[継承]
強い強い光。
初めて私の前に現れたときから、それはずっと輝いていた。今も光はどんどん強くなっている。
だけど私は知っている。その輝きがまもなく衰え消えていく宿命にあることを。
今は私よりずっと強いその光が、すぐに私より弱くなってしまうということを。
それが寂しいというのは、事実。もしできるならばその輝きを永遠に保って欲しいという思いはある。
だけど、一瞬の輝きだからこそ、これほど強く、眩しく、美しいものだということを、知ってしまった。
私には決して手の届かないもの。
私にとって一番正しい選択は、一瞬の幸せな記憶としてその輝きをずっと目に焼き付けておくことだったのかもしれない。憧れは憧れのままに、永遠に。
手の届かないものは、素直に思い出に片付けておくものにしておけばよかったのだろう。
不運だったのは、それがあまりに私の近くにいたこと。
違う。本当は、私から近づいていった。ただ遠くから眺めるだけでは耐え切れなくて。そして光に近づけば近づくほど、自分の光の弱さを思い知って、それが悔しくて、一緒に私も輝きたいと願ってしまった。
一緒に輝いて、私の存在をちゃんと見てもらって、できるなら一緒に消えてしまいたいと――それが幸せに違いないと、思ってしまったのだ。
(そんなスピードじゃ、私には追いつけないぜ)
(待って、待ってよ……そんなに急がないで……もうちょっとだけ、待って……)
(待たないぜ。ちゃんと自力で追いかけてきたら、捕まってやる)
(もうちょっと……もうちょっとだから、ねえ、こっちも見てよ、魔理沙……!)
同じ存在、同じ光にはなれなくても。
同じペースで走り続けたら、きっと私も輝けると信じた。
夢の中で誰かが囁いた。
(貴女は決して人間にはなれない)
わかっている。
そんなことはわかっている。
だけど、私には、彼女に、魔理沙に手が届くような方法が、他に思いつかなかった。
今。今の魔理沙に勝ちたい。
魔理沙はまだまだ成長し続けている。人間だけに与えられた成長速度で。
私はそれより早く走って、魔理沙に一度でも勝って、輝きたい。
そうすれば――
だから、もう少しだけ待っていて欲しい。
「ま……りさ……」
頬を伝う涙の感覚で、目が覚めた。
両腕を真上に上げた姿勢で固まっていた。
目を開ける。
外は、真っ暗だった。
夢見が悪くて夜中に目が冷めてしまったのだろうか。
頭を押さえてもう一度眠りにつこうとすると、ぐいっと腕を引っ張られた。
人形が泣きそうな顔でアリスを見つめていた。
「え……?」
人形もこんな時間に起きている。偶然なのだろうか。
いや。人形の姿をよく見ると――
ばっ。アリスは慌てて飛び起きる。
「ちょっと、どうしたのその傷……」
暗くてよくは見えなかったが、顔や手にいくつかの傷がついているのと、服が破れているのが見えた。
寝ている間にそんなことになるということは、あり得ない。アリスは眉を顰める。
「……ごめん。私、どれだけ寝てた?」
何かがあったのだ。それを悟る。
人形は、指を一本立てて、次に左右の手の指一本ずつで「たす」を作って、次に両腕をゆっくり広げるジェスチャー。
「丸一日?」
こく、こく。
アリスは困惑する。疲れが溜まっていたにしても、眠りすぎだ。今までこんなことは――通常時においては、なかった。
人形の傷ついた体に触れる。今は見えない細かい傷も無数にあるようだ。
「そう。あなたは、それで心配して、誰か……って、一人しかいないわね。魔理沙を呼んできてくれたのね?」
こく、こく。
「ありがと。心配かけてごめんね。最近ちょっと頑張りすぎてたみたい」
人形の体を撫で回しながら、アリスは小さくため息をついた。
「はあ……魔理沙に情けないところ、見られちゃったかな……あ、ううん。あなたはすごく頑張ってくれたわ。嬉しいの。大変だったでしょう、一人で行くのは」
どんどん。
ぶいっ。
人形は胸を叩いて、Vサインを作ってみせる。
アリスはくすくすと小さく笑った。
「ありがとね」
人形を抱き寄せる。
