったら台無しですね」
 咲夜が少し不安を口にすると、パチュリーは、くす、と笑った。
 首を傾げる咲夜に、パチュリーはテーブルに視線を落としながら、人差し指を立てる。
「人脈は時に仇をなすということよ」



[十六夜咲夜]

「さて、準備は完璧かしら?」
「はい。明日は最終の動作確認と、リハーサルです」
「咲夜には随分と頑張ってもらったわね」
「楽しいですよ。多分、私以上に、メイドたちが楽しんでます」
 共同作業による物作りなど、普段のメイドとしての日常ではまず体験できない。現場で実際に作業を行っているメイドたちがうらやましいほどだった。
 もっとも、一番幸せいっぱいだったのは、河城にとりに間違いなかった。あれほど目を輝かせて働く者を、少なくとも咲夜のこれまでの人生では見たことがなかった。その熱心さたるや今回の一度きりの罠を、依頼したものそのものではなく必要以上に芸術的な作品に改造してしまうほどだった。品質にも異常なまでのこだわりを見せていたため、まず動作不良の心配もないだろう。
 困ったことといえば、是非次の機会があったらまた呼んでくれと、非常に熱心に迫られたことくらいだった。あんたのとこのメイドは筋がいいよ、と引き抜きさえしそうな勢いだった。
 メイドたちが喜んだのは、どうせ当日は派手に破壊されたりすることもあるだろうから、といつもの重要な仕事である掃除をほぼ免除されたことにもあるだろう。咲夜自身、この無闇に広い紅魔館を掃除しつくすのがいかに大変か身にしみてわかっていたので、メイドたちのはしゃぎようは理解できた。

「もうすぐですね!」
「せっかく作ったんだから引っかかってくれるといいなー」
「ああん、でも、久しぶりにメイド長の戦いも見てみたいかもっ」
 罠で魔理沙を足止めしきれなかった場合は、咲夜にも当日の出番がやってくる。一般メイドたちには、一部の精鋭を除いて、その仕事はない。最初から時間稼ぎにもならないとわかっているからだ。
 咲夜自身といえば、本音を言えば、あまり魔理沙とやりあいたくはなかった。魔理沙はむしろ紅魔館の中では咲夜を一番警戒している節もあったが、咲夜にとってみれば買いかぶりすぎとしか言えない。
「私は、戦いはあまり得意じゃないのよ、本当」
 メイドたちの期待の目を受けて、咲夜にできることはといえば、小さなため息をつくことくらいだった。
 咲夜にとって戦いとは、まず、いかにして真正面から堂々と戦うような場面を「作らない」かが重要だった。図書館専属の小悪魔が「勝てない相手にはやっぱり、不意打ちですよ。こう、後ろから、ごつーんと」と瓦礫をもって素振りの練習をしていたが、咲夜にとってみても、まさしくそれが正しい戦い方なのだった。
 その意味で、罠というのは性にあっている。どちらかといえば属人的なトリックで相手を騙すほうが得意だったが、大掛かりな仕掛けも悪くはない。
 会戦は、余裕のある強い者の戦い方だ。本当の勝敗は、その前に決まる。



[紅美鈴]

「えーと、九時になったら門を開ける、と。仕事の確認終わり」
「……」
「魔理沙が入った瞬間に後ろから蹴ったら怒られるかな……」



[霧雨魔理沙]

「にしても、楽しそうだよな、紅魔館」
「メイドになりたいなんて言ってもあんたは雇ってあげないわよ」
「いや、ならんし」
「魔理沙がメイドになってたら私も見に行くわ」
「明日契約書を持ってくるわ。魔理沙、準備しておきなさい」
「ならんというに」

 夜の会話はすっかり慣れたものになっていた。相変わらず夜遅くのため特に霊夢は眠そうだったが、特に不機嫌そうな様子は見せない。
「実際どうなんだ。勝算はありそうなのか?」
「毎晩霊夢の顔見に来てるだけの色魔に負ける理由はないんじゃない」
「そう自分を卑下するんじゃない」
「あんたのことでしょ!」
「どっちもよ……」

「パチュリーが美味しいところをって言ってたな。あいつがラスボスになるのか」
「知らない」
「お前が前座か。悔しいだろうなあ」
「違うわよ」
「なんか作ってるみたいだし、まあ、そうだな。定番のやり方としては、まず遠隔からの攻めで、最初の壁が破られたらあとは会戦ってところか」
「……そんなこと確認してどうしたいのよ」
「いや? 別に、どうせそんなとこだろうなあと言ってみただけだ。それにしても、危なっかしいな。お前、毎晩来てるけど、あそこ夜になると明かりつけてても暗いだろ。罠とか仕掛けてあるんなら気をつけろよ」
「お生憎様。私はそんなドジじゃないの」
「普通に飛んでるだけならいいけどさ。パチュリーに監視されてるところを抜け出してきてるんだろ? だいたい、いつもと違った行動をするときってのは失敗するもんだ」
「……なんであんたに心配されないといけないのよ」
「心配だからだ」
「……へ?」
「お前が怪我でもしたら、霊夢だって少しは気にするだろ。まあ、洗濯物もうちょっとで乾きそうってときに雲行きが怪しくなってきた、くらいには」
「軽いわね! もうちょっといい例えなかったの!?」
「『味わわせる』って言うときにどうしても微妙な違和感が残る程度には」
「余計わかりにくくなった!」

