[人妖 - The Beginning of The Last Battle- ]
夜が明けた。幻想郷は月を取り戻した。
偽の月事件解決の功労者たちは、一本の木の下で休息している。
二人の少女。人間と、妖怪。
木を挟んで互いに背中合わせの向きに座っていたが、妖怪の少女のほうが先に腰を上げた。
「そろそろ、回復したかしら?」
声にあわせるように、人間もゆっくり立ち上がる。
「私は最初から元気だぜ。アリスのために待ってやってたつもりなんだが」
「そう。無駄な気遣いありがとう。いつでもいけるわ」
「ああ」
木からゆっくり離れる向きへ歩き出す二人。
七歩、歩いたところで、互いに振り向いた。
「確認するが、本気なんだな?」
人間が言った。
「ええ。『本気』よ」
妖怪が答えた。
人間がにやりと笑った。
「これからが今日の本番だな。楽しみで武者震いするぜ」
「楽しむ余裕があるといいわね。今の私は、私一人じゃないわよ。覚悟はできて?」
「ああ、その飛んでるやつも入れて二人だな。そいつが前とは違ってることは、見ればわかる。同時に相手してやるぜ」
「さすがね。でも、ハズレよ」
魔力が場に流れ込む。
魔法使い同士の戦いが始まる合図だ。並みの生物ならば、この魔力の流れを察知しただけで逃げ出していく。都合がいい。遠慮なくやりあえるのだから。
「正解は、三人。私達に、勝てるかしら?」
薄日が二人の間に差し込む。
戦いが、始まった。
[予兆]
人形たちがずらりと並んだ棚。人形の種類は実に多岐にわたっていて、そのサイズ、素材、国籍と、それぞれがばらばらだった。共通しているのは、いずれも綺麗な状態で保管されており、かつ、日常的に「使用」されている形跡があることだ。
パチュリーはそれらのコレクションをひとつひとつ詳細に、飽きることなく眺め続けている。しかし決して触れようとはしない。
アリスが冷えたケーキと紅茶を運んできたときにも、気づいた様子もなく、声をかけるまでずっと没頭していた。
「そんなに面白い?」
ひょこんと後ろから顔を出すと、パチュリーは横目だけで振り返り、こくんと静かに頷いた。
「面白いわね。これだけ多彩なコレクションも、こんなものをまとめて武器として使いこなしてしまう貴女も」
「あ、もしかして、私の秘密を探るスパイ活動だったのかしら」
「探ったところで他の誰にも同じ事はできないでしょう。する意味もないわ」
それに、貴女の秘密なら、あなたが持っている本のほうが余程価値があったわ――とは、心の中だけで付け足しておく。
アリスは、軽く頷いて同意する。もちろん、実際に口に出された言葉のほうに。
「一番面白いのは、その子だけど」
ちら、とパチュリーの視線がアリスの右肩の上あたりに移動する。
そこにふわふわと浮いている一体の人形に。
視線を受けて、人形は恥ずかしそうに小さな両手でさっと顔を隠した。……手の隙間から外を覗き込んでいるのもまるわかりだったが。
「可愛いわね」
「でしょ?」
素直な感想に、アリスは嬉しそうに笑顔を見せる。
パチュリーが短い滞在期間に観察していただけでも、アリスがこの人形を特に溺愛していることは見て取れた。他と違って意思を持ち自立している人形となれば、無理もないだろう。
じっと眺めていると、さっとアリスの背中に隠れてしまった。なかなかシャイらしい。
アリスはそんなやりとりを眺めて、笑った。
「ずっと立ってて疲れるでしょ? ちょっと休憩いかがかしら」
テーブルの上にケーキを並べ、ソファに誘う。
ありがとう、とパチュリーは頷いて、奥のソファに腰を下ろした。座ってみると、ずっと立ちっぱなしだった疲労が一気に襲ってくる。どうやらこんな状態になっていることを気づかないほど夢中になっていたようだ。もうしばらく立ち上がれそうにない。
テーブルに置かれたケーキと紅茶をじっと眺める。
反対側のソファにゆっくり座ったアリスに、遠慮がちに声をかける。
「……これは、見た目どおりのものと思っていいのかしら?」
「……? どういうこと?」
「ごめんなさい、大丈夫そうね。ちょっと向こうの家では……色々あって」
