死者の世界は空気の流れが遅い。以前に来たときにも感じたが、本当に時の流れる速度が異なっているようだ。
 加えて周囲の風景が単調なものだから、こうしてずっと飛んでいると眠気も襲ってくる。前回来たときは絶えず敵襲があったからちょうどいい退屈しのぎになってくれたが、それが無くなってしまえばもう、ここは実に退屈に満ちた世界だった。
 周囲に動くものといえば、たまに空を彷徨う動物の霊がうっすらと見えるのと、隣を平行して飛んでいる、頭の中が年中春のおめでたい(そして何の道具も使わず平気な顔で魔理沙の飛行速度についてきている非常識な)紅白巫女が一人くらいのものだ。
 空白だらけの世界を二人で飛んでいく。
 何もない。
「暇ねー」
 イベントといえば、たまに、隣の巫女が話しかけてくるくらいで。
「そうだな」
「ねえねえ。久しぶりに短距離レースでもしない?」
「短距離って、どれくらいだ?」
「100kmくらい?」
「……勝てない戦いは、しないぜ」
「あら弱気」
「てーか、自分の得意ジャンルで勝負申し込むってのは反則だろ」
 飛行は紅白巫女――霊夢の最大の特技である。他にも非常識な能力を数々持っているが、これがやはり突出して目立つ。
 魔理沙ももちろん魔法の一つとして箒に乗った飛行が可能だが、あくまで推進力は魔法であり、飛行中まったく消耗しないわけにはいかない。魔理沙が見る限りおそらく無限に飛び続けられる(そして今のペースを余裕で維持できる)霊夢と勝負などできるはずもない。逆に言えば魔法の力を瞬間的に引き出せば本当に短距離ならば勝てる望みは、ある。実際、お互いが戦闘モードに入った状態では、明らかに魔理沙のほうが動きが速い。もっとも、それが霊夢の闘い方であるというだけであって、速度の限界を示しているものであるとも思えなかった。
 とはいっても、それなら何の勝負なら勝てるのかと考えると悩むものだ。
 魔法関係の勝負だったら当然魔法使いである魔理沙の独断場だろうが、それでは何の意味もない。――いや、下手をすると、魔法なんか無しでも魔理沙と同じようなことを平然とやってのけかねない存在なのだ、霊夢は。割と長い付き合いになるはずなのだが、未だにこの巫女の底は見えそうにない。本気で正面から闘いあうことなど、できれば考えたくない。
 霊夢がこの勝負をふっかけてきた理由は、明快だ。別に有利な勝負で勝って気分よくなろうと思っているわけではない。要するに、暇なのだ。退屈なのだ。退屈は彼女の最大の天敵である。
 そんなわけで、そんな勝負でもやってみていいかなとさえふと思えるほどに、魔理沙もまた退屈していた。
 死者の世界など来るものではない。改めて思うのだった。
 本当に、とても、やっかいな事件が起きているとは思えない静けさだった。








    魔法使いのロジック【虹】








 さて、今回のことの始まりは霊界に住むお嬢様の、神社への訪問からだった。
 死者が神社に参拝に来るのか? と考えると妙な話だが、何のことはない、もともとこの神社に参拝に来る者などほぼ皆無であり、大抵はここの主である霊夢に会いに来たり霊夢と遊びに来たり霊夢で遊びに来たりする主に黒い魔法少女だったりするものだ。今回もそんなわけでたまたま霊夢と魔理沙がその場に揃っていた。
 西行寺幽々子は、少し前のある出来事で知り合った仲だ。友達というほど仲良しではないが、とりあえず顔見知りであり、会えば遊ぶこともあるかもしれないという程度の仲である。
「暇でしょ? なんとかしてくれないかしら」
「いきなり意味不明だな、幽霊」
 霊界の人間というのは、どうにも唐突だ。時間がゆっくり流れている世界に住んでいるくせに、やたらに結論を急ぐ。言葉が足りない。いや、霊界が云々ではなく幽々子の性格のような気もするが。
 ともかくも幽々子は、この場の主であるはずの霊夢の存在を完全に無視して、魔理沙に話しかけてきたのだった。
 そして、魔理沙よりいい反応を見せたのは、霊夢のほうだった。
「なになに? 面白いことかしら?」
 つい先程まで、いつものように退屈ねぇとつぶやきながら魔理沙の魔法アイテムコレクションから適当にいくつかを物色していたところである。この状況では誰であろうと乱入者は歓迎される。
「どうも少しずつ住民が減ってってるような気がするとは思っていたんだけど。ねえ、やっぱり住民を取り戻すには、減税が一番かしら」
「あなた、いつからあそこの領主になったのよ。……税なんて取ってたの?」
「でね、調べてみたら、ずっと離れたところに霊界の住民が集中しててね。そこだけ凄い人口密度よ」
「無視するとはいい度胸ね……」
 幽々子の会話ペースをまだ理解していない霊夢が、不満げに口を尖らせる。
「近くに寄ってみて、理由がすぐわかったわ。で、あれを壊してほしいわけ」
「よし、わかったぜ」
「わかったの!?」
 順に、相変わらずマイペースの幽々子、神妙に頷いてみせた魔理沙、即座に驚き表明の霊夢。
 魔理沙は親指をびしっと上に立ててみせる。
 二人はいつの間にそんな以心伝心になったのか。その答えは。
「とりあえず、壊せばいいんだろ?」
 言葉以上のことは何も伝わっていなかった。
 そして伝えたほうも、やれやれとため息をついてみせる。やれやれというのは、掌を上に向けてくいくいっとやる、あの挑発的極まりない動作だ。馬鹿じゃないの? と言わんばかりの。
「ただ壊すだけなら私が自分でするわよ。何もこんなところまで頼みに来なくても」
「よし、わかったぜ。ケンカ売りに来たんだな?」
「魔法には魔法使いってことなのよ。あんな魔力の塊みたいなもの、普通に壊したら恐ろしいことになるじゃない」
「……お願い、二人とも、ちゃんとわかる会話に持ってって」
 幻想郷の会話は、いつもマイペースだった。
 どこかで歯止めをかけないとすれ違い続けるのが、風流とされている。


