「魔法使いって、素敵ですよね」
「綺麗じゃないですか。想像力をそのまま形にできて、一瞬だけの芸術を創り出せるんですよ」
「先生みたいな星を夜空に描けたら、きっとそれだけでもすごく幸せになれます」
「それに、何かを起こす力があるって、大切なことだと思います」
「生きているときにどこかで、魔法が使えて本当によかったって感謝するときがきますから、絶対」
「いつか、僕も、先生みたいに、凄い魔法使いになりたいです」
「先生の一番弟子だって、誰にでも誇れるようになりたいです」
「いつかは、先生と一緒に飛んで、戦って、先生を守れるように……なりたいです」
それは、今から少しだけ昔。
魔理沙の魔法が今より少しだけ未完成だった頃の物語。
魔法使いのロジック【星】
その少年は、薬草草原で発見された。
何故か幸せそうに笑みを浮かべながら、無防備に寝転がっていた。寝転がるというか、眠っていた。気持ち良さそうに。
なんとなく生き物の気配を感じてやってきた魔理沙は、そのあまりにも予想だにしなかった光景に、しばらく放心する。
ここは魔法の森に囲まれた草原。普通の人間など、まずやってこない。まして、こんなところで寝転がっているなど考えづらい。物好きなどというレベルではない。まず、外から森に入ってきて、森を抜け出してここまでたどり着くこと自体が並大抵のことではない。魔理沙のように空を飛ぶ魔法があるのなら、話は別だが。
人間の格好がまた、変わっていた。魔理沙は今まで世界の多くを見てまわってきたが、似たような服装を見かけたことはない。服の素材さえよくわからない。
どうしたものか。
迷っている間に、少年は一度寝返りをうつ。
「む……」
少年の口から少し声が漏れる。
目が、ゆっくりと開いていく。
魔理沙がその様子をじっくりと観察している間に、少年の目の焦点距離が少しずつ調整されていき。
ぱちり。
目が合った。
少年は、不思議そうな表情を見せて、まばたきを2回。
「あ……えと」
まだ眠ったままのような声。
少年は、むっくりと上半身だけを起こして、魔理沙を見上げる。
「……おはようございます」
「……おはよう」
とりあえず、そう答えるほかに思いつかなかった。
対応に迷っている魔理沙を、しばらくじっと見つめてから、少年は口を開いた。
「あなたは、魔法使いですか?」
なんとも、唐突な問いかけだった。
まず正体を問いただしたいのは魔理沙のほうだったが、なんとなく少年のマイペースに飲み込まれてしまっていた。
「ああ、まあ、見ての通りだ」
魔理沙の格好は、魔法使い達の中でも極めてわかりやすいほどに魔法使いだ。黒を基調としたファッションと箒。この二点だけで十分に魔女を表現している。
その返事に何故か、少年の目が、驚きに見開かれる。口を半開きにして。
わかっていて確認した質問ではなかったのか。魔理沙が戸惑っていると、少年は急にがばりと立ち上がった。
「す……」
何事かと思えば。
目をきらきらと輝かせて。
「凄いです! 感激です! この草原もやっぱりあなたのものですか? もしかして、ここの森自体もですか? あ、すみません、勝手にお邪魔してしまって。その、とても気持ちいい魔力の空気を感じたので、来てしまいました。きっと魔法使いはこういうところに住んで研究を重ねているに違いないと思ってました! やっぱり、思ったとおりです! 感動です!」
「……」
呆気。
言葉を失って立ち尽くす魔理沙。
「……あ、すみません。そうですね、いきなりこれは失礼ですよね、ごめんなさい!」
少年が頭を下げる。
いったい何がなんだかさっぱりわからない。
魔理沙は少し混乱気味の頭を一度軽く振って、ひとまず、場を落ち着かせる。
「――で、あんたは、一体、何なんだ?」
「はい。僕も、魔法使いです。別の世界から来ました」
それが、出会いだった。
「ああ、人間界の人間か。会うのは初めてだぜ」
草原に腰を下ろして、隣り合うように座って、話を聞く。
落ち着いて話してみると、普通に話ができる相手だった。最初のときはよほど興奮していたのだろう。今も十分に目はきらきらと輝いているが。
ここ幻想郷と人間界は、基本的には隔絶されている。結界によって隔てられている。幻想郷は妖怪の世界であり、人間界は人間の世界である。ただ、公式的には隔絶されてはいるが、妖怪たちは頻繁に人間界に出かけては「食事」をしている。結界は事実上、人間界の人間が幻想郷に入り込むのを防ぐ方向にしか働いていない。そもそも結界など存在しない、と表現する者もいる、その程度の結界である。決して弱い結界だという意味ではなく、やはり幻想郷最大の結界であるのだが。
人間界から幻想郷に人間がやってくることは、過去にも無かったことではない。それほど極めて異例の事態ということではない。何せ、結界があるとはいえ、人間界と幻想郷の間に物理的な意味の障壁は何一つ無いのだ。昔から人間が幻想郷にふとしたことで迷い込んでやってくることは何度かあった。
しかし、間違いなく、人間界の人間がこんな辺境の森までやってきたのは、幻想郷と人間界が分け隔てられた以降の歴史上では過去に例の無いことだった。
「本物の魔法使いは、やっぱり魔力が濃い場所に住んでいると思いましたから」
少年は、魔力の気配を辿ってここまで歩いてきたのだという。
そもそも人間界から幻想郷に来たところから、魔力の気配だけを頼りにしてきたとのことだった。
少年は嬉しそうに話を続ける。
「僕の家系はずっと、職業として魔法使いをやってきてました。1000年以上もずっと続けてきた、日本では現存する最古の系譜の一つになります。……当然です。今の時代、魔法使いなんて必要とされてませんから、同業の家系はどこもとっくに廃業しているだけのことです」
この話をしているときだけは、寂しそうな表情を見せる。
途中で何度か、昔を思い出すように空を見上げるような仕草を挟みながら。
「魔法の力も、世代が進むごとに衰えていきました。使われる機会のない魔法が退化していくのは必然です。僕は跡継ぎとしてずっと魔法使いとして育てられてきました。熱心に教えられる魔法は……人を呪ったり、罠にかけたり、命を削ったりするような、そんな暗いものばかり、でした。今の世の中、魔法使いにまわってくる仕事なんて、そんなことしか……無いんです」
何度も家から逃げ出そうとして。
それでも、他に行くあてなど全く無くて。
