『おかえり』

「おかえり、魔理沙」
「……なんだ、わざわざ待ち伏せして。いや、もしかして空き巣にでも入ってたのか? よしそこを動くな。荷物検査だ――」
「はいはい。馬鹿なこと言ってないで。また巫女のところに行ってたのね」
「む」
 魔理沙の家の玄関を背に、アリスは、ほら何も持ってませんよと示すように両手を振る。魔理沙は、アリスの言葉を聞いて、玄関に向かう歩みを止める。
「なんでわかるんだ。さては魔法使いだな!」
「魔法使いだけど。エプロンも帽子も焦げてるわよ。黒いところは目立たないからいいけど、白いとよくわかるわ。で、今日は勝ったの?」
「勝ったぜ。精神的には」
「手も足も出ないくせによく続くわねえ。負け続けてる割にケロっとしてるし」
「まあな。軟弱な都会者とは違うさ」
 魔理沙は、止めた足を再び前に運び始める。
 玄関まで。アリスまで、あと5メートル。
「魔理沙」
 アリスが少し、声のトーンを落として、言う。
「なんだ、都会派」
 魔理沙が、答える。
 あと2メートル。
 あと1メートル。
 アリスの手が伸びて、ぐいっと魔理沙の体を引き寄せる。魔理沙はこの突然の行動に反応しきれず、無抵抗のままアリスの体にぶつかる。
「んなっ……」
 すぐ目の前のアリスの顔を見上げて、抗議しようとする魔理沙の肩が押さえ込まれて、ぐるりと体を半回転させられる。アリスに背を向ける格好になる。
「こんなのに抵抗できないくらい弱ってるじゃない。これでもう、魔理沙の負け。何秒にもならない戦いだわ」
「……無茶言うなよ。なんだよその言いがかり。いきなりこんなことされて……」
「魔法使いの言葉じゃないわね。あなたには抵抗するだけの時間的余裕は今のでも十分あった。ただ、力がなかっただけ」
「不意打ちしておいて勝手な言い分だぜ」
「それなら今からでも抵抗してみなさいよ。魔理沙の力なら、ここからでも逆転できるでしょ?」
「ふん」
 ぐ、と魔理沙の肩に力が入る。一瞬に全力を込めて、アリスの手を跳ね除けようとする。アリスはその動きを上から抑え込む。
 結果、何も動かなかった。
 アリスは、魔理沙の肩から手を離して、距離を詰めて、そっと背中から腰に手を回す。
「最近、無理しすぎなのよ。明らかに戦いにいくペースが上がってるじゃない。魔法は無制限に使えるわけじゃないのよ。少し休みなさい」
「……霊夢とのアレは、遊びのようなものだぜ?」
「このところ、採集してるところも見なくなったわ。そして、私のところにアイテムを借りに来ることが多くなった。日常生活の時間を削ってまで篭って訓練してるんでしょ?」
「あ? ちょっとゴロゴロしてるだけだぜ。たまにはそんな気分のときも……」
「わかるのよ。私もね、オーバーロードしたことがあったから。結局、倒れちゃって、何日も無駄にしてしまっただけ。――焦る気持ちがあるのはわかるわ。だけど無理はそんな何十日も続かない」
 ぎゅ、と魔理沙の体を抱き寄せる。
 以前より明らかに細くなっていると感じる。
「私がそんな無理をするような性格に」
「今日は私の家に来て。美味しいご飯を作ってあげる。広いお風呂を貸してあげる。広いベッドでゆっくり休ませてあげる。一度巫女のことは全部頭から消して、ペースを取り戻して」
「……人の話を聞かない奴だなあ。ま、ご飯をおごってくれるというなら反対する理由はないけど。あんまり人のことをわかったつもりになるもんじゃないぜ?」
「あなたが言ったんでしょ。私は、魔法使いなのよ」
「へいへい。わかったから、そろそろ離してくれるか?」
「嫌」
「は!?」
「……嘘つきの罰よ。もう少しこの状態で反省しなさい」
「なんだそりゃ……」
「本当に……心配してるんだから……」
「……」
 アリスの手は、魔理沙の腕を包み込む。
 少し冷たい手が、火照りつつある肌を冷やす。
「あ……ありがと、な」
 魔理沙は、ぽつりと呟いた。
 聞こえなくてもいいやというくらいの声で。
 アリスの手に、力が入った。一瞬。
「嘘。心配してるなんて嘘」
「……はぁ?」
「あなたが嘘つきだから、お返し」
「わけわからん」
 まあつまり、心配してるなんて嘘、という言葉が嘘だという意味なんだろな、と迷わず解釈して、魔理沙はアリスの手にそっと掌を添えた。


