2年生の学年末。
この時期には、多くの生徒が頭を悩ませる大行事が待っている。
3年生になるにあたって、決めるべき事。1年後に向けて、その過程となる道を設定しなければならない。
1年後に向かえるもの。無論「卒業」であるが、高校生の関心が卒業そのものに向く事はほとんど無い。
その時期には、もっと大切な物が待ち受けているからだ。
そして、今がまさに、大きな分岐点に立たされている状態だと言っていい。
―――すなわち、進路志望調査である。
もっとも、このような進学校と呼ばれる学校の場合、それは概ね「進学志望」調査と言い換えて差し支えない。つまり、早い話が、どこの大学に行くか、である。

受験戦争は、いよいよ本格化する。

まだ本当に具体的に大学を決めてしまう必要は無い時期ではある。
だが、人によっては、ある大学にこの時期から絞る事により、思い切ってそこの受験に必要な教科以外は全て切り捨てるという方針を決意する者もいる。
…尤も、思い切り科目を絞った者が、その科目において、広範囲に勉強し続けているものに勝るかというと結構そんな事はないというのが定説ではあるが。

悩み方は人それぞれである。
自分の希望するような学校がなかなか見つからない者。
自分のレベルでどこまで出来るか今ひとつ把握できないでいる者。
受験日が重なりどちらかしか受けられない二つの本命校のうち、どちらに決めて力をいれるべきか決められない者。
そして―――


「ううぅー…」
ここにも、志望調査の紙を前に悩む少女が一人。
愛用のシャーペンを握り締めたまま先程から意味も無く唸り続けている。教室内では、まだ残っている数少ない生徒が、あるいは同じように頭を悩ませていたり、友達と話し合ったりしている。
「………まだ決めてなかったの」
と、その側に別の少女が現れる。
その声を聞いて、心底救いを求めるように泣きつく、悩める少女。
「香里〜…わたしね、行くとこ見つからないの…」
「…まあ、何回か聞いたけど」
もう一方のほうは、あまり感情の起伏を感じさせない声で応答する。
「うー…いいよね、どこだって行ける人は………」
「………」
それなら同じだけ勉強してから言って欲しいわ、と言いかけて香里は思いとどまる。
どっちにした所で、言う意味がない言葉だ。何もプラスにならない。
深い意味はない、ただやるせなくて反射的に出ただけの言葉だろうから、気にすることは無い。
少しだけ心の中でムッとしながらも、表情には何も出さない。
少女の言う通り、香里の成績は揺ぎ無い「学年トップ」である。一度たりともこの予約席を譲った事は無い。
それこそ「どこだって行ける」、のだ。
………実際に何を志望しているのかは、しかし、誰も知らない。親友である彼女でさえ。
「何か、手がかりみたいなものはないの?」
「んー…別に〜…祐一と同じとこでいいよー…」
だれきった態度で答える少女。
「同じとこでいいってあんた、本当にそう思うなら今の7倍は勉強しないとダメよ」
香里のツッコミは容赦ない。
そして的確である。
「う、うぅ…」
うなだれる、少女。
ため息をつく、香里。

少女、水瀬名雪とそのいとこ、相沢祐一。
二人の仲の良さはクラスの者なら誰でも知っている。ついでに言えば、同じ家に住んでいるという事も常識だ。
…まあ、「仲の良さ」のニュアンスに関しては、お互いで食い違いがあるようだが。
(可哀想なのよね、この子も)
名雪が祐一に対して持っているのは、おそらく恋愛感情であると言って間違いない。そういった事をそれほどはっきりと表に出すタイプでもないし、香里もまたそういった事に決して敏感ではない(むしろ疎いと言っていい)のだが、親友として、その微かな差を察知していた。
”いとこの男の子”の話は何度か聞いたことがある。下手をすると、7年間ずっと想い続けてきたのだ。
そして、祐一のほうは、そんな彼女の心など気付きもしない。全く、何も。
(別に、あたしが口を出す事でもないんだけど)
可哀想だとは思うが、だからといって祐一を非難するつもりは全く無い。あまり良くは知らないが、恋愛というのはそういうものだろう、と香里は思う。