 幽々子の説明は、要するにこういうことだった。
 霊界のある場所に、一人の元人間の霊がいる。
 その元人間が、強力な結果を張って立て篭もっている。結界は、内側から外側に魔力が漏れるのを防ぐものであるらしい。魔力というのは、その元人間から常に放出されているものだ。
 しかし結界は不完全で、魔力はどんどん結界の外に漏れ出しているのだった。
 魔力は死者のエネルギー源にもなり得る。無限のエネルギー供給装置を得た近隣の住民たちが、次々にそこに集い始めた。中には近づきすぎて結界からの攻撃を受けて消滅(死亡、ではない。すでに死んでいるのだから)する者たちも続出したが、最近では安全な距離が完全に判明しており、結果、この元人間および結界の周囲は死者たちの溜まり場となっていた。

 さて、強力な魔力はエネルギー源でもあり、過剰となれば毒でもある。いわば栄養素の一種だ。
 留まるところの知らない魔力の供給量に耐え切れず発狂する死者たちの続出。気がつけば、そこは地獄の一種と化していた。発狂し始める者が現れるまでにタイムラグがあり、既に多くの死者たちがそこに集まっていたことが災いした。かくしてそこは戦場となった。ある者はその場を離れ、得た魔力をもって近隣を蹂躙し始めた。ある者は結界に飛びつこうとして同じように消滅させられた。
 霊界の管理者たちが事態に気付き始めた頃には、既に大事になっていたのだ。
 そして問題の結界の処分には誰しもが頭を悩ませることになる。要するにこの元人間が問題の発生源であり、それを「壊して」しまえば魔力の供給がストップして問題を収束させることはできるのだが。
 結界の内部は想像を絶するような濃密な魔力の塊になっているのである。
 普通に結界を壊してしまうとどうなるか。想像に難くはない。
 いわば、魔力爆弾がそこにあるのだ。
 必要な処置は、破壊ではなく、解除である。


「庭には庭師、餅は餅屋。魔法には魔法使いでしょ」
「にわにはにわしって言いにくいよな。どうでもいいが。魔法使いってことで私のところに来たその了見は褒めてやろう」
 ここまで会話が通じるまでにかかった時間はどれほどのものだったか。
 状況を理解した魔理沙は、少なからず興味を示していた。魔法使いたるもの、無限の魔力と聞いて黙っていられる者などいないだろう。しかもその発生源が自分と同じ人間だというのだから。
「で、もちろん、なんとかできるんでしょう?」
 幽々子が何故か偉そうに言い放つ。いつもの態度といえばいつもの態度だ。
「ああ? そんなの、やってみないとわからないぜ」
「なんとかしてよ」
「するぜ。ただ、私も無料奉仕できるほど安い女じゃないんでね。わかるかい?」
「……体で払えとか、そういうのはお断りよ。私はあなたと違ってそういうの好きじゃないんだから」
 げげ、と言わんばかりに一歩身を引く幽々子。
 魔理沙は、呆れ顔でその反応に応える。
「冗談はよせっての。私は死体にゃ興味はない」
「論点がずれてるずれてる」
「なんか報酬があるだろってことさ。ギブアンドテイクが社会の掟だろう?」
 相変わらず身を引いたままの幽々子に人差し指を突きつけて、びしっと決める。
 幽々子は、少しの間考え込んで。
「その人間の姿、遠くからしか見えないからあんまりよくわからないけど、近くまで頑張って寄ってなんとか戻ってきた子の話だと、何かアイテム持ってる可能性があるって言ってたわ。それが本当の魔力源なんじゃないかって話もあるわよ」
「決まりだな。そいつを貰っていいんだな?」
「いいわよ」
 話は決まった。
「じゃ、行くか」
 決まってしまえば行動は迅速。魔理沙はすぐにでも行けると態度で示す。
「遅いわよー。もう待ちくたびれちゃった。行くんでしょ?」
 少し離れたところでは、お札をたくさん手に持った霊夢がむくれていた。
 誰よりも準備万端だった。
 彼女に報酬など必要はない。退屈しのぎになるような事件が最大の報酬だった。魔理沙は肩をすくめる。
「まあ、私が魔法のプロならあいつは結界のプロだ」
 なんとなく、幽々子に説明を入れておいた。





