「えっ……」
 轟音がすぐ隣を掠めていった――と、思った瞬間には、霊夢の体は後方に強く引っ張られていた。
 一瞬のことで何が起きたか理解できなかった。
 いつも通りマスタースパークが比較的遠距離から放たれるのを感じて、この距離なら避けられると防御よりも回避を選んだ。そして回避した、はずだった。
 引っ張られているのは、右腕。何かに掴まれている。
 急激に受けた力に、筋肉が悲鳴をあげる。すぐに気を取り直して、手にまとわりつくそれの場所を、感覚だけを頼りに場所を特定して、左手でお札を投げる。
 ばち、という音とともにそれはお札の反発作用を受けて、腕から離れていった。
 すぐに後方を振り向くと、そこに見たのは、悔しそうに手を振りながら、とてつもない速度で真っ直ぐ飛んでいる魔理沙の後姿だった。見ている間にもその動きを止めて、霊夢に振り返ろうとしている。
 が、それはもう、遅い。魔理沙の速度は停止も方向転換もすぐにできるものではなかった。そこに魔理沙がいるということさえ把握してしまえば、もう霊夢には何の問題もない。
 霊夢から放たれた呪符による結界はあっという間に魔理沙の周囲を埋め尽くし――


「ち。惜しかったのになあ」
 服をぼろぼろに破られながらも、魔理沙は少し嬉しそうに言うのだった。
「何なのよ、さっきのは」
「新開発中の魔法だ。ブレイジングスターって名前にしようと思ってる。いずれ対霊夢の切り札にする予定の魔法だからな、まずはここまでの段階で実戦テストしてみたんだ」
「へえ」
 あっさりと、教えてくれた。
 確かにまだ未完成の魔法なのだろう。なんと言っても、終了後の隙が大きすぎる。あれではしとめそこなった瞬間にゲームオーバーだ。
 とはいえ、霊夢もあれに不意を突かれて珍しくピンチになりかけたのも事実だった。
「でも未完成のうちに見せちゃってよかったのかしら。次はもう不意打ちにはならないわよ?」
「奇襲でなきゃ効果が無い魔法なんて作るつもりは無いぜ」
「ああ、そうでしょうね、あんたは」
 弾幕の攻撃にも色々な種類が存在する。いわゆる初見殺しと呼ばれる、見た目に極めてトリッキーで相手を混乱させてしまう――反面、タネがわかってしまえばどうということもなくなる、そんなタイプのものも案外多い。逆に、ひたすら単調ながら弾幕密度で押していくタイプもある。
 もっとも正攻法といえる主流の弾幕は、相手の行動を制限または誘導する先発攻撃に本命の大技を組み合わせるタイプだ。その場しのぎの行動では回避しきれないし、わかってしまえば余裕ということも無い、バランスの取れた弾幕だ。魔理沙の魔法はほぼ全てがこのタイプだった。
「完成すれば、これで勝つぜ」
 堂々と言い切る。
 この自信に溢れる言葉からは、とても毎回霊夢にダメージを与えられず負け続けているとは想像できないだろう。二人を知らないものが聞けば。
「ま、勝手にしてくれていいけど。仕事の邪魔はしないでね」
「冷めてるなあ。望むところよ、とかそういうアレはないのか?」
「なんで負けるのを望まないといけないのよ」
「いやそこは文脈的に再挑戦を望むってことだと思う」
「どうでもいいわ。仕事の邪魔はしないでね」
「へいへい」
 どうせ何を言おうとも、魔理沙は週に一、二回は霊夢の元にやってきては暇つぶしだとか挑戦だとかでまたこうして霊夢と戦うのだ。
 これはもう霊夢の日常の中にも組み込まれており、本当にそれが邪魔になることは滅多に無い。霊夢も魔理沙も、そのことは十分に理解していた。
 邪魔だとかしつこいとか言うのはもはやただの儀礼のような言葉であり、魔理沙も本気で受け止めてはいないだろう――と、霊夢は思っている。
 魔理沙が飛び去ってから、霊夢は小さくため息をついた。最近はもう、魔理沙と話している間、興味がなさそうなふりをするのが大変だった。魔理沙がやってきたとき、魔理沙が今日もやろうぜと言ったとき、嬉しそうな顔をしてしまうことを抑えるのに必死だ。別に、嬉しそうにしたからといって何か損をするわけでもないのだが、なんとなく悔しい。それだけの理由だ。
 嫌そうなふりをしても、どうせすぐにまたやってくるのだ。それならこの演技でなんとなく精神的優位に立っていよう、なんて思っている。
 たとえ本当は魔理沙の挑戦が待ち遠しくて仕方なくても。
 手首には軽くあざが残っている。少しだけそこが熱を帯びている。
 ああ、そういえば久しぶりに魔理沙の手を触ったな……と思いながら、その場所をそっと撫でた。


 ――という会話が、一ヶ月ほど前のもので。
 あれからまだ一度も魔理沙は現れていない。




「はぁ!? な……なんだおまえ……今の……!?」
 蜘蛛の巣のようにびっしりと張り巡らされたレーザーに、無数の弾幕。
 反則ともいえるほどの密度で相手を完全に詰ませる最強の技。
 ――だと、思っていたのだろう、その妖怪は。
 細い細い隙間を簡単に抜け出して、何事もなかったかのように反撃する霊夢に、妖怪は驚きと呆れが混ざったような顔を見せながら――霊夢の攻撃を真正面から食らっていた。
「こんなもの、レーザーとは呼ばないわ」
 霊夢の声は、不機嫌さをまったく隠そうとしていない。
「レーザー使いなんて名乗るなら、まずは魔理沙から学ぶことね」
 無数のお札に囲まれてあとはただ全て被弾するだけという状況を悟り、妖怪は、苦々しく顔を歪めた。
「でたらめな回避しやがって……化け物め」
「――」
 お札が一斉に妖怪に襲い掛かり、突き刺さり、体を切り裂いていく。
 悲鳴をあげながら腕でガードをして耐え続ける妖怪の目の前に、霊夢はすくりと立ちはだかる。
 怒りのオーラが全身から溢れだしている。
「化け物って言うな――巫女に見えないって言うな赤貧って言うな腋って言うなーーっ!!」
「い……言ってないーーーーーっ!?」
 ごん。
 霊夢のかかと落としが妖怪の後頭部に直撃した、鈍く重い音。
 妖怪は、短い悲鳴とともに、猛スピードで地面に落ちてゆき――ぐしゃり、と叩きつけられた。
 そして、場に戻る静寂。
「……」
 ぴくぴくと地面の上で跳ね続ける妖怪。
 殺虫剤にやられた虫のように、瀕死の状態だ。
「……やりすぎた」
 ゆっくり高度を下げて、地面に降り立つ。
 妖怪はまだもがき苦しんでいる。目が半分飛び出しかけているように見えるのは後頭部を蹴られたせいだろう。
 霊夢は、両手を広げて、首を横に振る。そしてため息。
「ダメだなあ。最近どうもイライラしてるから、すぐにキレてしまうのよね。またつまらない妖怪を一匹、衝動で殺しちゃった」
「……死んでは……いない……」
「や、これからとどめを」
「まてー!? 今反省してたところじゃなかったのか!?」
「案外まだ元気そうだからまたムカってきちゃった。ちゃんとストレス解消させてよ」
「ひいいっ!?」
 ――不運な妖怪が、また一人。




