大変困った事態であると言いたい。



ともだち。



「あ…あの子、またいるぞ」
一人の男子生徒が、それまでの会話の流れとは全く関係の無い事を呟く。もちろん、話し掛けた相手は先程からずっと話している相手そのものだ。
「そりゃ、いるだろ。昨日だっていたし、一昨日だっていた。先週だっていたさ。別に今更どうっていうもんでもない」
「…そうだけどさ」
最初に話し掛けた彼は、話しながらもじっと一人の人影のほうを見つめていた。あの子、と呼んだ名前も知らない…女の子。
ふと、彼女が顔を上げた。何気ない仕草だったのだろうが、なんとなく眺めていた彼と目が合う。途端、彼は恥ずかしくなって顔を背けた。
「…ふーん」
もう一人の男が、そんな様子を目撃してにやにや笑いながら、いかにも含みありますよといわんばかりに鼻声で頷く。
「…なんだよ」
「お前、ああいうのが好みか」
「ち、違げーよ、バカ」
そっぽを向く。
顔を赤くして弱々しい否定の言葉を吐くというのはイエスと言っているも同然の態度なのだが、本人は気付かない。
「いいっていいって。親友として俺が応援してやるからよ。今からでも告白するか?」
「違うっての!」
「あー…でも学校の前で立ってるってのはアレだな、かなりの確率で彼氏待ちだな」
「………」
一瞬、彼の体が止まる。
「…お前、本当にわかりやすいな」
「………嘘はつけない性格なんだ」
苦々しく認める。どっちにしたところで否定し続ける意味がないのは自分が一番よくわかっていた。…過去の数々の経験から。
「もしそうだとしたら中々趣味の悪い彼氏だと思うがな。…毎日学校前で待たせるなんてよ」
彼は、重々しく頷いた。


いつも学校前で待つ少女の事は1,2年を中心に有名な話題となっていた。
私服である事からして、学校の生徒ではない。年齢的にはしかし中学生か高校生くらいであろう。そして…近所に私服の学校は無い。
当たり前のように色々な憶測が飛び交った。
曰く、実は小学生である。
曰く、逆にああ見えて大学生である。
曰く、犬の生まれ変わりでいつまでも死んだ御主人様のことを待ちつづけている―――
だがそのうちに、少女が3年の男子生徒と話している光景が次々に目撃されるようになり、正体はともかくその男の彼氏だろうという結論に向かっていた。もっとも、相手は2年の女子生徒だったという噂もあり未だ確定的ではない。

ただでさえ毎日放課後に私服で学校の前に立つ人間がいたら目立たないわけがないのだが、加えて、その少女は、美少女であると言ってよかった。
結果―――同時に彼氏と思われるその男の評判は地に落ちることとなる。



「あ、祐一〜っ!」
彼は全力で走る。全ての障害物を、風さえも振り切るような勢いを以って。
彼女に向かって。
「ゆ、ゆ―――

どがしっっっっっ!!!!!!

