「こんな感じでいいのかしら」
 ひとり、呟く。
 とにかく防寒第一、ただしある程度以上の動きやすさも確保した格好で来い、と魔理沙は言っていた。
 ある程度以上の動きやすさ――もっと具体的に、戦闘も可能であるくらいの服装で、とも言っていた。
『戦闘って……凶暴な野獣でも出るの?』
『いや、可愛らしいもんだけどな。私たちくらいの腕があれば全然問題にはならないが、一応だ』
 密かに。密かに、私たちという言葉がとても嬉しかったことは、私の中だけの秘密。
 ごく自然に、対等な仲間として認めてもらえたような気になる。もちろん、月の事件のときも、対等な立場で共闘はしていたのだが、あのときよりも今のほうが、魔理沙にとっての私は近くにいるような気がした。
 さて。
 回想はともかく、今の格好だ。寒さを防げて、動きやすさはしっかり確保して、しかし可愛らしさは極力犠牲にしない――服選びには魂を削った。
 スカートにはこだわりたかったところだが、絶対にそれはやめておけと魔理沙に言われている。仕方ないので、私にしては非常に珍しいことに、厚手のズボンを穿いた。むっくりしていてどうにも可愛くはないが、それはもう上下のバランスやらアクセサリやらでなんとかカバーする。
 冷えやすい耳元には耳カバーを。防寒しつつも、視界を遮ることのない装備を選ぶ。
 手袋はつけない。もっとも冷えやすい部分の一つではあるが、手袋は魔法使いの戦闘能力を著しく衰えさせるため着用できない。魔力の流れをセンシングし、操るのが手の役割だ。いつでも魔力の流れを読みながら行動することが魔法使いの生命線であり、いかなる状況だろうと魔力感知を放棄してはならない。手が冷えるのは耐えるしかない。
 なんだかんだ。迷いまくる。
 やはり早めに起きて正解だった。服選びだけでもう2時間も経っている。
 そろそろ出なければ。魔理沙から借りた服、ある程度暖を取る道具、弁当、その他小物の準備を再度チェック。
 わくわくしている人形に袋の中に入ってもらって、さあ出発。

 月の異変の日以来の、二人だけの旅。
 あの日と同じように、決して気軽に遊びに行くというものではないが、それでも今回は異変を解決するといった重大な使命はない。前回よりはもう少し会話も出来るだろう。
 しかも今回は、一夜だけではない。時間も、たっぷりある。
 色々話そう。必要だったら、魔理沙があえて聞かないでおいてくれたいくつかのことについても、話してもいい。この機会を逃したら、きっと私はまた長く後悔することになるから。
 私たちが今の状態のまま近くにいられるのは、もう残り僅かな時間でしかないだろう。魔理沙はきっと、どこか遠くに旅立つ。この魔法の森だけに留まって生涯を終えるタイプではない。確信できる。
 ぐっと決意を固めて、私は家を後にした。


「ちゃんと準備できてるみたいだな。その格好なら、行けるだろ」
 魔理沙は、私の姿を見て、最初に一言そう言った。
 そういう魔理沙の格好は、私よりも少しだけ軽装だった。ひょこ、と人形が袋から首を出す。
 魔理沙と人形が目を合わせて、視線で挨拶を交わす。人形はふい、と手を上げてみせる。そしてすぐに袋の中に戻った。なんだかよくわからないが、もし人形が喋るとしたら「おいすー」とか言ってそうな気がした。なんとなく。
「……これくらいじゃないと行けないくらい、やっぱりきつい?」
「行けばわかる。慣れるまではきついだろうさ」
 話しながら、借りていた服を手渡す。魔理沙は少しの間だけ家の中に入っていったが、すぐに手ぶらで戻ってきた。
 私の服のほうは、しばらくそのまま。これから出かけるのだから、今受け取っても邪魔なだけだ。
「行くぜ」
 打ち合わせも何もなく。
 挨拶程度の会話だけ済ませると、魔理沙はすぐに箒に乗って、飛んだ。
「まずは、現場までの移動だ。できれば休憩なしで行きたいから、しっかり気力を保ってくれよ」
「……現場って、ちなみに、どこ?」
「あの山」
 魔理沙は、人差し指で、どこかを指差した。
 ……その方向には、どう見ても、遠景と表現するしかないような場所にしか、山はない。
 確かに、覚悟を決めないといけないようだ。

 大丈夫。大変でも、辛くても、二人が一緒ならどこだって行ける。
 ……
 とか。ぽそりと、聞こえないように呟いてみたりした。
 どうせ自己満足。
 ……なにやらこの小声に反応したように私の荷物の一部がぴょんっと跳ねたような気がしたが、とりあえず気にしない方向性で。


 暖房草は、山岳地帯に、より正確に言えば海抜1キロメートル以上の高地にしか生えない草だ。高温環境下、直射日光に極めて弱く、涼しい場所であっても通常は春を越すことができない弱い草でもある。かつ、魔法植物の一種である以上、魔力の発生源が近くにないと育たない。
 つまり、魔力の雰囲気が強い山の高いところで、しかも冬の間しか収穫できないということ。
 そのことは、知識としては持っていた。どうりで異常に値が張るわけだと思っていた。
 さて実際来てみると、想像していたよりもはるかに厳しい世界だったということを思い知ることになる。


