祐一は改めて身辺に起こった状況の変化を整理する。
まず、真琴の様子がおかしくなった。どこに行くにも一緒にいたがっていたのに、ある時期を境に微妙に距離を置きだした。
本人も戸惑っているようだったから祐一は最初は悩みを聞いて解決してあげようと思っていた。それを当人に拒まれたので、ひとまずはしばらく時間をあげようと思ってそのままにしておいた。
そして気がつけば祐一と真琴の距離は、物理的にも心理的にも遠く離れていた。
次に、名雪だ。
名雪もまた、真琴の様子が変わったのに続くように、祐一に対する態度を改めた。
こちらは非常に分かりやすかった。
「ごめんね、祐一。あのね、わたし自身の気持ちの整理のためにも言うけど、本当にわたし祐一が大好きだったんだよ。うん、今でもきっと好き。でもね、もう終わりにすることにしたの。わたしが幸せになっても祐一、許してくれるよね?」
言葉の細かい部分はよく分からなかったが、つまりは名雪の恋に終止符を打つ宣言であることだけは間違いなかった。
名雪は、だからずっと仲良くしようね、友達としてずっと、と言った。
その時の事を思い出すとまだ祐一の胸は痛む。喪失感。悔い。祐一もまた、名雪に恋していたのだ。間違いようもなく。だけど同時にやはり真琴は愛しい恋人だった。いつまで経っても落ち着かない自分の気持ちをずっと責めつづけてきて――当然の結果が舞い降りただけだった。
結果として気付いたのは、名雪と真琴は、祐一の事が無くてもやっぱり相性が悪いという事実だったわけだが、まあそれはこの際重要な問題ではない。
真琴のことは、美汐に相談に行った。
祐一は真琴の気持ちが離れていっている事が確実なこと、それでもまだ真琴は祐一に対して何か言うべき事を隠していると思うこと、感じていること全てを話した。
美汐は冷たい声で、一言だけ言いますね、と言った。
「遅すぎです」
続いて、なおも必死に食い下がる祐一に、宣言したのだ。
「真琴はもう私のものです。悔しかったら取り返してみてください。あなたでは無理ですけど」
混乱する祐一を、その後も徹底的に責めた。
どうして水瀬さんだけでも繋ぎとめなかったのですか。
あなたの行動の遅さが全て招いた結果ですよ。
「私はあなたからひとつ奪いました。あなたは私からひとつ奪いました」
それが結果です、と彼女は言い放った。
目が覚めたとき、まだほとんど働かない頭で最初に感じたのは不思議な暖かさだった。
そこが自分のベッドじゃない、と気付いたのはその3秒後だった。
そうなれば、すぐに、全てを思い出す。
ああ……昨日、わたしは……
「ん……起きたの、名雪?」
ほとんど耳元と言っていいくらいの距離から、香里の声が聞こえた。
わたしは顔だけをそっちに傾ける。当たり前だけど、そこに香里がいた。同じベッドの中。
香里がいる。
それだけでなんか嬉しい。まだ半分夢の中にいるような頭のまま、えへへと笑った。
少し触れ合う体から、香里の体温が流れ込んでくる。とても気持ちいい。
にゃあ、と鳴いてそのまま丸まってしまいたくなる。
「ふふ」
香里が笑っている。
なんだかよく分からないけど、わたしもまた笑って返した。にへー。
「なるほどねぇ……相沢君の気持ちがよく分かったわ」
……うにゅ?
ゆーいち?
どうしてここで祐一の名前が出るのかなー……?
祐一……今日は起こす相手がいなくて寂しいなんて思ってくれてるかな……
……はふ。だめだめ。香里と一緒にいるときにそんな事考えるなんて。
「毎朝こんな可愛いモノ見せ付けられちゃ、ね。名雪、あんたホント襲われなかっただけでも幸せよ」
むー……?