首を傾げているアリスの反応に、まず杞憂だったと知り、安心してそれに手をつける。
フォークで一切れ取って、口に運ぶ。
――途端に、パチュリーは目を丸くして、ぴたりと固まる。
「ど、どうしたの?」
反応を窺おうとしていたアリスは、そのパチュリーの様子に、何か危険なものでも入れてしまっただろうかと慌てる。そういえばアレルギーの確認もしていなかった。人形も真似をするようにおろおろと不安の表情をしてみせる。
パチュリーはぷるぷると首を横に振って、今にも涙を流しそうなほどに表情を歪めて……フォークでもう一口切り取って、食べた。
本当にどうしたのかと不安になっているアリスに向かって、ぽつりと、呟く。
「……ひどい」
「えっ……」
やっぱり、泣くほど口にあわなかったのか。それとも何かまずい材料を使っていたか――
「これが本当のケーキの味なの? 今まで私がケーキだと教えられて食べてきたものは何だったの? ……こんな味知ってしまったら、もう、向こうのケーキなんて、食べられないじゃない」
まるで別れを切り出す恋人かのような、苦しい、喉の奥から搾り出すような声で、言った。
ついに、ほろりと涙がこぼれだす。
ぽろぽろと、小さな涙のしずくがテーブルに落ちていく。
「え、え、え……?」
あたふたと慌て、どうしたらいいのかわからないアリス。
パチュリーは涙をぬぐったあと、アリスの顔を見つめる。
「貴女が焼いたの?」
強い声で。責められているような気分になる。
「う、うん」
「貴女、紅魔館で働きなさい。私が強く推薦してあげるわ。いえ、なんとしてでも通してみせるから。かなりいい条件で雇うように交渉することだってできるわ。必要だったら週何回かのここからの通いでも構わないように――」
「って、ちょっと、待ってっ。落ち着いて……ね?」
「……」
「え……と。美味しかった、のよね? 嬉しいわ、ありがとう。魔理沙も美味しいって言ってくれたけど、ここまで感激され……たのかどうかもわからないけど、とにかく気に入ってもらえるとは思わなかった」
パチュリーの眉が、その言葉の途中でぴくりと反応した。
「あの人間も?」
「うん」
「そう、凄いわね」
「?」
微妙な反応に、アリスは顔に疑問符を浮かべるが、その話はそこで終わりになる。
パチュリーは真剣な顔でさらに言葉を続ける。
「この様子だと、ケーキだけじゃなくて料理も上手なんでしょう?」
「あ、うん。結構……自信があるほう、かな」
えへん。と、何故か人形のほうが胸を張ってみせる。
「結構、ね。あなたは自覚ないでしょうけど、今のケーキにしたって、うちのメイドたちが作るものとはまったく比較にならないとんでもないものよ。もともと味なんかにこだわる住人がいないからではあるんだけど。レミィは――ちょっと、違うし」
実際のところ、パチュリーにしたって、たった今「本物の味」を知るまで、ケーキというのはほんの少し甘いだけのぱさぱさして味気ないものだと信じて疑っていなかったのだ。そもそも食事という行為自体について考えても、素材の美味しさの違いは当然あるにしろ、そこから調理にこだわって感動を生み出すなどという発想など最初からないのだ。紅魔館に住んでいるような生物は、誰も。
きょとんとしているアリスに向かって、パチュリーは手を差し伸べる。
「で、どうかしら。働く気は? 今よりいい暮らしができることを保証してあげる」
「あ……あはは」
本気の目のパチュリーに、アリスは苦笑いで答える。
「悪いけど、私は刃物通り魔の下で働く気はないの」
「あら、別に下じゃなくても、対等くらいになら問題なくできるけど」
「なんにしても、遠慮しておくわ。……否定しないのね、刃物通り魔の部分は」
パチュリーは残念そうにため息をつくだけで、それ以上のコメントはしなかった。
それならいずれ刃物――今のメイド長が引退したときにでも、と誘おうと思ったが、ずっと先になりそうでもあるし、今言うべきことでもないと判断した。
紅茶にも手を伸ばす。こちらは、普段からよく飲んでいるものとそれほど劇的な違いはなかった。風味はよく知ったものとは少し違うものではあったが。
その後は、二人で静かに、このケーキと紅茶をゆっくりと味わった。