何より、魔法というものそのもの、その力に秘められた可能性は大好きだっただけに、生まれた家を完全に捨てる覚悟は決まらなかった。
そんな状態が何年も続いて。
ある日、先祖の記録を読んでいるうちに、人間界と別の世界があることを知った。幻想郷の存在を知った。過去の人間と妖怪の歴史を知った。
幻想郷についてさらに調べるうちに、神隠しと呼ばれる現象で時折消える人間が行く世界が幻想郷であることが多いことを知った。そして彼らの言葉から、幻想郷という世界へのイメージを膨らませていった。
まだ見ぬ世界への憧れ。
少年をこの世界へ導くまでのきっかけになったのは、少年に対して「初仕事」がまわってきたことだった。簡単な仕事。ある政治家からの依頼で、敵対する候補者に少しだけ不運を与えるだけの、簡単な依頼――
家から逃げ出した少年は、今まで集めてきた幻想郷の情報と、魔力の気配だけを頼りに、旅を始めた。特に魔力を辿る方法は有効となった。
世界の境界線を通ったとき、確かに少年は、人間界とは次元の違う濃密な魔力に包まれたのを感じた。
幻想郷にたどり着いたという実感は、それだけで十分だった。
「そして!」
このあたりから、俄然声が元気になる。
「これだけの魔力に溢れる世界ならきっと、魔法の出番も多い世界に違いないと思いました。まずはこの世界の魔法使いに会ってみたいと思ったのです!」
「はあ」
また勢い込んで接近する少年の動きにあわせて、魔理沙は一歩引く。
「それで、歩いて魔法の森を抜けてきたのかい?」
「はい! これも、魔力の流れを追うだけでした。一番魔力の濃いところに向かってきたら、ここに着きました」
「魔力の流れったって――」
さらりと言うものの、そんな簡単に「追える」ものではないはずだ。魔法の森自体がその名の通り魔力に満ちた森である。磁気嵐の中にいるのに方位磁針を持って方向を判断しようとするようなものだ。魔理沙自身、魔法の森の中の何の目印もなしに歩いて抜けることができるかどうか、確信は持てない。
疑わしい目で魔理沙が見ているのに気付いたのか、少年は少し得意げに笑ってみせた。
「あ、これだけは、昔から得意なんですよ。魔力の変化を感じ取る能力だけは歴代でも飛びぬけた才能の持ち主だってよく褒めてもらってました。本当は、魔力というより……勘とか、予感、みたいなもの、なんですけど。僕自身この能力をなんて呼んだらいいのかよくわからなくて」
「凄いな、それは」
「えへへ」
魔理沙が呆れたように言うと、少年は照れ笑い。
嬉しそうだ。
「で、会いに来て……会えたわけだ」
「はい!」
「それでどうするんだ? 魔法使いを食ってパワーアップとかそういうのは勘弁な」
「弟子にしてください!」
「……………………………………………………は」
突然のコールと、いきなりの、土下座。
魔理沙の頭が展開についていけるのに、数秒を要した。
「――あー。あれだ、なあ」
「はい、何でしょう」
「いいかげん、自己紹介でもするか」
「あ」
少年は悟と名乗った。家を捨てた時点で名字はもうありません、と言い切った。
・暇なときしか相手はしない
・食事の面倒も見ない(自給自足すること)
・ついでに水は魔理沙の分も毎日持ってくること
・邪魔だからどこか行けと言った時は速やかに大人しく離れること
・寝る場所くらいは適当に与える
・そこらに転がっているアイテムには無断で触れないこと
・家の中は、指定した場所を指定したとおりにしか歩かないこと
どうしても折れない悟に、魔理沙が突きつけた条件は以上のようなものだった。
要するに暇なときの遊び相手くらいにはなってやる、という条件である。悟はそれでも嬉しそうにありがとうございますと感激したものだった。
考えるまでもなく、もっとも厳しい条件は自給自足だった。食材も当然自分で集めてこなければいけない。魔理沙が食用に栽培している植物に手をつけるのは反則である。毎日遠くまで渡り歩いて野草を集めるのは大変な仕事である。狩猟となればもはや全くの素人であり、攻撃魔法のようなものを全く持たない悟にとっては極めて厳しい話だった。
かくして、魔理沙が最初に悟に教えたことといえば、食べられる野草についての知識と、魔理沙の家の中の安全な歩き方だった。
食べ物を取りにいって、帰ってきて、食事を作って、また出かけて――
それだけで一日が終わるような日々が数日続いた。
魔理沙はそれを大変そうだなあとぼんやり眺めていた。
狩りに使えるような魔法が欲しいということなので、とりあえず入門書を引っ張り出して渡しておいた。
夜、少し気分転換で散歩をしていると、初歩の攻撃魔法の練習をしている姿が発見された。
やたらに楽しそうだった。
魔法使いを名乗る割には素人みたいだとも思ったが、世界の違いのせいか、あるいは攻撃魔法には向かないタイプなのかもしれないと感じた。
悟は魔理沙の話をよく聞きたがったが、面倒なのでそういうのはほぼ全部追い返した。
一応同じ場所に住んではいるものの、顔をあわせる時間は短い。
何度か、魔理沙は家を留守にすることがあった。森の中のすぐ近く以外へ出かけるという意味で。
それは息抜きに霊夢のところに遊びに行くときでもあり、近場では手に入らないアイテムを探しに行くときでもあり、あるいはちょっとした「ごたごた」を片付けるときでもあった。魔理沙は割と(結果的に)事件に首を突っ込むことが多い。火事場泥棒狙いで敢えて突撃することも多い。
そのたびに、当然のように悟も猛烈に行きたがったのだが、いかんせん空を飛ぶ能力もないのではどうしようもなかった。魔理沙の箒は二人乗りができないわけでもなかったが、魔理沙にとってみればわざわざそんなお荷物を背負っていく義理はまったくない。
というわけで、悟は留守番を任せれることがちょくちょくあった。くれぐれも家の中のものには触らないようにと警告されながら。
悟にしては、魔理沙がいたとしても相手をしてくれる時間などほんの僅かしかないので、やることにほとんど変化はなかった。せいぜい、出かける範囲をいつもより近めに限定するというくらいだった。
魔理沙が帰ってきたらそれこそ色々と話を聞きたがって質問攻めにしたが、やはり全部退けられるだけだった。
結局のところ、魔理沙にとってはそれまでとほぼ代わり映えの無いような日々が、しばらく続いた。
「ん?」
攻撃魔法の本を読みふけっている悟が、ふと顔を上げて、空を見上げた。
