[革命]

 こん、こん。
 図書館に静かなノックの音が響いた。
「どうぞ」
 パチュリーは本を読む手を止めず、返事を返す。
「失礼するわ」
 ドアを開けるとともに、一言の挨拶を投げかける客人。
 これら一連の仕草と言葉の内容だけで、客人が誰であるかは見ずともわかった。もちろん、声でも判別はつく。
 本から目を上げると、客人――アリス・マーガトロイドは背中でドアを閉め、目が合うとぺこりと頭を下げて礼をした。
 今日も可愛らしい人形を1体、肩の上に乗せている。見えないところには他にも何体か持っているだろう。
「今日は進まない問答も余計な戦闘もなくて助かったわ。――そもそも、友人に本を借りに来るためにわざわざ門番やらメイドやらと戦わないといけないというのが異常なんだけど。何かあったの?」
 アリスはドアの前に立ったまま、パチュリーに尋ねる。
「貴女を正式に客人として迎え入れるように頼んでおいたの。今まで遅れてごめんなさいね」
「あら。助かるわ。これでもっと気軽に来られるのね」
「貴女は特別よ。物を壊したりしないし、ちゃんと本は期日通り汚さずに返してくれるし。メイド達の評判もいいわ」
「……とても当たり前のことのように思えるのは気のせいかしら」
 首を傾げるアリスに、パチュリーは少し遠い目をしながら、軽くため息をついた。
「当たり前のことができないのも、いるのよ」
「大変なのね。まあ、私としては助かるからいいわ。さっきいつもの司書さんにはずいぶんと睨まれたような気がするけど」
「そう。彼女には後できつくお仕置きしておくわ」
 容赦ないその言葉にアリスは一度苦笑いすると、少しずつ歩き出す。
 パチュリーの座る机に向かって。
「でも、今日はさっそくその信頼を裏切ってしまうわね、そうすると」
「?」
 さらにもう一歩。
 お互い手を伸ばせば触れるぎりぎりくらいの距離で、対峙する。

「パチュリー・ノーレッジ。今日はあなたに勝ちに来たの」
 すっと右手を前に伸ばして、柔らかく微笑みながら、宣言した。
 パチュリーは少しの間、きょとんと目を丸くしてそんなアリスの表情を窺ってから。
「あら……びっくりね。学生の暴動かしら」
「いいえ陛下、これは革命でございますわ」
「素敵ね。まずは図書館を襲撃して武器を確保かしら?」
「私の目的はあなただけ。ここで今日戦うことはあなたのメイドにも許可を貰っているわ」
「――ふふ。本当に律儀ね、貴女。わざわざそんな馬鹿な申請したのは貴女が初めてでしょう。レミィもそれが面白くて許可したのね」
 立ち上がる。
 そのまま何も言わずに歩き出すと、アリスも後についていく。
 移動した先は、本が並ばない広いホール。ぽっかりと何もない空間になっている。大量の本が詰まっている図書館の中で、極めて贅沢なスペースの使い方だ。
 二人で、この空間の真ん中で向かい合う。
 ふわり、と、アリスの肩の上に座っていた人形が宙に浮いた。
「今日は体調は大丈夫かしら?」
「ええ。とても調子はいいわ。わざわざ心配してくれてありがとう」
「当たり前でしょ。病気でふらふらしてる相手と戦えるわけないじゃない」
「――素敵。いいわ、貴女本当に面白いわ。その貴重な”センス”が、貴女を固く縛っているし強くもしている。そういうところが、好きよ」
 合わせるように二人、地面を離れ、飛ぶ。
 決戦は空中戦以外にはありえない。この世界では。