 山登り自体はする必要はない。空を飛ぶということは、地表の悪条件をまったく気にする必要がないということだ。その意味で、寒い、距離が長いということ以外は道中に特に障害はなかった。
 逆に言えばこの二つが大きな障害だった。寒い。距離が長い。
 特に寒い。
 ただでさえ人気がなく高地で気温が低いのに、風が嫌がらせのように強い。
 道中はまったく喋らずにきた。風が強く、言葉が届きにくいということもあるが、寒さを耐えるのに精一杯でそれどころではなかったというのが本音に近い。
 スカートはやめておけと念を押された理由がよくわかる。素肌が露出している顔や手はまともな感覚を完全に失っていて、ちくちくと痛み続けている。飛び続けるということは風を遮ってくれる要素が周囲に存在しないということでもあり、しかも自分の移動によって余計に強く風を受けることになる。もともと行動範囲が決して広いとは言えない私には、相当に堪える寒さだった。一人だったら、もうこの時点で諦めて帰っていたかもしれない。袋の中に閉じこもっている人形が羨ましかった。
 先を行く魔理沙の様子を眺める。後ろからなので表情は見えない。時折、私がちゃんとついてきているか確めるためにか、ちら、と振り返る程度。その一瞬の様子をうかがう限りでは、私ほど辛そうには見えなかった。さすがに慣れているということか。私たちのような存在から見れば、環境適応性が異常に高いというのは人間の最大の強みの一つだと思う。
 寒さに震えながら、必死に魔理沙の背中だけを追い続ける。顔を動かして周囲の様子を眺めているような余裕はない。
 魔理沙のペースについていくのはかなりきつかったが、それでもはぐれることはなかった。もちろん、もし魔理沙一人で来ていたのなら、もっとずっと速く飛ぶのだろう。私が魔理沙についていけたというより、魔理沙が私に合わせてくれたというほうが正解に近いはずだ。本音を言えばもっとゆっくりのほうがありがたかったが、距離を考えるとそうもいかないのだろう。
 飛び続けてどれくらい経っただろうか。1時間は超えた。もう、ずっと前から、とにかく温かいお風呂にすぐに飛び込みたいというイメージを何回も頭の中でぐるぐる回している。せめて休憩して一時的に暖をとりたかったが、魔理沙は止まってくれそうにもない。結局ぎりぎりのところで耐え続ける時間が延々と続いた。
 その拷問がひとまず終わりを告げるのは、もうこれ以上続けたら死んでしまう、と最初に思ってから実に30分以上は経ってからのことだった。


 魔理沙が地面に降り立ったのを確認して、私も隣に足を下ろす。木の生えていない、開けた場所。
 そのまま倒れこんでしまいたかったが、薄く雪が積もっているため、なんとか堪える。
 ふらりとよろめくと、魔理沙がさっと手を伸ばして支えてくれた。
 私は何も考える余裕なく、魔理沙に支えられたことを感じると、もう力を抜いて体重を預けてしまう。
 魔理沙は倒れこんだ私を支えながらゆっくりとしゃがみこんで、私の顔を上に向けて、呟く。
「……死んでる」
 死んでないわよっ!
 ――と、速攻でツッコミを入れたかったが、口は開いてくれなかった。ああ。確かに死体同然かもしれない。これでは。
 仕方ないので、とりあえず魔理沙を睨みつけてアピールした。
 うまく焦点があわなくて、魔理沙の顔がボケている。魔理沙がどんな顔をしているのかもよくわからない。
 魔理沙は、私を支えたまま、ごそごそと荷物を弄っている。少しして、その動きが止まる。
 何かしてるなあとは思っても、私にはそれを確認する体力も気力もない。
 ぼ、という小さな音。背中のほうから聞こえた。
 何だろうと思っていると、少しずつ髪や背中に違和感が生じてくる。ちくちくと痛いような、痺れて麻痺していた感覚を無理やり覚醒させようとしているような。
 ぼんやりと考える。ああ、火をおこしたのかと思い至って、やっと温かいなと感じ始める。固形燃料を燃やしたのだろう。魔力の流れさえ感じる余裕がなくなっているのは、重症だ。
 魔理沙が、私の体の向きを変えて、火に正面から当たるようにしてくれる。
 温かい。まだ、温かいよりも痛いという感覚のほうが強いが、ありがたいことに変わりはない。火からはかなりの距離を取っているのですぐに寒さが和らぐほどにはならないのが辛いところだった。とはいえ、風が強くて火も暴れるので、確かに魔理沙が選んだこの距離は正解だと言えた。雪は、火の周辺から少しずつ溶けていっている。
「……もう、立てるわ。ありがとう」
 なんとか。声が出るくらいには回復した。
 背中に、魔理沙の手の感覚がだんだんはっきりしてくる。少しずつ、手の感触が存在感を増してくる。
 そうなると、魔理沙に支えられている……ある意味抱きしめられているというのが恥ずかしくなってきたりして。ある意味。
「よし」
 魔理沙は、私の体を少しだけ起こして立ち上がりやすいようにしてくれた。魔理沙が手を離したのと同時に、私はしっかりと立ち上がる。
 まだ体はがちがちに固まってはいたが、とりあえずは倒れることはなさそうだ。
「……ごめん。重かったでしょ」
 言いたくはないけれど。
 立ち上がって、改めて魔理沙の小ささを感じると、言わずにはいられなかった。よくまあこんなサイズで私の体を支えていたものだ。
 魔理沙は、にかっといつものように笑った。
「重かったぜ」
 ――まったくもって。
 まったくもって予想通りの返答だった。
 予想通りであるからして、こんなことでいちいち怒って反論するほど私は子供ではない。あとで魔理沙の人形にタングステン仕込んで私の人形と天秤に乗せて魔理沙のほうが重いわよとか言って指差して笑ってやる。
 なんて思っているうちに、人形がひょっこりと袋から顔を出した。きょろきょろと周囲を見渡して、雪が積もっているのを見つけて飛び出して、風に飛ばされて魔理沙の顔にお尻からぺち、と直撃した。
 魔理沙は軽く笑って人形を指でひょいとつまみあげると、ここでは出ないほうがいいな、と言って袋の中に押し戻した。人形は残念そうに口を尖らせていたが、魔理沙が「いい子だから大人しくしてろ、な?」と言って頭を撫でると気持ち良さそうに表情を緩めて、すぐに機嫌を直していた。
 ……いろいろと、ちょっと羨ましい。
 むしろ同じ言葉を言われたい。そしたら私は何よばかにしてーとか言いながら魔理沙の腕をぺちぺち叩いて、魔理沙ははははと笑いながら優しい目で私を見つめてくれちゃったりなかしてそれでえーとそのあとはやっぱりキスされて「わがままなお姫様にはこの魔法が一番だな」なんてもう魔理沙ったら恥ずかしい
 つまりそれくらいの妄想ができる程度には回復してきたという話。
 体は動かなくても頭は働く、生物の神秘を私は今実感していた。