特にパチュリーは一口食べるごとに一瞬意識が飛んでいるのではないかというほどにぽけーっと感動に震えながらだったので、ことさらに遅かった。
人形は、その間、二人の様子をじーっとうらやましそうに見つめながらふわふわと浮いていた。
窓から外を眺める。
雨はもう上がっていた。今の時間ならまだ、日が暮れる前に帰ることができそうだ。
「ありがとう。迷惑かけたわね」
パチュリーは、アリスに向き直って言った。
「あ、ううん。迷惑なんかじゃないわよ。あんまり人が来ないから楽しかったし。……もう、行くの? 体は大丈夫? もっとゆっくり休んでいってくれても、私は……大丈夫だけど」
「ありがとうね。もう平気よ。ゆっくりしたいのはやまやまだけど、あまり遅いと心配かけるから、帰らないと」
「そう。そうね。気をつけてね」
アリスの口調に、少し寂しさが混じる。
人形も同じように、しゅんと俯いている。
この二人はいつも同じ行動を見せていた。主に人形のほうが真似をしているのだろうが、真似にしたところで、これほどまでに豊かな表情を見せる人形など見たことも聞いたこともない。パチュリーの豊富な知識をもってしても。
じっと見つめていると、人形はささっとアリスの背中に隠れる。この反応にももう慣れた。
「森の外までは案内するわ」
「いえ、大丈夫よ。外に出て高い場所から見れば場所も方向もすぐわかるから」
「そう……」
ありがとう、ともう一度パチュリーは言った。
「私も、貴重な体験ができて楽しかったわ。体が弱くていいこともあるものね」
もし、パチュリーが宴会の途中で倒れたりしなければ。今回を最後に宴会は当面開催されないだろうということを考えると、もともと外出することも珍しいパチュリーにとって、おそらくこのアリスの家に来る機会など一度もないままだっただろう。休息場所としてアリスの家が選ばれたのは、大人しく隅のほうでひっそりしているほうが好きな者同士としてよく二人一緒にいることが考慮された結果だった。実際、意識を失ったそのとき、隣にいたのがアリスだったのだ。
パチュリーのストレートな気持ちの表現に、アリスは少し赤面する。好意的な言葉を受け取ること自体、あまり慣れてはいないのだ。
「……でも、健康なほうがいいわよ、やっぱり。頑丈なだけが取り柄のガサツな魔法使いっていうのも困りものだけど」
「その唯一の取り柄に負けている私達は、あまり大きなことは言えないわね」
「……違いないわ」
もうある程度まで構造を覚えた家の中を歩いて、玄関に向かう。
さほど広い家ではない。一人で住むには十分すぎる広さだが、どこか空間がねじれているのではないかと思えるほどの広さを誇る紅魔館ならば、この家を何十軒も収納できてしまうだろう。
扉を開ける前に、パチュリーはここでまた振り返った。
「こんなところに住んでるんだから」
「え?」
少し唐突に切り出された言葉に不意を打たれ、アリスは目を瞬かせる。
「あれにまた、挑戦するつもりなんでしょう? 近いうちにね」
あれ。
二人の間で、代名詞で通じる対象といえば、一つしか存在しない。
アリスは、少し迷ってから、こくんと首を縦に振った。
「今度は、紅魔館の図書館にも来るといいわ。ここにある十倍くらいの本があるから、きっと色々と勉強になるわ」
「あ……うん。ありがとう」
「場所はあれが知ってるでしょうから、聞いてみて。――あと、初めてのお客様には無条件でちょっと手荒な歓迎があるけど、貴女なら大丈夫」
「……ナイフが飛んでくるのかしら」
「ええ、それはもう。まずは入れればだけど」
「機会があれば、期待に応えてみせるわ。なんとかなるでしょ」
パチュリーは小さく頷くと、扉のほうに向き直って、自分で扉を開けた。
光が玄関の中に差し込む。まだ十分に明るい。
「またね」
「うん。元気でね。ちゃんといいもの食べて健康になってね」
再開を前提にした別れの挨拶を。
「――と――みたい」
「え?」
パチュリーは最後に何か呟いた。背中を向けているということもあって、ほとんど聞き取れなかった。
聞き返そうとしたが、すぐに飛び立ってしまった。
軽く首をかしげながら、その後姿を眺める。