すっかり弱っている生命力を感じて、本当に頑張ってくれたんだと実感する。あともう少し眠り続けていたら危険だったかもしれない。
一度頭を撫でてから、人形の顔に優しくキスをした。
これでもう、大丈夫。
人形はアリスの顔に抱きついて、喜んでいる。
「ごめんね。もう一回寝るわ……」
アリスが言うと、人形は大人しく離れる。
しばらくの間、嬉しそうに、本当に嬉しそうに、人形はアリスの顔を眺め続けていた。
アリスが再び眠りに落ちるまで、ずっと。
[意識]
朝が来た。
アリスが目覚めた頃には、人形はまだ眠っていた。
それはいつものことだった。これが平常なのだ。今日に限っては、どれだけでも眠らせておいてあげようと思った。
両腕を挙げて、んー、と伸びをする。体の調子は悪くない。結局1日半眠っていたためところどころが痛むが、これくらいならすぐに回復するだろう。
「ん……」
小さく、あくび。
これから、いつものように体操して、朝食を食べて、元気を取り戻して。
「早く、行かないとね」
彼女のところに。
んん、と腕を回して固まっている関節を解していく。
こき、こき。時々気持ちいい音が響く。
何度か繰り返して、体が温まってきたところで、アリスはふと我に帰った。
「彼女?」
はたと動きが止まる。
今、自分が言った言葉、考えていたことが、よくわからなかった。
誰に会いに行くというのか。何か約束でもあっただろうか。
最初に魔理沙の顔が浮かぶ。心配して来てくれたことについてお礼を言わなければということだったのだろうか。
違う。先程の自分の独り言のときに思い浮かべていた顔は、全く別の顔だった。
「……なんで?」
よくわからない。
わからないのだが、一度意識に浮かぶと、何故だか早く行かなければという思いがもう一度表れてくる。
もやもやしている。何か、喪失感のような、充足感のような。
「うー」
振り払うように、とりあえず顔を洗いに行く。
そして。
「あああ」
頭を抱える。
何だかよくわからないうちにケーキを焼いていたりした。
持っていっても大丈夫なように、焼き菓子を。
昼前に起きてきていた人形が、ケーキをじーっと眺めている。いいなあ、という顔。
アリスは人形に向かって言う。
「ねえ、私、今日、向こうに行くような用事、あったっけ……? 本は全部返してるわよね?」
人形はその問いかけには首を傾げるだけ。
当然の反応だった。アリスが覚えていないようなことを人形が知っている理由はない。
うーん。悩む。
「まあ、うん」
一人で食べるには多すぎるケーキを焼いてしまったからには、仕方ない。
丸一日寝てしまった後だ。向こうへの往復は適量くらいの運動になるかもしれない。
そしてそして。
本当に何だかよくわからないうちに、来てしまった。
「……お邪魔します」
扉を開けるときに何故か丁寧語になってしまうほどに、妙に緊張している。
「あら」
パチュリーは、アリスを見て、一瞬微笑んでいた。
嬉しそうな顔を見せた。
それに気付いて。
不意に、どくん、どくんと心臓が強く脈打ち始める。
(な、なんなのよ、もう……)
赤くなってしまう顔を見られないように、扉をくぐったところで立ち止まる。
不思議そうに見つめてくるパチュリーの顔を……まっすぐ見ていられない。だけど何故か目が離せない。矛盾。
「どうしたの?」
「なっ……ぅ、な、なんでもないわ……」
声をかけられて、やっと呪縛から放たれる。慌てて目を逸らす。
あまり立ち止まり続けているのもおかしいだろうと、長い躊躇の後、ようやく歩き出す。
とりあえずは……そう、本を読みに来たということにすればいいのだ。まだ読んでいない本はいくらでもある。まだまだたくさんある。何も不自然ではない。
何故こんなに自分に言い訳しているんだろうと思いながら、パチュリーのほうではなく、本棚が並ぶほうへと向かう。特に今読みたい本があるわけではないので、適当なところへ――
「ねえ」
「ひゃん!?」
そわそわしていたところに声をかけられたため、不覚にもとんでもない返事になってしまった。
