【めずらしくまえがき】

 色々と意味のある作品だったりしますので、予め解説を入れておきます
 このSSは、僕が「3兄弟」と勝手に呼んでいる(笑)まてつやさんの『香里』、およびNaoyaさんの「虹色たまご」を読みまして、「じゃ、僕もコレで一つ♪」と書き出したものです。
 上の二つのSSを合わせて読まれますと、3人それぞれの香里観、あるいは祐一観の差異が出ていて面白いかも知れません♪ていうか両方とも確実にコレよりは面白いので読みましょう(笑)

 あとご覧になってのとおり。
 はじめてインデントの行最初の空白を入れてみました。読みやすいのでしょうか。

























 振り返ると、もう彼の姿は無かった。
 溶けない雪の積もる道は、ただそこに少し前まで人がいた形跡だけを残している。それさえも、誰かがそこを歩いてしまえば簡単に消えてしまう儚いもの。そう思うと少し寂しさを覚える。
 ついさっき綺麗に別れの挨拶を交わしたばかり。ケンカ別れしたわけでもない。ただそのまま歩き去れば良かった。それで今日という出会いの日が終わり、後は思い出に残る。そういうものだ。いつもなら何も考えることなくそうしただろう。
 小さな街だから、何の事は無い、これから何度でも会うのかもしれない。
 それでも何故だか、もう一度だけ顔が見たくなった。もちろん、さっき別れたばかりなのだから、顔はちゃんと記憶に残っている。もう一度見たからといって何にもならないだろう。
 …そんな事を思ったというわけでもないが、一つだけ、はっきりと確信できる事があった。
 せめて、名前を聞いておけば良かった、と。






「転校して間もない相沢に教えてやろう。今日はバレンタインと言って女の子がチョコをくれる日なんだ。素晴らしいだろう」
「…知ってる」
「何だ。なかなかこっちの地方についてちゃんと勉強してるじゃないか。感心だな」
「思い切り全国共通のイベントなんだが………」
「………………」
「………」
 北川はふと微かな笑みを口元に浮かべて、自然な動作で机に手を掛け、窓のほうを向いた。暖かい日差しが髪に、肌に降り注ぐ。
 数秒の間。
 …そして静かに、口を開いた。
「…バレンタインデーって、チョコレート業者が作ったイベントらしいな。なんか騙されてるって感じがしないか?」
「そういう事は知ってても全国共通って事は知らなかったんだな。しかもさっき素晴らしいとか言ってなかったか?」
「あんまり過去にこだわる男は嫌われるぞ」
 祐一は、まあどうでもいいけどな、とため息をついた。意味も無く、北川と同じように窓の外を眺めてみる。太陽が出ているが、相変わらず寒そうな景色だと思った。
「なんだ、暗いじゃないか。相沢だったらいっぱい貰えるんじゃないのか?」
「…ん……どうだろうな」
 机から手を離して、北川は祐一の横顔をじっと見る。なるほど、結構いい顔だろう。しかし自分がどれほど劣っているだろうか。いやむしろ勝っているのではないか。校内でアンケート取ったら15票:13票くらいで勝てるのでは―――
「相沢君」
 北川の思考を遮る、美しく澄んだ声。
 そこにあるのは北川の名前ではなかったが。
 呼ばれた人間と呼ばれていないもう一方、二人同時にその方向を向いた。
「どうした?」
「バレンタインでしょ。チョコ持ってきてあげたわよ」
「………へ?」
 祐一は思わず間抜けな声をあげていた。なんとなく北川と顔を見合わせる。身近にいる女性たちの中で最も”くれる見込み”が低いと思われていた彼女が、そこにいる。
 そんな祐一に向かってにこりと笑いかける…香里。
「義理に決まってるじゃない。何か期待でもした?」
 がさがさと鞄の中を手でまさぐっている。…実際、本命を渡すような態度には程遠かった。
「そりゃあ…分かってるけどさ」
「あ、あったあった。はい」
「ん。ありがとな………って、おい」
「なに?」
 手に渡された二つのビニール包装を見ながら、祐一はどうツッコむべきか一瞬悩んだ。北川も最初複雑な表情でその様子を見ていたが、祐一の手にあるものを見ると…さらに複雑な表情をした。
 香里は何故か妙に機嫌良さそうににこにこと微笑んでいる。
「いや…たぶん、義理にしてもバレンタインってのはなんかこう、そういう専門のチョコがあったりするもんだろ…っていうか別にそんな特別じゃなくてもいいんだが…その…なんだ……これは…」
「あ、嫌いだった、それ?」
「嫌いじゃない。むしろ好きだ。ただ、率直に言えば…普段のおやつを分けてもらったという気分が……」
「なんと冬季限定よ」
「聞いてない」
「あ、北川君も、はい」
「なんか俺がおまけっぽいのが気になるんだが…しかも一個?相沢とのこの差は何だ?」
「もっと欲しいならまだあるわよ?」
 とん…。
「あああ箱を出すなっ。余計安っぽく見えるからっ」
「いいじゃない。ほら、欲しいなら今のうちよ?」
 高級そうなチョコレートの写真と”MeltyKiss”と書かれたお馴染みの箱からまた一袋取り出して、ひらひらと振ってみせる。
「ああ…なんかバレンタインの雰囲気が感じられない………」
「いいじゃない。それでも2倍なんだから」
「……2倍?」
「俺のな………」
 北川は恨めしそうに呟いた。
 香里は笑った。