 しかして、今に至る。
 幽々子は途中で「ここからずっと真っ直ぐ行けば着くわよ。それじゃね」と言い放って帰っていったのだった。私の帰り道はこっちだから、と当然のように。
 それから数十分、飛び続けている。
 何もないような世界だったが、しかし確かに少しずつ空気が変わってきていた。その正体が一つは魔力の余波であることに魔理沙は気付き、もう一つは死者たちの無念の念であることに霊夢は気付いていた。
 確かに何かが起きている。ここまで来れば確信できる。
 何よりの証拠は――
「ん」
 魔理沙が小さい動作で、ひょいっと飛んできた霊弾を避ける。
 次の瞬間には今までとは比較にならないような高速移動で霊弾の塊を抜け、その発生源に魔法を命中させ、撃退する。
 隣では霊夢も同様に――というより、ほとんど動かないまま周囲に集った霊をお札であっさり退治していた。
 突然の敵襲から、わずか数秒。また静寂。
「近そうだぜ」
「そうね」
 ここから先は今までのようにはいかない。
 とても、楽しめそうだ。
 二人は敵襲の存在にも関わらず今までの速度をそのまま維持して進み続ける。もとより、より強い能力者に道具として使われているだけの意思のない魂など、障害物でさえない。楽しめそうなのは、この先に控えるはずであろうこの魂たちのボスの存在である。
 魔理沙は今まで多くの難敵と闘ってきたが、魔力の過剰摂取で発狂した相手などというのは過去に対峙した経験がない。どのような症状になるのか、知っておく価値はある。
 加速度的に増え続ける霊の襲撃を、全く意にも介さず次々に退ける。
 数の暴力で攻めてくる敵の攻撃が花火のように視界を埋め尽くすような状況になろうとも、魔理沙は一歩早くその場を離脱して相手達の死角に攻め入り、霊夢は攻撃など全く気にしないようにその場に留まりながら、本当に当たりそうなギリギリのところになって初めて身をひねるように避ける。その繰り返し。
 そのうちにこの無意味な敵の攻撃は終わる。
 これでは何の意味もなく戦力を消耗するだけだとやっと相手が気付く頃だ。いつもならば。
 そして、その後は。

「何者だ、おまえ達は」
「来たぜ」
「わかりやすいパターンね」
 こっち側に来てから、初めて会った言葉を喋る相手。
 はっきりとわかるほどに全身からあふれ出している魔力。まるで制限が効いていないことが魔理沙には一目でわかる。
 間違いなく、先ほどまでの魂たちのボスだ。
「何者か、だとさ。何にしておく?」
「巫女と魔法使いじゃないの?」
「まあ、そりゃそうだが、せっかくだからコンビ名でも作っておけばよかったかね」
「赤と黒」
「見たまんまだ」
「おい、おまえ達……その、アレだな。余裕だな。寂しいぞ」
 しょっぱなから流されまくってしまったボス――見た目には燕型の妖怪の少女、がちょっと落ち込んでいる。
 出鼻をくじかれてしまっては、やる気も減退するというものだ。
「おお、すまんね。ついこいつのペースに合わせてしまったぜ」
 魔理沙は隣の巫女を指差しながら。
「いいけど、別に」
 霊夢はいつものようにのんびりと受け答え。
「あのな……どの言葉が遺言になるかもしれんのだぞ? ちゃんと格好いい言葉を考えておけよ」
 はあ、と妖怪少女がため息をひとつついて。
 その体の周囲に、魔法弾が次々に生み出されていく。青白い閃光が、あっという間に周囲を照らすほどの強さに膨れ上がる。誰がどう見ても、攻撃体勢だ。
 魔理沙もまた、箒の角度を下げて、戦闘に備える。
「問答無用ってのも、嫌いじゃないぜ」
「それなら、遠慮なく行かせてもらう」
「ああ、いつでも――」
 ぶぉん、という音が耳元を掠めた。
 いつの間にか放たれた魔法弾の一つが、魔理沙の帽子の端に触れながら、後方に流れていった。大抵のことでは傷一つつかないようになっているこのお気に入りの帽子が、少し、焦げた。
 燕型なだけあって、その魔法の速度も、速い。
「……」
 魔理沙は、少し体を固くして、冷や汗をかく。
 なるほど。これが魔力爆発の症状というわけか。確かにとてつもない魔力のようだ。
 同時攻撃で霊夢のほうにも魔法が放たれたようだったが、こちらも全く微動だにしていなかった。動けなかったのか、当たらないと知って動く必要がないと判断したのか、魔理沙にはわからない。
「言っておくが、こんな程度で戦意喪失されてもらっては困るぞ?」
 にやにやと、嬉しそうに、燕。
 あー、と小さく呟いて頬を小さく掻いてから、魔理沙は、逆ににっこりと可愛らしいほどの笑顔を返した。
「あんたは、運がいいな」
「ん?」
「あんたの目の前にいる二人は、幻想郷でも最強のタッグだ。普段なら組むこと自体が反則なくらいのな。こんなのと戦えたなんて、孫の代まで自慢できるぜ」
「へえ、そうかい」
 燕はその言葉と同時に、先程のものと同じ魔法弾を一気に8つ、発射させた。一瞬にして世界が真っ白に染まる。
 魔理沙と霊夢もまた、同時に動いた。それぞれ反対側に。