よくわかんないけど、恥ずかしいこと言われてるような。
でもね……香里。祐一は優しいから、そんなことしないんだよ。きっとわたしは、して欲しかったのかもしれないけど。
あと、ね。
「香里だって……凄く可愛いよ」
寝起きの香里の顔を家族以外で見た人なんてほとんどいないだろう。修学旅行のときだって誰よりも早く起きていた。目が覚めて起き上がるともうすぐにいつもみんなが知ってる香里になっていた。
「あ、やっとしゃべった。また寝てるのかと思ったわよ」
「起きてるよー……」
いっそこのままずっと眠っていられたらそれはとても幸せな事かもしれないけど。
にゃー。このまま猫さんになって香里に抱かれたままずっと眠るのだ。
時々思い出すようににゃーと鳴いていれば構ってくれるのだ。素敵な飼い猫ライフ。
まあ、今でももうわたしは飼われているようなものかもしれないけど。
あのキスひとつでお買い上げされて以来。
「じゃあ、もう布団上げていいかしら?」
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「うわ。学食にAランチが無かった日以来の不満そうな声」
くすくす。
香里が笑う。
可愛い。
「いつまでも寝てるわけにいかないでしょ。ほら、いい天気よ」
うー。
香里のイジワル……わたしからこの幸せを奪うなんて。
「せめて……あと時計の短針が1周するまで〜〜」
「12時間じゃない……」
そんなに寝てたらカビ生えちゃうわよ、なんて言われた。
うー。カビ生えてもいいもん……
「ほら、もう。別に布団剥いだら裸だってわけじゃないんだし。凍えたりはしないわよ」
「わ、わっ……香里、なんか、凄いこと言った……っ」
もちろん、ハダカ……なわけがない。
家から持ってきた、思い切ってわたしの手持ちの中で一番可愛らしいパジャマをしっかり着込んでいる。
ううう。香里、時々さらっとこういうこと言うんだもん……
なんて考えていると。
がばっ。
――布団は、無情にも剥ぎ取られていた。香里が上体を起こしたことによって。
……寒い。
寒い〜〜〜〜〜〜っ
「ううう。香里、悪魔だよ〜」
「はいはい」
香里は私の魂の抗議をかるーく聞き流して、そのままベッドの上に起き上がる。
うー。
ごろん、と体を丸くして熱が逃げないようにする。
あ……香里の温もりが……
……じー、とそのまま固まってみる。
うにゃうにゃ。気持ちいい。
……
香里がなんか呆れたような顔で見てるけど、気にしない。
……
「えとー……」
わたしはごろん、と顔を上に向けて、ぽつりと言う。
「このまま待ってたら、幸せが振ってくるのかな?」
まぶしい朝日。
温かいお布団。
ねえ。
おはようのキスは、まだ?
真琴が何か言いたそうにしてるのには気付いていました。
今日に始まった事ではなく、少し前からずっと。
そして私にも心当たりは十分にありました。もう――
「あ、あのね、美汐」
乱れた服を調えながら、真琴は言いにくそうにしながらも、とうとう口を開きました。
「美汐はいっぱい……色々教えてくれたし、色々してくれたの。すごく嬉しかったし楽しかったの。でも美汐もね、祐一と同じなの。真琴以外の誰かを見てるの」
「……」
来るべき時が来た。それだけです。
相沢さんと私は結局同じだったわけです。どうして私に相沢さんを責められましょう。
「それでね……真琴も、同じなの。美汐も大好きだし、やっぱり祐一も大好き」
「……はい」
「……それで、祐一にちゃんと謝って、また前みたいに一緒にやり直したいの」
分かってます。
真剣に愛する事が出来なければ失う事になる。相沢さんと同じ失敗を繰り返しただけのこと。
