「おお!?いったか!いったか!?…よっしゃー!やっぱお前には野球だよな山下ーーーっ!!くう、燃えるっ!!」
「久瀬さん、コミックバンチ読みながら叫ぶのは控えてください」
「むぅ」
生徒会室の奥部屋は資料室として使われている。久瀬はこの場所が学校の中で一番のお気に入りだった。
周囲から音が遮断されているため静かに集中する時には最適であり、逆に、少々騒いでも外には聞こえないため「このような場合」にもまた便利なのだった。
副会長に冷静にツッコまれた久瀬は小さく唸る。特に反省するでもない。
それは、いつも通りのやりとりだった。
「久瀬さんにお客ですよ。外出用モードに切り替えてください」
「ほう…客か。よし、通してくれ」
「もう切り替わってますね…」
いつの間にか週間マンガ雑誌も引き出しに片付けてぴしっと決めている(心なしか髪もさらっとしている)久瀬に呆れつつ、副会長は手前の部屋のドアに向かって歩いていった。
久瀬もすぐ後につく。
「あ…失礼、します」
そこには、小さな女の子が立っていた。
見たことのない、ではなく。むしろ、今一番個人的に力をいれている事項に関わる女の子。
軽く微笑む、久瀬。
「ようこそ、美坂さん。何かお困りですか?」





作用・反作用の法則。
ニュートン力学第3法則。
作用に対して反作用は常に逆向きでその大きさは等しい。



かつ、かつ………
各々が静かにシャーペンをノートに走らせる音がタイミングをずらして重なり、連続的な音になる。
「…うぅ?どうしてここで垂直抗力が大きくなっちゃうのかな?」
「ん、ああ。それは土台になっているほうに加速度がかかっているからな。つまり――」
かりかり…
勉強会は、静かに進行してゆく。
時々交わされる言葉も、勉強に関する事に限られている。いよいよ試験が近いという緊張感が全体に漂っていた。
かりかり、かりかり…
「………」
かり………
ふと、隣を覗き込んで、香里が手を止める。
「どうしたの、栞?疲れた?」
少しぼーーっとしていた栞は、声をかけられて目をぱちっとさせて驚く。
「あ…うぅん……ただ…」
どこか、上の空の様子で。
ノートを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「祐一さんいないと…ちょっと寂しいかな…」

…ぴた、と。

ノートへの書き込みの音が一人ぶん、減る。その呟きの残響が部屋に残る…
香里は、つまらなそうにそっぽを向いた。
「…勉強がはかどって、ちょうどいいじゃない」
「そんなに邪魔していたわけじゃないよね…?」
伺うような声。
かすかな異常を感じて、北川と名雪も勉強を中断する。視線が栞のもとに集まる。
一瞬にして静寂が訪れた。
あ………と、栞が微かな声を喉の奥で鳴らす。
「ごめん…なさい、私が邪魔…してますね」
目を伏せる。
手を止めた二人を見て半ば萎縮している。
「まったくね。栞、進級かかってるんだから余計な事気にしてないでマジメにやんなきゃダメよ」
香里の声は、無機質で冷たい。
「わ、香里、そんな言い方しなくても――」
「だいたい栞だってアイツに酷いこと言われたんでしょ?勉強中に隣にいたりしたら気が散って集中できないに決まってるわ」
放っておけず口を開いた名雪の抗議も遮って、まっすぐに栞に向かって攻撃する。
その言葉の中には少なからず苛立ちが含まれている…そう、栞は感じた。
俯いて、ゆっくりと口を開く。
「あの時は、私も祐一さんの事情もロクに聞かないで…私も………」