 最初クラス分けのリストを見たときは、何も気付かなかった。入学して最初のクラスで、当然中学時代の友達の名前を探すだけに終始したのだから仕方が無い。…いや、そうでなくとも、少なくとも文字で見ただけではいくらなんでも気付きようが無かっただろう。
 クラスに入ってすぐは出席番号順そのままに机が並べられる。ひとつ後ろの女の子。
「わたし、水瀬名雪。これからよろしくねっ」
 文字で見たときは何も分からなかったのに。初めて掛けられたこの一言で直感的に分かった。珍しい響きの名前だったからというのもあるだろうけど、あとは本当にただの直感…もしくは予感だった。
 この子だ。
 人見知りなんて言葉とはほんの1ナノメートルたりとも縁が無さそうに屈託無く笑いかけてくるこの少女が、そうなのだ。
 掛け橋。縁。道しるべ。
 初めて会ったこの少女が、妙に懐かしいように思えた。
「美坂香里よ。よろしくね」









 ころ………
「あ………」
 特に何を考えるでもなく、ただ手遊びに指で転がしていたビー球が手から零れ落ちた。少し氷水になりかけている雪の地面を少しだけ転がって、それはすぐに止まった。
 こつん…と、前に立っていた子の靴に当たって。
 その男の子(服で判断した)は後ろを向いていたからそれに気付かない。それはそれでちょっと取りに行くのが気まずいな、と思った。せめて気付いてくれていたら、自分は「あ、それあたしの。ごめんね」って一言言えば済む。気付いていないという事は、自分からわざわざ教えるか、こっそり後ろまで近づかないといけない…
 さく、と雪を踏む音がいつもより大きく聞こえた。
 少女は静かに、出来れば気付かれないようにと少年の後ろへと歩いていく。少年は、自分と同じくらいの年齢に見えた。なんとなく、声をかけずに済むのならそれで済ましたい。
 そぉーっと近づいて、ゆっくりと腰を屈める。
「こぉらっ!!いつまで待たせる気だっ!!さては俺を凍死させて生命保険狙いかっ!?」
 びくっ!!
 少年の、振り向きざまの予期しない大声に少女は小さな体を硬直させる。と、中途半端な中腰状態だった体はもうその体勢を保っていられない。結果―――
 どさっ。
 雪の上におしりから倒れこむ。
 服はすぐに水を吸って体に容赦ない刺すような冷たさを与えてくる。
「…あ………」
 びっくりした声。顔。少女は怯えたような顔で少年のほうを見ている。今にも泣き出しそうだ。
「あ、あの、ごめんなさいっ…え…えと………ごめんなさい…っ!」
 訳もわからないまま涙を浮かべながらただひたすらに謝る。目の前の少年が怒っている。理由はそれだけで十分だった。