振り向くと、パチュリーは、アリスをじっと見つめていた。
正面から目が合う。
……どきどきどきどき。あっという間に、顔が、体が、熱く火照ってしまう。
熱を帯びて、かーっと顔が熱くなる。
もう、わけがわからない。
パニックになっているアリスに向かい、パチュリーは柔らかく微笑んで、口を開いた。
「美味しそうな匂いがして、本に集中できないわ」
「……あ……」
その視線は、アリスの鞄のほうへと移った。
よく見ると、パチュリーの目は、ただの微笑みのようでいて、しかし獲物を狙うそれだった。逃がさないわよ、と表情が語りまくっている。
凄まじい嗅覚だった。香りを逃がさないようにしっかり包装してきたというのに。
あの嬉しそうな笑顔はこれに向けられたものだったのかと、アリスは落胆する。もちろんアリスが作ったものであるから嬉しくもあるのだが。
(って、何考えてるのかしら、私……病気ね……)
鼓動が治まらず震えている体をなんとか抑えつけながら、鞄を開いて、パチュリーの座る机へと向かう。
鞄から焼き菓子――パウンドケーキを取り出すと、パチュリーの目はますますキラキラと輝きまくる。
ギラギラのほうが正しいかもしれない。
などと思っていると、羽の生えた司書が現れて、おしぼりとお茶を二つずつ、テーブルにきっちり並べて、また去っていった。一体いつの間に手配していたのか。呆れるほどの手際だ。
「私のために、わざわざ作ってきてくれたのね。ありがとう」
「あ、うん……」
誰もそうとは言っていなかったのだが、パチュリーは何の疑いも持たずそう思ったらしい。
仮に違っていたとしても言い切ってしまうことで既成事実にしてしまおうという魂胆があったのかもしれない。目を見ていると、そんな気さえしてしまう。
しかし何よりアリスが呆れてしまうのは、そんなパチュリーの言葉でさえ凄く嬉しく思えてしまうという事実だった。
もはや、ここまでくると、わけがわからないというよりは――
「いただきます」
アリスが悶々としている間に、パチュリーはささっと手を拭いて、もう一切れ目に手を伸ばしていた。
ぱくり。上品に一口。
「はぁ……っ」
パチュリーの体がぶるっと震える。目があらぬ方向に向いていた。
魂が抜けていっているかのように。
――待つこと、十秒あまり。
しばらくお花畑状態だった後、ほふぅと艶やかな表情でため息をついた。
「やっぱり……素敵……」
うっとりとした声。
まだ若干別世界に飛んでいる。
「いいわ。これをずっと待っていたのよ……あら? どうしたの、アリス?」
「……な、な……んでもない……っ」
表情や声に色々と想像してしまって一人で悶えていたなどと言えるわけもなく。
それはもう大変なことになっている色々なものを抑えつつ、なんとか言葉をひねり出す。
「気に入ってもらえて……う、嬉しい、わ」
「それはもう。私のものよ、誰にも渡さないわよ」
そんなことは誰も言っていない。
パチュリーはもう一口、口に運ぶ。
また別の世界にトリップ。今度は先程よりは早めに戻ってくる。
アリスは自分の分を食べるどころではなかった。
結局この日は、パチュリーが今回持っていった分を食べて残りは保存しておくという、それだけのイベントで帰ってきてしまった。本は一冊も読んでいない。もともと読むつもりで行ったわけではなかったので気にする必要はないといえばない。
アリスはベッドに倒れこむ。うー、と唸ってじたじたと足をばたつかせる。
「あーーーーーー。……うー」
まだ赤い顔のまま、部屋の中をぼーっと眺める。
ずっとパニック状態な一日だった。
人形は、そんなアリスを微妙な表情で見つめている。心配そう、というわけではなさそうだ。
「ねえ、私、おかしいよね」
人形に向かって呟く。
人形は返事に困っていたようだが、やがて、小さく頷いた。
「うーーーー。……急なんだもん……」
今日、帰って来る前のことを思い出しても、何もかもがおかしかった。
暗くなるというのに帰ろうという気になれなかった。
心配するパチュリーに、ほとんど無意識に、帰りたくないなどと言いそうになってしまった。