 燕の攻撃は、極めて高速かつ一つ一つが致命的な攻撃力を持っていたが、全てが直線的だった。その事実はすぐに見抜いた。
 とは言え、発射の予備動作も無く、発射間隔も短い。見切るには、発射前の魔力の微妙な流れを感じ取るしかない。そのうえで攻撃のルートを予測して素早く離脱、これを繰り返し行わなければやられてしまう。
 魔力を感じ取る能力などおそらくは持ち合わせず、高速離脱を行うことの少ない霊夢にとっては天敵のようなタイプかもしれない。それでも魔理沙は霊夢を心配して振り返るような素振りは全く見せず、敵の攻撃と一瞬の隙にのみ集中した。心配などする意味は全くない。むしろ、どのような戦い方で見事に切り抜けていくのかを見てみたいという誘惑と戦わなければいけない程だった。
 閃光が一瞬前まで魔理沙がいた場所を通り抜ける。その余波で服がはためく。
「ふっ」
 移動先の位置を襲った魔法弾は、箒を思い切り傾けてなんとか避ける。
 さらに次の一発をアクロバティックな飛行でぎりぎりを掠るように避けながら、速度を一気に上げて間合いを詰めていく。
 魔力の流れと発射のタイミング、そして相手の癖は少しずつ読めてきた。しかし、現状ではまだそれだけだ。一瞬の隙の間に何度かジャブのような攻撃を放ってはみるものの、いずれも簡単に避けられた。この距離では到底当たらない。攻撃も、回避も、相手のほうが数段速い。もっと近づいて、逃げ場を狭くしつつ十分な速度の魔法を放たなければダメージを与えられそうにない。
 しかし――
「ちっ……」
 接近するにつれ、当然相手の攻撃を避ける余裕も無くなっていく。
 今は思い切って一気に距離を詰めてみたが、加速初めのタイミングに魔法弾を撃たれ、一瞬反応が遅れた。あと少し体をひねるのが遅ければ直撃していた。下部がほんのりと焼け焦げたエプロンを一度だけ見やってから、再び退却して距離を空ける。
 燕の戦闘法には戦略も何も無い。圧倒的な火力で相手を消し去るまで純粋に力押しだ。
 この手の相手には、通常ならば、持久戦に持ち込んでエネルギー切れを待つ戦略が有効である。短距離走のタイプには持久戦が鉄則だ。しかし、魔理沙の見る限り、燕の体からあふれ出している魔力が少しでも減っていっているようには思えなかった。
 魔力爆発というものの凄まじさを思い知る。
 もっと、完全に見切って、一瞬のうちに間を詰められるようにしなければ、勝機は無い。


 全く同じような攻撃が、霊夢にも襲い掛かっていた。
 霊夢は、避けない。霊夢の戦い方は、避けるのではなく、弾のほうを逸らす。自らの周囲に張った結界によって、微妙に攻撃の軌道を逸らすのだ。
「大したものだわ」
 攻撃を一つ一つ逸らしながら、霊夢は呟く。
 魔法を使う相手と戦ったことは何度かあった。人間の魔法使いである魔理沙もそのうちの一人である。今対峙しているこの燕の攻撃は、火力だけなら魔理沙に引けを取らない。こんな攻撃を、ひたすら放ち続ける魔力とはどれほどのものだろうか。しかも、二人を同時に相手にして。
 これでは容易に近づくこともできないだろう。結界も無限に有効なわけではない。
 霊夢はお札を少しずつ結界の周囲に集めていく。慎重に、攻撃の準備を進める。
『散』
 念をこめながら呟くと、お札が一斉に空中で直立し、あらゆる方向を射程圏に入れる。
 相手の魔力は、魔理沙より上だ。尽きることはないだろう。
 攻撃力も、その速度も、魔理沙より勝っている。二人がかりでも、簡単には勝てない相手だ。
「でも、残念。それでも、あなたよりは魔理沙のほうが強い」
 この言葉が燕に届くことはないだろう。叫びでもしない限り、この場で普通の声など誰にも届かない。
 強力な魔法の攻撃。確かにやっかいだ。それでも、まったく恐れる必要はない。
 本当の、圧倒的な魔力集中による一撃を、霊夢は知っている。あれに比べれば所詮はただの考えなしの連発など、前菜のようなものだ。魔法とは、この程度のものではない。霊夢は知っている。
 十分に距離を保って、消耗の無いように攻撃を逸らし続けながら、攻撃の準備をゆっくりと進めていく。
 さあ、もう十分だ。
 無数のお札が、赤く輝く。


「!」
 今まで無抵抗だった霊夢の方向からの攻撃を察知し、燕は軌道の予測に入る。
 無数のお札は……しかし、一枚として、燕に向かってくるものは無かった。適当にばら撒かれただけのような、無意味に思える攻撃。
「なんだ、方向の制御もできないのかい?」
 ならば、気にする必要などない。当たりそうなものだけ避ければよいだけの話だ。それも、万一当たったとして、大したダメージになるようにも思えない程度の力しか感じない。
 すぐに気持ちを戻して、今の一瞬の隙に大きく距離を詰めてきていた魔理沙に3発の魔法弾を続けざまに放つ。また、当たりそうなぎりぎりのところで避けられる。あともう少しだというのに。一度直撃すればそれで勝負がつくというのに、思ったよりかなり、しつこい。
 これだけ撃ったにも関わらず、結局まだ服を焦げさせた程度だ。今までこんな相手はいなかった。苛立つ。もう一人に至っては、ほとんど攻撃こそしてこないものの、燕の魔法弾を全て正面から受けて防ぎきっているように見える。そんなことは、あり得ないはずだった。
「逃げてばかりの癖に……!」
 撃つ。
 撃つ。
 撃つ。
 霊夢のほうはもう、完全に無視する。徹底的に魔理沙を叩きに入る。
 急に密度を増した攻撃にさらに距離を空ける魔理沙の苦々しい表情が目に入った。気持ちいい。にやり、と笑む。
 さらに撃つ。
 そのとき、ちくり、と蚊が刺したような刺激を腕に感じた。
「……?」
 見ると、お札が一枚刺さっていた。
 おかしい。こんなものが飛んできたのならば簡単に避けられるはずだ。
 正面から、飛んできたのならば。
「な……」
 そのお札の動きから目を離していたのは、ほんの数秒間のはずだった。
 なのに、一体、いつの間にこんな、包囲網を形成していたのか。無数の赤いお札たちは、燕を包囲する結界のような形になっていた。無論決してそれは燕を守るものではなく、その内側に入ってしまった犠牲者を滅ぼすための結界だ。
 気がつかなかったのは、結界が燕にとって後ろ半分にあたる部分にしか形成されなかったためだ。前方は完全に開いたまま。言うなれば、結界としての役割は全く果たせない形状ではある。
 周囲の結界に気を払っている間にも、お札は後方のあらゆる方向から飛来し、燕の体を掠め、刺していく。
 ダメージなど皆無に等しい。しかし、このままここに留まり続けるのは不快だ。
 結界に気を取られている間に懲りずに再び距離を詰めてきた魔理沙を、5発の魔法弾で追い払う。
 こんな状況で今までのような持久戦にはしたくない。一度仕切りなおしを行いたかった。