香里お姉さんの受験講座♪

第7話




「そういうわけで、今度からやっぱり来て」
「…どういうわけだ」
朝、教室に入るなり香里からかけられた第一声がそれだった。
鞄すら机に置く前に。
「説明するつもりはないわ。あたしを不機嫌にしたくなかったらハイって答えて」
投げやりに言い放つ。
(既に十分不機嫌なんじゃ…)
…と、全国の3年B組にアンケートを取ったら98.4%はそう答えそうな低い声。
いつも、祐一の首を締めたり、祐一の足の親指の付け根にある毛を思い切り引っこ抜いたりする(祐一曰く「この世で2番目の痛さだ」)時でさえ、その気になれば笑顔すら浮かべる事が出来る香里とは思えないほど厳しい目つき。
さすがに祐一も、一歩引いて警戒する。
…が、すぐに、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
「そうか、なるほどな。全く、素直に表現できないってのは不器用なことだよな…やっぱり俺がいなくなって寂しいことに気付いたん――」
「相沢くん、ちょっと右手を机の上に出してくれるかしら。掌を机にくっつけて、指を広げて」
今度は……微笑んでいた。
薄く、柔らかく。
「…嫌な予感がするんだが」
「気のせいよ」
「さりげなく取り出した鉛筆がやたらに気になるんだが」
「あ、指は思い切り広げたほうがいいわよ。狭いと難しくなるから」
冷や汗が頬を伝う。
「…も、もちろん、削ってないほうを使うんだよな?」
「何のために思い切り尖らせてると思ってるの?上級者なら彫刻刀――」
「ごめんなさい。先程の発言を撤回いたします」
一瞬の間も置かず、祐一は深く頭を下げた。
「………そう」
しばらく考え込むように動きを止めていた香里が、返事と共に、手をすっと引く。
軽く、ため息をついた。
「なんか残念そうなのは気のせいか…?」
「気のせいじゃないわよ」
「むしろそこは肯定して欲しかった」
先をこれでもかという程に鋭利に尖らせた鉛筆を静かに筆箱の中に収め、机にひじをつく。
つまらなさそうに前を見る。もう話は終わったと言わんばかりの態度だった。
…どこか、寂しそうな目にも見えたのは。
間違いなくきっぱりと容赦なく気のせいだろう。
「…えーと。それで、なんでそんなに不機嫌そうなんだ…?」
「約束してほしい事が、二つ」
恐る恐る尋ねた祐一に、香里は目を合わさず即座に返事を返した。
前を見て話しているので、一瞬それが返事であることさえ気付かなかった。
「勉強の邪魔はしない事。とにかく勉強の時は大人しくしてて。…あたしは別に相沢くんの存在自体が邪魔だなんて言ってないんだから…」
「………………え?」
「ほら、聞き返さないの。返事はイエスかハイか我是かどれかで答えればいいの」
「う、…イエス」
「日本語で答えなさい」
「ええっ!?」
祐一の頭の上に「がびーん」という文字が落ちる。
…ようなイメージでショックを表現してみる。
「次。………栞は絶対に悲しませない事。この前みたいな事があったら今度は――捻じ曲げるわよ」
「捻じ曲げるっ!?」
「2回転半くらい」
「ナ、ナニヲデスカ…」
冷や汗が頬を伝う。
香里は何やら手首を捻って「何か」を曲げるジェスチャーを示している。
意味不明の悪寒を感じて、祐一は、気がつけばぶんぶんと思い切り首を縦に振っていた。
もとよりその内容に反対するつもりも理由もない。
「そして次、栞が何か困ってるようならちゃんと協力すること。あたしよりも相沢くんの言う事のほうが素直に聞くんだから…悔しいけど。気にいって買った服が直後に行った店で2200円安く売ってた時と同じくらい悔しいけど」
「また微妙な悔しさだな…。ていうか約束して欲しい事は二つだったんじゃ」
「そして次――」
「ちょっと待て」
「待った無し」
容赦無し。
…と、香里が普通に言葉を続けようとしたところで、チャイムが鳴った。予鈴。
一度言葉が中断される。
「おはよーっ♪」
タイミングよく、二人にかけられる声――
「…そういえば」
香里は声をかけた方向すら見ないまま反射的とも言える速さで呟く。
そして、ちらりと横目で確かめる。
「今日は一緒じゃなかったのね」
「おはよ、香里〜」
そういえば、祐一は今日はひとりで登校してきていた。
すぐさま話し出したのでその時は何とも思っていなかった香里だが。
「お…おはよう、美坂」
今日、いつもの天然過睡眠症候群猫系美少女陸戦型仕様名雪の隣にいたのは、いつもの顔ではなかった。
「い、いや、たまたま登校途中で会ってさ…っつーか相沢、お前な…っ」
「すまんすまん、用事は終わったから別に俺の事心配してくれなくていいぞ?」
「誰が心配するかっ」
名雪と一緒に教室に現れるなり、一言誰に向かってかすら分からないような弁明をしてから祐一に食って掛かる北川。しれっととぼけた態度で普通に挨拶する祐一。
北川の顔は誰が見てもわかるほど真っ赤になっている。…それは決して怒りのためだけではないだろうが。
「…どういうこと?」
香里が、少しだけ興味を持ったように二人に割り込む。
「ん、別に、今日名雪と登校中に北川に会ったから急用を思い出して先に学校に来ただけだが」
「なるほどね」
「なるほどじゃなくてっ!何が急用だ…お前あんな事されて残されるほうになった気持ちが――」
「…潤くん、わたしと一緒になんか歩きたくないの…?」
「……ぅ!?」
教室に入ってから、意識して目を向けなかった方向からの声。
探るような瞳が、北川をまっすぐに見つめていた。
「そ、そういうわけじゃ…」
激しい動揺。
「そういえばあたし今日日直だったわ。職員室に日誌取りに行かないと…相沢君、手伝ってくれるかしら?」
「おう、喜んで」
「って、ちょっと待てーーっ!!日誌なんて一人で取ってこれるだろっ」
こんな時に限って息をぴったり合わせて二人立ち上がった香里と祐一に、あわてて突っ込みを入れる。
無論、当然のようにその言葉は無視して、あっという間に二人で教室の外まで出て行ってしまった。
半ばパニックになる北川と、何も気にせずそれをまっすぐ見つめる名雪。
「あのね、潤くん。わたし――」



