「お?」
魔理沙が玄関を出てすぐに飛び立とうとすると、目の前にアリスがいた。
「わっ……」
目を丸くしたアリスが、一歩下がる。
魔理沙が動きを止めたことで、出会い頭の衝突は回避された。ほ、と息を漏らしたのはアリスのほうだった。
「出かけるところ?」
「ちょっと、にとりのところにな。ガラクタをいくつか調べてもらってたんだ」
「そっか。いってらっしゃい。はい、これ」
「ん?」
アリスは、手に持った袋を魔理沙に差し出した。魔理沙は、手を伸ばしながら、袋の中から漂う甘い香りに気づく。
「美味しそうだな」
「クッキーがね。ちょっと余っちゃって。ちょうど欲しいものもあったし、ついでに」
「ありがたくいただくぜ」
袋を受け取る。大きさと重さから、そこそこの量はありそうだった。
「よし、行ってくる。欲しいものは適当に持ってってくれ」
「うん、ありがとう。いってらっしゃい」
「またな」
手を振るアリスに見送られながら、飛び立つ。
「――やれやれ」
飛びながら、魔理沙は苦笑いを浮かべる。
魔法の材料はお互いに必要なものが少しずつ足りなくなることが多いため、半ば共有財産化していた。適当に持っていく、というのは割と日常のことである。
とはいえ、今のアリスにその気がないことは明白だった。荷物は手渡されたクッキーが全てであり、他には袋もかごも持っていなかった。これを渡しに来てくれただけなのは間違いない。わざわざそのために来てくれたのに受け取っただけですぐに出かけてしまう――という後ろめたさを魔理沙に感じさせないために、咄嗟に思いついた言い訳だったのだろう。
「あいつらしいってか……気づいたからには、私の勝ちだな、うん」
もちろん、帰ってから後で指摘するつもりだった。どうせ知らないフリをするのだろうと思いつつ。
妖怪の山までは、距離がある。魔法の森を起点にする以上、大抵どこに行くにも距離があるのだが。
そんなわけで、中間地点あたりの平地に適当な河原を見つけて、降り立つ。長時間飛ぶことは慣れており、さほど疲れたわけでもなかったのだが、ともかくせっかくだからクッキーを早く食べたかったのだ。
川で手を洗う。まだ春になったばかりで、水は冷たい。だが、これから待っている楽しみに比べれば、手の冷たさなど準備体操に過ぎない。
「さあ!」
掛け声一つ。袋に手をかける。
その瞬間を狙いすましていたのか。飛来したカラスが、ばさばさと羽音をたてて、魔理沙を襲撃してきた。爪で、右手を引っ掻くようにつついてきた。
「うあっ!?」
不意打ちに慌てて右手を振り上げて、追い払うように振る。とっさの動きだったが、クッキーの袋を持つ左手はしっかりそのまま抑えていた。
ばさり。カラスは浮き上がる。恨めしそうに魔理沙を見ている――ような気がした。
魔理沙は、痛みに表情をしかめながらも、不敵に笑ってみせる。
「ふん。狙っていたようだが、不意打ちが失敗した以上、もう私の勝ちだ」
カラスの攻撃力は馬鹿にはできないが、正面から対峙すればまず遅れをとる相手ではない。カラスもそれを理解しているのだろう、再度襲いかかってくることはなく、少し離れた地面に降り立った。
とはいえ、逃げ帰るわけでもなく、その場に残って相変わらず魔理沙を見つめている。魔理沙は怪訝そうな顔を少し見せてから、カラスの姿を見て、ああ、と頷いた。簡単には引き下がれない理由があることに気づいた。
「ガリガリじゃないか。美味しくなさそうだな」
カラスは、やせ細っていた。体力もあまり残っていないため、一攫千金のこのチャンスに賭けてみた――そんなところかと、魔理沙は推測する。
やれやれ、と溜息をつく。
「私の優しさに期待しているのか? 生きるってことはな、そんなに甘くないんだぜ」
そう言いながら、袋からクッキーを一つ取り出す。甘い香りはもうかなり薄れていたが、十分に食欲をそそる。
ほれ、とカラスに向かってそれを投げる。カラスはすぐさま、クッキーに飛びついてつつき始めた。猛烈な勢いで食べ始める。一切の躊躇なく。
「お前みたいに痩せてるとな、下ごしらえが面倒なばっかりで実入りが少ないんだ。食べて欲しかったらもうちょっと太りな」
がつがつ。