「はあ……」
 夜。
 なんとなく満月を見上げて、一人ため息をつく。
 どうもここのところ気分が落ち着かなかった。小さな事件が色々とあって、妖怪と戦ったりしていて、退屈していたわけではないのだが、逆にこれらの事件に関わったことが今、ちょっとした不安定原因になっている。
 理由はわかっている。何に不安を覚えているかもわかっている。
「あーーーーーー落ち着かない落ち着かない。嫌だ嫌だ。すっきりしないわ、もう」
 さらにもとを正せば、妖怪たちの中でも飛び切りの力を持った者たちと戦う機会があったことが、霊夢の悩みの始まりだったとも言える。
「どうしたのよ、そんなヒステリー起こして。らしくないわねえ」
「お嬢様、あの巫女は割と常にヒステリックですわ」
 ――その、飛び切りの力を持った者たちの一例が、たった今この場にやってきた一体の吸血鬼だ。
 来ることはなんとなく予感していた。だから霊夢はこうして、夜中なのに外に出て待っていたのだ。
「せっかくの満月だもの、一緒に楽しく明るく踊ったり騒いだりしましょ」
「要はムラムラするから襲いに来たということですわ、霊夢」
「ちょっとあんたは黙ってて咲夜」
 吸血鬼と人間。この二人はともに強大な力を持っている。
 吸血鬼はレミリア・スカーレット。彼女本人がどうこうというより、吸血鬼という種族そのものが桁外れのパワーを持っている種族だ。弱点の多さでも有名ではあるが。
 人間は十六夜咲夜。ナイフ投げメイドだ。どういうわけか吸血鬼の城でメイド長などやっており、しかも戦闘の実力はとても人間とは思えない。それこそ、「外れた」人間の代表のような霊夢が見たときにも、彼女が人間だとは気づかなかったのだ。ある意味でわかりやすいレミリアよりも得体の知れない相手だと感じる。――色々な意味で。
「ま……いらっしゃい。こんな遠くまでわざわざお疲れ様」
 霊夢は縁台に腰掛けたまま、二人を出迎える。
 吸血鬼が神社を訪問するなど非常識も甚だしいことのようであるが、割と日常的な光景になっていた。少し前にはこの神社で連日のように宴会が開かれていて、レミリアも咲夜も普通に参加していたのだ。
「ったく。本当は一人で来るつもりだったのに」
「お嬢様を一人でここに来させるわけにはいきませんわ。どちらが攻めであろうともしっかりと詳細まで記録しませんと。ええこの目で、この肉眼で、この耳で鼻で口で舌で腕で胸で全身ありとあらゆる穴とかで」
 ぐしゃ。
 レミリアが思い切り、咲夜の足を踏んだ音。何やら折れたような音が聞こえたくらいの。
 ――咲夜は平気な顔で頭を下げている。
「ま。せっかくのいい夜だから話でもしようかと思っただけよ。いいかしら」
「いや。私の気分は、逆ね。いいところに来てくれたと思ってるわ」
「へえ?」
「ちょうどいい月じゃない。やりましょうよ、弾幕」
「あら――わざわざ満月の日に、あなたのほうからそんなお誘いがあるなんて。素敵ね」
「最近ちょっと色々と溜まってたからね。来てくれて喜んでいるところよ」
「まあお嬢様、気をつけてください。あの霊夢の言葉、何やら生やして押し倒したりさあ舐めろとか挟めとか言い出しそうな流れですわ」
「咲夜は黙ってて」
「むしろもう帰れ」
 レミリアと霊夢の気がばっちりあった。満月コンビネーション。
 レミリアは、小さな体から手を伸ばして霊夢を指差す。
「壊れたりしないでよ、霊夢。あなたには生きていてもらわないと困るんだから」
「欲望のはけ口が無くなったら困りますものねえ」
「壊れないわよ。それより、遠慮しないでちゃんと全力でやってきてよ? そうでないと意味が無いわ」
「焦らさないで、ちゃんとシテという――」
 さくっ。
 咲夜の額にお札が一枚、気持ちいい音で刺さった。
 ふらりとそのまま後方に崩れ落ちて、倒れる。
 静かになった。
「さ――始めましょ」
「ええ」
 何事も無かったかのように、静かに弾幕戦が開戦した。