姿が見えなくなったところで、扉を閉めた。
「いい子だったわね」
うんうん。
アリスの言葉に、人形が力強く頷いて同意する。アリスはその頭を優しく撫でる。
「もう友達かな?」
ぐっ。
人形は強く拳を握ってみせた。私が保証する、と言いたいようだ。
くすくすとアリスは笑って、人差し指でちょん、と拳をつついた。
[人間(一) - The Only -]
霧雨魔理沙は魔法使いだ。ただし存在としての魔法使いではない。
人間でありながら魔法使いとして生きる、極めて稀有な存在である。少なくともこの幻想郷には魔理沙以外の”職業魔法使い”は一人もいない。
存在として魔法使いであるアリス・マーガトロイド、そしてパチュリー・ノーレッジとはこの点において決定的に異なる。彼女たちにとっては魔法を使うことは生きることと同義であると定義しても差し支えないが、本来人間は魔法を使わなくても生きていけるのだ。
そして後天的に魔法使いである魔理沙は、生まれながらに魔法使いである妖怪たちに、魔法での戦いで、勝利してしまった。
魔理沙の戦い方はパワーとスピード任せで、若さ任せでもある。ある意味で、魔理沙がもっとも強いその瞬間に、この偉業を成し遂げている。衝突の時期があと数年前後にずれていたらこの革命的な出来事は起きなかったかもしれない。しかし、現実には起こった、これは史実だ。
言うまでもなく、自覚のないままに幻想郷でもっとも強い魔法使いとして君臨することになった魔理沙の最大の弱点は、人間であることだった。しかし同時に、魔理沙を何より魅力的に輝かせているものは、その事実であった。
霧雨魔理沙は、魔法使いだ。そして、人間だ。
[突破]
魔法使いにとって、本を読むという行為は絶対に欠かすことが出来ない。
どれだけ実践派のタイプだろうと、本から一切の知識を得ずに勘と経験だけで魔法を作り上げ育てるのは無理がある。既に魔法は高度に発達した科学と同じであり、先人達の知恵と知識を踏み台にしなければオリジナルを生み出すことも難しい。思いつきで新しい魔法が出来上がることもあるが、それはあくまで膨大な知識量による基礎が築かれていることが前提となる。
そもそも本自体が魔法そのものであることも珍しくはない。このような書物は魔道書と呼ばれ、大抵は極めて強力かつ危険な魔法であり、厳重に保管されているか、封印されていることが多い。
たくさんの本がある、というのは魔法使いを誘い込む最高の口説き文句になり得る。本の山は宝の山であり、それをただで読み放題であると言われたならば地獄であろうとついていくという魔法使いもいてもおかしくないだろう。
さて、これから向かう場所は果たして地獄なのか。悪魔が住んでいる場所であることには違いない。言葉どおりに。
アリスは最後の宴会から一週間後、紅魔館の図書館を覗いてみる決意を決めていた。パチュリーの圧倒的な魔法の力が無数の本に起因するものであることは疑うべくもない。
当面の最終目的を考えると、そこまでの道案内を魔理沙に頼むというのは奇妙な話だ。しかし、近くで他に確実に道を知っている者が、少なくともアリスが話せる相手の中には、いない。
というわけで――
「そこまで遠いわけでもないし、一回行けば覚えるさ」
今、魔理沙とアリスは二人並んで飛んでいた。
空の旅は陸上の旅と異なり、目標地点の方向に向いて真っ直ぐ飛べばほとんどの場合問題ない。気流が荒れていたり鳥の大群が飛んでいたり、あるいは強力な結界があったり航空路が空に住む妖怪の領空内だったりすると軌道修正が必要になることもあるが、大幅な遠回りをしなければいけないことは、まずない。特にアリスや魔理沙のような十分な実力者であれば、ほとんど空の旅に懸念事項が生じることはない。
そういったわけで、最初アリスはおおまかな方向と途中の目印くらい聞いてあとは一人で行くつもりだったのだが、ついでに自分も用事があると魔理沙も行くことになった。
「吸血鬼退治でもする気になったか?」
「なんでそんな何のメリットもないことしないといけないのよ」
「損得だけで物事見ると世界が全部モノクロになってしまうぜ」