カラスは話を聞いているのかいないのか、夢中になってクッキーを貪る。あっという間に、平らげてしまった。
……じっと、魔理沙の顔を見つめる。
「……おいおい」
じっと。
とことこと、魔理沙の周囲を歩きながら。
「……あんまり欲深い奴は、痛い目に合うぜ」
もう一つクッキーを取り出して、投げる。
カラスは飛びついて、食べる。
食べきる。
じっと魔理沙を見つめる――
「お前どんだけぎりぎりだったんだよ……」
はああ。
魔理沙はもう一度、今度は深い溜息をついて、しゃがみこんだ。
「感謝しろよ。幻想郷一のクッキーだぜ」
袋から残りのクッキーを取り出し、全て地面の上にばらまいた。感じていた重量ほどの量はなかったが、カラスにはいい加減十分な量だろう。
既に二つ食べきった後だというのに、カラスの勢いは止まらなかった。この機会に何日分も貯めてしまおうと思っているのかもしれない。
少しの間未練がましく地面に散らばるクッキーを眺めてから、魔理沙は立ち上がる。とりあえずカラスにやられた手を洗うため、川に向かう。
川の流れに右手を浸す。
「いてて」
出血はしていないが、少し痣になり始めている。冷たい水が傷口にしみる。
傷を負って、クッキーは全部失った。散々な休憩時間になってしまった。まったくカラスって奴は、と誰にともなく呟く。どうも、カラスが関わるといつもろくな目に遭っていない。
見る限り、既に老齢のカラスだった。とても食べられたものではないだろう。体で恩返しをしてもらうなんてこともできそうにない。もっとも、若くて美味しそうだったとしても、そんな気はなかったのだが。
しっかりと汚れを落として、ハンカチで手を拭く。大した傷ではない、このままで問題ないだろうと判断する。わざわざ一旦家に帰るほどではない。
落ち着いたところで振り向くと、カラスの姿は消えていた。
いつの間にやら、飛び去っていったらしい。クッキーの姿も綺麗に消えている。魔理沙は、元気でな、と呟いて、地面に置いていた箒を手に取る。
「行くか……うん?」
空を見上げると、カラスが飛んでいる姿が見えた。さっきのカラスが帰るところか、と思っていると、それはこちら側に近づいてきていた。
せっかくなので待っていると、カラスは魔理沙の目の前までやってきた。地面に降り立つと、ぽとりとくちばしに咥えていた何かを落とした。そして、すぐに飛び立つと、魔理沙の周りを一周して、元気に飛び去っていった。
「……お礼、ってか?」
魔理沙はしゃがみ込んで、陽の光を受けて輝く何かを手に取る。
笑う。
「なんだよ。せめて綺麗な石ころくらいにしてくれよ。お前にとっちゃ、宝物だったのかもしれないけどさ」
どう見ても、それは、ネジだった。何の変哲もない、金属製のネジだった。
人によっては重要なものかもしれないが、少なくとも魔理沙にとっては使い道のないシロモノだった。
せっかくだしな、と一応袋に詰める。これから行く場所には、これを欲しがる奴もいそうだしな、と思いながら。
昼前には、妖怪の山、目的地のにとりの工房にたどり着く。
幸いなことに、水中ではなく普通に地上にある。地上じゃないと突発的な仕事を引き受けられない、という都合によるものらしい。
魔理沙は入り口のドアを開けて、中に入る。油の匂いがきつい。
「おーい、にとり。魔理沙だ。どこにいる?」
魔理沙は大きめの声で呼ぶ。
決して広い場所ではないのだが、とにかく物が多く、見通しがきかない。探し回るより、まずは呼んでみるのが早い。
「おー、魔理沙ー? ごめんちょっと待ってて、今手放せなくてー」
「おう。あっちか」
にとりの返事を聞いて方向を推測して、歩き出す。自分の倉庫とはまた違った意味でガラクタだらけの部屋をのんびりと眺めながら、奥のほうに進む。
時折、飛んだほうが早いのではないかと思うような足場を越えないといけない点も、魔理沙の倉庫によく似ていた。
いくつもの山を越えた先に、にとりの姿を見つけた。にとりは、何やら大きな板のようなものを体で抱え込んでいるような状態だった。見るからに、手放せない状況だ。
「……こりゃ、忙しそうだな」
「あ、魔理沙、来たんだ。ごめんねー」
にとりは振り向かずに声だけで応える。
「もうちょっとで一段落だから、ちょっとだけ待っててね、っと……あ……あれ?」