 レミリアは強い。間違いなく強い。
 何度か戦っている霊夢はよくわかっていた。まして、満月のときは一つ一つの攻撃が強力になっているため、いつもと同じパターンの攻撃でも回避が苦しくなっている。
 沢山の強大な力を持つ妖怪やその他の存在と戦ってきたが、レミリアは中でも五本の指に入る難敵だと言ってよい。
 この強さを求めて、霊夢はこの戦いを望んだ。望んだはずだった。
 しかし、やはり拭えない違和感。
 紅い弾幕と、慣性など完全に無視したような素早いレミリアの動きを同時に眺めながら、霊夢は満たされないものを感じていた。戦闘に入るといつも感じる――空虚。
 普段の自分を決して無感情だとか冷徹だとはまったく思わない。むしろ感情的になりすぎで気をつけないとと思うこともたまにあるほどだ。
 しかし、いざ弾幕戦が始まると、恐ろしいほどに冷める自分を感じる。戦いを維持するための程よい緊張感くらいはあるが、高揚感、恐怖、相手に対する憐憫といった――戦いに不要な感情は、一切表れてこない。
 強大な攻撃であろうと、まるで逃げ道がなさそうな弾幕であろうと、冷静に観察して分析することができる。そして逃げ道を見つけ、あるいは直撃する前に結界を張り、隙を見て絶好のタイミングで反撃を加えることができる。
 強い、とは思っても、恐ろしい、とは思えない。
 例えばちょっと手が滑ったりして行動の一つを間違えれば負けてしまうかもしれないという状況はいくらでもあるのに、その状況に関して何の焦りも生じない。当たり前に順番どおりこなせてしまう。ミスなど、しない。
 それは本当に人間なのだろうか。
 まるで、妖怪を殲滅するために生み出された戦闘機械――
 弾幕を回避し続けながら、まだ余裕のある脳がそんなことを考えている。
 なんにしても、これのおかげで今までどんな相手とあたっても、負けないでいられている。その事実こそが、何よりも一番、怖い。
 少しずつ接近していたレミリアの姿が、ふっと消滅した。弾幕の影に隠れたというのもあるが、目が追いつける速さよりも速く移動したのだ。レミリアは、一瞬だけなら、魔理沙よりも速い。
 次の瞬間には霊夢の真後ろに突然姿を現したレミリアの爪が、霊夢に襲い掛かっていて――その爪は、霊夢が後方に差し出したお札で完璧に受け止められていた。
 振り向きざま、必殺の一撃を簡単に止められて唖然としているレミリアに、陰陽玉をぶつける。
 これで、終わり。
 ――終わってしまった。


「……ほんとに、底知れないわね、霊夢。だから面白いんだけど」
「んー」
「あら、物足りなさそう。結構ショックだわ」
「そういうわけじゃないんだけど、ああもう、自分がわからないわ」
「性欲をもてあましているのでしょう」
「うるさいだまれ」
 ほのぼの。
 戦いの後は、三人で縁台に横並びに腰をかけて。
「でも確かに、どうかしてるみたいね。あんなに弾幕やりたそうだったのに、始まったら、ちっとも楽しそうじゃないんだもの」
「……そうね」
「悩みなら聞いてあげてもいいわよ? 今日だけの特別サービスでね」
「報酬は体で払えというアレですね」
 とりあえずメイドは蹴っておく。右に。
「や、もお、何を悩んでるのか自分でもよくわかってないし」
「そう? 私は実はわかってるんだけど」
「それはズバリ恋の悩みに違いないわ」
「そうね咲夜。今あなたはこの世に生を受けてから二番目くらいにまともなことを言ったわ」
「へ……な、何言ってるのよ。何その展開」
 こんなタイミングで、レミリアは、咲夜の戯言に同意した。
 霊夢は驚いて二人の顔を交互に見て……
 レミリアは、目を細めて、言った。
「あなたの顔は、捨てられた子犬の顔」
「近くを通りかかった適当な相手に愛を求めるけれど満たされず」
「本当に求めているのはただ一人の愛だけなのに」
「まだ自分自身がそれを理解していない」
 まるで示し合わせたかのように、レミリアと咲夜が交互に言葉をつむぐ。
 その異様な雰囲気に圧倒されて、霊夢は押されるがまま。
「いつもあなたを満たしにきている人が、最近来ていないんでしょう?」
「だから、代わりにお嬢様と戦いたいと思ったのですね」
「そう、だけど私はあなたの欲求を満たすことができない。あなたが欲している相手ではないから」
「失恋ですね、お嬢様」
「そうみたいね」
「ちょ、ちょっと、なんなのよそれは。勝手に決めて……魔理沙は、別に、あなたより強いわけでもないし……」
「ほら図星よ咲夜。あの子、最近霊夢のところに行っていないみたい」
「それで寂しくてもう誰でもいいと自暴自棄に……哀れです」
「う……」
 誘導に乗せられて、魔理沙が最近来ていないという事実をばらしてしまった。
 それを認めると、まるでその先、それが寂しくて――という部分まで真実のように思えてしまう。
 いや――霊夢自身、それは。
「強いかどうかだけが重要な意味を持つわけじゃないことは、あなた自身がよくわかっているはずよ? 特にあなたの場合、相手がどれだけ強かろうと、勝つように”なっている”んだもの。関係ないわ」
「……何よ、その言い方。最初から決まっているみたいな」
「何より一番不思議なのはね。相手があなただと、負けても負けても、別に悔しいとか勝ちたいとか思わないの。最初は驚きと一緒に少し悔しさはあるけど――でもなんとなく、あなたならいいかなと思ってしまう。相手は、まるで、予定通りに負けただけという気になってくる。あなたが戦っていて違和感が抜けないのは、相手から気迫を感じないから。あなた自身も、淡々と予定通りに戦って予定通りに勝った気がしてしまう」
「楽しいわけがない、と。私もお嬢様と同意見ね、霊夢」
「だけど、あの魔法使いは違うみたいね。本気であなたに勝つまで何度でも挑戦を続けるつもりでいるみたい。だから――あなたも魔理沙を、待っている。そういうことでしょ?」
「――」
 そう。
 霊夢自身、当然、自覚していることだった。
 どれほど強い相手と戦っても、満たされないこと。なのに何故か、魔理沙だけは――霊夢の欲しているものを満たしてくれる。決して誰よりも強いというわけではないのに。
 何故か、というのも、本当は、わかっていることだった。結局のところ魔理沙の弾幕に魅了されているのだと。
 自覚はしている。だが、認めようとはしなかった。
 ずっと、目を背けてきていた事実。霊夢は、魔理沙と戦うことで、他の強い敵、妖怪たちと戦うときに感じる不安定を解消することができている。魔理沙にずっと、助けられている。
 レミリアと咲夜は同時に立ち上がる。
「あなたが元気ないと、寂しいのよ。そろそろ解決してきたら?」
「来ないなら会いに行けばいいんだし。素直に言ってしまえば? 『魔理沙が来てくれなくて、私ずっと寂しかったの……こんなに、もう……見てよ、乾く暇もないくらいだったんだからぁ……』」
「かっ……何がよっ!?」
「涙」
「……あ、ああ、そうよね、それ以外にないわよね、ほんと」
「お嬢様、霊夢は案外ムッツリですわ」
「ナイスよ咲夜。たまにはいいことするじゃない」
「っ……あんたら……」
 不覚にも赤くなってしまった霊夢は、ごまかすように怒ってみせて。
 あくまで冷静な目の前の二人を見て、それ以上の反撃はできず、口の中でう〜〜っと唸ることしかできなくなるのだった。