そして、帰り道、わけがわからないほどに寂しくなって、ずっと泣いていた。
無茶苦茶だ。
「こんなの、まるで……」
まるで。
その次の言葉は、絶対に考えないようにしていた。
あまりよく眠れない夜になった。
次の日の目覚めも悪かった。
そして、この日もまた――
[発覚]
今日も幸せいっぱいの表情で、アリスの作ったシュークリームを頬張るパチュリーがいる。
相変わらず感動感激が物凄いもので、アリスは今日も悶え苦しみ続けることになった。
「美味しい……幸せ」
「あ、ありがと……」
ゆっくり味わいながら食べるためペースは遅いが、量は平気でこなす。
パチュリーは今、三つ目を平らげたところだった。
あまりに幸せそうに食べ続けるもので、アリスのほうも幸せいっぱいなのだった。
「あ、口元に……」
だから、ちょっと舞い上がっていたのだろう。
パチュリーの口元に残ったクリームを、ただ言葉で教えてやればいいだけのところを、わざわざ自分の手を伸ばして取りに行ってしまったりしたのは。
ぷに。指が唇の端に少し触れる。
「……」
「……あ……」
さすがにパチュリーも少し顔が赤くなっている。
アリスのほうは、そんな反応を見て、もう今にも顔から蒸気が噴出さんばかりに――
「うーーーっす! 今日も略奪三昧始まる……ぜ……」
ばんっ!
扉はあまりに唐突に開いて。もちろん、ノックなど無しに。
「……」
「……」
時間がしばらく止まったような気がした。どこかの刃物通り魔の仕業かもしれない。
ばばっ!!
アリスは慌ててパチュリーから体を離す。
何事もなかったかのようにあと一つ残っているシュークリームを見つめてみたりする。
パチュリーのほうは、とりあえず、そのシュークリームに覆いかぶさるような姿勢をとって、それを隠していた。
ついでに二人をじっと眺めていた人形は、何故かテーブルの上で死んだふり。
魔理沙は……三度、大きく深呼吸をした。
「……よし、私は何も見ていない。というわけで気にせず続けててくれ、私は本を」
「ままま、待って! そういうの無しっ! い……言い訳させてっ」
「言い訳なんかいらないぜ。いやまさか二人がそういうアレだとは想像もしていな」
「違うんだってばー!」
魔理沙とアリスが必死の攻防を続けている間に、パチュリーは最後のシュークリームをこっそりと机の引き出しに仕舞っている。
「そんな必死にならなくてもいいじゃないか、私は、ちょっと寂しいけど応援してやるし」
「そもそもそこが誤解なのー! 今のはちょっとクリームがっ」
「いやあ恋の進展はいつでも唐突だなあ。ああアレか、一昨日アリスが寝込んでた日に意外にパチュリーのほうから襲ってたりとか――」
「――魔理沙!」
その声は。
魔理沙の名前を叫んだその声は、アリスのものではなかった。
パチュリー・ノーレッジが、魔理沙の名前を呼んだ。
厳しい目で睨みつけながら。
「あ……」
魔理沙はその顔を見て、失言を悟る。魔理沙もあの日、パチュリーから口止めされていたのだった。紅魔館に帰る前に魔理沙の家に立ち寄ったパチュリーに。
苦い顔で、舌打ちをひとつ。
「え……どういう、こと……? あの日、魔理沙だけじゃなくて、パチュリーも……」
「私はちょっと用事を思い出した! 帰るぜ」
「あ、ちょっと……!」
魔理沙はさっと腕を上げて、神速で扉の向こう側に逃げ去っていった。
ぽつん。
呆気に取られているアリスと、諦め顔のパチュリー、そしてパチュリーと同じ表情をしている人形だけが、再びまた部屋に残された。
アリスの中で、この二日間の出来事がいくつもフラッシュバックしてくる。
魔理沙の言葉が、何度も頭の中を巡る。あの言葉から導き出される結論は、パチュリーもまたアリスが寝込んでいた日にやってきていたということ。そして魔理沙は少なくとも途中からは帰っている。パチュリーが来たということはもちろん誰かが呼びに行ったのだろう。人形がそこまで移動できるわけもないので、人形が魔理沙に頼んで呼んだということだ。
その時に何があった?