「視界が全部魔理沙みたいになるのかしら。恐ろしいわね」
「おお、そいつは恐ろしい。私の獲物がいなくなる」
適当に交わされた会話はその程度で。
特に、それなら何をしに行くのかと追及されることもなかった。あるいは最初からわかりきっているのかもしれない。同じ魔法使いなのだから。
三時間ほど飛び続けた。
目下に、明らかに怪しい巨大な洋館が見えてきた。
高貴な妖怪がここに住んでいますよという空気をこれでもかと醸し出している。
あえて説明を受けるまでも無く、目的地に辿り付いた事を確信する。何より魔理沙はここで高度を落とし始めている。
そして門の前で着地するために減速――
――しなかった。
そのままの勢いで、まるで門に突撃するかのように進み続けて。
魔理沙の腕の一振りと同時に、視界の先が巨大な閃光で埋め尽くされ、地震のように周囲の空気が激しく揺れた。
「……!」
マスタースパーク。
これ自体はアリスも何度か見たことのある、魔理沙のとっておきの魔法だった。
ただ、あまりに唐突なこの事態に、不覚にも驚いて何歩か後ずさってしまった。
明らかにそれは、門に向かって放たれたのだ。
「ちょっ……!? な、なにやってんのよ魔理沙……!?」
長い閃光がようやく静まり、視界が戻ってくる。
視界に飛び込んできたのは無残に崩壊した門と洋館の姿――ではなかった。そこに見えたのは傷一つない門と、その前に立ちながら真っ赤な顔で魔理沙を睨みつけている一人の少女の姿だった。ぷすぷすと髪や服の一部が焦げたり破れたりしている。
魔理沙は、今自分がいきなり破壊魔法を放ったことなど気にした様子も無く、元気な声で少女に話しかけた。
「よっ! ちょっと久しぶりだな。元気か?」
「こ……今日こそ、殺す……!」
「おいおい、物騒だな。ほら今日は新しい顔も一緒だ。笑顔で挨拶、忘れるな。第一印象がその後を決めるからな」
ぎろり。
魔理沙がアリスを適当に指差すと、少女はアリスのほうを思い切り睨んでから、すぐに魔理沙に視線を戻した。
「二人がかりなんて、そんなに私を恐れてるの?」
「ああ、怖いな。怖い怖い。私の貴重な時間を何分か無駄にされるのがかなり怖い」
「ぶざけるなっ!!」
ぶんぶんっ
少女の手から、閃光弾が多数放たれる。
魔理沙はそれをひょひょいっと軽くよける。
「わわ……っ」
何の予告も無くアリスのほうにも飛んできた。慌てて回避。
「おーい、アリス」
ひょいひょい。
軽いステップで弾を避けながら、魔理沙はアリスのほうに振り向いた。少女に対して背中を向けている。その体勢のまま次々に回避を続ける。
「この機会だし、これ、やっつけてみないか? 結構楽しいぜ」
ひょい。ひょひょい。
「な、なんで無意味な戦いしないといけないのよっ」
「いや、こいつ倒さないとここ進めないシステムになってるし」
「……そんなこと言ってたような気がするわ、そういえば」
アリスは頭を抱えつつ、同じように飛んでくる閃光弾を避け続ける。
ため息までついてみせる。
「面倒だから、嫌よ。変な恨み買いたくないし」
「ちぇ。面白くない奴」
魔理沙は口を尖らせつつ、少女の方に向き直った。
「というわけで、今日もいつも通り私に大人しく殴られてくれ」
「く、くそっ……二人とも馬鹿にして……!」
「行くぜ」
ぶん。
空気が変わった。魔理沙が姿勢を低くし、戦闘モードに入ったのだ。
アリスは少し離れて、見学に徹することに決める。魔理沙の戦い方をよく見ることが出来る貴重な機会だ。少女も、マスタースパークを受けてまだ立っていられるのだから、只者ではないだろう。
その意味で、この障害は、非常にありがたかった。おそらく毎度倒されている少女には同情するが、出来る限り全力で戦って全力で敗れて欲しいと願う。
戦いは、一言で言えば、派手だった。
大技が多いという意味ではなく、純粋に見た目に非常にカラフルな戦いだった。なんとなく、アリスは少女の趣味が自分と通じるものがあると感じる。戦い方自体はまるで違っていたが。
見た目の派手さに反して一つ一つの攻撃は、甘い。それを非常に多い手数でカバーしている。魔理沙とはまた違った意味で力技のような戦い方だ。魔理沙の力からすれば遊び相手にしかならない程度かもしれないが、だからといって気を抜くと流れ弾にやられてしまうため油断はならない、そんな相手だとアリスは分析する。