 で。
 さらに数日間さんざん迷った挙句に、来てみると。
「おお、霊夢。どうした、おまえがこっちに来るなんて珍しいじゃないか」
 魔理沙は実に何事も無かったかのように霊夢を迎え出るのだった。
 魔理沙の、とても素直に嬉しそうな顔を見ると、ほっとする反面、やっぱりなんとなく悔しくもなった。結局のところ、霊夢がここに来た理由といえば、魔理沙がしばらく来てくれなかったから自分から会いにきた――ということになるわけで。そんなことを素直に言いたくは無い。
 とりあえず挨拶だけして、魔理沙の問いには答えないまま、リビングまで上がる。
 お茶が出たところで、霊夢は重い口を開く。
「最近……来ないじゃない」
「ん。ああ、ちょっと新しい魔法の研究と調整に時間がかかっててな。前に行ってからそんなに経ってたか? ちと、ここんとこ日付の感覚が曖昧でな」
「まあ……今までに比べると、かなり長い空白だったわ」
「そうだったか。ああ、それで心配になって見にきてくれたんだな。ありがとな」
「あ……ま、別に、あんたがそんな簡単に病気になってたり死んでたりするとは思ってないけど」
 実際、そういう心配はまったくしていなかった。来ないということは純粋に何かで忙しいだろうとしか思っていなかったのだ。
 魔理沙は研究を始めるとしばらくそれに没頭することが多い。霊夢の神社まで遊びに来るのはたまにの息抜きを兼ねてということになるが、まれに、息抜きの時間さえもったいないと集中し続けることもある。
「アリスが近くに来てから、材料の取り合いになることも多いが、あいつの魔法って独特で私のと全然違うから色々と勉強になるんだよな。――って、今の言葉はあいつには内緒だぜ。調子に乗るからな」
 魔理沙の口から出た名前に。
 ――何かがぴくりと、反応した。
「……あの子と最近仲がいいの?」
 なるべく普通の口調で尋ねたつもりだったが、ちゃんと魔理沙にそう受け止められたかどうか。
「いや。悪い。いいわけがない」
「そうよね……」
「でもな。いちいち何もかもが合わなくてぶつかりはするし、邪魔だとも思うが、それでもあいつのことは認めないわけにはいかない。譲歩するわけじゃないが、尊敬しないといけないところもある」
 魔理沙は。
 普段は口が悪いくせに、こういう面がある。誰からでも、どんな物からでも必ず何かを学び取ろうとする努力家なのだ。魔理沙は決して人にその一面を見せたがらないが、古くからの付き合いである霊夢は、そういうところをよくわかっていた。
 ――わかってはいたが。
「同じ魔法使いだから、相手としてもやりやすい?」
「それは……場合によりけりだな。魔法使い同士じゃないとわからないこともあるし、逆のことだってある」
「――」
 魔理沙の言葉を聞いたとき、霊夢は。
 心のどこかで、思ってはいけないことを思ってしまったことに、気づいていた。
 魔理沙に尊敬され、目標にされるのは自分だけでいい、そうあってほしいと――なんて、醜いことを。同じ魔法使いというだけで有利な位置に立っているなんてと、アリスを呪っていた。
 ちくりと針が胸を刺すような痛み。何度も、何度も。
 こんな思いは、したくなかった。
 これは、嫉妬だ。認めたくはなかったが、この気持ちを抑えることができない。
 魔理沙を独占したいのだ。そんなことはできるわけがない、そんなことをすれば魔理沙が魔理沙ではなくなる、そんなことを望んでもいけないと、わかっていても。
 こんな感情を、魔理沙には気づかれたくなかった。今口を開けば、本当に言ってはいけないことを言ってしまいそうで、怖い。だから、口を閉じる。
「どうした?」
 魔理沙がきょとんとした顔で、少し俯いている霊夢の顔を覗き込む。
 霊夢の葛藤になど気づきもしないだろう。それが、霊夢にとっては幸いなことだった。
「――別に」
「元気ないみたいだな。来たときから、どうも、覇気が無いなあと思ってはいたが……」
「いいの、大丈夫。ただの女の子のアレだから。三ヶ月周期の」
「いやその周期は明らかにおかしいだろ」
 霊夢はとりあえずお茶を飲み干すと、もういいわ、ごちそうさまとだけ言って立ち上がる。
 まだ、座ってから、十分も経っていない。
「お、もういいのか?」
「ええ。魔理沙は忙しいみたいだし、お邪魔するわけにはいかないわ」
 忙しいみたいだし、の言葉に棘が混ざってしまうのを抑えることが出来ない。
 こんな自分の嫌な気持ちは知られたくないけれど、だけど伝わって欲しいという矛盾した思いが表れている。
「気にすんなって。霊夢だったらいつだって歓迎だ」
 気付いたか気付いていないのか、おそらく後者だろうが、魔理沙は平然と言った。
 その言葉。
 きっと、普段から霊夢が魔理沙に対して言うべき言葉だったのだろう。霊夢が言いたくないと思っていることを、魔理沙は簡単に言ってしまった。どこまで本気なのか、誰にでも言っていることなのか、それは霊夢にはわからないが。
「私は――退屈なのよ。忙しいあんたとは違って」
「その台詞もかなりおかしいなっていうか逆だよな普通……ああ、まあ、わかってるが」
「つまり、それだけ言いにきただけよ。だから用事は終わり」
 一方的に言うと、魔理沙に背中を向ける。
 魔理沙の言葉と同じ内容のことを言おうとすると、精一杯でこれくらいの言葉にしかならない。
 返事も待たずに歩き去る。
 後ろから、最後に魔理沙の声が届いた。
「明日、行くからな」
 それで、十分だった。