「少しくらいなら、暖かさを維持できるはず――」
 感覚の復活しない手を、軽く前に伸ばす。
 一歩前に出て、火に近づく。
 風を起こす。火から少し離れた場所に。火を挟んで私の反対側、つまり火の向こう側に。簡単な上昇気流を起こす。この気流を壁にして、火に吹き付ける風から火を守る。
 上昇気流である以上は、どうしてもその気流のために別の風が火元に生まれてしまうが、うまく温度調整をすることで、可能な限り火元は無風状態に近づけることができる。決して簡単にできる制御ではない。私は魔法の細かい制御には誰よりも自信があるが、風を操るのは困難を極める。まだ、ほとんど手におえない状態だというのが本音だ。
「おお。やるなあ」
 ――今回は、なんとかうまくいった。
 実のところ失敗して火を消してしまっている可能性もあったので、かなり冒険だった。正確には、だった、と過去形で表現するのはまだ早い。今も風が暴走しないように微妙な制御を加えている。
「結界でも張れれば、何の苦労もないんだけどね」
「霊夢も連れてくればよかったか?」
「こんな面倒なことに付き合うわけがないでしょ、あれが」
 というか、邪魔。せっかく二人きりなのに。
 魔理沙にしても本当に連れてくる気など最初からないだろうが、それでも、二人きりじゃなくても全然構わないというような物言いには大いに不満だ。――魔理沙が、そういう奴だというのは、わかってはいるけれど。そりゃあ。そりゃあ。
 昨日の事があったのだから、魔理沙だって、その……私の気持ちのことは、わかっているはず。程度の問題はあるにせよ。魔理沙にとって私の気持ちのことなんてどうでもいいのかもしれないけれど、少しくらいは気を使ってくれてもいいのに、と思う。ただでさえ凍えていて疲れているのに、私の前で霊夢の話なんてしてしまう魔理沙を軽く憎む。
 わかっている。魔理沙はいつもどおりに話をしているだけで、私の苛立ちはただ疲れているのに頑張った自分、結構凄いことをやってみせた自分をもっと褒めて欲しい、自分に注目してほしいというわがまま。いつだってこの温度差が私たちの距離そのものだとわかっているのに、なかなか治せないでいる。
 ふう……と、自己嫌悪に陥りつつある自分を少し落ち着かせる意味で、ゆっくりと息を吐く。
 ……気がつけば、魔理沙が、じっと私を見つめていた。
「わっ……な、な、なに?」
 ドキっとして、思い切りどもってしまう。ああ。怒ってるんだぞ、と暗めに言うつもりだったのに、台無しだ。
 魔理沙のほうも、私の声に対して、はっと一瞬体を硬直させる。
 少し経って、視線を軽く逸らした。
「いや……珍しい魔法だからちょっと解析していたんだが、私には無理だな。複雑すぎてついていけなかった。やっぱり、こういうのはさすがだな、アリス」
「……!」
 時間差で不意打ちするなんて。ずるい。
 褒められた。魔理沙から、褒めてもらった。
 ええと……嬉しい。嬉しいだけに、こういうときはどんな反応を見せればいいのか困ってしまう。慎重にならないとまた条件反射で変に棘のある言葉を投げ返してしまう癖を自覚しているだけに。
「そ……えーと、そんなこと言って、どうせすぐに真似しちゃうんでしょ、いつもみたいに」
 かなり柔らかく抑えてみた。
 つもり。
「私は真似なんてしないぜ。引用はするけどな」
 魔理沙は、なんとも堂々と。
「どう違うのよ」
「私が手を加えて進化させるってことだ。せっかくいい魔法でも欠点があって使いにくいんじゃもったいないだろ? それを私が完成させてやろうという親切心だぜ」
「……まあしっかりした理論武装だこと」
 確かに魔理沙の物真似魔法は、そのままコピーというわけではなく魔理沙流のアレンジがなされているようではある。大抵はパワーアップはしているものの余計に使いにくそうな形になるわけだが。
 今のところ私の魔法が真似――引用されたことはない。根本的にタイプが違うから難しいのだろうとは思う。私は魔理沙の魔法を真似しようとは思わないが、しようと思っても確かに苦しむことになるだろう。もともとお互いに得意とする領域が違うということ。それならば、真似をしたところでオリジナルに勝てるわけもないのだから、無意味だ。本来、私と魔理沙の間に限らず、魔法使い間にはすべて当てはまる法則のはずなのだ。
 ……本音。真似されて、ちょっと何勝手に真似してるのよーと私が文句を言うという展開がいつかないかと期待していたりはする。たぶん私の魔法は魔理沙には難しすぎるだろうけど。魔理沙は人間である分、一つの魔法の習得にかけられる時間もどうしても限られてしまう。いっそ、真似しやすそうな簡単な魔法を使って誘ってみようか。なんて。
 と、これくらいは他所事を考える程度の余裕はでてきた。空気が十分に温まってきて、手の感覚が戻ってきている。感覚が戻れば魔法の制御はよりやりやすくなって、制御に必要な労力は小さくてすむ。
 魔理沙は魔理沙で、熱エネルギーの塊を生み出して、雪が解けたばかりの地面を乾かしていた。――以前魔理沙が暖房に使える魔法として開発したが結局消耗が激しすぎてまったく実用にならなかったというものだ。一応、役に立つ使いかたを見つけたらしい。
 私は片手で小さなビニルシートを取り出して、地面に敷く。魔理沙と二人、その上に腰を下ろす。小さいため、ほとんど隙間なくぴたりと体を寄せて。
 これで、やっとまともに休憩できる。寒さからは一時的に解放されたとはいえ、疲労は溜まりに溜まっている。私は風のコントロールを最低限のレベルまで落として、脱力した。しばらく立ち上がれないだろうなあと実感できる心地よさ。ぐったり。
「もう出ていいわよ。今だけね」
 袋の口を開けると、人形は恐る恐る首を出してしばらく周囲を探ってから、風がほとんど吹いていないことを確認して、ひょこりと姿を現した。
「雪が見えているところには出るなよー」
 人形の姿を見ると、私より先に魔理沙が注意を出していた。
 いつの間にやら、人形の扱いにも慣れてきているものだ。人形は、こくこくと二回頷いた。