「ま、でも実際さ、あんまり心配かけさせるなよ。パチュリーの奴、結構気合入ってそうだったしな」
「それは私の心配じゃなくて作戦の心配をしてるんでしょ」
「そりゃそうだ。今日は特にまずかったんじゃないか。この際だから言うが、すでに結構な情報を引き出してるぜ」
「でたらめね。また引っ掛けるつもりでしょ」
「スカート、ちょっと破れてる。何かに引っかかったんだろ?」
「え!? そんなはずは……あ、そっか。来るときに枝でちょっと引っかけたのよ!」
「うむ。お前もう帰ったほうがいい。まじで。だだ漏れだ」
 ちら。
 魔理沙は、霊夢にほんの一瞬だけ目配せを送る。
 霊夢は、小さく頷いて答える。
「ねえレミリア」
「なに、霊夢?」
「今からでも遅くないわ。一番美味しいポジションは、自分で掴み取るのよ」
「え? どういうこと?」
「はっきり言って、あんたの一番の問題は、信用されていないこと」
「う」
「魔理沙の言うとおりね。今日は来ないほうがよかった。もちろん、明日は論外」
「うー……だって、こいつが来てるから」
 レミリアは魔理沙を睨みつける。
 魔理沙はどこ吹く風で、明後日の方向……天井を眺めていた。
「でも、まだ遅くはないでしょ。あんたは、紅魔館の主なのよ」
 霊夢は、机に向かって歩き出して、座る。
 筆を手にとって、紙に何かを書き始める。
「今日は魔理沙は来ていなかった、って私が証言してあげる。あとついでに、友達はもっと大切にしなさいって書いておくから、これをパチュリーに渡すのよ」
「……帰れってこと?」
「今日はね。明後日になったらまた来てもいいから。……たまになら」
「むー」
「せっかく館内一体になって盛り上がってるみたいだしね。あんたもいい立場で楽しんできたら?」
「むう。……仕方ないわね。霊夢がそんなに言うんだったら、パチェの遊びにも付き合ってあげなくもないわ」
「はい」
 霊夢はレミリアに手紙を渡す。
 レミリアは、素直に頷く。
「いい戦いを、期待してるわ」
「霊夢も、今のうちにこの黒いのと別れの挨拶をしておいたほうがいいわよ」
「そのときは紅魔館も大変なことになると思うけど、覚悟だけはしておいてね」
 にこりと霊夢が笑う。レミリアも微かに冷や汗を浮かべながら笑う。
「じゃ、また」
 レミリアは障子を引いて開ける。
 ここからもう夜空が見える。
「ああ」
 レミリアは空を見上げて、小さく呟いた。
「勝負の日は、満月なのね」
 なるほど、いい演出だ、とパチュリーを少し見直す。
 わざわざ満月を選ぶということは、最初からレミリアの出番はやはり重視していたのかもしれない――
「まあ、勝負は朝だから関係ないけどな」
「……」


「さて、うまいぞ霊夢」
「いい加減可哀想だったしね……もういいでしょ。呼びなさいよ」
「もちろんだ。さあ出番だぜ、キヨタ!」
「呼ばれて飛び出て――いえ、あの、さとりですが」
 すっと静かに障子が開く。出口とは反対側。奥の間に通じるそれ。
 その向こう側に立つ、ひとつの人影。
 本来であればこのようなところにいるはずもない、地底世界の権力者の一人。
 あらゆる人間、妖怪から恐れられる存在。
 古明地さとり、その人だった。



[古明地さとり]

 秘策。
 さとりは、レミリアが二回目に訪れたそのときからすでに、神社に潜んでいた。
 無論、自発的に行うようなことではない。魔理沙からの協力要請があったためだ。
 レミリアと魔理沙の会話が聞こえる場所に待機してもらっていた。
 まさしく、情報は漏れ続けていた。
「整理するか」
 魔理沙が切り出す。霊夢とさとりは頷く。
「まず、確認だ。レミリアの発言に嘘はあったか?」
「『知らない』のときくらい。あとは素直なものね」
「そんなところだろうな」
 例えば咲夜が指揮を執っているとか、演習を行ったこととか、現状の予定ではパチュリーが最後に控えていそうだということとか。
 だが、そのあたりが本当か嘘かというところには、たいした意味はない。さとりの能力は、本当と嘘を見抜く能力というわけではないのだ。もっと多くの情報を提供してくれる。
 黙っていたことでも、心の中で考えてしまえば、もうそれは聞こえてしまう。
 とにかく質問をぶつけていけば、答えなかったとしても、多少の情報はつい頭に浮かべてしまうものだ。それを拾い集めればある程度形になる情報が得られる――

「――なんてことを考えたら、アウトだったろうな」
「え?」
 魔理沙の発言に対して、霊夢は驚いたように聞き返す。
 心の声を拾うのがダメというのであれば、何のためにさとりを呼んでいるのか。魔理沙の意図が掴めないでいた。
「例えば霊夢、自分がパチュリーの立場だったらどうだ。レミリアはなんだかんだで包囲を抜けて神社に行くとわかりきっている。――重要な情報を、レミリアに教えるか?」
「そういう言い方されると……そりゃ、教えないと答えるしかないわね」
「だな」
「でも、演習までしたんでしょ? つまり教えたってことじゃないの」
「そうだな。そして私がパチュリーだったら、まず」
 魔理沙は人差し指を一本立てる。
「大嘘の演習だ」