「わ、ま、待て。ごめん、俺の人違いだ。怒鳴ったのは間違いだから忘れてくれっ」
 すっかり怯えている少女にただ狼狽する。どうやら犯したミスは思ったより大きいらしい。
「………?」
「ごめんな。驚かせてしまって…なんかこっそりと後ろから近づいてくるからてっきり名雪かと…」
「…なゆき?」
 少女は、ともかくも自分が怒られているわけではないという事実を認識してほっとする。理由なんてどうでも良かった。まだ涙は簡単には止まらないが、少しずつ落ち着いてくる。そうすると今度はまだ地面に座ったままの体の冷たさがだんだん蘇ってくる…
「あ、悪い…ほら、手」
 顔をしかめる少女に手を差し出す少年。
 少女は首を横に振ってその手を退けた。自分で立てるからいい、という意思表示。手をつく。体重を片方に寄せる。踏ん張る。
 足のほうがうまく動いてくれない。まだ体がすくんでいる。加えて長靴の長さも邪魔だった。
 踏ん張る。腰だけが浮き上がる。みっともない。
「う…うぅ………」
 そんな様子を見ながら少年はため息をついた。
「ほら…よっ!」
「きゃあっ!?」
 強引に手を取って、そのまま強い力で引っ張り上げる。あっという間に立ち上がっていた。
「ほら、大丈夫か?」
「………うん」
 立ち上がった少女を見て、少年よりやや身長が高い事に気付く。あれだけ小さく見えていたのに、と少し驚いた。
「あ、あの………手…」
 離して、と目で訴える。顔を紅潮させながら。
「あ…ごめん」
「…うん」
 手が離される。少女は恥ずかしそうにその手を両手でもじもじと動かしていた。男の子と手を繋ぐという事に全く免疫がないのだろう。
 少年は少し失礼かと思いながらも、そんな様子に笑いがこぼれるのを隠せなかった。