全速力の勢いのついた飛び蹴りが完璧に彼女の胸元にヒットした。
「ぐえっ!?」
スロー再生のように倒れる目標。
直後、どさっという重い音がして、地面に抱かれる彼女がそこにいた。
彼は、その姿勢からゆっくりと足を下ろし、自然体をとる。息を整える。
そして、静かに口を開いた。
「…頼むから、手を振って大声で名前呼ぶのはやめてくれないか?」
「………う、うぅ、口調と行動が合ってないわよぅ…」
「そんなに褒めるなよ。照れるじゃないか」
「…あう〜」
お馴染みのため息(?)をつきながら、意外に平気な顔をして真琴が立ち上がる。
「まあ、それはいいんだけど」
「打たれ強さは世界トップクラスだよな、お前」
しみじみと唸る祐一。
真琴は嬉しそうに両手両腕を思いっきり広げて祐一のほうに寄っていく。
そして正面から抱きつく。
「祐一―――
ごんっ
祐一の強烈な「右」が綺麗に真琴の脳天に直撃した。
「あ…あうぅ」
「抱きつくな」
「なによぅ…照れ隠しに殴るなんて小学生レベルよ〜っ」
「照れ隠しじゃないっ!大人の常識を教えてやっただけだっ」
殴られても離そうとしない真琴に、最初は必死に引き剥がそうとしていた祐一もだんだん諦めかかってくる。結局、静かにため息をついて力を抜く。
真琴はますますはしゃいで祐一の胸元に頬擦りしたりしている。
「結局こうなるんだから素直に受け止めてくれればいいのに〜」
「…お前な、放課後に学校の前で抱き合ってる男女がいたら―――そんなバカがいたらどんな目で見られるのか分かってないだろ」
「うん♪」
ごきょ。
両手で真琴の頭と顎を持って首を75度ほど曲げる。
「祐一が人目を気にするような性格だとは思えないわよぉ」
「…ノーダメージかよ」
何事も無かったかのように自力で首を元に戻す。
一連の出来事の間もずっと真琴は抱きついて顔を胸に埋めたままだった。
「俺はお前と違って常識人なんだ」
「常識人はお風呂覗いたりしな―――もごっ」
慌てて真琴の口を押さえると、注意深く周囲を見渡す。誰か聞いていなかっただろうか。特に知り合いに聞かれると大変な危機的状況になりかねない。
たっぷり数秒かけて見渡し、声が聞こえるような範囲には人がいなさそうなのを確認して、やっと気を抜く。
「ふう…危ない。危ない」
「うーーーっ!」
そういえば口を押さえたままだった。
手を離す。
「殺す気!?」
「俺は社会的に殺されるところだったんだっ!」
「………楽しそうですね」
突然、別の声が割り込んできた。
真後ろから。
祐一は振り向き…抱きつかれたままなので首だけ、真琴はそのまま正面を見る。
「天野」
「美汐ー」
そして二人合わせてフルネームで呼ぶ。
「こんにちわ」
ぺこ、と軽く会釈する美汐。
「本当にいつも仲がいいですね」
「これがそう見えるかよ」
言って、祐一は改めて辺りと自分と真琴を交互に見てみる。
………………
「…見えるな」
「はい」
唸る。
「いつも仲良しーっ」
「言ってますし」
さらに唸る。
「ともかく、まず場所は移動したほうが得策ではないかと思いますが」
美汐が、この場で今一番正論と思われる主張をする。
とにかくここは目立つ。
と、しかし、移動しようとする美汐を祐一が止める。
「あ、悪い、天野。ちょっと話したいことがあるんだ」
「移動してからではいけませんか」
美汐がすこしだけ不機嫌そうな表情になって応答する。口調には早く移動しようという非難が明らかに染み込んでいた。
…結構気になるほうらしい。
「あー…そうだな。真琴、先に帰っててくれ」
「えーっ、何よそれっ!」
「ちょっと大事な話なんだ。悪い」
「やだ」
珍しく丁寧に断る祐一にも、真琴はにべもなく否定する。
「大事な話?美汐と?真琴がいちゃダメなの?」
ふてくされて見上げる。
「…事情があるんだ」
「絶対、や。真琴は祐一と一緒にいたいんだもんっ」
ぎゅっと強く体を抱いて、絶対に離さないと意思表示をする。
こうなれば真琴は何をしてもダメだ。経験上どうしようもない事を思い知っている祐一は、早々に諦めて深くため息をついた。
「…移動するか」