右手と体で板を支えながら、にとりは左手でごそごそとポーチをまさぐる。
「あっれー……ちょうどあったはずなのに、一個足りない……」
焦ったような声で言う。トラブルが起きていることは明白だった。
「大丈夫か?」
「あー……そうだ、魔理沙、ちょっとこれ支えててくれる? キャップボルトが一個足りないんだ、探さないと。予備あったかなあ」
「別にいいけど。きゃっぷぼると?」
「うん。ま、平たく言えばネジの一種だよ。ボルトだけどスパナがいらないから扱いやすいんだ。特に空力が大切なところだとヘッドを沈めないといけないし――」
「ネジ? ネジなら持ってるぜ」
「お? キャップボルト? サイズは?」
「いや、知らんけど」
魔理沙はにとりの背後から横に立って、袋から先程手に入れたばかりのネジをにとりに見せる。
それを眺めたにとりの目が、みるみる間に丸くなっていく。
「何それ。完璧。M8の15ミリ、キャップボルトだよ。それでいける。渡してくれる?」
「ほい」
「よっし」
にとりは手早く左手でネジをネジ穴に入れて軽く回し、ポーチから取り出した六角レンチで回しだす。いよっ、と気合を入れた声とともに最後の一回しを終えて、ふう、と息を吐いた。
「おし!」
「終わりか?」
「終わり! お待たせ、助かったよ!」
「おう、お疲れ様」
「いやあ、魔理沙は救世主だね。なんて最高のタイミングで、一番いい物を持ってきてくれるんだい? ちょっと、何かの運命を感じちゃうね」
幸せそうな顔で汗をぬぐいながら、にとりが言う。
まさしく一仕事終えた、そんな充実感に満ちた顔だった。
「いや別に。ところで、これは何なんだ?」
「タービンだよ。正確には、その部品」
「たーびん?」
「蒸気の力を回転運動に変える仕組みだよ。早苗がさ、あ、早苗は知ってるよね、神社の巫女だよ、あいつがね、大規模に発電したいから効率のいい機関をお願いってね、大物はあんまり得意じゃないんだけど、まあせっかくだし、面白そうだし」
「発電? こんなので電気が作れるのか? 電気って、レモンに銅と亜鉛挿して作るもんじゃないのか」
「もっともっと、ずっと大規模なんだよ。山の神様がね、詳細はあんまり教えてくれないんだけど、蒸気を作る力は手に入れたらしいんだ。それをこれで回転運動に変えて、で、電磁誘導で電気に変えるんだ」
「なんだか、まどろっこしいんだな。いったん石ころに魔力を移してから、その魔力を使って魔法を使うような感じか」
「んーちょっと違うかな。そうだねえ……椛が、遠くの美味しいお団子やさんにお団子を買いに行くのに、途中で別のお団子やさんに立ち寄って体力回復しながら行く感じだよ」
「とりあえずあいつが相当な団子好きだってことはわかった」
本題の話、すなわち、魔理沙のガラクタの調査の件はさっと終わる。最近忙しくてあんまり進んでないから、もうちょっと待ってくれる? という一言で。
「無駄足させちゃってごめんね。手伝ってもらっただけになっちゃった――あ、そうだ」
にとりは、申し訳なさそうに言ってから、ぽんと手を叩く。
「このタービン作る前に、ちょっと練習で面白いもの作ったんだ。お礼とお詫びになるかわかんないけど、持って行ってよ」
「おお?」
にとりに案内されて、少し来た道を戻る。
山と積まれた機械の数々。その中からにとりは、何か、少なくとも魔理沙には何かとしか表現しようのないもの、を取り出した。
「はい、どうぞ」
「どうぞってな。思ったよりでかいが……なんだこれは。さっきのタービンってのに似てるが」
「これからの季節に活躍するよ。この羽がくるくる回って風を起こすんだ。涼しいよ」
「ほう。それはありがたいな」
「で、こいつは電気で動くから、ここに接続した発電機で動かすんだ」
「ふんふん」
「発電機はこれをぐるぐる回すことで動作するから、このハンドルを持って」
「ほう。つまりなんだ、その羽を回すためにそのハンドルを回さないといけないわけか」
「うん。……あっ」
「……いったん石ころに魔力を移してから、その魔力を使って魔法を使うような感じか?」
「……うん」
魔理沙は、それを持ち上げてみる。想像していたよりも、重い。持ち運べないほどではないが、なかなか大変そうだ。