「美汐も一緒に、3人で仲良くできないかなぁ?」
「それは無理です」
「あうー……」
「私と相沢さんが一緒にいても、真琴と名雪が一緒にいたときと同じにしかなりませんよ。それに……私のもう一人の想い人は別にいるのですから、一緒にいる資格もありません」
「美汐の好きな子って、どんな子? 教えて」
ええ。
隠しておくわけにはいきませんね。こうなったら。
「香里お姉様、ですよ。真琴は会った事あるかどうか分かりませんが――今の水瀬さんの恋人です」
――やっぱり。
真琴、固まってしまいました。
「えー……えーと」
頭を必死に働かせているようです。
「お姉様ってことは、女の子? また女の子? あれ? それで、名雪の恋人? って名雪は祐一のことはどうなったの?」
そりゃあ、混乱するでしょう。
私もいいかげん頭が痛くなりそうです。人物関係図を書いたらとても素敵な状態になりそうで。
まともに説明してると凄く長くなりそうな気が……
「要するに、水瀬さんもまた私たちと同じ、なのですよ」
ああ。
この言葉は真琴を余計に混乱させるだけだったかもしれません。
頭からぷすぷすと煙が出ているのが見えるようです。
「えーーーとーーー。つまり〜。つまり、祐一も美汐も困らせている名雪が全部悪いのねっ!」
……
まあ、その。
なんというか、その。
「はい」
すみません、手を抜いてしまいました。
「それじゃね、美汐。美汐が真琴のこと凄く大切にしてくれたのはちゃんとわかってるからねっ」
「ええ」
「……それでね。えっとね。別にお別れってわけじゃないんだからね」
「ええ」
「……も、もしよかったら祐一とも仲良くしてあげてね?」
「それは無理です」
「あうー」
「真琴も、変に遠慮したりしないで後悔無いように相沢さんを愛してあげてくださいね」
「……うんっ」
「もちろん私としても真琴を全面的に相沢さんに渡すというつもりはありませんけど」
「うん、美汐も遠慮しなくていいからね」
「はい」
「……」
「……」
「……それじゃ、またね」
「真琴」
「え?」
「最後に総復習でも、しますか?」
なんて言いながら。
ぐいっと引っ張って、真琴の唇を強引に奪って。
――ああ。初めてのときもこうでしたね。そういえば。これが最後になるかもしれませんが――
長く長く、今だけは精一杯真琴のことだけを考えて。
愛撫ではなく、ただ愛を込めたキスを。
「……あぅ。こ、こんなところで、危ないわよぅ」
確かに玄関先でというのはかなり挑戦的だったかもしれません。誰が帰ってくるかわからない時間に。来たら一発で見つかりますからね。
まあ、大丈夫ですよ。そうタイミングよく誰かが帰ってくるなんて――
「ただいまー……って、あら」
「お邪魔しまーす……あ」
――十分にあり得ますよね、ええ。
というわけで私と真琴がぎゅっと抱き合っていかにもキス直後という状態なのをしっかり目撃されたわけですが。
「わ、わぁあっ!?」
真琴が慌てて私の腕の中で暴れます。じたばたと。
いえ、今更もう手遅れですよ。慌てても。
というわけで私はしっかりと抱きしめたまま挨拶するのでした。
「お帰り、お姉ちゃん。立川さんも、こんにちは」
「やほ、美汐ちゃん」
「あらあら。また女の子連れ込んで、玄関で何してるのやら」
「これからというところだったのに」
「それは失礼したわね。……あ、どうもはじめまして、美汐の姉です。美汐がお世話になってます」
「あ、あぅ……」
何やら事態の変化に真琴の脳の処理が追いついていないようです。
仕方ないと思いますが。これでは。
こんな状況でのんびり日常会話されたら慣れない人は戸惑うでしょうね。