「では、私はこちらですので」
結局美汐とは少し世間話をしたという程度ですぐに別れる事になった。
何故か今日は、美汐と話している間、真琴の視線がやたらに痛かった気がする。
「学校ではいつも美汐と話してるの?」
不機嫌さを隠そうともせず、真琴がストレートに感情をぶつけてくる。
「バカ。何邪推してんだよ。学年違うから会うこともめったにねえよ」
「ホントに?」
祐一は、ジト目で見返す。
「…だいたい、学校で友達と会って話すことに何か問題があんのかよ。それなら名雪のほうがよっぽど話してるぞ」
「女友達はダメなのっ」
間髪を入れず反論する真琴。
あまりといえばあまりに直球なコメントに祐一は苦笑する。
「言っとくが、世間的にはそういう発言はかなり嫌われるぞ」
「でもダメなものはダメなのっ」
譲らない。
「じゃあ、真琴とも話しちゃいけないんだな」
祐一はふと思いついて、意地悪そうに言ってみる。
さて、どう反撃してくるだろうか。
じっと待つ。
待つ。
…反応が返ってこない。
「…真琴?」
「真琴は、祐一にとって特別じゃないの?」
押し殺したような小さな声が聞こえた。
「え…」
「真琴も他のみんなと同じ友達の一人なのっ!?」
聞き返すと、今度ははっきりと大きな声で…怒声で返ってきた。
予想外の反応に祐一は少し慌てる。
「あ…そうだな……それは…」
「どっちよ!?」
「真琴は…家族だからな」
目を逸らし気味にそう答えた直後、左足の脛に衝撃を感じた。視野外で何が起こったのか一瞬把握できず、ただ短い悲鳴をあげて痛みにうずくまる。
真琴のほうを見てみると、ちょうど右足を着地させる瞬間だった。
どうやら推測するに、真琴がノーモーションからローキックをかましてきたらしい、とそこで気付く。
何か言ってやろうと祐一が口を開く前に、真琴はそのまま猛ダッシュで走り去って行った。
あまりに素早い行動に、止める言葉すら見つからない。
ただ、その方向を呆然と見つめていた。家のある方向を。
しばらくしゃがみこんだまま見つめていたが、ようやく痛みも引いてくると、ゆっくりと立ち上がる。
「…まったく、俺もお前の半分くらいでも―――
誰にも聞こえない程の独り言をつぶやき、小さくため息をついた。


帰ると、家の中は静かだった。靴は真琴のものしかない。この時間はいつもの事だった。
「ただいまー」
まあ返事はないだろうなと思いつつも、一応帰宅の挨拶をしておく。特に意図があるわけでもなく、ただの習慣だった。
家に上がり、手を洗うとすぐに2階に上がる。
真っ直ぐ自分の部屋に向かおうとして、途中真琴の部屋の前で少し立ち止まる。
ノックしてみようかとちょっと考えるが、まああの様子だとあと1時間は接触しないほうがいいだろうと経験則から判断し、結局素通りした。
かなり怒っているようだったから。
祐一は苦笑して、部屋でむくれている真琴の様子を思い浮かべる。かすかな自己嫌悪も感じつつ…
(俺も、俺なりに悩んでるんだ…分かってくれると嬉しいんだがな…)
そのまま、自分の部屋のドアを開けた。


それはすぐに目に付いた。
普段は綺麗に整理されている机に、何冊かの本が置かれている。自分が置いたものではない。
「なんだ…?」
とりあえず鞄をベッドの上に置いて、近づいて見てみると、本の上に1枚の紙切れが置いてあるのに気付く。
そこには、癖のある文字で―――有り体に言えば汚い文字で、真っ赤なマジックで、でかでかと、
「これでも読んで勉強しなさい!」
と。
祐一は紙切れをどけてその本の表紙を見て、ただ苦笑するより他無かった。
「…マジかよ」
大人気連載中の、少女マンガだった。


「たっだいまー」
「おかえり」
「あれ、真琴。珍しいね、一人でテレビ見てるなんて」
「………別に」
「またケンカしたんだ?もー、祐一ったらホント成長しないんだから」
「………」
「まあまあ、祐一も本気で意地悪してるわけじゃないからね。ほら祐一バカだから相手の気持ちがあんまり考えられないっていうか。自分本位っていうか。あれ、これ悪口?あれ?」
「…かなり」
「うーん。えーと…自分勝手。一緒か。じゃあ常識知らず。甲斐性なし。世紀の問題児。道長の再来。2000年問題の象徴。平気で嘘をつける―――
「名雪、もういい…」
「21世紀に残したくない人間ナンバー1…え、あ、もういいの?」
「すごく楽しそうなところ邪魔して悪いけど」
「た、楽しそうだなんて…やだなぁ、もう。祐一をフォローしてあげようと…ね?」
「………」
「あー…つまり。その。それでも結構いいとこあるんだよ?」
「今更そういう事言っても説得力全然ないわよ」
「う…ううっ」
「…わかってるから」
「………ほ、ほえ?」
「”家族”、だもんね。真琴も」


続く。