何もなくてパチュリーは大人しく帰ったというだけなのだろうか。おそらく違う。口止めをしていたということが、何らかの事件が起きたことの何よりの証拠だ。
そもそもアリスは何故丸一日も寝込んでしまっていたのか――
――ある可能性に思い至って。
アリスは、パチュリーの顔をもう一度しっかりと見つめた。
そういうことだったのだ。
目が覚めた時からずっと、彼女のことが意識にあった理由も。
「契約……したのね」
パチュリーはもう、観念していた。魔理沙の失言があった時点で、バレることは覚悟していたのだろう。
アリスの言葉に、はっきりと肯定した。
「出来る限り、支配の影響は出ないようにしたつもりだったんだけど。思い切り出ていたわね。……ちょっと変な形で」
その言葉に、アリスはまた顔を赤くする。
意味不明だったこのもやもやした感情の根拠は、はっきりした。パチュリーの側にいようと思う気持ちは当然のものだった。現在アリスは、彼女の支配下にあるのだから。
そうとわかると、ほっとしたような、残念なような、また微妙な気持ちになる。
「私は、助けられていたのね。…勝手に無茶をして、命を削って、それで……あなたの命を奪ってしまったのね」
「私が好きでやったことよ。気にしないで」
「気にするわよ……私の、せいで……ごめんなさい……」
「その子は、みんなに愛されていて幸せね」
俯いて謝るアリスに対して、パチュリーの言葉はずれたものだった。
アリスは、人形の顔を見る。人形は、二人の間をうろうろと落ち着きなく飛んでいた。
「私も、魔理沙も。その子のことが大好きだから、やれることをやっただけよ」
「……ありがとう」
また、沈黙。
この沈黙は悪くない。必要な間を、必要なだけとったもの。
「その……」
ぽつり。
「魂の受け渡しをしたってことは……やっぱり……」
それは、受け渡しの方法についての話。
ちら、とアリスが視線を投げると、ふい、とパチュリーは軽く逸らした。
「……不可抗力よ」
「そ、そうね……」
人形が相手の場合とは、わけが違う。
「……だから、バレないようにしておきたかったのに」
アリスは、頬を掻きながら、困ったような笑みを浮かべる。
「それが一番の理由だったんだ……でも、魔理沙の言葉がなくても、遅かれ早かれだったかもね。私も早く変だなあって気づくべきだったのよ。こんなにあなたのことが気になってしまうなんて――」
「――それは、ちょっと聞き流せない言葉ね」
ずいっ。
同じように困った顔でそっぽを向いていたパチュリーが、急にアリスに顔を近づける。
真顔になって。
妙な迫力に、アリスは少し顔を引いて、逃げてしまう。
「勝手な契約でもない限り、貴女は私に好意を持つ理由なんて無いと言いたいのかしら」
さらに近づいてくる。
「え、あ……そういう、ことじゃなくて……」
「どういうこと?」
「あ、あなたのことは好きよ、普通に。でも、こういうのは、違うなあって……そういう……」
「それは、魔理沙がいるから?」
「えっ!? ……か、関係ないでしょ、魔理沙はっ」
「さっきの慌てぶり、凄かったわね。魔理沙に誤解されたときの」
「も……もう、やめてよ。魔理沙も、そういうんじゃないから」
「ねえアリス――」
パチュリーの顔は、さらに近づいて、もうアリスの顔に触れてしまうのではないかという距離まできて。
声を潜めて、パチュリーは続けた。
「忘れないことね。貴女は今、私のモノなのよ」
「……!」
「だからね」
どくん、どくん。
どくんどくんどくん。
理由がわかったとはいえ、アリスの呪縛が解き放たれたわけではない。パチュリーの目を覗き込んでいると、また、頭がぼーっとしてきて、力が抜けてきて、脈はどんどん速くなっていく。
パチュリーの唇が、アリスを狙うように動いて――
「貴女のケーキも、私のモノよ」
びたーん!