「……いる?」
すっかり萎んだ声で、にとりが尋ねた。
「まあ、せっかくだしな。こういうガ……おもちゃは、割と好きだ」
「うう。ありがとう。魔理沙は優しいなー」
「いやいや、貰うほうだしこっちが」
「えへへ。また修理とかなんでも気軽に来てよ!」
そんなわけで、にとりの工房を出る頃には、何故か重い荷物を抱えることになった。さすがに休憩なしで帰るのはきつい重さだろう。
せっかくだし山の景色でも眺めていくか、という気分でゆったりと飛ぶ。
すると、少し離れたところで白い蒸気がもくもくと湧いているのを見つけた。
「温泉か? 熱そうだな」
ふらふらと、なんとなくそちらのほうに向かってみる。蒸気はかなり濃い。近づいてみると、それは泉からではなく、大きな穴から出ていることがわかった。
「ああ。そういや、こんなのあったな」
魔理沙は、少し前にもこの穴を見つけていたことを思い出す。その時はこんな蒸気は湧いてはいなかったが。
いったいこれはなんなのだ、と思いながら中を覗き込んでみる。蒸気は温かいが、やけどするほど熱いわけではない。が、さすがに視界を塞ぐには十分すぎる濃度だった。
「むう」
どれだけの深さがあるかわからないのに、この中に潜り込んでみようとは思えなかった。どう考えても、この中は暑いし、熱い。
以前に行った旧灼熱地獄に似ているとも思った。出来れば、二度と行きたくのない場所だ。
「あら、魔理沙さん。こんなところに、何か御用ですか?」
穴の前で考え込んでいると、後方から声がかかった。
振り向いてみると、少し離れた場所に早苗が立っていた。
「ああ、いや別に用事があるわけじゃ――」
「あっ! 扇風機じゃないですか! いいもの持ってますね!」
質問しておきながら、魔理沙の回答を遮って早苗が叫ぶ。ずんずんと早足で近寄ってきた。このまま穴に突き落とされるのではないかと不安になって、魔理沙がその直線上から離れるほどの勢いで。
「せんぷうきって、これか?」
「それです。ちょうど欲しかったんですよ、それ」
「いや、これ手で回して動かすようななんというか伝言ゲームみたいなもんだぞ」
「電気で動くんでしょ?」
「ああ、で、発電するのにこれを回すっていう」
「おっけーです。それを回すための力は別にあります。ちょうど、そこで働くのが暑いってクレームが多くて、これが欲しいなって思ってたところなんですよ。それ、売ってくれませんか?」
早苗の勢いは、既に売約が成立したかのようだった。まさか手に入れてすぐに、これを欲しがる人が登場するとは思ってもみなかった魔理沙は面食らう。
「うーん」
必要だというのなら、手放すのは構わないように思う。おそらく自分はこのまま持ち帰っても、ほぼ死蔵することになるだろうと魔理沙は思っていた。それならば、有効活用してもらったほうがよいのではないか、と思う。
むしろ、売っていいものかどうか、だった。迷う点は。
なにせ、作ったのはにとりだ。そして、魔理沙は先程それを受け取ったばかりだった。本来であれば、売る権利はにとりにある、ように思えた。
「いや、金はいいよ。受け取ってくれ」
少し悩んで、魔理沙は答える。
「え、いいんですか!?」
「まあな。にとりに今仕事頼んでるだろ? その金はあいつに多めに払ってやってくれ。これは、今あいつから受け取ったばかりのものなんだ」
「そうですか……ありがとうございます。魔理沙さん、いい人なんですね」
「誰がだ。さすがにこのタイミングで金を受け取るのは気持ち悪いだろ、誰だって」
「そうですか」
早苗は、深く頭を下げる。
なんとなく居心地の悪そうな魔理沙に対して、早苗は微笑んでみせた。
「助かります。これで、労働環境の改善が図れます」
「そうか、よかったな」
「あ、そうですね……ここで、少し待ってていただけませんか? これを、下まで運ぶ準備をしてこないといけません。そうですね、十分ほど。お急ぎでなければ……」
「別に急いではいない」
「ありがとうございます」
早苗はもう一度頭を下げたあと、飛ぶ。
魔理沙はそれを見送ってから、ふう、と息を吐いて、その場にしゃがみこんだ。
「今日は色々とあるなあ」