「……はあ」
 真剣な顔で語る魔理沙を見て、霊夢は口をぽかんと開ける。
 さとりはといえばとりあえず魔理沙が話をし続ける間は何も口を挟まないと決めているようで、静かに座っている。
「嘘を教えておけば、何も知らされないという不満を取り除いて、しかも情報漏えいリスクも減らせるわけだ。あわよくば私が嘘情報に騙されるかもしれない」
「なるほどねえ」
 ぼんやりと相槌を打って、そして、また軽く首を傾げる。
「……って、レミリア自身が騙されてるんだったら、心を読んでも意味がないじゃない」
「霊夢は知ってるだろ。彼女の能力」
「だから心を読む能力でしょ」
「そうだ。『言葉を』読む能力じゃない。弾幕を再現するにはそれだけじゃ不十分だからな」
「あ」
「レミリアに伝えられた情報は嘘かもしれない。けど、あいつが目にしたものは本物だ。その再現映像さえ手に入れば――」
 魔理沙はさとりに目配せを送る。
 さとりは頷きもせず、手に持っていた紙束を、その場に広げた。
「こういうものが出来上がる」

 紙に描かれたものは、紅魔館の間取り図だった。ただし、全体ではなく、一部分を切り出したもののようだ。
 その図に、明らかに図全体のタッチとは異なる線が引かれている。線は一筆書きで、部屋や通路を貫いて進んでいる。
「地図全体は私が提供したものだ。今までかなり散歩してきたからな、だいたいあってるはずだ」
「物色の間違いでしょ」
「で、この線は、アレだな、マミ」
「さとりです。この線は、今晩、彼女が抜け出してきたときに使用したルートです」
「へえ。って、そんな映像を都合よく引き出せちゃうわけ? 恐ろしいわね」
「いや。そこまで万能じゃないらしい。で、レミリアが今日辿った道を思い出させるように仕向けた」
「仕向けた?」
「会話の流れでな。まあ詳細は省略でいいだろう。で、だ。少なくともこの道は普通に通っただけで発動するような罠が仕掛けられている可能性は、ほぼ、ない」
「……たまたま発動しなかっただけとか」
「おそらくパチュリーのことだ、レミリアが普段紅魔館をこっそりと抜け出すときどんなルートを通るか、予め知っている。そこに罠は仕込まない」
「……」
 うむむむ、と霊夢は考え込む。
 相変わらずさとりは要望されたとき以外は喋らない。
「……よく考えてるのねえ、魔理沙」
「もっと褒めてもいいぜ」
「褒めたら賽銭が出る?」
「出ない」
「じゃあここまで。でも、本番は明後日でしょ。それまでに罠が追加されるとか移動される可能性はあるんじゃないの」
「否定はできない。けど、あまりないと思っている。パチュリーにとってみれば、レミリアは明日の晩にも出かけないという確信はない。その後の追加となるとぎりぎりすぎて少し危険だろう。確認とかがな」
「なるほどー」
「確認したところによると、どうもかなり大型の装置を組み立ててるようだったからな。少なくともあんなものを簡単に移動させたりはしないだろう。あるとしたら小物の追加くらいだが、材料的にもおそらくそれもない」
「……また変なこと言い出したわね。材料なんてどうやって知ったのよ」
 魔理沙は手を軽く広げて、振る。
「工作、とか言ったときの映像に、にとりが映っていたみたいだ。そのときは確信は持っていなかったが」
「はあ」
「だから本人に直接確認してきた。最近紅魔館行ったか? ってな。ついでに持ち込んだ材料が大型設備一台分だってことも確認した。何を作ったかまでは教えてくれなかったが。それはお楽しみに、と言われてしまった」
「……あんた凄いわ」
「どうだ。まだ何か問題がありそうな点があるか?」
「大いにあるわね」
「……え?」
 霊夢は、ゆっくりと、大きく、ため息をつく。
 じろ、と半目で魔理沙を睨む。
「二部屋分提供した私への謝礼が約束されていない」


 結局その日も泊まり、次の日の朝、魔理沙は去っていった。
 さとりはまだ残り、澄ました顔でお茶など飲んでいる。
「お茶も、地上のほうがおいしいです」
「地下は大変ねえ」
「お燐は、こちらでも元気にやってますか」
「あーあーうん。そういえばあんた、こんなところでのんびりしてていいの? 今更だけど。ペットたちが餓死してるんじゃないかしら」
「ペットたちの世話も、もう任せることもできるので」
「ふーん」
 ずず……
 霊夢は隣でお茶を味わいながら、いまいち表情から感情が読み取れないさとりを、無遠慮にじろじろと眺める。
「どうかしましたか」
「あんた……えーとイトウさんだっけ」
「さとりですが」
「そうそう、さとり。なんで魔理沙に協力なんてしてるの? ……ちゃんと報酬とかそういう話も出てるのかしら」
 お茶を飲んで。
 羊羹を一口、つまむ。
「……地底は、娯楽も少ないのです。まして私の場合はなおさら」
「でしょうね」
「本を読むのは大好きなのですよ」
「あ……そ。本、ね……」
 霊夢はそれきり、報酬の話については興味を無くして、そこからはもう魔理沙の関係ない雑談に入っていった。



[霧雨魔理沙]

 当日。
 九時前、魔理沙は門で準備体操をしていた。
 門はすでに開かれている。閉じたときに門があるべきそのラインが、開始時のスタートラインになる。
「あと三分」
 門番、紅美鈴が時間を告げる。
「門は普通に通してもらえるんだよな?」
「そうしろって言われたから、今回はね」
「まあ邪魔されたところで数秒しか変わらないけどな」
「……」
 美鈴は、少し表情を引きつらせたが、反論は特にしなかった。
 現実問題として、否定はできないのだった。

「あと二分」
「時計はしっかり合わせた。いやーちょっとドキドキしてくるな」
「特にそうは見えないけど」
「意外に小心者なんだ。そういえばちゃんと家の鍵閉めてきたか気になるくらい。まあ鍵なんてしたことないけどな」
「わずか数秒の言葉の内部で矛盾するのはどうかと思う」