「ごゆっくりどうぞ。さ、美香、上がって」
「はぁい。おっじゃましまーす♪」
ぴょんと飛び跳ねるように立川さんは廊下に上がって、律儀に靴をしっかり揃えると、お姉ちゃんの腕に抱きつくようにしっかりしがみつきました。
見慣れた光景です。
「美香、先に部屋に行ってて」
「はい♪」
可愛らしい声が家の中に響き渡ります。
私はよく自分の部屋の中にいながらこの声をもう幾度となく耳にしてきたわけで――ええ、隣の部屋からもはっきりと聞こえるのです。
今日もまた覚悟を決めたほうがいいでしょう。
こっそりため息をついてみたり。
「あうー……」
ああ。真琴にもしっかりフォローしておかないといけませんね。
「そういうわけで、こんな家なので遠慮なくいつでも遊びにきてください」
なんだか締まりのないラストですが。
――ほぼ同時刻、別の場所にて。
あれ。
センパイ、発見。
駅前のベンチでぽつんと座ってる。
誰かを待ってる……のかな。
それにしてはとっても寂しそうな顔。待ち合わせって感じじゃない。
……まあ、センパイがブルー入ってるのは当たり前なんだろうけど、ね。
ちょっと前に天野さんから全部話は聞いていた。結局水瀬センパイにもあの女の子にもフラれたんだとか。
とてもそんな展開は予想できなかったから、それはもうびっくり。
自業自得って事ももちろんあるのかもしれないけど、でもセンパイを責める事はできない。
だって……あの二人とも、あたしなんかよりもずっとずっと可愛くて……
……
うん。迷うことはないか。
「……あー。あー」
発声練習、よし。
こほん。
……頑張れ、あたし。
そして、スイッチを入れる。
寒い。
もう秋に入っているのだから、寒くもなってくるだろう。
それ以上に祐一の心は寒い風が吹き荒れていた。
美汐のあの言葉から、幾日か過ぎた。真琴との間の溝は広まるばかりのように思えた。
(……俺、恋人作る権利なんてないかもな)
せめて、彼女ら二人がちゃんと自分のいないところで幸せに過ごしてくれることを祈るのみ。
そうでなければ祐一は自分を少しでも許せなくなりそうだった。今でももう十分に自己嫌悪しているのだが。
駅前のベンチには誰も座らない。ここは家にいたくない時、一人でいたい時に祐一がよく利用させてもらっている場所だった。
「せーんぱいっ」
ほんの、すぐ近くからその声は聞こえた。女の子の声。
どこかで聞き覚えがないでもない、気がする。
祐一は顔を上げた。
「えっと……あたしの事、覚えてますか?」
「……ああ」
知っている女の子だった。
とは言っても、彼女の台詞に現れている通り、友達というほどでもない。少し話した程度だ。
「よかったっ」
彼女は心底嬉しそうな声で言った。
人に顔を覚えてもらうというのはそんなに嬉しいことなのだろうか。祐一はぼんやりと考える。
「センパイ、誰かと待ち合わせですか?」
いきなりな質問だった。
祐一に答える義務はない。
のだが。
「心の中を男一人旅の真っ最中だ」
「一人なんですね」
にっこり。
彼女はやっぱり嬉しそうに言った。
失礼な奴だ。と、祐一は思わなかった。
「センパイ、よければあたしと一緒に遊びませんか?」
「……は?」
また、予想もしない言葉。
彼女は、ちょっと顔を知っているという程度の、しかも先輩にあたる男を、いきなり遊びに誘うというのだろうか。
「……いや、俺は」
「元気の無い時は思い切り遊んですっきりするのが一番ですよ! あ、ほら、あそこ最近出来たカラオケなんですけど、すっごく安いんですよ」
「……俺、元気無いように見えるのか?」
「はいっ! それはもう! そんなわけで行きましょう! 今日は大サービスであたしのおごりでいいですよっ」