 パチュリー・ノーレッジの戦いは、ある意味でとても単純だ。
 魔理沙やアリスのように、魔法を戦術に組み込むといった戦い方ではない。魔法そのものが武器の全てだ。したがって、接近戦にはめっきり弱い。格闘状態になれば、その時点でパチュリーの敗北だ。
 その分、魔法の完成度は前述の二人に比べて桁違いに高い。使える魔法の種類も多彩で、しかも一つ一つが非常に高いレベルで完成されており、破壊力も十分にある。パチュリーの使う魔法に破壊力で勝る魔法は、幻想郷にはただひとつ、マスタースパークしか存在しない。
 パチュリーの弱点は、ともかくも体が弱いことだった。本気で倒したいのならば、弱っているときを狙うのが一番賢い。もっとも、半端な実力者では、弱っているときでさえ、近づくこともままならないまま一方的にやられてしまうだろう。無限の魔力と知識は、格闘の弱さを補って十分に余りある。
 まして、わざわざ体の調子のいいときに挑戦するなど、無謀と言わざるを得ない。パチュリー本人は、体調に関係なく挑戦があればいつでも迎撃する覚悟はできている。そして、大抵の相手に勝てるつもりでいる。
 パチュリーから見て、アリス・マーガトロイドは、体調が優れないときになら苦しい相手、体調が万全ならばまず負けない相手。そう分析している。ただし、絶対に気の抜けない相手だとわかっている。アリスはとにかく戦術がトリッキーで、読めない。非常に緻密な計算と魔法の制御で、わずかな隙を見せればそこから気付かぬままに追い詰められていくこともあり得る。
 二人は、過去に一度だけ対戦していた。宴会騒ぎの合間、会場前、すなわち博麗神社で出会ったときに。
 そのときはパチュリーの勝利で終わった。お互いに、相手の力量はそこでわかった。
 アリスのこの挑戦の裏に、最近この図書館で勉強を続けてきた成果が隠れていることは間違いない。新しい技でも身につけたのかもしれない。だが、ここの本で身につけた知識なら、パチュリーにとって既知のものだけだ。それほど恐れるものではない。
 気になることといえば。
「早すぎる」
 ぽつり、呟く。
 勉強しにくるペースもそうだが、新たに何かを身につけて挑戦しにくるにしては、あまりに早すぎるのだ。完成度をしっかり高めるのならば、2〜3年はじっくりとかけて育てても悪くないというのに。アリスが初めてこの図書館に来てから、まだ2ヶ月も経っていない。
 魔理沙ならば、わかる。人間の場合は時間は極めて厳しく限られているため、のんびりとはしていられない。その代わり圧倒的な成長の早さを見せ付けることができるのが人間の強みでもある。しかし、アリスはパチュリーと同じ、本物の魔法使いだ。
「急ぐ理由はわからないでもないけど、この短期間でどれほどのことができたのか。見せてもらうわ」