「じゃーん!」
戻ってきた早苗が元気に笑いながら魔理沙に差し出したものは。
なんというか、うさぎだった。うさぎのようなもの、の、ぬいぐるみだ。
「……ん?」
「はい、魔理沙さんにプレゼントです。せめてものお礼です!」
「あ、ああ……え。これを? 私に?」
「はい! とっても可愛らしくて魔理沙さんに似合うと思います!」
「……」
確かに可愛い。魔理沙はそれを認める。そこに異論はない。
魔理沙は、ぬいぐるみをまじまじと見つめる。うさぎを、擬人化したようなキャラクターだった。うさぎの妖怪は何人か知っているが、それとはまた異なる。シンプルな目や口に愛嬌がある。
「……私が、こういうのを、好きそうに思うか?」
「え? ほらほら、これを抱いてみてください、さあ」
「ああ……」
ぬいぐるみを受け取って、胸の前で抱いてみる。
きゃー、と早苗が叫んだ。
「可愛いっ!」
「そ、そうか」
「それ、私が昔使っていたものなんですよ。こっちに来るときに、もういらないからって置いてくるつもりだったんですけど、諏訪子様が勝手に持ってきちゃってて……もう、私は子供じゃないんですから。ねえ?」
「なんでお前そう思うものを私に」
「え?」
「……いや、特に疑問に思わないんだったら、別にいい。ま、せっかくだし貰っておくぜ。外の世界のものなら、貴重品だしな」
「はい!」
元気よく早苗が答える。
まあ貴重品であることに変わりがないのなら軽いほうがいい、と魔理沙は前向きに考える。
「で、降ろす準備っていうのは?」
「あ、ごめんなさい、大丈夫です。実はこれを取りに行っていただけでした」
「そうか。わざわざありがとうな」
「いえ! こちらのほうが助かりましたから。またいつでも遊びに来てくださいね。コレが上手く行けば、もっと楽しいことができると思いますから」
「……あっちの巫女に怒られないように、気をつけてな」
ぬいぐるみを抱えて、ふわふわと飛ぶ。随分と身軽になった。
そして、思う
「……やっぱり、なんか、恥ずかしいな、これ」
あまり、これが自分の家に置いてあるのをイメージできなかった。
アリスに渡すかと考えてみるものの、アリスの趣味とも違うように思えた。アリスは、もう少しリアル志向だ。
「うん。やっぱりこういうのはあるべきところにあるべきだ」
価値はあるものなのかもしれないが、自分が持っておくべきとも思わなかった。魔理沙は決断すると、次の目的地に向かう。
帰り道とは逆方向になるが、出かけついでだ。
「姫、こういうの好きだろ?」
玄関先で迎えに出た鈴仙に、魔理沙はうさぎのぬいぐるみを突きつけた。
唐突に。
「あら、可愛い」
「だろ、だろ。そうか、姫にって思ったけどお前にもよさそうだな」
「あ、ううん……私は、別に。上がってて、姫様呼んでくるから」
「ん」
「それも可愛いけど、魔理沙はもっと可愛いわよ」
いきなりすぎる言葉に、魔理沙は吹いた。
というか、むせた。
「やめてくれよ……で、どうだ、姫、うさぎ好きだろ?」
「いいえ?」
「あれっ」
輝夜は微笑みながら、静かに隣に座る鈴仙の頭を撫でて言った。
「私は、この子たちが好きなのよ」
「……姫様……」
鈴仙がぼっと顔を赤くして、俯く。
見ている魔理沙のほうが恥ずかしくなってくる反応だ。
「もちろん、永琳も私と同じ。うさぎだから好きなわけじゃないのよ」
「……はい」
はい、の後に鈴仙は何か言葉を続けようとして、止める。
そんな鈴仙の耳を軽く触って、輝夜は言う。
「ね、今あなたが思ってたこと、当ててみせましょうか」
「え……?」
「『師匠の口から、その言葉聞きたいなあ……』ってね」
「あ、あううっ……」
「もう、わかりやすいのよ」
「うー」
「イナバは、もし私と永琳が別々になったら、どっちについていくのかしらねえ」
「えっ……あ、その……そんな」
「あら、焦ってる、焦ってる」
「も、もう、そんな難題、ずるいです……」
「おーい、そろそろいいかー」
「あ、ごめんね魔理沙。恥ずかしがってる魔理沙も可愛いからついやりすぎちゃった」
「う、うう、酷いです姫様、私はダシですか……」
「ごめんなさい。でも、嘘はついてないのよ」
「姫様……」
「……おーい」
「はい、お待たせ」