______________________


 きっと、幼い頃に戦った頃の記憶がそうさせているのだろう。まだ、今みたいに妖怪退治ばかり続けていることはなかった、そんな時期もあった。そのときから、ずっと、魔理沙とは戦い続けている。
 魔理沙の弾幕は、他の誰の攻撃よりも現実感があった。本当にちゃんと戦っている気分になる。
 飛んでくる星型弾。これは、別に面白くはない。魔理沙には申し訳ないと思っているが、これには何の感動も覚えない。
 魔理沙の攻撃はとても綺麗だ。色とりどりで、形や配置にもこだわりがあって、見た目に綺麗な芸術作品を創りあげようとしている。――だけど、私は、それに感動するわけではない。
 私は――
 レーザーが遥か頭上を通り抜ける。一瞬前まで自分がいた場所。
 私の心と体が期待に震える。ああ、近いと感じる。近づいてきたと感じる。
 徐々に私の動きを制限していきながら、魔理沙は着々と大技の準備を進めている。私の攻撃も何度か当たっていて、あまり時間をかけてはいられないだろう。そろそろもう、勝負に来るはずだった。
 私は、期待と、そして恐れを感じている。
 そうだ。これが、戦いというもののはずだ。何も感じないで予定調和のように終わるものではないはずだ。
 空気が急激に圧縮される。魔理沙のもとに瞬時に集まる魔力に伴って、強風が生じる。木々がざわめきだす。
 来る。
 ずっと待ち望んでいた。
 それは、世界を覆いつくすほどの閃光。
 あまりに強大なエネルギーに、世界が悲鳴をあげて震えだすほどの、純粋な破壊力。
 ぞくり。私も震えている。――恐怖に。

 マスタースパーク――それは幻想郷で生み出された奇跡の魔法。他の何よりも単純で、暴力的で、美しい。

 私はそれを回避することができる。防ぐことだってできる。そして防ぎきった後に反撃してあっさりと相手を沈めることもできる。
 だけど、そんな理屈じゃない。なんとでも対処できるこの魔法が――しかし、他のどんな弾幕よりも、恐怖を感じる。
 この感情がいつも私を、人間に戻してくれる。
 純粋で純粋で純粋な破壊の意思に、本能的な恐怖が呼び覚まされるのだ。

 嬉しかった。
 私はその破壊の閃光を抱きしめるように。
 全ての結界を解いて、全身でそれを、受け止めた。


______________________





 優しく吹くそよ風に肌を撫でられる。
 髪に触れる何かの感触を、最初はそう感じた。
 意識が少しずつはっきりしてきて、目を開けると、世界は真っ暗で、何もなかった。
 髪に触れるそれは、風よりも温かかった。
 頭の後ろにも熱を感じる。首を少し動かしてみると、ずきん、と全身に痛みが走った。
「っ……」
 少しだけ漏れた悲鳴に、髪を撫でる何かの動きが、ぴくりと反応して止まった。
「霊夢……?」
 頭上、見えないところから、声。小さな声。
 いつもよく聞いているその声は、しかし、いつもよりずっと細く、弱々しい。
 頭を撫でていたのは彼女の、魔理沙の手だったか。霊夢はここで状況を把握する。
 ここは外、今は夜。今頭を乗せている場所は、おそらく魔理沙の膝の上。
「……おはよ」
 少しずつ戻ってくる記憶を整理しながら、とりあえず、それだけ答えておいた。
「霊夢! よかった……」
 魔理沙の顔が、霊夢を上から覗き込む。上下逆になった魔理沙の顔。
 暗くて表情まではよく見えない。
「起き上がれそうか? 痛くはないか?」
 心配そうな声。
 手を動かしてみる。やはり、痛い。
 足を動かしてみる。痛い。
 結論。
「痛い……」
「みたいだな。いや……痛いくらいなら、まだ、マシだ。あんな直撃だったから……」
 魔理沙の手が、再び頭を撫で始める。
 温かくて、少しくすぐったくて、気持ちいい。
 痛い。そうだ、やっぱり痛いのだ。
 博麗霊夢だって、痛めつけられれば当然痛いし、気絶だってする。度を過ぎれば死ぬこともあるかもしれない。
 当たり前の事実。そんな当たり前の事実を、誰もが、霊夢本人も、忘れていたのかもしれない。
 魔理沙だけが、その当たり前の事実を当たり前に受け止めていたのだろう。らしくない、か細い声。本当に――心配してくれていたのだ。
 はっと気付く。そうだ。この前に意識があったあのときはまだ、明るかった。あれからかなりの時間が経っているようだ。日が沈んで、ここまで真っ暗になるくらいだから、数時間は経っている。
「あれから、ずっとこうしててくれたの……?」
「……あー、いや、さすがに足が痛いから、ちょくちょく休憩していた」
「でも、ずっとなのね。……ごめん。ありがとう」
「ああ、いい。霊夢のそんな言葉が聞けるならそれだけで頑張った甲斐があった。休憩中じゃなくてちゃんとこうしてるときに目が覚めてくれてよかったぜ」
 温かい。
 温かい、体温。声。気持ち。
「聞いていいか?」
「……ん」
「なんで……防がなかったんだ」
 マスタースパークを。
 周辺の世界を破壊しつくすほどのエネルギーの塊を。
 もちろん、真正面から受けたとはいえ、完全に何の障壁もなく体まで届いたわけではない。弾幕で戦う者は常に必ず、最低限の防護壁を張っている。これがなければまず戦いにならないほど脆くなってしまうからだ。人間や妖怪に限らず、どこにでもいる妖精たちでさえ、戦うときはこれを身にまとう。妖怪に食べられる側の人間と、退治する側の人間の根本的な違いが、これが可能かどうかだ。もし防護壁がなければ、ほとんどの弾幕はかすった程度でも命にかかわりかねないだろう。人間の体は脆いのだ。
「なんで、あんな――」
 魔理沙のマスタースパークは、霊夢が当然のように防ぐことを前提にして放たれているようなものだった。一切の手加減などしていないだろう。
 霊夢は、手をゆっくりゆっくりと動かして、魔理沙の手に重ねる。
「冒険してみたい年頃なのよ」
「……そういうのは、別の機会にしてくれ」
「それじゃ、布石なんてのはどうかしら」
「布石?」
「これでもう、魔理沙は私にマスタースパークを撃てない。今日のことを思い出すから」
「んな体張ってまでトラウマ作らせなくても、もともと霊夢は私なんか相手にならないだろ……」
 ぎゅ……
 重ねられた手が、優しく握り締められる。冷え切った霊夢の手と違い、魔理沙の手は温かかった。
「……怖かった」
 その言葉は、魔理沙のもの。
 声を振り絞るように、言う。
「あのまま……霊夢が、消えてしまうかと、思った。戦う前、ちょっと思いつめてたみたいだし、最後、あのとき、霊夢、すごく……満足そうな顔してたから……こ、このまま、消えて、どこか行ってしまうんじゃないかって……」
 震える声に、霊夢は、首を横に小さく振る。
 ああ。泣いていたのかもしれない。魔理沙はずっと泣いていたのかもしれない。そんなことに、ようやく気付いた。
「逆よ、魔理沙。あんたのおかげで、私はまだここにいるわ」
「……? それは……」
「あんたがいるから、私はまだ人間でいられるの。……そうね、きっと私は、自分がまだ人間だってこと、確かめたかったの」
「何言ってんだよ。霊夢は生まれたときからずっと人間だろ」
「……そう言ってくれるひとは、少ないわ。そして、そう本当に思ってるひとは、もっといない。魔理沙だけかもね。私自身が、ときどき、見失ってしまうもの」
「そんな……」
 戸惑う魔理沙の声。
 魔理沙だけは本当に、霊夢が人間であることをまったく疑いもせずにいたのだろう。幼い頃から今まで、ずっと。
「ありがとね。魔理沙がいてくれて、よかった」
 目を閉じる。
 ずっと感じていた、だけどずっと言う機会のなかった言葉。
 たったこれだけのことを、やっと今、言えた。
「……やっぱり今日の霊夢、かなり変だぜ。何かあったのか?」
「って……失礼ね。せっかく凄くいいこと言ったのに」
「あ……いや、悪い。もちろん嬉しいんだが、その……あまりに意外だったから、驚いてしまった」
「私はいつも究極の身勝手で、ありがとうもごめんなさいも言えない子だもんね?」
「そうそう。それが霊夢ってもん……いやいやそんなことは全く思ってないぜ」
「いいのよ別に。自覚してるし直すつもりもないから」
「あー、まあ、そうだろうな……」