 火の魔法を生み出す。
 火の塊が、一つ二つと宙に出現していく。コンマ数秒後には、火の数はパチュリーの姿を埋め尽くすほどの数にまで膨れ上がる。
 急激な温度上昇に伴って、強い熱風が相手側に襲い掛かる。これがこの魔法の第一波。
 アリスは、このときにはもう、動いていた。多量の光の矢が向かってきている。矢は全て、しかし、火の塊に命中し、互いに相殺し、共に消滅する。――最初から、火の塊を狙った一撃だった。光の矢は、全て一つずつが綺麗に一つの火に吸い込まれるように命中していた。生み出された瞬間の火の塊を、正確に、同時に撃ち抜いていた。
 次の瞬間、パチュリーが火の塊を投げつけたときには、矢によって生み出された隙間を縫って、三色に輝く魔法弾が次々に飛び込んできていた。隙間を見てから撃ったのではなく、どこに隙間が出来るかを最初から計算して、光の矢とほぼ同時に放ったのだろう。スペル使用直後のパチュリーに弾が襲い掛かる。魔法使いにとってもっとも隙ができる構造的弱点の瞬間を着実に狙ってきていた。防護壁を張る余裕はない。
 右に、上に、左に、下に。順番に飛来する弾を体をひねってぎりぎりで避ける。服の端に少しかすったような音がしたが、気にしない。完璧に避けきろうとすると、当たる。幸いにして、飛んできた弾幕は数も少なく詰むようなものではない。慎重に避けていけば問題はなかった。
 パチュリーが全てを避け切る頃には、アリスもまた火の塊を後方に追いやっていた。
「これでいきなり決まるかなとも思ったけど、さすがにやるわね」
「本気で言っているわけではないでしょう。貴女がこれくらいのことはできるのは、知っている」
「ええ」
 この最初の攻防は、わずか数秒間。
 言葉をやりとりしている時間のほうが長い。
 アリスが、一瞬姿勢を低くしたかと思うと、急速に接近してくる。同時に、数体の人形がばらばらに散る。このうち一体が、自立人形だ。他は操り人形。その区別は重要だ。どこに自立人形一体が飛んだかは見極めておきたいが、今はその余裕はない。
 シールド。アリスが飛んでくるその先に、巨大な壁を作る。同時に、シールドを回避して向こう側まで届く軌跡の水流を放つ。飛び込んでくる相手は、これで逃げ道を断たれることになる。アリスは、壁の直前で進行方向を変えて上昇し、水流の隣をかするように避ける。進行方向が変わった。パチュリーからすれば、それだけで十分だ。アリスの向かう先に、巨大な氷塊を投げつける。場所は完璧。まだアリスはシールドを回りこめていない。この氷塊を避けるには、唯一大きく後退するしか道は残されていない。
 ぴし。
 氷塊がアリスを襲おうという直前、シールドにひび割れが入った。一瞬の後に、ひびは亀裂と化し、シールドに大きな断層を作り、まもなくシールド全てをばらばらに分解してしまう。アリスは氷塊が頭に直撃する直前に、シールドのあった場所に飛び込んで、前方へと回避した。
 パチュリーはすぐに、シールドの弱点である上下方向から攻撃を加えて分解させたのだと悟る。もちろんシールドのすぐ目の前にいたアリスには不可能だった。飛び出した人形達を利用してやったのだ。あるいは、最初からシールドが出現することを予想して人形達をばらばらに飛ばせたのかもしれない。
 アリスの距離はさらに縮んできている。やはり計算どおりには動いてくれない相手だと改めて思い知らされながら、今度は真正面から巨大な閃光魔法弾を投げつける。近づけば近づくほど回避不可能になりやすい、純粋に有効範囲の大きさで勝負するための魔法だ。アリスはしかし回避動作を見せず、閃光弾に向かって素早く人形を一体投げる。人形と閃光弾が触れた瞬間、激しい爆発が生じる。
 爆風と光に、パチュリーは目を細めて腕で一瞬視界を遮る。すぐに姿勢を戻して、僅かな隙を作ってしまったミスを取り戻すために周囲全体に意識を張り巡らせる。罠は特に作られていない。
 あの爆発では、すぐ近くにいたアリスのほうがダメージは大きいはずだ。光がやんだとき、アリスは露出した肌の部分に無数の傷を作りながらも、なおも接近を続けていた。もうまもなくパチュリーの敗北領域に入る。あとわずか数メートル踏み込まれたら、その時点で終わりだ。
 だが、パチュリーに焦りはない。ここまでは十分に想定の範囲内だった。アリスの実力ならば、ここまでは来るだろうと確信していた。しかし、この、残り数メートルを抜けることは、絶対に出来ない。
 魔力が二人の間に一気に密集する。アリスは、この瞬間に、くん、と向きを変えて、一気に上昇する。さすがに勘がいい。
 膨れ上がった魔力が、一気に爆発する。先程の閃光弾の爆発とは比較にならないほど巨大な規模。それが、アリスのほうにだけ襲い掛かる。光が場の全てを埋め尽くす。
 ロイヤルフレア。パチュリーの奥の手の一つだ。
 直撃していれば、これで終了。しかしアリスならば耐え切るだろう。直前の回避がなければ、どんな化け物だろうと完全に終わりだっただろうが。
 アリスが回避した方向に向けて、さらに魔法弾を数十発撃ち込む。横から上から同時に向かってきていた人形にも撃ち込んで、突き放す。人形が動いているということは、まだアリスが戦闘能力を維持している証拠だ。光はまだ収まらずアリスの姿は見えないが、魔力の動きから場所は掴める。
 今まさに、上からしぶとく光の矢を放ってこようとしていることも。
 そのポイントに向かって、詰みの弾幕を展開する。無数の矢と巨大閃光弾の組み合わせ。この距離では絶対に避けられない、また人形で受け流しても他の弾を防ぎきれない、決めに入った一撃。
 展開した弾は全て命中する。姿の見えないアリスから魔力が霧散して、放とうとしていた魔法も同時に消滅したことを知る。
 これで、決着。もはやアリスに戦闘能力は残っていない。
 勝利が決まった。
「私の、ね」
「え……」
 声は、真後ろから聞こえた。
 次の瞬間には、背中に激しい衝撃を受ける。なすすべもなく吹き飛ばされ、床にまで叩きつけられた。
「ぁっ……!」
 か細い悲鳴をあげて床に横たわるパチュリーの目の前に、すっくりとアリスが立った。
「勝負ありね」