「あと一分」
「あと一分」
 二人の声が重なる。
 さて、と魔理沙が箒を持って、跨る。
 飛ぶときの箒への乗り方は主に二種類あるが、跨るのは高速移動を狙いとするときだ。戦闘があるときとの相性もよい。
「記録を作ってくるか」

 紅魔館はとにかく広い。異常に広い。
 魔理沙の移動速度をもってしても、一切の障害がなく、それゆえに移動だけに注力したと仮定しても、門と図書館の間を往復すればそれだけで七〜八分はかかる。
 罠に気をつけて、しかも戦闘しながらとなると――そして、当然、主力の三人ともが出てくると想定すると、それを振り切って行くのは厳しい。敵の戦力全てを無効化するまで叩いてから進んだほうがまだ計算できるかもしれないが、どちらにしたところで三十分となるとやや冒険だった。決して不可能ではないが、あまりそこに賭けたくはない。
「あと十秒」
 正解ルートを突っ切れば、少なくとも罠を気にかける必要はない。
 準備はできている。
 地図は頭に入っている。
「開始!」
 さあ、勝負は始まった。



 まずは、右側の廊下へ。まっすぐ進む。
 途中のT字路を左へ。このまままっすぐ行くのが、図書館への最短ルートだ。が、ここで途中のさらに細い通路に入る。
 警戒してゆっくり進むなどということはない。全速力移動だ。
 ここまでのところ、一切の妨害、罠はない。メイドたちの姿はどこででも見るが、手を出してこようとはしなかった。
(無駄に手出しするより、情報収集ってか――?)
 後ろから急に攻撃されるという可能性もあったが、特にそれを警戒することもない。迫ってきてからでも避ける自信があった。

 廊下を飛ばしていたが、魔理沙は一つの部屋の前で急ブレーキをかける。迷うことなく扉に手をかけ、開く。真っ暗な部屋の中を一気に突っ切って、反対側の廊下に出る。
 そろそろ開始から二分。相変わらずまだ妨害はない。が、魔理沙にはそろそろだという予感があった。視線の端に映ったメイドたちの様子がやや慌しくなっていた。魔理沙の飛行ルートの履歴から、図書館までの道のりを考えれば、自然とこの先の道筋はある程度まで限定される。
(おそらく、一点集中で一気にかかってくる)
 メイドを戦力として使うのであれば、それ以外に有効な手段はないはずだ。

 この先三つ目の扉をくぐると、また部屋がある。その部屋が最後に通過することになる部屋であり、ショートカットの肝だった。
 それより前、廊下にずらり、メイドたちが集まっていた。
「まとめて吹き飛ばしてほしいか?」
 魔理沙もメイドのことはだいたいわかってきていた。目の前に集まっているのは、特に戦闘能力の高い精鋭たちだ。
 真面目に戦うと、意外に骨だろう。
 決め技であるマスタースパークで一気に片付けると楽だが、おそらくこの先待っているであろう本命の戦力との戦いより前にあまり消耗するのは危険だ。
「受けてたつさ」
 残り時間、二十六分。



[メイド戦隊]

 魔理沙が構えたのを見て、隊長が号令をかける。
 難しい駆け引きができるレベルにはないことはわかっている。まっすぐに作戦遂行することが重要だった。
 まず数に任せて弾幕を張る。
 攻撃隊の三人で魔理沙を狙い打つ。
 そして隊長が隊列を調整する。それぞれに割り振られた仕事は単純明快だ。
 ひゅん、と白く眩しいエネルギーの塊が飛び、弾幕隊の一人に命中した。が、落ちない。防護膜を張った腕でしっかりとガードしている。
 重い一撃に攻撃は一瞬薄くなるが、すぐに弾幕は厚みを取り戻す。
 隙間は十分に小さい。撃ち続ければ、そのうち追い詰めることができる。
 が、魔理沙はわずかな弾幕の隙間を、いとも軽々と潜り抜けていた。多数の弾に狙われても誘導されず、落ち着いて対応している。
「七、左!」
 気が付けばむしろ、攻撃隊の攻撃のほうが誘導されていた。左側に大きな隙間ができている。隊長はすぐさま左側を埋めるように指示を出すが、一歩遅い。
 先ほどより幾分小さな光弾が――今度は、しかし、一気に十発近く飛んできていた。到底避けられる速度ではなく、防護膜も貫かれ、重要な攻撃隊左が撃ち落された。
「五、左!」
 攻撃隊中央を左に配置転換させる。そのまま魔理沙を狙い打つ。しかしこれも易々とかわされてしまう。
 この配置転換の間に、立て続けに二人の弾幕隊が落とされていた。
 必然的に、大きな隙間が生まれる。
「全体、中央!」
 範囲を狭めてでも、弾幕の密度を保とうとする。全体の範囲を狭めるのは、完全にフリーになる外側の領域を広げることになり、危険な賭けだ。だが、薄くしたままよりは勝率は高い。
「――というところなんだろうけどな」
 魔理沙は、にや、と笑った。
 少しずつ迫ってくる弾幕を見て、素早く右に動いた。もう少しで当たる、というところで、避ける。避け続ける。
「六、右!」
 隊長が攻撃隊に指令を出す。これも、一足遅い。
 先ほどと同じ攻撃が、攻撃隊右を落とす。
 これで完全に、弾幕が崩れた。
 フリーになった空間に抜け出た魔理沙が、手を伸ばすのが見えた。隙が大きい技でもこうなると使い放題だ。
 白く輝くレーザー弾が、弾幕隊を一気に貫き、落とした。
 隊長は状況を確認して、すぐさま、白旗を揚げる。
 メイドたちにしてみれば久しぶりの魔理沙との対戦で、しっかり準備を整えた今回ならあるいはという思いも多少はあったが、やはり現実は厳しかった。むしろ、魔理沙はまだ進化しているように見えた。
 残ったメイドたちの間を通り抜けていく魔理沙の後姿を見て、隊長はため息とともに呟いた。
「いつか、また」