 手から手へ体温は移動していく。
 ただの熱の移動ではなく、ふと気がついてみれば、二人とも十分に温かく、熱くなっていた。
 ぴと、と魔理沙の手が頬に触れる。
 指先が、軽く、頬を撫でる。ぷに、と突付かれたりもする。
「んっ……」
 くすぐったい。
 目を開けて、何するのよと霊夢が非難しようとすると、魔理沙はそれを遮るようなタイミングで、次の言葉を紡いだ。
「博麗霊夢は、私の最高の目標なんだ。ずっと追いつけないかもしれない、永遠の憧れの相手なんだ。こんな私でも、霊夢の力になれていたのなら……うん。すごく嬉しい」
「――」
 このタイミングは、卑怯だった。これではもう先程の魔理沙の行動について何も言えなくなる。
 開きかけた口を一度閉じて、うーーっと口の中で少し唸って。
 もう一度しっかりと覚悟を決めて、口を開く。
「少しだけ訂正するわ、その言葉」
「ん……?」
「でも、は余計ってこと」
 きっとこれを言うと主に自分が大変なことになるだろうなと、後悔もするかもしれないなと、あとでやっぱりやめておけばよかったと思うことになるかもしれないなと――思いながら。
「あんたじゃないと、ダメなのよ」

 しっかり目を見て言うことはできなかった。
 こんな言葉、とても正面からは言えない。
 ほら空気がおかしくなった、魔理沙のことだこの言葉に喜んで食いついてさらに攻め込んでくるに違いない、ニヤニヤ笑ってさらに問いただしてくるに違いない、ああもう恥ずかしい逃げたい逃げたいでも沈黙だけはやめて何でもいいから早く反応して――
 ぐるぐる。
 頭の中を駆け巡る言葉、想い。
 恥ずかしくなっていたたまれなくなることはわかっていた。だけど、この言葉を言ったこと自体に関しては、悔いはない。今このときでなければ二度と言えないような気がしていた。
 沈黙が辛い。変な意識はしないようにと耐えていたのに、沈黙が長引くともう抑えきれない。さっきから心臓はもう飛び出しそうなくらいばくばくいっている。顔はどんどん熱くなってきている。魔理沙が触っているのに。魔理沙の手にこの熱がしっかりと伝わってしまうのに。魔理沙も気付いているんだろうなあと思うとそれを意識してますます悪循環。
 ぐるぐる。
 たすけて。
 深い意味はないの変に受け取らないでよと軽く言い放ってしまいたかったが、もうそんなタイミングは完全に逸していた。余計ハマってしまうだけだ。
「それなら」
 やっと。
 長い長い時間待って、ようやく、魔理沙が口を開いた。
 ――実際には、秒針が十回動くほどの時間も経っていなかったが。
 魔理沙のひざの上から、ゆっくりと霊夢の頭が下ろされる。頭の裏に温かさを失って、冷たい地面に触れる。――頭を冷やすには、ちょうどいいかもしれない。
 魔理沙はひざ立ちのまま姿勢を変えて、寝転ぶ霊夢の隣に移動して、その顔を真正面から見つめる。
「これからも私が一緒にいれば、霊夢は幸せか?」
 なんて。
 とんでもないことを言うのだった。
「な……」
 顔を近づけられて。真正面から見られて。
 暗くても赤くなっていることはバレているだろう。そんな状況なのにこの熱は治まりそうにない。
 目をそらす。こんな魔理沙の目は、見ていられない。こんな、真剣な目をされると、困る。今でももうおかしくなってしまいそうなのに、ますます――
「そ、そんなことまで、言ってないでしょっ……私は、ただ、今までありがとうって、言いたくて」
「今までだけの話なのか?」
「そんな……わけじゃ」
「私は、これからも霊夢と飛び続けることができれば、幸せだ。今までだって、これからも、ずっと」
「……や……」
 魔理沙の言葉は、どこまでも魔理沙らしく、真っ直ぐで。
「だから、霊夢もそうだというのなら、もっと……嬉しい」
「やめてよっ……そ、そんなこと、言われると……」
 ぽろ……
 ぎゅっと閉じた目から、涙が零れる。
 すぐに涙は大粒になって、止め処なく溢れ出してくる。
 止められない。
 悲しいわけじゃないのに、意味もわからないのに、止まらない。
「そんなこと言われちゃったら、本当に、離れられなく、なっちゃうじゃない……っ!」
 過度に依存してはいけない。
 今は魔理沙が支えていくれていることも、いずれは一人で乗り越えなければいけなくなる。そのときは、必ずやってくる。
 いずれ離れなければならないと自分に言い聞かせるためには、霊夢のほうが一方的に魔理沙に甘えているような姿勢のほうがよかった。ずっと一緒にいてほしいなんて逆に言われてしまうと、甘えていても大丈夫なんだと思ってしまう――
 ――それが、怖かった。
 今、魔理沙の言葉が本当に嬉しくて、このまま飛びついてしまいたいことが、一番怖かった。
 依存してはいけない。
 魔理沙の指が、霊夢の頬を撫で、涙を拭う。
「そんなに……頑なじゃなくてもいいだろ」
 魔理沙の声は優しい。
 だけど、必ず霊夢に聞かせるような強い声。
「こんなに泣いてしまうくらい、寂しかったんだろ、ずっと」
「っ……ちが、これは……そんな……」
「違わないさ。私は、もっと早く、霊夢の悩みに気付かなければいけなかったんだ。ごめんな」
「や、やめて、謝らないで……私は、そんな、弱くない……っ」
「ならなんで、泣いてるんだよ」
「わからないわよ……! だって……とまらな……っ」
「私を受け入れろ、霊夢」
 魔理沙の両手が、霊夢の頬を包み込む。
 横を向いていた顔を上向きにさせられて、また、すぐ近くにある魔理沙の顔を覗き込む状態になる。
「私だって……霊夢じゃないと、ダメなんだ」
 その一言で。
 完全に、突破された。
 渦巻く想い、迷い、プライド、守るべき一線、全て、なぎ払われた。
 ぎゅっともう一度目を閉じる。余っていた涙が溢れる。
 目を開ける。そこに魔理沙の顔。
 見慣れたその顔が、とても、とても、とてもとてもとても愛しく見える。
 やられてしまった。
 恋の魔法使いに、まんまとしてやられてしまった。
 負けたと思うのに、それが、こんなに嬉しくてドキドキするなんて――