近くで、いつものように新薬の精製中だった魔理沙も、その動きに吊られて空を見る。何も無い。
「どうした?」
「誰か、来たみたいです。僕はいないほうがいいですか?」
「……ん?」
魔理沙には何も見えない。特に何の気配も感じない。
首をひねる。悟の言葉には確信が感じられる。一体何を感じたのだろうか。
「えっと、まだ、かなり、遠いですけど。あと、5分くらいでしょうか。空から来ます」
「……そいつは、気配どころの話じゃないな」
飛んできて5分かかる距離となれば、まだまだ遥か遠くだ。気配など感じるわけも無い。
そもそも、こんなところにわざわざ客人が来ることなど滅多に無い。
このときは疑わしい目で悟を見るだけだったが――
「ねー、魔理沙。ちょっと借りたいものがあるんだけど、ていうか返すつもりないからもらっていくんだけどー……って、あら? 珍しいわね、お客さん? こんな辺鄙なところに。どこかから攫ってきたのかしら」
「……」
「何、そのヘンな顔」
およそ五分後に、彼女は空からやってきた。
同じ魔法の森に住んでいる魔法使いのアリスだ。たまに訪れる客(客でないことも多い)の大半が彼女であり、来ること自体は珍しいことでもないのだが。
魔理沙は驚きでしばらく声がでなかった。
さすがにここに到着するより少し前には気配で気付いたが、悟のそれはまるで次元の違う話だ。
横目で悟を見ると、彼は満足そうに頷いてにこにこと笑っていた。
アリスは目をぱちぱちと瞬かせる。
「何? なんか、そういう仲? お邪魔かしら」
「いや、こいつは超能力者だ。アリスもなんか、見てもらえ。手相とか」
「それは占い師でしょ」
「なら死相でも見てもらえ」
「あんたに今はっきりと見えるわ」
アリスは気にも留めず、特にそれ以上悟に興味を示すこともなく、勝手に魔理沙の家の中まで上がる。
無数にある棚の一つに迷わず歩み寄って、躊躇無く手を突っ込んで中から一欠けらの乾燥した草を取り出して、さっと手持ちの袋に詰める。
重量にすれば数グラムにも満たない量かもしれない。
「ちなみにああいう行為をこの世界では泥棒と呼ぶわけだ。覚えておけ」
「魔理沙の特技ね」
「勘違いするな。私は混乱のどさくさに紛れてしか盗らないぜ」
「その混乱も自分で起こすくせに。強盗じゃないのかしら」
アリスは、帰る前に悟のほうをちらりと眺める。
目が合うと、そのままじーっと見つめながら、ゆっくりと歩み寄っていく。
すぐ、間近くまで。
さらに腰をかがめて、椅子に座っている悟の顔を覗き込む。顔と顔がすぐ近く。悟は目を丸くして少し驚いた後、顔を赤らめる。かなり、近い。
「ふーん……」
アリスの呟きが、すぐ耳元にかかる。息さえ届くような距離で。
じっと目を見つめられる。心の奥底まで見透かそうとするかのように。
「大人しそうな顔してるのに、使う魔法は陰湿なのね」
「え……」
ぽそりと、悟にしか聞こえない呟きで。
悟は先程までとは違う驚きに、固まる。
「何のために攻撃魔法なんて改めて覚えようとしてるのか知らないけど、あなた絶対、本来の属性を伸ばすほうに努力したほうがいいわよ?」
それだけ言い放つと、アリスはあっさりと目を離して、立ち上がる。
もう話は終わり、とばかりにふいっと背を向けるアリスを見つめ続けながら……悟の表情は、ゆっくりと、驚きから感動のそれに変わっていく。
がばりと勢いよく立ち上がって。
「す……凄いです! 見るだけで、その人がどんな魔法使うかわかるんですか!?」
叫んだ。
「あー。だから人間はバカなのよね。せっかく魔理沙に聞こえないように小声で言ってあげたのにどうして叫ぶのかしら」
アリスが、悟に背中を向けたまま、困った表情で頭を少し抱える。
ため息をついてみたりする。
「あ、いえ、先生は僕の魔法のことは知ってますから、問題ありません」
「……先生……って……。……えー、あなた、人を見る目くらいは養っておいたほうがいいわ。後悔しないうちに。人生を破滅に導かないうちに。ていうかあなた絶対騙されてるわ。魔理沙にとって他の人間なんてちょっとしたおもちゃか実験材料くらいのものなんだから。ああ、あなたが知らない間に少しずつ怪しげな薬品を飲まされてて、最終的に、なんかこう、目が3つくらい手に生えてるような面白い生き物に変わっていく様子が目に浮かんでくるわ……」
「ちなみにそこのアリスは妖怪だからな。人間食うぞ」
「同属食いより遥かに健全よ」
「あはは……大丈夫です、先生はいい人ですよ。僕は、大好きです」
『ぶっ』
魔理沙とアリスは、仲良く同時に、吹き出した。
擬態語で無理矢理表現すれば、にへへふー。
……そんな微妙な表情を見せながら帰っていったアリスを、見送る。
しばらく間を置いてから、魔理沙は悟に向き直った。
「どう考えても、魔力を読むなんて能力じゃないぜ。予知能力か?」
アリスの訪問を”予言”したことについて。
悟は少し困ったような顔を見せて、その質問に答える。
「予知能力……というわけでもないんです。前にも言いましたが、勘とか予感とか……そういう言葉が一番合うと思うんです。魔力の流れを読むという表現もそんなに間違いってわけでもないんですよ。……自分でも、うまく表現できないんですけど」
「さっぱりだ」
「ごめんなさい」
「まあ、それはそれとして――」
「はい」
「……アレだ。……その。なんだ。……あー。やっぱりいい。なんか、言う前から無意味な気がしてきた。私にも予知能力が移ってしまったみたいだな」
「はあ、さっぱりです」
属性的に向いていないとはいえ、さすがに魔法使いとして生きてきただけはある。
狩りに使える程度の攻撃魔法も、2週間もすればなんとか使えるレベルにまでもっていったのだった。
無論、実際に狩猟ができるかどうかという話とは全く別問題である。ただ魔法を発するだけと、それを狙ったところに正確に命中させる技術レベルの間には大きなギャップがある。さらに狩りとなれば不規則に動き回る対象を撃つ能力や動物達との駆け引きといったスキルも必要となってくる。先はまだまだ遠い。
この頃には魔理沙も、少しずつ悟の成長が楽しみになってきていたりしたのだった。
ある夜。
「なんだ、またここにいたのか。随分とお気に入りのようだな」
魔理沙が薬草草原に行くと、悟は今晩もそこで魔法の練習をしていた。