魔理沙も、実際、言葉ほど相手を馬鹿にしてはいない。慎重にじっくりと戦いを進めている。出会い頭こそマスタースパークをぶつけたものの、それ以外は大技なしに少しずつ相手の体力を削るような戦い方になっている。
アリスは魔理沙の戦いをしっかりと観察する。ちょっとした癖を見逃さないように。例えば急に目の前に弾がやってきたときにとっさに回避する方向に癖はあるか。攻撃の種類によって微妙に姿勢や手の位置などが異なっていたりはしないか。組み立て方がパターン化されていたりはしないか。少しでも多くの情報を入手するために。
しかし、魔理沙の戦いは終始オーソドックスなものだった。突飛なことはしない、特別なことはしない、遊んだりもしない。ただ着実に実力差によって相手を追い詰めていくのみ。
毎度負けているであろう少女は、しかし戦略で逆転しようにも、魔理沙が慎重に進めるため隙を作ることもできず苦しんでいる。必死に手数を増やして実力差をカバーしようとするが、魔理沙には通用しない。
「諦めろ。毎回黒こげになるまでやるこたないだろ?」
「全力で守りきるのが、私の仕事だ!」
「おお。名言だ。なら、今回も痛い思いをしてもらうぜ」
見た目には拮抗していた戦いが、ある時から一気にバランスが崩れだす。
一度少女を完全に制空圏内に捕えてからは、魔理沙の独壇場だった。全ての攻撃が当たる。もはや一方的な処刑だ。
バランスが崩れてからの決着は、早かった。最後の賭けで大技に出ようとした少女に、魔理沙の最後のマスタースパークが命中して、それで終了。きっちりと、少女が、特にその服がボロボロになったあたりで決着となった。
「うー……」
「職務に忠実なのも、損だな」
「ごめんね、門番さん」
「お、最後だけいい人アピールで好感度アップ作戦か」
「っるさいわね」
二人はなんだかんだ言い合いながら、少女を放り出して門をくぐり建物の中に入っていった。
「図書館はそう遠くはないぜ」
ふわふわと館内を飛びながら、魔理沙は言った。
実際、館内は飛んで移動できるほど十分に広い。外から見ているよりも広く感じるほどだ。
「なんだ、やっぱり行き先分かってるんじゃない」
「そりゃ他にどこ行くっていうんだ」
「まあね」
飛びながら移動していると、突然目の前に何かが現れ、次の瞬間には魔理沙の蹴り一発が炸裂し、よく姿も見えないままそれは遠くまで飛んでいった。背中に翼が見えた気がした。悪魔の一種だろうか。
「……い、今のは?」
「図書館行こうとするといつも邪魔する奴がいるんだ。ま、存在を気にするほどの奴じゃない。蹴っておけば十分だ」
「ふーん」
アリスもそれ以上興味を持つことなく、ふわふわと魔理沙のペースにあわせながら飛んで、道を記憶していった。
まもなく、大きな扉につきあたる。
「到着」
「案外あっさり来たわね」
「今日はメイドの邪魔が入らなかったからな。あれが来ると正直言って結構きついしかなり面倒だ。会うかどうかは運だな」
「確かに、やっかいね……気づいてないわけでもないんでしょうけど」
魔理沙が扉を開ける。
目の前に、暗く、今までよりさらに広い空間が広がっていた。扉を閉めると、一気に静寂に包まれる。
図書館という割に、ここには何もない。空間だけがある。外から日は差し込まず、ぽつりぽつりと点在しているランプによってかろうじて視界がある程度確保されている。
アリスは疑問に思いながらも黙って魔理沙についていく。少ししたところで、この部屋の反対側の壁にたどり着き、小さな扉が見えた。
魔理沙はここで箒から降りて、地面に足をつける。アリスもそれに習って着地する。
がちゃ、と扉を開ける。
「お邪魔するぜ」
部屋の中に、魔理沙が声をかける。アリスからはまだ部屋の中は見えない。
「ちゃんとノックしなさいって前にも言ったはずだけど」
部屋から返事がきた。
聞き覚えのある声。アリスは続いて扉をくぐる。
そこに、予想通りの、少しだけ久しぶりの姿があった。パチュリー・ノーレッジは、以前見たときと何ひとつ変わらない姿でそこにいた。