「えーと…家は遠いのか?」
 ふるふる、と首を横に振る少女。あのへん、と指で指し示す。
 方向は分かっても距離は全然わからなかった。
「そうか。遠いならウチで…いやウチじゃないんだけど、とにかくウチだ。そこに連れてって服だけでも乾かそうかと思ったんだが、大丈夫だな?」
 こくん。今度は縦に首を振る。
「…ごめんな、本当に。ていうか名雪のヤツが遅いのが悪いから2割くらいはあいつを恨んでくれていいぞ」
「なゆき…知らない………」
「なるほど。正論だな。なんというか、俺のウチじゃないウチの本当の住民だ。俺は居候だから逆らえない。とにかく毎日こき使われて大変なんだぞ」
 少女は少し悲しそうに目を伏せた。
「…いじめられてるの?」
「俺だって大人しくいじめられてるわけじゃないからな。反撃だってする。…お前もちょっとはそうしたほうがいいかもしれんぞ」
「………え…?」
 驚いたような少女の声に、なんとなく確信を持つ。
 最初から気になっていたことだった。
「俺が最初に驚かせた時の反応が、あまりに怯えすぎだったからな。普段学校でいじめられてるんだろ?」
 少女は目を丸くする。初めて会ったこの男の子は実はあたしの事を監視でもしていたのだろうか、と勘繰ってみる。
「ん…そういやその制服ってコトは…付属小か。アタマのいい奴らでもいじめなんてするんだな…」
 少年は自分の確信を何も疑っていない。
「…でも、大丈夫。あんまり辛くない方法見つけたから…」
「ん?そんな便利なモンがあるなら是非教えてもらいたいな」
 にこ、と微笑む少女。初めて見せた笑顔はとても可愛らしく…寂しげだった。
「忘れちゃうの」
「…はあ?」
「全部忘れて何も無かったコトにしてしまえばそんなに辛くないよ」
 それは、長期間に渡るいじめの苦痛の末に導き出した単純な結論だった。
「…一緒に楽しいコトも無かったことにしてしまうのはチョット寂しいけど」
「そうだな…」
 少年はしばらく考え込んで、それから大きく頷いた。
「ま、いいや。俺も何かあったら是非都合悪いとこだけ忘れさせてもらうことにするかな」
「…うん」
「それでお前があんまり辛くなくて済むんなら、なるべくあんまり泣くな。せっかくの可愛い顔が勿体無い」
「………可愛い?」
 びっくりして少女が少年の目を見つめる。
 とても意外な言葉を聞いたという反応だった。
「文句無く、な。もしかしたらいじめてるヤツも半分くらいは好きの裏返しか、女だったら嫉妬かも知れないな…ったく、しょうがねえなー」
「可愛くなんてないよ…」
「可愛い。俺が今まで見た中ではダントツで一番だ。それも将来は美人になるタイプだな。保証する。このまま順調に行けば10年後には日本中のミスコン総なめだな」
「そ、そんな…」
 顔を真っ赤にして手を頬に当てる。かなり恥ずかしがっているが、悪い気分では無さそうだ。
「ホントだって。こんな可愛い子とこうやって話が出来るんならまだ戻ってこない名雪にも感謝だ」
 何故かだんだんナンパモードに入ってきている少年。
 少女はますます顔を赤くする。とにかくこういう話には免疫が全く無い。この年齢になると周囲の女の子たちは大人ぶって恋愛話や少しエッチな話に盛り上がったりするものだが、少女はそういったものとは完全に疎遠だった。
「…なゆきは、女の子?」
「ああ。可愛げなんてこれっぽっちも無いけどな」
「怖い…?」
「怖くは無い。お前もたぶん一回会ったらその瞬間に友達にされてるぞ」
「友達………」
 少女は目を細める。
「今は買い物中なんだ。なんだか知らんがいつも俺は外で待たされる。何のために連れまわされてるんだか………さすがにもうすぐ戻ってくると思うが、一緒に待つか?」
「…ん……」
 しばらく少女は考え込み、やがて、首を横に振った。
「冷たいから…そろそろ帰る」
「うわ。ごめん、忘れてた。そうだったな…すまん、長話につき合わせてしまって……」
「……ううん」
 今度は、晴れ渡る笑顔を。
「よし、それじゃ驚かせてしまったお詫びと今日のこの出会いを記念してプレゼントをやろう」
「…?」
 少年はポケットを右手で漁る。すぐに、手を出して開いてみせた。
 小さなビニール包装。
「………チョコレート?」
「ああ。でもただのチョコじゃないぞ。なんと冬季限定なんだ」
「…冬ならいつでも食べられる」
「そう固い事言うなって。ほら」
 手を開いて握らせる。手が触れた一瞬、少女はまた顔を赤くしてびくっと反応していた。
 可愛いな、と改めて思う。
「…あ………ありがとう」
「礼はいいって。まあその気があれば次に会った時には倍返しでもしれくれれば…なんてな」
「…倍返し」
「冗談だ。本気にするな」
「…うん」
 ”うん”ばっかりだな、と苦笑する。一つ一つの「うん」にどれほどの意図が込められているのだろうか。
「…またな」
「うん……また」
 また、会おう。また。
「ばいばい」
 少女は、手を振って、あとはいつも通りの家への道を歩き出す。
 雪に沈みかけたままのビー球が、陽の光にきらっと光った。