もちろん、姿を見る前からここにいることは気配でわかっているのだが、その辺はただの言葉のあやだ。家を出たときからわかっていたわけではないという意味で矛盾の無い言葉になる。
悟は練習を中断して、にこりと振り返った。
「はい。ここは魔力がいっぱい溢れてて、すごく気持ちいいですから」
最初に魔理沙が悟を発見した場所も、ここだ。
昼でも夜でも、時間がある限り悟はここに来ている気がする。家の近くにいても魔理沙が相手をしないからというのもあるだろうが。
ふむ、と魔理沙は頷く。
「魔力を喰って生きてる人間ってのも、珍しいな」
「あはは。そうですね」
「……素で返すな」
魔理沙は少し頭を抱える。
悟はにこにこと楽しそうに、両手を広げる。
「大好きです、この世界が。この森が。この草原が。魔法って素敵ですよね。――魔法使いって、素敵ですよね」
夜空を見上げながら、満足そうに語る。
このまま世界に同化してしまいたいと言わんばかりの勢いだ。
「……はは」
そんな彼の様子に、魔理沙もつられて、不思議と楽しい気分になるのだった。
こんな夜も悪くない。
「そうだ。せっかくだから、意見を聞かせてもらおうか」
「はい、何でしょう!」
魔理沙は、そろそろ散歩も終えて帰るかというとき、ふと気まぐれで、悟に声をかける。上機嫌の証。
それはもう嬉しそうな返事を返す、悟。
にこにこと、遠慮なしの笑顔。
「最近考え出した魔法なんだが、せっかくだからまっさらの人間に芸術点を評価してもらっておこうかと思ってね」
「えええええええええええっ!!!!?」
「うるさい」
げす。
いきなり叫んだ悟の脛を軽く蹴る。
はふ、と悟は妙に可愛らしい悲鳴をあげるものの、すぐに復活して、両拳を握り締める。
声が震えている。
「せ、先生の魔法を! ついに! 見られるのですね!?」
「やっぱりやめたくなった」
「ごめんなさい調子乗ってはしゃぎすぎました。見たいですお願いします」
「……というか、空飛んでるのも魔法だぜ。忘れてるみたいだが」
「それ以外を見たことありませんから!」
「見せてないからな」
それだけ言うと、魔理沙は箒にまたがる。
「下から見上げたほうがたぶん美しい。しっかり見て評価してくれよ」
返事を待たず、飛び上がる。
ぐんぐんと高度を上げて、暗さも手伝ってあっという間に悟からは姿が見えないほどの高さになる。
新しく考え出した魔法。
夜空を見ているうちに思いついた、自信作だった。
意識を集中させて、星型弾を一つずつ生み出していく。最初は赤、次は緑、次は青――光の三原色。
星の大きさは二種類。大きいものと、小さいものと。
まだ意識をしっかり集中させないと綺麗な星型弾の組み合わせが作れない。慎重に、一つずつ。
ふわり、と星型弾が宙に並んでいく。三原色が混ざり合ってたくさんの色を作り出していく。
そして、十分な数が揃ったところで、一気に放出した。まっすぐ、遠くをめがけて。
夜空を星が流れていく。赤緑青のイミテーションの星が流れていく。
大きい星は広がって夜空を埋め尽くし。
小さい星たちはその間を縫うようにきらきらと流れていく。
天の川を模したこの魔法は、見た目の美しさだけではなく、実用性も十分に練られている。
大きな星で逃げ道を限定し一定の場所に追い詰めた後、本命の高密度の小さい星で倒しにかかる。自動的にそうなるよう計算された攻撃魔法だ。
魔法の名前は、そのままのネーミングだが、ミルキーウェイと名付けた。
夜空を星が流れていく。
赤、緑、青、黄色、水色、紫、白……派手なカラーで暗い空を彩る。
流れ星は夜空をほんの一瞬だけ鮮やかに飾った後、空中で弾け飛んで、消えた。
魔理沙がゆっくりと地面に戻ってくると、悟は――
――泣いていた。
思い切り、涙を流していた。
「何故……?」
魔理沙が首をかしげながら地面に降り立つと……悟は、猛然とダッシュしてきた。
涙を流したまま。
怖い。
「か、感動です! 感動です……!」
「お、おう。落ち着け、かなり怖い」
「怖くないです!」
「そこ否定されても」
冷や汗。
気にせずさらにずいっと身を寄せてくる悟。
「綺麗でした……! 見惚れてしまいました! 魔法って……凄いです! 先生は凄いです!」
「あ、ああ、ありがとう」
魔理沙は一歩退いて。
悟はさらに一歩詰め寄って。
「カラフルで、花火みたいで……いえ、花火よりもずっと綺麗でした。一瞬で目を奪われてしまいました……」
「あはは……私の心みたいに綺麗だったろ?」
「はい、先生の心みたいに綺麗でした!」
「繰り返して言われると恥ずかしいな、オイ……私が悪かった……」
言った魔理沙のほうが赤面する羽目になる。悟はこういうときは強敵だった。
こほん、と一つ咳払い。
「大変素敵なものを見せていただいてありがとうございました! 先生に出会えた僕はとても幸せです!」
「そ……そうか」
どうも、調子が狂いっぱなしになってしまう。普段の話し相手が変化球タイプばかりなだけに。
こうもストレート一本では。
「僕も、先生みたいな魔法が使えたらもっともっと幸せだろうなって思います。いえ、いつかはきっと、使ってみせます」
「ああ、それは、頑張ってくれ」
「はい!」
この日から、悟の魔法修行が変わった。
明らかに魔理沙の魔法に影響されたように、星型の弾を作り出す練習をしてみたり。まず形からということのようだ。
一番の変化は、たまに魔理沙が手伝うことも増えてきたことだった。
魔理沙が隣で実演してみせることによって、悟の魔法は、それまでとは比較にならない速度で上達していった。
上達するというだけではなく、魔理沙の魔法に近づいていくきっかけとなった。
「また、ここか」
魔理沙は薬草草原で休憩している悟に声をかける。
ふと、自分の声が少し上機嫌なものになっているのに気付いて、なんとなく苦笑する。
さて、休憩しているだけかと思っていた悟だが、どうやら寝ているようだ。起きていたら即座に「先生!」と嬉しそうにはしゃぐのだから、間違いない。
寝顔を覗き込む。
気持ち良さそうに寝ている。いつ見ても幸せいっぱいの表情ばかりだ。何がそんなに楽しいのか、魔理沙には理解できない。
少し見ていると、悟が目を開けた。タイミングを見計らっていたように。
「……あ、おはようございます」
「おっと、起こしてしまったか」
「いえ、ちょうどいい時間でしたし」
「起きた瞬間に時間がわかるのか、あんた」
「影の長さで」
「……納得」