 本当は私以外の言うことを聞くのはあまりよくないことなのだが、この人形はなかなかしっかりしたもので、大切なときには必ず私の命令を何より最優先してくれる。それほど心配することはない。
 魔理沙と私、二人寄り添うように座っている様子を、人形はちょっと離れたところから眺めている。まだ十分に余力を残して元気のある魔理沙と、疲れきってぐったりしている私と見比べて、頭の上にハテナを浮かべていた。
 じー。
 ……ぽ。
 人形は、唐突に顔を赤くしたかと思うと、ちら、と私の目を覗き込んだ後、そそくさと袋の中に自分から隠れてしまった。
 ……
「ち、違うー!? なんかよくわからないけど違う何か想像された気が!?」
「ん? 想像ってなんだ?」
「え。う……な、なんでもないわ。ちょっとあの子、たまに行動がおかしいから気にしないでっ」
「あの子なんて、自分のこと他人みたいに言わなくても。もう一人の人格でも住んでるのか? やっぱりなあ。たまにアリス見てると二人くらいいるような気がしてたんだ」
「なんで私のことなのよ! 人形のことよっ、ていうかやっぱりて何ー!?」
「人形がおかしいわけないだろ。あんな可愛いのに」
「何その理屈意味わからないわよ! だったら私だって可愛いでしょ!?」
「……」
「今のなし! 忘れて!」
「可愛いけどさ」
「え!?」
「今のなし。忘れろ」
「……ぐ……」
「……とか言われても、忘れるわけないだろ? 自分の発言には責任を持たないとな。私だって可愛いでしょ、か……名言だ」
「な、な、なによっ、そ、それだったら魔理沙のさっきの言葉だってちゃんと責任持ってもらわないとっ」
「さっきのって?」
「わかってるくせに……! ……私が、可愛いって……」
「ああ。否定する理由は別にないし」
「……ぅ」
 そんな。
 だから。
 ストレートに言われると凄く弱いのに。まして、こんな近距離から。
 これじゃ温まってきた体が必要以上に熱くなってしまう。おちつけ、おちつけ自分。
「自信持ってるのはいいことなんじゃないか、別に。普通は言わないけど」
「自信持って……いいと思う?」
「いいだろ。私は魔法使いの中で霧雨魔理沙の次くらいに可愛いと思っています、くらい宣言したってさ」
「……よくわかったわ、魔理沙の考え方が」
「そうか。ひとつ賢くなったな」
「じゃあ……魔理沙以外と比べたら、どうなの?」
「んー?」
 ドキドキしてる。なるべくノリだけで尋ねているかのように装いたいが、どうしても緊張してしまう。
 でも、こんなチャンスはきっと、滅多にない。
 だから。
「例えば……あの巫女と、霊夢と比べて、どっちが可愛いと思う……?」
 聞いてしまった。とうとう。
 おちつけ。おちつけ。
 反応が怖くて、既に体はかちこちに固まっている。あまり変な様子を見せると魔理沙にも緊張が伝わってしまって軽い気持ちで答えることができなくなってしまう。だから今はまだ鎮まっていてほしい、私の体。
 魔理沙は、私の目を覗き込んできている。何を思っているのか。そもそも比較の対象にすらならないくらいの差があるとでも思っていたりしないだろうか。魔理沙にとってあの巫女の存在は聖域に近い。踏み込みすぎてしまったかもしれない。
 ぎゅ、と拳に力を入れて、待つ。怖いが、自分から有耶無耶にしてしまうつもりもない。絶対に後悔するから。
 魔理沙は……ふう、と息を吐いた。
 小さく苦笑いを浮かべた。
「悪い。どっちも敵にはしたくない」
「――」
 逃げられた。
 保留された。せっかくの機会だったのに。
 わかっていない。魔理沙はわかっていない。その言葉は、結局どっちも敵にしているということ。
 私が肩を落としていると、ばばっと人形が袋からまた飛び出してきた。一直線に魔理沙の目の前まで飛んで、びしっと私のほうを指差す。
 ……何を伝えたいかはわかりやすすぎるくらいよくわかる行動だ。魔理沙は、人形の頭の上にぽん、と手を置く。
 撫でる。人形は気持ち良さそうに目を細めながらも、そんなことじゃ誤魔化されないぞ、とばかりに気合を入れて魔理沙の手を私の方向へ引っ張ろうとする。
 魔理沙は人形の体を捕まえて、つんつんと突付いたり撫でたりと遊び始める。
「じゃあ、アリス。私と霊夢とどっちが可愛いと思う?」
 そして、唐突に聞いてきた。
「へっ……そ……そんなの、当然――」
 当然。
 返事なんて迷うまでもない。いや、もちろん、霊夢だって、否定はするつもりはないけれど、私にとって、魔理沙のほうがよほどその存在は大きくて、客観的な評価だなんてするつもりにもならなくて――
 ――はっと気付く。可愛いと思うかどうかは、そもそもそういうことだ。そもそもが偏った評価になるものであって、つまり、そのひとにとってどれだけ大切なひとかこそが一番大きな要素になる。
 保留されるということは、まだまだ魔理沙の中の私の居場所が小さいということ。評価なんて、これから変えてしまえばいい。返事に迷いがあったということは、チャンスがないわけではないということ。
 だったら。魔理沙の中で私の位置づけがもっと重要なものになるまで、私も保留してしまおうか。
 それとも――
「当然……魔理沙のほうが」
 やっぱり、素直に。
 大切なところでは、素直に。
 魔理沙は、人形を弄ぶ手を止めた。人形もまた、抵抗するのをやめた。
「……ありがと」
 私の顔を見ないで、人形を見つめたまま、魔理沙は言った。
 ……魔理沙の体も、熱くなっていた。ああ。照れているのか。やっぱり魔理沙でも、褒められると恥ずかしいらしい。
 可愛い。
 私は、赤くなっている魔理沙の顔を横目でちらっと眺めて、素直になるのが一番得だと実感していた。
 だから、もう少し素直になって、魔理沙との距離を、少しだけ詰めてみた。体が触れ合う面積が、何倍にも広くなる。
 魔理沙は何も言わないで、じっと人形を見つめていた。私も何も言わない。
 結局、休憩時間の終了まで、無言のあたたかい時間を私達は過ごした。