ぱっと輝夜は鈴仙の耳から手を離す。
鈴仙は恥ずかしさのあまりか、そのまま机に突っ伏してしまう。
「えーと……その、とにかくだ、こういうのは、あんまり好きじゃないか?」
ぬいぐるみを指さして言う。
「そんなことないわよ。可愛い物は大好きだわ。ありがとうね、魔理沙」
「そうか、それはよかった」
「うん。これを永琳だと思って可愛がるわ」
「師匠なんですか!? あえて!?」
思わず鈴仙が体を起こしてまでツッコミを入れる。
輝夜は、ぐっと親指を立ててみせた。相変わらず真っ赤なまま落ち着いていない自分の顔に気づいて、慌てて鈴仙はまた顔を伏せた。
魔理沙は、呆れたように深く息を吐いた。
「楽しそうだな、ここは。いつでも」
「あら、魔理沙も家族になりたいなら、いつでも来てくれていいのよ」
「堕落しそうだから、遠慮しておくぜ」
「そう。気が変わったらいつでも、ね」
さて、と魔理沙は立ち上がる。用事は済ませた。
「じゃ、またな」
「あら? もう帰っちゃうの? せっかくだから遊んでいけばいいのに」
「んー……まあ、ちょっと疲れてるしな。また今度な」
「約束よ?」
「はいはい、姫様」
「あ、待って、ちょっと待ってて。お返し、しないとね。素敵なものを持ってくるから、待ってて」
輝夜は言って、すっと立ち上がる。鈴仙もすぐ、後に続くように立ち上がる。輝夜からの言いつけがあるのを待つ体勢に入る。
「私が直接持ってくるから。座ってていいわよ」
「あ……はい」
「ちょっとだけ、待っててね」
輝夜は魔理沙の隣を通り抜けて、部屋を立ち去っていった。魔理沙の返事を待たないまま。
魔理沙は、右手を口元に寄せて、うん、と小さく呟いた。
「なんか、こういう展開になる気がしてた」
「どう? なかなかオシャレでしょ」
輝夜の手で、魔理沙の髪に髪飾りがつけられる。
魔理沙は、静かに頷く。
「見えないから、わからん」
「そうよね」
「鏡は、あっちにあるわ」
鈴仙の案内に連れられて、二部屋分を歩く。非常に広い永遠亭ではあるが、一部屋はあまり広くはない。さして歩かないうちに、鏡の前までたどり着いた。
鏡を見つめる。鏡の中の魔理沙を見つめる。
魔理沙の髪につけられたのは、シンプルな丸い飾りだった。フリルも派手な彩色も一切無い、銀一色で、しかも、形も丸い。複雑な形状になっているわけでもない。
ただ、魔理沙は鏡に近づいてよく見て、気づく。
「これは、月か」
丸の中に、細かい模様が刻まれていた。よく見ると、かなり繊細な工作だ。
輝夜は嬉しそうに頷く。
「そう、月よ。魔理沙には月が似合うわ」
「そう……か」
少し迷って、魔理沙が答える。髪飾りは確かにいいものに違いなかった。が、似合っているかどうかと言われると、ちょっと答えに詰まるというのが魔理沙の本音だった。
ぬいぐるみのときとは、逆だ。少し、大人びすぎているように感じた。
魔理沙の戸惑いを感じ取ったか、輝夜は、あーと小さく声を漏らした。
「銀は、ちょっと渋かったかしら」
ううむ。輝夜は魔理沙の隣で、一緒になって鏡を見つめる。
魔理沙が返事に困っていると、まあ、と輝夜はにこやかに言った。
「いつか似合うかもしれないし、せっかくだから受け取っておいてね。売れば結構な値段になるでしょうし、邪魔にはならないわよ」
「あ……ああ、ありがとうな」
現実的に、似合わないと言われたも同然だった。
苦笑しながらも、まあいいか、と魔理沙はありがたく頂くことにした。好意は出来る限り素直に受け取っておきたいものだ。
「さって」
なんだかんだあって、随分と遠くまで来ていた。
せっかくここまで来たのだから、と、まっすぐ帰るのではなく、紅魔館に立ち寄ることにした。永遠亭からは、さほど遠くない。帰り道を少しだけ逸れれば行ける程度の場所だ。
紅魔館に、というよりは、図書館に、というほうが正確なのだが。魔理沙がこの建物に近寄る理由は、基本的に他にない。
「よ、お疲れ様」
「……」
門番に睨まれつつ、横を素通り。魔理沙はスルーパスの権利を得ているため、面倒なやり取りはなくて済む。門番は未だに納得いっていないようだったが、主人の命令とあれば従うしかない。どうやら、魔理沙を顔パスできるようにしたのはメイド長の提言が大きいと、最近になって魔理沙は聞いていた。彼女が何を考えているかは全く読めないが、ありがたいことだと魔理沙は存分に権利を行使していた。