「行くとは言ってない――」
……言いかけた祐一の前に、すっと手が差し出される。
彼女の手。
にこにこ。
にこにこにこにこ。
祐一は頭を抱えたくなる。どうして自分の周囲にはこうマイペースな女性ばかりが集まるのか。
そして――
すっくと祐一は立ち上がった。はぁ、とため息をつく。
そんな祐一の手を、彼女は当然のようにしっかりと握って、くいっと引っ張った。
「道はあたしが案内しますから。はぐれないでくださいね?」
どうして、流されてしまうのか。
「とーおーいよぞらにこーだーまーするー りゅーうのさーけーびをみーみーにーしてー
なーごやどーむにーつーめーかーけたー ぼーくらをじーんとしーびーれーさすー
いいーぞーがんーばれーどーらーごーんーずー もーえーよどーらごーんーずーっ」
くらくらしながら、祐一は彼女の熱唱を聞いていた。
元気を出すには力強い歌がいいんです! と彼女がしょっぱなにセレクトした歌。
……くらくらした。
確かにこれ以上ないというくらい熱かったのだが。
「センパイも一緒にどうですかー?」
「知らんっ」
「残念です……かーならーずのーぐちーがさーえーるーかーらー」
祐一は頭に手を当てながら、適当に曲を見積もっていた。
濃い2時間。
祐一はひたすらにその濃さをどう例えたら上手く表現できるか考えていた。まるでバニラアイスにはちみつをかけて食べるような。まるでうどんに七味唐辛子を一瓶入れてしまったような。まるでバナナでトッピングされたスパゲティのような。
(……なんで食べ物の例えばっかり?)
「どうですか、センパイ。楽しかったですか?」
「……まあ、ある意味頭の中が真っ白になった」
「嬉しいですっ」
なぜ彼女はそんなに元気なのか、聞きたかった。
確かに憂鬱な気持ちは吹き飛んでいた。心遣いは素直にありがたかった。
「少しでも、失恋のショックから立ち直れましたか?」
「……!?」
祐一はびっくりして、ばっと彼女の顔を見やる。
言葉はすぐには出なかった。
「あ。あたし、天野さんの友達なんです。話は全部天野さんから聞いてます」
祐一はそのまま放心したように、彼女を見つめ続けていた。
ほとんど他人に近い関係の彼女にいきなり深い問題につっこまれた――怒りは、湧いてこなかった。
「……それでわざわざ、俺を元気付かせるために誘ってくれたのか? ほとんど面識のない――君、が。……なんだ、俺、まだ名前も聞いてないのか……」
「あ、名前、まだ言ってませんでしたね。あはは。天王洲あいる、です。陸上部の2年生です。よろしくお願いしますね、センパイっ」
ぺこり。
彼女――あいる、は頭を下げた。深く、きびきびと、体育会系の礼だ。
「……えっと、それで。本当に、あたしが、センパイを元気付かせる”だけ”のために誘ったと思いますか?」
そして彼女は、少しだけ真剣な表情を見せた。
祐一が初めて見る表情。こんな顔もするのか、と当たり前の事に少し驚いてしまう。
ただ、それ以上に祐一はその言葉の内容に戸惑う。
それはもしかすると、祐一が望まない展開になる予兆なのかもしれなかったから。
すう……と、彼女が普段より少し大きく吸う音が聞こえた。
「センパイ。あたし――」
「あーーーーーっ! 祐一こんなところにいたーっ!」
「――……」
がく。
また別のところから祐一には聞き覚えのある声が聞こえると同時に、彼女の姿が一瞬視界から消えた。
……地面に、崩れ落ちていた。
しくしくと、泣き声が聞こえてきたような気がした。
……とりあえず祐一は、新しく聞こえてきた声のほうに振り返る。
「真琴」
「祐一っ!」
どしんっ!