「祐一ね…頑張って勉強して、T大目指すんだって………」
T大学。地元の名門国立校である。
「え―――?あ、ええ、そう…らしいわね」
返事する香里の口調には、少し動揺したような響きが含まれていた。…名雪は、それに気付かない。
「あ、香里も知ってたんだ」
「まあ、ね…」
やはり、何か落ち着かないような感じで答える。

祐一の成績は、中の上といったところである。それほどずば抜けているわけではないが、頑張ればそこそこいける、というランクだ。
まあ、普通と言えば普通なのだが。
ただ、いかんせん、名雪のほうが………下から数えたほうがずっと早い、そんな状態だった。
とても祐一と同じ学校に、なんて言っていられる状況ではない。

それにしても―――
(本気、だったのね…)
少し前、祐一が聞いてきた。
”香里はどこ行くんだ?”
香里に答える気は無かった。まだ、迷いがあったから。まだ誰にも言わないつもりだった。
だから適当に答えたのだ。
”そうね…T大なんていいかもね”
”そっかー、じゃ俺もそこ目指そうかな”
”…好きにすれば”

何のつもりか知らないが、本気だとしたら、少し罪悪感が湧く。香里自身、別にそこに決めているわけではないのだから。
そういえば、あの時の祐一の顔は、妙に真剣だったようにも見えた―――

「…どうしたの、香里?」
はっと、親友の呼びかけで我に帰る。名雪が正面からじっと、香里のことを見つめていた。
「う、うん。何でもないの。ごめんね」
言葉を返しながら、彼女から目を逸らす。
名雪は何を思うのか、しばらく香里の目を覗き込んでいたが、やがてふっといつもの笑顔に戻った。
「ね…香里は、決まった?」
そして、期待を込めた目で尋ねる。
香里はどこまで言うべきか、少し悩む。
「まだ…」
「香里は、何になりたいとか、あるの?」
香里自身が手がかり、と言ったもの。それを求めている質問だ。
―――医者になろうと思ってるわ」
単純かも知れないが、人を救う一番明確な手段が、医学だと思う。
別に人のために生きたいなどという殊勝な事を考えているわけではない。ただ、身内に難病を抱える人間がいるからこそ、医学に対する思いというものがあるのだろう。
人を救うのは決して技術だけではない。だが、技術が無ければ何も出来ない。
ただ側にいてあげるだけで病気を克服できるなら、どれほど幸せだったことか。
「そっかぁ…うん、香里なら素敵なお医者さんになれるよ、絶対」
「ありがと」
香里は、まだ、微妙に視線を外したまま、答える。
「そういえば、T大にも医学部はあったよね」
それは、何気なく言った言葉だったのだろう。話の流れから、ただ自然に出た発想。
なのに香里は、その単語が出た時、心臓が止まりそうなほど動揺する自分を感じていた。
(どうして、こんな………)
なんとか、目の前の少女に悟られないように落ち着かせる。
どうして、胸が痛むのだろう。
それは祐一に対する小さな罪悪感なのか―――違う。
名雪は、何故祐一が―――少々無理をしてまで―――そこに決めたのか、知っているのだろうか。
もし、本当に香里の言葉を信じて、それで決めたのだとしたら。
(どうして?)
そんな意味はないはずだった。
分からない。意味は無い。
意味は無い―――
「そっか、でも決まってないんだよね。…そっかぁ…わたしてっきり、祐一、香里と一緒のところになるために頑張ってるんだと思ってた」
そして彼女は、無邪気に笑って、言った。

「や…やめてよっ!!そんな事、あるわけないじゃないっ!?」
自分自身が一番驚くような激しい声色。
突然の大音響に、教室中がしん…と静まり返る。
「か………香里?」
名雪が、驚いたように、かつて見たことも無い程感情を露にしている親友を呆然と眺める。
教室に残っていたわずかな生徒たちも同様だった。
「あ…ご、ごめん………」
香里もまた、そんな自分を呆然とした思いで眺めていた。
恥ずかしい。こんな事で取り乱してしまった―――
教室での会話は、これが最後になった。