図書館に着く前に、主人と出会った。
「おや、魔理沙じゃない。夕方に来るなんて、珍しいな」
「おおう。いや、色々あってこんな時間になっただけだ。レミリアは、今から神社か」
「まあね。たまには行ってやらないと、霊夢も寂しがるからねえ」
霊夢のことを知り尽くしているわけではないが、絶対にそれはないと心の中で断言できる魔理沙だった。
「むしろ、こんな時間ってのはこっちのほうが言いたいくらいだな。まだ日が落ちるまで時間はあるだろ」
「いいんだよ。あんまり遅いと眠いって霊夢がさ」
レミリアは、にや、と笑う。
「それとも何? 私をそこらの吸血鬼と同じだと思ってる? ちょっとくらい日が出てても、どうってことないさ」
それにしても、夜のほうが動きやすいのは確かだろうに。と、これも口には出さず魔理沙は思う。本当に日が気にならないなら、霧の異変など起こしはしない。
「そんなことよりさ魔理沙、いいもの付けてるね」
レミリアは、すっと小さな手で、人差し指で魔理沙の帽子を指さす。ああ、と魔理沙は呟く。
例の髪飾りだ。結局、髪ではなくて帽子につけておいたのだ。これはこれでワンポイントになる、と。
なんとなく展開が読めて、魔理沙は聞く。
「欲しいか?」
「欲しいね」
即答だった。
うーん、と魔理沙は額に手を当てて、悩む。
「何か不条理な力が働いているような気がする……」
「不条理な力? それは、運命ってやつじゃないの」
「運命か。まあ、それならそれでいいや」
適当に納得しておく。魔理沙は帽子を脱いで、リボンに挿し込んでいた髪飾りを外す。
「月か。そういや、吸血鬼なんかも好きそうなモチーフだな。とはいえ――」
レミリアの姿を、眺めてみる。
改めて眺めなくても、初めて会った時から何も変わっていない。恐らくこの先も永遠に変わらない。
「あんまり似合いそうにないな」
目の前の少女には、もっとお嬢様お姫様したもののほうがずっと似合いそうだ。
「いや。私じゃないよ。だいたい、それ銀でしょ」
「……え、これ、本物の銀なのか」
「人間にはわからないのかねえ。で、もらってもいいの?」
「何かと交換だ」
面倒なので、魔理沙は先手を打っておく。
銀細工となれば、確かに価値はかなり高いだろう。どちらにしてもあっさりと手放すのはもったいない。
「もちろんよ。――咲夜」
「はっ」
レミリアが呼ぶと、咲夜は瞬時にその場に現れた。ほんの僅かすら待たせないその技は、他の誰にも真似はできない。
レミリアは、魔理沙に向かって手を伸ばす。魔理沙は、髪飾りを渡そうとする。
「お嬢様、それは」
「わかってるわよ。大丈夫」
「はい」
魔理沙から髪飾りを受け取る。その瞬間、レミリアの手から少しだけ白い煙が湧き出した。
「おっ!? だ、大丈夫なのか?」
「別に。見た目はこんなだけど、痛くも痒くもないよ。人間で言うと、蚊に刺されたくらい」
「痒いぞそれは」
実際レミリアは平気な顔で髪飾りを持って、少し浮き上がり、それを咲夜の髪に挿す。すっと自然に収まる。
目を細めて、レミリアは一歩下がった。咲夜は、微かに下げていた頭を上げる。
「ほら、よく似合う。綺麗よ咲夜」
「ありがとうございます」
咲夜は、顔も声も無表情のまま言う。本当に何を思っているのかは全く想像もつかない。
「微妙に望月じゃないところ。これを作った奴は、わかってるね」
「え?」
魔理沙は首を傾げる。どう見ても、望月、つまり満月なのだが。
「ほんの僅かに、欠けてるよ。既望とはね、最高じゃないか」
言われても、魔理沙にはわからない。
むしろ、そんな僅かな欠け方は、製造の誤差なのではないかと思う。が、そういうものも含めて風流というものだ、と思い直す。
「どう、魔理沙? 咲夜にぴったりだと思わない?」
「ああ……」
こうして見てみると、そこに収まるために作られたのかと思うほど、よく合っていた。ため息が出るほどだ。言われてみれば、これ以上に銀の月が似合う人物を挙げる自信がない。
「……というか、卑怯だな。こいつは、何をやっても似合うし、サマになる」