ほんとに変わった奴だ、と何度も思わされる。
悟は、ゆっくりと上半身を起こした後、よ、という掛け声とともに飛び上がって起き上がる。
んー、と、大きく伸び。
「先生」
悟が呼びかける。
「ん?」
「僕は、魔法使いに生まれて本当によかったです。この世界に来て、出会えたのが先生で、なんて貴重な幸運を捕まえることができたんだろうって思います。きっと、今ここに僕がいること自体が、魔法ですよね」
澱みなく。
そんな台詞を、さわやかに言い切ってみせる。
「……はあ」
返事に困った魔理沙は、とりあえず生返事で。
そんな魔理沙の様子を確認して微笑むと、悟は続けた。
「僕は、どれくらいのことができるようになったら、先生の弟子だって堂々と名乗れるようになれますか?」
ちょっとだけ真面目な顔で。
魔理沙は軽く首を傾げる。
「そんなことは……自分で考えろ。自分で納得できるようになったら、じゃないかい」
「なるほど。その通りですね。それではいつか、先生と一緒に戦って、先生を守れるようになったらということにします」
「永遠に来ないな」
「永遠の後にたどり着くかもしれません」
「……変な奴だろ、あんた」
「はい、どちらかといえば」
悟はよし、と一度気合を入れて。
拳を振り上げる。
「それでは、当面の目標は、あの兎を今度こそ捕まえるということで!」
勢いよく叫びながら、森のほうを指差した。
魔理沙は、笑った。
「まあ、頑張れ」
「はい!」
悟の「初成果」は、3日後に魔理沙と分け合うことになった。
「……ん」
「――先生」
「ああ、私も気付いてる。魔力の流れが、おかしいな」
悟がこの森にやってきてから、2ヶ月ほどが経とうとした頃。
その違和感は、唐突にやってきた。魔力には敏感な悟と魔理沙が同時に気付いたということは、少しずつ起きてきていた現象ではなく、まさに今の瞬間にいきなりの出来事だったのだろう。
ここ魔法の森では、普段は魔力はほぼ停滞しつつ、全体としては極めてゆっくりと発散し外に流れ出していくような流れになっている。魔力の発生源といえるのが薬草草原である。
それが突然、ある一方向に動きをそろえて流れ出した。流れは決して速くは無く、人が歩く程度の速度でしかないのだが、通常の半停滞状態と比較すれば明らかに異常な流れである。
「大方、どこかの馬鹿が何か悪巧みでも始めたんだろうが」
こういった事件が起きることは、それほど珍しいことではない。突然時間の流れが遅くなったことも経験しているが、それに比べたら魔力の流れがおかしくなることはまだ常識的な範囲内の話だ。
いずれにしても、そのまま見過ごしておくと面倒なことになりそうな事態ではあるのだが。
面倒だな、と魔理沙がため息をひとつついて、これから出かける準備をすることを伝えようと悟に振り返る。
――と。
悟は、これまで見せたことのないような真剣な表情で、夜空を眺めていた。
睨み付けるようでいて、不安に震えるようでいて。
そんな様子に一瞬だけ圧倒され、魔理沙は声をかけるのに躊躇う。
開きかけた口が止まるうちに、悟のほうが、空を見上げたまま、先に口を開いた。
「嫌な感じです。……とても」
それだけを、なんとか言葉をひねり出したといった様子で、言った。
魔理沙はしばらくその言葉を脳内で反響させてから、しばらく経ってやっと反応する。
「あ、ああ。心配すんなって。慣れてないから不安になるのはわからないでもないが、ここ幻想郷じゃこれくらいのトラブルは日常茶飯事だ」
「……」
「こんなのはだいたい黒幕がいるから、ちょっと行ってそいつを懲らしめてくれば終わり――」
「ダメです!!」
突如。
悟は強い口調で叫んで、魔理沙のほうに顔を向けた。
真剣な眼差しが、魔理沙を貫く。驚いた魔理沙は、思わず一歩後ずさってしまう。
「お、おい、どうしたんだ? 何をそんな」
「ダメです。行ってはいけません」
「……なんだそりゃ。なあ、心配してくれてるのかもしれないが、私はこれくらいの事件は今までも何回でも解決させてきてるぜ?」
「……先生の力を疑っているというわけでは、ないんです。先生がまだ僕が見た範囲内よりずっと凄くて強い魔法使いなのは、わかってます。……それでも、今回は、ダメなんです」
顔を伏せて。
絞り出すような声で。
それでも、強い思いのこもった声で。
「おいおい、まさか本当に死相が見えるなんて言うんじゃないだろな。そういうのは、勘弁、だぜ……」
冗談めかした魔理沙の言葉も、その言葉の途中から顔を上げた悟の表情を見て、語尾が窄んでいく。
悲しい目をしていた。
魔理沙の言葉を否定しないように。
さすがに魔理沙も、唾を飲み込む。言葉を失う。
沈黙のまま向かい合って――
「――冗談じゃない。私は、どんな相手でも勝ってきた。それこそ絶望的な力を持ってるように見えた相手でも、負けたことはない。死地だって何度でも潜ってきてるさ。死ぬかもしれないからやめておけ、なんて通じないぜ」
「先生が負けると思っているわけではありません。先生なら、きっと、どんな相手でもなんとかするんだと思います。それでも……こんな言葉しか、出てこないのですが、とても、嫌な感じがするんです」
勘、あるいは予感。
そう呼ぶのが一番適切に近いと本人が評する能力。
魔理沙が自らの力を信頼してきたのと同様、悟もまた自らのこの能力を絶対に信頼していた。
だからこそ、信じている魔理沙の言葉でも、受け入れることはできない。
それほどまでの悟の確信を、ここにいたって魔理沙も気付いた。
「……だが、放っておくわけにもいかないぜ。魔力の流れがおかしいままじゃ森の生態系やこの草原の薬草の生育に狂いが出る可能性がある」
「それは……」
そう言われると、悟は、辛そうにまた目を伏せて、視線を横に外す。
「……きっと誰かが、なんとかしてくれます。この前の魔法使いさんとか」
「アリスか。あいつがそんな面倒なことするもんか」
「……」
悔しそうに下を向く。
「わかっているだろう、この森は私の研究の生命線でもある。これは十分に侵略行為だぜ。危険だろうと、守るために行動に出るのは当然だ」
悟にも、もちろんわかっていた。
わかったうえで止めている。
「それなら――僕も、一緒に行かせてください」
「無理だ。それこそ邪魔にしかならないのはわかりきってるだろ?」
「でも……! 先生を、守れるかも、しれません……し」