 5発の魔法弾の微かな隙間を潜り抜けながら、その軌道に微妙な狂いが生まれたことに、魔理沙はすぐに気づいた。
「見えたぜ」
 隙間を繋ぐ、一本の道。
 今、確かに燕は、完全な隙を見せた。霊夢の札が効いている。ダメージがなくとも、魔法弾の微調整を揺るがすには十分な攻撃だった。
 次の接近が、最大のチャンスだ。絶対に逃せない。
「魔理沙!」
 霊夢の声が届く。
「わかってるさ」
 魔理沙は、自分にだけ聞こえる声で呟く。
 霊夢の声のトーンから、言いたいことは理解した。ただ、今がチャンスだなどということを伝えたわけではない。そんなことは言われなくてもわかっているし、霊夢も言うまでも無いことだと思っているだろう。
 そう、わかっている。
 魔法での戦いなら、やはり、何もわかっちゃいない燕の妖怪に、魔法というものをしっかりと教えてやるべきだろう。
 それが、風流というものだ。
 魔理沙は、一瞬で加速した。辿るべき軌跡は、見えた。


 左に飛び、潜り込み、箒を傾け掠め、隙間を潜り抜け、加速し、急上昇し、ただ一点のみを目指す。
 限界の速度と死と隣り合わせの度胸でもって、魔法弾の隙間を進み続ける。
 目指す地点は、相手の真正面。
 見せてやろう。
 魔法を。
 一気に接近に成功した魔理沙の姿に驚き目を見開く燕に対峙して、魔理沙が言い放った。
「結構頑張ってくれたから、授業料はタダにしてやるぜ」


 一瞬で膨れ上がる魔力。
 世界中を包み込むような閃光と、圧倒的なパワーの奔流に耐え切れず悲鳴をあげて震えだす大地。
 この距離ではもはや避けようとも受けようとも考えられないような、絶望的な魔力集中。
 マスタースパーク。
 幻想郷最強の魔法だ。


 燕は、もはや逃げ道も助かる道も無いと気づいた。
 最後にできることは、ひとつだけ。
 同じく回避不可能な距離まで踏み込んでいる魔理沙に向かって、一撃を放つことだけだった。

 燕は、真っ白になる視界の中で、最後に、自らが放った魔法弾が逸れて魔理沙の背後に流れていくのを見た。
 撃ち損なったのではない。明らかに、魔理沙の直前でそれは、曲がっていた。


 魔理沙は、魔法を撃った反動で体が少し後方に流れるのを、確認してはいなかったが必ずそこにいると確信していた霊夢に、身を任せた。ぽむ、と柔らかい感触が魔理沙の背中を包む。
 目の前で魔法弾が逸れていった。
 これで、終わり。
「へ……さんきゅ」
 魔理沙は、後方で体を支えてくれている霊夢を振り返らないまま、呟いた。
「ん、お疲れ様」
 霊夢は相変わらず、何事も無かったかのようなのんびりした口調で言った。




「ああ、お父様お母様、やっぱりエリカはできない子でした。人間なんかにやられてしまいました。この恨みは必ず来世で晴らそうと思います、マル」
「お、復活した」
「結構早かったわね」
「……ん? あ、あれ? 生きてる!? 私ってば生きてるじゃん!?」
「いや、あんたとっくに死んでるから」
「いつ死んだか知らないけどね」
「……や、そういうことじゃなくて……えーと、消えてない? んだな? なんで?」
「手加減したからな。ちょうど魂が1ミリくらい残るくらいに」
「あれで!?」
「おお、凄いだろ、ほらもっと褒めろもっと敬え」
「……ま……」
「ま?」
「魔理沙様万歳、かい?」
「……参りました……」
 ばたん。
「あ、気絶した」
「死人でもやっぱり気絶するのね。あ、さっきもしてたか、そういえば」
 こうして、最初の障害物は排除した。


「しっかし、例の場所に行くと、さっきみたいなのがうじゃうじゃといるのかね……」
「ちょっと疲れそうねー」
「まったくだぜ」
 また静寂の戻った暗い空を、飛んでいく。
 面倒なのは二人とも慣れてはいた。
 あとはどれだけ楽しめるかどうかが問題である。