『魔理沙だって甘いものが大好きなのです』

「って、何材料のチョコレート食べちゃってるのよー!?」
「え? あーほら。いっぱいあるんだからいいじゃないか。うん。うまいぜ」
「その状態で褒められても嬉しくないしっ」



『新サービス』

「いつもそんなたくさん本を持って帰ったりまた返しに来たりするの、面倒じゃない?」
「んー……まあ、ね。物体の遠隔転移なんて高度なことができれば便利なんだけど。夢のまた夢ね」
「そこで考えたのよ。貴女は返却期日を指定しておけば、あとは家でゆっくりしていればいい。期日になったらうちのメイドが回収しに行くわ。次の借りたい本がすでに決まっていれば書いてくれれば、同時にそのときに持っていくわ。もちろん無料サービスよ。どう?」
「どうって……それは、凄いけど……私、お金払ってるわけでもないのに、そんな待遇受けてもいいの?」
「貴女だけは特別、ね。メイドを直接使う権利は私にも認められているわ。問題はないわね」
「うーん。申し訳ない気がするけど」
「一度試してみたらいいと思うわ」
「ん……それじゃ、お言葉に甘えて」

……

「……えーと」
「どうしたのかしら?」
「なんであなたが直接来てるのかしら」
「たまたま手の空いてるメイドがいなかったのよ」
「……期日指定なのはそのへんの融通を利かせるためなんじゃないの?」
「たまたま手の空いてるメイドがいなかったのよ」
「あーうん、まあ、いいけど。わざわざ遠くまであなたを走らせてしまって申し訳ないわ。体のほうは大丈夫?」
「大丈夫よ。普段はしない運動だから、少し疲れてしまったけれど」
「あ……それじゃ、本だけ運んでもらってバイバイ、なんてわけにはいかないわね。上がって。しばらく休んでいくといいわ。お茶はミルクでいい?」
「あら、悪いわね。気を遣わせてしまって。せっかくだからお邪魔するわ。ミルクで」

『アリス in紅魔館』

「よ」
 雲一つない、青い空。気持ちいい快晴。陽射しをいっぱいに浴びながら、それでも遮るもののない湖の上空では風の冷たさは体に響く。もう、雪が降ってもおかしくないような季節になっていた。見た限りでは、まだ湖は凍ってはいない。局地的に凍っていることはあるかもしれないが、それは氷精の仕業に違いない。
 ともあれ、寒いのだ。この季節になると飛行速度は自然と遅くなる。風を避けるために魔法を使うことも出来るが、長時間のフライトでそんなことをしていたらすぐに魔力が尽きて逆に大変な目にあってしまうだろう。
 そんな状況で、霧雨魔理沙は、アリスの周囲に突風を巻き起こしながら、後ろから弾丸のような速度で現れた。隣に並ぶと、速度を落としてアリスの飛行速度に合わせる。ほとんど急ブレーキに近い速度差だ。
「奇遇だな。紅魔館か? ってか、図書館か?」
「……」
 アリスは、突然の冷たい冷たい風から身を守るために体を少し丸まらせて、隣の黒いのを睨みつける。
 魔理沙の格好は、どう見ても、アリスよりも薄着だった。寒い、と文句を言おうとしたアリスは、魔理沙の全身を眺めたあと、ぐっと堪える。
「こっちに来る用事といったら、それくらいよね」
「それはいい。一緒に行こうぜ」
「え」
 紅魔館までは、まだ少し距離がある。
 少なくとも、魔理沙の飛行速度と、アリスの飛行速度では到着時間に十分強の差が出る程度には。
「あ……う、ん。いいけど」
 アリスはやや動揺してどもりながら答える。わざわざ魔理沙が自分よりずっと遅いアリスに合わせるとは。と思って、早合点の可能性に気付く。魔理沙は、アリスの速度に合わせるとは言っていない。
「私、はっきり言って、速く飛ぶ気はないわよ、今日は。遅くなるかもしれないけど、いいの?」
「ん? なんだ、それは遠まわしに私の箒に乗りたいってアピールか? また」
「ちっ……違うわよっ! 寒いから……ぅ。いや、そんなに寒くて耐えられないわけじゃないのよ? でもなんとなくゆっくり飛びたいっていう意味で」
「そっか」
 気のせいか。その呟きのとき見えた魔理沙の顔が、少しだけ寂しそうだったようだった。
 アリスは少し慌てて手を振る。
「の、乗りたくないってわけじゃなくてね。あ、ほら、そうね。魔理沙の後ろだったらいつでも暖かそうよね、なんて思ったりもするし」
「……」
「……」
 なんとなく、少し温かくなった。主に心臓がちょっと頑張ってくれたおかげで。
 いたたまれなくなって目を逸らしたアリスだったが、最後に少し魔理沙の顔を覗き込むと、気のせいじゃなく、ほんのりと赤くなっていた。