「……本気で言ってるんだとしたら、失望するぜ」
「……」
悔しそうな、本当に自分を呪うかのような表情で、俯く悟。無論、魔理沙の言うことは全て正しい。悟も少しは戦えるような魔法を身につけてきてはいたが、魔理沙の戦いに混じれるような次元には遥か遠い。まず、空を飛ぶのも乗せてもらわなければどうにもならないという時点で論外だ。
ついに完全に言葉を無くした悟の様子に心を痛めながらも、魔理沙はきっぱりと言い放った。
「私は、行く」
「――わかりました」
数十秒にも上る沈黙の後。
魔理沙が準備のために立ち去ろうというそのとき、悟は口を開いた。
それまでと一転して、落ち着いた声音で。
すう……と、大きく一度息を吸ってから、魔理沙に向かって、決意の表情を見せた。
迷いの消えた、澄んだ目で魔理沙を見つめる。
「10分、待ってください。準備があります」
「……準備?」
「はい、お願いします」
「まあ、私の準備もそれくらいかかるから、いいけどな」
「ありがとうございます」
悟は、丁寧に、頭を下げた。
魔理沙の姿が、部屋の中に消えるまでずっと、頭を下げていた。
「――お守り?」
「はい、これを、首からかけてください」
「ふーん……魔法がかけてあるな。ただの気休めってわけじゃなさそうだが」
「僕が先生を守れる、これが唯一の手段です。必ず……危機の時には、先生を守れると思います」
「防護魔法か? なんだ、そんなのも使えるのか、意外だな」
へえ、と感心する魔理沙に、悟はにこりと笑顔で応える。
商売柄、確かに身を守る手段を持っていることは必須なのかもしれない。敵対者も多いのだろう。
魔理沙は受け取るとそれをしっかりと首にかける。飛ぶときの邪魔にならないように、服にピン止めをしておく。
悟に向かって頷く。
「ありがとな」
「いえ。大好きな先生のために力になれるのなら、少しでも何かしたいですから」
「……お前ね、だから……」
「本当ですよ?」
不意を打たれて言葉に詰まってから、呆れた顔を見せる魔理沙に、悟は微笑を返した。
……今度こそ、言葉を失ってしまう。
口をぱくぱくと2,3度動かしながらも、何も出てこない。
悟は、ただ魔理沙を優しげな表情で見つめるだけ。
……魔理沙は、ふいっと顔を逸らして、悟に背中を向けた。
「気が散る。やめてくれ」
「ごめんなさい、先生」
「……ふん」
箒にまたがる。たん、と軽く地面を蹴って、飛び上がる。ふわり、体が浮く。
背中を向けたまま。
「留守番頼んだからな。くれぐれも部屋の中のものには触るなよ」
「はい、お気をつけて」
飛ぶ。
あっという間に飛び去っていく魔理沙を、悟はじっと見送った。夜空を見上げて見送った。
やがて後姿も見えなくなると、ゆっくりと、目を閉じた。
「ありがとうございました」
『生きているときにどこかで、魔法が使えて本当によかったって感謝するときがきますから、絶対』
いつか、魔理沙に言った言葉。
魔理沙に出会えたことがその1回目。
今がその2回目。
事件の黒幕は、悠然と夜空に身構えていた。右手に青白く光る剣のようなものを下げて。
「また来たか。君が今夜4人目の犠牲者だ」
魔理沙が適当な間合いまで接近すると、それは言った。
にやり、と残忍な笑顔を見せて。
「――人間?」
魔理沙は眉を顰める。
「ああ、そうだ。……なんだ、そういう君も人間だな。別に人間を殺すつもりはない、死にたくなければ大人しく帰ってくれ」
残念そうに、人間は言う。
「悪いが、殺されるつもりも、大人しくするつもりも、帰るつもりもない」
「そうかい。それなら一緒に妖怪退治と洒落込むかい?」
「あんたの目的は妖怪退治か? はた迷惑だな、そんな変な武器まで持ち出して」
魔力は、人間が持つ剣に向かって流れていた。
周囲の魔力が、まるで吸い込まれるように剣に集中している。
「素敵だろう? 山奥の洞窟なんていういかにも怪しいところに封印されていたから、解いてみたんだが……大当たりさ。こいつは最高だ」
「自慢話に興味はない。魔力を返してもらうぜ」
魔理沙は姿勢をたたみ、箒の角度を変え、戦闘態勢に入る。
「ああ? 戦う気かい? そいつぁ――」
にやり。
また、悪役全開の笑みを浮かべる。
「せっかくだから、ちゃんと死ぬ前にこの剣の感想を聞かせてくれよ?」
剣を、正面に構えた。
魔理沙は、すぐさま動いた。
まずは様子見をかねて、不意打ち的に最高速の閃光弾を真正面に打ち込む。人間がまだ剣を構え終わる前に。
――打ち込む、つもりだった。
「――!?」
魔法の発動の瞬間から、急に、発動のために集まった魔力が急速に萎んでいく。
――違う。
魔力が、流れていく――人間の持つ剣に。吸い取られていく。
かろうじて発射された弾に、魔力はほとんど残っていなかった。人間は、剣を一振りして、いともあっさりとその閃光弾を消滅させる。
「く……」
想像もしなかった出来事に、魔理沙の表情が苦々しく歪む。
人間は、余裕の態度で魔理沙を眺める。
「運が悪かったな、魔法使い。この剣は魔法使いを殺すためにあるんだぜ。よりにもよってこの剣にとって一番相性がいい相手ばかりが来てくれるんだから、最高だ。もっとも、魔力の異常を感じてのこのこやってくる奴なんて、魔法使いに決まってるがな!」
人間は、言葉の最後と同時に、剣を振る。
魔理沙までの距離は遥かに離れていて、とても剣が届くような距離ではない。……が、剣を振ったその瞬間に、魔理沙の体を鋭い衝撃波が襲っていた。
「……くっ!?」
ばしんっ! と派手な音をたてて。魔理沙は仰け反りながら、衝撃波の当たった部位を手で抑える。
ローブが、左の肩口から胸元まで剣筋を当てたようにばっさりと裂けている。
ローブの裂け目から覗かせる肌は切れてはいないようだったが、強い打撲を受けて赤く腫れ上がっていた。しばらく経ってから、熱を帯びて痛み出す。
それを確認してから、魔理沙は人間を睨みつける。
「……勘弁してくれよ。服だけ切れる武器なんて、マニアックすぎるぜ」
「切る? とんでもない、それは衝撃で裂けただけさ。切ろうと思えばこいつは骨まであっさりいくぜ? 何、焦るな。最終的にはしっかり切ってやる」
「いちいち言葉が多い」
魔理沙が動き出す。
まずは右に。剣筋のラインから外しに行く。
先程より意識を集中させて、魔法弾を生み出していく。生み出される直前から、やはり急激に魔力が抜けていく。構わずさらに魔力をつぎ込んで、閃光弾を3つ作り出す。