”ねえ、どうして相沢君が、あたしと一緒に…なんて思ったの?相沢君が何か言ってたの?”
”んー…なんとなく、そんな気がして”


「相沢君」
「…ん?」
次の日の昼休み、香里は休みになると早々に祐一を訪れていた。
「話があるの。来て」
それほど強い口調ではないが、有無を言わさぬ雰囲気があった。
祐一は、黙って立ち上がる。
何も話さないまま、二人は教室を後にした。

じっ…と、二人がドアを出て見えなくなるまで見つめていた。意味は無い行動だ。
「あれ………美坂は?」
と、後ろから声がした。
自分に話し掛けたのだろうと理解して、名雪は少しだけ振り向いて、その姿を見上げる。
そこに、予想通り、北川が立っていた。手に抱えているものは…学級日誌だ。
「さっき、出て行ったよ」
「ああー…また逃げられたか…面倒なんだよなぁ、これ」
やれやれ、とため息をついて手の中の学級日誌を振る。
恐らくそれを書いていたために、先程のやりとりには気付いていなかったのだろう。
「わざわざ探し出して書かせるのも面倒だしなぁ…」
とぼとぼと席に戻り、力なく椅子に座る。
「ねえ、北川くん」
気が付けば、そう呼びかけていた。
考えてとった行動ではない。何を言おうとしたのか。
名雪は一瞬混乱するが、脳のほうはすぐに後からついてきた。
「ん、何?」
「お昼、食べよ」
「…え、ああ、うん。………って、そういえば相沢はどうしたんだ?さっきまでいたよな?」
「たぶん、遅くなると思うから。先に二人で食べちゃおうよ」
らしくないな、と北川は少し感じつつも、異論を唱えるほどの事ではない。
「じゃあ…学食行くか」
「うん」


昼休みの、中庭。
まだ雪も見られるというこの季節に、こんな所に出向く人間はまずいない。せっかく人の体温でほどよく温まっている教室にずっといたというのに、わざわざ体を冷やしに行くのは愚行だ。
しかし、香里はその場所を選んだ。
祐一は何も言わず黙ってついてきた。
「T大受けるっていうのは…本当なの?」
「目標だけどな」
「それは、あの時あたしが言ったから?」
「………」
祐一は、答えない。
…いや、悩んでいる。どう答えるべきか、何を言うべきか。
「お願い、答えて。そうなの?」
香里が切羽詰ったようにたたみかける。
「………そうだ」
数秒の沈黙の後、声を絞り出すように、しかしはっきりと肯定の意志を示した。
「どうして?あんな話だけで決めてしまうの?自分の将来なんだから、もっと真剣に考えて…」
「真剣に考えたさ。目標としては申し分ないし、こっちの地元だ。それだけで十分だろう?」
香里は、一瞬戸惑った。
祐一のその言葉は一般的な正論である。そう考えている者はごろごろいる。
「あ…あたしね、あの時はまだ、あんまり決まってなくて適当に答えちゃったんだけど…」
「違うのか?」
あの時と同じ目だ。香里は感じた。
祐一は、真正面から見据えてくる。何一つ、聞き漏らすまいとするかのように。
「香里…迷惑、なのか?」
「………え?」
「俺は…そうだ、だいたい香里の考えている通りだ。香里と同じ所に行きたいと思っている」
どくん、と心臓が跳ねた。
祐一にも聞こえただろうか―――そう心配してしまう程に、大きく。
「ど、どうしてよ?そんな事して何の意味があるって言うの!?」
「迷惑だって言うんなら、言って欲しいんだ。俺も無理に追うような真似はしたくない」
「わかんないわよ!迷惑も何も…わけわかんないわっ!大学は下手すると一生に関わるかも知れないのよ!?そんな適当な理由で―――
「香里と一緒なんだと思えば…俺も頑張れるんだ。高い目標でも、無理があっても」
強く、今度は明確に自らの意思を表明する祐一。
香里は、その言葉を何度も反芻しては、頭を混乱させる。わからない。何を言っているのかわからない。
(あたしと一緒だと思うと頑張れる?どうして?そんな事に何の意味が…あるの?)
「…ごめん。俺、一人で暴走してるみたいだな」
祐一は、ふっと表情から力を抜いて、照れたように笑う。
「俺は変に言葉を飾るのも似合わないし―――
一瞬、体が浮くような昂揚感を覚えた。
生まれてこのかた、経験したことのないような感覚。香里はただ、戸惑っていた。
これから何が始まり、そしてどうなっていくというのか。
「だから、素直に言うよ」
何もかもを凍らせてしまいそうな冷たい風の中、ただ体の中だけが熱い。
その先の言葉は、聞かないほうがいい。香里は直感的にそう思う。
しかし、同時に、逃げてはいけないともう一人の自分が警告を発する。これは自分の問題だ。恐らくこれから抱えていく、大きな―――