 そこは、混沌だった。
 魔理沙と霊夢は、先ほどの考えを改めることになる。さっきの燕は、発狂などしていなかったのだろう。ただ魔力を得て気が大きくなっていた、普通の霊だったのかもしれない。
 この惨状を見るに、そう思うより他ない。
 まるで言葉が通じそうにない暴れ者たちが、互いを食い合っている状況。互いに強大な魔力を得たもの同士、しかも魔力の補充はいくらでも勝手に行われていくこの状態では、場合によっては永遠に終わらない戦いを生み出す。
 ある意味では、想像していた状況より気楽ではある。燕のような敵が意思を持って結託して襲い掛かってきたならば、さすがの最強タッグでも極めて厳しいことになっただろう。
 それにしても、想像していた以上に濃密な魔力の雰囲気だった。
 まだ結界から距離を取っているというのに、すでに魔力の波が二人に入り込んで来ている。実際、魔理沙の魔力はここに来てから消耗した分を回復し始めていた。
 結界に近づくには、ここは周囲から襲われないうちに一点突破する手が一番だろう。とにかくスピード勝負だ。
 魔理沙が回復していくのなら、周囲の化け物たちも条件は同じだ。時間をかけてはいけない。
「魔理沙」
 霊夢が、呼びかける。
 振り返ると、その手に10枚ほどのお札が差し出されている。
「OK」
 魔理沙は何も聞かずそれを受け取り、すぐに前を向いた。
「私が、左な」
 一言だけ言うと、箒を持つ手に力を込める。
 そして、合図もないまま、二人は最大加速で飛び出した。


 やはり、瞬間的には明らかに、魔理沙のほうが速い。このときになって魔理沙は確信する。
 霊夢にとっては、高速で動き回る必要など恐らくないのだろう。あるいは単純に性格柄から、体に少しでも負担になりそうな速度は出さないようにしているのかもしれない。
 魔理沙は限界の速度まで出しながら、化け物たちの群れの間をすり抜けていく。最初は気付かれない。この自由に与えられた時間の間に、可能な限りの距離を稼ぐ。今の速度なら、下手な魔法弾よりも速い自信がある。後ろなど気にしない。
 遅れて、霊夢がついてくる。最初に魔理沙が通った道を通るだけに、条件的には不利だ。だが、霊夢こそ後方を気にする必要などない。前方に攻撃が来れば避ければいい。後方は強固な結界で固めた。恐れることはない。
 化け物たちの反応は、総じて鈍かった。
 お互いが争いあっている状態で、急に現れた闖入者にはすぐには対応できなかったようだ。
 その隙の間に、魔理沙は一足先に「分岐点」までたどり着く。ここからが勝負だ。
「霊夢! 反対側! 先に着いたほうが勝ちだぜ!」
 叫んで、結界にかなり近づいた地点から、結界の周囲を回るように方向転換する。左へ。
 霊夢の返事を待たず。
 まずは一枚、薄く光るお札を地面に投げつけた。


 化け物が一匹、飛び出してくる。
 魔理沙は速度を緩めないまま、体当たりをするかのような勢いで星型弾を投げつける。直撃。化け物はすぐに沈んでいく。その直後に真横からもう一匹が現れる。ほぼ同時に斜め前方から2発の魔法弾。後方からも魔力の迫る気配。
 まずは勢いよく体を沈め、急降下する。これで前方からの魔法弾から離脱。真横から現れた一匹の下にまわり、超接近状態から星型弾を一発。後方から迫っている魔法弾の範囲の広さを察知し、ギリギリまで引き付けてから横に飛ぶ。
 斜め前方、上方から複数の閃光が放たれる。速い。だが、燕ほどではない。
 隙を縫いながら進む。今度は下方からも同様の閃光。挟み撃ちを食らうような状況になる。帽子の先を閃光の一つが掠めていく。この程度の威力ではびくともしない。
 魔理沙はまず、ミサイル弾をありったけ上方に打ち込む。魔理沙の攻撃の中では遅いほうの魔法だ。これは、当然のように避けられる。構わない。その間に閃光の檻が少しだけ開く。それで十分だ。
 続いて、後方から迫る三匹目を敢えて誘うように、移動速度を少し緩めながら下方からの閃光を回避する。
 最後に目の前にまで迫ってきていた四匹目の目の前で、急上昇して混乱地帯を抜け出す。

 条件は整った。
 数が多いときは、派手に行くに限る。
 魔理沙の周囲に大型の星型弾が瞬時に現れる。色とりどりの美しい、魅惑的な星のイメージが生み出される。
 星は僅かな時間で爆発的にその数を増やす。
 虹色の星型弾の芸術、スターダストレヴァリエ。
 破壊力はマスタースパークに遠く及ばないが、カバーする範囲の広さと何より見た目の美しさが際立つ逸品だ。
「いくぜ」
 暗い空が、七色に輝いた。

 星の爆発が、連鎖を起こす。
 化け物たちはおろか、彼らの放った魔法弾までも飲み込んで消滅させていく。
 ここでの勝負は、これで終了。


「――最高だ」
 魔理沙は、満足そうに笑む。
 化け物の塊を一気に倒したことについてではない。それは計算したとおりの当然の結果であり、今更自ら感嘆するようなことではない。
 素晴らしいのは、こんな大技を使った後だというのに、攻撃を放つ前からもう結界のほうからいくらでも魔力が補充されてくるため、全く消耗していないという事実。
 いつもなら魔力の余裕を考えると、もう次の大技一発が限界だった。今このときに関しては、そんな事は全く気にする必要はないのだ。戦いの舞台は、魔理沙のために整えられている。
 今回だけ与えられた、いわば無敵モードのような状況。
 利用しない手はない。
 さあ、死者の世界に最高に派手な虹を描こう。
 魔理沙は2枚目のお札を地面に投げつけ、さらに加速した。