[霧雨魔理沙]

 残り時間、二十三分。
 扉を開けて、部屋に入る。
 この部屋を通り抜けると、その先はもう廊下を飛び続けるだけで、図書館の前までたどり着く。
 薄暗い部屋を、先ほどと同じように抜けて、出口の扉に手をかける。
 がちゃ。
「……お?」
 鍵がかかっていた。
「うむ、まあ今までかかっていなかったのが不思議なくらいだ」
 当然、想定済みだった。
 慣れたものだ。扉のどこを破壊すれば通れるようになるかは知っている。
 手にエネルギーを集中させていく。発光が始まる。
「……ん?」
 あとは撃つべし、というところで、魔理沙は首を傾げる。
「なんで部屋の外から鍵がかかってるんだ?」
 少し不思議だったが、まあ気にすることでもないか、と撃とうとする。
 がしゃん。
 天井から鈍い金属音が聞こえた。
「……?」
 見上げて。
 魔理沙は、ぽかんと口を空ける。
 天井に、四つの正方形の穴が開いていた。
 見ている間に、そこから何かが落下してきた――重力加速度そのままに。
 ごん、と鈍い音を立てて、それは床でほとんど跳ねることなく受け止められる。拳大の鉄球だった。
「まじか」
 魔理沙は急いで改めて扉に高エネルギー弾をぶつける。
 びくともしなかった。
「げ」
 もう一発、今度はさらに強めに放つ。
 がつん、という音。しかし扉の表面が凹む程度。
「……どんだけ厚い扉なんだ」
 ごん。ごん。
 そうこうしている間に、気が付けば鉄球は猛烈な勢いで落下し続けてきていた。まあ、頭上から落ちてくるのでなければさほど怖くはない――と思ってなんとなく見上げる。ひゅ、と鉄球は肩を微かにかすめて、床に落ちた。
「……」
 魔理沙の表情が引きつる。
 穴の位置が、最初に見たときから変わっていた。よく見ると、穴の位置がちょくちょく変わっている。どこからでも、鉄球は落ちてくる。
「……ゲーム感覚で罠を作ってはいけません」
 呟かずにはいられない魔理沙だった。
「なら入ったほうの扉から――」
 入ってきたほうの扉。
 そちらのほうを見て、魔理沙は呆然として声を失った。
 いつの間にやら、扉が、というより反対側の壁全体が、鉄格子で覆われていた。

 どう考えても、この部屋が罠部屋の本命だった。
 こんな馬鹿な大掛かりなものを、何個も作るとは考えられない。パチュリーは、この部屋を狙い打っていたということだ。
「なんでだ」
 天井に手を伸ばし、強めの防護障壁を張って、鉄球をやり過ごす。
 この部屋は、普通に図書館に向かえばまず通らない部屋だ。
 魔理沙がこのルートを通るという情報が漏れたのか、と一瞬疑う。が、それはすぐに否定する。決めたのは一昨日の夜のことだ。こんな大掛かりなものを、一日で仕組めるとは考えづらい。最初の最初から、この部屋が罠だと決まっていたのだ。
 こんな危険な罠を、レミリアが普段通る道に仕掛けたのか。だとしたら裏をかかれたとしか言いようがない。それにしたところで、魔理沙がさとりを利用することを知っていなければこの部屋を使うなどということは思いつかないはず――
「……あ?」
 がんがん。ひたすら降ってくる鉄球から身を守りながら、ふとした思い付きに背筋がぞくりと震える。
 パチュリーは、魔理沙をこの部屋に誘導した。これがまず事実。
 パチュリーは、レミリアに嘘情報を流すことで、魔理沙を騙そうとした。これが、魔理沙の推測。
 だが。魔理沙を騙し誘導するためには、もっと確実な方法があったではないか。

『だいたいパチェは勝手なのよ。何もさせないくせに家は出るなって。何よそれ。全部咲夜に任せてて自分はどっか行ってるし』

「あ……あ……あああ」
 鉄球はもはや床を埋め尽くしていた。なおも降り続けてきている。
 まさか部屋全体を埋め尽くすのだろうかと思うほど、勢いは止まらない。
 魔理沙は天井から落ちてくる鉄球を睨んで、思い切り、叫んだ。
「やられたああああああああああああああっ!!」



[パチュリー・ノーレッジ]

 メイドたちからの報告は聞いた。
 魔理沙は、狙い通り、あの部屋に入ったらしい。
「お見事です、パチュリー様」
 咲夜の言葉に、力強く頷く。
「勝ったわね」
「二段構えの作戦だったのですね。気付きませんでした」
「言わなかったからね」
 深読みのしすぎで空振りに終わる危険性が大いにあった博打だった。
 結果的には、魔理沙の行動を読みきった。快勝だった。
「ふふ……」
 パチュリーは、心底から気持ち良さそうに笑む。
「素敵ね。こんな気分を味わえるなら、本の十冊程度は安いものよ」
 さとり一本釣り。報酬は、本。
 ここまで決まるなら、もう少し奮発してもよかったと思うほどだった。