そして、その言葉は、伝えられる。


「北川くんは、どこにするか決まった?」
「いや、まだはっきりとは」
答える北川は、少し落ち着かない。考えてみれば、名雪と二人だけで昼を食べるというのは初めてではないか。
普段、4人のときには、あまり名雪と話す事はない北川である。いつもと違う状況に、やや戸惑いを感じていた。
「まあ、大丈夫だよね。北川くん頭いいから」
一方で、名雪のほうは特に何を感じているふうでもなく、普通に話している。
「うーん…そんな気楽な状況ってわけでも無いんだけどな」
少し困ったように、北川は言葉を選ぶ。
北川の成績は、意外にも優秀だった。さすがに香里ほどではないが、試験後に張られる順位表上位の常連メンバーである。
2年になってから急激に成績が伸びてきたという注目株であり、実は本人が思っているよりもはるかに学年内の注目度は高かったりする。
「香里が、どこ受けるかわからないもんね?」
「ああ、そうなんだ―――って、ちょっと待ったっ」
「ん?」
条件反射で返事してから、北川は慌てる。
「な、なんでいきなり美坂の名前が出てくる!?」
「でもさっき確かにそうだって言ったよね」
今更慌てても、遅かった。
気まずそうに下を向いて沈黙する。
「………やっぱり、そうなんだ」
北川は、早くこの話題から脱したかった。すぐに違う話をかけて誤魔化そうと言葉を探していた。
ただ、その名雪の言葉が、いつもと違っていたから。
とても寂しそうな声だったから、簡単に流すことが出来なかった。
「水瀬…」
「あ、お茶忘れてたね。北川くんのぶんも持ってくるから、待ってて」
照れ笑いを浮かべながら、名雪は立ち上がり、歩み去っていく。
ただそれを、呆然と眺めていた。


参ったなぁ。
友達として、どっちのほうを応援したらいいんだろうね。北川くんを応援しちゃうのは、やっぱり卑怯なのかな。それは…祐一に対する、裏切りなのかな。
困ったよね。どうすればいいんだろう。
北川くんが2年になって成績上げたのも、今祐一がすごく頑張って勉強しているのも、香里がいるからなんだよね。やっぱり凄いな、香里は。
わたしは…何にもしないのが、一番いいのかも知れないね…
そして、3人とも同じ学校行くんだろうな。わたしがいくら頑張っても届かないところに、行っちゃうんだ。
…ちょっと、寂しいな。妬けちゃうかも。


「お待たせ〜」
「あ、ありがと」
こと、と二つのお茶をテーブルに置いて、名雪が座る。
「水瀬はもう進路決まったんだっけ?」
ほとんど間髪いれず、北川が尋ねる。
ずっと、戻ってきたら何を話そうか準備していたのだ。
「うぅん。まだなんだぁ…」
名雪が大きくため息をつく。
「何がやりたいんだ?」
「それがね、わかんないの………」
困ったように顔をしかめる。
それを見て北川は首をかしげる。
「意外だな。水瀬って走るの本当に好きそうだし、陸上のスポーツ推薦でどっか行くに違いないと思ってたんだが」
ぽつり、と呟く。
常々思っていた事だった。名雪の短距離の成績はかなりのものである―――部長を務めるほどの事はあるのだ。
………
不思議な沈黙があった。
名雪は………目を点にして、動きが止まっていた。
「………すぽおつ推薦??」
「…もしかして、知らないのか………?」
ハエが停まりそうなゆっくりとした動作で、こくりと頷く名雪。
今度は北川が目を点にする番だった―――