 まさか、次に会うときにはお互いもう高2になっているとは予想もしていなかったけれど。
 彼は、あたしが将来は最高の美人になると保証した彼は、そんな事ちっとも覚えていないようだった。本当にそう思って言ってくれたのだろうか?
 思い出したら真意を問いただしてやろう。






「バレンタインだよっ」
「叫ばなくても分かってるわよ………」
 何が嬉しいのかとりあえず叫んで教えてくれる名雪に、香里はうんざりした返事を返す。
「香里は誰かにあげるの?」
「ん…別に………」
「わたしもだよっ」
 だから何が楽しいんだか分からない。
「でも一応義理チョコ持ってきたんだよ♪はい、香里にもあげるっ」
「いや、女の子に渡しても―――」
 香里はその手に握られているものを見て、固まった。
「…水瀬家にはそれを配るっていう風習でもあるのかしら………」
「ん?わたしが好みで選んだだけだよ?」
 名雪は首をかしげる。
「祐一がこれ好きだったんだよーっ♪いっつも一人で勝手に食べちゃうからわたしよく怒ってたんだ」
「…あんた、本当にその人の事になると幸せそうに話すわねー。もう6年間も会ってないんでしょ?よくまあついちょっと前を思い出すみたいに言えるわね…」
「香里も会えば分かるって。一回会ったら忘れないよきっと」
(……本当にそうね)
 あの時の出会いは今でも恐ろしいくらい鮮明に思い出すことが出来る。
 色んな事を意図的に忘れてきたぶん、一部の事は逆に不思議なくらい記憶に残る。
「…会ってみたいわね」






 結局露骨にあのチョコを渡しても何の反応もなし。
 どうやらあの男はあたしの事なんて何にも覚えていないらしい。
 まあ、そんなモンか。
「なーんか、一人でずーっと覚えてて、損した気分」
「………悪かったな。俺は都合悪いとこだけキレイに忘れるなんて器用なことは出来なかったんだよ」
 ぴた。
「…それって、言葉裏であたしにも責任があると言ってるのかしら?」
 あたしは、何時の間にか隣で靴箱を開けている男のほうに振り向く。
「俺は暗示にかかりやすいタイプなんだ」
「―――いつ思い出したのよ?」
「ついさっき」
 へらっと笑ってみせる男。
「まさかあの美少女がこんなヘンなヤツになってるとは思わなくてな」
「………」
「いや、美人だとは思うぞ。ただ性格が全然違うじゃないか…誰が同一人物だと思う?」
 …言い訳?
 ま、いいけどね。別に。
「…で?あたしの事を忘れてしまうほどのすっごい可愛い子でもいたのかしら?」
「自意識過剰…」
 ごがんっ!!
 あたしの肘鉄が見事に後頭部に直撃、その勢いで靴箱のドアと顔をぶつける相沢君。
 たぶん、泣くほど痛い。
「ーーーッ!!!?」
「覚えておきなさいよ。今の言葉、3年後に後悔するわよ…」
「香里………っつ…」
 相沢君は泣き顔であたしのほうを睨む。3年後じゃなくても今ちょっと後悔しているかもしれない。
 でもアナタが勝手にあたしを舞い上がらせたんだからね。それなりの責任は取ってもらわないと。