「しかし、決まりでしょうか?」
「え?」
「まだ時間はありますから」
「ないでしょ。あの部屋からはそうそう脱出できないわ」
「だと、いいのですが」
「何、もしかして自分の部下たちの仕事が不安なの?」
「それはありません」
 咲夜は思案顔を崩さない。
 廊下を眺める。図書館への入り口がある、長い廊下。
「ただ、魔理沙がこのまま終わるとも思えませんね」
「それは希望かしら」
「そうかもしれません」
「理詰めの意見じゃないわね」
 パチュリーは、そう言いながら、ふわりと地面から浮き上がる。
「でも、残念ね」
「残念ですか」
「ええ。とても。――私も、同意せざるをえないことが」
 パチュリーは、廊下を進む。図書館から離れる方向へ。
 咲夜はこの場に待機。
 まだ、終わっていない。

「あ、パチュリー様! 魔理沙があの部屋を突破したそうです……!」
 パチュリーは、唇の端を小さく吊り上げて、笑った。



[霧雨魔理沙]

「っだあああ!!」
 どうにもならない鉄の厚い扉は捨てて、鉄格子に挑戦した。
 降ってくる鉄球から身を守りながら、扉にアタックをかける。
 部屋の中から見て扉が「引き」側なのがまた悪かった。もちろん計算の上でなのだろうが。鉄球がすでに床を埋め尽くしており、引っ張っても鉄球に邪魔されてそのままでは開かない。鉄球を扉の前から撤去する作業も必要だった。鉄球は、これがまた、持ち上げられなくはないが、繰り返し運搬作業をしていると泣けるくらいの重さだった。
 魔法で鉄格子を曲げて、魔法で鉄球を防いで、手で鉄球の移送。
 時間がどんどん過ぎていく中、作業はゆっくりとしか進んでいかない。鉄球はいつまでも降り続けてくる。
 だがそれでも、前進している気配はあった。鉄格子を一本切り離して、一本曲げて、鉄球の処理さえすれば、魔理沙一人は通れる程度の隙間は開く。
 ちら、と時計を見る。既に残り半分を切っている。
 速度はこれ以上上げようがない。だが、魔理沙は、これなら無理ではない、と前向きに把握した。いけるはずだ。
 ひたすらに格子を攻める。曲げる。少しずつ、確実に。

 ごん。扉を限界まで開ける。
 すぐさま体を潜り込ませて、周囲を見渡す前に左右に光弾を発射する。
 扉の外にいたメイド一人に命中した。ばた、と倒れるのを確認する。他のメイドの姿は見えない。かなり待ち構えられているかと覚悟していたが、予想外で少し拍子抜けした。
 だが、拍子抜けなどと言っている場合ではないことももちろんわかっている。ここから、この部屋を通らず、図書館まで向かわなければいけない。迷っている時間はまったくない。最短距離を進む。
 箒にまたがって、一気に最大加速。

 廊下をぐん、と曲がって、曲がって、曲がる。
 4回曲がれば、長く広い通路に。
 ここをまっすぐ行けばもう図書館。
 彼女はそこで待ち構えていた。
「さあ、遊びましょう――魔理沙」
 パチュリー・ノーレッジ、七曜の魔女。
 残り時間、四分。
 遊んでなくても、この先一切の障害がなかったとしても、行って帰って、もうぎりぎり、というよりもうアウトに近いという時間だ。
「悪いな。また今度だ」
 躊躇していられない。
 何、感謝してほしいくらいだ。まだ誰にも――霊夢以外の誰にも見せていない、秘中の秘をその眼で見ることができるのだから。ああ、パチュリー、お前は運がいい。心の中で呟きながら、魔理沙は瞬時に爆発的なエネルギーを全身に行き渡らせていた。
「行くぜ!」



[パチュリー・ノーレッジ]

「……!?」
 そのエネルギー量は、魔理沙の代名詞、マスタースパークのもの……だと思った。
 いきなり決めに来た、と身構えるが、直後に、己の間違いを悟る。
 破壊的なエネルギーの塊に乗って、魔理沙が飛んできた――飛んで、去っていった。
 まったく目が追いつかなかった。最初は、魔理沙が消えたと思ったほどだった。気付いたときにはもうとうに魔理沙は背後、はるか彼方にいた。
 まるで流星のような軌跡を残して。
 まるで流星のような速度で。
 彼女は、姿を消した。
「……咲夜!」



[十六夜咲夜]

 さっとナイフを構える。
 白く巨大な光の塊が飛んでくる。飛んでくると思った瞬間には、もう、隣をかすめていった。
「……」
 構えたまま、咲夜は呆然と呟く。
「無理」



[霧雨魔理沙]

 急ブレーキをかけて、大きな扉の前で止まる。
 長い一直線の廊下を、僅かな時間で突破できた。
 攻、防、そして移動速度。全ての面において究極を追求した。
 ブレイジングスターはまさしく魔理沙の限界の魔法だった。
 だが、マスタースパークと同じく、むしろそれ以上に、使用の代償は大きい。ブレイジングスターの使用後は、しばらく大技は一切使えない。魔法使いといえど、体という物理的な存在を持つ以上、必然に負担の大きい大技には使用制限があった。
「ぐ……いたたた」
 本来であれば、まだ帰りが残っているというときに使用するのは無謀としかいえない。だが、後先を考えていられる状況ではなかったというのも事実だ。
 図書館の扉を開ける。
 見慣れた、いつもの景色が目前に広がる。
 無数と思えるほど並ぶ本棚。もう、本は目の前だ。
 いつもと違うことといえば、そこにいるのがこの図書館の主ではなく――
「遅いじゃない。さあ、始めましょ」
 紅魔館の主だということだった。
 魔理沙は乾いた笑いを浮かべる。
「……最高に美味しいところにいるじゃないか」