[契約]

 アリスが人形の顔にキスをすると、ぐったりと力を失っていた人形は見る見る間に元気を取り戻して、明るい笑顔を周囲に振りまく。アリスの顔に抱きついてすりすりと体を擦りつけていたりする。ありがとうとお礼を伝えたいつもりなのだろう。
 逆にアリスは、ボロボロになっている全身をなんとか魔法で治療し終えたばかりということもあり、まだ肩で息をしている。回復にはしばらくかかりそうだ。
 むしろダメージの少なかったパチュリーのほうが先に全快しており、椅子に座った状態でそんなアリスと人形を観察している。
「そう、その子は、契約の人形なのね。悪魔の契約――そんな風に使うなんて」
「……うん。本当は、秘密だったんだけどね。やっぱりあなたには隠せないわね」
「実際、気がついていなかったわ。今の今まで。誰もそんなことは思いつかないもの」
 それは、魂の契約。または悪魔の契約とも呼ばれるもの。
 主に自分より力の強い相手を一時的に従属させ、または命令を下すために使用する契約。術者は自らの”魂”を目的の相手に与え、相手方はそれを報酬として術者の命に従う。悪魔の契約と呼ばれる所以は、悪魔が他の生物から、命を奪わない程度に魂を刈り取っていく手段として多用する契約だからだ。悪魔のほうから臣下に下る、または命を下せと誘いかけるのだ。そしてまんまと引っかかってしまった生物から魂を奪い取る。ほとんどの場合は、このように使用される契約だ。
 魂とは何か。命そのものであり、心である。魂を奪われつくされた生物は、まもなく死を迎えるだけの空虚な存在となる。
 アリスは、この契約を利用して、ただの人形だったモノに、魂をまず与えた。そして人形は命を得た。最初は相手の意思の介在しない一方的な魂の享受から始まる契約であるが故に、人形に課せられた従属の束縛は弱い。また、人形が得た命はまだ最初の段階では弱く、定期的に外部から与え続けないと育つことができない。命が自ら外部から栄養を摂取して育ち始めるに至るまでは長い長い時間を必要とする。また、激しい戦い等で消耗すると、臨時に魂を補充してあげないといけない。命のないものに命を与えるという行為は、擬似的なものを含めて色々な手段があるが、いずれも術者に強い負担を強いるものにならざるを得ない。
「苦しんで産んで育てた子だもの。可愛くないわけがないわね」
「へ、ヘンな表現しないでよっ……まあ、そりゃもちろん、可愛がってるけど」
「貴女に似ているわけね。貴女そのものなんだから」
 パチュリーは改めて人形をまじまじと眺める。
 一度そうと知ってしまえば、見た目にもアリスによく似ているような気がした。人形なのだから外見は基本的にはもとの体そのままのはずなのだが、実際に動いている仕草などが加わると、実にアリスらしい。
 じっと見つめると恥ずかしがってすぐに赤くなるところなど、そっくりだ、と密かに心の中だけで笑う。
「で」
 アリスの顔に向き直る。
「もう一つのネタばらしは、期待していいのかしら」
「まあ、その覚悟で来てはいるんだけど。一応確認しておくわ。どの件について?」
「もちろん、この子が魔法を使った件について。以前からやっていたように、人形を通して貴女が魔法を使ったというものではなかったわ。魔力の流れは見えている。明らかにこの子が自分で魔法を使っていたわね。どういうことかしら」
 人形は、命を得たとはいえ、人形だ。
 魔法は魔力を持っていなければ使えない。魔力は生物ならば誰しも多少は持っているだろうが、それは体に付着している要素だ。作り物の体に魂を得ただけの人形が魔法を使うなど、決してあり得ないことだった。
 だからこそ、パチュリーは魔力の流れを読んで、そこにいるのがアリスだと確信したのだ。そうして、人形のほうに攻撃を集中している間に、本物のアリスに背後を取られて、負けた。これが先の戦いの結末だった。
 アリスは、一度大きく頷いた。
「まさにそこが、ここで勉強させてもらった成果よ。ちゃんと見せることができてよかったわ」
 アリスが人形をテーブルの上に座らせて頭を撫でると、人形はくすぐったそうに目を細める。