「立ち上がれそうか?」
「……なんとか」
 魔理沙に支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。
 腕が触れているだけなのに、今はそれがとても――恥ずかしい。
「歩けるか?」
 魔理沙に支えながら。霊夢は一歩足を前に踏み出す。
 少し、ずきん、と痛む。しかし、これくらいなら――
「歩けないみたい」
「そうか。……よっ、と」
 その言葉に、魔理沙は躊躇なく背中に霊夢を背負う。
 霊夢の両足を腕で支えて、歩き出す。魔理沙のほうが体は小さく、軽い。それでも魔理沙は軽々と持ち上げているように見える。
 背中と胸が触れ合っている。温かい。激しい鼓動もはっきりと伝わっているだろう。お互い何も言わないけれど。
 触れているところだけがどんどん熱くなっていく。すぐ真横にある魔理沙の顔を、まともに見ることが出来ない。
 歩き続けて、霊夢の部屋まで向かう。
 半分くらい歩いたところで。
「なあ」
「……ん」
「歩けないっての、嘘だろ」
「……うん」
「はは。いいぜ、そうやって甘えてくれる霊夢が新鮮で可愛い」
「な……なによ……あんただって嘘ついてるじゃない……」
「あ? 何がだ?」
「ほんとは結構重いって思ってるくせに、無理して平気そうに歩いて……」
「ああ。なんだ、バレてたのか。なかなか重いぜ、はははぐふっ!?」
 かかとでわき腹を蹴ると、魔理沙の体が一瞬崩れ落ちかけて。
 それでもなんとか持ち直して、相変わらず平気なように歩き出すのだった。
 このあとは静かに歩き続ける。
 沈黙していると、逆に、心臓の音まではっきりと聞こえるようで、ますます恥ずかしくなってくる。密かに魔理沙の胸元に触れて、魔理沙も同じだということを知る。ただ、霊夢のそんな動きに気付いたようで、魔理沙は俯いてしまった。――気まずい。お互いが、互いの存在、緊張、期待感――それを感じあっている。何も言葉が出ない。
 そんな状態のまま、ついに部屋まで着いてしまう。
 二人とも黙ったまま、魔理沙は背中から霊夢を下ろす。
 下を向き続ける霊夢を、魔理沙は、真正面からぎゅっと、抱きしめた。


「霊夢」
 耳元で魔理沙が名前を呼ぶ。
 かかる息が、くすぐったい。
「霊夢が欲しい」
「殴るわよ……」
「殴られてもいい」
「……ばか……」
 魔理沙の指が目の横を掠めるように撫で、霊夢の目を閉じさせる。
 真っ黒になる世界で、魔理沙の息遣いがよりいっそう近くに感じられる。
 さっきからもう、心臓は破裂しそうで、血はすでに沸騰していた。
 目を閉じると、そんな感覚まではっきりと意識できてしまう。
 息と気配で、魔理沙の顔が近づいてくるのがわかる。閉じた目に力が入る。
 ぺろ……
「……っ!?」
 頬に湿った感触。
 驚いて目を開けると、すぐそこにある魔理沙の顔がぼんやりと映る。
「んぁ……っ」
 今度は、首筋に。
 魔理沙の舌が霊夢の顔の上を這う。
 ぞくり、と全身が震えた。濡れた異質な感覚が気持ち悪いようで、だけど、体は拒否はしていなくて。
「な、何してるのよ……っ」
 霊夢の抗議に魔理沙が顔を上げる。
「涙の痕を拭いてやろうと思ってな」
「も……もう……変なことしないで……ちゃんと、してよ」
「……」
 ――何やら。
 トンデモナイことを言ってしまったと気付いたのは、魔理沙の沈黙があったおかげだった。気付かないほうがよかった。
「ち、違うわよ!? あ、あんまり変なことはしないでって意味で、別に魔理沙がすることも許したつもりはないしああああもうあとで絶対思い切り殴ってやるんだから……っ」
「霊夢」
「何よ!」
「可愛すぎ」
「っ……!?」
 魔理沙の言葉にまた反論、抗議しようとする――その唇が、一瞬にして塞がれた。
 魔理沙の顔が、今までよりさらにもっと近くに。
 これ以上は物理的に不可能というほどに。
 柔らかい感触。すぐに、力は抜けていった。
 何も考えられない。考えている余裕などない。
 さっきよりも、ずっと、頭が、真っ白で。
 記憶さえも曖昧で。
 魔理沙が唇を離したときには、完全にもう、放心していた。
 憎らしい、愛しいその顔は、微笑んで、言う。
「殴るか?」
 もうわけがわからなくて。
「一回殴るだけじゃ全然足りないわ……あとで、もう、思い切り泣いて、許してくださいって言わせるくらい殴るわよ……殴るから……」
 言葉が脳を経由せずに発せられているみたいで。
 こんなにも熱くて。
 こんなにも痺れていて。
 こんなにも欲していて。
 狂おしいとはこのことを言うのだろう。人間らしいというより、もっと、生物としての本能。
 魔理沙を欲している。切望している。
「こんな中途半端でやめないで……もっと、して……」
 こんなところでやめられたら中途半端にしか殴れないでしょ――と。