「おわっ……」
久しく真琴のタックルを受ける事から遠ざかっていた祐一は、上手くバランスを取れず――倒れる。
真琴ごと――彼女の、上に。
「きゃっ……!?」
まずいと思っても、もう手遅れ。
そして、派手な音を立てて3人で仲良く地面に抱きついた。
より正確には、彼女が一番下、真琴が一番上、その間に挟まれて、祐一。
「はうぅ……」
「……」
「わ、祐一、大丈夫っ?」
「とりあえず、早くどいてくれ……」
「う、うん」
真琴がまず起き上がる。
そうすると、自然に、地面に抱き合った形で祐一と彼女だけが残る。
「あ、こら、そこのあんたっ! 祐一から離れなさいよぅっ」
祐一がむっくりと起き上がる。
そして、ぽくりと真琴の頭をぐーで殴った。
「あうぅ」
「お前が悪いんだろうが。ほら、ちゃんと彼女にも謝れ」
「えー。……ぅ、わ、わかったわよぅ。……ごめんなさい」
そして、彼女は何やら少し放心したような顔で、起き上がった。
なんだか世の中の色んなものを諦めたような顔をしていた。
「いえ……」
「それでね、祐一っ」
彼女の返事を聞いたのか聞いてないのか、どうでもいいと言わんばかりに真琴は祐一にすぐに向き直った。
何か話したくてうずうずしている。そんな様子がありありと伺える。
「真琴ね、祐一に謝りにきたの。真琴ね……ちょっとね、浮気してたの。ごめんね。そんなつもりなかったんだけど……でも美汐がとっても優しいから」
一気に話す。
「でもやっぱり祐一が好きなのっ。ねえ祐一、もう真琴の事嫌いになった……?」
「あ……」
突然の事に、祐一の頭はまず驚きで占められた。
次に、戸惑い。何にしても、今この状況で話せる内容ではない。
彼女のほうを、ちらりと伺う。
――彼女は、じーっと、祐一の顔を見つめ返してきた。
「……バカ言うな。俺がお前を嫌いになるもんか」
冷静な言葉、冷静な対処を思いつく前に、祐一の口は勝手に答えていた。
真琴の顔がぱーっと輝く。
「祐一っ! 大好きっ! ごめんねもうどこにも行かないからっ……」
はしっと。
真琴が祐一の胸に飛び込んできた。
「でねでね。美汐にいっぱい、教えてもらったのよっ。もう真琴は立派な女の子キラーの称号持ちだって。これなら祐一も絶対満足してくれるって美汐も保証してくれたのっ」
「……は、はぁ」
何を、とは聞きたくなかった。
後悔するような気がした。
というか、自分は男だと言いたかった。
「今日は……えへ。楽しみにしててね。美汐から教えてもらったてくにっく、全部試してあげる」
聞かなくても真琴は続けたのだが。
「今の真琴のてくにっくがあれば普通の男なんて指先だけですぐにへろへろ、なんだって」
「お前、それ以上しゃべるな」
「祐一のこと話したらね、それだったら真琴が本気でやれば1分も必要ないですねって」
「……いいから、とりあえず、黙れ」
ちょっと悔しい。
「……って、あれ? 彼女は?」
祐一が色々と悶えているうちに、彼女の姿は消えて――は、いなかった。
少し離れた場所にある電柱から半身だけ出してじーっと眺めていた。
祐一の顔に冷や汗が流れる。
「あ、でも真琴のこともちゃんと気持ちよくしてくれなきゃダメよぅ? 男は自分が果てたら終わりにしちゃうんだからちゃんとさせろって。まぁ美汐はちゃんと自分が気持ちよくなれるやり方も教えてくれむぎゅ」
手で口を塞いで黙らせる。
……もっと早く、すべきだった。
「あ、あたしにはお構いなく。どうぞ続けてください……」
彼女はじーっと見つめたままぽつりと言ったのだった。
祐一は大きく、大きく、ため息をついた。
「……ごめんなさい」
「つーか、お前は一体美汐から何を学んできたんだ」
「えっちの仕方」
「それだけかっ」