 レミリアの強さは魔理沙もよく知っている。精密さやテクニックといったものとはまったくの無縁であるが、それはそんなものがまったく必要ないからだ。普通に力で押し切ればまず勝ててしまうからだ。
 ある意味では魔理沙と似たタイプといえる。決定的な違いは、人間であるか、そうでないか。
 さらに今に限って言えば、魔理沙はもはや強力な攻撃手段を持たない。
 真面目に戦って勝てる状態ではない。まして、時間はかけられない。時間切れが迫ってきているというのもあるが、それより前に、廊下にいた二人が追いついてくるだろう。
 魔理沙はこの絶望的な状況の中、勝利への道を探さなければならない。

 レミリアが赤い槍を手にする。物理的な槍ではない。何本でも生み出すことができる、純粋なエネルギーの塊だ。
 魔理沙はすぐさま手を前に広げて、レミリアの動きを制す。
「それはなしだ。わかるだろ? 私だって本を壊しにきたわけじゃない」
 最初の突破口は、すぐに気が付いていた。
 このゲームは、途中どんなルートを辿ろうと、図書館を避けて通ることだけは絶対に不可能だ。となれば、もっとも確実なのは、戦力を図書館に集中させることのはずだった。
 それをしていない、特にパチュリーや咲夜が図書館の直前の通路で迎え撃とうとしていたということには、当然、理由がある。
 ここを戦場にしないというのは、パチュリーとしては当然の判断だったはずだ。
「……ふん。あんたがその体で全部受け止めれば本は無事よ」
 レミリアは、言葉では魔理沙の提言を否定しつつも、すぐに作り出した槍を消滅させた。
 よし、と魔理沙は胸をなでおろす。これで、大技が使えないという条件では対等になった。いや、大技というより、遠距離攻撃そのものがほぼ封じられる。
「さあ」
 魔理沙は両拳を握って、構える。
「ケンカしようぜ」
 レミリアは、にぃ、と笑った。
 残り時間、二分。


 間合いを取ってスマートに戦う、などと考えていられるような時間はない。
 魔理沙はすぐさま飛び込んでいく。
 まっすぐに突っ込んで、まっすぐに殴る。それだけ。
 だが、腕が伸び始めたときには、レミリアの姿は消えていた。跳んだのだ、と気づいた時には、踵を後頭部に食らっていた。
「ぐぅっ……」
 ふらり、体が揺れるが、体勢はすぐに取り戻す。レミリアは続け様に手刀を繰り出してきた。手が残像でしか見えないほど速く、とても避けられない。魔理沙は見切ることを早々に諦めて、両腕で上半身と顔をガードする。
 一発が重い。五、六発も腕で受け止めたところで衝撃に耐え切れなくなり、腕が開く。魔理沙はそのままの勢いで後ろに飛んで、距離を取った。
 今度は体勢を整えなおす時間さえ与えられなかった。間を空けた分だけ、間髪なくレミリアは詰めてきた。
 その手が伸びてくるのを確認しながら、魔理沙は足を振り上げる。レミリアが突っ込んできた勢いのまま、蹴りは腹部に命中した。
 反動でお互いの距離がまた少し離れる。レミリアは少し驚いた顔をしていたが、平然としていた。すぐにまた、突入してくる構えを取る。
「こんなもの? だとしたら――あまりに非力」
 わずかなステップで、また二人の間の距離は一歩程度まで詰まる。
 反射的に腕をまた顔の前で構える魔理沙を嘲笑うように、レミリアの下段蹴りは魔理沙の膝を真横から捉えていた。
「……っ!!」
 悲鳴が声にならないほどの衝撃と激痛。
 このまま崩れ落ちる――ことさえ、レミリアは許さなかった。伸びてきた手が、まっすぐに魔理沙の首を獲っていた。
 腕を伸ばし、小さな手で魔理沙の首を絞めながら、手の力だけで魔理沙の体を支える。
「弱すぎるわ。やっぱり、人間ね」

 呼吸を封じられ、わずかな言葉も出ない。
 凄まじい握力で首を絞められるというこの危機に。
 魔理沙が言い放ちたかった言葉は、しかし、勝利宣言だった。
 さっきまでの戦い方がレミリアにとって正解だった。
 これはよくない。お前の犯した大ポカだ――と。
 魔理沙の体の小ささは、格闘には極めて不利だった。だが、レミリアはもっと小さいのだ。
 お互いが同じように手を伸ばせば、魔理沙のほうが遠くまで届く。
 このとき魔理沙がまっすぐに伸ばした手は、レミリアの顔を包み込むのに十分余裕があった。
 人間は非力。その通りだ。だから人間は生き残るために様々な力を身につけてきた。それは道具だったり、戦術だったり、純粋な数だったり、システムだったりする。
 魔理沙が選んだ道は、もっとも特殊な技術のひとつ。
 不可能を廃する力。魔法。
 魔理沙の掌から放たれた強烈な光は、ゼロ距離でレミリアの顔を貫いた。

「――!」
 レミリアの手から一瞬力が抜けた隙に、拘束から抜け出す。
 至近距離で魔法を当てた反動で、腕が吹き飛びそうなほどの衝撃があった。無理もない。自分の魔法をそのまま掌で受け止めたのと同じことなのだから。
 レミリアは手で自分の顔を押さえている。押さえているためどんなことになっているかは見えないが、まあ、無事では済んでいないだろう。吸血鬼の回復力を思えば少しすればけろりとしているかもしれないが、少なくとも残り時間の間の視力くらいは奪えたはずだ。
 万難は排した。魔理沙は腕と脚の痛みをなんとか耐えながら、箒に乗る。本棚から一冊の本を手に取る。
「よく頑張ったけど、もう、勝負は決まっているわ。諦めなさい」
 入り口のほうから声が聞こえた。
 パチュリーが、魔理沙のほうを厳しい目で見ていた。
 残り時間、一分。


