「―――では第1回勉強会を始めます」
「ああ………微かにお嬢様っぽい雰囲気に何とも言えぬ芳しき香り…香里の香り、なんちて」







少々お待ちください。







「改めて、第1回勉強会始めるわよ」
「わあ………香里、あそこまでしなくても…」
「相沢、鼻が変な方向に曲がってるぞ………」
「お姉ちゃん、ダメだよっ。絨毯が血で汚れちゃうからちゃんと片付けないと」
ずるずるずる………
どさっ。
相沢祐一、退場。



香里お姉さんの受験講座♪

〜第1話〜



「今日はまずは数学からだったわね」
何事も無かったかのように普通に勉強会が始まった。
「香里、この前の試験の凄かったね。びっくりしたよ」
「そうそう。凄いとは思ってたけどまさかここまでやるとはなぁ………」
「ありがとう。頑張ったからね」
名雪と北川の驚嘆交じりの絶賛に香里はすらりと返事する。
「北川君も12位だったじゃない」
「ああ…そうなんだけどな………45点で学年12位って何なんだ」
北川は香里の言葉にまんざらでもない顔をしながらも、複雑な声で唸る。12位と言っても香里の半分の点も取っていないのだ。
と、今度は名雪がゆっくりとため息をつく。
「二人ともいいよ〜………わたし一桁だもん」
もちろん順位ではなく、得点が。
「………頑張りましょう、ね?」
「あ、ああ、水瀬さん。大丈夫だよ、割とそんなもんだと思うから…っ」
「そ…そうだよね。こんな点でも下にまだ28人もいるんだしっ」
「………」
「………」
予想以上にヤバい順位だったらしい名雪に二人は申し合わせたように沈黙する。
ちなみに1学年440人だ。
だいたいから下に何人いるか数えて安心している時点で相当深刻な事態だろう…




「なあ、栞………」
「どうしたんですか、祐一さん」
顔が半分以上潰れていて目の前もマトモに見えない祐一はダイニングのほうで栞の隣の椅子に座らされていた。
「膝枕してくれ」
「唐突ですね」
「そんな回りくどく少しずつ分からせるように言うもんでもないだろう」
正しいんだか屁理屈なんだかよく分からない理由をぶつけてみる。
「…鼻血は、止まりましたか?」
「ああ、もう大丈夫だ」
「それならいいですよ」
栞は椅子に座ったまま、祐一に寄り添うようにぴたりとくっつく。
後は祐一が頭をそのまま寝かせれば完成という状態だ。
予想外にスムーズに事が運んで祐一はかえって戸惑う。物事の前の押し問答を一番楽しむタイプなのでちょっと寂しかったりする。
だからと言ってぐずってやっぱり気が変わったとか言われるとあまりに悲しいので素直に体を寝かせる―――
ふにょん、としたやわらかい感触が後頭部に当たる。ほとんど視界は開けていないが、最初に家に入ってきた時に栞が「そりゃ限界だろう」的な激ミニスカートなのは確認済みだった。よって素足の感触であることは違いない。
頬が足に直接触れるようにぐるっと頭を回転させてみる。
「ひょぁんっ!?」
その瞬間の微妙にくすぐったい感覚に思わず形容しがたい悲鳴をあげる栞。
「ちょ、ちょっと祐一さん…っ」
この栞の声が相沢祐一のいぢめっこ回路にスイッチを入れてしまった。
にやりと心の中だけで笑っておいて、痛む体を無理矢理動かして栞の膝に顔をぐりぐりと押し付ける。
ぷにぷにと返ってくる弾力が気持ちいい。
「わ、わわっ…何してるんですかぁっ」
肌の感触と栞の慌てた声が何とも言えず快感で、祐一はさらに加速する―――




カリカリカリ………
「香里、ここの問題なんだけど〜」
カリカリカリ………
「ああ、それはね…」
カリカリカリ………
<わ、わわっ…何してるんですかぁっ>
カリカリカリ………ぴた。
<あ、ぁん…もう、祐一さん………やめっ>
………………
<そ……そんなに押し付けないで下さい…っ>
<ああ………気持ちいいよ、香里…>
<わ、私は栞ですーっ!!>
………………
………
香里は無言で立ち上がった。
「いってらっしゃい〜」
「頑張れ、美坂」
何も言わなくても状況を完全に察した二人が、すたすたとダイニングへの扉に向かう香里を見送った。
そして普通に勉強を再開する。
「それで水瀬さん。整数問題っていうのはパターンがあって、大体の場合掛け算の式の形を作ってしまえば出来るんだ」
「掛け算?」
「うん、例えばこの問題みたいにmとnが未知の整数という場合だと―――」
<あ、お、お姉ちゃん!?>
「整数に整数を足したり引いたりしてもやっぱり整数っていうのはポイントなんだ。例えばm−3とかm+nなんてのも整数だろ」
<うぎょおわごぐぎょうべぐはぁお!?>
<わ、血が………>
「これだと、(m−2)(m−n)=5っていう式にまでもってこれればもう出来たも同然―――」
<お、お姉ちゃんストップっ!!目はヤバいよっ>
「整数同士を2つ掛けて5になる組み合わせと言ったら?」
「1×5…だよね」
<あ………オちた>
「うん。あと(−1)×(−5)も忘れちゃいけない」
「あ、そっか………」
がらがら………
扉が開いた。香里が何事も無かったかのようなすまし顔で戻ってくる。
「おかえり〜」
「お疲れ様」
そして、無言で座った。