タイミングと場所を少しずつずらして、打ち込む。先程よりはしっかりとした形を持った閃光弾が人間に迫る。
――が、これも簡単に、剣の一振りで消滅させられた。3つとも、同時に。
魔理沙は舌打ちして、一度距離を取る。
風圧が、耳元を掠めていった。次の衝撃波は、なんとか避けた。
作戦を考えないといけない。
まともに魔法弾を撃っていくだけではまるで相手にならない。いつもより激しく魔力を消耗するにも関わらず、有効な打撃を与えられるような威力を全く生み出せない。
しかし、考えるまでもなく、魔理沙の武器は魔法だけだった。魔法使いなのだから。
少なくとも、ただ数撃ってなんとかなる状況ではない。どれだけ多くの弾を撃とうとも、貧弱な魔力しか残っていないようでは全て一振りで片付けられてしまうだろう。
なんとか一発を当てたい。
となれば――
苦手だが、挑戦するしかない。
星型弾を生み出していく。2つ、3つ、4つ、5つ。やはり同じように魔力が抜けていき、大型のつもりで作った星型弾がかなり小粒になっている。
撃つ。
一つは相手の真正面向けて。残りはその周辺を囲むように、少し距離を離して。
人間は今までどおり剣を振って、正面にきた弾を打ち消す。さらに切り返して、衝撃波を打ってくる。
「……ぐっ!」
今度は完全には避け切れなかった。また激しい音を立てながら、左足の太ももあたりのローブが切り裂かれる。
衝撃と痛みをなんとか堪えながらも、魔理沙は意識をまだ魔法に集中させる。
新しい魔法弾ではなくて、先ほど撃った星型弾の残り4つに。
回避を犠牲にしてまでチャレンジしたからには、成功させなければいけない。すでに人間の後方までに流れていた星型弾に、ベクトルの変化を与える。4つ同時に。後ろから人間に向かって――
さらに新しい閃光弾を一発、放つ。また、真正面から。タイミングは完全に合った。
人間が剣を振って閃光弾を打ち消したの同時に、4つの星型弾が人間の後方に直撃する……前に、人間は背中に向かってもう一度素早く切り返して――
「ち……」
一つだけは打ち消されたが、3つの星型弾はまともに命中した。人間が舌打ちしながら、身をかがめる。
太ももを少し押さえながら、魔理沙は安堵の息を漏らす。撃った後に方向を変えるような練習はほとんどしたことがない。撃った瞬間に詰みが確定するような攻撃を生み出すのが魔理沙の信条であり、実戦でこのような軌道変化をさせたのはこれが初めてだった。
それほど大きなダメージにはなっていないようだが、まだ、構わない。この一撃で確認できた。相手は、避ける能力はまったくない。剣で攻撃を消すだけだ。それなら、まだ勝機はあるだろう。
――ぶわり。
風が揺れた。
人間が、うずくまった体勢から急に3回剣を振ったのだと気付いたときには、2回の衝撃波が魔理沙の体を貫いていた。
「っ!!」
ばしんっ!
辛うじて本能的に頭だけは守ったのが幸いし、ガードに入った腕が代わりに吹き飛ばされる。
2発目は心臓の下あたりに直撃した。あともう少しずれていたら――という位置だ。感触から、かろうじて骨はいってないことがわかる。ぎりぎりだった。
衝撃で、少しの間墜落する。
すぐに体勢を立て直すが、その頃には人間も剣の構えを元に戻していた。
お互いダメージを負った状態で、仕切りなおし。
ダメージの大きさでは、魔理沙が不利。
同じ手は何度も通じないだろう。
魔理沙に使える戦法が一種類しかない以上、次の一手でなんとしても決めなければいけない。
まだ相手に少しでもダメージが残っているうちに。速攻で決める。
閃光弾を生み出す。今までどおり急速に奪われていく魔力。
もはや遠慮はしない。萎んでいく閃光弾に、次々に魔力を吹き込む。魔力がどんどん奪われていくが、気にしない。4つの閃光弾を生み出し、全てに全力で魔力をつぎ込んでいく。これで全部使い切る予定だ。もはや残す魔力は、最後の方向調整のための分だけ。
ここで決めるためには、余力など残すつもりでは話にならない。
当てれば勝ち、当たらなければ負け。そのつもりで行く。
魔理沙の魔法を見て剣を構えた人間に目掛けて、閃光弾4つを、一つずつ順番に撃ち放つ。
一つ目はやや上に。
二つ目はやや下に。
三つ目はやや右に。
四つ目はやや左に。
人間も、ここからこれが曲がることはもう予想済みだろう。
しかし今度はタイミングがずれている。どこからどう。曲がるかは読みづらいはずだ。魔理沙は、もっとも効果的な弾道のパターンを計算し、操作の準備を――
――人間が、そのとき急に動いた。
「え……」
虚を突かれる。
人間は――魔理沙に向かって、真っ直ぐ、突っ込んできた。
「!!」
しまった、と思ったときには、手遅れ。なんてことだろう。策を練るあまり、基本を忘れていた。真正面を空けてしまうなんて、どうかしている。
本来ならばここで真正面に打ち返せばいいだけの相手の突撃。しかし、魔理沙は、最後の魔力を今の閃光弾の操作に使っていた。最後の一発が、撃てない。
回避。間に合わない。操作の準備のせいで動きが一瞬遅れてしまう。これでは無理だ。
人間は剣を突きに構えて、真っ直ぐに、最高速で飛んでくる。
こうなれば、操作用の魔力を一つに絞って、相手の突撃より速く閃光弾を操作して当てるしかない。計算上は、これならぎりぎりでこっちのほうが速い――!
ぶん、と人間の持つ剣が真正面に突き出された。まだ魔理沙には届かない距離から。
空を切ったその突きが生み出した衝撃波で、魔理沙は成すすべもなく後方に吹き飛ばされる。その一瞬で、閃光弾の操作が僅かに狂った。
(あ――終わり――だ)
最後の計算も狂わされ、手のなくなった魔理沙に向かって、人間は最後の一歩を踏み出して。
剣先で、正確に心臓部を貫いた。
剣先が皮膚を刺した一瞬。
胸元が突如、青く輝いた。
強い光ではない。鈍く輝いたという程度の光。
不気味な色の光だ、と魔理沙はぼんやり思う。だけど、何故か嫌いじゃない。
致命傷を食らったというのに、魔理沙の頭に浮かぶのはそんなことだった。
もはや完璧な、致死の一撃で――
だというのに。
痛みは全く感じなかった。一瞬過ぎて感じなかったのかとも思ったが、そういうには時間が経ちすぎている。
何より、意識が、はっきりしている。
「――?」
この感覚。
間違いなく、生きている。
いや、それどころではない。
(無傷……なのか?)