「さ、始めるか」
 すっかり温まって、いっそこのまま何時間でもゆっくりしていられたらなあと思い始めてきた頃に、魔理沙は言った。
 ……仕方ない。目的はしっかり達成しなければいけない。もう少し休んでいたかったが、来るのに要した時間を考えるとのんびりはできないだろう。帰り道もあるのだから。
 魔理沙は、躊躇うことなく火を消す。
 空気がすぐに冷え始める。
「手足はちゃんと動くな?」
「あたりまえよ」
「ああ。人形は出したままのほうがいい。そんなにスピードは出さないから大丈夫だ」
「……そうなの?」
「簡単に風除けの壁でも張っておけば飛ばされはしないだろ」
 人形は、袋に潜り込もうとしていたのを中断して、私と一緒に首を傾げる。
 魔理沙は、にやりと笑って、私たちの無言の質問に答えるのだった。
「言っておいただろ。戦闘できる態勢で来るようにって」
 魔理沙は、箒を持ってなにやら構えを作る。
 ――戦闘、のジェスチャーらしい。たぶん。
「戦闘って」
「すぐにわかる」


 すぐにわかった。
 風に混じって、無数の細かい氷片が飛んでくる。意思を持って、私のほうに。
 切り立った崖の前、わずかな崖道を見つけたと思った途端に、それは飛んできた。いきなりだったが、私は余裕を持ってそれを避ける。少し前のほうでは魔理沙も簡単にこの攻撃を回避していた。
「来たぜ。ザコ軍団」
 攻撃の発生源は、小さな人型だった。見ればすぐにわかる、妖精。妖精が……今確認できる範囲に、18体。唐突な出現だった。
 ここで魔理沙が言おうとしていたことを理解する。おそらく、暖房草を採りに行くと、毎度この妖精たちの邪魔が入るのだろう。あるいは暖房草の近くにいれば魔法使いがやってくることを知っていてこのあたりで待ち構えているのか。
 まあ、事情はどうでもいい。妖精など何体いようと全部蹴散らしてしまえばいい。魔理沙の言うとおり、雑魚でしかない。――ただし、攻撃力はバカにならないものも結構いるわけで、大量の妖精がコンビネーションを組んで集中攻撃してくるようであれば非常に辛いというのも事実。先手必勝だ。
 魔理沙が大きく左に旋回したのを確認すると、私はそのまままっすぐに光の矢を放つ。同時に、人形を右方向に飛ばせておく。
 矢は直撃。一体潰した。同時に、右斜め前方から、そして上から降りかかる氷片。右後ろに飛んでかわす。人形を通して右に矢をばら撒く。2体直撃。
 ぶわ、と後ろから風が吹いた。体勢が崩れる。
 その隙に私に攻撃をかけようとした妖精に、閃光弾を打ち込む。妖精の攻撃よりこちらのほうがずっと速い。これでまた一体――
「……っ!」
 妖精の攻撃は、止まっていなかった。私の閃光弾を結界でわずかに弾いて、撃ち放ってきていた。速い。そして、全て計算どおりというように、前方上方下方左右から迫り来る氷片と氷塊。しまった。最初のあの風からすでに相手のコンビネーション技の一部だった。全てを避けきることはできない。とっさに判断し、一番近い妖精に最速の閃光弾をぶつけながら、氷片を右腕に受け止め、弾幕を飛びぬける。
 ぐさり、と数個の尖った氷片が皮膚を突き抜ける。痛みに小さく悲鳴を漏らす。
「この……!」
 次に近くにいた妖精に、勢いと怒りに任せて弾をぶつける。一発で消滅する妖精。どうやら、結界を張る能力があるのはごく一部の相手だけのようだ。さっきの一体だけかもしれない。
 この間に、人形からも2体倒す。人形を通した攻撃だけで十分に倒せる。やはりあの一体が特別で、ちょうどあいつを狙って攻撃させるように仕向ける連係プレイだったようだ。まんまとしてやられた。
 もう二度は通用しない。この借りはしっかり返してやろう。
「アリス、下がれ!」
「――!」
 そのまま勢いで雪合戦のように弾を投げまくるつもりだったが。
 魔理沙の声を聞いて、そして魔力の流れを感じて、とっさに後方へ引く。
 直後、魔力が一箇所で爆発した。
 目の前を、巨大なエネルギーの塊が通過していった。
 数秒間、それは続く。
 何度も見た魔理沙の究極魔法だ。何度も見てきているというのに、目の前で見ると相変わらず――震える。この、あまりの桁違いのエネルギー量に。迫力に。恐怖に。
 閃光が収まったあとには、妖精の姿は欠片も残っていなかった。