「…か………おり…あ…………あい………し………てる……」
「………」
起きているのか寝言なのかも区別つかない祐一のうめき声を聞きながら、とりあえず患部を冷やすため氷水の入ったビニール袋を手で持って押さえている、栞。
何か空しくなって大きくため息をついた。
「…祐一さんは、お姉ちゃんの事好きなんですか?」
「……らぶ………ら…ぶ」
「―――こんな目にあってもですか?」
「そ…れが………また………いい…」
栞はさらに大きなため息をつく。
時々氷水を動かして冷えすぎないように注意する。
「…私もお姉ちゃんと同じこと、してあげましょうか?」
びくっ!
ほとんど動かない祐一の体が一瞬跳ねた。
頬を汗が伝い落ちる。
「…い、いや………えんりょ…しとく」
本気で怯えた祐一の声に、栞はくすっと軽く笑う。
「冗談ですよ。私はお姉ちゃんと違って優しいですから、そんな事しません」
ふっと祐一の体の緊張が解ける。結構本気で怯えていたらしい。
栞はそっと祐一の頭を撫でる。
「いいですよ…せめて今の間だけでも、私をお姉ちゃんだと思って甘えてください」
洗いたてのタオルで、顔の傷をそっと拭いた。
その優しい感覚を味わいながら、祐一は意識が落ちていくのを感じていた―――




「できたっ♪」
「おお。正解だよ」
「良かったわね」
「うん♪香里と北川くんのおかげだよっ」
名雪は本当に嬉しそうに目を輝かせて二人に礼を言う。
「あたしよりも北川君のほうが教え上手みたいね。あたしも見てて感心したわ」
「そ、そうか…?照れるな……」
「うんっ!北川くんすっごく分かりやすくて良かったよ〜。またどんどん頼ってもいいかな?」
「お…おう。任せとけ」
少し恥ずかしそうに頭を掻く。
北川はこの日に一気に株価を急上昇させていた。
なんとなくちら、と香里のほうを見てみる。名雪の反応よりもそっちのほうが気になるという正直な体の反応だった。
香里のほうは…特に反応なし。
北川は少しがくりと肩を落とす。と、同時に、そんなもんだろうと自分に言い聞かせて一瞬で立ち直る。
ずっと片想いしているだけあってさすがに打たれ強かった。
そんな北川の様子に今度は名雪がちょっとつまらなさそうな顔を見せている。
微笑ましい光景が繰り広げられていた―――




「祐一さん………」
「………う…ん」
「そろそろ起きないと、またお姉ちゃんが戻ってきますよ。お勉強会も終わったみたいですし…」
「…………」
くす、と小さく微笑む。
「私は、このままでもいいんですけどね」
「良くないわよ」
「あ………お姉ちゃん」
戻ってきた香里の姿に、ちょっと残念そうな栞。
「栞もあんまりこんな変態なんか甘やかさないの。もうみんな帰るんだから早く起こして」
「あ………でも、まだ怪我が…」
つかつか…
さくっ。
「わ…」
びくっ!!!
「…ッ!?」
香里が祐一の体の一部を突くと、祐一は体を大きく跳ね上げて起き上がった。
「…っ!!!っだあぁっ!?な、な、なななんだっ!?」
パニックになって悲鳴をあげる祐一…
「ほら、もう目が覚めたでしょ。とっとと居候してる家に帰りなさい」
「うわなんかこう痛いというか背中の中から何かどろどろしたものが外に出たがっているようなっ!?」
「お、お姉ちゃん、すごく痛そうだよ…」
「例えるならそうこの痛みは恋の板ばさみ状態の激しさに似た―――」
「うるさい」
げす。
「あびゅっ」
「わぁ………それは……」
………………………
………………
………




………すと………すと………
「ねえ、祐一」
………すと………すと………
「北川くん、思ってたよりずっと頭いいんだね。教え上手だし」
………すと………すと………
「もっと早くに気付いていればなぁ……でも、香里に教えてもらってたからやっぱり一緒かな?」
………すと………すと………
「………」
………すと………すと………
「………全治、3日くらいかな…」
………すと………すと………
………すと………すと………
名雪は、焦点の合わない目でただ機械のように歩きつづけるかつて祐一の顔だったものを見つめながら小さくため息をついた。


続くっ


【なかがき】

栞はこのシリーズお姉さん系キャラ決定(何故…)
とりあえずシリーズのほのぼの(ラブ?)担当ということで(笑)

なんだか北川くんが異例なくらいいい扱い。どうしたんでしょうって位。
そのぶん祐一が今回はひたすら酷い役柄ですが(^^;;;;
名雪が微妙です。
というか「香里お姉さんの受験講座」じゃなかったのか!?(汗)第1話からこれか………