「大学によっては一芸推薦みたいなものがあって、何か一つの事に秀でていたりするとその能力で推薦してもらえる事があるんだ。もちろん、大学に入ってからはそれを続けていい成績を残す事が条件になるんだが。ちなみに体大とか音大ならこれが普通だ」
「はえー…」
「…ていうか、真っ先に体大をチェックしたりしなかったのか?」
北川にはそれが不思議でならない。
名雪はごくあっさりと、うんと答える。
「とりあえず………祐一が名前言っていたところばっかり見てたから…」
恥ずかしそうに、付け加える。
「まあ…この高校じゃそういう学校の情報なんて意識しなきゃ全然手に入らないだろうけど。誰かは何か言ってきそうなもんだがなぁ」
北川は、唸る。
「あと、体大以外でもそうやって人を集めている所も結構あるんだ。例えば大学野球の強いチームなんてだいたい特待生として優秀な高校野球選手を引き抜いている所だからな」
「ふーん」
「そういう推薦があるのはだいたいが私大なんだが、稀に国立でもそういう制度のある所もあってな」
「はあ」
今から言いたいことをまだ把握せずに生返事を返す名雪に、北川は少しため息をつく。
「本当に、知らないんだな………勘がよければそろそろ気付いても良さそうなもんだが」
「………何が?」
「その稀な例の一つが、俺らの地元にあるのさ」
きょとんとする名雪に、北川は、もう俺がいう事は終わったとばかりにお茶に手を伸ばす。
しばらくの間、お茶を啜る音だけが響いた。

「…T大っ!!!?」
ぶひゅっ。
突然の大声に、お茶を変な所で飲んでしまった北川が激しく咳き込みながら吹き出す。
「ぇほっ、ぅ、はぁっ………せ、正解」
勢いのまま立ち上がっていた名雪は、呆けたようにそのまま立ち尽くした―――



「ねえ、祐一。ちょっといいかな」
その晩、ぼーっとテレビを見ているような見ていないような様子の祐一に声をかける。
返事もまたず、隣に座る名雪。
「…何か用か?」
祐一の声は、どこか現実感がない…魂を半分どこかに置き忘れてきたようだ。
「あのね、祐一」
「ああ」
「今日、香里に告白したんだよね?」
「…な、何っ!?」
突然半分の魂が戻ってきた。
慌てふためく祐一を見て、名雪がくすくすと笑う。
「だって、昼休み終わって教室に戻ってきてからの香里、ヘンだったもん。ちらちらと祐一の事見てたり、真っ赤になってたり」
あれじゃ誰だってわかる、と言うようにからかう。
「ついでに言うと祐一はもっとわかりやすかったけどね」
「く、くそ…」
祐一は心から無念そうに呟く。恥ずかしいことこの上ない攻撃だ。
「だ…だいたい俺が香里の事…好きだなんて、一言も言った覚えはないぞっ」
「あ、やっぱり隠してるつもりだったんだー。へへ、同じ家に住んでるんだから油断しちゃダメだよ〜」
「何!?どういう意味だっ!?」
「言葉通りだよー」
わざと香里の真似をして遊んでみる。
祐一はもはや反論の言葉もない。
「あ、それで、どうするの?T大じゃないかも知れないんだよね?」
「どこまで知ってるんだ、お前はっ」
突然祐一は名雪の頭を取って「反撃」にでる。
グーで頭をぐりぐり。
「あああっ、暴力反対〜〜〜っ」
10秒ほど続けて、飽きたのでそろそろ止める。
「…痛いよ」
「ったく…まあ、なんだ。俺としてはあんまり変わらない事を祈るのみだな。これ以上上の所になるとさすがにヤバい」
「祐一の頭じゃねー」
さらに15秒追加。
「…かなり痛い………」
「余計な事言うからだ」
自分の手のほうも結構痛かったりする。次は手を変えようと密かに決意する祐一だった。
「でも、そっちのほうはいいとして………北川くんはどうするの?強力なライバルだよー」
「………それはおいおい考える」
「祐一、不利なの分かってる?付き合いの長さも違うし顔も頭も負けてるしあっちのほうがずっと一途だししかも先約だし」
「お前な………」
もう一回お仕置きしてやろうかと思ったが、自分でもあんまり反論できなくて悔しいのでやめておく。
「北川くん、祐一と違って優しいし〜」
「なんだ、もしかして惚れたか」
「べっつにぃ。一般的な女の子だったらどっちを選ぶかは一目瞭然だねって言っただけー」
嫌みったらしく…それでも決して陰湿ではない悪口を正面から浴びせ掛けて、名雪は立ち上がった。
「ご飯、作ってくるねー」
とてとて、と台所のほうに歩いていった。
それを見送って、祐一はふと気付く。
「何時にも増してずいぶん陽気だな………?」