 芸術性の欠片もない、ただ力任せの魔法だ。なのに、いつ見ても、美しい。
 痛みも忘れて私は、この魔法の残像が脳裏から消えるまで、じっと同じ場所を眺めていた。
 もう妖精は残っていない。マスタースパークが放たれるということは、そういうことだ。相手が何人であろうと、マスタースパークを撃った後には一人も残してはいけない。これほど強力な魔法は他に一つもないが、これほど隙だらけの魔法もまたないからだ。魔理沙にとっての戦いとは、いかにしてこの大魔法を撃てる状況を作れるかという尽きる。
「おい、怪我、大丈夫か? うあ……結構深いな」
 そうだ、私も一人で頑張って多くの妖精を潰す必要などない。魔理沙が一緒にいるということは、敵が一箇所に集まるよう誘導するだけで事足りる。一体一体潰していくよりは、私はそっちのほうが得意だ。やっぱり、私こそが本当に魔理沙のパートナーとして相応しい。
「おーいアリス。聞こえてるかー? おぅい。……とりあえず、簡単に治しておくぜ」
 次は気をつけよう。今みたいな戦い方だと魔理沙は失望してしまうかもしれない。アリスには期待していたけどがっかりだ、やっぱり時代は巫女だぜ腋萌えーとか叫んでしまうかもしれない。違うの魔理沙。今のはちょっと、そう、体操だったの。第二のほう。次はちゃんと魔理沙が戦いやすいように上手く動けるから。わざとらしくない程度に魔理沙のサポートにまわって、終わってから「ありがとう。私が戦いやすいようにしてくれただろ? 気付いてたぜ……こんなに気持ちよく戦えたのは初めてだ。もうアリスなしでは生きていけない。好き。抱いて」とかそんな感じに魔理沙ってばこんな外でだなんて、初めてなのに大胆なんだからでも私も初めてなの、うまくできないかもしれないけど……え、うん。人間相手は初めてってことで。妖怪相手もないけど。……いいじゃないの人形しか経験がなくなって! 妖怪少女の70%は人形相手の経験しかないって何かの本に書いてあったりするといいなーって
「……反応がない。死んでる……」
「生きてるわよっ!」
 ――と。いつの間にか魔理沙が目の前に。
 なんだか条件反射でツッコミを入れてしまったが、いつの間に魔理沙がこんなに近づいていたのか気付いていなかった。しかもなんだか白い紐で私を縛ろうとしているなんて。
「な……なにしてるのよ魔理沙そそんないきなりレベル高い!?」
「ん? 普通だと思うぜ」
「普通って……!」
 まさか霧雨家は伝統的につまりそのそーゆー感じに子孫を残してきたというかいやいやその表現は直接的すぎるわ私ちょっとはしたない。なんだっけつまりその私は恥ずかしいけど魔理沙がそれを望むならなんてほんとは実は結構興味あったり
 とか。考えてると。
 魔理沙はいたって落ち着いた様子で、私の腕をぐっと掴んで、ぐるぐるぐると白い帯を巻いていく。包帯。
 ……
 はい、ごめんなさい。普通でした。
 よく見るといつの間にか傷口がガーゼで押さえられていたり、そもそもあまり痛くなかったりする。気付かない間にいつの間にか魔法で簡単に治療してもらっていたらしい。
 どれだけ隙だらけなんだ自分。
 そういえば人形もいつの間にか袋の中に退避している。ぼーっとして、風除けしてあげるのを忘れていた。
「ごめん……ありがとう」
 魔理沙に手当てしてもらっていたというのに、礼も言わずぼーっとしていたなんて。作業しづらい空中で頑張ってくれてるのに、それに気付かないなんて。また好感度が下がってしまったに違いない。なんだよ霊夢ならにっこり微笑んでありがとうって言ってくれるのにーとか思っているに違いない。たぶんそれ以前にあの巫女が怪我をすること自体がレアイベントすぎるけど。
「気にするな。最初だからな。奴らのコンビネーションなんてせいぜいあれくらいだ。次はもう大丈夫だろ」
 ……どうも、魔理沙はごめんの意味を取り違えたようで。
 前から気付いてはいたけれど、魔理沙の無神経っぷりは徹底している。自分のことも、他人のことも。――どこかの図書館の魔女に言わせれば、この世界じゃそれが普通で、私のほうがよほど特異な例だということらしいが。
「次って、まだまだ来るの?」
「あいつら、遊び好きだからなあ」
「面倒ね」
 腕を軽く回す。問題なく動く。戦闘に何ら差し支えはない。
 魔理沙も私の様子を見て大丈夫そうだと判断したのか、軽く一度頷いて、私から離れて視線を崖のほうに向ける。
「あのへんが、狙い目のポイントのひとつだ」
 そこは、二つの崖に囲まれた狭い隙間――峡谷になっていた。日は当たっておらず、風は強そうで、まあ普通ならあんなところに立ち寄ろうとは思わないような場所。薄暗い中、完全に露出している岩肌が見える。
「……苔くらいしか生えそうにない場所に見えるけど」
「そういうところにしか生えない草なんだ。知ってるんだろ?」
「知ってて確認したのよ……」
 ちょっと、うんざりする。ただでさえ寒いのに、もっと寒いところにわざわざ飛び込まなくてはならないのか。
 ふふん、と魔理沙が笑う。
「怖気づいたか?」
「まさか。これからでしょ、これから」
 そうだ。昨日から続けて、今日も魔理沙に私の失態ばかり見せてしまっている。そろそろ、頼りがいのある私というものを見せてあげなければ。最低でも、見直したぜ、くらいは言わせてやりたい。
 あわよくば惚れたとか惚れなおしたとか言ってくれたらなーなんて。




 まさに断崖絶壁。
 崖の中に、たまにそれなりに水平に近いような場所が点在していて、魔理沙はそういう場所を見て回っている。つくづく、とてもまともな植物が生えそうな場所には見えない。
 人形には今は袋の中に入ったまま大人しくしてもらう。風はますます強く冷たくなっている。日光が当たらないからどこまでも冷え続ける。
 基本的には遠くからさっと眺めるだけでポイントをチェックしているだけなのだが、たまに小さな穴のようになっている場所があると、そこまで行って穴の中までしっかり確かめる。
 移動速度が遅い分、この山までの道のりよりはまだ消耗は控えめで済んでいる。が、やはり、いかんともしがたいほどに、寒い。
 うろうろと見て回って、時々近づいて探る。ただそれだけの作業を延々と繰り返し、結局何の成果もないまま三時間ほど過ぎて、午前中の作業は終わった。