「どうも」
「そういう落ち着き払った受け答えもな」
自分にないものをまとめて持っているような気がして、なんとなく睨みつけてしまう。
それにしても、とレミリアの方を見る。髪飾りを見て、即座に咲夜に合うと判断したレミリアの感性は侮れない。もしかして、咲夜にこれを渡すために自分はここに来たのかと思うほど、絶妙な行き先だ。先程聞いた運命という言葉に深みを感じる。
「さて。対価ね。咲夜、紅茶持ってきて。もちろん、私向けじゃないほうね。最高の奴を、一瓶――いえ、二瓶」
「これでしょうか」
レミリアの言葉を受けて、咲夜の両手の中に瓶が現れる。魔理沙から見ると、瓶が瞬間移動して現れたようにしか見えない。実際は咲夜は止まった時間の中を移動してそれを持ち出してまた戻ってきたのであろうが、つまりは、寸分違わず同じ場所に戻ってきたのだ。そのせいで、時間の不連続性を全く感じ取ることができない。
歩く芸術作品だな、と魔理沙は思う。
瓶の中には、ぎっしりと茶葉が詰まっていた。
「咲夜が選んだのなら、それが最高のものなんでしょ。魔理沙に渡してあげて」
「かしこまりました」
咲夜はまず右手を差し出す。魔理沙は両手で瓶を受け取り、袋に入れる。左手を差し出す。両手で受け取り、袋に入れる。
「きっと気にいるよ」
「ああ。……受け取ってから言うのも何だが、私は緑茶派だ。紅茶はよくわからん」
「あら、霊夢と同じなんだ。なんとなく、魔理沙は洋風かと思ってた」
「あいつに比べれば割と折衷派かもな。でも、茶は緑茶だ」
「悪いね。緑茶はないんだ」
「いや、これでいい。ありがたく頂いておく」
よし、成立。レミリアは軽く頷きながら言った。
「じゃ、私は出かけてくるよ」
「ああ、気をつけてな」
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
軽く手を上げて、レミリアは去る。
それを見送ってから、咲夜のほうにちらと視線をやる。
「咲夜は、かっこいいな。うらやましい」
「魔理沙は、可愛いわ」
「そ……そう、か」
なんとなく言ってみた言葉に、すぐに返事がきた。魔理沙のほうが慌ててしまう。
やはり、咲夜との会話はペースが狂う。いつものことながら、実感する。
「図書館、行ってくる」
「いってらっしゃい」
すっかり夜になっていた。
魔法の森は静寂に包まれている。魔理沙は、真っ暗な自宅ではなく、そこから少しだけ離れた明るい家、アリスの家に着く。
降り立って、玄関のドアを叩く。
「はーい」
「魔理沙だ。ちょっといいか?」
「あら、どうぞ、上がって」
「まあ、素敵」
紅茶の瓶を取り出して、テーブルに置く。
ものはやはり、あるべきところに。紅茶の行き先としてここが選ばれるのは魔理沙にとって自然な展開だった。
瓶の中の香りを確かめて、アリスは柔らかく微笑む。
「……ふふ。これは、腕が鳴るわね。ちゃんと淹れないと、お茶に怒られちゃう」
「いいものだと思うか?」
「紛れもなく、最高級品ね。どうやって手に入れてるのかしら、あそこは。……ありがとう、魔理沙」
「私にはよくわからんからな」
ソファに深く腰掛けて、くつろぐ。
疲れている魔理沙は、このまま眠ってしまいそうになる。落ち着く空間だった。
アリスは瓶を持って立ち上がる。
「待っててね。頑張ってくる」
「ああ。頑張ってくれ」
うとうとし始めたところに、アリスは戻ってきた。
「お待たせ。……ふふ、もしかして、起こしてしまったかしら」
「いや。問題ない」
「はい、どうぞ」
アリスがテーブルに並べたのは、紅く澄んだ液体。紅茶の色には違いないのだが、かつて見たこともない色合いだった。美しい、と素直に思った。
そして、紅茶とは別の皿。
魔理沙はむしろ、それを見て目を輝かせた。
「あれからまたクッキー焼いてね。色々と試し始めると止まらなくなっちゃう。好きなだけ食べていってね」
「ああ――」
クッキーを見て、そして、ゆっくりと上を向き、天井を眺める。
わかってる。神様って奴は、よくわかってる。そんなことを言いたい気分だった。
嬉しくて、可笑しくて、笑いがこらえきれなかった。
「そうだ。それが欲しかったんだ」
FIN.