 渡されたお札はちょうど10枚だった。
 結界の周囲をぐるりと回りながらその9枚目を地面に投下し終えたときには、霊夢はもう、そこにいた。
「……マジかよ」
 10枚投げ終わっていないということは、計算ミスでもしていない限り、まだ半周していないということ。
 霊夢は、無敵モードでひたすら大技連発して敵を撃退しながら最高速度で飛んできた魔理沙より早く、反対側からここまでたどり着いたのだ。あり得ない。
 魔理沙の驚きに満ちた表情を見ながら、霊夢はしれっと言ってのけた。
「逃げ足だけは速いってよく言われるのよ」

 地面に綺麗な円を描いた20枚のお札が、強く輝き始める。霊夢が念を込め始めた。
 ぶおん、という音がが聞こえた後は、一気に静寂が訪れる。結界を張った証。
 例の魔力を封じ込めているという結界の外側に一回り大きな別の結界を張った形になる。この結界は内側のように魔力を遮断するものではなく、純粋にモノの出入りを遮断する結界である。
 これで外側から化け物たちが入ってくることはない。霊夢がお札を20枚も消費して本気で張った結界だ。魔力爆発を起こしているような化け物たちが束になってもびくともしないだろう。
 結界は自動的に維持される。あと数十時間は力の補充を行わなくても問題なくもつはずだ。

 ここまでが、結界のプロの役割。
 ここからが、魔法のプロの仕事。




 魔力を遮断する結界というのは、魔理沙も初めて目にする。
 それは見るからに不完全で、魔力が恐ろしい濃度でここまで漏れ出してきていることからも失敗作なのは明らかだった。それだけではない。今ここは安全を保てるぎりぎりの距離の位置にいるが、これ以上近づけば結界の防御能力が働くようになっている。すなわち、近づくものを攻撃するようになっている。魔力を遮断することだけが目的ならば、そのような防御能力は不要だ。まったく意図しなかった仕様になってしまっているとしか考えられない。
 もっとも、仕方のないことだ。これだけの魔力をもつ者であれば、当然魔法使いなのだろう。魔法使いは、本来結界を作る能力などない。結界のようなものを作ることができるだけだ。魔理沙ほどの魔法使いであっても、魔力を遮断する結界など作れないだろう。
 そして、結界の中心。
 話に聞いたとおり、そこにいるのは確かに人間――元人間だった者の霊、のようだ。
 その人間自身が張っている結界なのは間違いない。
 つまり、その人間は、これだけの化け物を容易に狂わせ、無限大に思えるほどの魔力を体から放出し続けており、それを必死で止めるためにこの結界を編み出したのだ。それでも魔力は遮断できなかった。結界の内部はどのような世界になっているのか。その人間は何者なのか。
 魔理沙は、周囲の魔力を微調整して、空気の通り道を人間に向かって作る。魔法で作った拡声器の完成だ。それも、双方向に声が通じるようになるものである。
 息を吸う。
「人間、聞こえるかい?」


 ――返事は、数十秒の沈黙を挟んだ後に、返ってきた。
「誰……ですか?」
 弱々しい声。
 いかにも消耗しきった、人間の――おそらくは少年の、声。
 とてもこんな無限の魔力を放っているとは思えない、今にも消えてしまいそうな脆さを感じる声だった。だが、返事が返ってきたからには、少なくとも意識はある。
 魔理沙ははっと息を飲む。
 その声を聴いた瞬間に過った――違和感。いや、既視感?
 何かはわからない、謎の感覚に戸惑う。
「あ、あの……今の声は……どなたが……?」
 魔理沙が言葉に詰まっている間に、もう一度人間の声。
「……いや、悪い。私は魔法使いだ。今回の事件を起こしている人間に事情を聞きに来たぜ」
 奇妙な感覚を、頭を軽く振って追い払う。
 まずは、話を聞くことが肝心だ。
「私の姿は、見えるかい?」
「え……あ……」
 人間が、きょろきょろと周囲を見渡す仕草を見せる。
 しばらく経った後に、こちらのほうに向いたような気配。
「……見えました。お二人、ですか?」
「ああ」
「ええと……事件を、起こしているつもりは、ないんです。僕は……ただ、魔力の暴走を止めようと……」
「だろうな。見ればわかるぜ。今もその結界もどきを維持するのに精一杯で何もできないんだろ?」
「……はい」
「で、何者だ? ただの人間じゃないだろ?」
 ただの人間どころか、ただの魔法使い、いや最高クラスの魔法使いでさえあり得ない。このような魔力など。
 この質問に、人間の言葉は、一度止まった。
「……わからない、です。この世界にきたときから……つまり、死んだあとだとわかったときから、もうこんな……その、魔力が、暴走してました。生前の記憶は……ありません」
「そうか。やっかいだぜ」
 要するに正体不明のままだ。
 正体がわかっていれば、対応策も思いつく可能性がある。ノーヒントでは対処は難しい。
 生前の記憶がないというのは、ヒントになり得る情報かもしれないが――
 ――それにしても。魔理沙の中で、何かが引っかかっていた。正体不明のもやもや感。
 気に入らない。
「なんとなく、魔法の使い方は……体が覚えてました。それで、最初は、とにかく基本どおり魔力をちゃんと制御しようとしていたのですが、とても、あまりにも大きな力で……」
「そうだな。恐らくあんたの腕が不足してるんじゃない。そんな桁外れの魔力を、制御なんてできるものか」
「……」
「魔法の使い方は覚えていた、か。記憶を無くして、今こうなってるってことは、死んだときに何かがあったと考えるべきだろうな。恐らくは思い出したくもない何かだろうぜ」
「それは違います!」
 いきなり。
 人間の声が、大きくなった。急に強いトーンになった。
 魔理沙は、驚いて思わず少し仰け反る。
「……あ。ご、ごめんなさい。……えーと……思い出したいんです。とても、幸せなことがあった……気がするんです。なのに、思い出そうとしても、この魔力を抑えるだけで必死で、そんな余裕もなくて」
「そ、そうか。申し訳ない」
「あ、いえ……」
「それじゃ、ちょっと様子見させてもらうぜ」
「え?」