「人形の体に魔力がないなら、魂と同じように、与えてあげればいいと思ってね」
「……?」
 語るアリスの言葉に、パチュリーは首を傾げる。魔力を与えるような契約魔法など、聞いたことがない。だがここで勉強した成果だと言うからには間違いなく、パチュリーも知っている手段によってそれを成したのだ。
 魔力を与える。――与える?
 はっと気づく。魔力を与えるなどという魔法はないが、物体に魔法の力を与える魔法なら、ある。
「付加魔法、ね?」
「うん」
 アリスは嬉しそうに笑った。
 ついでに、人形はえっへんと偉そうに威張った。
 付加魔法は、通常、剣などの武器に魔法による属性を与えて、反属性に対する攻撃力を強化するといったことに使われる。実際には魔法を直接使って攻撃するほうがはるかに効率がいいため滅多に使われることがなく、ほとんど歴史の彼方に忘れ去られていたような魔法の技術だ。
「すぐに見抜くなんて、やっぱり凄いわ。もう一度やったら勝てないわね、きっと」
 今回の人形の魔法のタネは、こうだ。
 アリスが付加魔法によって、攻撃魔法を人形に付加する。通常はここで、道具の使用者が、魔法が付加された状態の道具を使用するなりその魔法を解放するなりすることになる。しかしここでは、人形自身が、自らに付加された魔法を解放する。こうすると、外見には、あたかも人形が魔法を使ったかのように見えるのだ。
 すなわち実際には本当に人形が魔法を使ったというわけではない。人形がしたことは、身にまとった魔法を解放するという作業だけだ。魔法自体はアリスの魔法であり、しかも一度の付加魔法に対して一度しか使用できない技だ。付加された魔法を解放してしまうのだから。
 ここまで思い至って、パチュリーは大きくため息をついた。
「貴女は、次々に変則的な魔法の使い方を開発していくのね」
「そうでもしないと、私は勝てないから」
「参ったわ。人形が魔法を使うというフェイントを使って私の後ろに回りこむなんて作戦、つまり私がロイヤルフレア使って視界を消してしまうところまで計算どおりだったってことじゃないの」
「……そうでもしないと、私は勝てないから」
 アリスは、パチュリーの手放しの絶賛に対して、同じ言葉を二度繰り返した。
 頭を撫で続けられている人形は、胸を張るのにも飽きたのか、アリスの指に抱きついて甘え始めている。
「でも、よかったの? これも、あれの対策として新しく生み出した技でしょう。先に私に披露してしまっていいのかしら。もしかしたらちょっとした拍子で私があれにバラしてしまう危険性もあるのに」
 パチュリーは、今までにぶつけた質問の中でも、もっとも不思議に思っていたところを尋ねる。もちろん、本当に魔理沙にネタばらしをする気など全くないが、アリスにそこまで信頼されるような理由もない。
 この当然の質問に、アリスはどうということのない調子で答えた。
「ここで勉強させてもらった成果だもの。まずはあなたに報告するのが礼儀でしょ。結果的に魔理沙に先にバレてしまうことになっても、それは仕方ないわ。礼を忘れてまで勝利を掴んだって、何の価値もないもの」
「……」
 その回答に。
 パチュリーはしばらく空いた口が塞がらない状態だった。なんと答えたものか、言葉が出てこない。
 しばらく呆然とアリスの顔を見つめ続ける。
「……な、なによ」
 見つめられて恥ずかしそうに、アリスが軽く目を逸らす。
 しばらく見つめて。
「……あは」
「え?」
「あははっ……ふふ……」
 唐突に笑い出したパチュリーに、今度はアリスが呆然とする番だった。
 くすくすと、本当に面白いものを見たと言わんばかりに笑い続けている。
 人形もアリスと同じように、きょとんとした顔でパチュリーを見つめる。
「あは……ほんと、素敵、素敵よ、貴女……」
「あ、え? ええと、私としては、あなたもそうやって笑うんだってほうが面白いんだけど。ていうかあなたが笑うところ初めて見たわ」
「笑いもするわよ……ふふ。ああ、もう。素敵過ぎるわ。是非そのままの貴女でいて頂戴」
 目尻に涙が浮かぶほどに笑い続けるパチュリーのその言葉に、何か釈然としないものを感じながらも、アリスはなんとなく頷いていた。