 今日もいい天気。
 適当に掃除をしていると、魔理沙が飛んでやってきた。いつものような超特急で。
「よーーーーっす!」
 元気に挨拶をしてくるその姿に。
 こちらも普通に挨拶を返そうとした霊夢は、しかし……
「ぁ……」
 魔理沙の顔を見るだけで、赤くなって俯いてしまう。
 あの次の朝に別れて以来なのだ。無理もない。
 魔理沙もそんな反応を見て、照れ笑いを浮かべる。恥ずかしいのは、一緒だろう。
 ゆっくりと、どれくらいの距離に近づいて話すのが自然だろうかと考えながら魔理沙が霊夢に歩み寄る。
 口を開きかけたとき――
「――見たわね咲夜。今のはどう思う?」
「やっちゃいましたね。私のときがああでしたから間違いありません」
「あらあんたにもそんな頃があったの。意外すぎるわ」
 ――あまりに唐突に現れる、この場にそぐわない二人組。
 魔理沙はきょとんとそんな二人を眺めるだけだったが、霊夢はすぐに、ますます真っ赤になってしまうのだった。
「な……何しにきたのよ、いきなり……!」
 吸血鬼とあろうものが、こんな昼間から。
 日傘は差しているとはいえ。
「えー。元気が無さそうだったからまた様子を見にきてあげたんでしょ。ねえ咲夜」
「ええお嬢様。私はこのあと覚えたての二人が若さと勢いに任せて夢中で激しく絡み合うところまで覗きたかったのですが」
「私にそれを見せるのは酷だってわかってるでしょ」
「あんたら……くっ……」
 霊夢は怒りに震えながらも、しかし、気まずい場面を見られてしまっている以上、あまり強くは出られない。
 ううう。ぷるぷると拳を震わせながらも、なんとか気持ちを落ち着かせようとする。
「覗きとは趣味が悪いじゃないか」
 魔理沙が霊夢の隣に立って、言い返す。
 ――霊夢の握った拳を、そっと後ろ手に優しく包み込んで。二人からは見えないように。
 触れた手に、また、霊夢の体は固まってしまう。
 たったことだけのことで、ドキドキしてしまう。すっかりおかしくなってしまっている体。
 目の前の会話も、聞こえなくなる。全神経が今、繋がれた手だけに集まっている。
 霊夢は拳を緩めて手を開いて、魔理沙の手を……ぎゅっと、握った。
「私は別に。霊夢が元気になってくれればそれでいいのよ」
「健気ですわお嬢様」
「ええ。もっと褒めなさい」
「世界一のカリスマですわお嬢様」
「当然よ」
 二人が既に二人の間だけで会話を続けている隙に。
 霊夢は魔理沙の不意をついて、その頬に軽くキスをした。
 魔理沙の驚く横顔。少しだけ、勝った気分。
 ――もちろん、二人にもばっちり目撃された。




 それは、二人が手を離してから、手を繋ぐまで。
 ただそれだけの、物語。








【あとがき】

 こんにちは。村人。です。
 またしてもマリレイです。きゃ。マリアリ! マリアリ! マリアリ!
 ええと今回はお返事できなくてごめんなさい。色々と余裕ありませんでした。
 転石さまはいつもコメントに加えて拍手までありがとうございます……><

 殴られてもいい。したいんだ。
 ……これくらい勢いよく言ってみたいものですね! なんて。
 わはー。わはーわはー。

 はい、僕は霊夢無敵派です。最強どころではないです。無敵です。無敵看板娘です。
 だからこそ抱える悩みというのもあるのでしょう><
 魔理沙にはしっかりと支えていてほしいものですね。これからも、ずっと……
 
 でもマリアリ!

用語解説:

[suspended 4th][→sus4] ジャンル:音楽

 和声(コード)理論の用語ですが、ギターの楽譜のようにコードがそのまま表示されているような楽譜では普通に登場するため、さほど専門用語というほどでもありません。
 定義的には、トニックコード(1-3-5)の3度を4度に入れ替えたもの(1-4-5)で、3を4に吊り上げたということで"suspended"と呼ばれております。原則としてsus4の次はトニックに移りますが、あえてそういう使い方をせずsus4を多用することによって不安定な勇ましさのようなものを表現するのに使われることもあります。
 原則としての使い方は、例えばもっとも基本的なコード進行I-V-Iを例に考えてみると(わかりやすいようにさらにC調の例ということで、C-F-Cとします)、F→Cという安定な進行の前に、Csus4を「はさむ」ような形になります。すなわち、C→F→Csus4→Cとなります。Csus4の響きは不安定で、誰が聞いても「そこで終わる」という感覚になることはなく、普通はその先Cに向かうことを自然に期待します。こういった性質を持つため、sus4の響きを「未解決」と呼び、これがトニック(C)に予定通り向かうことを「解決」と呼びます。あくまで途中経過として挟まれるコードです。
 あーすみません。あとで自分で気付いたので直しました。ドミナントではなくてトニックですね!

 SSとの関連については……というのは特に解説しないほうがいいんでしょか。逆に。まあ、でも、そのまんまです。たぶん。タイトルの後半がもうそれを表してますねという感じも。