「うん」
「……うぅ」
「どしたの、祐一? もう期待でギンギンになってるの?」
「ギンギンとかゆーなっ」
「ぬるぬる?」
「あーくそ恨むぞ天野っ」
そんな、二人の帰り道。真琴は幸せそうに腕に抱きつきながら歩いていた。
まあ、その晩には、祐一くんは結局美汐に感謝しちゃったりするわけでした。
「そんなわけで、祐一はこれからずーっと真琴だけ愛してくれるって誓ってくれたの。いいわね?」
「ふーん。お幸せにー」
真琴の宣言――座ったまま祐一に抱きつきながら、に対して名雪は冷たい声を返すだけだった。
前みたいに猛反発はしてこない。そこが違いだ。
「それともう一つ。香里お姉様と別れなさい」
「ぶっ」
祐一は飲んでいた紅茶を思い切り噴き出した。
ごほごほ、咽る。
「か、香里お姉様ぁ?」
「なんで真琴にそんなこと言われなきゃいけないの? あんた、わたしから祐一を奪っただけじゃまだ足りないの? 香里まで取ってくつもりなの!?」
「お、おい。なあ名雪。何の話だ……?」
テーブルを拭き拭き。
「真琴じゃないわよぅ。美汐が香里お姉様の事好きだって言ってるの。奪ったのは名雪のほうじゃない」
「ああ、お姉様なんて言うからどーせそんな事だろうと思ったよ。い・や・だ」
「なあ。香里が何だって?」
じゅうたんの上にも少しこぼれていたので、拭き拭き。
「奪いたいなんて思うなら、まずは香里の気持ちからちゃんと奪えばいいじゃない。無理だけどね。香里はいくらでもある選択肢の中からわたしだけを選んでくれたんだよ? わたしを幸せにしてくれるって言ったんだよ。……まあ、真琴なんかに頼るような美汐ちゃんじゃ最初から無駄だよね」
「ちょっと! 美汐の悪口は許さないわよぅっ」
「そうだね。真琴と仲良くさえしてなきゃ結構いい子なのにねー」
「……ふーんだ。美汐じゃなくてこんな口の悪い女を選ぶようじゃ香里お姉様ってのも見る目が腐ってるわね。あ、騙されてるだけかな?」
「……」
すく。
名雪は無言で立ち上がった。
真琴もまた、視線を受けて、祐一から離れて、立ち上がった。
さて。
祐一は思う。布巾を手に持ったまま。
よくは分からないが、とりあえず、逃げるが勝ち。
先人は偉大なる言葉を残したものだと思った。
「天王洲先輩ーっ」
「ん? どしたの?」
「先輩、相沢先輩と仲がいいって本当ですかっ?」
「……いや、仲がいいってほどでも」
「相沢先輩、なんかすっごく可愛いですよねっ。私モロ好みのタイプなんですっ」
「あー。その。なんだ。えっとね。あのセンパイは、やめたほうがいいよ……」
「えー? どうしてですかー? 性格が悪いとか、ですか?」
「ううん。本人はそんなに問題ないんだけどね。周囲が」
「周囲?」
「うん……よっぽど強い精神力でもって挑戦しないとね。軽い気持ちで近づくと――」
あたしは、遠い目で色んな事を思い出していた。
空が青い。
太陽が眩しい。
好奇心いっぱいに目を輝かせる後輩の姿が、眩しい。
だからこそ、同情する。
あたしが今、引きとめることは使命だった。
息を吐く。
「火傷するよ」
【あとがき】
うーん。
うーーーーーーん。
百合ヶ丘って地名、初めて聞いた時はちょっとドキドキしませんか?(何
あー。
ひたすら趣味に走っちゃいました。ごめんなさい。
今回話としてはもう暴走しすぎて破綻気味です。なんというか。なんというか。
香里×名雪がひたすら浮いているというか。でもここが一番書いてて楽しかったというか。
三角組曲。
人物関係図にトライしてみよーかとも思ってます。
にゃひー。
ではではぁ。失礼しマシたー
苦情、感想、なんでこのカップリングにしなかったんだ等はいくらでもお待ちしております><