 魔理沙は、言うが早いか、飛び出した。
 空に舞い上がり、安全圏の距離を破り、一気に結界に向かって突き進む。
「! だ、ダメです! 危険――」
「何もしなきゃ何も始まらない。違うかい?」
 人間の悲鳴を聞きながら、加速して進む。
 すぐに、抵抗はやってきた。あらゆる方向から同時に襲い掛かる閃光弾。360度。全ての方向から、来た。
「……っ!」
 これは、避けきれない。
 一つ、二つ、三つ……閃光弾が体を貫く。腕に二つ、長い髪に一つ。
 完全に貫通している。しかし、痛みを感じる時間さえ与えられないまま、まだ次の攻撃も、その次の攻撃もやってくる。
 一つは顔の前まで――
 ばちっ。
 閃光弾は、目の前で弾け飛んで消える。その一つだけではなく、魔理沙に向かう攻撃、全てがばちばちと音をたてて消える。
「馬鹿」
 背中に、霊夢の声だけを確認する。
 何が起こったのかなど……考えるまでもない。
 魔理沙の周囲に、青いお札が浮いていた。小さい結界が張られている。魔理沙はそれを確認して、自らの読みの甘さに舌打ちする。霊夢は、結界を作るのに必ずしもお札を必要としない。貴重なお札を使うのは、十分な強度がどうしても必要なときだけだ。この空間に放たれる攻撃は、霊夢がそれなりに本気を出さなければ防げないレベルということだ。
 じわり、と腕に血がにじんでくる。結界で護られた瞬間から傷口に魔力を送り込んで応急処置を行ったが、完全には間に合わなかった。内出血が起き、結局その圧力で皮膚が破れたようだ。
「と、止まれ……とまれ……!」
 人間の叫び声。
 結界が勝手に攻撃するのを必死で止めようとしているようだ。魔理沙にも、わずかながら魔力の流れに迷いのような雑音が入っているのが感じられる。しかし、焼け石に水だ。
 結界の攻撃を止めようと思うなら、もっとも簡単な方法は、結界を解除してしまうことだろう。
 無論それでは最初から結界を張った意味がなく、恐らくは完全に自由になって飛び出した魔力が魔力爆発の連鎖を生み出し、最悪の場合はこの死者の世界の一部を完全に滅ぼしてしまうことになりかねない。
 正しい解除の方法など、魔理沙にもわからない。
 今は少しでも手がかりが欲しくて、それだけの思いで接近した。霊夢がいなければもう既に、数え切れないほど死んでいたかもしれない。
「ち……」
 間違っても、このままの接近などできない。霊夢の力に頼れば不可能ではないだろうが、まだ何の作戦も立ててない状態でただ接近だけ行うのは自滅の道を辿る結果にしかならない。
 今でも攻撃は止まらず、高速な閃光弾だけではなく、例えば今足元ぎりぎりを掠めたような星型弾のような攻撃パターンも来る。

 はっと魔理沙が周囲を見渡すと、すでに一体が星型弾で埋め尽くされていた。色鮮やかな、まるで虹のような――
 ――また、魔理沙に生まれる、既視感。これは――
「魔理沙の魔法みたいね」
 違う。
 魔理沙の魔法みたい、ではない。
(これは……私の、魔法だ。そのものだ。……いや、違う――どちらかといえば)

 魔理沙の芸術にしては、その星型弾は、大きさも不ぞろいで、色も少しきつすぎる。
 天の川を模したこの魔法は、もっと美しく完成されたもののはずだ。

(これは――!)




 人間。
 魔法使い。
 人間の声。少年の声。
「あ……」
 繋がった。
 不快な違和感。不思議な既視感。
 結界を挟んで、はるか向こう。
『何かアイテム持ってる可能性があるって言ってたわ。それが本当の魔力源なんじゃないかって話もあるわよ』
『魔法の使い方は……体が覚えてました』
『――いつか、僕も、』


『魔法使いって、素敵ですよね』


「ああ――そうか」
 魔理沙は、一度目を閉じる。
 霊夢に合図を送り、安全圏まで退却する。
 攻撃は届かなくなった。
「まだ、魔法使いってのがどういうものか、教えてなかったもんな」
 血の吹き出す腕にもう一度治癒を施す。
 真っ直ぐに、人間の姿を捉える。
 遠すぎて見えないその姿も、はっきりと、見えた。

 忘れ物を、届けなければいけない。
 彼に。






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