「本当に面白い子」
 アリスが帰って一人になってからも、思い出しては少し笑う。本を読みながら。
 だけど、と少し真顔になって。
「早すぎる」
 もう一度、戦いの前に呟いた言葉を繰り返した。



[就寝]

 アリスの修行は、パチュリーとの戦いの後、さらに速度を増して進められた。
 人形の一度きりの魔法という武器を最大限に生かすための戦術作りと、付加魔法そのものの強化。さらに人形による魔法の解放の効率を上げるための人形の訓練。
 新しく身に着けたばかりの技術なだけに、まだまだ穴はたくさんある。実戦で勝つためにはもっと完成度を上げていかなければならない。
 人形とのコンビネーションもどんどん高度化されていく。人形自体の心の成長によるものが大きい。
 地下室での訓練は、毎晩行われた。
「次は7F−11Cで行くわよ。ラグはコンマ〇五秒まで」
 アリスの宣言に、人形は真剣な顔でこくんと頷く。
 升目が描かれた壁に向かって、アリスは矢を放つ。タイミングを合わせて、人形も魔法の矢を放つ。同時に飛んでいった矢は、それぞれ別の升目の中に命中して、消滅する。
「タイミングはいいわ。ただ、中心から少しずれたわね。もっと正確に中心を狙って。できるはずよ」
 こくん。人形は力強く頷く。
 そしてまたアリスは人形に魔法を付加する。
 繰り返し。
 繰り返し。
 このような基礎訓練を行っている。他にもたくさんの訓練メニューを取り揃えて。

「ん、今日もお疲れ様」
 ちゅ。
 アリスはタオルで汗を拭きながら、ぐったりしている人形にキスをする。
 人形にとってはこれが大切な食事だ。最近は訓練の回数の増加にともなって、食事の回数も増えている。
 元気を取り戻した人形がいつものようにアリスの顔に抱きつく。すりすり。
 と。
 いつもならすぐに頭を撫でてくれるアリスの手が、やってこなかった。
 不思議に思った人形がアリスの顔を覗き込むと、アリスは、頭を手で押さえながら、青ざめた顔をしていた。
 おろおろ。人形は心配してアリスの頬を撫でる。
 人形の仕草に気づいて、アリスは顔を上げ、うっすらと笑顔を作った。
「……っ……ごめんね、ちょっと疲れちゃった。無理しちゃったかな」
 そう言って、人形の頭を撫でる。
 撫で続けたあと、ゆっくりと浴室に向かって歩いていった。
 足取りは少し、ふらついていた。
 心配で後を追う人形に向かって一度振り向く。
「どうしたの? 一緒に入りたい?」
 アリスのその言葉に、人形は慌ててふるふると首を横に振った。
 赤くなって、さっと逃げる。
 そんな人形を眺めてまた笑顔を浮かべて、アリスは再び歩き出した。

 就寝もいつもどおりで。
 人形はアリスの隣の小さなベッドで横になって、アリスの顔を眺めながら眠りに落ちた。
 そして次の日の朝は、いつもどおりではなく。
 アリスは、決まった時間になっても、昼前になっても、まったく目を覚まさなかった。

 くいくい。
 人形がアリスの顔をつつく。反応なし。
 静かに眠り続けている。
 今までこんなことはなかった。いつも時間には正確で、人形のほうが起こされることはあっても、人形がアリスを起こさないといけないような状況など考えられなかった。激しい訓練でへとへとになった次の日でも、必ず一定の時間に目覚めていたのだ。
 むにー。
 頬を引っ張ってみる。やわらかい頬は気持ちよく伸びる。
 起きない。引っ張ったところが赤くなっている。痛そうだ。
 おろおろ。
 おろおろ。
 慌ててみるが、何も事態は改善しない。
 早く起きないと、アリスの忙しい日課が終わらなくなってしまう。もう太陽が昇りきってしまうというのに。起こさないと。
 むにむに。
 ぺちぺち。
 起きない。
 そして昼をとっくに過ぎて、夕方も近づこうという時間になる。
 人形もぐったりと疲れ、しばらくアリスの隣で休んでいたが、まったく目覚める様子がないアリスに、本格的に焦りだす。
 ここに至って、人形はようやく緊急事態を悟る。
 そして、むん、と気合を入れて、一つの決意を固めた。



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