今でもまだ確かに剣が心臓を貫いているはずなのに。心臓は、動いている。ダメージを負った気配がない。
「――!」
そう気付いた一瞬から、体内を貫いている剣から、魔力が流れ込んでくる。
魔理沙の内部に、膨大な魔力が一瞬にして流れ込んできた。魔力を吸い取った剣からの、逆流。
あまりの濃密な魔力の負荷に、悲鳴をあげる。
「な……なんだと……!?」
目の前には、驚愕している人間の顔。
慌てて剣を引き抜こうとしている。魔理沙の体の中に確かに埋まっている剣を。
魔理沙の意識が再び戦闘用に切り替わるのと、剣が体から抜かれるのは、同時だった。
その瞬間に、膨大な魔力の流れが止まる。それでも既に、魔理沙の中には自分自身を壊しかねないほどの魔力がチャージされていた。
ここで、考えるべき事はひとつ。
この魔力を、全て、純粋な破壊力に変えることができるならば。
魔力を吸い取る武器だろうと、恐れる必要などない。吸い取られるよりもずっと速く、ずっと強大で濃縮した魔力で圧倒してしまえばよい。
咄嗟だった。
全ての魔力を一瞬で凝縮し、胸元の前の空間に集め。
凝縮した反動で爆発的に膨れ上がる魔力の塊を、全て純粋なる力に変換する。
「……ば……」
人間は、表情を歪めながら、もう一度剣先を突き出して魔理沙を貫こうとする。その剣先に魔力が吸収されていくが、関係ない。そんなスピードではこの魔法は止まらない。
「い……けええーーーーー!」
放つ。
人間の、真正面に。何の計算も必要ない。
人間の驚愕と恐怖の顔が見えたその瞬間には、勝負は決まっていた。視界を真っ白に埋め尽くす極大の閃光。
あまりの破壊力のエネルギーに、大地が揺れた。
閃光は、人間とその剣と夜空を巻き込んで、どこまでも破壊を続けた。
すう――と、胸元の光が、消える。
悟から受け取ったお守り。光っていたのはそれだった。
ちくり。胸元が少し痛む。皮膚の表面くらいは切り裂いたようだ。だが、とても、心臓を貫いていたとは思えない程度の軽い傷だ。
お守りをそっと手にとって、魔理沙は目を閉じる。
「――あいつは」
このお守りが守ってくれたことは、疑うべくもない。だとしたら、致命傷をほぼ無傷にしてしまうほどの強力な防護魔法ということになる。
魔理沙は、すぐに踵を返す。家に向かって。
人間と、あのやっかいな剣は、いずれも魔理沙の魔法で消滅していた。気にする必要はない。
家までの道を、ただ急いで、無言で引き返していった。
『いつかは、先生と一緒に飛んで、戦って、先生を守れるように……なりたいです』
いつか、悟が言った言葉。
飛んでも戦ってもいないが、誓いは早くも、守られていた。
悟は、庭のテーブルの隣で、静かに眠っていた。
いつもより控えめながらも、幸せそうな笑顔で。
魔理沙は近づいて、顔を覗き込む。
いつもなら、この距離まで近づけば確実に起きる。今日は起きない。
手を伸ばして、そっと手を持ち上げて、軽く握る。冷たい。
成る程、体がすでに活動を停止しているのならば、目を覚まさないのは道理だ。
腕を撫で上げる。すでに硬くなり始めている。
外傷はどこにもない。ただ、体が生命活動を終えていた。
「――生命接続か。ちっともまともな魔法じゃ、ないぜ」
魔理沙は呟いて、手を離して、もう一度悟の顔を正面から眺めた。やはり、幸せな笑顔がそこにあった。
生命接続は、呪詛と呼ばれる系列の最高峰にあたる魔法だ。
呪詛は人を呪い貶め苦しめあるいはその命を奪うための暗い魔法の系列である。悟が生まれてから長い間教え込まれてきた魔法が呪詛であることは間違いない。
生命接続は、中でも悪質極まりない呪いの魔法である。
この魔法は、呪いの藁人形を考えると簡単に理解できる。藁人形に与えた打撃を呪った相手に移し変え同じ打撃を与えてしまうのが呪いの藁人形であり、生命接続はそれを魔法として完成させたものだ。魔法には呪う相手の体の一部が必要という点でも同じである。血液であれば最高だ。
生命接続では呪う相手の生命を何らかのアイテムにリンクさせる。アイテムは何でもよい。あとはそのアイテムに、相手に与えたいダメージの質と同じことをしてやればよい。その気になれば、どんな残忍な痛めつけ方でも可能だ。呪われた相手は、外見にはなんともないが、ただ苦痛だけを受け続ける。そのアイテムになされている行為と同じだけの苦痛を味わい、しかも逃れる手段はまったく無い。そして、アイテムになされている行為と同じことをされたときに死ぬというタイミングで、命を失うことになる。
この魔法の際立った特徴は、相手の死をその場で確認できることである。アイテムを何に選ぼうと、相手が死ぬまではアイテムには一切の傷がつかない。火の中に投げ入れても燃えない。相手の生命が失われたとき、初めてアイテムは本来の性質どおりに壊れ始めることになる。それを見れば相手の生死がわかる。
この魔法一つで、確実に相手を死に追いやることもできれば、思い切り苦しませてから殺すことも、また殺さずにじっくりと”壊して”いくことも可能である。一人の相手に対しては究極の呪いの魔法である。
悟は、つまり、この呪いを自らにかけた。
そして魔理沙に渡したお守りに自らの生命をリンクさせたのだ。
呪われた相手の命が失われるまでの間は、リンクしたアイテムは完璧な鎧になりうるという性質を利用して。
さらに、この魔法には一工夫が重ねられていた。
確実に、必要なタイミングで魔理沙を守ることができるように。
魔理沙に致命傷が降りかかるのを察知した瞬間に、お守りにリンクさせておいた生命を、さらに魔理沙をアイテムとしてリンクを繋ぎ変えたのだ。
「無茶苦茶だ。そんな魔法の使い方があるか」
悟は呪詛の使い手としては、間違いなく一流の魔法使いだった。
自分のいない場所で生命接続の”動的リンク”を行った例など、聞いたこともない。誰もそんなこと、考えもしなかっただろう。
これほどまでに呪詛を極めながら、それでもなお魔理沙に弟子入りして、違う道を求めたのだ。
その結果として、わずか2ヶ月足らずで自らの才能を滅ぼしてしまった。
空を見上げる。
――目を閉じる。
呪いで死んだ魂は決して救われはしないだろうけれど。
「魔法使いなら、死んでからの道だって自分でなんとかしてみせる、だろ?」
魔理沙はお守りを外し、横たわる悟の首にそっとかけた。
墓は、彼が愛した場所に。
あの薬草草原の真中に、ひっそりと建てた。
あのとき咄嗟に放った、魔力を一気に放出する攻撃魔法。
魔理沙はこれに改良と実験を重ね、後にマスタースパークとして完成させていく。
星の魔法は星の魔法で、より美しく、より芸術的に、より戦略的にと昇華させ。
この系列の魔法を、魔符と呼び。
破壊力重視の、一気に魔力を集中させて攻撃に変える魔法もまた、別に進化させてゆき。
魔理沙はこの、新しい系列の魔法を、恋符と名付けた。
→Next.... 魔法使いのロジック【恋】