「―――香里」
「…ん?」
 朝の通学路、香里を呼ぶ声。
 祐一が後ろに立っていた。
「あら珍しいわね。名雪は一緒じゃないの?」
「今日は一人で行かせてくれと頼んだんだ。……香里とゆっくり話したかったからな」
「…あら、そう」
「真面目な話なんだ」
 いつもの調子で興味なさそうな返事を返す香里に、祐一はいつになく真剣な表情で言うと香里の隣に並んで歩き出す。
 香里もその様子に少し身構える。以前から薄々思っていたが、真剣な時の祐一は普段とのギャップのせいか物凄く迫力があるのだ。…切羽詰っている、と言うほうが正確だろうか。
 祐一が足を止めた。
 香里も反射的に止めていた。
「…香里」
 もう一度、名前を呼ぶ。
 押し迫ってくるような圧迫感。いや、違う。祐一からは攻撃的な意図は全く感じられない。むしろ――
 自然、緊張に体を固くする。
 と…突然祐一は両手で香里の手を握った。
「…きゃ…っ!?」
 それは決して力強くは無く、愛撫するかのように優しいタッチ。
「なに…っ」
 すぐに手を振り解いてこの無礼を怒ろうとしたが、体が動かない。その代わりだとばかりにあっと言う間に体温が上昇していく。血液の循環ばかりが激しくなる。
(な…なんでよっ………なんでこんな時だけ動けないのよっ!いつも通り…思い切り振り払って殴り倒せばそれでおしまいじゃないっ…)
 祐一は香里の目を見つめたまま、そのまま。
 とくん。
 心臓の跳ねる音が相手に聞こえそうで、恥ずかしい。
 目を見ていられなくて、香里は思い切り目を閉じていた。
 もうすでに頭の中は真っ白だ。何も考えられない。こうなると祐一の次の行動に身を任せるのみ…
 その状態のまま、何秒経っただろうか。
 ふと周りの空気が変わったような気がして…香里はゆっくりと目を開けた。
 祐一が…いつものふざけた調子でにやにや笑っていた。
「OK。確かにあん時の女の子に間違いないな。相変わらず手を握られるのには慣れてないか?」
「………え…?」
 まだ頭の整理がついていない香里は、その言葉を理解するのに少し時間が掛かった。
 数秒。落ち着いて言葉を反復する。
 そしてようやく、からかわれていた事に気付く。
 この男は、自分の慌てる様子を眺めて楽しんでいたのだ………
「…あ……あんたねえっ!!」
「おおっと!俺は日直だからもう行かなきゃいけない!じゃあまたな♪」
「ま、待ちなさいっ!」
 香里の怒りのオーラを察知して、祐一はそそくさと走り去っていく。ほぼ毎朝鍛えられているだけあって実に雪の上を走るのに慣れている。速い。これでは今から走っても追いつけないだろう。
(………ああ、もう…っ!大失態だわ…)
 恥ずかしい。見事にしてやられてしまった。情けない…。その苛立ちをぶつける相手もいなくなり悔しくて思い切り手をぎゅっと握り締める。
 と、手の中に違和感を感じた。
「…?」
 手を開く。
 安っぽく、あちこちに傷の跡がついた…ビー球。
 香里はそれに見覚えがあった。あの時の―――
 考えるまでもない。さっきの時に祐一が手の中に入れてきたのだろう。
 もう一度ぎゅっと手を握り締める。
「………ずっと、持っててくれたの?」
 祐一の姿は少しずつ遠ざかっていく。一度も振り返らない。
「…ふふ」
 香里は笑う。
 そのビー球を指先で撫で、そして、右手に掴む。それは今の自分の手にはとても頼りないほど小さかった。
 陽の光で…ほんのかすかに鈍く光る。
 それを高々と掲げて―――
 全力で、前に投げた。






 かこーんっ!
 祐一の後頭部は軽い、澄んだ音色を青空に響かせた。





FIN.



【あとがき】

 意識して、まてつやさんとNaoyaさんの中間くらいを狙ったのも事実ですが(笑)基本的には僕の祐一&香里のイメージはこのままこんな感じです♪
 最初は「全部忘れて何も無かったコトにしてしまえばそんなに辛くないよ」このセリフから思いついたSSだったりします。なんだか全然関係なさげですが。

 んと。遊びが全然ありませんね。うぅ。あんまり入れる箇所も無かったというか、正直SSそのものを完全に壊してしまいそうで出来なかった…(臆病)

 もしよろしければ感想でもお待ちしております♪
 感想頂けたら嬉しくてもうモーニング娘。のベストアルバム探しに出かけちゃいます♪