でんっ!
ででんっ!
「気のせいか…」
キランッ!
「…今日は夕食もテーブルもやたらに豪華な気がせんか?」
その様子は、まるで何かのパーティのようだ。テーブルにも色々と飾られている。
すると、台所から返事が返ってきた。
「祐一の告白おめでとう祝いー」
「するなっ!」
祐一は素早く飾り付けを外し始める。
「ああっ、やめてよぉっ。もう一つのお祝いも兼ねているんだからっ」
ぴた、と祐一の手が止まる。
「…もう一つ?」
「うん」
名雪は、一瞬だけ神妙な顔つきで頷く。
そして再び、いつもの元気いっぱいの笑顔に戻るのだ。
「わたしの………8年目の再出発祝い、かな」


わたしは、やっぱりわたしのやりたいようにさせてもらうよ。
きっと邪魔になっちゃうと思うけど、祐一も、香里も、北川くんも、許してね。
タダで終わっちゃうほど、水瀬名雪は弱くないんだよ。


Fin....


【あとがき】

怒らないで下さい。いじめないで下さい。
その前に逃げますから………

あー…
えーと。
名雪…ホント、ごめんよ………

どうしても暗い話になってしまいそうだったので、最後どうやって最低限の気持ちいい読後感を出せるようにさわやかに終わろうかとちょっと悩みました(^^;暗いままでは絶対に終われない、というのは僕の甘さなのかもしれませんが…それにしてもちょっと、やりすぎだったかな…

この高校に関しては、ゲーム中で進学校だと確実に言っており、あとは学校の雰囲気あたりから適当に「まあ、ウチの高校よりやや上くらい」という想定にしました。というかそれくらいが一番設定的に扱いやすかったので(^^;どれくらいと言うと、だいたい学年で上から5番以内にいればほぼ「どこだって行ける」(どこだって、は誇張表現ですが)というくらい。
香里は最初から「学年トップ」と公言されているからいいとして、北川と祐一に関しては「なんとなく」です(爆)名雪は………なんか、どっかでかなりヤバいという設定を見たような気がしたので(^^;

それにしても最近、誰かが必ず報われないというような話ばっかり書いてますね(汗)
みんなまとめてハッピーエンドにできたらいいんですけど…

あ、最後の解釈、分かりにくいと思います。というより、色んな意味に取れると思います。わざとです。ごめんなさい。
まあ…名雪の心境の変化、どうなるのか自分でも迷ったので、そのどれもが当てはまるような汎用的なエンディングに仕上げてみました(反則…)

タイトルは「ヴィヴァーチェ」と読みます。楽譜の速度標語の一つで、メトロノーム記号に換算するとだいたい160くらいというかなりのアップテンポです。
ここから、4人の時間は急速に流れ出す―――そんな意味をこめてみました♪

ではでは☆
次はもっとお気楽な作品をお持ちいたしますね〜