「随分と開き直ったのね」
「んー…まあな。ああなったら名雪は止まりそうにもないし。そこんとこは香里のほうが詳しいだろ?」
「…そうね」
廊下に出て、若干は教室の中で行われている会話を気にしながら、二人で職員室に向かう。
特に無理をしている様子でもなく、祐一はさっぱりとして言い切った。
「別に根拠があるわけでも無いんだが、よく分からんがなんとなく北川これから苦労しそうだなーという気がするな…」
予鈴が鳴っているので足取りはやや速め。
さほど遠くはない職員室はもう目に見える場所にある。
「で、約束してほしいことの続きなんだけど」
「本気でまだあるのかよ…」
なんだか嫌な方向に話が行きそうな気配を感じて、祐一ががっくりと肩を落とす。
「簡単な事よ。この前の…栞が相沢君の事叩いた事、許してあげて。むしろにっこり笑いながら”いい平手だったゼ。ドウダイ一緒ニ世界を目指シテみないカいHAHAHA”くらい言える余裕さを持って」
「そんな余裕さ欲しくないです香里お姉サマ」
ばき、と肘鉄が祐一のあごに食い込んだ。
あまりに速い攻撃にまるで無防備だった祐一は危うく舌を噛みそうになる。
「お姉様と呼ぶのは7年早いわよ」
「………7」
…年後ならいいのか、と思わず言いかけたが、さらに危険な事になりそうだったのでやめておく。
「栞も、その事でかなり落ち込んでるみたいだから。結局人を傷つける行為は自分も深く傷つけてしまうって事よ…あたしもそうだから、よく分かるわ」
「………………嘘だ……」
ばん!
今度は足の小指あたりを狙って思い切り踏みつけた。
あまりの痛みに悲鳴も出ない。
「…心が痛いわ」
香里はそのまま失礼します、と言って職員室のドアを開けた。



続く。



【なかがき】

た、大変お待たせしました…(あせっ)
香里お姉さんでございます〜〜〜〜
うーん。なんか受験関係ないし。
でも香里の存在感はちょっと出ました?出ましたよね?出たって言って下さい…っ………そしたら私バカだから、きっとすぐに信じちゃうから…(誰)

よーやく終わりが近づいてきました。相変わらず予定より進行がとろとろしてるので1,2話くらいは伸びそうな気配もありつつ…
次回が一応クライマックスということになるはずです。はずです。ハズデス。
…届かない可能性も…

しかし暴力描写の多いSSですねー(他人事みたいに)
香里は毎回何かしらしないと気がすまないみたいです。さすがです。

ではでは、失礼しました〜〜
また次でお会いしましょうっ