テーブルの上で、人形が盛大にずっこけていた。
ナイスリアクションだった。
[命令]
パチュリーが契約のことをずっと隠そうとしていたのは、自然にどんどん貢がせていこうという作戦で、最初から「出来る限り支配の影響が出ないように」などという気はなかったのではないか――ということにアリスがようやく気付いてきた頃。
もう一つの事実も、思い出していた。
「そうよ。支配って言っても一度の魂の享受で無条件無期限の支配なんてあり得ないじゃない。今は本命令が出るまでの間の猶予期間の軽い拘束に過ぎないはずよ」
「ち」
「今確実に舌打ちが聞こえたわよっ。……まったく、どれだけ搾取するつもりだったのよ」
「……冗談よ。いくら私だって、た……か、が、ケーキ、のために、無闇に人を縛ったりはしないわ」
「はい、今の言葉もう一度。特に『たかがケーキ』、言ってみて」
「た……かが、ケーキ」
「……」
「されどケーキ」
「もういいわ……」
「でも、命令はちゃんと決めてあるわ。とっくにね」
パチュリーは手を伸ばして、テーブルの上のアリスの手を取って、手の甲の上に掌を重ねる。
今もう命令を正式に出すつもりなのだろう。
本来ならばもちろん、契約時に同時に行っていなければいけないことだ。後から命令を決めるというのは通常許されない。緊急事態のみあり得る手順だ。
「ちょ、ちょっと、合意形成が先でしょ」
「問題ないわ。必要のない内容だもの」
ふわ……
紫色の光が、二人の手を照らす。
「アリス・マーガトロイド。貴女に、魂の契約に基づく命令を下します」
光が強くなる。
パチュリーの声は、普段の声よりずっと、透き通っていた。美しかった。
「命令。アリス・マーガトロイドは、霧雨魔理沙に『本気で』戦い、勝つこと」
「――!」
光が、アリスの体を包み込む。
紫色の光に全身を包まれたまま、アリスは静かに言った。
「魔理沙から聞いたのね」
パチュリーは、答える。
「ええ。貴女はどれだけ綿密で、必死で、全力でも……それでも、本気は絶対に出していないと」
「……矛盾してるわ」
「戦う前に最初に計画した通りの力しか出さない、ということよ。貴女は計画以上に相手が強ければ、そこでもう負けを認めてしまう。最後まで抵抗はしない。戦いの中での自分の限界を絶対に見せない。本当の意味での完全な敗北を恐れているから」
体を包む光をゆっくりと眺めた後、アリスは目を閉じる。
「魔理沙と、そんな話までしているのね。仲が悪そうだったのに意外だわ」
「ええ、仲は悪いわ。貴女と魔理沙くらいには」
「……なるほど、ね」
「貴女は、貴女が一方的に魔理沙を追っているように見えているかもしれないけど、それは間違いよ。魔理沙も貴女のことをよく見てるわ。本当にね。そして……待ってるわよ」
アリスは、目を閉じたまま、その言葉を何度も胸の中で繰り返した。
それこそ、遅かれ早かれという問題だったのだろう。
手で拳を作り、ぐっと握り締める。
目を開ける。
「――パチュリー・ノーレッジ。命令を、受理します」
体を包み込んでいた光が、すっと吸い込まれるように、消えた。
命令は誰のためか。
一人きりになったパチュリーは物思いに耽る。
まるで違う世界を生きるかのように一直線に走り続ける魔理沙。
それを現実的な目標と捉え、必死に追いかけ続けているアリス。
二人とも、遠くで眩しく輝き続けている。
アリスに、命を無駄にするなと咎めはしたけれど。
心のどこかで本当は、どこまでやれるのか、期待している。
二人でぶつかりあって、輝きあって、いつか誰も見たことのないような高みまで届いて欲しいと願っている。
きっと今自分は魔法使いの新しい歴史の本の序章を読んでいるのだ。誰よりも、早く。
「……さて、また勉強しないとね」
今は、その前に。
机の引き出しからシュークリームを取り出した。
Next.... (5)