「こんにちは」
「あら」
意外なものを見た、という顔と声。ただし表情の変化は微妙で、よく見ていないとわからない程度。
「来たのね。いらっしゃい、歓迎するわ」
「うん、ありがと」
「私も歓迎してくれよ」
「泥棒を歓迎する家主はいない」
「酷いぜ。ちゃんと返してるぜ、もういらないやつは」
「それは貸し借りとは言わない。一方的に奪って飽きたら捨てにきているだけ」
「まあな。じゃ、今日も何冊かもらってくか」
「……」
パチュリーのジト目をものともせず、魔理沙は言い放って本棚のほうに向かって歩いていった。早くも物色を始めている。
「ちょっと、魔理沙。ええと……ダメでしょ、そういうのは」
アリスはそんな魔理沙を適切な言葉で諭そうとするが言葉が思いつかず、情けない指摘になってしまう。言ってから自分で少し恥ずかしくなる。
遠くから、ちゃんと返事はきた。
「あん? アリスも略奪に来たんだろ? なあ同類」
「違うわよ! ちょっと読ませてもらいにきただけよ……本当だからね?」
言葉の前半は魔理沙に、後半はアリスをじーーっと見つめるパチュリーに。
視線が信じてるわよ裏切らないでねと語りかけてくる。こくんこくんと何度も頷いた。
アリスは明らかに生存しているまたはそこに存在している者の財産は奪わない。どうしても欲しいものであれば、買い取る。相手の存在や相手の格にかかわらず平気で奪いに行く魔理沙との最大の違いはここだと自負している。
もっとも魔理沙も、奪っていくのは必要になったときの必要最小限であり、返せるものは返しているため、まだそれほど悪質ではない。相手にとって本当に大切なものには手を出さないというルールも一応あるようだ。さらに、力関係が格下の相手からだけ奪うわけではなく、欲しいものであればどんな強い相手でも挑戦するという姿勢のため、逆に見ていて気持ちがいいと感じることさえある。実際、魔理沙から何かを奪われた者の中には、それを誇りに思い周囲に自慢している者もいるらしい。
今確実なのは、パチュリーがそのタイプではないということだった。普通に迷惑がっている。本気で止めに行くという様子も見られないが。
私が責任持って止めるべきかしら、とアリスが思い悩んでいると、パチュリーは首を横に振った。無駄だ、ときっぱり言った。諦めているようだ。呆れられ諦められはすれど、恨まれたりはしないのは魔理沙の貴重な才能だった。
少しの間そんな世間話のような会話を交わす。
「あ」
アリスは途中ではっと大切なことを忘れていたことに気付き、慌てる。
ポーチの紐を解き蓋を開ける。と、中からふらふらと人形が飛び出してきた。少しぐったりしている。
ふるふると何度か首を振った後、うーーっと不満そうな目でアリスを睨む。
「ご、ごめんね。今日は長かったから大変……だったわよね……」
ふいっ。
怒ってるんだぞ、とそっぽを向く仕草でアピール。
家から紅魔館まで、そして入ってから今までずっと、ポーチの中に閉じ込められていたのだ。さぞかし窮屈だっただろう。
この人形は自分で飛んで移動することもできるが、このような長距離の移動には耐えられない。長距離飛び続けるときは、荷物扱いにならざるを得ないのだ。もちろんポーチの中にいる間も意識が眠っているわけではないため、少しでも早く出してあげないといけない。今回のようにポーチに閉じ込めたまま話し込んでしまうなど論外だった。
なでなで。
アリスは人形の頭を撫でて、宥める。
何度かアリスが平謝りを繰り返したところで、人形はようやく機嫌を取り戻した。その後はまた、アリスの肩の上あたりをふわふわと漂う。いつものように。
「やっぱり、可愛いわ」
パチュリーが人形を見つめると、人形は照れたように首を横に振るが、今度は隠れはしなかった。少しだけ慣れたのだろうか。
「本、読みに来たんでしょ。ゆっくりしていって」
「うん。ありがと」
図書館はとても広く、とても一度や二度の訪問で読みたい本を探して読みつくすなんてことはできず。
この後アリスは、何度もここに通うことになった。
何度も通って、勉強を重ねた。
Next.... (2)