 日のあたる場所に出て適当に座れる場所を見つけると、魔理沙は手早く火を焚いて休憩の準備を整える。今度は、一応は少し盛り上がった岩盤を背にして、少なくとも一方向からの風は遮るような場所になっている。気休め程度ではあるにしても。
 昼間になったというのに、到底暖かいとは思えない。山というのはなかなか恐ろしいところだ。このあたりの雪は、冬の間中溶けないのかもしれない。
 魔理沙もさすがに疲れてきたのか、火の準備を終えて、私が準備したシートに座ると、小さくため息をついた。
「結局全然見つからなかったわね……」
「ん。そんなもんだ。まだ始めたばかりだろ。進んでないわけじゃない」
「え、そうなの?」
「探した分だけ、次から捜索する場所は少なくなっただろ」
 魔理沙の言葉は、強がりといえば強がりだが、そのとおりといえばそのとおりであって、つまるところ前向きに考えないとやってられないぜという意味なのだろうと思う。
「もともと、そんな簡単に見つかるものじゃない。始めてから3時間くらいで見つけたら過去2番目のスピード記録だ」
「……いつもこんな大変な思いして探してるのね。凄いわ、魔理沙」
「その言葉、全部終わったときにもう一回言ってもらうぜ」
 私の賞賛の言葉にも、魔理沙の対応は落ち着いたものだった。さすがに私と違って、褒められることには慣れている。私と違って。
 少し前に、可愛いって言ってあげたときの反応をもう一度見てみたい気もするが……いやいやいやそう何回も多用していい技ではない。これにも慣れられてしまってはつまらない。というかまず雰囲気から作らなければ言葉の意味は軽くなってしまうわけであってつまり焦りすぎちゃダメよアリス今はまだそのときでは。
 ……とと。また斜め上の世界に飛んでしまう前に、必要なことを済ませてしまわなければ。
 慎重に風を起こして、また風の壁を作る。うまくいったのを確認して、人形を袋から出す。
「とりあえず、お昼にしましょ。簡単なものだけど……」
 サンドイッチを二人分。
 焚き火に近づけて、少しでも温めてから、魔理沙に渡す。
「おう、ありがと」
 魔理沙は受け取ると、ほとんど間を置かず、すぐに口に入れた。
 私がさりげなく注目する中、黙々と食べていく。そのペースは決して早くは無い。最初に魔理沙の食事を観察したときは、このゆっくりさが意外だったものだ。なんでもかんでもスピード重視のような気がしていただけに。
 人形はもちろん、ものを食べたりはしない。この間はちょこんと私の隣に座って、大人しくしている。食事時は、寝るときの次にこの子が大人しくなるときだ。
 見つめているのに気づいたか、魔理沙が私のほうに振り向く。
「食べないのか?」
「あ、うん……うんじゃなくて。食べる」
 反応が気になるところではあったが、とりあえず私も一切れ口に入れる。
 やはり冷えて明らかに味は落ちてはいたが、ある程度はそれを計算に入れてやや濃い目の味付けをしておいたので、それほどの問題にはなっていない……と、思う。
 食べながらも、魔理沙の顔を伺う。よくわからない。淡々と食べている気がする。
 ……ちょっと、残念。
 別に「ううううぅうぅぅまああああいいいいぃぃぃぞおおおおぉぉぉ」とか「馬鹿な……! こんなに美味いはずがない……いったいどんな魔法を使った!?」とか「まさに卵とハムの大河ロマンやぁ」とか言って欲しかったわけじゃないけど。というかそんな言われるほどに大したものを作ったわけでもないし。でも、絶対に手は抜いてはいない。
 もの寂しさを覚えながら、一切れ食べ終わると、湯のみを取り出して水筒からお茶を注ぐ。寒いところに持っていこうが、入れてから8時間は十分に熱いお茶が出てくることが保証されている、自慢の水筒だ。
 魔理沙もちょうど一切れ食べおわったのを確認して、先にお茶を渡す。
「はい、魔理沙、どうぞ」
「おお」
 魔理沙は両手で湯のみを受け取ると、ふーふーと軽く息を吹きかけて、口をつける。
 こういう何気ない仕草が妙に可愛らしく見えるのは、普段の行動とのギャップのせいなのだろうか。魔理沙は、剛胆で無神経ではあっても、決してよく思われているようにガサツではない。男みたいな口調で喋るくせに、ちょっとした仕草やこだわりは女の子そのものだ。
「おろ?」
 一口飲んで、魔理沙は驚きの声を出す。
「緑茶だ」
「うん」
 私の顔を見つめながら、魔理沙が言う。
「紅茶派から乗り換えたのか?」
「ん……そういうわけじゃないけど、魔理沙はこっちのほうが好きみたいだから」
「気が利くぜ。でもアリス、緑茶も持ってたんだな。前に緑茶の素晴らしさを教えてやろうとしたときはずいぶんと激しく抵抗された気がするが」
「ぅ……い、一応、選り好みしないで世界を広げてみようと思ったのよ、あれから」
 緑茶と紅茶の件については、魔理沙と私が結構本格的に喧嘩をした題目だった。緑茶なんてそう何種類もないし飲み方の工夫にも乏しいじゃない、と私が言えば魔理沙は紅茶には風流が無い、軽いんだとよくわからないことを言う。霊夢に淹れてもらえ、本物の世界がわかるぜ、なんて言うものだからますます反発してしまったものだった。
 結局のところ、私もまず緑茶の世界を理解くらいはすべきではないかと思い直して、いくつか試してはみたのだ。よくわからないからとりあえず適当に高い茶葉をいくつか買って、緑茶の淹れかたというものも勉強して。
 正直なところどれもこれも苦くて、本当にこれが美味しいのかという疑念はまだまだ強い。
 こんな状況で、お茶の味にもうるさそうな魔理沙に、私が淹れた緑茶を出すというのは大冒険だった。
 魔理沙は、ゆっくりと味わいながら飲み干していく。
 飲み終えて、ふう、と息を吐いて、言った。
「高いお茶だな。贅沢だ」
「……やっぱり、わかるんだ?」
「わかるさ。風味を殺さないように丁寧に淹れてるからな。合格だ」
 ――合格が出た。あっさりと。
 意外と魔理沙の採点は甘いのか、それとも私の腕に自信を持っていいのか。やっぱり緑茶の世界なんてその程度のものなのか――
「だが、殺していないだけだ。活かしてもいない。満点に届くまではまだ何年もかかりそうだな」
 甘くはなかった。
 仕方ないか。なに、そんな簡単に満点が出るようでは面白くない。またひとつ燃える目標ができただけのこと。
「ありがとな。ごちそうさま」
「あ……うん。お粗末様でした――って、もう食べないの? まだまだあるけど」
 一切れしか食べていないのに。いくらなんでもこの重労働に対してこれはエネルギー不足も甚だしい。という以前に、通常の状況であっても、かなりの小食だ。
「なんだ。もうなくなったかと思った」
「そんなにケチじゃないわよ……」
「ありがたい」
 魔理沙は私がまた取り出したサンドイッチを素直に受け取ると、またゆったりしたペースで食べ始める。
 私もそれを確認してから、同じようにもう一つ。
 ……やっぱり、サンドイッチについての感想はない。黙々と食べている。あまり気に入っていないのだろうか。私の料理は何度か食べてもらった(というか、作らされた)ことがあって、そのときは随分と褒めてもらっていたのに。
 こちらも、要勉強かもしれない。
 結局その後は静かに食事時間は過ぎていった。人形も、この間はずっと大人しく座っていた。