 無論、普通に考えて間に合う残り時間ではない。
「なあ。この前私が帰った後、ちゃんと館内を調べたか?」
 魔理沙は、それでもむしろ落ち着いた声で、パチュリーに語りかけた。
 パチュリーは眉をひそめる。
「当然。……何も、出てこなかったけど」
「この館から本を持って出た時点で私の勝ちだ。忘れるな!」
 魔理沙は言葉の最後の調子を強めて。
 一気に、加速した。
 上に。天井に向かって。
「上……!?」
 パチュリーは、見上げることしかできない。

 図書館の天井に、屋根裏部屋への入り口があることは以前から知っていた。魔理沙は戸に手をかけ、開き、潜り込む。
 屋根裏部屋には窓があり、今の時間であれば歩くにも十分に明るい。
 この屋根裏部屋の天井、すなわち屋根の裏側。
 一箇所だけ、丸い形にひびがはいっていた。――一週間前、魔理沙が行った作業の結果、そのままに。そこはもはや屋根の一部ではない。一度くりぬかれた円盤が、屋根に乗っているだけだ。
 残り時間、十五秒。
 もはや屋根を一気に吹き飛ばすような魔法を使う力は残っていないが、小さな円盤を吹き飛ばすだけなら問題ない。
 痛む腕を伸ばして、円盤に向ける。
 十三。
 じっくりと、残り少ない魔力を込める。
 十。九。八。七。
「吹き飛べ!」
 放つ。
 円盤は、魔法の衝撃を受けて、宙高く浮いた。
 青空が、見えた。
 五。
 勝った。魔理沙は確信する。
 穴に突入する。
 境界線を抜けて、空へと。
「ゴール――!」
「うしろからー」
「!?」
「ごつーん」
 飛び出した魔理沙の後頭部に、重い、鈍い衝撃があった。
 何があったのかまったく理解する間もなく、意識は急激に薄れていった。
 自由落下を始めた魔理沙の体が、やがて、どさりと屋根裏部屋へと再び落ちる。
 残り時間――ゼロ。
「ごめんなさい、実は気づいてましたー」
 いえい、と。
 小悪魔は、誰も見ていないところで、Vサインを作ってみせた。






[パチュリー・ノーレッジ]

「私の勝ちのはずだ。時間内に一度本を持って外に出たのは確実だからな」
「けど、タイムアップのときには館の中。負けを認めなさい」
「勝利条件を忘れたか? 私のほうに理があるのは明白だぜ」
 一時間後、図書館。
 魔理沙とパチュリーは、またもめていた。
「小悪魔の証言によると、魔理沙の全身はまだ出ていなかったと。足元が出ていなかったということよ」
「いいや。出ていた。私が保証する」
「出ていませんでしたよー。ぎりぎりです」
「見間違えだろ。視力がついていってなかっただけだ」
「むー」
「――話にならないわね」
 パチュリーは、手を振って二人のやり取りを止めさせる。
「お互い証人は自分だけ。どちらも信用するに十分ではない。それならば、時間のときに館内にいたというれっきとした事実をもって判定するのが妥当だと思うわ」
「受け入れられない。だいたい、全身全てが出ていなければいけないという条件もなかった以上、そちら側の訴えは最初から意味がない」
 魔理沙はむしろ毅然とした態度で言い切る。
「だから、私はこれからも堂々と本を無断で借りに来るぜ」
「理不尽な話だわ」

 お互いが勝敗を譲らない以上、結局これまでと何も変わらないということになる。
 もともと、すでに魔理沙をいちいち退治しようなどという動きはなくなっていたため、魔理沙にとってみれば勝ちも引き分けもたいした意味はなかった。
 その後も、パチュリーが宣言したような、咲夜による妨害もなかった。
 魔理沙は相変わらず堂々と図書館に出入りしている。



[レミリア・スカーレット]

「やられたわー」
「油断したわね、レミィ」
「うー。殴り合い中に魔法使うなんて、無茶なことするわ」
「私だったら腕なくなってたかもしれないわね」
 レミリアは、悔しそうではあったが、それでも表情にはむしろ笑顔が浮かんでいた。
「結局まともに戦ったのは私だけみたいだし、よしとするわ」
「私も、魔理沙の新技見ることができたし、収穫はあったわね」
「そっちも興味あるけど。また今度楽しみにしておくわ。で、咲夜は?」
「楽しい片付け作業をさっそく開始してるわ」
「……享楽主義なのか真面目なのかよくわからない子ね。打ち上げの後でもいいじゃない」
 レミリアが呆れた顔を見せると、パチュリーも同意するように頷いた。
「打ち上げは明日にするんだって」
「今日じゃなくて?」
「魔理沙が頭打ってて危ないかもしれないから、一晩様子見。明日みんなで、ということらしいわ」
「え、魔理沙も呼ぶの?」
「……その反応が、普通なのよね? たぶん……」
 レミリアとパチュリーは、二人で首を傾げた。
 まあ賑やかなほうがいいし、と、特に二人とも反対することはなかった。


 結局当日、魔理沙だけでなく、にとり、さとりの顔も打ち上げパーティにあって、まったくそのつもりはなかったパチュリーが一番驚くことになる。
 もしかしたら本当に一番楽しんでいたのは、咲夜だったのかもしれない。パチュリーは、メイドたちと一緒に作ったらしい、今回のことの顛末をまとめた紙芝居を披露している咲夜を見ながら、苦笑いを浮かべた。
「人間って、凄いのかも」



FIN.








【注意】すでにツッコまれている内容について
・図書館は地下だよ!
  →素で知りませんでした!
   ごめんなさい。