 結局のところ、魔理沙がわざわざアリスと一緒に来たということの実質的なメリットは、確かにあるのだった。
 魔理沙を見て少し臨戦態勢を取りかけた紅魔館の門番が隣にアリスの姿を確認すると無条件に手を下ろしたという事実が、何より象徴的な出来事だった。
「まさか、これが狙いだったんじゃないでしょね」
「たまには楽をしたいだろ?」
 悪びれもせず、魔理沙は歯を見せて笑った。
 やれやれとため息をつきながらも、アリスは堂々と門をくぐる。
 紅魔館の中に入っても、反応は似たようなものだった。魔理沙とアリスが一緒に飛んでいるのを見て、どうするものかと思案するメイド達の反応は二人のどちらにとってもある意味で新鮮なものだった。とりあえず、攻撃されることはなかった。
「あー。アリスが一緒だと本当に居心地がいいぜ、ここは。どうやったらそんな待遇がもらえるんだ?」
「本を返せばいいと思うわ」
「それだけは無理だな」
「なんでよ!?」
「あー、しかしずっと外飛んできたからな。熱いお茶でも出して欲しいぜ」
「……」
 言いたい放題の魔理沙に、少し頭を抱える。
 魔理沙がそんなことをメイドに言おうものなら、それはもう熱い熱い濃硫酸でも運ばれてくることだろう。
「仕方ないわね、先に食堂に向かうわよ」
「ん。食堂の場所わかるのか?」
「ええ。今の時間なら誰も使ってないから大丈夫でしょ」
「ふーん」
 なにやら怪訝な顔をした魔理沙の様子が少し気になったが、アリスはとりあえず魔理沙を案内するため、一歩前に出る。
 広い紅魔館の中を二人で飛んでいく。
 紅魔館に辿りつくまでも長いが、中に入ってからも長い。油断していると建物の中でも遭難しかねない怖いところだ。

 食堂に着いたのは、6分後だった。
「遠いぜ」
「ちょっと待っててね。お茶入れてくるから」
「大丈夫か? ここのお茶の材料は人間の骨なんてオチは勘弁だぜ」
「大丈夫よ。今図書館で使っているお茶はほとんど私が持ってきたものだもの」
「……」
 何故か魔理沙は黙ってしまう。
 アリスは不思議な魔理沙の反応に首を傾げながらも、キッチンのほうに向かう。
 途中でメイドに出会った。
「あ、アリスさん。お茶ですか。いいですねー」
「あなたも飲むかしら?」
「いえ、私は仕事中ですからー」
「……」
 遠くでまた魔理沙が微妙な顔をしていた。
 一言、ぽつりと、誰にも届かない言葉を呟いた。
「……アリス、ここに住めばいいんじゃないか、もう」