 休憩が終わると、探索の再開。午前中と同じように、寒い暗い場所を、暖房草を求めて移動し続ける。
 体力だけではなく精神力も磨り減っていく作業だった。時間が過ぎていくのに成果が出ないというのは、なんとも切ない。
 魔理沙が一緒にいるから、時々でも話ができるからやっていられるものの、一人でこんな作業をするなんてことは考えたくもなかった。
 ひょっとして、何も見つけられないまま帰ることになるのではないかと思い出してきた、3時ごろ。
 ようやく、目当てのそいつは、ひょっこりと姿を現した。
「きたぜ」
 魔理沙は、嬉しそうに笑顔を見せる。
 私はまず、やっとお目にかかることができたそれの外見をしっかりと眺める。市場に出回る頃には乾燥した状態になっているため、生えている暖房草を見るのは初めてだった。
 小さい。ちょっとした雑草のようだ。実際には雑草でも生き残れないような環境でしか育たない偏屈者だが。
 遠くから見ているだけだと、確かに見落とすだろう。小さいくせに、ぽつんと3本しか生えていない。
「……なんか、これのために何時間も凍えそうになって働いたと思うと、泣けてくるわね」
「これだけでも、二人分の一日の収入としては十分なものになるけどな。魔法には全然足りないけど」
「魔法使いって生き方がいかに浪費家そのものかよくわかる例ね」
「だから、自給自足してるわけだ」
 魔理沙の理屈は、今回はかなり正しいような気がする。
 とりあえず、いちいち魔法の材料を手に入れるのにこれだけの苦労が必要となれば、必然に研究も慎重になるだろう。無駄遣いの抑制効果はかなりありそうだ。
 ――いやいやいや。こうして自力で採集している魔理沙が、私よりもさらに浪費家なのはどういう理屈だ。
 魔理沙は、暖房草を根元から引き抜く。根を残しても同じ場所にまた生えることはまずないからな、と言いながら。つくづく、意地悪な草だ。
「ともかく、やっと見つけたわね。魔理沙の言い方だと何日もかかるって感じだったみたいだけど、運がよかったのかしら」
 かなり死にそうな思いをしたが、とりあえずは初日で見つかってくれた。
 これも、二人がかりだからこそかもしれない。と、思ったが、考えてみれば私は魔理沙の後をついているだけで戦力にはまったくなっていないことに、今更気づいた。ただで穴場を教えてもらったようなものだ、これでは。
 なんて、もう回想モードに入っていると、きょとんとした顔で魔理沙が私を見ていた。
 何か変なことでも言っただろうかと、目で問い返してみる。
 魔理沙は、よくわからないが、うむぅ、と唸りながら、大きく首を縦に振った。
「よしアリス。もう一度確認してみようか。何グラム必要だって言った?」
「10グラムだけど」
「そうだな。で、これ、どれくらいになると思う?」
 いきなりクイズだ。
 この時点で、ああ、まだ足りていないということなんだろうなと見当はついた。やはりそんなに甘くは無いということか。
 何グラムありそうかといわれても、小さくてよくわからない。10グラムくらいならあってもおかしくなさそうな気がするけれど。
「ヒント。10グラム必要ということは乾燥状態で10グラムということ」
「……これだと、5グラムくらいなのかしら?」
「よし。宣告してやろう。こいつは1グラムにもならない」
「ぶ」
 死の宣告だった。
 魔理沙は、呆気に取られた私の顔を見て、にやりと笑うのだった。
「10グラムは、重いぜ。少なくとも、どっかの神社の賽銭箱の中身よりも、確実に」
「悪い冗談だわ……」
「冗談じゃないぜ。この前確かめてきたが、糸くずとキャラメルの包み紙しか入ってなかった。両方とも私が入れた」
「いやそっちじゃなくて」
 博麗神社の経済事情になど興味はない。十円玉がこんなに綺麗になりましたという洗剤の実演販売と同じくらいどうでもいい。それより目の前に迫る悪夢が問題だ。
 ここまで約5時間半の捜索。見つけたのは1グラムにも満たない暖房草。素直に計算すると、大変なことになる。
「というか、山全体探しても10グラムも存在しないという話はないのかしら……」
「それはない。心配するな、山は広い」
「見えている希望は狭いけどね」
「捜索すべき範囲は、着実に狭くなっていくもんだ。さ、さくっと収穫して次行くぜ」
 魔理沙は元気だ。そして前向きだ。
 経験の多い魔理沙がこう言うのは、確かに救いではある。私との体力の違いは考慮はされていないだろうけれど。
「もう探し方はわかったろ? 特にこれ以上のポイントもないし、手分けしていこう」
 魔理沙の提案。
 この寒い中一人で作業することになるのかと思うとかなり辛い気がするが、しかし効率を考えれば妥当なやり方だ。というより、そうしなければ私の存在意義がまったくない。
 少し迷ってから首を縦に振ると、魔理沙は続ける。
「今日はあと2時間だな。2時間後、また昼の休憩場所に集合だ。時間はわかるな?」
「問題ないわ」
 魔法使いはとにかく手を出来る限り自由な状態にしておくのが理想であり、腕時計は普通はつけない。その代わり、時間を正確に知る手段はちゃんと確保しているものだ。
「よし。今日はもう見つからないかもしれないが、探した場所のチェックだけは忘れるな。あと、限界だと思ったら先に休憩場所で休んでおけ。これからまた急に冷えるからな」
 そう言うと、私にチョークと固形燃料を渡す。チョークは魔法使い用の特殊な蛍光体で作られているもので、魔力を辿れば遠くからでも光って見え、また表面がふき取られたりしても残留魔力で何日間かは痕跡を見ることができる便利アイテムだ。まさにこういった、数日間の間だけ目印として確実に残しておきたい場合にはこれ以上ないものといえる。魔理沙はチェックが終わるごとに近くの岩にこれで印をつけていた。
 固形燃料は……かなり、ありがたい、かもしれない。魔理沙の言うとおりこれから気温は急激に下がっていく時間になる。日の当たらない場所だから太陽の高度と周囲の温度はほとんど関係ないのではないかという気もするが、そうはいっても対流がある以上は影響を受けないわけではない。
 出来る限り時間いっぱいまで耐えようと思うが、一人だけで大丈夫なのかどうか。
 やってみよう。できれば、最後には魔理沙よりも多く見つけるくらいのつもりで。これまで見つけられなかった場所と、今回暖房草を見つけた場所と、何か違いがあるのか、地形、気温、魔力分布の点からこっそりとチェックはしてみたが、今のところまだよくわからない。サンプルが足りない。
「開始だ」
 魔理沙が先に飛び出す。
 私は少しの間その背中を追うように飛んでから、向きを変える。
 せめて1つくらいは見つけたいと思いながら、魔理沙よりも低い場所を探すことにした。


 成果。見つけた数、ゼロ。お互いに。
 幾分かは、これから捜索すべき範囲を狭くすることができた。それで十分だ、と魔理沙は気楽に言う。
 ともあれ2時間耐え切った。凍えそうではあったが、自分のペースで飛べる分、まだ朝よりは楽だった。時折でも風を避けて休憩ができるというのは大きい。
 これならいける。明日からもきっと大丈夫。
 帰り道がまた長い休憩なしの旅路だと気付いてちょっぴり泣きたくもなったが、頑張るしかない。魔理沙に「いけるか?」と言われて反射的に「平気よ」と答えてしまった自分の責任だ。……こういう癖は、実に、治しにくい。

 だけど、帰り道の途中からは、体も冷える暇がないのだった。
 これから魔理沙が泊まりに来ると思うと、緊張したり、何を話そうかシミュレートしたり、見られたらまずいものは本当に全部ちゃんと片付けただろうか(ベッドの下は安直過ぎたかもしれない)と不安になったりで、ずっとドキドキしていたのだから。


(つづく)